2020/5/26

「結局分からない、日本でPCR検査が増えない理由」〜健康長寿村と金属ボウル、一粒で二度おいしい  知識

 
 中・韓はもちろん、ヨーロッパ・アメリカでもふんだんにできるPCR検査。
 なぜ日本では増やせないのだろう。
 すでに4カ月にわたって答えの出せないこの問いに、
 果敢に立ち向かうメディアは出てこないのか。

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「実験」フォトACより)

【結局分からない、日本でPCR検査が増えない理由】

 昨日は安倍内閣の支持率が大きく下がったという話から、結局、日本にはPCR検査を大量に行う能力がなかったのだから、そこのところをきちんと説明し、検査なしで感染を抑えていく道筋を示せば、国民も納得し協力したはずだ、ということで文章を締めくくりました。
ところが書いている自分自身が、やはり納得できないのです。

 日本はなぜPCR検査を増やさないのか、という話は以前にも書きました。
2020/5/7「PCRって、どんだけ簡単な検査なんだ?」〜新型コロナについて分からなくなったこと、分かったこと@
 その時の疑問がいまだに解決していません。

 感染症の専門家の話を聞くと、どうやらPCRはけっこう難しい検査らしい、という気がしてきます。例えば、『2020.05.13 東洋経済on line 「PCR検査せよ」と叫ぶ人に知って欲しい問題』では、感染症専門の医師が、
 昔からPCRはたいへんだといわれる。その技術を持つ人の養成は一朝一夕にはいかない。
 テレビのコメンテーターになっている医師たちが、「(簡単ですよとは言わないまでも)私も研究で何百回となくやりましたが」とか、「人をかき集めて訓練すればできますよ」などと言っているのを聞いて、正直、腹が立ちますね。現場を知らない、完全に上から目線。「検査技師なんて」という一段下に見る感じも透けて見える。

とおっしゃっています。私はそれが本当だと思います。だから厚労省がいくら予算を出しても検査数は伸びないのだ、人間は簡単に用意できないのだからと・・・。

 ところが他方では京都大学の山中伸弥先生ですら「もっとPCR検査を増やさなくてはなりません。必要ならウチの研究室も貸します」くらいのことを平気でおっしゃるし、それより何より、爆発的な感染の広がった欧米諸国では、例えばイタリアで感染者数が最も多かった3月21日は6557人、スペインで9222人(3/31)、アメリカに至っては4万5675人(4/24)もの新たな感染者を掘り起こすことができるのです。陰性だった人も含めると、そのときいったい何人のPCR検査を実施したのでしょう。


【医療先進国ドイツの場合】
 一昨日のNHK「これでわかった!世界のいま」ではドイツの取り組みを紹介していましたが、驚いたことに1週間で100万件も検査ができる体制が整っているのだそうです。

 国内の100以上の民間検査機関がかかわっており、全自動検査機をつかって同時に人間の数倍から数十倍の能力で検査を進めているといいます。欧米ではすでにかなりの数の機械が入っていて、中には日本製ものまでたくさんあります。
・・・・と、ここまで来て、私はふたたび、みたび、アレ?何回目かな? 脳内パニックになってしまいます。
 疑問満載!

@ 日ごろは血液検査などを行っている民間の検査機関って、その日常の検査がなくなるわけでもないのに、週に1施設平均1万件もPCRを請け負う余力がどこにあったのか? コロナがなければ年じゅう暇だったのか?
A PCR検査なんてコロナ以前はそんなにしょっちゅうやるものではなかったと思うが(インフルエンザには簡易キットがある)、欧米は何の必要があってそんなに大量の全自動検査機を買っていたのだ? コロナのおかげで役立っているだけで、それ以前はほとんど邪魔者扱いではなかったのか?

 さらに番組では「ドイツでは、医師の判断で町のかかりつけ医でも検体を採取し、検査機関へ送ることができる」と紹介されていました。しかし私の記憶だと、ひとりのPCR検査をするために、医者は使い捨てのマスク・フェイスシールド・手袋・防護服・サージカルキャップを装着し、検体採取後はいちいち部屋の消毒をしなくてはならなかったはずです。
 だからドライブ・スルー方式やウォークイン方式が始まったと聞いたつもりでしたが、ドイツでは町医者が気楽にそんなことをやってくれるのでしょうか? 1回1万5000円もする検査を、保険適用でバンバンやられてドイツ政府は困らないのでしょうか?

