2020/9/3

「台風(9号)が行って、台風(10号)が来る」〜台風に関するウンチク、あれこれ@  知識


 台風が立て続けに日本にやってくる。
 休日が絡むので児童生徒に十分に指導しておくとともに、
 この際、台風の豆知識も紹介しておいたらどうか。

という話。
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(「地球イメージ」 フォトACより)

【台風の語源と三つの謎】
 台風(9号)が来て、台風(10号)が来ようとしています。 
 今年は7月までに発生した台風がわずか2個、それがたった1カ月で7個も生まれ、一昨日(9月1日)で10個を数えたわけです。それでも平年はこの時期までに14・3個生まれているそうですから、まだまだ少ない年と言えます。

 「台風」という言葉はもともと台湾や中国の福建省で激しい風のことを「大風(タイフーン)」といい、それがいったんヨーロッパ各国で「Typhoon」と音写され、再び中国に戻って「颱風」という漢字が当てられて日本では「台風」と略されたと言われています。他にも「台湾付近の大風なので『台風』」といった説もあるみたいですが、前者で十分でしょう。

 台風については子どもでも思いつく、いくつかの質問があります。
1. 台風はなぜ左巻きなのか
2. なぜ右カーブで日本に来るのか。
3. そもそもなぜ北に向かってくるのか
等々。


【台風はなぜ左巻きなのか】
 このうちの1番は私の十八番(おはこ)で、このブログでも何回か書いています。その中でもっともまとまりの良い2005.08.25「台風はなぜ左巻きなのだろう?」では、こんな説明をしました。

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@ 台風というのは迷走する低気圧です。周囲の空気は風となって一点に向かって流れ込み、上昇気流となって上空へ逃げます。(図1)
A これを地表面の風の動きとして上空から見ると、図2のようになりますが、このままだと渦にはなりません。
B 地球上には「コリオリの力」と呼ばれる見せかけの力があり、北半球では全てのものを右に、南半球では左にずらします。したがって国立博物館やディズニー・シー「フォートレス・エクスプロレーション」にある「フーコーの振り子」は右に動いていますし、「ゴルゴ13」も南半球で仕事をするときは狙撃銃を調整しなおすそうです(本人から聞きましたから間違いありません)。
C どうしてコリオリの力が働くのかは説明が難しいので、分かったつもりで先に進みます。
D 「コリオリの力」を考えると、図2は図3のように書き改められなければなりません。
E そうやってみると、なるほど風が右カーブしながら一点に集まると、左巻きの渦ができるのがわかります。
F いうまでもなく、南半球の低気圧は右巻きです。鳴門の渦は左巻きですが、南半球の渦は右巻きになります。この理屈でいくと、家に帰ってお風呂の栓を抜くと左巻きの渦ができそうな気がしますが、実はなかなかうまく行きません。風呂の形状や排水路の方向によって逆周りになったりしてしまうのです。巨大なボウル状の風呂をつくってその中央に排水口を開ければきっとうまく行くと思います。金持ちになったらやってみましょう。


 上の記事では「コリオリの力」についての説明を端折っていますが、これに関しては別の日に、次のように説明しました。
 地球上には、北半球ではすべてが右に、南半球ではすべてが左にずれるという見せかけの力があります。これを「コリオリの力」といいます。
 たとえばこんな実験を考えてみましょう。
 大きな回転盤の中心に1人立ち、円盤のふちにもう1人が立ちます。ちょうど北極点に1人が立ち、赤道付近に一人立たせてそれを北極上空から見るような感じです。
 そして円盤を左巻きに回転させ(北極から見た地球の回り方)、その状態のまま、円の中心からふちにいる人に向かって、まっすぐなボールを投げます。すると何が起こるでしょう?
 ボールはまっすぐ進むのですが、進んでいる間に回転盤は動いてしまいますから、ボールは大きく右にそれたように見えます。
 これがコリオリの力です。
2007.09.07「台風、無事通り過ぎました」

 話を台風に戻して、
「風が右に曲がりながら一点に集まって上昇する様子を、宇宙から見下ろすと『左巻き』に見える」(図3)
――ここがちょっと難しいのですが、理解するよう努めてください。
 子どもに話すときは全身を使って踊るように回転すると分かってもらえます。

