以下は仕事先の業界誌『出版人・広告人』の、今週初めに発行された2月号。
この号をもって、私は7年間関わった発行元「出版人」の仕事から離れることになった。
「出版人」の前身は、7年前まで都内・赤坂にあった出版・広告業界誌「東京アドエージ」。
32年前の春、岩手大学を卒業して職の当てもなく東京に出てきた私は、新聞広告で見た募集をほぼアルバイトと勘違いしてその会社の門を叩き、以後5年間そこでサラリーマン生活を送った。当時の面接担当者で、在職中もずっと上司だったのが、現「出版人」代表の今井照容さんだった。そのあたりの経緯は、一昨年に「出版人」から出させていただいた私の著書『
炎上! 一〇〇円ライター始末記 マスコミ業界誌裏道渡世』、あるいは本ブログの
ここや
ここや
ここに書いてある。
その「出版人」の始まりは「東京アドエージ」の終わりでもあった。7年前のちょうど今頃、東京アドエージの赤石憲彦社長が亡くなったとの報を今井さんから受け、私は葬儀に駆け付けた。そして葬儀の翌日に今井さんは東京アドエージに辞表を提出。翌月には「出版人」を神田神保町で立ち上げ、葬儀に参列していた元部下の私にお呼びが掛かった(東京アドエージはその後に赤石社長の長男が継いだものの、結局翌月限りで事業を停止したらしい)。
当時の私は鬱病&生活保護受給中という最悪の状況下にまだあった時期。「事務所を開いたから」との連絡を受けて訪ねた狭い部屋には机が2つあり、「これ何に使うんですか?」と聞いたら「お前がそこで原稿書くんだよ」と言われ、そのまま同月から事務所に通うようになった(まあ、でも原稿はその後ももっぱら自宅で書いてたんだけど)。
それまでまさか再び今井さんと仕事をする日がやってくるとは想像だにしていなかっただけに、自分の中では何やら映画やアニメとかでよくあるところの「もう『ない』と言われていたはずの続編が始まってしまった」みたいな感じのスタートだった。
前回の東京アドエージでの5年間は、当時まだ20代だった私にとってはある意味で社会人としての「幼児体験」みたいなものであり、それはそれは一つの大きな「時代」だったという感触が今でもある。それが再び始まる際には「まあ、最後はどうなるかわからんけど、今度は5年なんてこともないだろうな」とぼんやり思っていたのだが、気が付けば前回を上回る7年間もお世話になっていた(ちなみに前回は「昭和→平成」、今回は「平成→令和」と、2度も元号の変わり目をここで跨いだ)。
ただ、時代状況は前回と今回とでは対照的というか真逆だった。前回の5年間はちょうどバブルのピーク前後で、出版業界では次々に雑誌が創刊され、日本の広告市場も電通の売上が毎月2桁増という時期。そんな周囲のマスメディア界の怒涛のような勢いに、岩手から出てきたばかりの私は眩暈を覚えたり翻弄されたりしながらも、まだ20代の若さを武器にどんどん仕事を通じて経験を積み重ねていったという時期だった。それが今回の7年間は一転、出版業界は雑誌の休廃刊どころか出版社や書店、さらには取次までが次々に潰れていくという崩壊状態。50の大台に差し掛かっていた私は鬱と経済苦に疲れ切った老体をずるずると引きずるようにしながら、これもだいぶ疲れて大人しくなった東京の街を歩き、ネット上に物凄い勢いで飛び交う情報に何とか追いついていこうとした。変わらなかったのは昔も今も「上司」である今井さんにどやされ続けながら仕事をしたということだけだが、東京アドエージにとっての「社史」でもあるという上記の本を、私にとっての初の単著として出させていただいた。
そんな「出版人」をこのほど去ることになった。もっとも今回は社員という立場ではなかったし、別に何か揉めたりして辞めたわけでもないし、「海外に旅に行くから辞めます」と言って終わった前回とも異なって、今後も同じ神保町のすぐ近所で仕事を続けることになるので(そのへんは後ほど別稿で改めて書きます)お別れと言ってもそんなに湿っぽくなる感じではないのだが、とはいえいざ終わりが来てみると、やはり7年間の出来事、出会ってきた人や別れた人たちの顔が走馬灯のごとくに頭の中をよぎったりもするーーなんて書くと死者が最期に遭遇するというフラッシュバックみたいだけど、前回も今回も、私にはこれからまた新たな旅が(たぶん、だけど)まだまだ続く。
今井さん、前回の5年間はもちろん、この7年間も本当にありがとうございました。上にも書いたように自分にとって人生最悪ともいうべきぐらい落ち込んでいた状況から立ち直るきっかけを与えてくださったことへのご恩は終生忘れません。
そして同じく「出版人」として何かとお世話になってきた井内秀明さん、高崎俊夫さん、瀬尾健さん、落合早苗さん、田辺英彦さん(以上は新旧の同誌スタッフでSNSなどでこれをご覧になられるであろうみなさん)、さらには「出版人」の連載や取材などでお世話になってきた、ここをご覧になられるであろうみなさん(あまりに多いのでお名前は省略させていただきます。すみません)、7年間の長きにわたって、本当にありがとうございました。

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