昨日は夕方から掛かりつけの精神科医へ。特に状況を深刻に伝えたつもりもなかったが、「んじゃ、お薬少し増やしましょうか」と先生に言われ、リフレックス(錠剤)1錠が増量される。2〜3週に一度の医者通いもかれこれ1年半になるけど、何だか芳しくないな。
薬をもらった後、用事があって神田へ。本屋に立ち寄っている最中にアワプラの池田さんから電話で「私の友人が出ているドキュメンタリー映画が今日の夜からポレポレ東中野で、監督のトークつきで上映されるんですよ」とお誘いを受ける。そういえばポレポレはちょうど今「山ドキュ」特集の上映期間だったよな。気になりながらも全然観にいってなかったんだけど、今日の夜は何の上映だったっけ? と何も分からないまま東中野へ。
少し早めに着いたので駅前のマクドナルドで時間を潰す。と、妹(東京在住)から電話。旦那が近々いまの勤め先を辞めて転職先を探す――という話は以前に聞いていたが、なんと妹自身も契約社員でずっと働いていた品川の会社を来月末で辞め、西新宿の会社に転職するという。「大丈夫なのか?」と思わず尋ねるも「そっちは大丈夫?」と逆に聞き返されれば答えも出ない。「最近ちょっと太ったんだよ」と言うと「ああ、それは薬の副作用だよ」とアドバイス(?)され、しばし話し込む。
時間が来たので互いに「くれぐれも大事に」とエール交換。で、いざ予備知識ゼロで観にいった映画は、いみじくも太宰治についてのドキュメンタリーであった。『日々の呟き』。フランス人の映画監督2人が、太宰の作品や生き様に引き寄せられながら生きる現代の日本人たちの素顔に迫った作品。
インタビューには太宰の娘の津島園子さんや、最後の担当編集者だった野平健一さん(先に亡くなられた)ご夫妻、さらには猪瀬直樹さんといった人たちも登場するが、大半は現在20〜30代の、それも東京周辺でアルバイトや派遣社員、生活保護受給者として日々を生きる謂わば“プレカリアート”の若者たち。彼ら、彼女らの口から語られる太宰治への思いと、太宰作品(主に『津軽』『斜陽』『人間失格』)からの引用のナレーションが微妙に絡み合う。
私も太宰治は大学時代に読んでいたので(ただしそれほどハマらなかったが)出演者たちの語る彼への思いを、ずいぶん昔の読書体験を重ね合わせながら観た。それにしても、太宰治という存在が60年もの時空を超えて、今なお多くの若者たちの心の襞にぴっしり収まっていくという、その「生命力の強さ」に改めて感じ入った。
もとより太宰という人はその心の中に破滅的な弱さを宿していたわけだが、一方ではその「弱さ」を身を削ってまで文学の世界へ昇華しうる「強さ」も持っていた。そんな裏腹の、あい矛盾する中から産みだされてきた作品に漂う凄みには、当時私も読みながら圧倒された覚えがある。
しかもこの作品は、制作していたのが上記の通りフランス人(ジル・シオネさんとマリー=フランシーヌ・ル・ジャリュさん)である。2人とも日本語は全然できないというのだが、5年がかりで約10人の日本人「ダザイスト」たちに密着取材し、しかも「これだな」という発言部分をきっちり押さえて作品にアップできていることに、観ながら正直感心した。
ただ、これも正直に言うと映像がドラマ的に「撮れすぎて」いて、そのぶんオーソドックスなドキュメンタリーを期待していた向きには「作りすぎじゃない?」という違和感が残る作品でもあったわけだが――そのへんの質問は上映が終わった後に、ちょうど来日中の監督2人を招いてのトークショーの席でも出た。
「太宰はなぜ死を選んだと思います?」と、トークショーが終わった後、招いてくれたアワプラの池田さんに引っ付きながら、外の廊下で監督2人に訊ねてみた。
「太宰は『なぜ自分は生きるのか』ということを自分に常に問うてきた。そんな彼の文学的な帰結として、ああいう形になったのだと思う」というようなことをジル・シオネさんはおっしゃっていた(ていうか、まあ、翻訳を介してなんであんまりこみいったやり取りはできなかったわけですが)。
ともあれ、そんな上映会に深夜まで参加してから、一人とぼとぼと歩いて深夜に帰宅。で、映画にあてられたのか今朝はなかなか起き上がれず、昼間で寝床で「どどーん」と沈んでいた。というわけでかろうじてこんな夜更けになって「日々の呟き」を書いておる次第。

3