2019/12/23

「大人の相談はどこに持って行けばいいのか」〜人生の最期をきれいに終わらせるために  親子・家族


 今年起きた老人による二つの大きな事故・事件。
 「東池袋自動車暴走死傷事故」と「元農水事務次官長男殺害事件」。
 もちろんよそ事ではないが、我が身に置き換えたとき、
 どう対処したらよいのか。

という話。
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(「夕空と木の側のベンチと老人」パブリックドメインQ より)

【心配で母を温泉に連れていけない】
 夜は一緒にいるのですが、日中は独り暮らしをさせている92歳の母が“退屈で仕方ないから温泉に連れて行ってほしい”と言います。しかし私は言を左右にしてはっきりした返事ができないのです。
 現職の教員で土日も忙しい妻が、合間をみて一緒に行ってくれるならいのですが、私一人では連れて行く気になれません。一度やって懲りているからです。

 どう懲りたのかというと、男湯で湯船に浸りながら、隣から聞こえてくる女湯の会話や物音になんとなく耳を傾け、母が誰かと話す声が聞こえたり桶がタイルに当たる音や蛇口から流れる水の音が聞こえている間はいいのです。それがひとたび止んで何も聞こえなくなり、静けさが延々と続くと気が気ではなくなります。母は20分や30分で上がってしまう人ではありません。脱衣場に向かったのではないとしたら、この静けさは何なのか?

 たまらず上がって着替えると旅館の仲居さんを探して女湯の様子を見に行ってもらいます。
 本気で心配していたわけでもありませんが一抹の不安を抱えながら待っていると、戻ってきた仲居さんは「気持ちよく入浴しているようですよ」とのこと。思った通りですが、やはり不安はぬぐい切れない。
 それから20〜30分しても、それでも出てこないのでまたさんざん迷った挙句、再び仲居さんにお願いして行ってもらうと、
「今、着替えて出てくるところです」
 それでようやく一息つけます。

 心配の中身は単純ではありません。
 もう92歳ですから急死ということがあっても仕方ないのですが、その歳で全裸で発見されるのも気の毒ですし、倒れて頭でも打って、血を流すような状況だったら誰が後始末をするのか――。
 血を洗う仕事が嫌だというのではなく、女湯に入るのがはばかられるのです。実際問題として、倒れた母に対応している間は、風呂の清掃といった仕事はできません。
 母の最期が“さんざん人に迷惑をかけ、嫌な思いをさせて――”といったものになることは、できれば避けたい――それが一番の願いなのです。

 その気持ちは8年前に死んだ父が、最後まで運転したがって困ったときと同じです。人を死なせるような大きな事故はもちろん、自損で怪我をする程度であっても、
「その歳で、何を考えての運転だ」
と後ろ指をさされるような晩年を送らせたくなかったのです。


【人生の最期をいかにきれいに終わらせるか】
 今年、その意味で深く考えさせられた事件が二つありました。
 ひとつは4月に起こった元経産省官僚による、いわゆる「東池袋自動車暴走死傷事故」。
 もうひとつは、つい先ごろ一審判決の出た、これもいわゆる「元農水事務次官長男殺害事件」です。
 ふたつとも“功成り名遂げた人生”の、最後に大きな汚点をつけた取り返しのつかない事故・事件でした。

 前者についていえば事故後のインタビューで加害者男性は、
「体力に自信はあったが、おごりもあった。安全な車を開発するようにお願いしたい」
などと語ってバッシングを受けましたが、そもそも自分のことを棚に上げてしゃべる傲慢な人だったのか、加齢による判断能力の衰えから場にそぐわない発言をするようになったのか――昔の様子を知らない私には分からないことです。

 事故以来、全国で高齢者による運転免許返納が相次いだと言いますが、一方、同じ時期に起こった高速道路の逆走事故では、運転者が免許を返納したこと自体を忘れてしまっていて、この問題の一筋縄ではいかない難しさを世間に知らせました。

 私は後期高齢者ではないのでまだ少し余裕はありますが、将来、こんな片田舎で車のない生活を送ることを考えると、かなり憂鬱です。歩いて行ける範囲にスーパーマーケットもショッピングセンターもありません。友だちに会いに行くこともできない。
 そんな環境で、しかもまだ判断力や運動神経にある程度の自信がある場合、それでも後期高齢者だからといって免許を手放せるのか、手放したとしてあとをどうするのか――今から徐々に考えていかなくてはならないと思っています。


