もう数ヶ月前の「鉄」旅日記。書いたままほぼほったらかしていたので、いま載せます(ちなみに続編あり)。
「鉄」ヲタか地元の千葉県成田市・芝山町周辺在住の方でもなければ、首都圏に住んでいる人でも「そんな私鉄路線があるの?」という向きが圧倒的に多いだろうというのが、“日本一短い”を自ら謳う「
芝山鉄道」。

(↑は終着駅の「芝山千代田」駅前に置かれていたもの)
都内の上野や日暮里・押上げから東へ延びる大手私鉄・京成電鉄の東端駅「東成田」からさらに東へ2.2q、たった一駅だけ伸びる路線。ただし列車の大半は東成田の西へ一つ隣りの「京成成田」駅(JR成田駅から徒歩3分のすぐ真向かい。成田山新勝寺まで参堂を歩いて徒歩10分)をほとんどの始発とし、ここから終日、ラッシュ時以外は1時間に1〜2本の電車が芝山千代田まで直通している。
上記の写真でも示した通り、この京成成田駅はそのまま成田空港ターミナルビル直下の2つの駅まで直結する。しかし東成田駅や、その先の芝山鉄道線は空港行きの路線とは途中で“枝分かれ”して別方向に行くローカル線。だから改札前の発車案内表示もホームの時刻表も、間違って乗る客がいないように「(同線は)成田空港には行きません」としつこく告知している。
しかし今から23年前までは東成田までが「京成空港線」で、同駅まで都心から直通の「スカイライナー」など“成田空港行き直通行き電車”が頻繁に走っていた。それがなくなってから10年以上を経た2002年に芝山鉄道が開業し、主に京成成田からの各駅停車(といっても停車駅は終点を含めて2つだけだが)が直通するようになった。
まあ、そのあたりの経緯は、また後で述べる。
ともあれ、終着までわずか10分のショートトリップは、京成成田駅を発車してすぐ、成田市内の高みから俯瞰するような立派な高架や掘割の中を往く複線から始まる。何しろ元々「空港線」として成田空港の開業に合わせて京成電鉄が約40年前に総力を挙げて建設した路線なのだ。
今は「スカイライナー」(座席指定特急で、日暮里から空港まで36分で結ぶ)も「空港アクセス特急」(通勤用車両を使った特別料金不要列車)も、この旧「空港線」とは全く離れた千葉県内のより内陸にある北総鉄道などを経由した「
成田スカイアクセス」と呼ばれる路線を経由するようになった。
だから今では京成成田駅の、かつてスカイライナーが発着したホームは一部の時間帯を除いて地下道からのホーム入口のところで可動式フェンスによって閉鎖されている。
ただし船橋や津田沼などの「スカイアクセス」からは外れた街と空港を結ぶ特急(これも通勤用車両を使用なので特別料金は要らない)はそこそこ頻繁に運行されていて、東成田へと向かう途中に何度か擦れ違ったりする。また、先頭車両から見ていると眼前を着陸する飛行機が横切って行ったりするなど、まさに「空港線」の面影を残している。
しかしそれも現在の「空港線」が成田空港下のターミナル駅に通じる路線へと以下の画面での左側へ分岐する以下の地点までである。しかも、その「空港線」が今では都心ー成田空港間のメインルートから外れているというのだから本当にややこしい。
ここから正真正銘「東成田線」となった複線の立派な線路は写真の真正面のトンネル入口から地下路線に入り、やがて半ば廃墟のような地下の東成田駅(後述)に到着する。京成電鉄はここが終着で、ここから一駅先の「芝山千代田」までの全長2.2kmと目下日本で最短の「芝山鉄道」になり、線路も単線に変わる。
そして東成田からは、乗客が私を含めて5〜6人しかいない車内に、制服警官2人が乗車してきた。「あれから40年」の今でも、ここはそういう場所なのだ。
地下線を抜けて地上に上がるとすぐに高架線になり、進行方向右手に成田空港の駐機上に待機する航空機を望む整備場が見え、やがて片面ホームの終着駅・芝山千代田に到着する。ちなみにこの駅のホームは空港を見渡すのにはロケーションがいいということで、鉄ヲタよりも航空ファンの撮影名所になっているらしい。
もとより、そんな場所にある駅だから周辺人口も少ないし、そもそも数十年前、空港をおっ建てるため、以前からいた住民を凄絶な闘争の末に追い出したいわくつきの場所に作られた路線である。
ただ、それでも空港の整備場などで働く人々も利用するためか、ホームは綺麗に整備されて、バリアフリー対策で高架下の改札階へのエレベーターも設けられ、たまたま寄ったトイレも清潔。改札口も自動改札だった。ただしICカードには未対応。ゲート脇の窓口にいた駅員に頼むと「帰りはどちらで降りられます? 東成田? でしたら、これをあちらで降りる際に駅でお渡しください)と言って小さな手書きの用紙を貰う。
で、下車しても真正面には一番上に載せた「はにわの里人」が高架下にあるだけで、その左側は線路と並行する車道。反対側の歩道の先は空港の整備場らしき施設で、当然ながらというか3〜4mはありそうなフェンスで延々と覆われている。車道を渡る横断歩道はなく、地下道がすぐ近くにあったが、見るだけで通る気が失せた。
そもそも、この駅自体が最終的な終着駅として想定されていたわけではなく、本来ならさらにこの先の九十九里浜方面に通じる路線の途中駅として計画されていたようだ。だったら「整備場前」とか(羽田空港行きのモノレールにはそういう駅がある)わかりやすい名前をつけたほうがよかったんじゃないかと思うが、推測するに地元の芝山町が当面(?)の終着駅として「芝山」の名前を入れた駅名に拘ったんではなかろうか。
しかも「芝山千代田」だからな。空港建設に際して、隣接地にあった宮内庁の下総御料牧場の土地が転用されたのは有名だし、一方で芝山町といえば、隣接する三里塚地区と共に「三里塚芝山連合空港反対同盟」が組織されて、それはもう凄まじい闘争が繰り広げられたことでも歴史にその名を刻んでいる。
そんな駅前をさらに見渡すと、途切れた高架線の脇には「芝山鉄道 みんなの願いは早期延伸 芝山町中心部へ そして九十九里へ」の看板が。しかし今の世相ではたしてそれが実現するかどうか……。
駅前広場(空港と反対側)も開業して12年になるのに、今もこんな感じ。駅舎前の売店(そば屋か弁当屋?)は今も営業しているのかどうか不明(この日は閉まっていた)。
そうした駅の周辺を見渡したうえ15分後の折り返し「京成成田」ゆき電車で帰路につく。警官のみなさんは下車せずにその後も車内に留まっていたようだ。そして、彼らと一緒に私は次の東成田駅で降りたのであったが――それはまた稿を改めて。(つづく)

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