観てきました『
スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け(エピソード9)』。
結論から言えば結構面白かったし、あの最後のオチまでよくまとめたなとも思った。とはいえ手放し礼賛とまではいかないし「たぶんこれは批評家あるいは熱心なSWファンからはキツく言われるんじゃないかな」という気もした。
(ちなみに先に観てきた方々のネタバレ感想はまだ読んでいないけど、書き出しところだけカンニング的にチラリと覘くと、みなさんそんな感じみたいですね ^ ^;)。
以下、私も思うところを(未見の方のためにも、なるべくネタバレにならないように)書いてみます。ただ、この作品については少なくとも前作・前々作と3部作の発端まで遡らないと上手く語れない気がしたので(特に前作のep8については感想を書き損ねたままだったので)前段が少し長くなりますが、まずはご容赦のほどを。
6作で終わったと思われていた『スター・ウォーズ』が、ジョージ・ルーカスの手を離れてディズニーの手で蘇ると聞いた時、それは私も期待半分「でもなあ」という感じだった。かつてルーカスが(途中にだいぶ間は空いたが)30年がかりで練り上げて完結させたスカイウォーカー親子の成長と転落そして再生の物語が、はたして後輩の監督たちや新たなキャラクターの下で損なわれることなくきちんと継承されていくものだろうか、と。
その意味で4年前に公開された新3部作の1作目(ep7)「フォースの覚醒」については、観た時に「お、これはなかなか先が楽しみじゃないか」「ディズニーもスタッフもやる気だな」との期待を私は抱いた。
父子のドラマだった『スター・ウォーズ』を継承するのは「レイ」という、日本の我々にはあたかも「ナウシカ」を想起させる若きヒロイン。対する敵役の「カイロ・レン」は過去の作品に描かれていた巨悪としてのダース・ベイダー(実はep1〜6を通じた全編の主人公でもある)や銀河帝国の圧倒的な強面ぶりからするといかにもハンパな「生と悪の間を彷徨う若者」といった感じで、「なるほど、新3部作は『ナウシカvsネトウヨ』が物語の主軸か」と私はそこで一人で合点した。ここでまたルークやアナキンを彷彿とさせる3人目の青年主人公を普通に持ってくるといういささかヒネりのない展開よりはそっちのほうが面白くなるかもしれないし、何よりハン・ソロという、シリーズきっての人気キャラクターを再開1作目で殺してしまう(まあ、このネタバレはもうOKでしょう)というあたりに、むしろ作り手側のやる気を感じたのだ。ただ、ep7時点では最後の最後になってルーク・スカイウォーカーが台詞無しで数分だけ登場するなど「まずはこれまでのことを諸々整理してみました。改めてここから本格的にストーリーが始まります」というところで終わってしまったのだけど、それはそれで「新たなスター・ウォーズ」への期待を感じさせる滑り出しでもあった。
だとすると、監督がJ.J.エイブラムスからライアン・ジョンソンに変わった次のep8「最後のジェダイ」についてはやはり点数が辛くならざるを得なかった。いや、この新3部作の間をつなぐという元々宿命的にしんどい役割を担わされた作品も、ストーリー的には全編に渡り、攻守や敵味方の関係が逆転に次ぐ逆転で楽しませてはくれたのだけど、終わってみればシリーズとしての話があんまり先に進んでいなかったのだ(^ ^;)。ルーク・スカイウォーカーが復活かつそこそこ大活躍の末に去っていったのはよしとして、上述したレイとカイロ・レンとの「ナウシカvsネトウヨ」の関係性にも特に目新しい進展はなく、何よりレイの出自をめぐる謎が棚上げされてしまった(今から思えば敢えてそうしたのだろうが)ばかりか、「結局お前は両親に酒代代わりに売られたんだ」のセリフ1つでスルーされてしまったところにも、やはり消化不良感が残った。
たぶん、これは新3部作の主人公に女性を持ってきたことからくる必然的な結果でもあるかなと、2年前にこのep8を観た時には思った。いや「やっぱ『スター・ウォーズ』の主役は女性では無理」などと言いたいのではない。ただ、オリジナル3部作(ep4〜6)やプリクエル3部作(ep1〜3)が一応どちらも「青年の成長(転落)物語」だったのが、今回は女性が自身が何者であるかを探す物語であり、なおかつカイロ・レンとの「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語としての性格が(もとい、この場合は「ガール・ミーツ・ボーイ」か)このep8から明確になり始めたため、その点で特に昔からのファンには違和感や消化不良の感を与えたのではないかという気もする(あるいは少年マンガになじんだ読者がいきなり少女マンガに出くわした時の戸惑いにも、それは似ていたりしたんだろうか?)