【自分が殺されて子が殺人犯になるか、子を殺して自分が殺人者となるのか】
 元農水省事務次官による長男殺害事件はさらに深刻な問題を私たちに突きつけます。
 裁判では弁護士の勧めもあったのでしょう、長男に殺されかかった被告がとっさに包丁を手にした突発的な事件とされましたが、私は覚悟があっての計画的殺人だと思っています。

 被告は逮捕直後、川崎市で起こった登校中の児童等殺傷事件に触れて、
「長男が近所の小学校の運動会の音を聞いて『ぶっ殺す』と言ったのを聞き、長男が危害を加えてはいけないと思った」
と語っていました。それが事実なら、十分な殺害動機と言えるはずです。少なくとも私にとってはそうです。

 息子が大量殺人の加害者となって自殺または逮捕されるか、自分が殺されて息子が殺人犯となるか、息子を殺して自分が殺人犯となるか――選択肢が三つしかないとしたら私も間違いなく三番目を選びます。自分の子の不始末は自分で責任を取らなくてはなりません。

 裁判は選択肢が三つしかなかったわけではなく、専門家に相談するなどいくつもあったことを指摘して被告に実刑を課しました。妥当な判決と言えます。
 しかし“あの時点ではそんなこと思いもつかなかった”という想いも、被告にはあったのではないでしょうか。
 専門家を探しているうちに誰かが殺されてしまう――そこまで切羽詰まった状況だったように思うのです。
 

【大人の相談はどこに持って行けばいいのか】
 二つの事件は、高齢ドライバーを抱える家族、大人の引きこもりを持つ家族、家庭内暴力の子を持つ家族、“発達障害の診断を受けた”とさかんに報道されましたから発達障害の子を持つ家族――そういった家族を恐怖のどん底に叩き込みました。それでいてマスコミは「一刻も早く専門家に相談するように」くらいの助言しかしません。

 対象が子どもの場合はまだましです。学校もあれば児童相談所もあり、警察の生活安全課や少年育成課など、相談するところはいくらでもあります。しかし大人相手となると、パッと思いつくのは精神科くらいなものです。

 どこに相談に行けばいのか、行けば確実に対応してくれるのか、そういった情報があまりにも少ない。やはり私自身がきちんと調べて、いつでも対応できるようになったり、場合によっては「どこに相談に行けばいいのか」などに答えられるようにしておかなくてはならないのでしょうね。



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2019/11/27

「死に逝く者にも義務がある」〜カフェは月に逝ったB(最終)  親子・家族


 金曜日の深夜に倒れて 4日かけてウサギは死んだ
 時間に余裕のあった分
 家族として できるだけのことをしてあげることができた
 私もそんなふうに 程よく病んで 程よく迷惑をかけ
 きれいに死んで行きたいものだ

という話。
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(シーナの結婚式の引き出物に添える写真のために、ウェディングベールをかけられたカフェ《オスなのに》4歳のころ)
 
【カフェを飾る】
 予感通り、カフェは私のいない時間を選んで月に逝きました。

 私にはカフェが死んだらこうしてやろうと決めていたことがあります。それは糞にまみれた体を洗ってやることです。
 カフェが冷たくなっているのを確認するとすぐに洗面所に連れて行き、お湯で下半身を温め、こびりついた糞を指でほぐしてひとつひとつ剥がしました。思った以上に大変な仕事でした。中には石のように固い粒もあったからです。
 それからシャンプーで洗ってリンスをし、ドライヤーで乾かし始めたのですが、これもびっくりするほど大変で、30分以上かけても十分に乾いてくれません。豊かな毛が風になびかない。それでもめげずに結局40〜50分もかけて元のふさふさな姿に戻しました。
 濡れていた時は切ないほどに痩せて見えた姿も、ようやく丸々とした感じに戻すことができたのです。

 お棺は特別なものを用意するのではなく、本来の飼い主であるシーナが買った靴の空き箱を使い、妻がレースで飾ってその中に横たえるようにしました。
 シーナが一番寂しい時、そばにいて慰めてくれた友だちです。親としてできるだけのことをしてあげなくてはなりません。


