このところ帰宅が遅くて、依然コロナ禍で早じまいの書店にも寄れない夜が続いているのだが、昨夜は帰路に久々の新宿西口ブックファーストでTBSの『
調査情報』を買う。何年ぶりかで買った最新号であり、そしてーーこれが休刊号。
巻頭は沢木耕太郎へのスペシャルインタビュー。約半世紀前、駆け出しのノンフィクションライターだった沢木耕太郎が、この『調査情報』を舞台に初期のルポ作品を発表していたことを知る人はそんなに多くないのかもしれない。こうした都市部の大書店でもなければ店頭でなかなか入手しにくい、メディア業界以外の人には馴染みのない専門誌や業界誌などが、若手ライターたちが世に出ていくに際してのステップボードみたいな存在になっていた時代が、過去には確かにあったのだ。あるいは出版・広告業界誌編集者出身の私もそんな時代の終わり頃を知る1人かもしれないーーなんて言うのはおこがましいんだけど(^ ^;
ただ、この雑誌は過去にも一度休刊に追い込まれていた時期がある(1993年4月〜1996年9月)。そのきっかけとなったTBS内部での動き(1992年の東京佐川急便事件に関連した読売新聞社有地の取引問題と、それをTBSが報じたことから生じた読売vs.TBSのバトル)については、今回の「2度目」の休刊号に載った連載の最終回で金平茂紀さん(『報道特集』キャスター)が「当事者」として当時の内幕話を書かれているので、関心のある方はそちらをご覧いただきたい。
私はその1993年の3月まで出版・広告業界誌で社員編集者を務め、退職後は半年間の海外放浪旅と、1年半の雑誌編集者生活を経て、1995年4月からフリーライターとなった。業界誌時代には『調査情報』を購読することまではなかったが、図書館での調べごとの際によく同誌の記事を見つけては読んでいたし、『深夜特急』の沢木耕太郎がこの雑誌から輩出されたと知ったこともあり、その存在が何となく気になる雑誌の一つには当時からなっていた。
やがて自分も「目指せ沢耕」とばかりに(?)物書きとして独立してほどなくの1996年、その気になる雑誌は『新・調査情報 passingtime』という誌名で復刊(2008年には元の『調査情報』に戻る)したわけだが、その後の今日に至る歴史は、おそらく苦難に満ちた道程ではなかったかと思う。
なぜなら、それは、あの坂本堤弁護士テープ問題(TBSのワイドショースタッフが1989年、坂本弁護士へのインタビューを収録した未放送のビデオテープ素材をオウム真理教の幹部に見せていた件。直後に同弁護士一家は同教団信者により自宅を襲われて殺害されたが、6〜7年後に発覚したこの事実をTBSは当初否定した)をめぐってTBSが世間から袋叩きに遭い、当時の社長以下役員たちが総退陣となるほどの窮地に追い込まれるというゴタゴタの直後の復刊だったからだ。
オウム教団側に取材ビデオを見せていた事実を会社のトップが公式に認めた日の夜、筑紫哲也氏が当時キャスターを務めていた『NEWS23』の番組冒頭で「TBSは死んだ」と発言した場面は私もリアルタイムで観て覚えているし、当時同番組の編集長だった金平さんも今回の休刊号でその日のことを「今後も決して決して忘れることはないだろう」と書いている(もともと96年春に予定されていた『調査情報』復刊計画も、この大騒ぎのおかげで約半年延期されたという)。
つまり復刊後の『調査情報』の歩みは、かつて「民放の雄」と呼ばれたTBSが、あの未曽有事件によるトラウマを抱えながらよろよろと立ち直ろうと動き出した、まさにその苦難の歴史とほぼ重なっているのである。
