その名の通り、寒い一日でしたね。
実は
前回の記事を金曜日の深夜(土曜日の早朝)にアップしてから寝床についたところ、なんと昨日(日曜日)の朝までほとんどぶっ続けで眠り続けてしまったのだ。
途中、昼過ぎに一度だけ目が覚めて、布団にくるまったまま、テレビでやってた高校サッカー決勝戦の中継をぼんやりと眺めた記憶はあるけど……結局その日は三度の飯もすっ飛ばして爆睡し通してしまい、今度こそはっきり目が覚めて時計を見たところが、日曜日の朝3時46分だったのには我ながらさすがに目を疑った。まるで冬眠中の熊みたいだ。
鬱病が本格化し(かれこれ4年になる)、実質的に失業状態に陥って以来、夜型生活と睡眠時間増の傾向にますます拍車がかかっている。特に最近は前回の記事のように毎週末の官邸前だとか夜からの取材(といってもお金にあんまりつながらないのが大半)が多く、その後に明け方までブログや(少しは金になる)原稿を書いたりしているため、逆にとうとう完全に昼間は起きられない状態になってしまった。
もちろん、それでも朝方や昼間に取材や用事が入った時には何とか起き出して行っていたのだが、時差ぼけみたいな感覚になるのと、何せ鬱病ゆえに後から「おつり」が来る。先日に「青春18きっぷ」で福島第一原発の警戒区域のすぐ手前まで、鈍行と徒歩とヒッチハイクで日帰り往復取材した(
こことか参照ください)後なんかは2日間ぐらい完全に寝込んだ。10年前だったらこんなの毎日のように、それこそ屁でもなく(お下劣にて失礼)こなしてたんだけど、この状態で……しかも来年には50歳になるんだもんな(^_^;。
(ちなみに先週は、これも既に書いたPC絡みのトラブルが続いたのも少々こたえたようだ)
ともあれ、そんな夜型生活がとうとうぐるりと一回りしたということか、大寒の朝はいきなり「朝型」で迎えることになってしまった。朝7時、「寒いねえ〜!」と凍えながら二日ぶりに家の外に出て、久々に快晴の朝空を仰ぎ見ながら洗濯籠を抱えて近所のコインランドリーへ。洗濯が終わるまでの間、近所の店で朝食とお茶を飲みながら二日分の新聞に目を通す。
アルジェリアの事件では結局大勢の死者が出たようで、「そこに日本人が含まれている(らしいけど未だ何もわからない)」というだけで新聞はやたら紙面を割いて大騒ぎしている。まあ、別に一概にそれを「悪い」とは言わないけどね。
あと、大鵬が前日に亡くなっていた。彼が現役を引退したのは私がまだ小学一年生の時だったけど、子供心にも当時は「横綱=大鵬」というイメージがあったし、「大鵬が引退したねえ」という周囲の大人たちの反応は印象に残っている。一日遅れで接した訃報にも感慨なしとしない。1964(昭和39)年、すなわち東京オリンピックの年に生まれた私も、今や高齢化や不況に悩む日本が「高度成長という“青春時代”だった頃の子供たち」であり、そいつが今や50歳手前の鬱病・プチ失業者・高齢者予備軍と来ている。
そんな新聞から目を上げて、店の外を見る。天気は良好だが、通りにはまだ一週間前の降雪があちこちにうず高く積まれ、所々で路面も凍結している。帰り道は気をつけないと。
“それでも一昨年の今頃に比べたら……”と、またふと思う。
そう、2011年の大寒の頃の私は、鬱病が一時的に物凄く亢進し、ほとんど「パニック障害」になったほか、正直に言うが「自殺念慮」に駆られたくらいだったのだ(本気で怖くなってカッターナイフや果物ナイフを表のゴミ箱に捨ててしまったため、私の部屋には現在ハサミ以外の“凶器”がない)。当時はまだ体力維持のために連日ジョギングをしたり(当然寝たきりの今はすっかり止めた)、お付き合いのある出版社との間で進めていた書籍企画の執筆を進めようとふんばっていたのだが、それをやろうとすればするほど、精神的にはますますドツボにはまっていってしまったのだ(おかげで書籍企画は頓挫したままになっている。出版社の方々には本当に申し訳ないことをしてしまっていると、痛恨の思いでいる)。
とはいえ、おかげで「鬱病で自殺」というケースがどういう状況で起こるのかも何となく想像できるようになった。
よく世間ではそれを「生きることが辛くなったために……」とか言うけど、それだとまだ理性的にそうしたように聞こえるよね。でも実態はもっと本能的というか、ようするに「人間には『死にたい』という願望が本能的に(あるいはもともと誰しもの遺伝子の中に?)組み込まれているのであって、今はそれが発現しやすい世の中なんじゃないかな、と。
洗濯が終わったんで部屋の中に持ち帰り、折りたたんで引き出しに入れたところでお昼。ただ普段は寝てる時間なんで(-_-; 何だか身を持て余す。
そこで、まだ元気が残ってた頃にしばしやっていた「武蔵野線半周」旅に行く。130〜150円で済むという、いわゆる「首都圏大回り乗車」。金のない「鉄」には御手頃な旅だけど、やるのは2年ぶりくらいかな。
まあ、2年経っても車内や車窓は、当たり前だけどそんなに変わっていなかった。関東郊外を往く路線ゆえか、ドア脇の座席横に設けられた風防パネルや擦れ違う貨物列車(もともとここは貨物用路線だったのだ)や、夕景に佇む富士山のシルエットなど。
敢えて今回目を引いたのは、やっぱりこのあたりまでくると都心以上に先日の雪が残ってるなということと、完成した東京スカイツリーのシルエット(が陽が落ちるにつれ暗がりの中で点滅し出す)を、ぐるーっと外縁を回りながら観察できたということだろうか。
18時過ぎに新宿に戻る。街をぶらぶらしたり、飯を食ったり、本屋で立ち読み(『KAMINOGE』の最新号が出てたので熟読。買わなかったけど ^ ^;)した後で自宅に戻り、2日ぶりに風呂に入り、寝汗の沁み込んだ布団をガスストーブで乾かしながらこんなバカな記事を書いているうちにこんな時間(深夜2時半)。でも、これから別の原稿(金になる?)を書く予定。そんなわけで、再び夜型に戻りそうです。ごめんなさい。ではでは。

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