【最後の見送り】
 三日後、私たちは市の葬祭センターでカフェを火葬に付しました。奇しくも一年前のココアと同じ、雨の中でした。
 直前になって急に思い立ち、シーナに「TV電話で立ち会うか?」と問い合わせたのですが、あいにく第二子のキーツの予防接種で病院にいたのでそれはかないませんでした。シーナはその日までさんざん泣いたので、それ以上の苦痛も必要なかったのでしょう。
 天の差配に間違いはありません。

 遺骨は持ち帰らないことにしました。
 合葬される他の動物たちも、みんな葬祭センターで火葬にしてもらうほど大事にされてきたペットです。一緒に葬られるのも幸せでしょう。
 こうしてカフェと暮らす日々は終わったのです。


【ピンピンコロリの話】
 話は変わりますが、昨年の秋、私の叔母が91歳で亡くなりました。8年前に死んだ父の妹です。
 叔母は朝、新聞を取りに行った玄関先で倒れ、救急車で病院に運ばれたのですが、そこからすっかり元気を取り戻し、それでも念のため一晩泊まろうとした深夜、容態が急変して亡くなったのです。
 死ぬ1時間前まで翌日会うことになっていた友人のことを心配し、息子たちに連絡を依頼していたのにも関わらず、です。その息子たちが自宅に戻ってまだ靴も脱がないうちに病院から連絡があって、再度駆け付けると叔母はすでに息絶えたと言います。典型的な「ピンピンコロリ」です。

 その話を聞いて母が、「本当に羨ましい、あんなふうに死にたい」と言いますが、どんなものでしょう。苦しまずに済むのですから本人はそれが一番いいのでしょうが、残される側は簡単ではありません。
 突然の死に戸惑はなかったか、もっとああしておけばよかった、こうしておけばよかったと悔やむことはなかったか――。


【程よく病んで、毅然と死ぬ】
 8年前に88歳で亡くなった父は、最後の1週間を病院で過ごし、4日目からは意識のない状態でそのまま逝きました。
 母は一週間泊りがけで看病し、その母を休ませるために弟は勤務の終わった夕方から9時ごろまで、私は午前3時から出勤時刻までを病院で過ごしました。特に母は大変でしたが、それとてたった一週間のことです。

 ウサギと一緒にしては父に申し訳ないのですが、昨年死んだメスウサギのココアは半年も病院通いをした挙句、一カ月ほど食事を摂らなくなって最後は私のいないときにあっけなく逝きました。あっけないと言ってもそれまでに十分覚悟する時間はあり、世話もいつもより丁寧にできました。
 
 父もココアも今回のカフェも、皆、“程よく病んで”“程よく苦労をかけて”死んで行ったのです。それが私にはありがたかった。

 葬儀の席では「お悔やみ申し上げます」と言いますが、あれは「どんなに手を尽くしたとしてもやはり悔いは残る。ああすれば良かった、こうすれば良かったという悔いを、私もあなたと共有しましょう」という意味です。
 しかし父の時も、2羽のウサギについても、私は大きな悔いを残さずに済みました。

 ピンピンコロリはひとつの理想ですが、私は1週間くらい“程よく迷惑をかけて”死んで行きたい。
 そしてココアが最後は毅然とした姿を見せたように、さらにはカフェが自分の体を少しでもきれいにしようと糞をかじり取ったように、きちんとした姿で死んで行きたいものです。
 それが今回、カフェの死から学んだことでした。

 ケージの金網から指を差し入れると、頭を寄せて撫でてもらおうとしたのはカフェだけです。メスのココアはいつも一歩下がって喉を鳴らし、挑戦的に身構えて今にも飛びかかりそうでした。のんびり屋のミルクはたいてい尻をこちらに向けて気がつかないフリをしています。
 三者三様、どの子がいなくなっても寂しいですね。
 
(この稿、終了)



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2019/11/26

「暖かな陽だまりに包まれたように」〜カフェは月に逝ったA  親子・家族


 最初の危機から一カ月余り ウサギの死は目の前に迫った
 しかし命は簡単には消えない
 死ぬためにもやらなければならないことはあるのだ
 それがどんなにたいへんでも

という話。
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(カフェ=4歳のころ)

【ついにその時が来た】
 普段、私は夜の時間を実家で過ごしています。
 介護というほどではないのですが、92歳にもなる母親ですから一日一度は様子を見ないと心配なのです。車で20分ほどの実家へ、夜、出かけて少し話をし、一晩泊まって用を足して翌朝帰るという生活をもう7年も続けています。