「風はこんなふうに、
(両手を広げてしゃがみ、ゆっくり立ちながらその手を体に寄せて)
まっすぐ集まって来て、
(そのまま脇の下からバンザイに変えて行って)
まっすぐ上に上がっていくように思われるけど、
(もう一度両手を広げてしゃがんで)
実は右に曲がりながら、
(両手を右カーブで捻りながら体に寄せて)
上がっていくから、
(右手を左上に、左手を右後ろ上に捻りながら体を左回転させて)
こんなふうな回転になる、
ということは、どちら巻きになるかな?」

――といった具合です。これで大丈夫でしょう。

 あとは台風本体が右カーブで日本に近づいてくる問題ですが、これが案外難しくて、実は私は、今もよく分かっていないのです。

(この稿、続く)

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2020/7/14

「グラフは簡単に動かない」〜東京都の新型コロナ新規感染者数の出入りが大きすぎる件@  知識


 東京都の新型コロナウィルス新規感染者が、200人台から一気に119人に減った。
 このまま下がっていくといいのだが――、
 しかしそれにしても、なぜこんなに激しく人数が変わるのだろう?

というお話。
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(SuperT自作)

【東京の新規感染者、大幅に増え、大幅に減る!】
 昨日の東京都の新型コロナ新規感染者数が4日ぶりに200人を切って119人だそうです。救急の電話番号(119)と一緒というのは何かスッキリしませんが、一昨日の206人から一気に半分近くまで下がったのですから何かほっとします。

 6月24日(水)に50人を越えて翌日にはいったん40人台(48人)に下がったものの26日(金)からは連続6日間の50人越えで“いやあな感じ”がしていたら、7月2日(木)に前日の67人からいきなり倍近い107人になり、100人台が6日続いて8日(水)にいったん75人に下がって、“やれやれ”と思っていたら9日(木)はまたまたいきなりの224人、一気に3倍近くにもなってしまったのです。
 それから連続4日間の200人台で、もうこれはダメかなと諦めかけたら昨日の119人です。このまま新規感染者数の数が減って行ってくれればいいのですが――と、そんなふうに書きながら、ふと脳裏をよぎるものがあります。

「なんかこれ、変じゃね?」


【グラフは簡単には動かない】
 統計グラフというのは基本的に緩やかな流れになるものです。新型コロナ感染についていえば、東京都民が毎日同じように生活し検査が同じように行われているとしたら、増えるにしても減るにしてもそれほど極端になるはずがありません。
 大きなクラスターが見つかってそこから10人〜20人と芋ずる式に新規感染者がみつかったといったことはあるにしても、100人がいきなり200人になったり逆に半分に下がったりといったことがあるはずがないのです。
 しかし現実にはそうなっている。だとしたらそこには何か特別な理由があるはずです。

 これについてはこのブログでも扱ったいくつかの例があって、代表的なものは「いじめ件数の推移」のグラフです。(下図)
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 なぜこんなリズミカルなグラフになるかというと、1994年、2006年、2012年にそれぞれ「いじめの定義」が変わって、より広く網をかけるようになったからです。増やす方向でつくった新しい定義に従って報告すると件数は増えざるを得ません。

 いったん大幅に数を増やした後で、新しい指針によって指導が進むと、毎年少しずつ解決していくので数が減っていきます。するとまた基準が変わって報告が増える、その繰り返しが上のグラフです。


【警察力は衰えていない】
 もう一つ、基準が変わることで大きな変化を起こした有名なグラフに、警察の「検挙率」というものがあります。
クリックすると元のサイズで表示します  これは警察の捜査能力が低下した証拠として利用されることが多いのですが、それにしても異常な低下です。1980年代まで60%前後、時には70%もあった検挙率が一時は20%にも下がったのですから。
――しかしこれにも理由はあるのです。

 1980年代半ばに至って、人口の増加、犯罪増加に警察の能力が追いつかなくなってきたのです。犯罪の増加に合わせて警察官を無限に増やしていくわけにもいきませんし、行政改革でむしろ減らす方向に進んでいました。
 そこで警察は思い切って、“自転車盗のような軽微な犯罪については受け付けこそするが本格的な捜査はしない”という方向に舵を切ったのです。その代わり殺人事件のような重大犯罪には人数をかけて決して容赦はしないと――。