 まるきりのド素人で、難しいことのわからない私でも思いつくこれらの疑問を、NHKを始めマスコミの人々はまるで不思議がる様子がありません。肝心な部分は分からないまま、ひたすら「ドイツはすばらしい」「日本もドイツを見習うべきだ」と言っても、ことは進まないでしょう。


【健康長寿村と金属ボウル、一粒で二度おいしい】
 私は子どものころ、数学がとても好きでした。結論までの通り道はたくさんあっても、結局いきつく先はひとつだという透明さが好きだったのです。
 小説家の村上龍も「反比例の漸近線はたとえ目視でx軸やy軸に接しているように見えても絶対に接していない、その透明さが好きだ」と言って『限りなく透明に近いブルー』を書き、芥川賞を取りました。

 同じように科学と呼ばれるすべての学問は、どんな分野でも突き詰めていけば人々の意見は必ず一致する、貝合わせの貝のように寸分の狂いもなく合わさるはずだ――若いころはそんなふうに思っていたのです。
 ところが実際にはそうでないのです。

 例えば福島原発事故の際、放射線はある程度までは浴びても問題ないという説(閾値説と言います)と、たとえ1万分の1マイクロシーベルトであっても害があるという説がぶつかり合って、最後まで解決できませんでした。逆に「多少の放射線は浴びた方がいい。飯館村は50年経ったら健康長者村」などと暴論を展開する輩まで出て、マス・メディアは侃々諤々だったのです

 さらに遡って松本サリン事件の際、マスメディアは「サリンは直前の段階の薬品さえあれば、調理用の金属ボウルの中でも生成できる」という科学者の意見を繰り返し紹介し、おかげで現場の近くに住む男性は9カ月に渡って最重要参考人として扱いを受けました。

 オウム真理教が摘発され、当時の上九一色村のサリン製造工場の内部が公開されると、私たちは「サリンの直前の段階の薬品」をつくることがどれほど大変かを初めて知りました。科学者はウソを言ったわけではありませんが、普通のサラリーマンにできる仕事でないことは十分に分かっていたはずです。マスコミもうすうす分かっていながら、最後まで金属ボウルを離しませんでした。

「なぜPCR検査は増えないのか」
 あるいはそれに類するタイトルの記事・ニュースはいくつも見てきましたが、ダイヤモンド・プリンセス以来4カ月経ってもいまだに分かりません。
 おそらくマスコミは真実を知りながら、それを言ったらニュースが終わってしまうので言わない――そんな感じがしてきました。
「一粒で二度おいしい」のはグリコ・キャラメルだけではありません。


にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2020/3/6

「炭鉱のカナリヤとペストのネズミ」〜ノロ魔が語るノロウイルスと新型コロナ  知識


 私は感染症との親和性が強い。
 罹り易いというのではなく、行く先々で流行する。
 その分、感染症には詳しいのだが、
 どうやら新型コロナウイルスは、ノロウイルスによく似ていて、
 さらに決定的に異なる部分に特徴があるようだ。

という話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「カナリヤ」Freepikより)

【私は感染症を持ち歩いている――のかもしれない】

 若いころは、年寄りが信心深いのはお迎えが近いので神仏に頼るようになるのだと思っていましたが、自分がその年齢になったらちょっと違うように感じ始めています。
 それは長い人生経験の中で、運だとか運命だとか、因縁だとか奇跡だとか、あるいは不可思議といったことにいくつも出会い、もしかしたら不合理にも意味があるのかもしれない、神や仏、宇宙の原理といったものがあるのかもしれないと考えるようになるからです。

 昔、街で偶然、かつての同僚である若い女性教諭に会ったことがあります。赴任先が大変な水害にあったばかりのころで、思わず声をかけて「大変だったね」とねぎらうとすかさず彼女は、
「あれって、校長先生が悪いんですよね?」
 私は返答に窮しました。その校長は変な意味で悪名の高い人で、人柄はいいのに、行く先、行く先で災害が起こると評判の人だったからです。まるで悪運を連れて異動しているようです。

 かくいう私にも実は似たところがあって、ひとにはバレませんでしたが、感染症に非常に弱い。赴任する先々で何らかの感染症が蔓延するのです。

 管理職として初めて仕事をした学校では2年連続のノロウイルス禍。3年目は自ら責任を取っての我が自宅のノロ感染禍。

 次に赴任した学校では、最初の年に12月と2月に分けての2回の大インフルエンザ禍。そうかと思ったら2年目の冬はなんとA型とB型の両方のインフルエンザを交互に抱え、春が来てヤレヤレと思っていたら新型インフルエンザの年で、赴任校は市内で最初の感染者を出すこととなってしまいました。おまけに校長先生まで校長会唯一の罹患者となったのです。

 3年目は4月に入学式をやろうと思ったらインフルエンザで在校生の数が足らず、翌日からいくつも学級閉鎖を出す始末。
 中旬に何とか回復したので授業参観・PTA総会を予定通り行おうとしたら、連休明けの参観日はごっそりと児童がおらず、あんなに寂しい参観日は後にも先にも見たことがありません。PTA総会の会場にも「なんでこんな日にやったのよ」といった不穏な雰囲気が色濃く漂っていました。

 そうした豊富な体験のおかげで、私は教員としては最も経験豊かな感染症の専門家となってしまい、報告手続きや書類の書き方については後々多くの同僚から頼りにされたものです。自慢になりませんが――。


【ある意味、大したことない“ノロとの戦い”】
 ところで最初に挙げたノロウイルス禍――校内で感染した児童・教員は何%くらいだったと思います?
 ほんとうに正確なことを言うと、実は確定患者はゼロなのです。誰も検査を受けていませんでしたから。

