どんな鉄道路線にも(山手線にだって正式には)始発駅と終着駅がある。地下鉄だってそこは例外ではなく東京都心には全部で13本もの地下鉄路線があるから、当然ながら始発駅=終着駅も全部で26駅もあることになる。
しかし現実には東京の地下鉄で、他のJRや私鉄路線にあるような「終端の寂しい終着駅」というのはあまりない。なぜなら大半の路線は両端部でJRや私鉄の郊外路線と接続しており、しかも大半はそのまま線路もつなげて相互に直通運転をしていることから、見た目にはほとんど途中駅と同じであって、全然「終着駅」っぽくないからだ。中野だ西船橋だ和光市だといった駅のどこに終着駅の哀愁が漂っているというのか。辿り着いた駅でドアから一歩ホームに踏み出て終着駅の旅情に浸ろうにも、後ろから降りてきた降り客に背中から突き飛ばされるか、折り返し電車への乗り客に前から押し潰されるだけだ。
しかしそんな東京の地下鉄にも例外的に、他線と全く接続しない、どんづまりの正真正銘な「終着駅」が4つある。作られた年代の古い順にいうと方南町(丸ノ内線)、西馬込(都営浅草線)、北綾瀬(千代田線)、光が丘(都営大江戸線)だ。
これらはそれぞれの路線の中ではメインルートというより脇道に枝分かれしていく支線の終端にあり、しかも近隣に車両基地があるという点でも共通している。要はメインルートから外れた少し鄙びた場所に車両基地用の土地を確保し、そこまで回送用の引き込み線を作るついでに「お客さんも乗せて走りましょう」みたいな扱いな要素がたぶんにあるのだ。
巨大団地を周囲に要する大江戸線の光が丘駅はだいぶそれと様相は違うけど、他の3線区はいずれも見た目にそんな感じで、普段の日中は「本線」に直通しない、支線の中だけを行ったり来たりピストン運転する列車がまばらなお客を載せてのったり走るという光景が見られる。だからこの3駅には東京23区の市街地にあっては珍しい「うらぶれた終着駅」の雰囲気が漂っていて「鉄」心を掻き立てたりもする(^ ^;
もっとも、そんな路線に対しても、やはり駅周辺の地域に暮らす人々からは「せっかくなんだからもっと便利にしてくださいよ」との声が上がることになる。市街地に駅を作ればそれなりに乗客は増えるし、鉄道会社にとっても「ならば本数や、本線への直通を増やそうか」といった動機が生まれる。車両運用上も、本線のダイヤ乱れ時への対応なども含めた弾力性を持たせる意味で、支線を柔軟に活用できるメリットがある。
そんなわけで上記のうち、方南町と北綾瀬については東京メトロが本線直通対応の工事を少し前から進めており、後者については今月のダイヤ改正からそれが実現することとなった。北綾瀬駅と、1つ南隣で千代田線「本線」と接続する綾瀬駅との間はこれまでこの区間専用の短い3両編成の電車が行き来するのみだったのが、「本線」からの直通列車が入れるよう、北綾瀬駅では3両編成ぶんしか長さのなかったホームを10両編成対応に伸ばすなどの改築が行われた。
と、前置きが長くなったけど、その新装なった「千代田線・北綾瀬支線」まで先日、本線からの直通列車に乗って行ってみることにした。
たまたま私は昔、この北綾瀬支線を割と頻繁に利用していたことがある。「鉄」趣味でではなく本業のライター仕事の関係で、当時取材していたオウム真理教の広報部が北綾瀬駅から徒歩10分ほどの住宅街にあったからというのがその理由だったのだが(^ ^; まあ、確かにそういう理由でもないと、地元在住者や通勤客以外はあまり利用する機会がない路線でもあったのだ。
以前は乗り換えのため下車して支線列車を延々ホームで待たなければならなかった綾瀬駅を、車内に座ったまま通り過ぎるというのはやはり新鮮なものがあった。もっとも、新規リニューアル開業したばかりの今は、ここで都心からのお客さんがどどっと降りてしまうのも相変わらず。編成両数が一気に3倍強の長さになったこともあって以前よりもむしろガラガラの様相を呈する格好になった。
当然、車窓もこれまでといきなり変わるわけではない。そのままJR常磐線へと直通していく線路から別れ、左に大きくカーブを切りながら、足立区の住宅街を眼下に眺める高架線へと入っていく。他でも見られる都市の高架鉄道の風景だが、もともと車庫への路線ということもあってかスピードはそろりそろり。発車するや一気に加速するという都市地下鉄の雰囲気とはそこがまるで違っている。線路は複線だが、擦れ違うのは今ももっぱら支線専用の3両編成か、車庫から本線に客を乗せずに向かう回送列車だ。そこにやっぱり今も漂う「末端」の風情と、車窓の都市風景とのアンバランスはこの区間独特のものだと言える。