 先々週の金曜日の夜も玄関でカフェの鼻をツンツンとつつき、ミルク(もう一匹のオス)に声をかけて実家に向かいました。いつもと同じです。
 翌朝、目覚めて携帯をチェックすると妻からLINEメッセージが入っています。ケージの中で横たわるカフェの写真が貼ってあって、
「いよいよみたい😢
 凄く苦しそう
 のたうちまわっているって感じ
 何もできないけど、このままでいいのかな
 勝手に、涙が止まらない」

 見ると夜中の1時過ぎのメッセージです。もう3時間以上過ぎていることになります。

 昨年メスのココアが死んだときも同じタイミングで、私が自宅を出たあとで息を止め、その時は深夜でもなかったので直接妻と話をしてその死を知ったのでした。今回はまだ息のあるうちの連絡だったことや私が朝まで気がつかないという点で違いますが、何となく予感はありました。

 母は父の死に間に合わず、妻は大好きだった義姉の死に間に合いませんでした。いずれも直前まで誰よりも熱心に看病していたにもかかわらずです。
 ですからおそらく、ココアのときと同じようにカフェも私のいない時刻を選んで死ぬだろう、そんな気がしていたのです。
“やはり、そうなるな”
 そんなふうに思って慌てることなく、私は自宅に向かいました。ところがカフェはまだ生きていたのです。


【死ぬこと自体が大仕事】
 職業も全うし子育ても終わって、私はもういつ死んでもいい気持ちでいます。40代の前半で大病をしてそのまま死ぬつもりでしたので、以後の20年余りは余生のようなものです。定年退職後の人生は”余生のさらに余生”ですから、やりたいこともこれといってなく、やらねばならないことはさらにありません。ですからいつでも死ねる気持ちでいたのですが、死ぬこと自体が大変という意識はあまりありませんでした。

 カフェは起き上がれなくなった土曜日、それでもまだ十分な食欲を見せていました。通常のペレット(粒状の餌)はうまく口に入っていかないのですが、給水器の先を口元にもっていくと水はいくらでも飲み、キャベツの葉はバリバリと2枚でも3枚でも食べようとします。それが本物の食欲なのか生体の反応なのかはよくわかりません。死を察した肉体が、慌てて養分を欲しているのかもしれません。

 ときどき目をつむることもありますがほとんどは普段と同じように見開き、横たわって同じ姿勢でいるのがつらいのか数分おきに体を動かそうとします。ただし前回はスノコを引っ掻いていた右の後ろ足は宙に浮いてしまい、どうしたものか、暴れると前とは反対に左回りに回ってしまいます。しかしのたうち回るというふうでもなく、床ずれが嫌でときどき動いてみるといった感じです。

 排泄はその土曜日の昼過ぎに小水をしたきり、以後いっさいしなくなりました。便は翌日曜日まで数回、わずか4〜5粒を肛門の付近に落としただけで、それも日曜日の午後を最後に、出なくなりました。

 どう考えても左だけを下にして横になっているのはつらいだろうと思って裏にひっくり返すと、右の前足がまだ動くのでまた立ち上がろうとして大騒ぎになります。いっそのことケージの鉄柵に立てかけるようにしてみたらどうかとやってみると、なんとか寄りかかって立っているような感じになります。しかしせっかく立ったのに、まるで赤ん坊のように“立てば歩め”で前に進もうとしてまた転んでしまうのです。
 結局私もあきらめて、どうせ大便も小便も出ないのだからこれ以上糞まみれになることはないとケージのスノコ全面に柔らかなトイレシートを広げ、少しでも痛みが和らぐようにしてあげました。


【暖かな陽だまりに包まれたように】
 月曜日。ついにカフェは目の前のキャベツにも水にも反応しなくなり、無理やり近づけると顔を背けて拒否するようになりました。一日の大半を眠って過ごし、たまに目覚めても半眼で、暴れ方も静かになっていつ動いたのかわからないまでになってしまいました。
 もう時間の問題だと思いながらも、これといってしてあげられることもなく、ただ動くたびにずれていくトイレシートを直してやり、ときどき胸に手を当てて呼吸を感じ、撫でてやるのがせいぜいでした。

 夕方、様子を見に行くとカフェはケージの隅で変な格好で座っていました。体を動かしているうちに鉄柵と干し草入れの隙間に背中から挟まってしまい、暴れているうちに上体が持ち上がって体育館座りみたいになってしまったのでした。そしてその姿勢になって初めて、目の前の糞まみれの後ろ足に気づいたようです。

