2019/9/25

「行きたいところが多すぎて立てられなかった旅行計画が、一発で決まってしまった話」  親子・家族


 結婚式のために岩手まで行くことになった
 せっかくのことだから観光も
 そう思ったが行きたいところがたくさんあって計画が立てられない
 ところが秘策があって それですべてが一発で決まってしまった

というお話。
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photoAC より)

【旅行計画が立てられない】
 昨日は岩手県で結婚式があったというお話をしました。
 日取りは3カ月以上前から分かっていたのであれこれ計画を立てる時間は十分にあったのですが、私はぎりぎりまで東北地方のどこに行くのか、交通機関は何を使うのか、まったく決めていませんでした。決められなかったのです。

 昔からあまり旅行をしない人間で、それを自分のケチと面倒くさがりのせいにしてきました。
「『どこでもドア』があれば行ってみたいところはたくさんあるんだけど、行くまでが面倒、時間のムダみたい気がしてなかなかねぇ」
 そんなふうに言ってきたのです。

 ところが今回岩手に行くにあたってつくづく分かったのは、そもそも私は計画を立てるのが嫌いなのです。正確に言えば“仕事上の計画などはともかく、旅行計画だけはほんとうに嫌い”。なぜかというといろいろ諦めなくてはならないからです。
 あれこれ調べていて、あれも見たい、これも見たい、しかし全部回るのは資金的にも時間的にもムリ、だからあれも捨てこれも捨て、とたくさん諦めなくてはなりません。その“諦めること”がとても嫌なのです。未練たらしい。

 今回、岩手に向かうにあたって使える時間はわずか1日半。妻が休みを取れるギリギリの線です。
 途中の埼玉や栃木は行こうと思えばいつでも行ける範囲だから考えないとして、福島は以前職員旅行で行ったことがあるのでここもパス。残るは宮城と岩手なのですが、調べると行きたいところが山ほどある。
 被災地には行ってみたい。それより手前の宮城南部には蔵王がある、海岸に移動して松島がある。ニッカウヰスキーがある、白石城がある、多賀城がある、仙台城がある、西芳寺がある。岩手なら浄土ヶ浜、猊鼻渓、中尊寺、毛越寺庭園、えさし藤原の郷、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、その他諸々。

 先ほど“一日半”と言いましたが、“半”は妻が午後の時間休を取って生み出した半日ですから、実際には宮城県に入るくらいが精いっぱいの移動日。残る一日も夕方からは親戚の食事会が入っているので実質的に許されるのは最長で8時間程度。しかもそれぞれの観光地でどの程度の時間を過ごすのかも言ってみないと分かりません。

 そう考えていくとウンザリして計画どころではなくなります。結局、見て見ぬふりで三か月。本気になって考え始めたのはわずか一週間前のことでした。


【決め手の一歩は交通手段】
 行きたいところはたくさんあるのに時間は少ない。おまけに帰りに回ってみようと思った東日本大震災の被災地を調べると、どこも一筋縄ではいかない遠隔地。ひとつの町を訪れるだけでも電車を乗り継ぎ、一時間に一本といったバスに乗らなくてはいけなかったりします。
 もう本当にどうしようもなくなってついに考えたのが、
「そうだ、車を運転して行って来よう」
ということでした。自家用車だったら乗り継ぎの手間もなく、乗り物待ちもなくなります。しかし往復、最短でも1400km。そんなに運転できるのだろうか?
 行きは妻と一緒ですから交互に運転すればよいようなものですが、帰りは仕事の入っている妻が一足先に新幹線で帰ってしまい、私ひとりの700qです。

 悩んで妻に相談すると。
「やったー! 荷物がたくさん持てる!」
この人は夫を心配するという様子がまるでありません。それですべてが決まりました。


【他人本意の便利さ】
 宿はできれば高速インターからあまり離れていないところ。温泉が趣味の妻のことを考えると源泉かけ流しの風呂がなくてはなりません。その条件で調べると秋保温泉はすんなりと決まりました。木曜日ですから空き部屋がないということもないでしょう。

