2021/1/25

「ウサギとリンゴとビタミンの話」〜ウサギの“ミルク”とカンザスの母親が見つけ出したもの  親子・家族


 たった一羽、生き残ったウサギの“ミルク”が突然エサを食べなくなった。
 そろそろ死ぬ準備を始めたのかと思ったら、
 突然、猛烈にリンゴの皮を食べ始め、やがて元気になってしまった――と、
 この話、どこかで聞いたことのあるような気がする。

という話。
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【ウサギはニンジンでアートをつくる】
 三羽いた中で唯一生き残ったウサギの“ミルク”が、最近、リンゴを食べることを覚えました。
 もともと悪食で与えられたものは何でも食べる子でしたが、口のきれいな他の二羽に合わせて、ラビット・フードやらキャベツやらしか与えていなかったのです。

 ところが一羽だけ生き残って、お尻の始末もいいところから部屋の中で放し飼いできるようになってからは、主人(私たち夫婦)の気まぐれでいろいろなものが与えられ、さまざまなものが食べられるようになったのです。
ただし目の前にパンが置かれて戸惑ったこともありました。

 実は私は、ウサギがニンジンを食べるというのは伝説だと思っていたのです。以前、最初に我が家に来たネザーランド・ドワーフの“カフェ”に与えたところ、見向きもしなかったからです。
クリックすると元のサイズで表示します ところがあるとき、大きな生のニンジンを一本、悪食“ミルク”の前にドンと置きっぱなしにしたら、一週間もかけて不思議なオブジェ(右図)を制作し、さらに一週間かけて食いつくすと、あとはニンジンを目の前に置くだけで、すぐに齧りつくようになったのです。これで食のバリエーションが一つ増えました。

 次は何を食べさせようかと考えているうちに、ふと小学生のころ、学校で飼っていたウサギに冬の食料としてダイコン葉の乾燥させたものを与えていたことを思い出し、これも試してみることにしました。
 昔は毛を取って売るためにアンゴラウサギを買う家も少なくなく、学校は日本白ウサギでしたが、沢庵を漬けたあとに残ったダイコン葉を干して冬場の餌として使うことが多かったのです。
 現代の、ぜいたくに慣れた外国由来のウサギが、そんなものを食べるのかと半信半疑でしたが、これもよく食べました。
 そんなふうに毎日おもしろがっていたのですが、そんな悪食大食いの“ミルク”が、先月中ごろ、突然、何も食べなくなったのです。


【“ミルク”、死にかけて自ら治す】
 すでに8歳。人間に例えれば90歳を過ぎたお爺さんですので、そんなに食べなくてもいいのですが、まったく食べないというのは異常です。ウサギなんて、食って寝て、走り回って生涯を送るような生き物ですから、そのうちのひとつが完全に止まってしまうというのは明らかに死ぬ前兆なのです。先に死んだ二羽も、食が細ったというよりも突然食べなくなってそれから餓死するかのように死んで行きました。
 ネットで調べても、「食べなくなったウサギに、飼い主がしてやれることは何もありません。すぐに医者に連れて行きましょう」とあります。そこで明日は病院に連れて行こうと思ったその晩、妻が戯れに与えたリンゴの皮にとつぜん食らいついてとんでもない量を食べ始めたのです。
 まるで狂ったかのように貪り食って、仕方ないので次々と新しいリンゴを剥いて与えるとそれも片っ端食べてしまいます。
 翌日になると食欲はラビット・フーズやキャベツにも向かって行って、2〜3日後にはそれで完全に治ってしまいました
 あれから一カ月以上たった今も、“ミルク”は元気です。


【ビタミン発見の話】
 話は変わりますが、いまから150年ほど前、アメリカのカンザスに壊血病で苦しむ一歳の男の子がいました。なす術のなくなった母親はリンゴを食べさせようと、赤ん坊を膝に乗せたまま皮を剥き始めたのですが、驚いたことにその手から螺旋状に降りてきたリンゴの皮を、赤ん坊が手づかみでむしゃむしゃと食べ始めたのです。
 勘の良い母親だったのですね。病気の子が本能的に欲しがるものは体にいいに違いないと考えさらにリンゴの皮を食べさせると、容態はどんどん快方にむかって行き、野菜やイチゴジュースも加えてバリエーションも増やすと、やがて病気は快癒してしまったのです。
 現在ではビタミンCの不足が壊血病の原因だと分かっていますが、母親は本能的に息子の病気を治す栄養素を理解したのです。

