7月4日といえば「アメリカ合衆国の独立記念日」が世間的というか世界的には一番想起されるところだろうけど、私・岩本太郎的には「新中野記念日」である。1992(平成4)年の今日7月4日、私は現在の住所でもある、この地下鉄丸ノ内線新中野駅最寄りの「東京都中野区中央」というエリアに引っ越してきたのだ。
28年前のその日も確か、今日と同じような曇り空の土曜日だった。当時はまだ出版・広告業界誌に務めるサラリーマン編集者で、それまで住んでいた同じ中野区内の沼袋から週末の休みの朝、運送屋のトラックに同乗しながらこの街にやってきた。当時、28歳ーーそして現在は56歳だから、とうとう人生の半分をこの新中野の街で過ごしてしまったことになる。
「出生地」である名古屋とは10歳になる直前に離れて以来まるで縁がなくなってしまったし、一応「出身地」としている静岡市で親弟妹と一緒に暮らしたのも高校を卒業した18歳の春まで。大学を1年余分に留年して暮らした盛岡でも5年間だった。時折帰省する実家(母の住居)も静岡市内にはなくなって久しいということもあり、今となってはこの新中野がほとんど自分の「故郷」のようなものだ(……と書いたところで以前からお世話になってきた友人や知人の皆様の中からは「そういや2年ぐらい前に静岡に“帰郷”するとか言ってた話はどうなったんだ!?」ってツッコミが入るんじゃないかとも思いますがf(^_^;)、すみません、あれはすっかり頓挫してしまったまま、今もここにおりますです、はい)。
引っ越してきた時には「まあ、ここはせいぜい2〜3年じゃないかな」と思っていたし、実際その翌年にはふらりと海外へ旅に出て半年ばかりも家を空けたほか、帰国後の翌々年には再就職した会社から突然大阪への転勤を命じられ、あっさりそのままオサラバか……と思ったこともある。ところが程なく勤め先と喧嘩して東京に戻され、退社して貧乏フリーライター稼業なんぞについてしまったばかりに身動きがとれなくなった(ようするに金が無くなって他へ引っ越せなくなった)こともあって、そのまま20代・30代・40代・50代と瞬く間に月日は流れ、気が付けば齢が2倍になっていたという、ほとんど浦島太郎的な実態のままここに棲息する格好になったわけだ。引っ越してきたあの日の頃に生まれた赤ん坊が、今やあの日の俺ぐらいの齢になってるのかとも思うと不思議な感じではあるが。
上の写真の新中野駅の2番出入口(青梅街道沿いの西側)は階段を下りたすぐ下が丸ノ内線の新宿・銀座方面行きホームである。28年前に引っ越してきてから私はほぼ毎日、この出入口から階段を降り、すぐ目の前にやってきた電車に乗り込んで「出撃」していた。初期の頃の赤坂や表参道の会社(そして現在では神保町の『週刊金曜日』編集部)への通勤にも、ユーラシアの彼方への半年がかりの旅へといざ行かんと旅立った初日にも、その後のフリーライターとして出版社やらテレビ局やら広告会社やらオウム教団の道場やらヘイトデモの現場やらへ取材に向かった際にも、飲み会やデートや趣味の鉄旅など諸々に出るにも、とにかくそうしたシチュエーションの大半がこの駅の出入り口を出撃拠点としながら始まったと言っても過言ではない。
28年といえば単純計算で365日×28回+7日(その間に2月29日が7回あった)=10227日になる。そこから上記の離れていた日々など諸々差っ引いたとしても、おそらく私は通算で約1万回はこの出入口を利用したんではなかろうか。にも拘わらず、今時の東京都心近くの駅には珍しく余計な装飾の類も何もないこの出入口は、せいぜい看板が昔の営団地下鉄のS(サブウェイ)マークから東京メトロのM(メトロ)マーク付き電車アイコンに改められた程度で、その他は私が初めてここから電車に乗った日からまるで何も変わっていないように見えたりもする(ちなみに東京メトロの前身:営団地下鉄こと帝都高速度交通営団が設立されたのも1941年の今日7月4日だったそうです)。
そんな今日も、基本的には普段の休日と変わらないまま昼前まで一人部屋で惰眠を貪った後、洗濯と昼飯を撮りに外出がてら、相変わらず近所の紫陽花を小学生の夏休みのアサガオ観察日記よろしく撮ったり、ぶらぶら立ち寄った街角やコンビニで見かけた変なものを「お?」っと思いながらスマホでパチリとやってはそのままSNSに載せたりしていた次第。無論、折しも明日が投票日という都知事選の様子やら、だいぶ以前になるが取材で何度か伺った熊本での豪雨の模様をTwitterやFacebookで確認しながら気を揉むという普段と同じ、ジョン・レノンがビートルズ時代の名曲「
A Day In The Life」で描いたような人生の一日の模様を、28年も住み着いたというか「染みついた」ような街を歩きながら、つらつらとその場から発信していた。
……と、そんな中でふと書いた呟きに、ある方からこんなレスがついたのが目にとまった。
《新宿は眠らない街だけど中野はよく寝てる感じがします》
確かにね(笑)。ほとんど24時間「眠らない街」と呼ばれる隣町の新宿に比べると、この中野、とりわけ私が28年暮らしたこの新中野は、かつて鬱の底に落ち込んで一日中部屋にこもって布団をかぶっていた私がまさにそうだったように家に引きこもって眠りを貪る独り者が昔も今も数多棲息する「よく寝てる街」なのかもしれないな……と、ふと思った。あるいは、だから私もここまで居ついてしまったということなのかもしれない。
24時間どころか、28年間も眠り続ける男がなおも夢の中で過ごす人生の(ここまで半分のうちの)1日。はたしてそんな日々がこの先いつまで続くのかわからないけど、そしていつまでこの街にいるのかわからないけど、とりあえず生きていきながら引き続き物語を綴って行こうと思います。
♪I'd love to turn you on ――。

3