 立ち寄る観光地ですが、妻は歴史に興味のない人ですから多賀城も藤原の郷も簡単に消えます。景観にも興味がなさそうで松島も浄土ヶ浜も消えてしまいました。一時期、中学校の国語の教師をしたことがありましたから「奥の細道」で中尊寺はいいかもしれません。あとは宮沢賢治、これで決まりです。
 ある意味、他人本意に考えると決定はあっという間です。

 ただ中尊寺のとなりの毛越寺庭園には心が残ります。となりと言っても駐車場に車を置きっぱなしで移動できるほど近くでもないからです。改めて駐車料金を払い、入場料も払って観るのが“庭園”でも妻は納得してくれるだろうか?
 私はそこそこ歴史に詳しいですから庭園の周囲に巨大な伽藍群を思い浮かべることができます。しかし妻にとっては単なる“(たいしたことのない)庭”でしかないかもしれません。そんなものに1500円も払う気になってくれるかどうか・・・で、結局よほど時間に余裕がない限りここも諦めることにしたのです。
 いずれにしろ妻を言い訳にしたら、ものごとはずっと単純になってしまいました。
 宮沢賢治は記念館と童話村、どちらを選ぶか、どちらも選べるのかは、行ってから考えることにしましょう。

                      (この稿、続く)



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2019/9/24

「久しぶりに招かれて、結婚式や披露宴はやはりやっておくべきだと思った」  親子・家族


 久しぶりに結婚式に招かれて考えた
 やはり人並みに 式と披露宴はやるべきだ
 それは本人のためでもあるが 
 周囲を幸せにする 絶好の機会だからだ

というお話。
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【久しぶりに結婚式に招かれた】
 岩手県で結婚式があって夫婦で参列してきました。娘婿のエージュの妹です。
 
 いまどき白無垢・綿帽子での神前結婚式というのも珍しいですが、そもそも最近は“ジミ婚”とかで結婚式自体が珍しくなっていますから、妙に新鮮だったのも当たり前かもしれません。
 もっとも私自身が退職して世間を狭くしているという事情もあります。

 それにしても結婚式を挙げる新婚夫婦はほんとうに少なくなったようで、私の娘が結婚した際、友人として参加してくれた仲間のうちで、のちに結婚をしてしかも披露宴を行った人は半数にも満たないようです。
 多くは経済的理由で、結婚式や披露宴にお金をかけるより新生活を豊かにしたいという発想らしいのですが、女性が言うならまだしも、男性が言い出すとしたらその男は信用できません。
 ここで男性に限るのは、金のために結婚式をしない女性も問題だが”信用“ということにはかかわらないという、その程度の意味です。


【式を回避する男は卑怯者かもしれない】
 なぜ信用ならないかというと、夫婦の関係を大きく社会に披露する宴を持ち、退 路を断つ腹積もりが見えないように感じるからです

「あんなに派手にやって、あとで別れたなんて言えないよな」
と臍を噛む未来の自分の姿を、思い浮かべているのではないかと疑いたくなります。もしかしたら将来、妻に飽き、もっといい女が現れたら気楽に乗り換えようと、今から画策しているのかもしれません(考えすぎか?)。
 そうでなければ単に社会が分かっていないだけです。けれど結婚を考える年になってもまだ社会が分かっていないとしたら、それはそれで信用ならないことには変わりはありません。


【セーフティ・ネット構築のための結婚式】 
「婚姻は家と家の結びつきだ」と言えばずいぶん古臭い言い方に聞こえるかもしれませんが、ひとつの結婚によって二つの家族の運命が巻き込まれて行くのは必然です。

 どちらかの親が年老いたとき、自分の実の親ではないから面倒は見ませんと言うのも難しいでしょう。それ以前に、家を新築しようというのに「実の親でもない人から援助は受けられません」と断るつもりもないでしょう。
 極端なことを言えば義理の兄弟が起こした犯罪のために迷惑を被ることもあれば、義理の姉妹の栄誉のためにこちらまでいい気分になることだってあるのです。
 
 その他、叔父や叔母、友人関係、勤め先の関係となれば、親ほどではありませんが、良いにつけ悪いにつけ、将来に渡って何らかの関係を持たざるをえません。
 そうである以上、顔くらいは知っておいてもらい、ふたりが夫婦であることを認知してもらう必要があります。