 このときの赤ん坊はやがてウィスコンシン大学で栄養学の研究を始めるようになり、やがて世界最初のビタミンの発見者となります。栄養学史上最大の巨人といわれるエルマー・マッカラムです。
 マッカラムの発見したのはビタミンAでしたが、自分に関する母親の印象深い話を覚えていて、食品に含まれる未知の栄養素について、人一倍強い確信と執着心があったのでしょう。

 我が家のウサギは、もう年齢も年齢ですから将来学者になる可能性はなく、未知の栄養素を発見することもないと思いますが、自らリンゴの皮を食べて病気を治し、主人である私にマッカラムのことを思い出させたという点でとても立派な子です。

 いや立派な子ではなく、立派なお爺ちゃんですが、最近は日向ぼっこをする老人よろしく、ストーブの前で後ろ足を投げ出して眠るという、野性を完全に失った姿で私たちを笑わせています。

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2021/1/22

「子どもの教養そだての総決算」〜教養ある家庭に関する考察あれこれC  親子・家族


 十分な環境を築き、手を尽くし――、
 それで子どもたちの教養や趣味は出身階層を乗り越えることができるのか。
 我が子を使って行った25年に及ぶ研究の結果、
 思いもよらないことが分かった、
という話。
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【書籍が常にそばにある生活は、子どもをどう成長させたか】
 家に数千冊の本をそろえ、2歳のころから10歳になるくらいまで読み聞かせを欠かさず、書籍に使うお金はふんだんに与えてそれで二人の子はどう育ったか。
 結論から言うと、二人とも医者にも学者にも、詩人にも小説家にもならず、書籍に関わる仕事にも就きませんでした。

 それでも娘のシーナは大変な読書家に育ちました。今でもけっこうな量の本を読んでいるみたいです。読書から学ぶことも多く、その点で私たち両親に感謝するとも言っています。近年は私の方が面白い本を紹介してもらって読むことが多くなりました。
 総じて読書家には多いのですが、文章が堪能で長い書きものも苦にしません。シーナのブログは長年の私の愛読書でした(最近は更新がない)。

 しかし本というモノ自体に対する愛着はまったく受け継ぎませんでした。家にいるころは風呂に持ち込んで寝落ちして水没させたり、古新聞の束の上にドンと置いて私に処分させようとして何度も叱られたりしました。最近はもっぱらデジタル版で、紙の本は買っても読み終えるとすぐにメルカリで売ってしまうそうです。

 弟のアキュラは読書家にはなりませんでした。そもそも1万円の図書カードも使いあぐね、使い切っても私の方から声をかけないと新しいものを催促することもありませんでした。
 そう考えると、図書の環境も読み聞かせもまったくムダだったようにも見えますが、私が読み聞かせをしてあげなければこの子はロビンソン・クルーソーもシャーロック・ホームズも知らないまま一生を過ごしてしまったのかもしれません。ですから8年に渡って読み聞かせをしたことに後悔はありません。
 また、大学生になってからは気がつくと専門外の文科系の、びっくりするほど難しい本を読んでいたりしましたから、本のある生活をさせたことはまるっきりムダだったというわけでもなかったようです。


【ピアノは何を育てたか】
 他のこともお話ししましょう。

 シーナには3歳のころから、アキュラには4歳からピアノを習わせ、小学校が終わるまで続けさせました。
 アキュラはピアノなんかちっとも好きになれず、いつもウンザリしていて教室を辞めるときは心から清々しい表情だったのですが、中高生のころ、ときどき思い出してはピアノに向かっていたのはこの子の方でした。

 中学校で勉強や部活との両立ができずに泣く泣くピアノ教室を辞めたシーナの方は、まるで見向きもせずに中高6年が過ぎます。しかし大学に入って音楽サークルに入るとあちこちのバンドから声のかかるキーボードの売れっ子になり、そこで先輩のエージュと会って結婚したのですから何が幸いするか分かりません。
 弟のアキュラも大学でバンドサークルに入りました。ですからギターやドラム、ボーカルの良し悪しといった点では私よりはるかにいい耳を持っているのかもしれません。

 二人ともクラシックには少しの興味もなく、音楽に満ちた生活ということにはなりませんでした。ピアノ教室に通わせた理由が「妻が独身時代に買ってしまったピアノを無駄にしたくない」という極めて親本位の身勝手なものでしたから、結果がこの程度でも満足すべきでしょう。


【子どもの教養そだての総決算】
 ついでですので、子どもたちが良き趣味をもった良き教養人となるために私たちが施してきたその他のこと、および成果について記しておきましょう。

