2016/1/15

「若きママたちの義兄弟」A  言葉


 若いママさんたちがブログなどで使う用語――「義実家」「義両親」などに違和感がある、というお話をしました。
「だったら義実家のことは普通はなんて言うの」
という娘の問い合わせに対して、
「夫の実家」
と返事をしておいて、しばらく後にこれにも違和感を持ちます。その言い方、昔はあったのか? ということです。

 そういえば大学生のころ、故郷に帰省しようとしたら「実家に帰るの?」と聞かれて面食らった記憶があります。つまり少なくとも40年位前、私の意識の中では男の子に「実家」はなかったのです。
そうです。「実家」というのは女性の出自を言うので、男性には使わないのが基本でした。「実家」の「家」は家屋や場所のことではなく“家族関係”のことを言いますから、基本的に姓を変えない男の子は家(同じ姓を持つ家族関係)を出ることはありません。「家」を出ない以上は「実の家」もないのです。
(養子縁組という制度はあったので、その場合、新しく入った家は「養家(ようか)」、もとの家は「実家」ということになります。ですから男性にもまったく「実家」がないわけではありませんが江戸時代ならともかく、現代の日本ではあまり一般的とは言えないでしょう)

「実家」の対語は「養家」と「婚家」です。
 昔、女性は家を離れて婚家に入るのが一般的ですから、「婚家」と「実家」の双方を持っていました。しかし迎え入れる立場の男性には「婚家」はなく、したがって「実家」もないことになります。つまり私の言った、「義実家という言い方はないよ。普通は『夫の実家』だよ」も間違っているのです。

 都会の大学へ進学するために家を離れて一人暮らしをするというのも明治以降の出来事ですから、昔は“遠く離れた本来の家”を表現する単語もありません。しかし都会の一人暮らしも核家族も一般化してくると、どうしても“遠く離れた本来の家”を表現する言葉が必要になってきます。そこで「実家」が男性にも未婚の女性にも使われるようになったのです。

 辞書で調べると、
【実家】
  1 自分の生まれた家。生家。
  2 婚姻または養子縁組によって他家にはいった者からみて、その実父母の家。
 となっていますから、「ボクの実家」も「夫の実家」も完全に市民権を得ているのでしょう。私自身も、別の場所で母が住む家のことを「実家」と呼んではばかりません。言葉は生き物ですからそれでいいのです。

 しかしそれにしても「義実家」や「義両親」が市民権を得るにはまだまだ時間がかかりそうですし、「義兄弟」(*)に至っては先行する概念(契約によって兄弟のように結ばれた関係)が邪魔をしますからもっと時間がかかるはずです。

 言葉ってやはり面白いですね。

(*)婚姻や養子縁組によって新しく兄弟となった関係を、法律では「義兄弟姉妹」というそうです。しかしこの場合も読みは「ぎけいていしまい」ですし、「義兄弟」「義姉妹」と分けて使うことはないみたいです。


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2016/1/14

「若きママたちの義兄弟」@  言葉


 若いママさんのブログばかりを集中的に読んでいくと、そこにはそこの独特な用語や表現のあることに気づきます。その世界でしか通用しないものですから、これはもう隠語とか符丁とか言ってもいいようなものなのかも知れません。
 たとえば「完母(かんぼ)」。これはミルクを使わず母乳だけで養育をする「完全母乳育児(でいいのかな?)」のことを言います。するとミルクだけで育てるのは当然「完ミ」、双方で補完するように使うのは「混ミ」ということになります。これなどは分かりやすいところです。

「卒乳」――時期を定めて母乳を断つ「断乳」に対して、乳幼児自身がやめてしまうことを言います。逆に言えば本人がやめるまで月例をいくつ重ねても飲ませ続けるやり方で、今はそうした選択をするお母さんもいるようです。
 その他「差し乳」だの「溜まり乳」だの哺乳関係だけでもこれだけ(私にとって)新しい言葉が出て来るので面白い世界です(別に私はその方面のマニアではありません)。
 それ以外だと「ネントレ」だの「飛行機ブーン」だの、どれもこれも若い両親や赤ちゃんの様子が目に浮かんで、何とも微笑ましいものです(*)。
 ここまではいいのです。
 なぜなら以上の言葉は別の言葉で置き換えが利かないものであり、コミュニケーション上どうしても必要なものだからです。しかし次はどうでしょう?

「義実家」

 歴史が好きな元社会科教師としては、これはどうしても「よしざね け」としか読めません(源氏か?)。しかし実は「ぎじっか」と読むのです。配偶者の両親の家という意味です。
 配偶者というのは婚姻関係の双方ですから義実家も互いにありそうですが、そちらの世界ではもっぱら夫の「実家」だけです。妻の実家を夫が「義実家」と呼ぶことはありません。
 そして夫の両親は「義両親」となり、夫の兄弟は「義兄弟」です。いかがでしょう?