 細かなことは浜松市の小中学校で2014年に起こった集団感染に関する「ノロ考@」(2014.01.21)「ノロ考A」(2014.01.21)、ブッシュ元アメリカ大統領の「テロとの戦い」に掛けて書いた我が家の体験記「ノロとの戦い」(2008.01.22)、さらには今から三年前に孫のハーヴの支援に行って逆にうつされた「『胃を絞り、氷柱を背に差し込む』〜ノロ感染に苦しむ」(2017.12.15)等を読んでいただきたいのですが、要するに検査に1万円前後の費用と2日間ほどの時間がかかるのに、ノロ感染は症状が厳しいわりに予後が良く、2日ほど嘔吐・下痢を繰り返しながら絶食治療をするとけろりと治ってしまうのです。医師がせっかく検査機関に検体を送っても、結果が出るころには治ってしまって患者は病院に来てくれません。検査結果を治療に生かすどころか、本人に知らせることもできないのです。

 ですから近隣にノロ感染が広がっていて、患者が38℃以上の高熱・悪寒、激しい胃の痛みと嘔吐・下痢等を繰り返していたら、「たぶんノロ感染でしょう」と言って検査なんかしないのです。
 これといった特効薬があるわけでもなく、気休めに胃薬でも渡して家に帰ってもらうほかありません。お年寄りと基礎疾患のある人、幼児は心配ですが、たいていの人はそれで治ってしまいます。

 ただし極めて感染力の強いウイルスですから、触れたものは片っぱし消毒し、特にトイレの掃除は繰り返し行うようにします。人によっては症状がなくなっても一カ月以上も便からウイルスを排出しますし、その際の便が飛沫となって周囲に飛び散っている場合もあるからです。


【炭鉱のカナリヤとペストのネズミ】
 ところで、ふと気がついたのですが、「凄まじい感染力」「ほとんどが重篤な結果に陥らず治る」「症状がなくてもウイルスを出し続ける」「お年寄りと病気のある人は心配」「これといった治療法がない」――そう並べてみると、新型コロナウイルスとノロ・ウイルはよく似ていることが分かります。

 ただしノロは「子どももかかりやすく、乳幼児の場合は命に係わることもある」「潜伏期間が12時間から48時間と短く、発症する前は他人にうつす心配がない」という点で新型コロナとは違っていて、この点が決定的なのです。

 なぜならノロはかかるとすぐに発症し、すぐにそれと分かるので、周囲が警戒態勢を取り易い。最初の罹患者は炭鉱のカナリヤ(*)と同じ強力な警告者で、本格的な感染対策はそこから始めることになります。
*昔は炭鉱で有毒ガスを検知するために、カナリヤを連れて坑道に入ったと言われます。オウム真理教事件のときも、サリンガスを恐れた警察はカナリヤを連れて教団本部に入りました。

クリックすると元のサイズで表示します
 それに対して新型コロナの方は、特に若い世代で発症しないまま、あるいは発症してもごくごく軽いまま、自由に歩き回ってウイルスをまき散らすことがあるようなのです。何度も言いますが、それはまるで“自らは発症せず病原体だけをまき散らすペストのネズミ”と同じなのです。

 若い人たちに自重を求めるとともに、学校が休校になって本当によかったと思うのはそのためです。

 それ以外はノロ感染と同じ、怯えすぎることなく、しかし警告が出ないのですから、今から手洗いとうがい、その他の警戒を怠らないことです。


にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2019/7/4

「災害が人を育て、災害が国を守る」〜自然災害と日本人  知識


 大雨の日
 なぜかくも九州ばかりが叩かれるのだと思いながら
 だから九州は人を育ってるのかもしれないと思い
 同時に日本全体のことも考えた

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します

 記事はいつも前の晩に作成するので、2019年7月4日、つまり本日の分を書いている現段階では、九州の豪雨がどいう状況になったのかは分からないままで心配です。
 特に今年は、息子のアキュラがそちらに転勤したばかりなので気になるところですが、息子に限らず、大きな被害が出ないことを心より祈っています。

【災害ハイウェイの民】
 半世紀も前、謎の作家イザヤ・ペンダサンは名著「日本人とユダヤ人」で、ユダヤ人との日本人を「ハイウェイの民」と「別荘の民」に譬え、ヨーロッパとアジアの要衝でさまざまな民族に蹂躙されたユダヤ人に比べ、日本人は東洋の果てで別荘の民のように安全に暮らし続けたと嘆きました。しかし自然災害について言えば、日本人はユダヤの人々よりもはるかに激しく、はるかに多く痛めつけられた歴史を持っています。

 日本のポンペイと呼ばれる場所は国内にいくつかあると思いますが、同じ群馬県の黒井峯遺跡と鎌原村はそれぞれ古墳時代・江戸時代に、一か村まるまる火山灰に沈んだ跡です。黒井峯遺跡から1kmほど離れた金井東裏(かないひがしうら)遺跡からは2012年に、鉄製鎧を身につけた、かなり状態のよい人骨一体が発見されて話題になりました。