 スイミングスクールには早くから通わせ、小学校の修了まで続けました。そもそもが健康のためと万が一水に落ちても慌てず対処できるようにと始めたものですから、大会に出るような泳力がつかなかったことには不満はありません。 シーナやアキュラの子が小学校にあがって水泳で困ったら、プールに連れて行って教えてあげられる程度でよいのです。また将来、余裕ができてスポーツジムに通うようになったとき、プールで気持ち良く泳いで帰って来られるような子であればいいと思っています。

 絵画は特に教えたり習わせたりしたことはありません。しかし二人ともいい感じ絵を描く子で、しかも美術についてはシーナよりアキュラの方に多少の才能はあったように思っています。
 私は中学校1年生の初め、わずかな期間の美術部員でした。それに最初の授業でクロッキーがすごく誉められ、絵の具を塗り始めたら先生が何も言わなくなった、そこまでの間のことです。フォルムは良かったのですが、色がまったくダメだったのです。

 アキュラはその点、学校の美術の時間に「いくら何でもそれはないだろう」と言いたくなるようなろくでもない対象を選び、しかし色彩はじつに巧みでした。体育裏の倉庫の絵などは、あんなに人工的で灰色一色しかないようなつまらない建物を、ほんとうに上手に描いていました。親で教員の私が、感心するほどです。

 鑑賞の方は――大学生になってから私が東京の美術館に一度さそったら、以後はひとりで通うようになったみたいです。したがって二人でイタリアの美術館巡りに行ったときなど、私よりも丁寧に観るので十分に堪能できました。
 姉のシーナも何回か美術館にさそって、回数としたらこちらの方が多かったはずですが、結局いつまでたっても“お付き合い”の域を脱することがありませんでした。

 あとは――「芸能人格付けチェック」になぞらえて言えばあとは味覚だけですが、これはなか難しいところです。
 妻は料理が堪能で、作り置きもありますから15分もあれば5〜6種類の料理を並べることができます。味もいい(とバカ舌の私が言っても説得力はないのですが)。
 しかし調理の基調は、安い材料、使い残しの材料でいかにおいしく作るかというものですからグルメを育てるのには向きません。おまけに一流料亭どころか街のレストランでさえほとんど行っていないので、高級料理やワインを見分けるといった感覚はまるで育っていないはずです。
 おいしく食べられることはそれだけで価値です。しかし趣味としては「いろいろ食べたい」という意味での「食べるのが趣味」の段階に留まっているようです。


【今が幸せならいいじゃないですか】
 こうして考えてみると、私はかなり熱心に子どもの教養を高め善き趣味の持てるよう育ててきたつもりでしたが、やはり結果は大したことはなかったようです。
 ブルデューの言う通り、子どもたちも自分の出身階層を抜け出ることはありませんでした。でも今が幸せならいいじゃないですか。シーナもアキュラもそれなりに人生を楽しんで生きています。
 そしてここまで考察してきて、私はある意外なことに気づいたのです。

 映画が好き、絵画鑑賞も好き、読書は子どものころから一貫した趣味だった、などと書きましたが、それは間違いだったのかもしれません。

 私の一番の趣味は子育てなのであって、これこそ一番エネルギーも時間も金も使い、そして夢中になって楽しんだ最大のものだったのです。

(この稿、終了)

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2021/1/21

「自分がダメなら子どもを育てる」〜教養ある家庭に関する考察あれこれB  親子・家族


 昔の一般家庭にありがちな、趣味も教養もない普通の家庭に育った私。
 その私がダメなら、自分の子どもにそれなりの環境を与えてみよう。
 そうやって始めた「教養ある家庭」の環境づくり。
 さてどうなるのか、

という話。
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【考えてみたこともなかった友人の家庭環境】
 支配層、資本家、成功者たちは自らの成果を「努力」や「能力・才能」で説明し、そうならなかった人たちを「努力不足」や「自己責任」で片づける傾向があると考えられます。ブルデューやマルクスが決定論に傾くのはそのためで、
「そうじゃない。金持ちが金持ちなのは金持ちだったからで、キミが教養人なのはそもそも教養人の家に生まれ育ったからだ」
と言いたいのです。
 しかし現実の社会、例えば日本社会は、そこまで硬直化しているわけではないでしょう。

 私は高校生の時、のちに医学部に進んで医者になる年下の友だちの家に行って、そこに膨大な書籍があることに驚かされたことがあります。友人のものではありません。父親の本です。
 お父さんは何代も続く老舗旅館の婿養子で、稼業の切り盛りはほとんどお母さんがやっていましたから、本人は生涯、本を読んで遊び暮らした、そんなふうだったのかもしれません。
 もちろん彼が医学部に行くのは相応の地頭があったからでしょうが、それにしても家に本が大量にあって、父親が常に読書をしているような雰囲気の中で育てば、勉強に向かう姿勢も異なってくるでしょう。
 私が「ウンコラショ!」と重い腰を上げて勉強机に向かうのに比べたら、最低でも1割か2割引きの軽さで勉強を始められたに違いありません。なにしろ夕食が終わったら親から率先して机に向かう家なのですから。
 こうして田舎の旅館から一人の医者が生れます。さらにその友人がうまく子育てをすれば、そこから1階層、上へと昇っていくこともあったのかもしれません。


