一昨日あたりから不気味な雨がたらたら降り続いた東京。とうとう水道水まで「やられた」というニュースが流れるに及んで、ウチの近所のスーパーやコンビニの棚からも見事に大瓶のペットボトルが消えてしまいましたですよ。
普段からミネラルウォーターの2リットル瓶を自宅に3〜4本常備しておく習慣のあった私は、地震の次の日ぐらいからやむなく麦茶やウーロン茶に切り替えていたのだが、本日午後に至ってとうとうそれらも店先から姿を消してしまい、最後に残ってた「蕃爽麗茶」(ヤクルト製で本来は「血糖値が気になる方」向け。2リットル瓶が1本500円もする)とかいうヤツをしぶしぶ買い込む羽目になった。
まあしかし、店先や地下鉄の駅構内の照明が通常よりも明らかに一段暗くなった都内は、見た目の平静さとは裏腹に、静かな「パニック」がじわじわ浸ってきているようだ。ただ、私の住む中野区内は例の「計画停電」エリアからは外されているせいか、まだ助かっているみたいなんだけどね。
食事のため入った中野駅近くの定食屋では、定食の+1品のメニューとして「ほうれん草のおひたし」が堂々とメニューに並んでいた。目下の風潮に対するプロテストの意味も込めて注文。店の親父に「これって産地はどこ?」なんて野暮なことは聞かぬまま、もしゃもしゃと食べる。美味しい(私はほうれん草のおひたしが大好きなのだ)。
首相は一昨日、福島産の小松菜やほうれん草、キャベツなどの摂取制限を呼びかける支持を出したという。もっともこの人はかつて厚生大臣だった頃、O157騒動で「カイワレ大根」の危険性を訴えたあげくに総スカンを食い、やむなく記者会見の席で自らカイワレ大根入りサラダを食べるパフォーマンスを演じた経歴のある人なのだ。はたして今回はどうする? いつかの時点で福島産のほうれん草や、茨城産の牛乳などをテレビカメラの前でぐいぐいっとがっつく姿を見せてくれるのだろうか。
ともあれ、そんなことを考えている合間に
イルコモンズさんのサイトを見たら、こういう話が出ていた。
「
自分と同世代のおとなたちへ(1) 『放射性物質にさらされた世代』」(3月22日付)
そう、確かに私も小学3〜4年生の頃に同じような体験をしたことがありますよ。「今日は中国が核実験をやったので、雨の時はなるべくおもてを歩かず濡れないようにしましょう」と先生に言われてね。当時はまだ大気中での核実験が行われていた時代だった。
当時は中部地方に住んでいたけど、春先になると風に乗って「黄砂」というやつが黄土高原からはるばる風に乗ってやってくる現象は身をもって体験していたから(確か美術の授業で校舎の屋上で描いていたスケッチブックにポタリと雨粒が落ちてきたら、その部分が黄色く染まったなんてこともあった)、核実験で生じた「放射能」もまた、そうした西からの風に乗ってやってくるんだろうなということは、子どもの頭でも容易に想像できた。
ただ、一つ違うのは「その程度のことで」みんな大騒ぎをしなかったということだ。イルコモンズさんが書いているのと同じように、ぜいぜいが子供どうしで雨の下ではしゃぎながら「おーい、この雨あびるとハゲちゃうぜー」とか言い合っていたくらいで、今から思えば呑気な時代だった。世界で唯一の被爆国で、その当時はまだ戦争体験を持つ世代がそこら中に大勢いた日本にして、そんな感じだったのだ。
イルコモンズさんも引用しているブログの筆者は、そうした体験を振り返りながら以下のように述べている。
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「この子たち(昭和30年代、1955〜1964生まれ)は、到底、健康で長生きは望めない、そのうち、癌でバタバタと倒れて行くだろう」と言われた。実際、1990年には、西丸震哉「41歳寿命説―死神が快楽社会を抱きしめ出した」(情報センター出版局1990年)という本がけっこう売れた。私もパートナーも幸い41歳では死なず、50歳代まで生き延びている。でも、周囲を観察していると、1つ上の「団塊の世代」に比べると、私たちの世代は相当に病弱・虚弱で、やたらと元気で丈夫な「団塊」よりも、たぶん先に死に絶えるだろう。まあ、別にそれでもいい。長生きするだけが人生の目的ではない。
という事で、何が言いたいかと言えば、今、45〜55歳くらいの人は、いまさら放射性物質がどうのこうのと、ジタバタしても遅いということ。すでに子供の頃に、たっぷりストロンチウムもセシウムも、まぶされているのだから。ただ、何度も繰り返すが、今の子供たちには、私たちの世代のような悪い環境は味わわせたくない。(
「続・たそがれ日記」2011年3月21日より)
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参っちゃうな。「この子たち(昭和30年代、1955〜1964生まれ)」って言ったら、私もぎりぎりその世代にひっかかっているからだ。まして私の場合、父親が白血病を患って38歳の若さであの世に行っていることもあり、てっきり自分も40歳ぐらいで死んでしまうんだろうと、子どもの頃から漠然とだが、半ば信じきっていたのである。それが今や四捨五入すれば50歳の大台に乗る年齢となり、なおかつ今だ元気一杯の先行世代を眺めながら自分は鬱病や貧困に喘ぐ状況になっている。
そんなこともあってか、今回のことについて「今さらジタバタしても遅いんだよ」という主張には、実は妙に納得してしまうところがある。子供をもうけるどころか、この年齢までとうとう結婚もしなかったせいもあってか、そう言われると「うん、まあ、そうだよな」という諦念を覚えてしまったりもするのだ。とはいえ、現在ちょうど育児や妊娠という大事な時期にさしかかっている人たちが不安を覚えるのは当然だろう。私にしてもまだ幼い姪っ子がいる。後の世代にこうしたことの影響がないように祈りたいとは思うし、その意味ではイルコモンズさんの言う、
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「自分たちはもういい」とさえ思っている。ただ、両親よりも長生きするのは子どもの最低限の務めだと思っているので、それまでは何が何でも生きのびたいと思うが、それから先は「なるようになれ」と思っている。ということで、何が云いたいかといえば、たとえ、それが繰り返しの繰り返しになろうとも、「今の子供たちには、私たちの世代のような悪い環境は味わわせたくない。」ということに尽きる。
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という主張も極めてまっとうなものだと思いながら、東京のど真ん中で独り、まったりと過ごしながら今を生きております。ではでは。

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