 それは正しい方向だったと思います。
 人数も予算も増やさずに検挙率だけは維持せよ、むしろ上げよと言われたら、殺人事件に100人も200人も投入し続けることができなくなります。殺人事件1件を検挙しようとしている間に自転車盗100件を見逃してしまったら、検挙率はどんどん下がってしまうからです。逆に言えば1980年代までの高い検挙率は、軽微な犯罪に人数をかけていたからこそ達成できたものかもしれません。

 これほど犯罪の少ない日本で、なぜか自転車と傘だけはしょっちゅう盗まれて戻って来ません。まるでこの二つだけは“盗んでいいもの”と相場が決まっているみたいですが、だからと言って今の日本が極度に治安の悪い国という気がしないのは、やはり警察が責任をもって凶悪犯を捕えようとしてくれているからでしょう。私たちは良い国に住んでいます。

 さて、そこで再び東京都の新型コロナ感染です。常識的に考えれば緩やかに上がったり下がったりするはずの新規感染者数が、これほど激しく動くのはなぜなのでしょう? 基準は、どう変わったのでしょう?

(この稿、続く)






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2020/6/16

「小説家たちの頭の中」〜天才の脳と人生@  知識


 東野圭吾の小説を原作とする映画を観た。
 大きな事件が起こるわけでもないのに、
 小さなできごとの積み重ねが登場人物の心を揺さぶり、
 読者を引き寄せてやまない――。
 それを生み出す天才の脳みそは、いったいどうなっているのだ?

というお話。
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(「脳の伝達の様子-青背景」フォトACより)

【映画「人魚の眠る家」を観た】
 雨が続いて畑仕事ができなかったのがようやく晴れて、張り切って働いたら午前中で疲れ切ってしまいました。昨日のことです。とにかく蒸し暑かった――。
 そこで午後は少しゆったりと休んで、Amazon Prime Videoで東野圭吾原作の映画「人魚の眠る家」を観ました。途中からです。

 実は2〜3か月前の休日、妻が当てずっぽうにこの映画を選んで一緒に見始めたのですが、途中で仕事を思い出して席を外したので後半を観ていなかったのです。あとで妻に聞くと「すごくよかったわよ」というのですが、私の観た範囲では少し冗長で、どこへ進もうとしているのか方向も分からない感じで何か退屈だったのです。

 ですからそれきり続きを観ようという意欲もなくそのまま終わるところだったのですが、何かの折に原作が東野圭吾だと知って、原作が東野で映画化されたとなるとおもしろくないはずがない、少なくとも映画館なら払った料金分くらいは保障されているはずだ、そう考えて続きを観る機会を窺っていたのです。

 おもしろいことが分かっていながら機会を窺うというのは若い人にはわからないと思いますが、年寄りは日常の定型業務(ルーティンワークなどと安易に英語を使ったりしません。都知事ではないので)以外のこととなると、何をするにも腰が重いのです。

 もちろん映画は期待通りのものでした。
 私が退屈だと切り上げたのは映画の中ほど、物語の方向性が見えていよいよおもしろくなる1分前くらいのところで、あと少し頑張れば一気に最後まで観ることのできた場面でした。これが映画館で料金を払って観ることとの大きな違いで、映画館で中座する人はまずいません。否応なく最後まで観ます。
 テレビ鑑賞であっても人が命をかけて作った作品ですから、本来はこちらも居住まいを正して観るべきものなのでしょう。家では楽ですし無料という魅力もありますが、やはり限界もあります。

 ただし言い訳をさせてもらえば、私が退屈だと早合点したことにはそれなりの理由もあったのです。とにかく大した事件は起こらない――。


【作家の脳みそ】
 「人魚の眠る家」は、一言でいってしまうと、一組の夫婦が事故のために脳死状態に陥った娘の死を受け入れるまでの物語です。それ以外に何も起こりません。ある程度のまで進まないと、だから退屈なのです。

 東野圭吾にはときどきこうした作品があって、例えば「秘密」では、事故で死んだ母の意識が娘の肉体に移ってしまい、中身は夫婦、外見は父娘という不思議な共同生活がはじまる――事件らしい事件はそれだけで、あとは淡々と進む日常の物語です。それなのにグイグイと読ませるのがこの作家の筆力で、最後まで読まずに終えることが難しくなります。なぜそうなるのか。
 思うに東野圭吾という作家は、小説を書きながら登場人物の全員に同時に乗り移ることができるのです。