「借金の申し込み夫婦で行かなければならないとき、『初めまして』では何かとやりにくいものです。人間関係はセーフティ・ネットですから、機会をつくっては確認し、結婚式のような大きなできごとでは新たな関係を築いていておくに越したことはないのです。本人にその気はなくても、親や叔父叔母にとっては大切な機会ですから、それを奪ってはいけません」
――と、私は若い人に言っておきます。


【幸せのおすそ分け】
 今回の結婚式で、私の娘婿の両親と久しぶりにお会いしました。
 私は娘の結婚によってこの人たちと出会えたことをとても喜んでいます。まるで違う価値観を持った人たちだからです。少なくとも勉強になります。
 またそのご両親の兄姉たちとも親しく話ができて、それも素晴らしい経験でした。娘の結婚式のときに一度会っただけの方々なのに、親戚ですから気持ちが違います。

 結婚は二人だけの問題ではありません。良い結婚はこんなふうに周囲も幸せにしますから、むしろ周囲の人々のために、世間並みの式や披露宴はやっておくべきだと思うのです。
 披露宴の席で知り合った新郎新婦の友人同士が結ばれた、といった話もよく聞くところです。金の問題は何とかなるものです。



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2019/9/18

「自分の子どもを東大か医学部に入れる(ほぼ)確実な方法」〜佐藤ママとボーク重子さんの話  親子・家族


 優秀な子どもを育てた母親の持てはやされる昨今
 しかし私は疑問だ
 まったく違う育て方で
 同じように優秀な子が育つというところがわからない
 もっとも 答えは案外 簡単なのかもしれない

というお話。
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(オックスフォード クライストチャーチ写真ACより)

【秀才を育てた二人の母親】
 少し古い話ですが、先週のテレビバラエティ「さんま御殿」に佐藤ママこと佐藤亮子さんと、ボーク重子という女性が出ていました。

 佐藤亮子さんは4人のお子さん全員を東大医学部に進学させたことで有名な教育アドバイザーで、『3男1女東大理IIIの母 私は6歳までに子どもをこう育てました』など多くの著書があります。

 ボーク重子という方については今回初めて知ったのですが、2017年に一人娘のスカイさんが全米最優秀女子高生に選ばれたとかで、こちらも『世界最高の子育て――「全米最優秀女子高生」を育てた教育法』『「非認知能力」の育て方:心の強い幸せな子になる0〜10歳の家庭教育』といった著書をお持ちで、講演会などでも引っ張りだこだそうです。

 ただ両者の考え方はまったく異なっており、番組の中でも佐藤さんが、
「小学校に上がるまでにはひらがなとカタカナを書けるようにして、掛け算九九くらいは覚えさせておきたい」
というのに対し、ボークさんは、
「小さなころからの勉強なんて必要ない。大切なのは非認知能力、パッション! そのためにもたくさん遊ばせ、経験させなさい」
といった調子です。

 両者の意見を聞いていたタレントのくわばたりえさんは、
「おっしゃっていることが正反対でどちらを信じたらいいでしょう。お二人とも子育てに成功していらっしゃるんだから・・・」
と困惑顔です。

 しかし答えはまったく簡単――両方正しい。


【親たちの学歴】
 佐藤ママとボークさん、ふたりはまったく異なっているように見えて、実はそっくりなところがたくさんあります。

 お子さんがとても優秀だったこと、子育ての成功者として多くの著書を持ち、講演会でも持てはやされていること(悪く言えば子どもの名声で食っていること)、この二点はすぐに了解できます。しかしもうひとつ重要な点があります。
 それは二人とも“夫婦揃って頭がいい”ということです。

 佐藤ママのご主人は東大卒の弁護士。ママご自身は津田塾大学英文科卒、高校は大分上野丘高校です。上野丘は作家の赤瀬川準や評論家の林房雄を輩出した大分県屈指の進学校で、タレントの宮崎美子さんも1年生まで在学していました(2年生に進学する際、父親の転勤で熊本高校に転出)。