――で(前振りが延々と長くなってしまったけど)再び監督に戻ったJ.J.エイブラムスが全9作の掉尾を飾るべく送り出した今回のep9は、前作までライアン・ジョンソンが積み残してしまった部分を、かなり大急ぎかつ力仕事で片づけて何とか物語にオチを付けたなというのがまず一点(笑)。そこは見事にやってくれたと思います。
最大の積み残し課題であった主人公・レイの生い立ちの秘密についても「そう来たか!」と、これはかなり意表を突くというか、正直唖然とするような結論が用意されていた。はたしてこれが新3部作の企画段階におけるどの時点で決まった結論なのかはわからないが、まあこれなら後伸ばしにしていたのも仕方がないかな、というものだった。また「ナウシカvsネトウヨ」というか「ガール・ミーツ・ボーイ」話についても、最後にそこそこ良い感じで決着がつく。
ただ、久々に満を持して出て来た皇帝パルパティーンの最期はあんなもんなの? とも思ったし、ガール・ミーツ・ボーイ話にしても、それならそれでもっと話に深みが持たせられたんじゃないかという気はした。フィン、ポーという脇役2人にもそれぞれが絡む物語が用意されていたし、その2人とレイとの間にも三角関係らしきものがちらつかされたりもしていたのだが、そうした人間ドラマはいずれも大して深みのないまま終わる。チューバッカが死にかけたりC3POが過去の記憶を全部失ったり、ファースト・オーダー側で「実はこいつがスパイだった」という話にしても、本来ならもっといろいろ面白く、本筋に結びつけながら展開できた部分じゃないのかな。
ようするに、ケリを付けなければいけない積み残しの課題が多いところへ、さらにまたいろんなプロットを詰め込んでしまったものだから、全体に最後までガチャガチャとして未消化な印象なのだ。このあたりがルーク・レイア・ソロの主要3人を中心にドラマが結末に向かってぐいぐい展開していたオリジナル3部作との比較でも、やたら散漫な印象を与えてしまう部分である。
もっとも、そんな中でも古くからのファン向けに旧作へのオマージュを随所に入れようとしていたところには、可愛げないけどそれはそれで逆に大したサービス精神だなと感心したりもした。ランド・カルリシアンのほかに今回もサプライズな(ってあんまり使いたくない表現だけど)出演何となくがあったし、最後のほうでep4でレイアから渡された勲章が唐突かつ久々に出てくるのは、あのシリーズ第1作のラストが公開後に思わぬ批判を浴びたことへの一種の「落とし前」だろう。そして今回のラストシーンも(実は何となくこれになるのかなと少し読めてたところはあったものの)9作の締めくくりに相応しい映像であったのではなかろうか。アイドル的な存在のドロイド・BB-8の造型も、もしかしたら最初からこのシーンを念頭にこしらえたんじゃないかとふと思ったり(^ ^;
そのうえでep7〜9の新3部作全体についての私なりの評価を言えば、2010年代の『スター・ウォーズ』という独立した作品を世に出そうとしたのであれば、まあこれで良しの合格点。ただしルーカスが6作で完結させようとした「スカイウォーカー・サーガ」を、わざわざこの3本まで作って終わらせる必要があったのかな……というところに落ち着く。故・野田昌宏氏のように初期の頃からの熱心なご意見番の方々がもしまだご存命だったら、はたしてこの新3部作をどう見たか。あるいは「こんなの『スター・ウォーズ』じゃない!」とかお怒りになったりする方もいたんだろうか……。
(ちなみに最後のほうで反復される「諦めるな。自分は孤立してると思うな。仲間はほかにたくさんいる。絆を信じることが大事なんだ」も、今の時代にあっては何か聞くだけで恥ずかしくなるようなメッセージだけど、これを敢えて盛り込んだ制作者側の思いというのは聞いてみたい気がした。破滅へと向かうep3の終盤でナタリー・ポートマンが演じるアミダラ姫の「自由はこうして死んでいくのね。万態の拍手の中で」との台詞が、当時のイラク戦争に揺れる世相と結び付けて語られていたのが個人的にも印象に残っている)
そんなわけで、ep8で本筋をさしおいて好き勝手に作った結果物議を醸したというライアン・ジョンソンが監督のうえ今後作られるという次の3部作(ep10〜12)に期待できるかといったら、たぶんそれは少なくともオリジナル3部作をリアルタイムで観たような我々の世代にとって、もはや『スター・ウォーズ』ではないのだろう。けれども、こうした作品というのはシリーズが続く中でそれぞれの時代のファンとの間で育まれていくものだろうし、それこそ日本における『ガンダム』の続き方なんかを見ていても、まあそれもまた良しという気はする。「いやな予感がする」なら、我々はもう観に行かなくてよいのだ。

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