 前にも言ったようにウサギは年じゅう体を舐めてキレイにしているような生き物です。それがこの一カ月余りまったく舐めなくなり、後ろ足やしっぽの裏は糞まみれになっていたのです。
 思いがけず妙な格好になってその汚れた後ろ足が鼻先に突き出され、カフェは切なかったのかもしれません。そのままの姿勢で口を伸ばし、硬くこびりついた糞をかじり取り始めたのです。繰り返しかじり取り、舐め、きれいにしようとします。

 しかし体力も限界に来ていて、口の動きが次第に弱まり、首がどんどん沈んで行ってそのまま眠ってしまいます。
 しばらくして目を覚まし、また頑張って糞をかじり、また同じようにうつらうつらと眠ってしまう。そんなことが3〜4回繰り返されて、やがて本格的に眠ってしまいました。
 その様子はまるで、縁側の陽だまりで編み物をしていた老婆が、何回も眠っては起き、起きては眠りながら編み物を続け、ついにはそのまま深い眠りに入ってしまったような、そんな感じだったのです。


【火曜日】
 翌火曜日、カフェはついに目をまったく開かなくなりました。それでも腹はゆっくりと上下し、30分か1時間おきに見に行くと、寝ている場所が移動したりしています。

 本格的に心配になった日曜日以来、私は実家で泊まるのを休むことにしました。メスウサギの時と同じように、ひとりで見送ることを妻が嫌がったからです。
 しかし92歳の母の方も心配ですから夕飯を持つなどして実家に行き、小一時間を過ごして自宅に戻るというようなことは続けました。

 火曜日の夜、実家に行く前に見たカフェの息は一段と浅くなっているようでした。しかし今が“その時”かどうかは誰にもわかりません。私はカフェの胸に手を当て、腰に向けて数回、撫でてやりましたが、反応はまったくありませんでした。

 それから2時間後、自宅に戻ると、カフェはすでに死んでいました。妻も気づかないほど、静かな死だったようです。


(この稿、続く)




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2019/11/25

「ウサギが来た日、消えていく命」〜カフェは月に逝った@  親子・家族


 カフェは私のウサギです
 7年前に我が家にやってきました
 その小さな生き物が 
 弱って 死ぬまでの日々


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(カフェ:4歳ごろ)

【ウサギが我が家に来た経緯】

 飼いウサギのカフェが月に向かいました。
 ピーター・ラビットのモデルとなったネザーランド・ドワーフのオスで、9年と1カ月9日の命でした。

 ウサギの寿命は6〜7年とも7〜8年とも言いますが、もちろん半数はそれ以上に生きるので、ひとの言うに「10年を目指しましょう」ということらしく、ですからもう半年くらいは頑張ってほしかったかなとも思います。

 カフェが最初にやってきたのは私の家ではなく、娘のシーナのところでした。
 シーナは自ら「環境見知り」というように、人とはうまくやっていけるのに環境にはなかなか馴染めず、特に大学への進学は学校の切り替えとともに初めての都会暮らしでずいぶん寂しい想いもし、不適応感も強かったようでした。
 様々なことがうまくいかず鬱々と過ごしていたある日、ペットショップで生まれたばかりのネザーランド・ドワーフを見つけ、どうしても欲しくなって私に頼んだのです。
 決して安い買い物ではありませんでしたが、めったにものを欲しがる子ではないので私は二つ返事でお金を出しました。
 カフェはシーナが最も寂しい時にそばで慰めてくれた友達なのです。

 シーナのところで二年間暮らし、そのあとカフェは私の家に来ます。シーナが就職とともに引っ越したマンションは動物が飼えず、就職すれば忙しくて世話も十分にできそうになかったからです。
 私は正直言って動物なんて少しも好きではありません。というか子どものころ飼っていた犬が年老いて、気づいたら腰のあたりにハエが卵を産み付けていて、ウジに食い殺されるように死んでいったことが心の傷になっているのです。犬は私の腕の中で長い時間をかけて死んでいきました。どんな小さな生き物でも死なれるのはかないません。
 息子のアキュラが犬を欲しがった時も、だからまったく取り合わなかったのですが、シーナが困っている以上引き受けざるを得ません。こうしてカフェは私の家の住人となりました。

