例年この時期になるとJR各社が翌春のダイヤ改正の概要を発表するので、それを受けた「鉄」共がわさわさと動き出したりするのが恒例になっている。で、今年も以下↓のようなニュースが一昨日になって流れてきたわけだが。
「
寝台特急「日本海」、3月に廃止 JR東日本、乗車率低迷で」
(後注:ただし他の報道によれば、一応臨時列車として残るらしい)
もっとも「日本海」の廃止はしばらく前に先行報道が出ていたので特に驚きもしなかったが、今回一緒に公表された夜行急行「きたぐに」(大阪⇔新潟)の廃止については「うーむ」と少し唸った。どのみち「日本海」にせよ「きたぐに」にせよ、2〜3年後の北陸新幹線の延長開業(長野⇔金沢)までには引導を渡されるのだろうとは思ってはいたが、いざ現実のものとなると何だかすごくあっけない店仕舞だなという印象がある。
とはいえ夜行列車については、今ではもう「それもしょうがないのかな」という感じはする。
というのは、もちろんJRにしても「夜の間にできるだけ手ごろな値段で移動したい」という利用者側のニーズがそれなりにあるということはおそらく把握したうえで「でもなあ……」と躊躇っていると思われるからだ。で、なぜ躊躇うかといえば、ようするに鉄道事業でそうした夜行需要に応えようとしても、もはや現状ではコスト的にペイしないからだろうということが、私のような素人でも推察できるからだ。
だって、夜行列車を1本でも運行しようと思ったら、まずはそのために夜勤の列車乗務員や駅員を出さねばならないし、夜間に線路のメンテナンスを行なう保線作業への影響も考慮しなければならない。
あと、旧国鉄の時代と違って、現在のJRは会社が地域ごとに分割民営化されているため、1列車あたりの儲けの取り分もJR各社で分割されてしまい、旨みが少ないということも挙げられるだろう。その点、今ではJR各社が系列下にバス会社を持っていて、主だった夜間の移動ニーズについては「うちの系列会社の運営する高速バスに委ねたほうが経営効率がいい」といった姿勢に転じていることにも傍目からは容易に推察できる。ましてや今やツアーバスという新興勢力が台頭して、東京と大阪の間でも僅か2000円台で結ぶ業者が出ているなど、高速バスの経営環境にも競争力を求められるものになってきている
(ちなみに、こう書くとJR沿線にお住まいの方からは「うちの近くでは夜中にJRの列車が何本も走っているぞ」というご指摘を受けそうだが、あれは大半が貨物列車だ。貨物の場合は日本貨物鉄道(JR貨物)という全国一律の会社が運行し、他のJR旅客会社に線路使用量を払っているのだ。だから「鉄道アナリスト」の川島令三氏などは「JR貨物が夜行寝台列車を運行すればいい」と書いているくらいだ)
とはいえ、それにしてもなあ。私の子供の頃はテレビのCMでも「♪花嫁は〜夜汽車に乗って〜嫁いで〜行くの〜」なんていう歌が流れていたわけだが、いまどき嫁ぐのにわざわざ夜行列車つかう女の人がいるか? まあ「津軽海峡冬景色」ぐらいだったらまだ、恋に破れて去って行く女の悲哀に訴えると思うんだけど、でも連絡船もとうの昔になくなっちゃったしな……。いずれにせよ、DV被害などなど、トラブルを抱えた人たちがやむにやまれず高速バスで夜逃げするとかいった悲痛な状況のほうが、現在の夜行旅行の実態に、むしろ適うのか?(これを読んで頭にきたというDV被害関係者の人たちには予めすみません)
というか、ハネムーンに使う夜行列車については今だ残っているんですよ。「カシオペア」や「北斗星」(どちらも上野⇔札幌)とか。前記の「日本海」とともに大阪から日本海沿岸を札幌まで向かう「トワイライトエクスプレス」も、とりあえず残るという。つまり、今や鉄道の夜行列車って「カシオペア」みたいな豪華客船クルーズ(確か一泊で最低5〜6万円するんだっけ)みたいな世界しか、もはや残りえないのかも、と。
でもねえ、日本国内はもとより、海外でもひたすら長距離をごとごと揺られる夜行列車に揺られてきた経験のある私としては、夜行列車の廃止って、やっぱり寂しいですよ。寝静まった深夜の寝台車の窓辺で中国人のアンチャンがひとり呟くように歌っていた場面とか、360度がまっ平らな砂漠のパキスタンの夜汽車で、前夜に地平線の彼方に沈んでいった太陽が翌朝に反対側の地平線から昇ってくるのを砂混じりのオンボロ客車のデッキから、思わず身を乗り出して見ていた私としては。
高速バスは、今でも使うことがよくある。でもあれは、本当に寝て移動するだけの手段ですねえ。夜の10時過ぎに「さあ一杯やってから寝よう」と思ってビール片手に乗り込んだら、客室がカーテンを閉め切った真っ暗で思わず肩身が狭くなったり。窓外に流れ行く夜景を見ながらしみじみとグラスを開けつつ、頃合を見て床に入った往年のブルートレインの旅とかとは、夜行旅行の模様がすっかり様変わりしちゃった感じですよ。
ってまあ、そんなことを書いてる私も、もはや2010年代および平成20年代に突入した今となっては骨董品みたいな存在なのかも。でも、あの太宰さんも『津軽』の最後でこう言ってました。それを最後に、
「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」

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