妹が「シャツを買ったんで送るね」と言い、妹が送ってきたシャツが一昨日の夜に宅急便で届いた。
と、何だかまだるっこしい言い回しをしているが、より詳しく言うなら「静岡に住む妹が私のために買ってくれたシャツを、東京に住む妹が先日帰省した際に私に渡すためにことずかったものの仕事に追われて私に会う暇がないために宅急便で送ってきて、ついさっき届いた」になる。
このブログでは何度か書いてるけど、私は四人の兄弟姉妹の一番上にあたる長男で、私から3歳下に弟、同じく私から7歳下に2人の妹(双子)がいる。そして双子の妹の一人は東京都内に、もう一人は私が少年時代を過ごした静岡市内に、そして弟も静岡県内に今も住んでいる。ちなみに母親は今は静岡市から西へ約20kmの藤枝市に住んでいるが、父親は今から41年前の1974(昭和49)年に病死している。
ようするに既に40年以上も「母子家庭育ち」かつ「4人兄弟姉妹の一番年長者」かつ「妹二人は双子」という立場にある。で、こういうのがまた、普段の日常会話の中で自分の身内のことに話題が及ぶたびに、逐一やたら面倒な説明をしなければならないのだ。
上のシャツの件にしても誰かに「いいねえ。で、妹さんって今どこにいるの?」とか、以前に少し家族状況を話した知人からも「あれ、妹さんって静岡にいたんじゃないですか? いつ東京に?」とか言われかねない。さらには「あれ、お前って双子なの? お前と同じ顔の同い年の妹がいるんだ? ふーん」みたいな言われ方をしたことも過去に実際にある。そのつど「いや、実はこういうことで……」と説明する手間がどれだけかかるか一度でいいから考えて
みて欲しい(*_*;)。
加えて、私の場合は「静岡県出身者だが生まれたのは名古屋市」「出身大学は盛岡市にある岩手大学」という、また他にそんなにいねーだろという経歴(もちろん全く自慢にもならない)を経て東京の広告業界誌に就職し、後にフリーライターになって今日に至っている。他方、双子の妹たちはといえば、東京にいる一人は高校卒業後に美大進学を志して上京してきたものの受験失敗を繰り返した末、一転進路を変えて建築関係の資格をとった結果、今では旧大手財閥系不動産会社の正社員になっている。静岡にずっととどまっている双子のもう一人は大卒後に県庁職員となり、その後にNTT社員の旦那を見つけて家庭を設けるという至極まっとうな人生を送っている。ちなみに母は高卒後に旧電電公社(現NTT)に就職して同じ職場にいた男性(私の父)と車内結婚して長男の私を身ごもった時点で退職したものの、旦那が死んだ後に復職して定年まで勤め上げてしまった。弟は、高卒後に原発も作っている電機メーカーの会社に工場労働者として就職して現在に至る。
そういえば今から22年前の1993年夏、当時29歳だった私が業界誌記者の仕事を辞めてバックパッカーとして半年間のアジア旅行に出ていた頃、旅先のシンガポールの街の電話ボックスから実家に国際電話をかけた際、静岡にいるほうの妹(当時は大学4年生で就職活動中だった)とかわした電話での会話が今でも印象深い。ちょうど「日本で何か政治の動きがあったらしいよ」との話をベトナムをほっつき歩いていた道中で聞いていたことから、電話環境が当時まだ不便だったベトナムやカンボジアを抜けて出てきたところで確認したところ「
細川さんが首相になったんだよ」「
え? てことは自民党が野党になるの?」といった会話をした後の話だった。
「
K(東京にいる妹:当時は美大受験四浪目)はどうしてるの?」
「
いま予備校の人たちと伊豆に合宿に行ってるんだって」
「
ふーん、暇な奴だなあ」
「
人のことが言えるのか!?」
と言ったR(静岡にいるほうの妹で、ちょうどこの時は大学4年生で就職活動中)は、即座にここぞとばかりに語気を強めて言った。
「
あたし就職面接で家族状況を説明するのがたいへーん!!」
シンガポールのバックパッカー向け安宿近くの電話ボックスで街の風景を眺めながら呑気に話していた7歳上の長男である私は、そんなあまりに重い一言に思わず沈黙した。
「
……………ごめん」
「
『お父さんがいないのは何故なんですか?』『同い年の妹さんって?』『東京にいるお兄さんは今何をやってるんですか?』っていろいろ聞かれるんだもん」
「
…………本当にすまないと思う…………」
「
まあ、でもKは専門学校生で、たろうさんは業界誌で働いてたけど『今は取材の仕事の関係か何かで海外に行ってるんです』って答えてるの」
「
…………申し訳ない」
ちなみに母は当時まだNTTに在職中だったが、さすがに「
長男が会社を辞めて海外への放浪の旅に出た」とはなかなか言いにくかったらしい。ただ、机を隣り合わせにしているような人たちからいろいろ聴かれて仕方なく話すうちに周囲に知れ渡った結果、実は同じような悩み(子供が勝手に海外青年協力隊に参加したとか)を抱える同僚の人たちから「
ちょっと岩本さん、聞いてちょーだいよ!」と相談されたらしく「
何であたしが相談されなきゃいけないのよ!」と国際電話で言われて「
俺に聞くな!」と、海の彼方のどこぞから答えた記憶もあったようななかったような(- -;
で、それから20年以上たったわけだが、岩本家の長男は金もなくなったせいかその後は海外に出ることもすっかりなくなったものの、そのうさばらしを兼ねてなのか東京周辺で今なおわけのわからんことに関わり続けている。あの当時はまだ就活学生だった静岡の妹も、美大四浪目だった東京の妹も、今では立派な社会人だが、対照的にせっかく社会人になりながら道を踏み外して海の向こうに出ていき、戻ってきたものの今も青息吐息の私に、上記のようなシャツをわざわざ買って送ってきたりする。ちなみに最近では「デモに行ったりしてる学生は就職に不利になるぞ」みたいなことを言う向きもあるようだが、私程度のちんぴらだと今のところ前述のような親兄弟たちのもとへは影響が及ぶことは全くないようだ(^ ^;
包みを開けてシャツを見ると全身に白い斑点かあった。一瞬「カビでも生えているのか?」と思ったが、ようするにこういうデザインらしい。今度どこかに取材に行く時にでも着ていこうかと思う。それにしてもGAPの服なんて着るのは初めてだな。中野ブロードウェイの「キクマツヤ」がもっぱら御用達だった私としてはね(^_-)。

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