 ところが人生とはままならないものです。
 カフェが我が家にきて半年もしないうちに、今度は妻が、事情があって二羽のミニウサギを連れて来たのです。 “動物なんか好きじゃない私”が、三羽のウサギの面倒をみることになる――。
 新しく来たのはメスとオスの兄妹で、私はそれぞれにミルクとココアという名をつけました。兄(ほんとに兄かな?)の方がやや色が薄かったからです。ココアの方は昨年、6歳で病気のために死にました。
(参照)2018/5/8「ココアは死ぬことに決めた」〜連休中に考えたこと2 


【カフェ、弱る】

 カフェの様子がおかしくなったのは昨年の春からです。
 純粋種で野生味が強く、抱かれるのが大嫌いでいったん離すと捕まえるのが容易ではなかったカフェが、3歳になったばかりのヨチヨチ歩きの孫に捕まるほどに、動けなくなってしまったのです。
 今年の春にはさらに弱って、畑の端の草むらに置いたらたまたまそこが斜面になっていて、横ざまに転んでしまったのです。特に後ろの左足の踏ん張りが利かなくなったみたいでした。そこから体勢を立て直して走り出すも2〜3mがせいぜい、あとはうずくまって近くの雑草などを食べています。そんなことが半年余りも続きました。

 10月の誕生日の前夜、ウサギを置いた玄関の方がやけにうるさいので様子を見に行くと、カフェは人間で言う“横すわり”みたいな形で下半身を横にして、そこからなんとか立とうと暴れていました。後ろの右足一本で立とうとするのでプラスチックのスノコで足が滑り、立てない。今までにないことなので狼狽えていたのかもしれません。何度も何度も立とうとしてそのたびに失敗しながら、体は時計回りにぐるぐる回っていきます。

 子どものころ飼っていた犬は獣医に電話したら、“腰の抜けた犬は間もなく死ぬから連れて来なくていいですよ”と言われて、そのことを覚えていたので、もうカフェは2〜3日中に死ぬのだと覚悟しました。ただし本人(本兎?)には自覚がないみたいでいつまでも暴れています。
 そこでスノコの上にトイレシートを置いてやるとようやく立つことができました。


【糞にまみれる】
 人間の場合も、初めての危機では死なないことが多いようです。
 生命力がぐんと落ちて死が目の前にきて、それから持ち直ししてしばらく小康状態が続き、再び危機が訪れて死の淵に立ち、再び持ち直す――そんな繰り返しの中で、2回目に死ぬこともあれば3回目、4回目と持ち直す場合もあって、どの回で死ぬかは運命が決める、といった感じらしいのです。
 カフェの場合も、こうして一回目は持ち直しました。トイレシートのおかげで滑って倒れることもなくなり、庭に出してやってもなんとか普通に歩けるようになりました。

 ただしもともとトイレが下手くそでペット用トイレもあまり使わず、スノコの間からたくさんの糞を受け皿に落としていたのがすべてシートの上にたまってしまい、それを踏むので足や肛門の周辺、特にしっぽの裏にべったりとくっついて固まってしまいます。 
 毛に絡みついて硬くなったウサギの糞は頑固で、なかなか取れるものではありません。本来ウサギは暇さえあれば体をなめてきれいにしている生き物ですが、カフェはもうそういう力もなくなってしまったのか、大きな糞の塊を引きずってそのために歩きにくくなった様子もありました。
 それを私が手で取ってやるのですが、先ほども言ったように抱かれるのが大嫌いな子なので、除去も容易ではありません。結局ケージの左半分だけにシートを置き、もう半分はむき出しのスノコにしたら問題はずいぶんと楽になりました。

 そういえば昨年死んだココアも、最後は下(しも)の汚いウサギで死んでいったものです。

(この稿、続く)


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2019/9/25

「行きたいところが多すぎて立てられなかった旅行計画が、一発で決まってしまった話」  親子・家族


 結婚式のために岩手まで行くことになった
 せっかくのことだから観光も
 そう思ったが行きたいところがたくさんあって計画が立てられない
 ところが秘策があって それですべてが一発で決まってしまった

というお話。
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photoAC より)

【旅行計画が立てられない】
 昨日は岩手県で結婚式があったというお話をしました。
 日取りは3カ月以上前から分かっていたのであれこれ計画を立てる時間は十分にあったのですが、私はぎりぎりまで東北地方のどこに行くのか、交通機関は何を使うのか、まったく決めていませんでした。決められなかったのです。