 鎌倉大仏は1243年の開眼以来、台風のためのに2回倒壊したあと、新たな大仏殿が明応地震(1495年)による津波によって流され、以後建てられることはなかったと言われています(異説あり)。そうだとすると、現在露天であること自体が災害の証明だと言えます。

 その他、全国いたるところに津波・火山・台風・洪水・大規模火災等々の記念碑があって、日本人がいかに多くの災害あってきたかを示しています。

 特に九州は慢性的な台風の通過点ですし、活火山も多く、有史以来日本で最も多くの台風災害・噴火災害・地震災害に襲われてきた土地です。

 鹿児島県の半分以上と宮崎県の15%以上を覆うシラス台地は典型的な火砕流台地で、雨にも地震にも弱く、また台上はほとんど吹き曝しで大風にも弱いという三重苦を背負っています。水田もできなければ他の作物も育ちにくい。
 だから多くの偉人が育ち、神々の里とされるのかもしれません。


【災害が日本人を鍛える】
 災害は日本人を強くしました。

「仕方ない」は字義通りだと「どうすることもできない」「ほかによい方法がない」「打つ手がない」といった絶望的な状況を表す言葉ですが、この言葉が日本人の口から出るとき、そこにあるのは絶望や怒りではなく、事態を粛々と受け入れようとする強く静かな意志だけです。さらにはまた、「さあ、時が来たらもう一度立ち上がって前に進もう」といった前向きな気持ちの萌芽もが見えます。

 私たちはそのように生きてきたのです。

 270年に渡って幕府の重責を担ってきた江戸は、繰り返し災害に見舞われた町でした。大火災や大地震といった災害が起こるたびに整備され、火除地・広小路と呼ばれる空間がつくられ延焼を防ぐようにしました。大名屋敷は火事に強い瓦ぶきが中心となり、土蔵造りや塗り屋(外部に土を塗った建物)、貝の粉末を焼いて塗った黒壁などの耐火建築も発達します。
 一方、庶民の住居はマッチ箱のように華奢につくり、いったん火災が起こった時には簡単に破壊・撤去して応急の火除地が広げられるようにしました。簡単に壊してしまう代わりに、幕府は大量の材木在庫を用意して、いつでも再建できるようにしていたのです。
 いずれも災害が授けた知恵です。


【災害が国を守る】
 災害の多さがこの国を守ったという側面もあります。

 モンゴル襲来において2度までも風が味方したことは有名ですが、ポルトガルやオランダが版図を広げていた16世紀〜17世紀、南蛮人・紅毛人と呼ばれるヨーロッパ人が繰り返し日本にやってきたにも関わらず植民地にしなかった理由のひとつが、災害の多さだったと言われています。
 彼らの主たる活動の地が九州だったことが幸いしたとも言えます。

 1854年、ペリーの再来日の 年、ロシアはプチャーチンを代表とする使節を送り、日本に通商を迫ります。
 ところがその12月、安政東海地震と呼ばれる大地震があり、プチャーチンの船は津波に襲われて大きく破損してしまいます。船は2年後、修理のために曳航されている最中、今度は大風に遭って沈没してしまいます。
 有名な安政大地震はその間に起こっていますから、当然プチャーチンも体験したのでしょう。その後しばらくロシアは日本史の舞台に出てきませんが、そのことも関係があったのかもしれません。
 外国人が暮らすには、条件が過酷すぎるのでしょう。


 この国の歴史と人々は常に災害と共にあったのであり、災害と切り離してその将来を考えることのできません。
 今もつらく不安な時を過ごしておられる方々にはほんとうに申し訳ないのですが、遠くから祈ってます、是非とも身の安全を第一に、この難局を乗り越えるようにしてください。

にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2019/5/22

「世間知の学習 2」〜引っ越し編  知識


 息子のアキュラが突然九州へ転勤
 学生時代から住み慣れた東京のアパートを去ることになった
 知識があればアタフタせずに済んだのに
 経験がないばかりにたいへんなことになる
 特にリサイクル家電と粗大ごみの始末が・・・

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します

【アキュラ、東京を離れる】
 息子のアキュラが突然の九州転勤で、学生時代から慣れ親しんだアパートを引き払うことになりました。土日を挟んでたった5日で任地に向かわなくてはなりません。

 私のところは父も弟も、私も妻も娘も公務員という一家ですので、民間企業のやることには慣れていません。
 おまけにアキュラはおっとりというよりは素っトボケたところのある子ですから気が気ではなく、娘に言わせれば“相当に過保護”な話ですが手伝いに行くことにしました(シーナは私を過保護だと非難しますが、その過保護の恩恵を誰よりも受けているのがシーナだと思うのですが・・・)。