 ボーク重子さんの学歴については不詳ですが、中学校時代福島県で5位以内の成績を取っていたと言いますからかなりのものです。最終学歴はロンドンの大学院で現代美術の修士号を獲得と紹介されています。
 ご主人のティムさんは、重子さんの話によれば、
「弁護士をやっていたのがイヤになって、外交官になって・・・」
ということで、現在は会社社長です。
 弁護士、外交官、企業経営、どれひとつとっても普通の人間には達成しがたい職業です。それを「飽きたから」で取り換えられるのですからただものではありません。

 つまり佐藤夫妻もボーク夫妻もメチャクチャ頭が良くて、その二人から生まれた子どもたちは当然頭がいい。
 頭がいいから就学前に九九を教えてもどんどん覚えて楽しいし、楽しいからさらに勉強してどんどん成績が上がっていく。
 一方、頭のいい子は勉強しなくたって平気。好きなだけ自由に、好きなだけ遊んで、時が来たらそこから頑張って十分に間に合う、それが頭のいい子の世界です。
 ですから佐藤ママの教育法もボーク重子さんの教育法も両方間違っていない、ただし頭のいい子が前提です。
 

【くわばたりえさんたちがこれからできること】
 より良い高校からより有名な大学に進学させたいという気持ちが分からないわけではありません。ただし少なくとも東京大学や医学部と名のつく学部は、努力だけで入れるところではありません。とんでもなく優れた地頭(じあたま)が必要なのです。

 常識的な親は生まれてきた子どもを見て、この子をオリンピックのマラソン選手にしようとか、NBAのバスケットボール選手にしようとか、Jリーグのサッカー選手にしようとか考えません。考えるのはある程度運動に長けた親だけです。プロスポーツだのオリンピックだのといった話になると、本質的な運動能力が必要だとみんな知っているからです。

 しかし勉強に関してはなぜか“本質的な能力”のことは忘れられ、「がんばればなんとかなる」と思ってしまいます。
 そうではありません。カエルの子はカエル。身も蓋もない話ですが、ガマガエルに生まれるかアマガエルなのか、そのあと優秀なカエルに育つかダメなカエルのまま終わるかの違いはあっても、しょせん龍になることはないのです。

 しかしそれでも子どもを東大か医学部に進学させたいとなったらできることは何か。

 それにはまず今の夫を追い出して頭のいい夫に乗り換えることです。そして生まれた子が自分に似ないよう、ひたすら祈るだけ。
 ただしすべてがうまくいっても、それで子どもが幸せになるとは限りません。

 耳鼻科の医者になって一生他人の鼻の穴を見て暮らすより、私はさんま御殿の出演者になりたいと思いますね。もっとそちらの方がはるかに難しいかもしれませんが。




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2019/7/2

「『お母さんはこういう話が好きだ』ということの教え直し」〜かつての教え子から相談を受けた件 2  親子・家族


 すべての子どもは 親の期待に応えたいと思っている
 しかし同時に 子どもはしばしば親の期待を読み誤る
 本人は意識していないのに
 そうやって事実が捻じ曲げられる

というお話。
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【続きを待たずに来た返事】

 昨日の続きですが、私がそれを書き送る前に返事が来てしまいます・

 母と先生の文章を読みました。
 母が先生は本を出したらいーのにって言ってました(えへへ)
 私は上手に説明ができず、娘に注意する時も長々として。
 母曰く、先生の文章を読んで感じたことは、そんなに深く話に入り込んだらダメって!
 すごく細かく聞いてしまい、あたし自身がヒートアップしちゃって……
 毎回しっかり聞きすぎて、娘は余計にママが聞いてくれるからって友達に注意してケンカしたことを話してくるんだよって言います。
 話は聞くけどもっと軽く聞いてあげたら、注意することも、それに集中しなくなるんじゃないの? って。
 もっと違うことをしっかり聞いてあげられるようにもあるのかな、

 ゆっくり気持ちが落ち着いたら 私の言葉で娘に話してみます。
 注意する以外のやり方を。


【子どもはしばしば誤学習をする】
 お母さんは偉い!
(若い子ならここで「パチパチパチ」と書いたりするところですが、私はいい齢ですのでそんなふざけた書き方はしません)