 昔からあまり旅行をしない人間で、それを自分のケチと面倒くさがりのせいにしてきました。
「『どこでもドア』があれば行ってみたいところはたくさんあるんだけど、行くまでが面倒、時間のムダみたい気がしてなかなかねぇ」
 そんなふうに言ってきたのです。

 ところが今回岩手に行くにあたってつくづく分かったのは、そもそも私は計画を立てるのが嫌いなのです。正確に言えば“仕事上の計画などはともかく、旅行計画だけはほんとうに嫌い”。なぜかというといろいろ諦めなくてはならないからです。
 あれこれ調べていて、あれも見たい、これも見たい、しかし全部回るのは資金的にも時間的にもムリ、だからあれも捨てこれも捨て、とたくさん諦めなくてはなりません。その“諦めること”がとても嫌なのです。未練たらしい。

 今回、岩手に向かうにあたって使える時間はわずか1日半。妻が休みを取れるギリギリの線です。
 途中の埼玉や栃木は行こうと思えばいつでも行ける範囲だから考えないとして、福島は以前職員旅行で行ったことがあるのでここもパス。残るは宮城と岩手なのですが、調べると行きたいところが山ほどある。
 被災地には行ってみたい。それより手前の宮城南部には蔵王がある、海岸に移動して松島がある。ニッカウヰスキーがある、白石城がある、多賀城がある、仙台城がある、西芳寺がある。岩手なら浄土ヶ浜、猊鼻渓、中尊寺、毛越寺庭園、えさし藤原の郷、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、その他諸々。

 先ほど“一日半”と言いましたが、“半”は妻が午後の時間休を取って生み出した半日ですから、実際には宮城県に入るくらいが精いっぱいの移動日。残る一日も夕方からは親戚の食事会が入っているので実質的に許されるのは最長で8時間程度。しかもそれぞれの観光地でどの程度の時間を過ごすのかも言ってみないと分かりません。

 そう考えていくとウンザリして計画どころではなくなります。結局、見て見ぬふりで三か月。本気になって考え始めたのはわずか一週間前のことでした。


【決め手の一歩は交通手段】
 行きたいところはたくさんあるのに時間は少ない。おまけに帰りに回ってみようと思った東日本大震災の被災地を調べると、どこも一筋縄ではいかない遠隔地。ひとつの町を訪れるだけでも電車を乗り継ぎ、一時間に一本といったバスに乗らなくてはいけなかったりします。
 もう本当にどうしようもなくなってついに考えたのが、
「そうだ、車を運転して行って来よう」
ということでした。自家用車だったら乗り継ぎの手間もなく、乗り物待ちもなくなります。しかし往復、最短でも1400km。そんなに運転できるのだろうか?
 行きは妻と一緒ですから交互に運転すればよいようなものですが、帰りは仕事の入っている妻が一足先に新幹線で帰ってしまい、私ひとりの700qです。

 悩んで妻に相談すると。
「やったー! 荷物がたくさん持てる!」
この人は夫を心配するという様子がまるでありません。それですべてが決まりました。


【他人本意の便利さ】
 宿はできれば高速インターからあまり離れていないところ。温泉が趣味の妻のことを考えると源泉かけ流しの風呂がなくてはなりません。その条件で調べると秋保温泉はすんなりと決まりました。木曜日ですから空き部屋がないということもないでしょう。

 立ち寄る観光地ですが、妻は歴史に興味のない人ですから多賀城も藤原の郷も簡単に消えます。景観にも興味がなさそうで松島も浄土ヶ浜も消えてしまいました。一時期、中学校の国語の教師をしたことがありましたから「奥の細道」で中尊寺はいいかもしれません。あとは宮沢賢治、これで決まりです。
 ある意味、他人本意に考えると決定はあっという間です。

 ただ中尊寺のとなりの毛越寺庭園には心が残ります。となりと言っても駐車場に車を置きっぱなしで移動できるほど近くでもないからです。改めて駐車料金を払い、入場料も払って観るのが“庭園”でも妻は納得してくれるだろうか?
 私はそこそこ歴史に詳しいですから庭園の周囲に巨大な伽藍群を思い浮かべることができます。しかし妻にとっては単なる“(たいしたことのない)庭”でしかないかもしれません。そんなものに1500円も払う気になってくれるかどうか・・・で、結局よほど時間に余裕がない限りここも諦めることにしたのです。
 いずれにしろ妻を言い訳にしたら、ものごとはずっと単純になってしまいました。
 宮沢賢治は記念館と童話村、どちらを選ぶか、どちらも選べるのかは、行ってから考えることにしましょう。