 その引っ越しの過程で学んだこと。


【遠隔地への引っ越しは料金がハンパじゃない】
 学生時代から住んでいるアパートはワンルームのトイレバス付。キッチンも申し訳程度のものです。
 転居先にはベッドも冷蔵庫も洗濯機もあるそうなのでそれらはすべて廃棄。布団はほとんど“腐っている”状態なのでこれも廃棄。
 スノーボードやガスストーブ、そしてなぜか持っている製麺機(ラーメンからうどんまで何でも作れる)は必要なさそうなので実家へ移送。
 結局、引っ越し先へもっていくのは机といす、三つの衣装ケース、こまごまとしたものを3個の大型段ボールに。テレビ1台、コンピュータモニター3台、といった感じでベッドなどがない分、普通の学生よりも少ないくらいです。

 シーナが都内で引っ越ししたときの荷物はざっと5〜6倍の分量でかかった費用が6万円弱。そのことを参考に、いかに遠いとはいえ4〜5万円というところかなと思って見積もってもらったらなんと18万円弱!
 いくら会社持ちとはいえ、それはないと思ってあと2社に見積もってもらったところ、大小同異でどうやらそれが相場らしいのです。

 高速料金だけでもかなりかかるというのが引っ越し業者の説明です。日時を問わないなら帰りのトラックを空荷しないで済む日を選ぶので、それだとずいぶん安くなるという話もありましたがそういう訳にもいきません。
 支払いは会社だと言わなければもっと安くなったのかもしれませんが、だいぶ驚き、そして納得しました。


【リサイクル家電は厄介】
 荷物も整理して引っ越し業者も決まってヤレヤレなのですが、残る問題はリサイクル家電と粗大ごみです。このうちリサイクル家電には決まった手順があります。

 家電リサイクル法の対象となる「家電4品目(エアコン、テレビ、冷蔵庫・冷凍庫、洗濯機・衣類乾燥機)」は処分料を払って引き取ってもらうものです。
 同種の新しい製品を購入する場合は購入業者に、廃棄だけの場合は買った店に持ち込むのが原則ですが、アキュラのように購入した店舗が遠隔地にあったり、そもそも買った店が分からない(友だちから譲ってもらったりした)場合は郵便局で専用の「家電リサイクル券」をもらい、必要事項を記入して料金を払った上で製品に添付して処理場に持ち込むことになります。
 もちろん民間の回収業者に代行してもらえば済むことですが、自分でできることは自分でしましょう。私はケチなのです。

 ただ、それにしても慣れない東京で、日曜日にやっている郵便局を探し、必要な手続きをして車で処理場に運ぶのは気の重いことす・・・と思い悩んでいるうちにふと気づいたのは、「郵便局は全国区」ということです。もしかしたら同じ用紙が地元にもあるんじゃないかと。

 そこで慌てて近くの易郵便局で話を聞くと目の前にあり、ここで支払って東京で使っても構わないということでした。言われてみれば当たり前で、国法によって行われることが地方限定であるはずがありません。

 これで問題解決! と思ったらそこに躓きの石があり、リサイクル製品はメーカー・サイズごとに処分料が異なり、それが分からないと支払額が決まらない。今や私は田舎、アキュラは九州で、すぐに確認することができません。

 しかし私は運の強い人間です。
 アキュラに連絡すると何と数年前、購入する際にさまざまな商品を比較するためメーカーやサイズの張られた写真を撮ってあったのです。スマートフォン内ですから、写真はすぐに発見されます。これで一件落着。

 もっとも予め家電リサイクルについて知っていれば、ちょっとメモするだけでこんなにやきもきする必要はなかったのですが。


【粗大ごみの処分は数万円から無料まで、方法が複数ある】
 残るはベッド、布団、カーペットといった普通の粗大ゴミです。

 ネットで調べると「無料回収業者」がいくらでも出てくるのですが、これが実に胡散臭くて手を出すのが怖い。
 先に書いたようにリサイクル家電は廃棄すること自体に数千円のお金がかかるのです。それを無料回収というのはどう考えても筋が通りません。

 さんざん迷って第六感で良心的な感じの一社を選び電話をすると、
「リサイクル家電でも何でもここ5年以内のものが1点でもあれば、他は5点まで無料で回収します」
という話。これはよく分かる。

 業者はその新しい家電を例えば3万円で売って、残りの粗大ごみは正規に処分したり不法投棄すれば、その差額が収入となる。 “売れるリサイクル家電がなければすべての処理料金を払ってもらった上で自分の収入も上乗せして請求すればいい‘ そうやり方なのです。どちらにしても業者の手間賃は払うことになります。
 そうなるとやはり自分でやった方がいい、自分でできることなら何も業者を使う必要はない、ケチな私はそう考えます。

 調べると粗大ごみ廃棄の方法は二つ。

 ひとつは「粗大ごみ処分券」というものを指定業者のところで購入し、それを品目ごとに張って回収日にアパートの前に出す方法。
 もうひとつは直接、処理業者のところに持ち組む方法

 しかし前者は、例えば料金800円のものには300円券2枚と200円券1枚を張るといったふうに面倒くさいことこの上ない。しかも回収日に合わなければ出せない。
 アキュラは引っ越しの土日にしか来られませんから無理でしょう。私が週日に行ってやるということもありますが、それだと私の交通費だけで業者に払う分は出てしまいます。

 その点で後者だと、慣れない東京を車で走る気の重さはありますが処分そのものは無料となりますからその方がいいのかもしれない、そう思ってどこに持ち込めばよいのかを調べると、なんと、処理工場はアキュラのアパートから数分のところにあったのです。

 私は自分の運の強さに思わずガッツポーズをしたりします。
 なんだ超正解の答えが最初から目の前にあったじゃないか!

