さすが産経新聞。こういう話題を、俺を凄く逆撫でするというか、反感をかきたてる書き方でまとめやがっている。
「
【日本の議論】『天国と地獄』の売春窟『黄金町』が“アートの街”に変貌途上」
(産経新聞2月2日11:00)
と、言っても、悔しいがこの記事に対してきちんと批判できるだけの知見や体験は私にはないので、不本意ながらそちらは他の方にお任せする(と言っても書く人がいるかどうかはわかんないけど)として、ここはついでに、ちょうど15年前の今頃、私がこの黄金町に足繁く通っていた頃の思い出話を勝手に書く。
何で私が東京からこの黄金町まで「足繁く通っていた」かというと、当時の私はちょうどオウム真理教をめぐる各地でのゴタゴタを取材しており、15年前(2000年)の2月初旬と言えば、前年末に刑期を終えて広島刑務所を出所した、あの上祐史浩さんが東京に戻ってきたものの、予約していた新宿のホテルから宿泊拒否され、報道陣にも車で追い回されたあげく、ここ黄金町の一角にあるマンションに駆け込み、やがて当時の教団幹部らとも協議の末、一連のオウム事件への責任を認めたうえで名称を「宗教団体・アレフ」に改める……という時期だったからだ(ちなみにその時期の教団内外の模様は森達也さんのドキュメンタリー映画「
A2」にも描かれているので宜しければご覧下さい。今から15歳若かった私が上祐さんの前で正座して話を聞いてる場面とか出てきます ^_^;)。
それにしてもどうして世俗を絶ったはずのオウム信者の幹部が黄金町に逃げ込んだのかというと、当時のオウム真理教横浜支部がそこにあったからだ。まあ、物件を借りるほうも逃げ込むほうも諸々の事情からそこに行くしかなかったのだろうが、しかし同じ通りの並びに古式ゆかしいストリップの「黄金劇場」(今はなくなったようだが、その頃は繁盛していて、教団に取材に行く途中に前を通りかかるとお客さんたちが盛大に拍手しているのがよく聞こえた)があるという、何とも信仰生活を送るにあたっては相応しくないというか、あるいは逆に信仰心を試すには好都合? な場所に入居したものだなあと感心した覚えがある。
が、問題は教団はある程度仕方ないとして、先の「黄金劇場」や産経の記事中にある京急高架下の風俗店、さらには周辺住民に与える影響だった。何たって当時(といっても既に今の20代以下の人にはわかんないかもしれないが)は「あの上祐がここに来た!」ということでマスメディア各社の報道陣が大挙してマンション前に連日集結。
……しただけだったらまだいいのだが、さらに壮絶だったのは右翼各団体がマンション周辺に集結し、トラメガでもって「
上祐さん、貴方に残された道は事件について謝罪するか、表に出てきて私たちに切り殺されるかです。わかってんのかバカヤロー!!」とか叫んでいた(ちなみに報道各社のカメラマンやディレクター・記者たちはその間、そうやって叫ぶ右翼に背を向けながら折りたたみ脚立のうえでしゃがみ込みながら、彼らに取材するどころか背中を向けて見ないようにしていた)。
さらには周辺の黄金町を、突入する機会をうかがうべく黒塗りの街宣車が最盛期には100台以上、京急線の高架下あたりまで大音響を流しながら突入の機会を伺いながら徘徊し、加えて神奈川県警の機動隊員輸送車が黄金川沿いにエンジンを掛けっぱなしのまま駐車していたもんだから音響に加えて排ガスも物凄かった。しかもマンションの玄関前にはその機動隊員が100人ぐらい待ち構え、その前に張られた折りたたみ式フェンスを、血気盛んな右翼のアンチャンたちが「
テメーバカヤロー!!」と引っつかんで揺さぶりながら、時折本気で突っ込もうとする(右翼側も若手を鍛錬する場としてオウム施設前での街宣攻撃に動員していたのは、それまでも各地の教団施設前で見ていてわかった)もんだから右翼側の幹部と神奈川県警の私服警官がそのたびに慌てて静止に入ったりしていた。
そんな様子をフェンスのすぐ横で見ながらカメラを向けたりしていた私に、その場にいた私服警官たちはよく「
どこ?」と聞いてきた。「報道関係者であることはわかるが、どこの会社の社員か?」という意味だろう。「フリーライターです」と答えると、「ああ、フリーね」と小馬鹿にしたようにソッポを向かれつつ「刺激しないでね」と言われたものだった。
(その13年後、東京・新大久保ほかでのネトウヨデモvsカウンターの攻防をスマホやカメラ持参で取材に行った際には現場の警官から「
どこ?」ではなく「
どっち?」と聞かれたものでしたが ^_^;)
以上のような攻防が続くうち、件のマンションの通り向かいにあった果物屋さんは閉店に追い込まれ、それをマスメディア各社が「ここでもまたオウム転入による被害者が」とか報じているのを読みながら「何言ってんだ馬鹿野郎」と思った私ですが(笑)、実際あの時のマスメディアや右翼・警察の大挙集結によって果物屋さんに限らず周辺の風俗店さんも結構迷惑を蒙ったんじゃないかなあ、という気がする。
まあ、別にそれが先の産経記事の言う「『天国と地獄』の売春窟『黄金町』が“アートの街”に変貌途上」のきっかけになったかどうかはわからないけどね。
その後、黄金町には、たまに近所にある「
ジャック&ベティ」( ここも後に『ザ・コーヴ』の上映の時とかには大変だったらしいけど ^ ^;)に映画を観にいったりしたついでに寄るくらいだけど、今では当の「オウム→アレフ」がいたマンションってどこだっけ? と、私ですらもはや忘れて思い出せないくらいの静寂に満ちている。まあ、それ自体は喜ばしいことだし、街に住む人々が“アートの街”に変貌途上であることを本当に喜んでいるのだとしたら、よそ者はあまりとやかく言うまい。
ただし、
「
ここ(黄金町)において昔、何があったのか?」
ということは、よそ者である我々も含めて、あるいはテーマがオウムか風俗かを問わずに、後世へと末永く伝えられていくべきだと思う。
「街の記憶」を誰かに都合よく抹消して成り立つ「街」こそ、私に言わせれば「不健全」だ。

0