「毎回しっかり聞きすぎて、娘は余計にママが聞いてくれるからって友達に注意してケンカしたことを話してくるんだよって言います」
 まったくその通りです。

 ときおり低学年のお母さんで、子どもがいじめられてはいないか、そればかりを心配する方がおられます。子どもが帰ってくると心配で心配で、学校で起こったことを一から十まで全部聞き出そうとするのです。
 子どもの方はウザくて仕方がないのですが、お母さんがあまりにも不安そうなので仕方なく付き合い続ける。その年頃の子はまだまだ親の言いつけに従いますから案外辛抱強く付き合ってくれたりするのです。しかし親を納得させられるような話はなかなかできない――。

 ところがある日、学校で友だちと嫌なことがあってうっかりその話をすると、お母さんの顔がパッと輝きます。母親にしてみればこれまで不安で不安で仕方なかったことが今こそはっきりしたのです。やはり私の予感は当たっていた、この子はいじめられている! 曖昧模糊として霧の中にいたような状態から、目の前がパッと開けた感じになります。それを子どもは誤解します。
「ああ、あんなに不安そうだったお母さんをスッキリさせるには、こういう話を持って帰ればいいんだ」

 翌日からその子は学校で嫌な思いをしたことを忘れずに持ち帰り、母親に話します。ひとつ持ち帰るだけで昔のように長々と質問されることはありません。ところがうっかり何も持たずに帰ると話はいきなりしつこくなります。
「ホントに何もなかったの? 何かあったはずよ、よく思い出して――」
 そこでどんな小さなことでも忘れないように記憶に留め、どうしてもなければ多少話を盛ってでも、何か一つは持ち帰るように心がけます。

 しかしそんなふうに毎日毎日言いつけられる同級生の方はかないません。陰での話とはいえ、親子にいじめっ子扱いされているのですから。しかもそれだけならいいのですが、やがて我慢できなくなった母親が学校に相談を掛けたりします。当然、担任はその子たちを指導します。

 身に覚えのないいじめで怒られた子の方は面白くありません。やがてその子との間に距離を取り始めます。ところが今度はそれが「無視された」「仲間外れにされた」という報告になり、再び母親が動いて担任が指導します。
 そんなことが数回か続くと、友だちの中のこらえ性のない子がこんなふうに考えます。
「やってもいないことでこんなに『いじめ』『いじめ』と言われるならもういい! 本当にイジメてやる!」
 かくして本物のいじめが始まります。お母さんが心配したことが現実になり、子どもは毎日毎日いじめられて帰るようになって、メデタシ、メデタシ・・・・(じゃないな)。
 でも、いかにもありそうな話でしょ?


【ほんとうに素敵な、バカで無能で悪い先生】
 特殊な親子の間で捏造される話というのは、何もいじめに限ったことではありません。他にも「教師がいかにバカで無能で悪人か」という話が大好きなお母さんもいますし、「学校がいかに不合理で常識外れか」かといった話の好きなお母さんもいます。そうしたお母さんを持つ子どたちは、毎日「先生の悪いところ」や「学校の不合理なところ」を探しては忘れずに持ち帰らなくてはなりません。

 例えば担任が気心の知れた生徒に「お前バカじゃネ? 死ねば?」みたいなことを仲間気分で語ったとします。直接言われた方は「気心の知れた生徒」ですから、「先生こそ死んだほうがいいと思うよ、年も年だし」とか言って笑い合います。
 ところがそれを横で聞いていた「先生の悪いところ大好き母親」の子どもは急いで家に帰って母親に報告します。
「先生が○○君に『オマエ、バカじゃねえか、死ね』と言ってた」
 母親は考えます。
「さすがにこれは自分一人の心に納めて置ける話ではない。教育委員会とかマスコミとかを動かさなければ・・・」
 かくて数日後、新聞に「担任教師、生徒に暴言、『死ね』」の記事が載ります。身に覚えのない話ではありませんから担任もしぶしぶ認めざるを得ません。
 これもよくある話です。

