いや、昨日に以下の記事をfacebookでシェアする時に書いたら長くなっちゃったんで(^ ^;
「
全ての左派リベラル、団結せよ!!もうあとがない!!!」
(脱原発・NO NUKES、反戦平和、護憲、統一戦線 2016年4月29日)
う〜ん……と、「左翼」とか「左派」とか言われる人たちが「まとまらない」とか「内ゲバで揉める」とかいうのは、私自身も過去の経験から散々感じてきたことなので(^ ^;)、この記事におけるその辺の指摘は私も同感です。
あと「我慢出来なくてプィっとする。約束を守らない人がいる」との指摘もあるように、確かに「だらしない」人が多いんだよね。「憲法守れ!」「表現の自由を守れ!」とか言ってる一方で、マスメディアに自分たちと反対側の陣営からの意見が載ったり公的な集会にそういう人たちが出てくると聞いた途端に「そんなやつを出すのはけしからん!」とか、自分のやってることのダブルスタンダードに悩まなくて平気な御仁には、私も過去に何度か辟易させていただいたな。
左翼系と目されるメディアでも「大手出版社は営利ばかりを優先してジャーナリズムやノンフィクションを載せる媒体をどんどん無くしていって、今やフリーランスのジャーナリストが書く媒体がなくなっている」みたいなことを言ってる媒体に私はかつてほぼ毎号原稿を書いていたけど、原稿料の遅配が常態化した時に文句を言ったら「今のウチに甘えちゃだめだよ」、記事の内容をめぐって言い合いになった時にも「ウチの子どもの教育費にも影響が及ぶくらい苦しい状況になってる中で、私の意に沿わない原稿を載せるわけにはいかない」って言われて、ほどなくそことは別れたね。
ただ、このシェアした記事について難癖つけたいとしたら末尾の部分だな。意見の違いは超えて団結しよう、組織の力が大事だ……みたいなことをおっしゃられていると思うんだけど、確かにこれから選挙だって状況の中でそれが凄く大事だなってことは私も認めるし、そういう努力はやっていくべきだと思うんです。
でもね、私が思うに組織だ団結だなんてのは、一つの目的を成し遂げるための、たかが「手段」だよ。もちろん、手段は手段でみんなが集まって盛り上がるうえで大事なものだし、そこをどうアレンジしていくかは大事なんだけど、手段自体の組み方をどうするかが自己目的化したところから、おそらくいろんな間違いが始まってきた歴史が過去にもあったんじゃないかな、と。
そんな思いがあったから、かつて「
共謀罪に反対する表現者たちの会」に参加してブログであれこれ発信したり、女性メンバーがメイド服を着て駅前でチラシまきをやったのをレポートした際に「
不真面目だ!」って批判された際には「
不真面目で何が悪い」って答えたね。他にも「そんな不真面目な人たちがやってるんだったら私は共謀罪賛成に回ります」と言われたんで「どうぞ、あちら側の陣営の足を引っ張ってくださいね」と答えたりしていたうちに、まあ結果的になんだけど共謀罪法案は廃案に追い込めたーーって、こういう過去の体験を書くと「年寄りが過去の成功体験に拘ってる」とか言われそうなんで止めたほうがいいんだろうけど、これも俺らより一回り上の世代が「俺たちがかつて反対運動をやった時には!」「俺たち以降にそんなジャーナリストたちの運動はない!」とか言ってるのを「みっともねーなー」「でもあいつらとおんなじことをやりたかねーなー」という、やたら説明するのもめんどくさい思いからのことであってね(^ ^;
最後に、これも以前に書いたことのようで気が引けるんだけど、昔あるジャーナリスト関連の集会にパネリストとして出た時「
今こそジャーナリストの連帯がどうしてできないのか!?」みたいな質問を振られたのに対して、私は「
ジャーナリスト同士で連帯なんかすんな」って答えたことがある。その時の素直な気持ちは「
別に俺と近所の魚屋のおっちゃんや農家のおばちゃんと連帯したってもいいじゃないですか? なんで同業のジャーナリスト同士で連帯しなきゃならないの?」って思ったからなんだけど、後からこうも思った。「
ジャーナリスト同士の連帯を! って叫んだ末の醜い帰結が所詮は今の記者クラブ制度なんだよ」と。
そんなわけでまた話が脱線したけど、結論としては「組織や団結なんか糞食らえ」ってことになるのかな。むしろ組織も団結もされてない有象無象であったほうが、対抗側の「分断作戦」を無化することで「せっかく分断したはずのAとBがどうして両方ともこっちに襲い掛かってくるんだ!?」と焦らせるぐらいの展開に持っていければいいってことは、ここ数年間の国会周辺での盛り上がりに対して盛んにAだBだCだDだのとレッテルを貼ることで納得したがる奴が多いことでもわかる。
何度もレッテルを貼りたがるのは、ようするにてめーの貼ってるレッテルのノリが弱くてすぐに剥がれ落ちることを自分でもわかってるからだろうに。
あ、ただ、短期的には「直近の選挙をどう戦うか」ってことでの組織論が必要だってことは認めます。といって別にそこで「先日の北海道ではそれがないから負けたんだ」とまでは、私もあの選挙にはまったく関わっていなかったので断言しないまでも、相手方の「組織票」が多かったんだとすれば、その前提のもとに「んじゃどういう方策を練っていくか」を一から組み立てていくことだと思うんだよな。だったら倒すべき敵が何でそんなに票を集めるのか、つまり「敵をリスペクト」したうえで戦略や戦術を練りつつ展開していくべきなのではないかと。
……なんて書いてるうちに、みんなが団結する5月1日になっちゃったんだよなあ、まずいかなあこれ、とか思いつつ、ではではf(^_^;

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