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『FMレコパル』復刊記念イベントに大貫妙子が登場!三菱『REAL 4K』が全面協力」
(AOLニュース編集部 捜査二課 2014年10月07日15時00分)
懐かしいなあ『FMレコパル』。大貫妙子さんがゲストってのもいいな。
……って書くとやっぱり齢が知れるというかf(^_^;
今の若い人たち、それこそネットで音楽を楽しんでる人たちには信じられないだろうけど、1980年代に10〜20代だった世代にとって、FMという媒体の存在価値は今とまるで違ったし、同時に「FM雑誌」ってものが凄く貴重な情報源としてあったんですよ。
それこそ『FMレコパル』のほか『FMfan』『週刊FM』『FMステーション』という四誌がしのぎを削っていた――のだが、それが全部潰れてしまって(汗)から、もうずいぶん経つよなあ。
何でそんなにFM雑誌が隆盛を極めていたかというと、まあその頃まではロックや若者向けの音楽がサブカルチャー(これも今や死語か?)的な存在で、音楽業界やマスメディア業界のメインストリームがまともに相手にしなかった中で、FMという媒体は「自分たちの音楽」を聴けて同時に録音(エア・チェック)してカセットテープ(これも今やコンビにでも売ってない!)に保存して後から何度も聞けるという貴重な媒体だったからだ(もちろんAMでも聞けたけど音質において劣ったし、DJのトークやCMとの絡みで全曲フルにかけてくれなかったりしたし)。
だから当時も私は『FMステーション』の岩手県版のタイムテーブル(当然だが各県ごとに地元の局のそれを載せるので異なっていた)に「何月何日のこの番組ではこの曲がかかる」という情報をもとに、ラジカセ(これも死語だな)で聞きながら曲がかかり始めると同時に録音ボタンを押して全曲録音に成功して「やったあ!」とか叫んでいた(『FMステーション』にも毎号、各アーチストの名前を入れたカセット用シールが付録的についていた。何セ当時はワープロだって学生には高嶺の花だったんだからな。俺なんか寮の自治会の総会議案書をボールペン原紙でガリ切りしたうえで輪転機で印刷して閉じて配布したあげくに寮生大会で廃案動議くらって、また後日改めて書き直していたという、めちゃくちゃアナログ的な日々の中にあってバイトもできず金もなく、それでコンポもウォークマンもへったくれもなかったよ(泣)。
もとより、当時もアナログレコードの「貸しレコード屋」もあったけど盛岡あたりだと軒数も少なくて大学生協ぐらいで、貧乏学生が300円ぐらいだったかでそれを借り、住んでいた寮で仲の良かった先輩や同級生でコンポ(これも死語だよなあ)でカセットテープにダビングしてたし、それこそ金のある奴は当時日の出の勢いだったソニーの「ウォークマン」で外出しながら聴いてたわけですよ。
その意味ではFMからのエアチェックっていうのは金もかからないし重宝してたんだけど、ともあれ、そういうのが今じゃiTuneとかに行っちゃったんだよな。少し戻ると、私が大学を卒業する間際になってようやくビートルズのEMI版オリジナルアルバムがCD化され(ただし『アビイ・ロード」だけは80年代初期にCD化されたものの諸事情からお蔵入りにされた)「これからはCDだ!」とか言われる中で私は大学を卒業して東京に出てきたんだけど、就職するやFMどころかラジオも次第に聴かなくなった。なぜならいきなり原稿を書く仕事に就いて、録音したインタビューを聞きながら原稿に起こしたりする作業をやってたらFMに限らずラジオもテレビもチェックする暇がない状況になっちゃったからだ。
で、そのうちに「FM雑誌」は全部あれよあれよで休刊になってしまった。ただ、FM自体は民放第二FMが各県にできたり、さらに90年代からはコミュニティFMも各地にでき、それこそ東日本大震災後には災害臨時FM局が東北地方の各地にできて、今も存続したりコミュニティFMに移行したり(一方で経営的に継続運営は難しいということで廃局したところもあるが)という具合に、しぶとく今も生き延びている。
それどころか、ラジオの難視聴なども理由に挙げながら東京の大手AM局は「FM化」を申請するようになった。これは東日本大震災の発生後、山がちで電波が届きにくい岩手県のIBC(テレビ・AMラジオ兼営局)が三陸沿岸に災害臨時FMの開設を申請して認められたし、故なきことでもない。AM同様「総合放送化」したFMを、電波の種類によって区分けする意味は既になくなっているということなんだろうか。もっとも、静岡の田舎の中学生の頃にニッポン放送や文化放送をラジカセで聴いてた私みたいなことは、可聴範囲の限られたFMではできなくなるけど、まあ今はそれもネット、それこそスマホで全国各地の放送を聴けるわけだから別にいいじゃんってことか?
いずれにせよ「FM」ってメディアの存在意義や役割は昔とは明らかに変わったし、その変わる前の「FM」に依拠していた「FM雑誌」が消滅してしまったのは仕方がない。
でも、こうして大貫さんなどをお呼びして往年の「FM」と「FM雑誌」が共に活躍していた時代に生まれたものや後に残したものは何だったのか? ということは、別にオジサンのノスタルジィは抜きにして、記録して伝えていく必要はあると思う。

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