 しかしこれが実は大きな問題の発端になったのです。

                         (この稿、続く)


にほんブログ村
人気ブログランキング
3

2019/5/21

「世間知の学習 1」〜病院編  知識


 この一週間 家族にさまざまなことがあってなかなか大変だった
 そこで学んだこと
 もしかしたら世の中に人には「あったりまえ」なのかもしれないが
 世間知にはときどき大穴があったりして困ることも多いので
 いちおう列挙しておく

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します

【紹介状を持って行かないと料金が上乗せさせられることがある】
 91歳の母が転んで手首を傷めました。

 木曜日の夕方、母から電話があって「さっき転んで手首を骨折したらしい。近くの整骨院に行きたいのだが、電話番号が分からず困っている。調べてほしい」とのことでした。

 そこで疑問点がふたつ。
 私も2度ほど骨折をしたことがありますが、痛みは半端なかった。日ごろから大げさな母のこの落ち着きは、どう考えても骨折だとは思えない。
 整骨院は「骨を整える」と書くが、果たして折れた骨まで整えてくれるのか、なんとなくそんな気はしない。

 午後4時もだいぶ回っていて、離れたところにいる私が駆けつけても、それからでは病院に間に合いそうもありません。骨折でもなさそうです。
 そこで番号を知らせると、しばらくして「6時の予約が取れた」との報告がありました。空はなんとなく暗くなり、今にも降り出しそうです。

 しかたなく車を出して母の足で10分とかからない接骨院まで連れて行くと、いくらもしないうちに戻ってきて、
「やっぱり折れているらしいって。紹介状を出すからA病院に行けって。それ(紹介状)を持って行けば5400円安くなるって・・・」

 ここでまたまた二つの疑問。
 これだけ痛みの伴わない骨折があるのかい?
 紹介状は割引券か?

 病院に救急口から入って手続すると確かに、
「紹介状のない初診の場合は、5400円が別途にかかります」
 まっすぐ来なくてよかった――しかしこれって、明らかに緊急の場合でもどこかに寄ってから来た方がいいってことかい?


【痛みを伴わない骨折がある】
 小一時間も待たされたあげく救急医に診てもらうと、手首をあちこち何度も押さえた上でほとんど痛みのないことを確認して、
「どうも折れてはいなさそうですね。痛みもほとんどないみたいですし、少し様子を見ましょう」
 ホラ、ホラ、ホラ、そうじゃない、骨折でこんなに簡単に済むはずがない。
 私は安心して診察室を出ようとします。すると医師が、
「でも、念のため、レントゲンを撮ります?」
 いやその必要はありません、と言おうとしたらそれより先に、
「お願いします」
と母が言う。
 やれやれ。

 91歳の母とゆっくりゆっくりレントゲン室まで歩いて撮影し、またゆっくりゆっくりと戻って待っていると、ずいぶん経ってから件の医師が待合室まで足を運んでくれ、
「どうも折れているみたいです」
 え?
「整形の担当医がいま会議中で来られないので、しばらくお待ちください」

 それからまたずいぶんと待たされて整形外科医に診てもらうと確かに骨折で、ギブスをつけると母は立派な骨折患者になりました。
 それにしても心配性の母が、レントゲンを主張してくれなかったらどうなっっていたのだろう?

 固定後のレントゲン写真を改めて撮って、病院を出たのはもう9時をだいぶ回ってからでした。私はいつも夜を母の家で過ごすので、そのまま実家に帰って泊まることにしました。

 ちなみに5400円は免除されたものの、時間外診療などのために総額で1万300円ほどかかってしまいました。後期高齢者の治療費としては破格の高額です。


【痛みが後からやってくる(場合がある)】
 翌朝は何も言っていなかったのに、10時ごろに母から電話。
「痛くなってきてどうしようもないけど、鎮痛剤、飲んでもいいかな?」
「痛かったら飲めばいいだろう。そのために渡されたのだから。なぜ飲まないの?」
「だって治りが遅くなるっていうから」
 たしか昔そんな話を聞いた覚えもあります。しかし一ヵ月もかかる骨折の治療が2〜3日延びたって何ほどのことか。母は時々へんなことにこだわります。