ちなみに私はたまたまライター独立からちょうど1年を経た時期に起こったその坂本テープ事件の取材に参加したのだが、あれは今思い出しても本当に鮮烈な、そして悲痛な思いがよみがえる取材だった。局側の姿勢を厳しく批判しつつ他方では「お前もTBSだろ?」と取材現場で世の中からの容赦ない批判にさらされるスタッフたち、「下請け」の呼称のもとに切り捨てられた制作会社の社員たち、他方で何とかこの難局をやり過ごそうと保身に走る中間管理職たち……そんな悲痛な叫びとあからさまな保身の言動とが目の前で交錯するのを見ながら、その時に初めて「取材」という自分が好きで選んだ仕事が「こんなことって……楽しくないっ!」と、胸の中で叫んだことも覚えている。もっとも、その一連の取材がきっかけとなって、後の私は放送業界、さらには映像ジャーナリズムだったり、ひいてはオウム問題にも自ら首を突っ込んでいくことになったという経緯がある(そこはまた話が長くなるのでここでは省く)のだから、本当に人間の運命ってやつはどこでどう変わっていくのかわからない
そんなわけであの1996年というのは個人的にも何かと思い出深い年ではあるのだが、ただ、私自身にとってその後の放送業界ルポを手掛ける舞台となったのは、『創』のほか当時まだNHK出版から出ていた『放送文化』、そして放送批評懇談会から出ていた『放送批評』(翌年に現在の『GALAC』にリニューアル)がメインとなり、『調査情報』とは長らく直接のご縁はなかった。坂本テープ問題の際には取材でTBS関係者への裏取材などをやっていたこともあり、そういう意味で少々遠慮したところもあったかもしれない(まあ、単にライターとしての能力が低くてお呼びがかからなかったということが一番の理由なんだろうけど)。
初めて書く機会を与えて戴いたのは2008年の確か初夏の頃、当時の編集長だった市川哲夫さんから「クイズ番組のブームについて書いてほしい」との依頼を受けた時だった。もっとも、それは私にとっては決して得意とも言えないテーマでの依頼で、ちょうど『創』とも『GALAC』とも離れた時期だったこともあってお受けはしたものの、個人的にあまり印象に残る仕事とはならず、結局同誌への寄稿もその1回で終了。ほどなく私も鬱病で引きこもりの状態に陥ったこともあり、放送業界の取材自体もその後はほとんど行うことはなくなってしまった。まあ、その意味では放送業界取材の最初と最後の時期に『調査情報』があった、とは言えるかもしれないが。
その結果的に1回限りとなった仕事の際、やはり一度だけ『調査情報』編集部を訪ねたことがある。「ビッグハット」と呼ばれる巨大なTBS本社とは別棟の、赤坂通りに面したビルの中に発行元の「TBSメディア総合研究所」があり、そこで編集長の市川さんのほか、長く同誌に編集者として在籍した金子登起世さんなどごく少数のスタッフが編集作業に従事していた。慌ただしいTBS本社内とはうってかわって閑散とした事務所で、市川さんや金子さんが物静かに、何か達観してしまったような表情で仕事をされていた様子が、それまで付き合いのあった『創』や『放送文化』や『GALAC』の編集部とも「まるで雰囲気が違うなあ」と印象に残ったのものだった。今回の「休刊号」掲載の金平さんの手記には、その金子さんとの思い出話も出てくる。2017年の春、55歳になったのを機に「違う人生をすごしたいと思うのです」とのメールを残して退社していった金子さんは、その2週間後にガンで亡くなられたのだそうだ……。
その『調査情報』も今回なくなる。もはや「民放の雄」と呼ばれた時代はもとより、もう24年前になってしまったあの坂本テープ事件で局内が揺れた時代を知る人も、今のTBSにはおそらくもう少なくなってきていることだろう。かつて復刊時にサブタイトルのように付けられていた「passingtime(過ぎ去りゆく時間)」は、やはりかつてあの局を「TBS闘争」と呼ばれる一回り昔の熾烈な日々の末に辞めていった先輩たちが残した『お前はただの現在にすぎない』という名著へのオマージュなのかどうかは、昔一度だけ仕事でお付き合いした際には聞きそびれた。
いずれにせよ、雑誌にとっても放送局にとっても、そして私にとっても過ぎ去りゆく時間の終わりがそろそろ相次いでやってくる季節になった。
10月の終わり、そして一つの思い出のある雑誌の終わりに際し、思いがけず少々長く書きすぎました。すみません(^ ^;

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