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アワプラジオ」に出るにあたって“マー坊”若杉さんから「ぜひ観てきてください。同じ番組の中で取り上げるので」と言われていた映画『ハート・ロッカー』を、先週末にようやく新宿の武蔵野館で観賞。
イラク戦争下のバグダッドを舞台に、「爆発物処理班(EOD)」という、駐留米軍の中でも特に死亡率の高い(平均の5倍とか)部隊に配属された兵士らの日常を題材にした、いわば“戦争アクション映画”であるタイトルの「ハート・ロッカー(The Hurt Rocker)」とは、兵隊の間で「とんでもない精神的苦痛を伴う場所」や「棺桶」を意味する俗語(スラング)なんだとか。
ちなみにこの映画を監督したキャスリン・ビグローは、かのジェームズ・キャメロンの元妻であり、先ごろキャメロンの『アバター』とアカデミー賞を争った(結果的には監督賞など各部門を獲得し“勝利”した?)ことでも話題を呼んだのが記憶に新しい。即ち、上記の通りやたらシリアスで重たい戦争映画ながら、同時にエンタテインメントとしても高い評価を勝ち得たというわけだ。
ともあれ、そんな触れ込みも踏まえながら観たこの作品、端的に面白かったか否かの感想から言えば、間違いなく「面白かった」。
トータル2時間強、本当に(ラスト前の数分を除けば)切れ目なく、息が詰まるような戦場の極限空間ともいうべきシークエンスが展開され、目を離すことができない。といっても「目を背けたくなる」グロいエピソードもあれば、「背筋が寒くなる」シーン(例えば地ベタに埋まったコードを引っ張り上げたら足元を放射状に取り囲んだ爆弾が芋蔓みたいに現われた、とか)も出てくるのだが、全編に渡ってみなぎるテンションが画面から目を離すことを許さないのだ。
もっとも、その一方では「確かに議論の分かれる作品だろうな」との印象も抱いた。というのは戦場、それもイラク戦争という現在進行形の素材を扱いながら、あまりにもアクション映画的に完成されすぎた感も否めないからだ。
もとより、戦争の当事国であるアメリカの映画制作者による作品だというバイアスも見る側には作用する。いくつか見た映画評の中には予想通り「米軍側の視点からの描写ばかりで、イラク人側からの視座が欠けている」といったものもあったし、あの型破りな主人公と同僚たちとの関係性(当初の対立から、やがて友情の形成へといういかにもアメリカ型アクション映画の典型的パターンに落とし込んだといえなくもない)も私自身、少々鼻につくところはあった。
また、よく考えるとこの作品、全編を通したストーリー的起伏はほとんどないのだ。観ている間は緊張感に呑まれて気がつかないのだが、振り返ってみると主要登場人物3人の所属する「ブラボー中隊」の任務明けまでの数十日間をカウントダウン的に追い、爆発物処理をめぐる計6つのシークエンスを時系列的に追っただけだったとも言える。
そうした意味では結構「ツッコミどころ満載」の映画でもあるわけだ。しかし個人的にはもう一つ、率直にこんな感慨も抱いた。「今の時代に“戦争映画”を制作したら、こういう内容になるんだ……」と。
現在40代半ばになる私ぐらいの世代にとっては、戦争映画というと変な話『大脱走』とか『コンバット』(これは映画というよりテレビシリーズだが)というように、純然たる娯楽作品(ようするに「昔々の戦争のお話を題材にしたエンタテインメント)群がまず頭に浮かび、次に“近い過去に起こった戦争”であるベトナム戦争を題材にした露骨な反戦モノとしての『プラトーン』、あるいはその反対に思いっきり(それこそ『2001年宇宙の旅』に出てくるモノリス前の猿たちみたいに)突き放した『フルメタル・ジャケット』あたりが思い浮かぶ。
けれども21世紀初頭、イラクやアフガンという戦場がリアルタイムで進んでいる現在の「戦争」はさらにまた、そうした過去の戦争映画の文脈ではとらえきれないところにまで突き進んでしまっているのだろう。それこそ今回の映画が素材としている「爆発物処理」のようなハイテク作業、加えてイラク戦争という舞台の複雑さは、たぶん現時点で商業エンタテインメント作品として仕立て上げるにはあまりにも困難な素材と化してしまっているのではなかろうか。
この『ハート・ロッカー』の制作者たちは敢えてそこに立ち向かったわけだが、そのうえで応用したのが、上述した主人公の造形などのある意味「使い古された」パターンや、敢えて敵方の視点を排する(かつてのベトナム戦争映画における「自分たちを包囲する何やら得体の知れない存在」として描くことで極限状況下の不気味さを強調する)手法だったのかも、という気もした。
なぜなら、おそらく(個人的に戦場を知らないくせに敢えて傲慢を承知で言うが)、現在の本当の戦場というのは当事者にとって極めてストレスフルな環境にありながら、何も知らない人間が見たらひどく「冗長で退屈」なものなのではないかという気がするからだ。ドキュメンタリーではなく、それをフィクションのエンタテインメント作品の中で観客にも伝わりやすく再現しようとすれば、自ずとそうした「作りこみ」が必要になると、制作者たちは考えたのではないか(まあ、その意味では主人公が「戦争中毒」に陥っているという設定も、あんまりそのバックグラウンドが説明されないぶん、多分に言い訳的な押さえであるような印象は受けたが)。
本作の脚本担当者は実際にバグダッドで爆発物処理班に何週間入り込んだ経験をしたという。おそらく、劇中に登場するいくつかのエピソードは、バグダッド周辺で現実に起こったことを下敷きにしているのだろう。また、少しでも生の戦場に近寄るべくロケ地には隣国のヨルダンを選んだり、手持ちカメラでドキュメンタリーのように撮った映像を多用してもいる。そこまでしたうえで「作りこんで」いる。
そんなわけで「反戦映画だ」vs「戦争賛美だ」とか、「リアルだ」vs「フェイクだ」といった議論の分かれる際のようなところで何とか娯楽映画として成立させようとしたきわどいバランス感覚が、よくも悪くもこの『ハート・ロッカー』という作品を成り立たせているようにも思えた次第。御覧になったあなたはどんな感想を抱いたかな?

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