 K子さんのお嬢さんの場合、「友だちを注意したのに理解されなかった」という話をするたびにお母さんが真剣に話を聞いてくれるので、あえてそうした事実を中心に持ち帰っている――、そういう可能性も大いにあります。
 ですからお母さまの「そんなに深く話に入り込んだらダメ」は、大いに試してみる価値があるのです。
 もしかしたらそれがド正解です。


【「お母さんはこういう話を聞くのが好きだ」ということの教え直し】
 ただし「深入りしない」とか「さっと流す」とか「肩の力を抜くとか」――そういうのは凄く難しいですよね。「ガンバレ」とか「真剣にやれ」とか「きちんと丁寧に話を聞け」とか言われた方がよほど楽です。

 これは教師であり父親でもあった私にとっても難しいことで、まったくうまく行きませんでした。ですからアドバイスできる何事もないのですが、ある専門家はこう言っていた、ということでK子さんならできるかもしれないことをお話します。

 K子さんのお母さんならご存知だと思うのですが、かつて昭和天皇の口癖として世間に広まっていた言葉に、「あ、そう」というのがあります。それを使えばいいというのです。

 真剣に話を聞くのを避けたい場合はきちんと向かい合わず、何かの作業をしながら聞く。そしておおよそ話がひと段落したら、
「あ、そう。ところでそこのマヨネーズ取って。だし巻き卵って、ちょっとマヨネーズを入れるのがコツなのよね。やってみる?」
といった具合です。もちろんこれは基本形なので応用の仕方は考えなくてはいけませんが、一応、頭に入れておいていいことでしょう。

 ただし「話をいい加減に聞くようになった」、だけでは親子関係を崩しますから、別の部分に興味をもってきちんと話を聞く場面をつくらなくてはいけません。
 何かしていることがあればいったん手を休め、きちんと向かい合って話し合う場面も必要です。

 お母さんはこういう話を聞くのが好きだ、というのを教え直すのです。


                    (この稿、続く)



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2019/6/20

「ついでに思う三つのこと」シーナ、レインボーママ(二児の母)になる(拾遺)  親子・家族


 シーナの二度目の出産の折に感じた三つのこと
 今の車でありがたかった
 出産は案外金がかかる
 女の子を持つということの特別な意味等
 どうでもいいこと 三連発

というお話。
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(写真はイメージ。本人ではありません)

【ドライブ支援のありがたさ】
 昨日書いたミルク運びの一週間。毎日片道40分の東京の道を二往復ずつしたのですが、思いのほか大変ではありませんでした。

 もちろんかつて短期間ではありましたが東京で運転手の仕事をしていたことがあって、この地域のドライバーがいかに親切で優しいかを知っていたということもありますが、片側三車線、右左折のレーンが複雑に入り組む都会の道を渡り歩くのに、現代は素晴らしい支援者がいるからです。
 自動運転装置とカーナビゲーションです。

 自動運転といっても私が運転したシーナの車についているのは、先行車との距離を一定に保ってくれるクルーズコントロールと高速道路で車線を維持してくれるハンドル支援。高速道路は使いませんでしたので、実際に使用したのはクルーズコントロールですが、これが実に勝手がいい。
 時速50kmなら「50km」と指定するだけで速度を維持してくれて、前に車が入れば自動的に速度を落とし、その車が抜けたり先行車がスピードを上げれば設定速度まで戻してくれる、そういう優れものなのです。

 うっかりスピードを出し過ぎたり、注意力を欠いて先行車に近づきすぎたりといったことは一切ありません。スピードメータに注意したり、横入りの車に気を使ったりということがまったくないのです。
 気をつけなくてはならないのは信号くらいなものです。

 もうひとつ。
 慣れない道でのカーナビの威力はもちろん知っていますが、シーナの車のナビには右左折する交差点の入り口で「ブン、ブン」と軽快な音を立ててくれる機能がついています。
 スピードが出過ぎているとダメなのですが、ある程度ゆっくりだと「ブン、ブン」と言われてからハンドルをきればいいので、“ナビを見ていたのに次の交差点と間違えて通り過ぎてしまった”といったことは起こりません。とても便利です。
 私はこの「ブン、ブン」がたいそう気に入って、タイミングが分かるようになると一緒に「ブン、ブン」と言って楽しんだものです。