 世の中の人々は誰でも何らかの事情を抱えているのであり、それぞれにこだわりがあり、常人には計り知れない場合もあるとは言え、それなりの論理があって生きているのです。その多様な人間たちが一か所に集まり、何かのできごと・事件が起こると、人々は相互に絡み合い、対立し、あるいはすれ違って物語が自然に発生し、動いていく――それを記録するのが東野の仕事だと、そんな気がするのです。
 そのことは東野自身が「流星の絆」に関するインタビューで、「作品を仕上げるのは苦痛ではなかった、特にラストは自分ではなく登場人物が書かせた」と語っていることでも知れます。

 要するに登場人物になり切る、しかも同時に複数の人物になりきることで自然に作品が仕上がっていくわけで、難しいのはその後半の方です。凡人はひとりの人間になり切ることはできても、同じ場所にいる別の人間にもなり切って物語を進めることができないのです。


【もう一人の天才作家の脳】
 東野圭吾とは少し違うのですが、小説家の脳という点ではもう一人の天才作家についても考えたことがあります。「ハリー・ポッター」シリーズのJ・K・ローリングです。
 彼女はシリーズ7巻の最初の4巻を1年おきに、残りの3巻をほぼ2年おきに出版していますが、その執筆期間の大部分を物語の整理のためだけに使っていたと思うのです。

 とにかく物語の素材となるエピソードは果てしなく浮かんでくる。その気になれば1巻に200も300も盛り付けることができる、けれどあまりに多すぎてつじつまが合わない。それをどう取捨選択し、一部を捻じ曲げてひとつの物語に仕上げていくか、それだけがローリングの仕事らしい仕事だった――私にはそんなふうに思えるのです。
 少なくとも次の展開が思い浮かばなくて苦労している形跡はまったくありません。

 小説家の固定化したイメージとして、ホテルに缶詰めになり、アイデアが浮かばないので髪の毛をかきむしって苦しむ作家というのがありますが、東野もローリングもまったくそんなタイプではない。物語は際限なく湧き出でる、あとは整理して書き写すだけ――おそらくそれで間違っていないと思います。

 私は子どものころから文章を書くことが好きでしたから、将来は小説で飯を食って行くことも考えなかったわけではありません。しかし今から考えるとまったく才能がなかったので、長くこだわって追求することもなく済みました。
 中途半端な才能がなくてほんとうによかったと思います。東野圭吾やJ・K・ローリングと同じ舞台に立とうとしていたら、今ごろそうとうに悲惨なことになっていたに違いないからです。

(この稿、続く)

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2020/5/26

「結局分からない、日本でPCR検査が増えない理由」〜健康長寿村と金属ボウル、一粒で二度おいしい  知識

 
 中・韓はもちろん、ヨーロッパ・アメリカでもふんだんにできるPCR検査。
 なぜ日本では増やせないのだろう。
 すでに4カ月にわたって答えの出せないこの問いに、
 果敢に立ち向かうメディアは出てこないのか。

というお話。
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(「実験」フォトACより)

【結局分からない、日本でPCR検査が増えない理由】

 昨日は安倍内閣の支持率が大きく下がったという話から、結局、日本にはPCR検査を大量に行う能力がなかったのだから、そこのところをきちんと説明し、検査なしで感染を抑えていく道筋を示せば、国民も納得し協力したはずだ、ということで文章を締めくくりました。
ところが書いている自分自身が、やはり納得できないのです。

 日本はなぜPCR検査を増やさないのか、という話は以前にも書きました。
2020/5/7「PCRって、どんだけ簡単な検査なんだ?」〜新型コロナについて分からなくなったこと、分かったこと@
 その時の疑問がいまだに解決していません。

 感染症の専門家の話を聞くと、どうやらPCRはけっこう難しい検査らしい、という気がしてきます。例えば、『2020.05.13 東洋経済on line 「PCR検査せよ」と叫ぶ人に知って欲しい問題』では、感染症専門の医師が、
 昔からPCRはたいへんだといわれる。その技術を持つ人の養成は一朝一夕にはいかない。
 テレビのコメンテーターになっている医師たちが、「(簡単ですよとは言わないまでも)私も研究で何百回となくやりましたが」とか、「人をかき集めて訓練すればできますよ」などと言っているのを聞いて、正直、腹が立ちますね。現場を知らない、完全に上から目線。「検査技師なんて」という一段下に見る感じも透けて見える。

