この状況下にあっては何とももったいなくて悲しくなってしまうほどの見事な快晴に恵まれた週末の東京・中野。私は土日2日とも家で仕事の残り作業だったが、とはいえ狭くてとっちらかった家の中にずっと留まっていたわけでもなく、両日とも午後には外出。
先日来都内の、特に吉祥寺の商店街が「緊急事態」下にあっても人通りが多いの多くないのといった話題がウェブ上を賑わせているが(私も少々煽ったかもしれませんが)、拙宅の周辺、例えば新中野駅周辺の鍋横商店街も人通りはそこそこ、というか、どうも見たところ普段よりも少し増えているくらいの感じがする。
ただ、これはある意味で当然だという気もする。というのは、この新中野一帯は何しろ新宿までたった5分で行ける地下鉄が日中5〜6分間隔で運行されており、おそらく住民の多くは普段のちょっとした買い物でも手ぶらやサンダル履きで新宿まで行ってしまうからだ。その新宿が目下どの店も軒並み閉まったゴーストタウン的状況になっているとすれば、仕方なく家の近所で用を済ますしかないのだ。
他方、これも前にも書いたけど中野区というところは持ち家比率が都内でも最低、単身世帯率が6割を超えるという具合に、ぶっちゃけていえば私のような貧乏な独り者が日夜大勢暮らしている地域である。そういう連中は昼間は区外に行っているとしても、夜は住処の徒歩圏内に大抵数件はあるコンビニに、それこそ醤油や歯磨きが1本切れただけでも外に出て買いに行くというのが普段のライフスタイル。だからそうした連中に「家の外に出るな」というのは「冷蔵庫を開けるな」というに等しい話で、都知事に「スーパーへの買い物は3日に一度に」とかって言われても「は?」という感じなのだ。そんな3日分の買い物で膨れ上がった袋を下げながら歩いて家まで帰るのも結構大変だし、郊外に暮らす人たちと違って自動車も持っていない(あるいは免許も持っていない)住民も珍しくないか、むしろ多いくらいの街なのである。
(だから新宿にも渋谷にも行けなくなった吉祥寺の住民たちが、むしろ地元の商店街に溢れたとしても「当たり前だよな」という思いのほうが私などは先に立ってしまう。まあ、生活感覚がまるで異なる他の地域の人たちがああいう報道などを見て「何で?」と違和感を覚えるのも、しょっちゅう帰省する静岡・藤枝の実家周辺の様子を知る者としては理解できなくもないけど)
ちなみに私はこの2日間、どちらも散歩がてら地下鉄で1駅隣り(といっても徒歩でも15分ぐらいで行ける)中野坂上駅の真上の文教堂書店まで行った。新宿の紀伊國屋も中野のブックファーストも土日は終日閉店中という現状では、本を買ったり立ち読みしたりできる書店としてはここぐらいしかないのだ。で、「ここは久々だけど、もしかしたら混んでるかな」と思いつつドアから入ってみたら、やはり普段より賑わっている(ように私には見えた)。みんな「どこも閉まってるし、ここしかないんだよ」といった雰囲気で、延々続く巣ごもり状態でモヤモヤしていたであろう子供たちが、立ち読み中の親御さん公認(?)で楽しそうに店内を駆け回る姿が印象的だった。
なお、上で「今は開いてる書店はここぐらいしかない」と書いたけど、その後で、中野新橋や新中野駅近くに残った数少ない個人経営の小さな本屋さんにも足を伸ばしてみたら、ここも最近の平時の状況からすれば奇跡的じゃないかと目を疑いたいたくなるぐらいの感じでお客さんが店内に「複数」いたところもあった。こういうのは喜ぶべきかどうかと思案しながら、ツツジが見頃となった神田川沿いの帰り道を歩く途中では、これも平時の何倍増しかという数のジョガーと擦れ違う(^o^; みんな身体を持て余しているのだ。
そんな「失われた春」が満開な町の上空を、そういえば五輪&パラリンピック対応で増える来日客も見越した空路の変更によって、このあたりの上空を(ほぼ山手通り沿いに)飛ぶことになった羽田着の飛行機が、一体どんだけ客が乗ってるんだろうかと思わせつつも頻繁に通り抜けていくーー。


1