元BC級戦犯の飯田進さんが昨年の10月13日に93歳で亡くなられてから、今日で一周忌になる。
昨年も
ここで書いた通り、私は11〜12年前、飯田さんに何度かインタビュー取材集中的に行っていた時期があり、その際には元海軍の調査隊員としてニューギニアに出向いた際の極限体験や、戦後に帰国してスガモ・プリズンに服役した頃の記憶を中心にお話しを伺った。
ただ、その1年前の記事にも書いた通り、足掛け2年を要して行ったインタビューの内容については、その後は日の目を見ないままに終わってしまっていた。
もともとその取材は、ある映像カメラマン(テレビ番組での撮影取材などを担当)から私に「飯田さんを撮りたいのでインタビュアーを務めてくれないか」と頼まれて始めたものだった。カメラマンの彼は「ビデオジャーナリストのように撮影しながらインタビューするスタイルは嫌いだ。自分はあくまで撮るのに徹したい」とのことで、少し前から知遇を得た私に聞き手役として白羽の矢を立てたらしい。
ところが途中で彼が別途、もう一人、プロの映像ディレクターとも組みながら飯田さんに別途取材を行うようになったことで、最終的にはそちらのほうがドキュメンタリー映画として劇場公開される運びとなった。
カメラマンは「2本とも並行して作るつもりです」と言い、実際に完成させたものを山形映画祭に応募(結果は落選)したとは聞かされたが、私は完成前のナレーションや音楽が入る前のバージョンをDVDで送ってもらったのを見たのが最後だった。
もう1本のドキュメンタリー映画は公開前後から評判となり、カメラマンや飯田さんもいくつかのメディアの取材に応えたりしていたが、私はそれっきり2人とは連絡をとることがなくなった。いや、飯田さんからは時折「体調を崩していると聞いたが大丈夫なのか」といった電話をその後も時折いただいたが、ほどなく病床につかれ、とうとうそのままお会いすることもなくなってしまった。
そんなわけで飯田さんのことは正直今でも心残りになっている。結局、あの時にいただいたお話、あの表情を収めた映像はお蔵入りのまま、永遠に封印されてしてしまうことになるのか……。
と、思っていたら数日前に突然、その映像がネット上で公開されていたことがわかった。タイトルは『
スガモプリズン 〜決して貝にはならない〜』という約2時間の作品だ。
横浜の飯田さんのご自宅での数回にわたるインタビューを軸に、かつてスガモプリズンのあった東池袋の公園を飯田さんが訪ねる場面(私も同行している)、恵泉女学園大学教授の内海愛子さんにスガモプリズンについて訊ねに行ったインタビューなどを織り交ぜた構成になっている。
私の声や姿は画面にあまり登場しないが、それはカメラマンから「飯田さんの声や姿を撮りたいので、あまり口を挟んだり相槌を打ったりしないでほしい」と頼まれたからでもある。ただ、最後のほうではそのスガモプリズン跡の公園に立つ石碑(かつて処刑台があった場所)の近くで飯田さんと私がベンチに並んで話をする場面も出てくる。若き日の恋話に上気して顔を赤らめた飯田さんが、思わず私の秘話を叩いたりするシーンもあるのが可笑しい。
そんなわけで作品のエンドクレジットにも私の名前が一応「聞き手」として出てくる。もっとも、私がこの作品がYouTubeにアップされていることを知ったのは、数日前「そういえば飯田さんが亡くなって1年になるな」と思いながら何気なしにGoogle検索をしていた中で偶然見つけたからであって、別に案内や告知の知らせなどは一切もらっていない。映像がアップされた日付を見ると飯田さんが亡くなられてから2か月後の昨年末になっている。何か後ろめたかったのか怖かったのか知らないが、まあ別にそれはいいだろう。もはやめんどくさいからその件で何かを言ったり関わり合いになったりするつもりもない。何とか映像が世に出ただけでも良かったと思うことにする。
それにしても映像の中の飯田さんはこの時で既に83歳だったはずだけど、話しぶりも歩きっぷりも実にカクシャクとしている(隣にいる私のヘタレ具合のほうが見ていて情けなくなるほどだ)。
見ているうちに何だか不意にまた電話が掛かって来て、あのどっしりとした声で「作品は見たか?」なんて開口一番言われそうな、そんな気がしてくる。亡くなってしまわれたなんて、本当に嘘みたいだな……と、ひとり部屋の中でしんみりとしてしまう、一周忌の夜だ。

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