【本のある家庭の創造】
 私は子どものころから、読書も好きでしたが「本」という物体そのもの好きでした。美しく装丁された書籍はそれ自体が美術品ですから、手に入れるだけでもうれしかったのです。

 本は不注意に前から読み進むと読み終えたときに背が斜めに傾いてしまいます。そこで購入するとまずカバーを外し、後ろの方から2ページぐらいずつ丁寧に広げていきます。2ページずつというのは単に1ページだと時間がかかるからで、それをページ数の半分以上のところまで進めておきます。それから最初に戻って前から順に読み進めると、終わったときには背はきちんと丸くなっているのです。

 一冊読み終えると最後のページに読了日を記入し、ドンと蔵書印を押します。それからブックカバーが汚れないようにブックコートフィルムを貼り、最後に書棚に丁寧に入れます。そこまでが私の読書です。

 教員になってからは忙しくてなかなかそこまではできなくなりましたが、書籍自体が大切という気持ちは変わらないので一冊も捨てられません。したがっていつの間にか本棚も10台を超え、仕事部屋はかつて見た友人の自宅と同じようなものになりました。
(ただし書棚は組み立て式のスチールですし、文庫や新書がやたら多いので見た目はだいぶ貧相です)


【私自身の子どもの読書環境】
 子どもの読書環境には気を遣いました。
 二人の子には落ち着いて話が聞ける年頃から、本人が「もういいや」と言うまで、寝る前の読み聞かせを欠かしませんでした。一緒に布団に入って一冊ずつ読んでやり、そのあと一緒に眠りにつくのです。結局二人とも小学校4年生まで私の隣にいました。
 学校の持ち帰り仕事は朝3時に起きで行います。それはそれで締め切り(出勤時刻)のある仕事ですのでかえってはかどり、便利でした。

 書籍代はケチな私の家庭では唯一の例外で、私は自分にも甘かったですが子どもたちにはさらに甘くしました。中学生くらいになると1万円の図書カードを渡し、なくなるとすぐに補充してあげます。1万円といっても単行本1冊で二千数百円もしたりしますからあっという間です。
 上の女の子は困ったことに参考書マニア、かつ問題集のつまみ食い症でしたから大変な量の無駄が出ましたが、特に口出しはしませんでした。言えば切りがありませんし、始終監視しているわけにもいきません。買ったものを見比べて「こっちでいいだろう」とアドバイスするだけの時間もエネルギーもないのです。放置しました。

 下はオタク系男子ですから図書カードが全部マンガやフィギュアに化けてしまう危険性もありますし、そもそもカード自体が現金化される可能性もないわけではありません。しかしこれも覚悟を決めました。その程度は信じてやらなくてはなりませんし、実際に信じてよかったと思っています。したがってこちらも言われるままに追加して放置。
 根拠は双方とも、こちらの能力として管理しきれないことです。

 さて、そこまで手を尽くして読書環境を整えられた子どもたちはどう育ったか、ブルデューの軛を逃れることができたのか――。
 それについては明日、お話しします。

(この稿、続く)

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2020/12/16

「家族がもたない」〜コロナ禍のもと、年末年始をどう過ごすか  親子・家族


 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。
 一方でコロナ感染に神経質な人もいれば、他方に能天気な人がいる。
 ほとんど感染者のいない田舎で戦々恐々としている人々がいるかと思うと、
 都会では毎日飲み歩いているバカがいる(と田舎人は感じている)。
 こんな状況で帰省が規制され、家族がもたない――。

という話。
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(写真:フォトAC)

【痴呆が進みそう・・・】
 高校時代の同級生で、大人になってからはふた月にいっぺんずつ会って飲んでいた友人たちと、もう4カ月も会っていません。というか、この一年間で会ったのはたった一回でした。

 1月の新年会を当番の勘違いで流してしまい、3月の当番はきちんとやろうとしたのですが新型コロナの第一波で流会。5月は私が当番で6月初旬まで粘ったのですが感染が落ち着かず断念。7月の当番は何とか実施にこぎつけたものの、9月の当番は早々に断念(これには批判が集まった)。11月の当番もさっさとやめてしまい、忘年会の係はやる気満々だったのですがさすがに巨大な第三波に飲み込まれて流会。
 2021年の新年会の係も早々に中止を伝えてきたのですが、「2月でもいいので、もう少し様子を見よう」と要求する声もあって、現在、少々もめているところです。

 考えてみるとこの数カ月、買い物での店員とのやり取りや電話でのさまざま勧誘を除けば、私は毎日会っている母と妻以外とはまったく会話をしてこなかったことになります。
 そんなことがこのさき半年以上も続くのでしょうか?