とおっしゃっています。私はそれが本当だと思います。だから厚労省がいくら予算を出しても検査数は伸びないのだ、人間は簡単に用意できないのだからと・・・。

 ところが他方では京都大学の山中伸弥先生ですら「もっとPCR検査を増やさなくてはなりません。必要ならウチの研究室も貸します」くらいのことを平気でおっしゃるし、それより何より、爆発的な感染の広がった欧米諸国では、例えばイタリアで感染者数が最も多かった3月21日は6557人、スペインで9222人(3/31)、アメリカに至っては4万5675人(4/24)もの新たな感染者を掘り起こすことができるのです。陰性だった人も含めると、そのときいったい何人のPCR検査を実施したのでしょう。


【医療先進国ドイツの場合】
 一昨日のNHK「これでわかった!世界のいま」ではドイツの取り組みを紹介していましたが、驚いたことに1週間で100万件も検査ができる体制が整っているのだそうです。

 国内の100以上の民間検査機関がかかわっており、全自動検査機をつかって同時に人間の数倍から数十倍の能力で検査を進めているといいます。欧米ではすでにかなりの数の機械が入っていて、中には日本製ものまでたくさんあります。
・・・・と、ここまで来て、私はふたたび、みたび、アレ?何回目かな? 脳内パニックになってしまいます。
 疑問満載!

@ 日ごろは血液検査などを行っている民間の検査機関って、その日常の検査がなくなるわけでもないのに、週に1施設平均1万件もPCRを請け負う余力がどこにあったのか? コロナがなければ年じゅう暇だったのか?
A PCR検査なんてコロナ以前はそんなにしょっちゅうやるものではなかったと思うが(インフルエンザには簡易キットがある)、欧米は何の必要があってそんなに大量の全自動検査機を買っていたのだ? コロナのおかげで役立っているだけで、それ以前はほとんど邪魔者扱いではなかったのか?

 さらに番組では「ドイツでは、医師の判断で町のかかりつけ医でも検体を採取し、検査機関へ送ることができる」と紹介されていました。しかし私の記憶だと、ひとりのPCR検査をするために、医者は使い捨てのマスク・フェイスシールド・手袋・防護服・サージカルキャップを装着し、検体採取後はいちいち部屋の消毒をしなくてはならなかったはずです。
 だからドライブ・スルー方式やウォークイン方式が始まったと聞いたつもりでしたが、ドイツでは町医者が気楽にそんなことをやってくれるのでしょうか? 1回1万5000円もする検査を、保険適用でバンバンやられてドイツ政府は困らないのでしょうか?

 まるきりのド素人で、難しいことのわからない私でも思いつくこれらの疑問を、NHKを始めマスコミの人々はまるで不思議がる様子がありません。肝心な部分は分からないまま、ひたすら「ドイツはすばらしい」「日本もドイツを見習うべきだ」と言っても、ことは進まないでしょう。


【健康長寿村と金属ボウル、一粒で二度おいしい】
 私は子どものころ、数学がとても好きでした。結論までの通り道はたくさんあっても、結局いきつく先はひとつだという透明さが好きだったのです。
 小説家の村上龍も「反比例の漸近線はたとえ目視でx軸やy軸に接しているように見えても絶対に接していない、その透明さが好きだ」と言って『限りなく透明に近いブルー』を書き、芥川賞を取りました。

 同じように科学と呼ばれるすべての学問は、どんな分野でも突き詰めていけば人々の意見は必ず一致する、貝合わせの貝のように寸分の狂いもなく合わさるはずだ――若いころはそんなふうに思っていたのです。
 ところが実際にはそうでないのです。

 例えば福島原発事故の際、放射線はある程度までは浴びても問題ないという説(閾値説と言います)と、たとえ1万分の1マイクロシーベルトであっても害があるという説がぶつかり合って、最後まで解決できませんでした。逆に「多少の放射線は浴びた方がいい。飯館村は50年経ったら健康長者村」などと暴論を展開する輩まで出て、マス・メディアは侃々諤々だったのです