綾瀬から北綾瀬まではまさに真北へ数分。このあたりでは東西にのびる環状七号線に線路がぶつかるところで終わる。改札口は環七に面した位置に設けられていて、下車した乗客はそのままホーム上を進行方向に歩いた先端部分にある階段を下っていく。高架上にあるホームの先は環七を超えてさらに線路が北へのびていて、はるかに見える車両基地には、これから出庫しようという本線車両たちが正面を向いて並んでいるのが見える。
私が乗ってきた10両編成は、そのまま車庫には戻らず折り返しの代々木上原行きとなって数分後には元きた方向に出発していった。その姿を追うように歩くと、新たに工事で延伸されたホーム上の区画に入る。やはり真新しさが漂っている。終端まで歩き切らないうちに、今度は従来からの支線専用3両編成が次の電車として滑り込んできて、私の横を通り過ぎて行った。乗客に便利なよう、環七沿いの改札口に寄せて停まるため、ホームの延伸部分はこの場合は壮絶に持て余す。
しかし視界奥に停まった電車からは、ホーム上をこちらに向かって歩いてくる乗客の姿も見えた。延伸と同時にもう1ヵ所、従来とは反対の南側にも改札と出入口が設けられたからだ。一緒に降りてみると、階段から出てすぐのところは公園で、さらには住宅街へとすぐにつながっていた。住宅密集地帯だから、当然こちらのほうが便利なお客さんもいる。
今から50年近く前、千代田線が開業してこの先に車庫が設けられた頃のこのあたりは人家も少なく、田園風景が広がっていたという。北綾瀬駅が開業したのはちょうど今から40年前だが、そこからでもかなり景観は変わったらしい。今度の都心直通運転開始により利便性が高まったことで不動産会社はいろいろ新規に動きだしているようだし、自ずとまた様相が変わっていくことだろう。
公園を抜けて北側の環七沿いに出る手前には、今では都内でも珍しくなった駅前書店があった。道路の両脇にはファーストフード店や飲み屋の全国チェーンが連なるが、横断歩道を超えた車庫側の空は広々としている。昔、この先をよく歩いて通ったからわかるけど、この先は商店はコンビニがまばらにある程度でひたすら住宅街が続く。まさに都市部と郊外部の分かれ目に立つ終着駅なのだ。
ふと効果を見上げると、夕暮れの中に青い大蛇のような車両が停まっていた。千代田線経由で東京の西部、箱根や江の島方面へと直通する小田急のロマンスカーだ。時刻表上はこの北綾瀬駅は運行区間外なのだが、やはり車庫の最寄り駅と言うことで姿を見せる。
再び改札を抜けて高架ホームに上がると、ロマンスカーはホームのすぐ横に長い車体を横たえていた。北綾瀬駅は複線の片側にしかホームがない。これから乗務する車掌さんらしき制服姿の男性がホームから下に降り、反対側の線路脇に設けられた階段を伝い、最後尾の運転席ドアから車内に乗り込んでいった。照明でオレンジ色に照らされた車内では車内整備の作業員たちが打ち合わせをしている風景が見える。
やはり、この駅は今も「車庫の延長線」のような駅なのだ。私はこんな風景をホームから眺めているのがとても好きだ。かつて物心ついた幼少期の頃、私が住んでいたアパートの近所には私鉄電車が走り、すぐ先の最寄り駅には車庫があって、煤けた木製の車庫に戦前製の赤や緑の古い電車が出入りするのをホーム上から楽しく眺めていた。それが私にとっての原風景だ。だから今も鉄道が好きで、50をとうに過ぎた頃になってもこうして暇を見ては少し足を延ばして電車を見に来るわけだが。
北綾瀬駅周辺に用があってくることは、これからもおそらくないと思う。かつてここから歩いて尋ねて行ったところにあった古いビル内で、白い服をまとって修行生活に励んでいた彼らは今頃どこへ行ったのやら……。少し前、久々に近くまで訪ねていった時にはビルは残っていたものの、あたりは当時の騒ぎなどすっかり忘れたように静かな住宅街の風情を取り戻していた。街も電車も、こうして往時の名残をどんどん脱ぎ捨てながら、いつ終わるとも知れぬ日常の時を、時刻通りに出入りする車両たちと共に刻んでいく……。
ともあれ、また北綾瀬駅には来ることにしよう。もちろん、いついつまでにと予定を立てるわけでもない。来たくなったらいつだって来れるのだ。ただしそれが思い出の地との最後の機会になってしまう可能性を常に秘めながら、ではあるのだけれども。

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