 年寄りには「きょういく」と「きょうよう」が必要だと言います。「今日、行くところ」「今日やる用事」のことです。しかし行って黙って仕事をして、黙って帰ってきても大した刺激にはなりません。「人間」は「人との間」が生命線ですから、言葉を交わしてこそナンボなのです。
 今回のコロナ禍でデイサービスなどに通えなくなったお年寄りや、家族と会うことのできなくなった施設の入居者に、深刻な認知症の進みがあると言います。さもありなんと思います。

 さて、
(いま私は腹の底から溶岩のようにせりあがってくる怒りを抑えながら話しているのですが)
 先日、東京で飲食店の10時までの時短営業が始まったというニュースを見ていたら、そのことを忘れていた若い女性3人組が居酒屋の入り口で断られている場面が出て来ました。直前は同じ店でラストオーダーを頼む男性の映像でした。
(プチン←頭の中で何かがキレた音)

 私は叫びたい!!
 直近1週間の10万人あたりの感染者数が0・39人しかいない田舎の都市で、私たちがこんなに気を遣っているというのに、東京のど真ん中、10万人あたりの感染者が23・8人もいる場所で、オマエたちはいったい何をやってるんだ!!


【都会人が疎ましい】
 これは妻の目撃談ですが、先日、信号待ちで前の車を見たら、テールランプ横に不釣り合いに大きなステッカーが貼ってあって、読むと、
「東京ナンバーですが、住民票も移した○○県の住民です」
と書いてあったそうです。ひところ県外ナンバー車は傷つけられるという噂があり、そのための対策なのでしょう。

 観光収入は大切なので都会人に来るなとは言いませんが、さっさと来て、さっさと金を使って、さっさと帰ってほしいと本気で考えている人も少なくないでしょう。さらに言えば、金を落とす見通しのない来訪者、具体的に言えば帰省する学生、里帰りの子どもたち・孫たちは、とりあえず今年は帰って来なくていいと思っている人も少なくありません。
 親が自主的に子に向かって「来るな」というのはかまいませんが、社会の目として都会に親せきをもつ家庭に冷たい目を向けるのは問題です。
 けれど「問題です」と言えば冷たい目がなくなるわけではなく、私自身が、
「都会の飲み屋街で毎晩飲み歩いているアイツらはなんだ」
と思うくらいですから実際に都会人を煙たく見る目はあるのでしょう。
 もちろん田舎の繁華街にも飲み歩く人はいますが、こちらはまだ10万人あたり0・39人というレベルです。どう考えてもそう簡単に感染したりはしません(という言い訳が発動します)。


【意識はあまりにも違う】
 一方、東京に住む娘のシーナの話を聞くと、あちらの雰囲気はだいぶ違うようです。
 東京といっても多摩の外れですので10万人あたりの感染者も12人程度。渋谷あたりでインタビューを受けているサラリーマンですら、「同僚にも知り合いにも感染者が出たという話がないので、何かピンときませんねぇ」と答えるくらいですから、多摩などコロナのどこ吹く風――といった感じで、実感としての危機意識などさらさらないようなのです。

 考えてみれば4月の緊急事態宣言で新宿や渋谷がゴーストタウンみたいになった日から9カ月あまり、その間、完全に気を緩めた日は一日もなかったわけですから緊張感の持続しようがありません。

 しかも、私の街からみれば東京は60倍以上も危険(23・8÷0・39)ということになりますが、「10万人あたり23・8人」は「100人当たり0.0238人」。つまり誰と会ってもその人が感染している確率は0.0238%しかないのです。これでは普通に生活していては濃厚接触者になることすら難しい――危機感の薄れるのも無理ありません。

 「最近は特に家庭内感染が中心になっている」という情報もありますが、おそらく家庭にウイルスを持ち込んだ人たちには共通の特性があるはずで、「外飲み」が好きだとか会食の機会が多いとか、あるいは仕事上不特定多数と接触せざるを得ない人とか、こういった人々は濃厚接触者になる確率は高く実際に感染する人も多いでしょう。
 けれど正反対の人だっています。

 ああ、何を私はくだくだ言っているのでしょう?


