昨日は
インターネットメディア協会(JIMA)の設立シンポジウムに行ってきた。終わった後に近所で小林英美さんとあれこれ感想を語り合ったのだが、会の進行というか見せ方という点で第1部(パネルディスカッション)についてはいろいろ注文をつけたくなるところはあったが、第二部の下村健一さんのメディアリテラシー講座は、さすが元アナウンサーにして現在は大学で教えるという立場(その途中には内閣官房の広報担当官もやっていた)だけあってなかなか見事だったという感想では一致した。
特に中学2年生向けメディアリテラシー授業のダイジェスト版で「立場が変わると情報はこんなに違って見える」という教え方などはなかなか面白かった。上記の通り下村さん自身も何かと立場が変わってきた人だったからね(^ ^;) と、そこで個人的に下村さんとのだいぶ前のエピソードも久々に思い出した。
あれはかれこれ10年近く前の2010年の確か1月、当時高田馬場にあった市民メディアセンター「MediR(メディアール)」で「もし市民メディア専門の24時間放送局があったら」というテーマでの模擬ワークショップが行われ、そこに下村さんが講師、私が受講者という立場で参加したことがあるのだ。そこでいくつか上がった番組プランを何人かのチーム単位に分かれて具体的に企画化してみようという時間が設けられたのだが、私のもとに回ってきたプランが「今日のデモ」というやつで、3人くらいで討議したものをまとめて私が発表時間にプレゼンを行い、下村さんが講評を述べたのだった。もっとも、プレゼンと言ってもそんな大仰なものではなく、なおかつそれ以前から下村サンには取材や市民メディア関連で何かとお世話になってきたことでもあったので(私がオウム関連の本を出した時に下村さんのラジオ番組にゲストで出演させてもらったこともあった)、私が「毎日朝晩2回の15〜30分番組で、朝はデモ情報告知編、夜はその現場レポート編と解説、検証、参加者インタビューなどをやりましょう!」などほとんど思い付き同然のプランを大急ぎで述べたのに対し、下村さんが「なるほど」と頷き「でもさイワモっちゃん、このへんはもう少しこうやって……」等々といった、至ってくだけた感じではあったのだが。
無論、それはあくまで架空の24時間放送局を想定した模擬プランであり、そこから特に具体化していくということはなかった。その後、私はしばらく鬱病で自宅引きこもりの状況に陥り、下村さんは当時首相だった旧知の菅直人氏(学生時代に選挙か何かの手伝いをした間柄だったらしい)からの要請で内閣官房の広報官に就任。「3.11」を挟み、首相が菅氏から野田氏に変わった後も、結局民主党政権が終わった2012年末まで官邸に通っていたと思う。
で、そんな中で2012年のちょうど今頃(もう7年前だ)に毎週金曜日夜の首相官邸前で反原連による原発反対抗議行動が盛り上がり、私も鬱病リハビリがてら(?)毎週現場からスマホでネット生中継をやりに通うようになったわけだが、騒然とした路上から官邸に向けたスマホ画面に表示されたネット視聴者数が、別に外向けに告知したわけでもないのにたちまち100,200とぐいぐい上がっていくのを見ながら、ふと「おお、そういえば2年前にプランを立てた『今日のデモ』が番組として何時の間にかナシ崩し的に実現してしまったではないか!」と気づいて1人で感激したのだった。
しかし同時に不思議だったのは、その2年前に『今日のデモ』の企画立案に講師としてアドバイスしてくれた人が、いざ実現したらと思ったら、今日のデモ参加者の人々によって抗議の声を浴びせられる官邸の中に広報官としているというこの現実は一体どういうことなんであろうか? ということだった(^o^;
そんなわけで「原発反対!」「野田は、辞めろー!」といったシュプレヒコールを上げる大勢の参加者の横から中継しながら、
「下村健一、出てこーい!o(^▽^)o」
などと内心余計なシュプレヒコールをやっとった私でしたが(笑)、あれも少しは鬱病リハビリに寄与したかな。まあしかし「立場が変わればモノの見え方も変わる」ではないが、同じテーマで同じメディアの構想を一緒に考えながら、いざ実現したら全く反対側の立場からそこに関わることもありうるというのも、ある意味でネットの台頭に伴い生まれた新たなメディア環境の中でこれからどんどん生じうる事態なのだろうなと思ったことを、今日の話を聞きながら改めて思い出した次第であった。下村さん。おつかれさまでした♪


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