 私どもの世代だと「義兄弟」はヤクザの世界で杯をかわし、契りを結んだ特殊な関係のことをいいます(Wikipediaにも「固い契りにより、血縁のない男性が、兄弟に等しい盟友関係となること」とあります)。
 若い、しかも母親になりたての女性に義兄弟がいるというのは、何かすごい感じです。若いころの岩下志麻さんや富司純子さん(いずれも任侠映画のスター)だったらいいのですが。

 あるとき娘のシーナに
「義実家というのはいつまでたっても違和感があるなあ」
と書き送ったら逆に
「じゃあ、夫の実家のことはなんて言うの?」
と聞き返されました。そこで、
「夫の実家」
と書き送ったらあきれ果てたのか、それに対する返事はありませんでした。

 しばらく忘れてそのまま放置していたのです。ところがあるとき、突然思い出して不思議な感じにとらわれました。「夫の実家」という言い方に違和感を持ったのです。その言い方、昔はあったのか? 
                                         (この稿、続く)


(*)「ネントレ」――「ねんねトレーニング」。乳幼児の睡眠コントロールのこと。
   「飛行機ブーン」――腹ばいで両手両足を床から離すこと。子どもの成長のひとつの目安のようです。
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2015/5/22

「寄り添う」@  言葉


 若い頃は、自分ができるかどうかは別として、世の中、努力さえすればなんでも可能だと思っていました。ところが年齢を重ねるにしたがって、次第にそうではないことが分かってきました。
 どんなに努力をしたところで私が100mを9秒9で走ることはないし、関取になって横綱まで昇進することはない。そんなことはもちろん分かっていましたが同じように、どんなに努力しても東大に合格することはなかったしプロのミュージシャンとして活躍することもなかった、ある時期からそんなふうに思えるようになってきたのです(「大人になるまでそんなことも分からなかったのか」と非難されれば甘んじて受けます)。

 東大に受かるような人はやはり頭がいい、少なくとも受験向きの頭脳とそれを支える持続力や集中力があります。ミュージシャンとして大成するような人はやはり何かを持っている、曲を聞いていると「オイ! 次の音はそこかい!?」と驚くような展開をしたり「ここでその言葉が浮かぶの?」とびっくりするような歌詞が続いたりします。一流の女優さんに街で会ったりすると、いかに鈍感な私でもいわゆる“オーラ”を感じたりします。彼らは最初から違うのです。
 しかし、だからといって彼らが必ずしも幸せとは限りませんから、今は羨ましいとも素晴らしいとも思いません。私は自分の人生にかなり満足しています。

“人には生まれながら持っているものがある”
 その意味で私は運命論者でもあります。私たちの前にはそれぞれ道筋があって、人間はその制約からは逃れられない、そう感じています。
 名前は分かりませんが“神様”も信じていて、大枠において信賞必罰は果たされると思っています。今、ずるいこと汚いことによって大いなる幸せを感じている人にも、必ず天網はかかりその人を捕えるという信仰です。
 しかし私の信じる“運命”はまったくガチガチの一本道ではなく、私の信じる“神様”もまったく融通の利かない存在というわけではありません。
 印象で言えば、運命の道筋は目の前に15度くらいの角度で開けた扇形の道筋で、「真ん中を歩け」という強い力は働くものの、努力次第で、たとえば左の縁(ふち)を歩くことも可能です。
 左の縁を歩き続けるとまた目の前に15度の道が開けますからまた左に寄って行く、すると結局、最初に見えた“左”よりも、ずっと深い“左”に切り込んで行ったことになります。そんなふうにゆっくりと時間をかけ、運命と折り合いをつけながら進んで行けば最初に見えた道筋とはかなり違う生き方ができる、そんなふうに思うのです。

 運命の道をいきなり直角に曲がろうとしても無理です。少し無茶をすれば曲がれたようにも見えますが、運命の道の両側は透明なゼリー状の物質でできているのです。受け入れると見せてやんわり押し出してしまいます。
 この道を切り開く方法はただひとつ、時間をたっぷりかけ、ゆっくりゆっくり押し返し続けることだけなのです。私はこのことを「運命に寄り添って生きる」と呼んでいます。
                                (この稿、続く)
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2015/4/3