【家族がもたない】
 県のサイトを見ると正月帰省について、
「できるだけ同居の家族で穏やかに過ごしてください」
「帰省に関しては、特に感染拡大地域からの帰省や、重症化リスクの高い方の家への帰省は、十分に慎重な判断を」

とあります。
 慎重な判断を――そうこうしているうちに弟のアキュラの住む熊本県も昨日の段階で10万人あたり10・87人。シーナの住む街とほぼ同等の感染拡大地域になってしまいました。そのうえ私の県の一部では、東京全体をはるかに上回る感染地域まで出てきています。
 どうしたらいいのか?

 答えはもちろん分かっています。「誰も動くな」です。
 しかし5歳の孫のハーヴはまだしも1歳のイーツなどは3カ月会わずにいたら別人です。息子のアキュラとは10か月以上も会っていません。
 93歳の母は最も重症化リスクが高く、とてもではないがありませんが孫たちに会わせるわけにはいかないという考え方もありますが、一方、いま会っておかなければコロナ以外の理由で死んでしまう可能性だって十分にあるのです。

 何か本当に、このままだと家族がもたない気になってきました。

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2020/12/15

「ひきこもりのための第三の男と応援小人」〜クローズアップ現代+「“こもりびと”の声をあなたに」よりB  親子・家族


 何でも子ども優先に考えればいいというものでもないだろう。
 中にはとんでもない要求だってある。それは絶望からの叫びだからだ。
 もう親にできることはない。
 ここに至って必要なのは、第三の男と応援小人である。

という話。
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(写真:フォトAC)

【親もたまったものではない】
 先週9日(水)のクローズアップ現代プラス(以下「クロ現+」)「“こもりびと”の声をあなたに〜親と子をつなぐ〜」に登場する当事者たちは、自分の非は語らず親のことばかりを非難しているように見えます。
「中学時代、学校を休みたいと親に伝えたところ、父親はその理由も聞かず、車に乗せ、学校に連れて行きました」
「面接に行って何回も落ちても、『お前が悪いんだ』『何でこんなこともできないんだ』ということも言われました」
「なんで私を生んだんだとも思いましたし、それでも一人の娘として、認めてほしかった」
「(一番絶望的な気持ちになったのは靴を買うという)親との約束を守ってもらえなかったときですよね」


 クロ現+ではないのですが類似の非難で記憶に長く留めているのは、30歳代で家庭内暴力のあるひきこもり男性の言葉です。
 みんなお前たちが悪いんだ! お前たちのせいだ! 
 お前たちのおかげで、オレはこんなふうになっちまっている。
 友だちもいない、学歴もない、何の知識も経験もない。こんなんでどうやって世の中に出ていけるというんだ。
 お前たちはなぜあの時――オレが学校へ行きたくないと言ったとき、首に縄をつけてでも学校へ連れて行かなかったのだ、学校へ行くことがどんなに大事かって教えなかったのだ。
 まさかお前たち自身が分からなかったというわけじゃないだろう。
 本当に愛情があったなら、子どもを学校に行かせるなんて絶対にできたはずだ。オレに泣いてすがってでも行かせようとしたはずだ。
 それをしなかったということは、結局オレのことなんてどうでもよかったってことだ。自分たちが可愛いくて、それでオレを放ったらかしにした。
 それでも親か!? それでも人間か!?
 いったいどういうつもりでオレを産んだんだ? どういうつもりでこんな人間に育てたんだ!?


 9日のクロ現+は、ひきこもりの子をどう理解するかという立場からの構成でしたから子を非難するような発言は出て来ませんでした。しかし親からしたらたまったものではないでしょう。
 一方に、
「学校を休みたいと親に伝えたところ、父親はその理由も聞かず車に乗せ、学校に連れて行きました」
と言う女性がいて、他方に、
「なぜオレが学校へ行きたくないと言ったとき、首に縄をつけてでも連れて行かなかったのだ」
と叫ぶ子がいるのです。いかに答えのない問題とはいえ、これでは動きようがありません。しかも取り返しのつかない時期になってこんなふうに言われるのです。


【一人では担いきれない絶望】
 ただし親を非難するこの人たちも、自分が理不尽な要求を突き付けていることに自覚がないわけではありません。もう大人ですから十分に分かっているのです。

 それにも関わらずこんな言い方しかできないのは、彼らの背負っているものはあまりにも重く、分かっていても誰かに一端を背負ってもらわなくては押しつぶされてしまうからです。
 彼らはまさに、
友だちもいない、学歴もない、何の知識も経験もない。こんなんでどうやって世の中に出ていけるというんだ
という状況にいるのです。“未来”がまったくない。
 重荷の一部を背負ってもらうとしたらそれはもう親を除いては他にいません。学校の先生や友だちのせいにしてもいつまでもつき合ってくれるわけではないからです。
 ただし親のせいにしてもどこかに突破口が見えてくるわけではありませんし、親が妙案をもっているわけでもありません。
 どうしたらよいのでしょうか。


