何たることか……と、報道に接して思わず唇を噛みしめざるを得なかった。同じ佐世保で、しかも、あれからちょうど10年を経たこの夏に、またしても起きてしまった、同級生の女の子の間での殺人事件。
10年前の事件が市内の小学校で起きたのは6月1日だったが、私が現地入りして取材をしたのは7月下旬の1週間ほどのことだった。その間、地元のメディア関係者を手始めに、市役所の記者クラブで開かれた記者会見に出てきた当該小学校の校長(話を聞きながら頭にきた私は思わず怒鳴りつけるような質問をしてしまった)、地元PTAの会長、そして被害者と加害者と当時同じクラスにいた児童とその親御さん……などに取材してまわり、そのうえで『創』の2004年9・10月合併号に「佐世保小6女児殺害 舞台裏の混迷度数」という8ページの現地レポートにまとめて寄稿した。
ちなみにその約1年前の7月、長崎市で中1男子が4歳児童を殺害したとされる事件の際も、私は翌月に現地まで取材に行き、同じく『創』の2003年10月号に「長崎12歳少年事件をめぐる地元住民・メディアの苦悩」という記事を書いている。どちらも特に編集部からの依頼を受けたというより、いてもたってもいられなくなった私自身の思いから自発的に取材に行ったのだが、同誌の編集長はこの記事内容がお気に召さなかったらしい。特に上記の佐世保の記事についてはゲラ段階で一部の記述をめぐって編集長と深夜に電話で大喧嘩となり、それをきっかけで私はそれまで10年近くレギュラーで仕事をしてきた『創』にこちらから三行り半を叩きつけて決別した――という意味でも、個人的に今なお印象深い事件となった。
(なお、ブログでは佐世保の事件の翌年に「
終わらない夏(佐世保小6女児事件から1年)」という記事を書いているので、関心がおありでしたら御参照ください)
それはともかく、何でまたあの時にわざわざ長崎・佐世保まで取材しに行こうと思ったかと言えば――これまた『創』への批判にもなるが、同誌を含めた在京メディアが“東京目線”から事件の背景について著名人によるコメントや分析のみで、やれ「インターネットの影響だ」「現在の学校教育に問題がある」とか現場にもろくに行かずに分かったような論調を張っていたことに強い違和感を覚えたからだ(これについても前記の『創』編集長が「現地まで取材に行けば何とかなるという時代は過ぎ去っている」というのに対して「現地の空気に触れることもないまま、ようするに『スクープ狙い』につながるか否かだけで現地取材の必要性を判断しようとしない総合月刊誌こそ既に終わっている」と思ったのが、決別する一つの理由にもなったのだが)
何より私には当の事件が起きた地元の人々、さらには当の少年・少女たちに近い人たちが事件によってどのような苦悩にさらされているかを書くべきではないかとの思いが強かったのだ。実際、そうした人たちにお会いし、事件発生直後からのあまりに悩ましい体験を直接伺いながら、そのやりきれなさに(私にしては珍しいことに)思わず取材の最中に涙ぐんで質問にならなくなってしまったことも再三あった。
(なお、10年前は被害者の女児が毎日新聞の佐世保支局長の娘だったということもあって、私も含めたフリーランスの記者たちが同局に取材を申し込んだものの軒並断られたものだが、最近になって当時同支局の新人記者だった川名壮志氏が、当時の状況を『
謝るなら、いつでもおいで』というノンフィクション作品として上梓している)
特に佐世保で取材した10年前の夏は例年にない猛暑で、朝から晩まで市内のあちこちを汗だくでヘロヘロになりながら取材していたのを、今でも昨日のことのように思い出す。特に殺されてしまった女の子への「お別れの会」の際、その女の子が好きだったということで献花の際にBGMで会場に流された松任谷由美の「Hello my friend」などは、今でもどこかで不意に耳にするたび、10年前の取材時のことが出し抜けに脳裏に甦り、今でも思わず動揺してしまう。あの曲をバックに壇上で献花していた同級生の児童たちも今や21〜22歳になる。おそらくトラウマになったであろう記憶を、うつむきながら私に語ってくれた(正直、聞きながら私も罪悪感に苛まれた)あの子は、そして当時お会いした地元のみなさんは、10年を経て再び起こった同級生殺害事件を、今どのように受け止めているのだろう?
10年前もネット上に加害者女児の写真や実名が出回ったし、今度の事件でも既にネット上には良からぬ情報が流れていると聞く。もっとも、スマホもLINEもtwitterもまだなかった当時からのメディア環境の変化を思えば、今さら「ネット時代の――」云々といった単純化した論評がはたしてどこまで罷り通るものか……という気はする。とはいえ、ネットにしろ何にしろ、ある一つの事象に原因を求めて納得してしまう「結論を急ぐ」ような真似はよしたほうがいい――というのが10年前も、そして今度の事件に関しても私自身は率直に覚えるところだ。

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