「日本の公用語について」A  言葉


 標準語と方言とのせめぎ合いの末、日本は国内のどこへ行っても現地の人と普通に話せる公用語を獲得しました。方言の味深さが失われるのはいかがなものかという議論はありますが、統一言語を持っているということは大いなる幸せです。言語表現はすべて一つの言葉で済みますし、そのための社会的コストも最小で済みます。そして何よりも民族の統一性とか共感とかいう点で非常に有利です。同じ言語を持つことで、“同じ日本人”という言い方、感じ方がすんなり入ってきます。何といっても言語は民族の核心なのです。
 そんな日本にどうしても二つ以上の公用語を持ち込まなければならないとしたら、その一方は英語などではなく、選ばれるべきはおそらくアイヌ語です。アイヌ語を母語として使用する人は10名以下と言われますが、何といってもアイヌ民族は日本国民ですから最優先で扱わなければなりません。

 いや、数はやはり大切だろうという話になれば、準公用語は中国語です。在留外国人で最も人数の多いのが中国人だからです。中国語は難しいからいやだ(四声もあるし漢字も多い)ということであれば次は韓国語でしょう。いかなる観点からも英語が準公用語として伸してくる理由はありません。

 もっとも英語を準公用語としたところで国民の犠牲は財政的な面に限られます。政府の広報は英文を加えて2倍の厚さになり、通訳や翻訳者が大量に必要になるにしてもそれは金で解決できる問題です。テレビ画面の下にいちいち英文のテロップが出るにしてもむしすればいいだけのことです。婚姻届けに日本語版と英語版の2種類出てきても、ほとんどの日本人は日本語版を利用するでしょうし、選挙の投票用紙も敢えて英語版を受け取る人は少ないでしょう。公用語・準公用語を選択的に使えるなら、普通は使い慣れている方を使うのが当たり前です。日本人の英語力高めるための準公用語というのは、さほどの意味を持つものではありません。そこで中西議員はさらに過激な提案をします。

「英語を準公用語にしては?」と問い質し安倍総理が「その考えはない」と返答した、そこまでは多くのマスコミで記事になりました。しかしそれに続く部分は報道されていません。そこで中西議員はこんなことを言ったのです。
「私は小学校で英語を学ぶのではなく、英語で授業を行うようにしたいと考えています」(大意)

 もちろん「英語ができなければ、子どもは算数も理科も学べない」となれば、親は必死で英語を学ばせるでしょう。豊かな家ではせめて6歳までは英米で生活させようとすることになります。家の中でも厳しく日本語が制限され、当然、英語力は高まりますが、それで日本人は幸せになるでしょうか。
 小学校の授業を原則的に英語で行う――国会議員とは恐ろしいことを考えるものだとあらためて考えさせられました。

 ただし、外国語を国民に強いる政策は、基本的に外国による占領下でしか行えません(日本に併合された韓国がその被害にあったように)。あるいはイスラム原理主義やオウムのような狂信的な政府・団体だけがなしうる業です。中西議員はいつの日か、自分が独裁者となって日本を英語国家にしようと考えているのかもしれません。

 以上、本気で考えているわけではありません。中西議員も深く考えずに話しているだけでしょう。しかし「本気で考えていないこと」「できもしないこと」を大切な国会の質問時間に行うこと自体が問題です。
 重要法案を山ほど抱えていながらいつまでも大臣の不明朗会計やら埒もない準公用語論で時間を空費している国会。私はすっかり嫌気がさしています。


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2015/4/2

「日本の公用語について」@  言葉


 先週の金曜日、カーラジオで参議院予算員会のやり取りを聞くともなく聞いていたら、中西健治(無所属クラブ)という議員がとんでもない質問をしていました。「これからのグローバル社会を考える上で、英語を準公用語にしたらよいと思うがどうか」と言うのです。これに対して安倍首相は「(英語を)準公用語と位置付ける考えはない」としたうえで「TOEFLなどを重視する。ある程度早い段階から英語教育をスタートすることも含め、教育再生実行会議で議論を進めている」といった答弁をしていました。まずは穏当といったところでしょう。
 準公用語というものの概念が分からないのですが、日本語を主とし、一段低いところに英語を置いてこれも公用語として使用するといったものでしょう。しかし中西議員、これを真面目なものとして話しているのでしょうか。

 ふたつ以上の公用語を持つ国は少なくありません。たとえばスイスではドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の四か国語が公用語とされています。四つも公用語があるのは国民の中にそのうちのひとつしか堪能に使えない人がいるからです。ドイツ語を外してしまうとドイツ語で日常を送っている人々の生活が支障をきたします。ロマンシュ語を日常的に使う人は全人口の0.5%しかいませんが、同じスイス国民として守るためには公用語として大切にするしかないのです。
 具体的には政府の公文書はすべて四か国語で併記されます。現代のロゼッタストーンです。そのための通訳も置き、役人も数か国語に長けた人を雇わなくてはなりません。法律文などは言語によってズレがあってはいけませんから、非常に厳密な対照が求められます。その社会的コストには膨大なものです。しかし多民族国家を公平に運営していくためには絶対に必要なことです。

