「昔々『UWF』っていう、凄い人気のプロレス団体があってね……」
と、今や二昔前のことになってしまった1990年前後の、あるプロレス団体の興亡史を圧倒的なボリュームで描いたノンフィクション(版元情報は
こちら)。今回出た第3巻だけでも400字詰め原稿用紙換算で約1400枚。1〜3巻の合計では4500枚を超えるという大作だ。
といっても、たぶん今の若い人にはまるっきり「?」な作品だろう。そもそも現在20〜30代くらいの層にとっては『UWF』どころか『プロレス』自体が認識のパラダイムにはない事象かと思われるからだ。「プロレス? ああ、なんかそういえばCSとか地上波の真夜中にそんなのやってますねえ」ぐらいのもんではないか。何せ、そのプロレスをずいぶん以前に大衆娯楽の座から追いやった「総合格闘技」ですら冬の時代に入ってしまったという今日だ。
時はバブル全盛期、それまで戦後の高度成長期におけるプロレス界を支えてきた両巨頭・ジャイアント馬場とアントニオ猪木がかろうじて健在だった時代の末期に、それまでのプロレス団体とはまるで異質な、若者たちを中心とするカルト的な一大ブームを巻き起こしたのがUWFだった。今のようにインターネットや携帯電話もなかった時代に、しかもテレビで試合を中継してくれる局もないという条件下での話だ。
私自身はテレビでプロレスを見ていたのは大学生ぐらいまでだし(だから最近のプロレスはもちろん、格闘技についても全然状況が分からない)、自分が社会人になるのとほぼ同時に立ち上がった第2次UWFにしても当然その試合をじかに見たことがないわけだが、その頃はプロレス週刊誌はもとより、一般の雑誌でもUWFを一躍時代の寵児とばかりにわんわんとりあげていたので、時おり本屋で立ち読みする記事などから「いったいどんなふうな試合をやってるんだろう」と想像を膨らませていた。当時はどの媒体もUWFのプロレスについて、既存の全日本や新日本に見られたようなショー的要素を排したストロング・スタイル、ひいては“真剣勝負”をやっているがごとくに伝えていたのだ(ほどなく、それも「幻想」だったことが明らかになるのだが)。
で、その『戦史』と銘打った本シリーズは第1巻が第1次UWFの発足から崩壊まで、第2巻が新日本プロレスとの業務提携時代から第2次UWF発足までを取り上げている。今回出た第3巻は、その第2次UWFのピークから一気に崩壊へと至る約2年間の、まるで新撰組の興亡史を思わせる若きレスラーたちの挑戦と蹉跌のドラマを描いたものだ。
著者である塩澤幸登氏はこれまでの本シリーズにおいて、登場人物たちへの聞き取りは行なわず、当時の膨大な文献・資料などからノンフィクションのストーリーを構成するスタンスをとってきた。ところが今回は、団体分裂へと至ったプロセスを描くのに当事者たちへの取材は不可欠と考えたからか、当時の騒動の渦中にあったレスラーたちへの直接アプローチを敢行。その中でも一番の中心人物だった前田日明、および田村潔司へのインタビューに成功している。
と、前説が長くなってしまったのでそろそろ感想に入ると、まず第一印象として相変わらず(第1・2巻に続いて)「粗い」。この著者の文章は一つのセンテンスの中に「――のだが、」という挿入句がいくつも出てきたりするなど文体としてかなり荒っぽい。加えて(これは校正や校閲の問題になるが)誤字や誤記、初歩的な引用の間違いなども目に付くあたりが読みながら「何だかなあ」とは思わせる(例えばp.296、クリントンや金泳三が大統領選で当選したのを1990年のトピックとして書いているが、これは明らかに1992年の間違い)。
にも拘らずこの本、面白い。読み応えはたっぷりで、そして随所に「エグい」。レスラーたちにとって(そしてプロレスファンにとっても)理想のプロレス団体を追求すべく旗揚げされたUWFが、やがてそれぞれのレスラーたちの方向性の違いや内心の打算などから脆くも分解していくプロセスが痛ましいまでに綴られる。
中でも痛烈だったのは、練習中に発生した新人練習生レスラーの死亡事故をめぐる記述、それとレスラーvs経営陣のゴタゴタを追った部分だろう。
前者はこれまでUWF史における「暗部」として大っぴらには語られてこなかったものだが、ここでは関わった当事者を□□□□と伏字にしてまで真相に迫っている。直接的な団体分裂の原因とは言えないまでも、前田が言うようにこの事件でUWFがある種の“業”を背負い、その因果によって潰れるべくして潰れたのではないか……と思わせる一節だ。
後者はまさにコミュニケーションの不毛というべき泥沼の訴訟や非難の応酬劇で、読みながら自分も当事者に巻き込まれたような気がしてきて疲れてしまう。こんな状況でよくもプロレスができたものだなと、逆に感心させられてしまうくらいだ。
そのうえで問題があるとすれば、やはり著者の視座が(インタビューに応じてくれた)前田日明へとかなりベッタリになってしまっていることだろう。それまでの1〜2巻では前田に対して時に辛辣に批判したりもしていただけに、この変わりようは印象的だった。
確かに第2次UWFを語る場合において、その渦中のど真ん中にいた前田の動きや、彼の当時の心中へと迫ることは必須ともいえるわけだが、とはいえここでは(インタビューに応じなかった)高田延彦や安生洋二、宮戸優光に対して、やっぱり一方的な記述になっている感は否めない(特に宮戸は完全な悪玉として描かれている)。著者の主観で書いていることは明らかにしても、そこは一応ノンフィクションだけに気にはなるところだ。
ともあれ、今頃になってこんなコアな話をこれだけのボリュームで書いた本がよくも日の目を見たものだなと思わせる一冊だが、かつての熱狂を支えたファンたちが齢を重ねた今、「そういえばあの頃は……」と思い返しながら結構読んだりするのかもしれない(プロレスファンには活字好きが多いからね)。プロレスに関心のない人たちからすれば1ページ目から何が何やらわからない本には違いないけど、どの世界にもある、若者たちの理想と現実の食い違いをめぐる煩悶の物語が今から20年前、熱狂に囲まれたリングの舞台裏で起こっていたことを、当時の歴史の一コマとして記録した、意義ある作品だとは思う。

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