きっかけはこんな記事。
《
創価学会と会社―戦後日本の都市にあらわれた「二つのムラ」―》
(タサヤマ 2015年07月11日11:04)
これをfacebookでシェアしようと思い、リードの文章を書き始めたら、なぜだかいきなり長く、かつ最初に考えたのとは全然別の、上記の記事の中身とも関係ないものになってしまった。せっかくなのでこちらにも転載しますが、宜しければ適当に読み飛ばしてくださいませ(^_^;)
実のところ私(現在51歳)は創価学会という存在自体を、高校を卒業して大学に入るまで知らなかった。
大学に入った途端、そういう団体に所属しているという何やら暗い目をした先輩たちがしつこく「来ないか」と御誘いをしにきたり、あるいはクジ引きでたまたま寮の同室になってしまった先輩が創価学会員だったという経験が、まずは原体験だったかな。
もっとも、この先輩は私から見たら創価学会云々以前にもともと性格的にも著しくソリが合わないほど物凄く嫌なヤツで、確か同室で一年暮らしたうちの後半の半年間は一言も口を利かなかった記憶がある。通学途中に道で擦れ違って目が合っても互いに無視。彼が部屋の中でお経を唱え出したら私は寝床にくるまるか部屋の外に出るかだったし、私が報復とばかりに部屋のラジカセで当時聞き込んでいたビートルズのホワイトアルバム(「ヘルタースケルター」とか「リボリューションNo.9」とかが入ったやつ)を大ボリュームで掛けると彼が「うるさいっ!」と怒鳴る始末で、それはそれはまあ気持ちの荒んだことよ。
あ、でも思い出した。私が最初に「創価学会」という言葉を覚えたのは、趣味で読んでいた鉄道雑誌からだった(^ ^;)。というのは、あの頃は大石寺に行く創価学会員を輸送するための団体臨時列車というのを国鉄(現在のJR)が全国各地から運行していて、その最寄り駅である富士宮駅だって私が住んでいた静岡市からは東海道線と身延線とを乗り継いで約1時間、一日4本走っていた静岡発甲府行きの直通急行に乗ればもっと早く行けるところだった。
なおかつ、実は当時「静岡発富士宮行き」で途中は富士駅(東海道線と身延線の分岐駅)にしか停まらない実質的にノンストップの快速電車なんてのが、なぜか「毎月○日〜○日」の間に一日一本だけ走っていて、しかもこの快速は時刻表にもダイヤが掲載されていなかった。私がその列車に乗ることができたのは、たまたま当時雑誌で見て名前だけ登録していた鉄道趣味サークルの会報の記事でその快速電車のことがほんの数行紹介されており、高校の試験休みだったか何かの時にふらりと静岡駅まで行って乗ってみたのだ。もっとも、実際に乗車したその快速電車の車内はガラガラで「何でこんな列車を走らせてんだろ?」と訝るしかなかったのだが。
このように、10代の高校生だった頃の私にとって創価学会というのは存在すら分からない「見えない存在」だったけど、その余波みたいなものには、たまたま自分の趣味に関するセンサーの中に引っ掛かってはいたわけだ。
一方で、その頃に私の家までよく面倒を見に来ていた伯父は日蓮の教えを信仰しつつ、創価学会については私が社会人になって以降たまに会ったりしていた頃からひどく批判的に言っていたのもやんわりと覚えていた。ちなみに彼は若き日より数年前に没するまで「明徴運動」というものに生涯を捧げていて、実際にその運動の支援を主眼とした印刷会社(私も若い頃に「ウチに入社して後を継いでくれないか」と誘われた)も自ら営んでいたのだが、それが戦前からの国体明徴運動の系譜にあるものであると私が知ったのはかなり後になってからのことだ。
話を創価学会および鉄の話題に戻すと(^ ^;)、そんな”幻の快速電車”も富士宮行きの創価学会臨も、たぶん1990年代以降はなくなってしまったようだ。なぜなら1991年に富士宮駅が最寄りの日蓮正宗総本山・大石寺が創価学会を破門したからだと思う(そういうことは鉄道雑誌も詳しく書こうとしない。というか分かってて書かないのか分からないから書かないのかは私も分からない)。
その頃までは、新幹線が並行して走っているにも関わらず東京方面から静岡まで走っていた急行(後に特急)の「東海」も2000年代に廃止。新宿から沼津まで小田急経由で走っていたロマンスカーの「あさぎり」も今では本数削減のうえ御殿場どまりである(初期には「あさぎり」に沼津で接続して富士宮までやはりほぼノンストップで走る直通快速なんていう「もろそのため」の列車も運転されていたのだが)。
確か今でも富士宮駅には、列車を降りたところから駅前広場に集まってくる送迎バスにそのまま乗れるように駅舎寄りに設けられた長いホーム(身延線は普段は2〜3両編成のローカル列車しか走らないのに、ここだけ12両編成が停車できる長さがあるらしい)が残っている。だが、駅の北方に、全国各地から集まってきては帰路のお客を待つ長編成の臨時列車を何本も停めておくために設けられていた広大な車両留置線エリアも、少し前に閉鎖されて他の用途向けに転用するための手順が始まったらしいとも聞いた。
(まあ、以上の話は以前にも少し
ここに書いているので一応参考まで ^ ^;)
幼心には見えなかった「創価学会」について、たまたま自分の子供の頃からの趣味のセンサーに引っ掛かったことを、記事をシェアするついでに長々と(汗)書いてみた。もっとも、こんな話は本来ほとんど誰にも見えないまま、初めから存在しなかった物事のように世の中からは忘れ去られていくはずの存在だったのだろう。

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