先週は14日(水)の午後、横浜・戸塚にある明治学院大学キャンパスへ。
「被爆者」を描いた2本のドキュメンタリーの上映、および両監督をまじえてのトークが行われるというお誘いを、ほかならぬその一方の監督である、妖しげな刈り上げ頭(↑)の青年からもらっていたのだ。
一昨年の9月7日から129日間、広島・長崎の被爆者103人がピースボートで世界一周・約20か国を訪ねては自らの被爆体験を語り、核廃絶を訴えるという旅に出た。
そして、同航海には共に20代後半の2人の映像制作者が同行した。一人はコスタリカ出身の女性、エリカ・バニャレロさん。もう一人が、その刈り上げ頭の青年・国本隆史くんだ。
もとよりエリカさんも国本くんも原爆どころか第二次世界大戦だって、その親御さんですらたぶん直接体験のなさそうな世代にあたる。事実、コスタリカ出身のエリカさんは今回の旅に参加するまで「ヒバクシャ」についてほとんど何も知らなかったという。日本人ゆえ原爆関連の報道には子供の頃からそれなりに接してきた国本くんも「だからどうすればいいのかがわからなかった」。
そんな2人が同じ129日間の航海で、同じ103人の「ヒバクシャ」たちへの密着取材をベースに、それぞれ全く別個の視座から『フラッシュ・オブ・ホープ 世界を航海するヒバクシャたち』(エリカさん)、『ヒバクシャとボクの旅』(国本くん)という約1時間の作品に仕立て上げた。
実際、この両作品を一時に観ると「同じ旅、同じヒバクシャをテーマにしながら、こうまで違うか!」という新鮮な驚きと共に、改めて「ヒロシマ」「ナガサキ」とは何だったのか(そして現在の世界においてどういう意味を持っているのか)について、まさに複眼的な刺激をもって突きつけられてしまう。
だが一方、同時に「ヒバクシャ」をめぐる何とも切ない状況も両作品では描かれる。ピースボートが寄港した各地では「原爆? 何だよそれ?」といった若者たちの屈託のない肉声も。ようするにSFの映画やら小説のようなフィクションの世界に登場する素材ぐらいにしか捉えられていない。「ヒロシマ」「ナガサキ」の名前は知られていても、所詮はその程度なのかもしれない。
「原爆によって戦争終結が早まり、多くの犠牲が避けられた」という歴史観が浸透しているらしいアメリカでは「それを言い出したらパール・ハーバーのこともあるし……」といった声も出てくる。ナチスによる虐殺は憎むべき戦争犯罪として語り継がれても、ヒロシマ・ナガサキの惨禍は「また別の話」とされてしまう。
さらに辛さを感じさせるのは、被爆者たちの高齢化だ。今や60代後半から80歳前後。道中、ギリシャでナチスドイツによる虐殺からただひとり生き残った老人との出逢いの後「私たち被爆者も『最後の一人』になる日が来るんでしょう」という言葉が出てくるシーンにはドキッとさせられる。
加えて、ピースボートの航海の中では「幼少時や胎児だった頃に被爆したため、当時の記憶がない」という被爆者の方々の語らいも描かれる。中には、成人になって久しくなるまで自身が被爆者だったことを知らずに生きてきたという人もいるほどだ。一体、「ヒバクシャ」って何なのだろう? そしてそれはどういう形で語り継がれうるものなんだろう?
実際、その日はあと20年かそこらもすれば確実にやってきて、唯一の被爆国である日本からも「被爆者」は完全にいなくなるのだ。
とはいえ被爆による影響は本人はもとより、その後の世代にも言いようのない不安な影を落としている。ただ、それは何もヒロシマ・ナガサキ被爆者の後の世代に限られた話ではない。
戦後のベトナム戦争における米軍の枯葉剤散布、フランスによる核実験、なおもこの世界に夥しく残された核兵器による危険性や原発の問題……といったことを考えれば、ヒロシマ・ナガサキは決して過去ではない。「現在」の問題なのだ。枯葉剤の影響で成長が止まってしまったというベトナム人男性と、被爆者たちが抱擁しあうシーンには、見ながら何とも表現しようのない思いを抱いた。
日本語では同じ「ヒバク」でも「被爆」と「被曝」は、漢字一文字の違い(火ヘンか日ヘンか)によって意味が異なってしまう。
ただ、両作品を見ての感想からいうと、エリカさんは初めて知った「ヒバクシャ」をきっかけに原発や核兵器問題へとどんどん食い入っていこうとしている。その点で国本君はむしろ「被爆者」のアイデンティティへ、被爆国・日本の若い世代というスタンスから率直に迫ろうとしている。そのあたりのコントラストが、観ながら興味深かった。
ともあれ、この2つの作品は今後21日(水)18時から広島(西区民文化センタースタジオ)で、22日(木)14時から東京・東大駒場で、24日(土)13時半からは同じ東京はあの「第五福竜丸」展示館で、27日(火)18時からは大阪のドーンセンターで上映とトークが予定されているんだそうである(詳しくは
こちら)。
ちなみに、私は国本くんとは4年ほど前に「
東京視点」の会合で会ったのが最初だった。高架化工事で解体されることになったJR国立駅舎の保存運動に関わりながら「
駅舎に登ろう」なんていう“住居不法侵入現行犯映画”を作成したかと思えば、北海道での市民メディア交流集会やG8メディアネットワークにふらりと参加しに来たり、現在では神戸「
FMわぃわぃ」のスタッフとして朝鮮学校などを取材中だ。将来は渡米して、あのジョン・アルパート率いるニューヨークの独立系放送局「
DCTV」に参加することを夢見ているという。何ともフットワークの軽い青年である。個人的にもこういう人は応援したいと思っているので、上記を読んで興味をもたれた方はぜひ上映会まで作品を見に行ってみてください。ではでは。

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