                      (この稿、続く)



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2019/9/24

「久しぶりに招かれて、結婚式や披露宴はやはりやっておくべきだと思った」  親子・家族


 久しぶりに結婚式に招かれて考えた
 やはり人並みに 式と披露宴はやるべきだ
 それは本人のためでもあるが 
 周囲を幸せにする 絶好の機会だからだ

というお話。
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【久しぶりに結婚式に招かれた】
 岩手県で結婚式があって夫婦で参列してきました。娘婿のエージュの妹です。
 
 いまどき白無垢・綿帽子での神前結婚式というのも珍しいですが、そもそも最近は“ジミ婚”とかで結婚式自体が珍しくなっていますから、妙に新鮮だったのも当たり前かもしれません。
 もっとも私自身が退職して世間を狭くしているという事情もあります。

 それにしても結婚式を挙げる新婚夫婦はほんとうに少なくなったようで、私の娘が結婚した際、友人として参加してくれた仲間のうちで、のちに結婚をしてしかも披露宴を行った人は半数にも満たないようです。
 多くは経済的理由で、結婚式や披露宴にお金をかけるより新生活を豊かにしたいという発想らしいのですが、女性が言うならまだしも、男性が言い出すとしたらその男は信用できません。
 ここで男性に限るのは、金のために結婚式をしない女性も問題だが”信用“ということにはかかわらないという、その程度の意味です。


【式を回避する男は卑怯者かもしれない】
 なぜ信用ならないかというと、夫婦の関係を大きく社会に披露する宴を持ち、退 路を断つ腹積もりが見えないように感じるからです

「あんなに派手にやって、あとで別れたなんて言えないよな」
と臍を噛む未来の自分の姿を、思い浮かべているのではないかと疑いたくなります。もしかしたら将来、妻に飽き、もっといい女が現れたら気楽に乗り換えようと、今から画策しているのかもしれません(考えすぎか?)。
 そうでなければ単に社会が分かっていないだけです。けれど結婚を考える年になってもまだ社会が分かっていないとしたら、それはそれで信用ならないことには変わりはありません。


【セーフティ・ネット構築のための結婚式】 
「婚姻は家と家の結びつきだ」と言えばずいぶん古臭い言い方に聞こえるかもしれませんが、ひとつの結婚によって二つの家族の運命が巻き込まれて行くのは必然です。

 どちらかの親が年老いたとき、自分の実の親ではないから面倒は見ませんと言うのも難しいでしょう。それ以前に、家を新築しようというのに「実の親でもない人から援助は受けられません」と断るつもりもないでしょう。
 極端なことを言えば義理の兄弟が起こした犯罪のために迷惑を被ることもあれば、義理の姉妹の栄誉のためにこちらまでいい気分になることだってあるのです。
 
 その他、叔父や叔母、友人関係、勤め先の関係となれば、親ほどではありませんが、良いにつけ悪いにつけ、将来に渡って何らかの関係を持たざるをえません。
 そうである以上、顔くらいは知っておいてもらい、ふたりが夫婦であることを認知してもらう必要があります。

「借金の申し込み夫婦で行かなければならないとき、『初めまして』では何かとやりにくいものです。人間関係はセーフティ・ネットですから、機会をつくっては確認し、結婚式のような大きなできごとでは新たな関係を築いていておくに越したことはないのです。本人にその気はなくても、親や叔父叔母にとっては大切な機会ですから、それを奪ってはいけません」
――と、私は若い人に言っておきます。


【幸せのおすそ分け】
 今回の結婚式で、私の娘婿の両親と久しぶりにお会いしました。
 私は娘の結婚によってこの人たちと出会えたことをとても喜んでいます。まるで違う価値観を持った人たちだからです。少なくとも勉強になります。
 またそのご両親の兄姉たちとも親しく話ができて、それも素晴らしい経験でした。娘の結婚式のときに一度会っただけの方々なのに、親戚ですから気持ちが違います。

 結婚は二人だけの問題ではありません。良い結婚はこんなふうに周囲も幸せにしますから、むしろ周囲の人々のために、世間並みの式や披露宴はやっておくべきだと思うのです。
 披露宴の席で知り合った新郎新婦の友人同士が結ばれた、といった話もよく聞くところです。金の問題は何とかなるものです。



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