 さらに遡って松本サリン事件の際、マスメディアは「サリンは直前の段階の薬品さえあれば、調理用の金属ボウルの中でも生成できる」という科学者の意見を繰り返し紹介し、おかげで現場の近くに住む男性は9カ月に渡って最重要参考人として扱いを受けました。

 オウム真理教が摘発され、当時の上九一色村のサリン製造工場の内部が公開されると、私たちは「サリンの直前の段階の薬品」をつくることがどれほど大変かを初めて知りました。科学者はウソを言ったわけではありませんが、普通のサラリーマンにできる仕事でないことは十分に分かっていたはずです。マスコミもうすうす分かっていながら、最後まで金属ボウルを離しませんでした。

「なぜPCR検査は増えないのか」
 あるいはそれに類するタイトルの記事・ニュースはいくつも見てきましたが、ダイヤモンド・プリンセス以来4カ月経ってもいまだに分かりません。
 おそらくマスコミは真実を知りながら、それを言ったらニュースが終わってしまうので言わない――そんな感じがしてきました。
「一粒で二度おいしい」のはグリコ・キャラメルだけではありません。


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2020/3/6

「炭鉱のカナリヤとペストのネズミ」〜ノロ魔が語るノロウイルスと新型コロナ  知識


 私は感染症との親和性が強い。
 罹り易いというのではなく、行く先々で流行する。
 その分、感染症には詳しいのだが、
 どうやら新型コロナウイルスは、ノロウイルスによく似ていて、
 さらに決定的に異なる部分に特徴があるようだ。

という話。
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(「カナリヤ」Freepikより)

【私は感染症を持ち歩いている――のかもしれない】

 若いころは、年寄りが信心深いのはお迎えが近いので神仏に頼るようになるのだと思っていましたが、自分がその年齢になったらちょっと違うように感じ始めています。
 それは長い人生経験の中で、運だとか運命だとか、因縁だとか奇跡だとか、あるいは不可思議といったことにいくつも出会い、もしかしたら不合理にも意味があるのかもしれない、神や仏、宇宙の原理といったものがあるのかもしれないと考えるようになるからです。

 昔、街で偶然、かつての同僚である若い女性教諭に会ったことがあります。赴任先が大変な水害にあったばかりのころで、思わず声をかけて「大変だったね」とねぎらうとすかさず彼女は、
「あれって、校長先生が悪いんですよね?」
 私は返答に窮しました。その校長は変な意味で悪名の高い人で、人柄はいいのに、行く先、行く先で災害が起こると評判の人だったからです。まるで悪運を連れて異動しているようです。

 かくいう私にも実は似たところがあって、ひとにはバレませんでしたが、感染症に非常に弱い。赴任する先々で何らかの感染症が蔓延するのです。

 管理職として初めて仕事をした学校では2年連続のノロウイルス禍。3年目は自ら責任を取っての我が自宅のノロ感染禍。

 次に赴任した学校では、最初の年に12月と2月に分けての2回の大インフルエンザ禍。そうかと思ったら2年目の冬はなんとA型とB型の両方のインフルエンザを交互に抱え、春が来てヤレヤレと思っていたら新型インフルエンザの年で、赴任校は市内で最初の感染者を出すこととなってしまいました。おまけに校長先生まで校長会唯一の罹患者となったのです。

 3年目は4月に入学式をやろうと思ったらインフルエンザで在校生の数が足らず、翌日からいくつも学級閉鎖を出す始末。
 中旬に何とか回復したので授業参観・PTA総会を予定通り行おうとしたら、連休明けの参観日はごっそりと児童がおらず、あんなに寂しい参観日は後にも先にも見たことがありません。PTA総会の会場にも「なんでこんな日にやったのよ」といった不穏な雰囲気が色濃く漂っていました。

 そうした豊富な体験のおかげで、私は教員としては最も経験豊かな感染症の専門家となってしまい、報告手続きや書類の書き方については後々多くの同僚から頼りにされたものです。自慢になりませんが――。


【ある意味、大したことない“ノロとの戦い”】
 ところで最初に挙げたノロウイルス禍――校内で感染した児童・教員は何%くらいだったと思います?
 ほんとうに正確なことを言うと、実は確定患者はゼロなのです。誰も検査を受けていませんでしたから。

