というわけで6月に入っちゃったけど、引き続き5月初めの岩手県大槌町における災害支援ボランティアの記録。
まあ、今回初めて災害被災地における支援ボランティア活動というものに参加してみて、事前に予想や準備をしていたのとずいぶん勝手が違っていた部分も結構あったのだけども、やっぱり最大の誤算は「自分の体力の衰え」だった。
実のところ、行く前までは体力に自信があったと言わないまでも「なんとかなるだろう」ぐらいにタカをくくっていたのである。中学〜高校時代には連日剣道部でのハードな練習に耐え抜いたし、大学時代も肉体労働のバイトはちょくちょくやった。40歳を超えた今でも、連日ジョギングはやってる。そんなわけで、泥掻きや荷物運びの作業くらいは大して苦にもしないだろう、と思っていたら……。
「岩本さん、休みなさい!」
と、作業二日目の午後、同じボランティア班(計6人)の姉御格だった鈴木さんに命令形で言われた私は「……は、はゐ?」と呂律の回らぬ口調で言いながらその場にへたりこんだ。この日は朝からカンカン照りの下、前述の大槌町の「桜木町」内にある民家の駐車場から泥を掻い出す作業に取り組んでいたのだが、掻い出した汚泥を土嚢袋に積み込み、近くの川土手まで一輪車で運んでは積み上げるという作業を続けるうちに、私はすっかり熱中症になってしまったのだ。
これには誤算もあった。というのは、その日の朝に遠野市内にある宿泊地を出た際には、防寒対策ということで雨合羽の下にフリースなんぞも着込み、絶対に作業中凍えないように備えていたのだ。内陸部の盆地にある遠野の夜間〜早朝はおそらく10℃をかなり割り込んだであろう冷え込みだったからなのだが、ところがいざ作業にやってきた沿岸地区の大槌町はこの日、朝から好天に恵まれ、日中は20℃を超える暖かさ。
そんな中で、前述の通り雨合羽の下にフリースまで着込み、しかも足には分厚い安全靴という格好で、前夜まで睡眠不足気味だった私が数時間も作業をしたらば、のぼせ上がるのも無理はない。
もっとも、私が所属した班の計6人のうち5人は女性で、ただ1人の男手だった私を尻目に、女性どうしで軽口をたたきあいながら嬉々として泥の掻い出し→土嚢詰め→土手までの運び出しという作業に取り組んでいた。ほんと、女の人のほうがこういう時、絶対タフですね。最後にヘタレちゃった私は低いブロック塀の上に腰を下ろしながら「なんでみんなこんなに元気なんだ?」と茫然としながら見守っていた次第。
帰路のバスに乗り込んでからも、しばらくは熱中症による身体の震えがとまらなかった。遠野市内の入浴施設で一風呂浴び、近所のコンビニに寄った際に見かけた新聞で、ようやく「浜岡原発 政府が運転停止要請」の報を知る。
(つづく)

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