 ただ母には気の毒ですが、普通の骨折ぽくなってきてホッとした部分が私にはがあります。まったく痛みのない骨折というものがむしろ不安だったからです。


【腫れは、さらにあとからやってくる(場合がある)】
 痛みはそれから三日ほど続き、四日目の土曜日には治まりました。ところがそのころから手首より先がどんどん膨らんできて、日曜日の夜には赤ん坊の手のようにパンパンになってしまいました。
 指先が紫色にならなければ大丈夫と思っていたのですがさすがに“赤ん坊の手”には驚いて、翌日、病院で診てもらうことにしました。翌日というのは昨日のことです。

 月曜日の外来ですから予約患者でいっぱいのはずです。そこで時間をずらして10時半ぐらいに受付をしたのですが、それでも順番の回る様子はなく、名前を呼ばれたのは3時間近く過ぎた午後1時20分ごろ。しかし診察は1分弱で、
「ギブスをするというのはこういうものです。気持ちが悪いかもしれませんが我慢してください」

 診察室を出たところで看護師さんが追いかけて来てくれ、指導がありました。テーブルの前では腕を乗せて過ごすとか寝るときは胸の上に置くとか、できるだけ心臓の高さ以上で保持すること、三角巾の使用も有効だといったお話をさあれ、、その場で首からかけてくれたりもしました。
 有難いことです。

 後悔したのは、なぜ調べなかったのかということです。これだけ検索フェチな私が、どうして「腕 ギブス 腫れ」と検索窓に入れるのを怠ったのか――。

 まあ、そういうこともあるわな、という程度の話かもしれませんが。

                       (この稿、続く)


にほんブログ村
人気ブログランキング
3

2018/12/6

「千日に関わる物語」〜ブログ1000日目の記念に  知識


クリックすると元のサイズで表示します 
(エマヌエル・ロイツェ『王妃の座を追われるキャサリンと、公衆の面前で愛をささやく国王とアン・ブーリン』)

 このブログ、退職後の分が今日で1000日になりました。

 「更新しました」というタイトルで紹介しているニュース批評のような記事は別計算で、他にもネット上に公開している記事はあるので、この5年間に書いたものは1000を優に超えていますが、最低1000は確実ということで、まずは自分を誉めておきたいと思います。
 何にしろ、続けるということは大変なことです。

 そこで記念に「千日」に関わるウンチクを並べてみたいと思います。私が比較的詳しく知っているものを最初にふたつ、あとは調べてお話しします。


【1000日のアン】
 1969年、私が高校生になって外国映画を観はじめたころにドーンと出てきた歴史映画の題名です。主役のヘンリー八世をリチャード・バートンが、もう一人の主役アン・ブーリンをジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドという、言いにくいぶん一発で覚えられる大変美しい女優さんが演じました。

 ヘンリー八世は英国史上最も有名な国王のひとりで、6回の結婚とともにローマ・カトリック教会から分離して英国国教会を打ち立てたことでも知られます。

 最初の結婚は急逝した兄の妻であるキャサリンを、政略的な理由で受け継いだもので、愛情の薄い関係だったと言えます。
 キャサリンは死産や流産を繰り返す中で結局ひとり娘メアリーをもうけるにとどまり、それがさらにヘンリー八世を遠ざけることになります。当時のイングラドは政治的に難しい状況にあり、女王ではとてももたないと考えたヘンリー八世が、強烈に男児を望んだからです。

 この段階で、私たちは1組の母子の名前を覚えておく必要があります。キャサリンとメアリーです。

 やがてヘンリー八世は愛妾のひとりのさらにその妹に目をつけます。映画のもう一人の主人公アン・ブーリンです。しかし姉のこともあってアンは愛人となることを拒否し、正式な結婚を要求します。それは当時としてはまったく非現実的な話でした。
 というのはヘンリー八世は離婚を認めないローマカトリック教会の熱心な信者であり、妻のキャサリンもカトリックの強力な守護者・スペイン王家の血を引いていたからです。

 ここに歴史の大転換が起きます。ヘンリー八世は自らの離婚と結婚のためにローマカトリックと縁を切り、イギリス国教会を立てて自らその首長となったのです。その上でキャサリンを王宮から追放し、アンとともに暮らし始めます。
 タイトルに使った「王妃の座を追われるキャサリンと、公衆の面前で愛をささやく国王とアン・ブーリン」はその場面を描いたものです。


 アンはやがて子を産みますが、これも女の子でエリザベスと名づけられます。ヘンリー八世は落胆し、ふたりの間に距離ができます。政治にやたらと口を挟むため敵も多かったアンは、復権のためにどうしても男子を生む必要があったのですが、その後2度も流産。すっかり愛想を尽かした国王はアンに姦通の汚名を着せ、斬首にしてしまいます。その間およそ3年。アン・ブーリンが「1000日のアン」と呼ばれるのはそのためです
 覚えておくべき2組目の母子は、そのアンとエリザベスです。


 アンの処刑の翌日、国王はその侍女のジェーン・シーモアと結婚し、翌年、待望の男子が生まれます。エドワード王子と言います。ジェーン自身は産褥のためにすぐに亡くなりますが、これが3組目の母子、ジェーン・シーモアとエドワードです。