 細かなことは浜松市の小中学校で2014年に起こった集団感染に関する「ノロ考@」(2014.01.21)「ノロ考A」(2014.01.21)、ブッシュ元アメリカ大統領の「テロとの戦い」に掛けて書いた我が家の体験記「ノロとの戦い」(2008.01.22)、さらには今から三年前に孫のハーヴの支援に行って逆にうつされた「『胃を絞り、氷柱を背に差し込む』〜ノロ感染に苦しむ」(2017.12.15)等を読んでいただきたいのですが、要するに検査に1万円前後の費用と2日間ほどの時間がかかるのに、ノロ感染は症状が厳しいわりに予後が良く、2日ほど嘔吐・下痢を繰り返しながら絶食治療をするとけろりと治ってしまうのです。医師がせっかく検査機関に検体を送っても、結果が出るころには治ってしまって患者は病院に来てくれません。検査結果を治療に生かすどころか、本人に知らせることもできないのです。

 ですから近隣にノロ感染が広がっていて、患者が38℃以上の高熱・悪寒、激しい胃の痛みと嘔吐・下痢等を繰り返していたら、「たぶんノロ感染でしょう」と言って検査なんかしないのです。
 これといった特効薬があるわけでもなく、気休めに胃薬でも渡して家に帰ってもらうほかありません。お年寄りと基礎疾患のある人、幼児は心配ですが、たいていの人はそれで治ってしまいます。

 ただし極めて感染力の強いウイルスですから、触れたものは片っぱし消毒し、特にトイレの掃除は繰り返し行うようにします。人によっては症状がなくなっても一カ月以上も便からウイルスを排出しますし、その際の便が飛沫となって周囲に飛び散っている場合もあるからです。


【炭鉱のカナリヤとペストのネズミ】
 ところで、ふと気がついたのですが、「凄まじい感染力」「ほとんどが重篤な結果に陥らず治る」「症状がなくてもウイルスを出し続ける」「お年寄りと病気のある人は心配」「これといった治療法がない」――そう並べてみると、新型コロナウイルスとノロ・ウイルはよく似ていることが分かります。

 ただしノロは「子どももかかりやすく、乳幼児の場合は命に係わることもある」「潜伏期間が12時間から48時間と短く、発症する前は他人にうつす心配がない」という点で新型コロナとは違っていて、この点が決定的なのです。

 なぜならノロはかかるとすぐに発症し、すぐにそれと分かるので、周囲が警戒態勢を取り易い。最初の罹患者は炭鉱のカナリヤ(*)と同じ強力な警告者で、本格的な感染対策はそこから始めることになります。
*昔は炭鉱で有毒ガスを検知するために、カナリヤを連れて坑道に入ったと言われます。オウム真理教事件のときも、サリンガスを恐れた警察はカナリヤを連れて教団本部に入りました。

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 それに対して新型コロナの方は、特に若い世代で発症しないまま、あるいは発症してもごくごく軽いまま、自由に歩き回ってウイルスをまき散らすことがあるようなのです。何度も言いますが、それはまるで“自らは発症せず病原体だけをまき散らすペストのネズミ”と同じなのです。

 若い人たちに自重を求めるとともに、学校が休校になって本当によかったと思うのはそのためです。

 それ以外はノロ感染と同じ、怯えすぎることなく、しかし警告が出ないのですから、今から手洗いとうがい、その他の警戒を怠らないことです。


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2019/7/4

「災害が人を育て、災害が国を守る」〜自然災害と日本人  知識


 大雨の日
 なぜかくも九州ばかりが叩かれるのだと思いながら
 だから九州は人を育ってるのかもしれないと思い
 同時に日本全体のことも考えた

というお話。
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 記事はいつも前の晩に作成するので、2019年7月4日、つまり本日の分を書いている現段階では、九州の豪雨がどいう状況になったのかは分からないままで心配です。
 特に今年は、息子のアキュラがそちらに転勤したばかりなので気になるところですが、息子に限らず、大きな被害が出ないことを心より祈っています。

【災害ハイウェイの民】
 半世紀も前、謎の作家イザヤ・ペンダサンは名著「日本人とユダヤ人」で、ユダヤ人との日本人を「ハイウェイの民」と「別荘の民」に譬え、ヨーロッパとアジアの要衝でさまざまな民族に蹂躙されたユダヤ人に比べ、日本人は東洋の果てで別荘の民のように安全に暮らし続けたと嘆きました。しかし自然災害について言えば、日本人はユダヤの人々よりもはるかに激しく、はるかに多く痛めつけられた歴史を持っています。