 いやそうでもない、フィリピンには英語を日常的に話す国民などいないのに英語を公用語としている、という人がいるかもしれません。しかしこれは事情が違います。
 一般にフィリピンではタガログ語が話されていると思われていますが、そうではありません。フィリピンは7000以上の島からなる多民族国家で言語の種類も170以上あります。タガログ語もマニラを中心とする一地方言語で全土に通用する言葉ではないのです。イスラムが広がったりスペインの植民地になったりとそのたびに支配者の言語が全国に広まりましたが、最終的にはアメリカ統治時代に英語が広まってそれが共通に使える言語として定着したのです。何の足がかりもないのに英語を採用したわけではありません。

 日本も、200年以上前はふたつ以上の公用語を持っていました。
 現在も日本国内で「国は?」と聞かれれば、「山口だ」とか「新潟だ」と答えるように、江戸時代の私たちの祖先は、それぞれの「藩」や「国」の国民でした(だから「通行手形」といったパスポートもあった)。言語もそれぞれのお国訛りや方言があって、おそらく津軽弁のお婆ちゃんと博多弁のお婆ちゃんは正常な言語コミュニケーションができませんでした。遠く離れていますから、それで困ることもありません。隣りあう地域の方言は類似しますが、両極端を取れば絶対に会話にならないのです。
 しかし同時に、私たちの祖先は全国に共通する言語をもっていました。それは江戸で使われている言葉です。なにしろ参勤交代で武士たちは1年おきに江戸と地元とで暮らさねばなりませんから、自然と二つの言語に精通することになります。多くの人々がお国言葉と江戸言葉のバイリンガルだったのです。
 明治以降もこの伝統は受け継がれ、いわゆる標準語と方言とのせめぎあいが長く続きます。しかし昭和になってテレビの爆発的普及とともに、標準語が方言を一気に圧倒してしまった、それが現在に至る日本公用語の歴史です。
                              
                      (この稿、続く)
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2014/6/20

「男性にもまれ」   言葉

 
クリックすると元のサイズで表示します 妻が「リセット・ポール」という健康用具を購入しました。直径20p、長さ1m20pほどの円筒で、この上に横たわって背骨を伸ばしながら軽く運動をするというものです。なかなか気持ちのよいもので、気分よく運動しながらあちこちの筋肉を揉みほぐしていたら……。
 左胸の脇に近いあたりに何やらシコリがあるのです。それもかなり大きさで長さ6p、直径3pほどの紡錘形といった感じでグリグリしています。昔、左右の胸筋のバランスが悪いなと思ったことがありますから、そのころからのものかもしれませし、もしかしたら最近急に大きくなったものかもしれません。
 筋肉のつき具合(というか衰え具合)をみるために胸を張って触ることはあっても、柔らかい状態で触れるということは一度もなかったのです。

 乳がんのうち1%は男性の発症です。私はそのことを知っていました。本気で心配するような数字ではありませんが年齢も年齢です、やはり見てもらった方がいいかな――そう思ったのが月曜日。
 今の同僚に「マンモグラフィーやるのかな?」「挟むオッパイないだろう、相撲取りじゃあるまいし」などとからかわれながら火曜日に医者に行き、超音波の予約を入れて、その検査が昨日でした。結果はシロ。大きな脂肪の固まりだろうということでそのまま放置です。やれやれ。
 ところで「乳がんのうち1%は男性」を知っていたことには理由があります。

 国語の世界に「なぎなた読み」(または「ぎなた読み」)というのがあります。これは「弁慶が、なぎなたを持って」を「弁慶がナ、ぎなたを持って」と読み違えることで、有名なものでは銭湯の入口に書いてあった「ここではきもの(履物)をぬいでください」を「ここでは着物を脱いでください」と読み違えて裸になってしまったというのがあります。ネットで調べると「風呂に入るか入らないか?」「風呂にはイルカは要らないか?」とか「今日中に、食べましょう」「教授、ウニ食べましょう」とかいくらでも出てくるのですが、私が特に気に入っているのは次の文です。

「乳がんは男性にも稀ながら発見されます」
「乳がんは男性に揉まれながら発見されます」


 これに出会ったとき、本当に男性にも乳がんはあるのかと調べて、先の「乳がんのうち1%は男性」を知ったのです。

 この話は、私が抱えるトリビアの中でも最も気に入っているものですが、学校で披露したことはありません。もちろん「デイ・バイ・デイ」に書いて証拠に残すこともできませんでした。セクハラ疑惑が濃厚すぎますから。
 今は口にすることも文章にすることもできます。セクハラで訴えられても新聞に載ることはありません。

 あのころはそうは思いませんでしたが、今思うと本当に窮屈な世界にいたものです。





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