【第三の男】
「完全に煮詰まっている以上、ひきこもりが長期化した家の親に、できることはない」
――まずはそう覚悟をすることが大事かと私は思います。何とかなる可能性はゼロでありませんが、昨年(2019年)の元農水省事務次官による長男殺害事件のような極端な選択になる可能性も少なくないからです。

 親にできることがなく子が八方塞がりだとすると、あとは他人を入れるだけです。9日の「クロ現+」で5番目にインタビューを受けた母親は行政やNPOをくまなく訪ねても支援の窓口がなかったと嘆きますが、それでも諦めずに探すしかないでしょう。一度はダメだったとしても状況が変われば受け入れてもらえるかもしれません。
 悪名高い「引き出し屋」は論外ですが、きちんとした民間の自立支援施設もあるはずです。本人が行く気になったらすぐに対応できるよう、自分の目で見て確認しておくことも必要でしょう。

 問題は本人が“普通に生きていく道筋”をまったく思い描けないでいるということです。NHKドラマ「こもりびと」では、主人公が密かに行政書士や精神保健福祉士といった資格を取ろうとしていましたが、資格を取ったところで実際の活動となると人づきあいのハードルの高さに変わりはありません。
 それよりも「友だちもいない、学歴もない、何の知識も経験もない」状況でも生きていける道筋があれば、そちらを先に探すべきでしょう。

 ファイナンシャルプランナーの診断の結果、親に多少の蓄えがあり持ち家さえあれば年収(月収ではない)40万円でも死ぬまで生活していけるという話は、それだけで私たちに勇気を与えます。
2018/5/24「人材は目の前にいる」〜家庭問題のコロンブスの卵2) 

 あるいは「クロ現+」で靴を買ってもらえなかった男性が保健所の支援を得て親子関係を組み直し、アパートで一人暮らしを始めるとともにNPOなどで働き始めたといった話も参考になるでしょう。
 NHKドラマ「こもりびと」でも、膠着した親子の関係に主人公の姪(父親にとっては孫)が割り込むところから事態は動き始めました。

 いずれにしろ小さな一歩、小さなステップを踏み出す力を、第三の人に与えてもらうのが可能性のある唯一の道のようです。

 もちろんだからと言って親が手を引いていいというものではありませんし、その後も長く見守っていく必要があります。
 いつまで?


【応援小人の話】
 先週12月8日、私はこのブログで次のように書きました。
 子育ても生徒指導も大切なのはいざというときの対応ではありません。どうでもいいときにどれだけ愛情を降りかけ、心を耕しておくかです。やり方がわからなければとりあえず言葉をかけておきましょう。
「お前が可愛い」「お前が大事」「世界で一番大切なのがお前」――。
「お前はすごい」「大したものだ」「ほんとうに感心する」――。

『「言葉の中和法と愛情貯金の話」〜NHKドラマ「こもりびと」を観てF』) 
 ところが同じころ、私の娘のシーナは自身のSNSにこんな書き込みをしていました。
 結局、どんなときも
「大丈夫だよー、それでいいよー、十分よくやってるよ〜、そんなあなたが大好きだよ〜」
って言ってくれる自分が、自分の中にいるか?っていう、それだけなんだけど


 親はいつまで見守ればいいのか。
 それは親ではなく、子どもの心の中にそんな自分を応援する「応援小人」が働き始めるまでです。

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2020/12/14

「子どもじみたあの人たちに未熟な印象がない」〜クロ現+「“こもりびと”の声をあなたに」よりA  親子・家族


 先週9日(水)のクローズアップ現代プラスに登場したひきこもり当事者たち。
 彼らのことがまた理解できなくなってきた。
 彼らの言っていることは一見あまりにも幼い。していることも子どもじみている。
 それなのに“未熟”という印象がまるでないのだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【濃密な親子関係――自分はどうだったのか】
 先週9日(水)の「クローズアップ現代プラス(以下「クロ現+」)「“こもりびと”の声をあなたに〜親と子をつなぐ〜」を見て、最初に感じたのは「自分はこんなに濃密な親子関係を持ったことがあるのか」ということでした。

 父は私の覚えている限りいつも忙しい公務員で、家でゆっくりしていた記憶がありません。もちろん定年退職後は比較的ヒマでいましたが、そのころになると私の方が大人でしたから親子はあまり意識しないで済んだという事情もあります。一緒に住んだのは18歳の高校卒業までと20代最後の1年間だけ、それもあっという間でした。
 また、私は世間でいう“よい子”でしたから葛藤も生まれにくかったのかもしれません。

