“たぬきち”(綿貫智人)氏による『リストラなう!』を読んだ。ブログ(
たぬきちの「リストラなう」日記)についてはかねがね噂は耳にしていたものの、これまできちんと目を通したことがなく、今回新潮社から単行本化されたのを期に初めて通読してみた次第。
で、感想をまず一言でいえば、予想を裏切って「凄く面白かった!」。
というのは、実のところ読む前から、
“タブーである巨大出版社の内幕を勇気ある一社員が告発!”
“大企業における過酷なリストラの実態を赤裸々に綴った衝撃の書!”
“あの「暴露ブログ」がついに書籍化! ウェブ時代が産んだ一冊!”
――といった、いかにも近視眼的な骨董「反権力」連中が喜びそうな内容の本だったら嫌だなあと思っていたのだ。しかし実際には、そんなつまらない位相に留まることもない、優れた「ノンフィクション」作品として結実してくれたのに安心した。
もとより、本書を「暴露本」とか「マスコミ批判」といった文脈のみで評価することも、それはそれでありだろう。ただ、それだけでは勿体無い気がするのだ。なぜなら、確かに舞台は大手出版社というマスコミ企業ではあるのだけど、ここに描かれた世界には、2010年というまさに今現在の“普通の”日本社会の宿阿というか病理が投影されているように思えたからだ。
ここで個人的な体験から言うと、この“たぬきち”氏が勤めてきた大手出版社の内情を、私は10年ほど前まで何年間か雑誌で継続的にレポートしてきたことがある。だから“たぬきち”氏が書いていた「給与水準が高い」「風通しが悪い」「バブルの頃に広告依存型の雑誌を作りすぎた」といったエピソードについても「ああ、今だにそうやっているんだなあ」と思うくらいだった。
というか、私が取材していた2000年前後のこの出版社では極めてしょーもない次元のトラブルが続出していて、それを書いてる私のほうが正直「何で他人様の会社のことをこうまで書かねばならんのか」とウンザリさせられるような体たらくだった。背景には大昔の泥沼的労働争議やら何やらで社全体が機能不全になっていたこともあるらしい。ただ、当時から「このままではヤバイ」と言われながらも、過去にためこんだ「三ケタじゃきかない」と言われる資産を切り崩しながら何とか経営的にやりくりしているとの話もあり、バブル崩壊後もしばらくは持ちこたえていたようだ。
(もうひとつ、本書に出てくる「大殿様」にも何度かインタビューしたことがあった。こっちの質問の1〜2手先を読んで返答してくる、なかなかクレバーな人物だったという印象を抱いていたが、彼をもってしても会社再建は手に余ったらしい。あるいは「編集と経営の才覚は別」とうことか)
が、それもここにきて“たぬきち”氏ら40代以上の社員を早期退職で切り捨てなければならないところにまで追い込まれたわけだ。「氷山の上のお地蔵さん」もとうとう背筋に冷や汗が走るようになったということか。
ちなみに、現在45歳の”たぬきち”氏は私と同年代だ。もとより、フリーライターである私とは全く異なる境遇にある人なわけだが、そうした視座から描写される出版業界の内情、そこで働く者の真情については「身につまされる」ものも抱いた。
加えて、同氏が従事してきた「書店営業」という立場から切り込んだ出版流通の問題点や、巷間にぎやかな「電子書籍」時代を見つめながらの本音発言には「なるほどな」と頷かされる箇所も多々あった。
というか、そもそも出版流通などの業界“純ドメスティック”な話題っていうのは、それこそ今回の版元である新潮社のような大手出版社が出す一般向け書籍でやったら、大半の一般読者がついてこれない(だから本も売れない)し、あくまで専門書の領域にとどまるしかないものだったのだ。そういった“業界人しかわからない”ような話題を「リストラ」「早期退職」といったトピックに結びつけながら、多くの人に読みやすいノンフィクション作品へと昇華させている。
そのあたりを“たぬきち”氏本人がどこまで自覚的にやってきたのかはわからない。ただ、読む限り御本人は「アホな会社に対して、俺ってこんなにアタマいいんだぜー」という意識ではなかったようだ。むしろ「俺ってこんなに馬鹿だ!」というあたりを、あけすけに貫徹しているように見えて、そこに好感が持てる。
といったら“たぬきち”氏に失礼なように思われるかもしれないが、むしろ個人的にこれは褒め言葉のつもりで書いている。即ち、これからの混沌としたメディア状況下においては、「自分はいかにお利口か」という観点で視聴率だの部数を競ってきた従来型マスメディアとは逆に「自分はいかに馬鹿をやれるか」というところで勝負する人々のほうが強いんではないかという気がするからだ。
以上、まとまりのない感想になったが、とりあえずこのへんで。

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