 日本のポンペイと呼ばれる場所は国内にいくつかあると思いますが、同じ群馬県の黒井峯遺跡と鎌原村はそれぞれ古墳時代・江戸時代に、一か村まるまる火山灰に沈んだ跡です。黒井峯遺跡から1kmほど離れた金井東裏(かないひがしうら)遺跡からは2012年に、鉄製鎧を身につけた、かなり状態のよい人骨一体が発見されて話題になりました。

 鎌倉大仏は1243年の開眼以来、台風のためのに2回倒壊したあと、新たな大仏殿が明応地震(1495年)による津波によって流され、以後建てられることはなかったと言われています(異説あり)。そうだとすると、現在露天であること自体が災害の証明だと言えます。

 その他、全国いたるところに津波・火山・台風・洪水・大規模火災等々の記念碑があって、日本人がいかに多くの災害あってきたかを示しています。

 特に九州は慢性的な台風の通過点ですし、活火山も多く、有史以来日本で最も多くの台風災害・噴火災害・地震災害に襲われてきた土地です。

 鹿児島県の半分以上と宮崎県の15%以上を覆うシラス台地は典型的な火砕流台地で、雨にも地震にも弱く、また台上はほとんど吹き曝しで大風にも弱いという三重苦を背負っています。水田もできなければ他の作物も育ちにくい。
 だから多くの偉人が育ち、神々の里とされるのかもしれません。


【災害が日本人を鍛える】
 災害は日本人を強くしました。

「仕方ない」は字義通りだと「どうすることもできない」「ほかによい方法がない」「打つ手がない」といった絶望的な状況を表す言葉ですが、この言葉が日本人の口から出るとき、そこにあるのは絶望や怒りではなく、事態を粛々と受け入れようとする強く静かな意志だけです。さらにはまた、「さあ、時が来たらもう一度立ち上がって前に進もう」といった前向きな気持ちの萌芽もが見えます。

 私たちはそのように生きてきたのです。

 270年に渡って幕府の重責を担ってきた江戸は、繰り返し災害に見舞われた町でした。大火災や大地震といった災害が起こるたびに整備され、火除地・広小路と呼ばれる空間がつくられ延焼を防ぐようにしました。大名屋敷は火事に強い瓦ぶきが中心となり、土蔵造りや塗り屋(外部に土を塗った建物)、貝の粉末を焼いて塗った黒壁などの耐火建築も発達します。
 一方、庶民の住居はマッチ箱のように華奢につくり、いったん火災が起こった時には簡単に破壊・撤去して応急の火除地が広げられるようにしました。簡単に壊してしまう代わりに、幕府は大量の材木在庫を用意して、いつでも再建できるようにしていたのです。
 いずれも災害が授けた知恵です。


【災害が国を守る】
 災害の多さがこの国を守ったという側面もあります。

 モンゴル襲来において2度までも風が味方したことは有名ですが、ポルトガルやオランダが版図を広げていた16世紀〜17世紀、南蛮人・紅毛人と呼ばれるヨーロッパ人が繰り返し日本にやってきたにも関わらず植民地にしなかった理由のひとつが、災害の多さだったと言われています。
 彼らの主たる活動の地が九州だったことが幸いしたとも言えます。

 1854年、ペリーの再来日の 年、ロシアはプチャーチンを代表とする使節を送り、日本に通商を迫ります。
 ところがその12月、安政東海地震と呼ばれる大地震があり、プチャーチンの船は津波に襲われて大きく破損してしまいます。船は2年後、修理のために曳航されている最中、今度は大風に遭って沈没してしまいます。
 有名な安政大地震はその間に起こっていますから、当然プチャーチンも体験したのでしょう。その後しばらくロシアは日本史の舞台に出てきませんが、そのことも関係があったのかもしれません。
 外国人が暮らすには、条件が過酷すぎるのでしょう。


 この国の歴史と人々は常に災害と共にあったのであり、災害と切り離してその将来を考えることのできません。
 今もつらく不安な時を過ごしておられる方々にはほんとうに申し訳ないのですが、遠くから祈ってます、是非とも身の安全を第一に、この難局を乗り越えるようにしてください。

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