 自分自身が父親として子どもとの関係はどうだったかというと、これもあまりねちっこいものではありません。私は“我が子”という以上に“子どもそのもの”が好きでしたから関わった時間は平均よりはるかに多いはずですが、葛藤の記憶はあまりないのです。もちろん“葛藤”は一方だけが感じることもありますから、シーナやアキュラが何らかの屈託を抱えた時期のあった可能性も否定できません。
 機会があったら訊いてみましょう。その上で「クロ現+」に出てきた女性のように、
「なんで私を生んだんだとも思いましたし、それでも一人の娘として、認めてほしかったという気持ちもあった」
というような話が出てきたら根本から考え直さなくてはなりませんが、基本的に私についてはあんな濃厚な親子関係はありませんでした。おそらく一般的にもそうたくさんあることではないでしょう。子どもが小さなころならまだしも、ある程度の年齢になったらあれほど激しく親を追及し、親を恋うることもないと思うのです。


【“人のせいにしない”が精神的自立の指標】
 子どもの「精神的自立」について、私はかなり頑固な信念を持っていました。それは、
「自らの責任をきちんと引き受けることができるようになること」
というものです。もちろん反対側には「取る必要のない責任に対しては毅然として拒否できるようになること」というのもありますが。

 これは一種の指標で、精神的自立のできていない人間は簡単に割り出すことができます。何かあるとすぐに他人のせいにするのです。特に親のせいにする。
 したがって教師としての、あるいは親としての私の指導の中心は、自然と“責任の所在を明らかにすること”に傾いていきます。
 簡単に言ってしまうと「誰のせいかはっきりしろ」ということです。

 実は自分がそうした指導をしていることに気づいたのはずいぶんと後のことで、小学校のクラスで子どもと雑談めいた話をしている最中、何かを他人のせいにしかけた子どもに対して別の子が「誰が悪いんだ!」ときつ目に言ったときのことでした。あまりの勢いにびっくりしていると、自らフォローして「――と先生の口癖」とかわします。それで気づきました。


【重すぎる責任やお門違いの責任は負わせない】
 もちろん子どもたちの責任を追及するということは、大人としての自分の責任もきちんと追及するということですから、謝るべきところは平謝りに謝ります。それで五分の対応ができます。
 また、
「取る必要のない責任に対しては毅然として拒否できる」
がもうひとつの目標ですから、本人の責任ではないことや子どもには背負いきれない大きな責任を負わせないようにすることも原則です。

 話の流れを少し乱しますが、その意味で不登校に関して、
「学校に行かないという本人の選択を大切にしてやる」
という言い方には強く抵抗します。
 学校に行かないことによる利益もその子のものですが、行かないことによる不利益もすべて背負わなくてはならないとしたら、それはあまりにもかわいそうでしょう。

「クロ現+」の女性の父親のように、
「面接に行って何回も落ちても、『お前が悪いんだ』『何でこんなこともできないんだ』ということも言われました」
というのもダメです。面接に落ちるのは必ずしも本人の責任ではありません。「こんなこともできない」のは、父親がきちんと指導してこなかったからです(ということもあります)。
「責任をきちんと引き受けることができる子」を育てることが目標なら、その責任の重さをコントロールするのも親や教師の大事な仕事になってきます。


【子どもじみたあの人たちは未熟な気がしない】
 話がだいぶ遠回りになってしまいますが、私が9日の「クロ現+」を見て非常に戸惑ったのは、そこにある“激しく親を追及し同時に恋うる親子関係の濃密さ”が、まるで5歳児のそれと同じだと感じたからです。何かの失敗をしたときに「だってお母さんが〇〇したんだもの」と泣き叫ぶあれです。
 すこし年かさになってから、
「いま勉強しようと思っていたのにお母さんが言うからやる気がなくなった」
などと言うのも同じです。

 クロ現+に出てきた36歳の男性の、靴を買う約束をしたのに忘れられたからひきこもることになったというのはまさにそれで、ダダをこねているのでなければイチャモンの類です。それがどんなに大切な靴だったかと力説しても、最初に言っていなかったのだからダメでしょう。そのあたりのやり口も子どもっぽい。

 しかしだからと言って「クロ現+」に登場したひきこもり当事者は“未熟”だという感じはしません。 何でも親のせいにするのは精神的自立ができていない証拠だとも言いましたが、それも違う感じです。
 ではなぜあんな子どもじみた言動になるのでしょう。
(この稿、続く)

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