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Aと続いて、三回目です。「
最後のテレビ」について。
「例えば、こういうものがあるんですよ」と、言いながら毛原大樹(けはら・ひろき)さんは傍らから新書サイズ大の機器を取り出した。見れば昔懐かしい「ポケットテレビ」である。もちろんアナログ放送に対応したもので、放送のデジタル化がほぼ完了した今では本来どこのチャンネルも観られないガラクタ同然のアイテムなのだが、しかしここではディスプレイ上に放送中の――それもつい先月まではNHK総合テレビの枠だった1チャンネルに――画面が映されている。他ならぬ我々二人がいるブース内部の様子を実況生中継しているもので、私のすぐ横にある年代物のビデオカメラがそこから写し出している映像なのであった。
「そのビデオカメラも私の実家にあった30年くらい昔のものなんですけど」と毛原さんは言う。「このポケットテレビも今では生産中止になった製品で、余った新品が秋葉原で500円で売られていたんです。でも、今ではポケットラジオだって1000円ぐらいしたりするじゃないですか。そういう意味ではもはやラジオよりもテレビのほうが身軽なメディアなんじゃないかと」
聞けば、ブース外の会場内各所に置かれたテレビモニターやアンテナ(もちろん全てアナログ式)も毛原さんが出身校の芸大(大学院)で不要になったものを掻き集めてきたそうで、今回の展示に際して要した機材等の費用は「ほとんどタダ同然」だという。言うなれば産業考古学的な見地から、つい先日まで見られていたアナログテレビ放送の受信環境をこの一帯(半径100m)限定で一時保存したというところだろうか。鉄道で言えば蒸気機関車、バスで言えば旧型ボンネットバスの動態保存運転みたいなものかもしれない。なるほど、だから「最後のテレビ」なのか。
とはいえ、視聴できる範囲が市街地から少々離れたベイエリアの半径100m以内(せいぜいがこの新港ピアの内部だけ)では、見ようと思ったらわざわざこのすぐ近所まで来なければならない。地デジならば携帯のワンセグ、ラジオだったらポケットラジオを持っていればいいが、テレビとなると上述のポケットテレビを持っている人などそうはいないだろうし、結局この会場まで来てモニターで視聴するしかない。つまり、オーディエンスはあらかじめ「わざわざここに来た人」に限られるのだ。そこまでしてテレビ放送をやる意義はあるのだろうか?
「確かにこの近所まで来なければみられないわけですけど」と毛原さんは語る。「アナログ停波前の2月に六本木で本放送開始前のプレイベントをやったんですが、その時も会場の中や屋外にテレビを置いてみたんですね。そこでは一台のテレビを参加者みんなでわいわい言いながら観るという、まるでテレビ放送がスタートした頃の街頭テレビに凄く似てるんじゃないかという光景が見られたんですね。その時に『あ、これが本来のテレビの楽しみ方なんじゃないかな』って気がついたんですよ」
7月24日の深夜に東京タワー近くの屋外で実施した「停波ピクニック」でもそうした光景が見られたという。深夜12時を過ぎて砂嵐状態になったテレビの画面上に、やがて「最後のテレビ」という文字が浮かび上がったのを見ながら、参加した人たちの間で大いに盛り上がったそうだ。
「僕自身も今まで見たテレビ放送の中では、あれが一番面白いなと思ったんですね。別にお笑いとかやってるわけでもないのに、何でみんなでこんなに笑ったりできるんだろうと思った時に、やっぱりこれは一緒に見ている人たちと同じ笑いを共有できるからだと気づいたんですよ。で、『最後のテレビ』ではこれをやろうと。『これは地デジでは共有できない関係が築けるな』と」。
うーん。まるで高柳健次郎が大正末期、日本で最初の無線遠視鏡(テレビ)の試験放送で「イ」の字を画面に浮かび上がらせたというエピソードを彷彿とさせる話ではないですか。なるほど、それが「最初のテレビ」であり、尚かつ「最後のテレビ」の姿なのだ。
かつてマクルーハンが『メディア論』の中でこんなことを言っていたのも思い出した。
「
新しい環境の『内容』は工業の時代の古い機械化された環境である。新しい環境は古い環境を根本的に加工しなおす。それはテレビが映画を根本的に加工しなおしているのと同じだ。なぜなら、テレビの『内容』は映画だからだ。いま、テレビがわれわれをとり巻きながら知覚されていないのは、いっさいの環境がそうであるのと同じである。われわれはその『内容』すなわち古い環境にしか気づいていない。(略)新しい技術はすべて環境を生み出すが(略)その新しい環境がそれ以前の環境を芸術形式に変えるのである」(栗原裕・河本仲聖共訳=みすず書房)
これになぞらえて言うのが正しいかどうかわからないけど、デジタル放送という新しい環境が生まれた結果、アナログ放送という古い環境は「芸術形式」に変わったのかもしれない。ならばこそ、今やたった半径100mぐらいにしか届かないメディアになったアナログ放送を観るために、大勢の人々がわざわざやってくるほうがむしろ当たり前なのである。だって普通、アートを鑑賞しようと思ったら、誰だって美術館や劇場に自分から足を運ぶじゃないですか。
とはいえ、テレビ放送のデジタル化によって生じた電波の“ホワイトスペース”は、将来的に「マルチメディア放送」だか何だかに使われることになっているし、この『新港村』発の放送も会期終了の11月6日までには終わる。今後の展望はどうなのだろうか?
「ゆくゆくは、いろんな人にこういう仕組みややり方を伝えていって『誰でも簡単にテレビ放送ができる』という状態を作りたいですね。実は今、『最後のテレビ』でスカイプのアカウントをとってまして、そこでビデオ通話をしてもらえば、その内容がそのままアナログへと変換されてアナログ放送で流せるようになっています。この『最後のテレビ』ではテーマの一つに『
アナログは愛用し、デジタルは利用せよ』と言ってるんですが、デジタルにもアナログにもそれぞれ長所と短所があるじゃないですか。そこを上手く補い合いながらお互いの良いところを上手に使っていけたらいいんじゃないかと。
あと、東北3県では来年の3月31日にアナログ放送が終わるので、またそれにあわせて仙台市の山の上にある電波塔を目指して“停波登山”をやろうとか。あと、今回のデジタル化後に各テレビ局で余った『地デジカ』をなんとか集めたうえで茶色に塗って、2016年に地デジ化を予定しているオーストラリアに持っていって『地デジカンガルー』にしようとか(笑)。まあ、これからの3か月間、ここでワークショップを開きながらいろいろなことを考えていこうと思ってます」
などなど。突然押しかけた見ず知らずの取材者にも懇切丁寧に、いろいろな“目から鱗”の話をしてくれた毛原さんなのであった。本当にありがとうございます。なお既に書いた通り、この「新港村」での展示は11月6日まで続いているので、興味のある方は是非、この“古くて新しい”「
最後のテレビ」でアナログ放送を体験してみてください。毛原さんはワークショップの開催日(上記の公式ホームページに載っています)にはブースにいるようなので、どうかよろしく。というわけで、ではでは。

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