オハヨーサン。
死刑執行を粛々と行う鳩山法相に対して、朝日新聞が「死神」と表現した問題がありました。そして本日、被害者団体が「我々も死神と呼ばれているようだ」と抗議したというニュースがありました。
そうか、ここまで気が回らなかった。確かにそうです。死刑執行を決定した人間を死神と呼ぶのなら、死刑執行を望んだ人も死神だ。事件を知って「あんなヤツ死ねばいい」と考えたなら、もうその時点で私も死神ってことでしょう。
まァどんなに失言があったとしても、「朝日さんだから仕方ない」という意識がほとんどの人の中にあるだろうことは想像に難くありませんけども、いい加減自分たちが発信している情報は、いったいどれだけの影響力があるのかを知らなければいけませんよね。
知っててやってる、というか、ちょっとでもセンセーショナルな記事にしたいのだったら話は別ですけど。でもそんなのは日刊ゲンダイ程度の連中が書いてればいいんですよ。
最近は、ようやく死刑というものに対しての自分なりの考えがまとまりました。やっぱり他人の人権を故意に無視した人間に、人権なぞ与えるべきではありません。そんな都合のいい話はいけませんね。極端に言えば、ムカついたら殺したもん勝ちってことじゃないですか。
再犯の可能性があるのなら、死刑ヤムナシと思います。ちょっと自分の中で悩んでたんですよね、最近。アキハバラの事件辺りから。でも、やっぱり「もう救えない人」って存在するんだ、という考えにいたりました。救えない人がいる、というより、社会全体が歪んでるというか。歪んだ人間を刑務所入れて、軽い刑期を終えてまた歪んだ社会に戻したところで、何か意味があるのかな?なんて。またすぐに歪んじゃう。
だからといって、「死刑賛成」なんてプラカードを持って歩くような気分じゃなくて、あくまで「仕方ないよね」という感じです。グリーンピースの人達のように「アレは悪!だからぶっ潰せ〜!殺してもOK〜!」的に単細胞以下な思考回路だったら、もっとラクで助かるんですけど、私にはちゃんとした社会生活というものがあるので、そうも言ってられませんから。
死刑なんて、誰だって執行したくてやってるわけないじゃん。

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