 やがて3人の薄幸な王妃の子どもたちの時代が来ます。
 1547年にヘンリー八世が亡くなると、王位継承権第一位のエドワードがわずか9歳で即位しまが、この新国王エドワード六世は病弱で、6年後には回復の見込みのない病気にかかります。
 エドワード六世亡きあとは順番としてはメアリーなのですが、ここに大きな問題がありました。メアリーは母親ゆずりの頑固なカトリックで英国国教会を背負う気などさらさらなく、縁を切ってローマに帰依することは明らかだったからです。
 再三説得してもローマへの忠誠をやめないメアリーを諦め、国王は遠縁の17歳の娘、ジェーン・グレイを後継に指名して亡くなります。遺言に従ってジェーン・グレイは即位しますがそれを聞いたメアリーも即位を宣言し、両者は対立します。その後短期間の紆余曲折を経て、抗争は民衆の力を得たメアリーが勝利し、メアリー一世が誕生します。


クリックすると元のサイズで表示します ジェーン・グレイはわずか九日間で地位を追われたために「9日間の女王」と呼ばれ、7か月後、大逆の罪を負わされて斬首されます。
 昨年、上野の森美術館の「怖い絵展」で評判になった「レディ・ジェーン・グレイの処刑」に描かれた場面です。
 目隠しをされた17歳の少女は、左手で自分の首を乗せる斬首台を探っています。
 右の赤いズボンの男は手に斧を持ち、左では二人の侍女が顔を背けて嘆いています。

 女王となったメアリー一世は予想された通りローマカトリックに復帰し、プロテスタントを弾圧して女こどもを含むおよそ300人を処刑と言われます。
 「ブラッディ・メアリー」とあだ名され、今日もカクテル(トマトジュースで割ったウォッカ)に名を残しているのはそのためです。

 そのメアリー1世もわずか5年で病死し、あとを継いだのがあの「1000日のアン」の娘、エリザベスでした。
 過酷なメアリー一世のあとだったこともあり、生涯独身を貫いて英国のために尽くしたエリザベス一世は、今も最も理想化されている女王です。

 その業績も含めて、一連の物語はどこを切り取っても調べたくなる面白い話でしょ?


【千日回峰行】
 比叡山延暦寺の荒行のひとつ。私は1979年のNHKの特番で知ったように覚えています。
 
 およそ7年に渡って繰り広げられる過酷な修行で、最初の3年間はそれぞれ100日、4年目・5年目が200日、京都の市内・山野を真言を唱えながら駆け回るのが中心となります。その距離約30qを6時間かけて毎日走るのだそうです。

 5年間(700日)の修行が満了すると、最大の山場「お堂入り」が行われます。
 行者は足掛け9日間(丸7日半)の間、飲まず食わず眠らず、横にならず、毎晩深夜に不動明王のための水をくむこと以外は、ひたすらお堂の中で真言10万回を唱えるのです。
 飲まず食わずは何とかなるにしても、断眠・断臥は人間わざではありません

 それが終わると6年目にはさらに距離が伸び、1日約60 km(100日)。7年目は修行200日を100日ずつに分け、前半は84 km におよぶ京都大回り、後半は比叡山山中を30 km、毎日走り続けて満了となります。

 平安中期に始まって今日までに達成者はわずか51人。うち14人が戦後です。さらにこれを生涯2度行った人が3人もいて、そのうちのひとりが酒井 雄哉(さかい ゆうさい)という方です(2013年没)。NHKの特番で見たのはこの人の記録だったと思います。

 私は学生時代、教員になるか僧侶になるか本気で迷った時期があり、千日回峰行を知ってからは自分にできっこないのに、激しく憧れました。そうしたストイシズムに対する思いは今もあります。


【千日手】
 将棋において、同じ局面が繰り返し現れてしまうことを千日手と言うそうです。互いにそれ以外の手を打つと不利になるのであとに引けないのです。
 4回同じ局面が現れた時点で千日手が成立するので、相手に「千日手ですね」と目で語りかけ確認し合います。それ以上は進展がないので、先手と後手を入れ替えて最初から打ち直します。
 今年の3月8日、藤井聡太六段(当時)と師匠の杉本昌隆七段の公式戦初対局で、59手目にこれが成立して話題となりました。


【千日前】
 大阪府大阪市中央区の町名及び地域名。
 西隣の難波にある法善寺と竹林寺で千日念仏が唱えられていたことから両寺(特に法善寺)が千日寺と呼ばれ、その門前であることから千日前と呼ばれるそうです。道頓堀の南東に一帯で、演芸場や映画館などのある娯楽街となっています(行ったことないけど楽しそう)。


【千日念仏】
 仏教で千日間の精進や修行をいうそうです。千日経(読経)・千日講・千日籠り・千日参り・千日念仏など。


【千日町】
 鹿児島県鹿児島市内にそういう町名があるそうです。




にほんブログ村 教育論・教育問題
人気ブログランキング
3



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