一昨日は「
市民がつくるTVF」が年1回の総会をやるというので、午後から大田区大森西の「こらぼ大森」へ。席上、TVFの古参メンバーである青木恒夫さんより、先日大田区が被災地である宮城県東松島市に向けて行なったボランティア支援活動に参加した際の現地報告(映像つき)を聞く。
既に報道で伝えられている通り、被災地では今も、原則として個人参加のボランティアを受け入れていない。「あちこちからバラバラにやってこられても受け入れ態勢がとれない」というのがその理由だ。
今回も、大田区側が宮城県に対して支援を申し出たのに対して、宮城県側から「東松島市」(ここは仙台と石巻の間にあって、被害状況がマスメディアでも広く報じられていない)への支援を要請され、それを受けて大田区が区内のNPOなど各団体向けに「0泊2日」(チャーターしたバスで夜に大田区を出発。翌朝に現地についてから作業を開始。午後遅くに撤収して帰路へ)の弾丸ツアー的支援活動への参加を募集。大田区内に事務所を構えるTVFから青木さんが「ビデオ記録班」として参加したわけだが、実際には現地で津波にやられた汚泥家屋からの泥の掻い出し作業に手をとられて、ほとんど「記録作業」はできなかったとのこと。まあ、そうなるんだろうなあ。いざ現地に行ったらば呑気に「記録係専任」なんてわけにも行かないのだろう。
んで、その際に見せてもらったのが上の「水害ボランティア作業マニュアル」。とにかく現地は右も左もわからないボランティアに丸裸でどさーっと押しかけてこられてもどうにもならん状況なので、せめてこの程度の準備や心構えで来てくれませんか……というものだ。
見ながら思わず「う〜む」と唸る。個人的には水害の被災地というと、7年前の豊岡・舞鶴豪雨(洪水の中に取り残された団体バスの屋根上で御年寄りたちが震えながら救助を待っていた写真が今だ印象深い)の現地を訪ねていった経験があるが、あの時でさえ、取材者としてやってきた私は正直、現地でろくに身動きがとれなかったのを思い出す。今回はあの時の何十倍かというタフな惨状が北関東〜東北の沿岸一帯に連なっているのだ。
そこで考える。「俺は今、現地に行って何かをしたいと思っているけど、行ったところでいったい何ができるのか(または何をやるつもりなのか)?」と。
ようするに「一取材者」として行きたいのか、それとも「救援ボランティア」として行きたいのか? ということだけでも、正直言って自分の中では判然としないところがある。「ということはどちらにせよ、今のお前が現地に行っても中途半端で何もできずに終わってしまうのが関の山なんじゃないか?」と。
平たく言えば結局のところ「怖気づいている」のだ。すっかりヤワになっちゃったな……と実感する。これが10年前の俺だったら、何も考えずにすぐさま現地へ飛び込んで行ったことだろう。けれども今の俺には後ろ盾になる媒体も資金力もなく、ましてや鬱病下で生活保護を受けているような有様だ。
何より、齢をとった。実はこれを書いている間に誕生日をまたいでしまい、とうとう47歳なんて齢になった。でるのはため息ばかりなり――そんな日常だ。
いずれにしても、今週〜来週あたりで「いったいどうするか」決めなければならないなと思う。

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