 この二つの装置のお陰で、慣れない道もさほど疲れずに運転できます。そうなると遠い昔、助手席に地図を広げて高いビルや看板をと対照させながら、そして同時に周囲の車に気を遣いながら運転していた若い自分の神業に感心したりします。
 もちろん今はそんな技術はありませんし、神業に頼らなくていい素晴らしい時代の到来を肌身で感じているのです。


【赤ん坊は金がかからない――訳じゃないということ】

 少子化の問題に関してテレビを見ていると、“識者”の中には「若い夫婦の経済的負担を和らげない限り、少子化傾向に歯止めがかからない」といった意見を言う人がいたりします。
 そんなとき、私はたいてい心の中で、
「赤ん坊なんて、ちっとも金なんかかからないだろう」
と毒づいています。

 先日見たテレビドラマで、若い夫婦の男性の方が、
「子どもをひとり育てるのに一千万もかかるって言うじゃないか。そんな金、ウチのどこにあるんだ」
と、子どもを持ちたい妻の願いを跳ねのける場面がありました。しかし仮に一千万円かかるにしても(そんなにかからねぇだろう!)、そのうちの半分以上は子どもが大学に行くようになってからです。特に赤ん坊の間なんて、寝て、オッパイ飲んで、オムツを汚しているだけです。金なんてほとんどかからない。
「一か月のオムツ代なんて、オマエが飲み会を一回減らすだけで簡単に出てしまうぞ」

 ところが、今回の出産に関してシーナが病院に払わなけれなならなかった出産費用は65万円にもなったのです(赤ん坊の入院費用は別ですが全額保険適用なので0円)。健康保険から下りる「出産育児一時金」が一律42万円なので、その差23万円がシーナの持ち出しとなります。

 これは「東京」「大学病院」「夜間救急搬送」「(午後5時半だったための)時間外出産」などのさまざまな条件が重なったためですが、なんといっても最初の「東京」が大きい。
 ちなみに第一子のハーヴの場合は、「田舎」の「総合病院」で「時間内出産」だったために、出産費用は40万円弱。一時金は出産費用が42万円より少ない場合、差額が本人に渡されるため、ハーブのときは黒字になったのです。つまり産んだら儲かった――。
 “産んだら儲かる”のと“23万円の支出”とでは、天と地ほども違います。若い夫婦の中には払えない人も出てくるかもしれません。

 これは私の無知でした。
 田舎では市町村から祝い金として10万円〜20万円と贈られるところもあります。少子化を本気で考えるなら、日本中どこで産んでも家計を逼迫させない根本的な仕組みがないと無理かもしれません。
 田舎ではなく、都会の出生率が爆発的に上がって、溢れた子どもたちの親が良き環境を求めて地方に下る、そして地方を潤す。そんなふうにはならないものかと、改めて考える機会になりました。


【女の子を持つということ】
 終わり良ければすべてよし。
 二度の分娩は二回とも大変でしたが、シーナは「私にしては安産」とか言って、いずれはもう一人産みそうな気配さえ見せています。

 産んでくれるのはもちろんいいのですが、親の私たちも気が気ではありません。
「それでも1度目より2度目の方が多少なりとも楽だったのだから、3度目はもっと楽なのかもしれない」
 そう思うよりほかにありません。
 そこでふと考えたのは、これがシーナでなく、アキュラの嫁だったらそこまで気を揉んだのかということです。

 おそらくそうではないでしょう。
 出産の最悪のかたちは赤ん坊と母親の死です。赤ん坊が危険だということになればシーナは当然「自分はいいから、赤ん坊を助けて」と言うに違いありません。しかしその父親である私は「母親(シーナ)の方を助けろ」と言うでしょう。そして口にしてはいけないことまでしゃべるかもしれません。
「赤ん坊なんてまた産めばいいじゃないか!」
 親とはそういうものです。

 しかし息子の嫁は自分が育てた人間ではありません。シーナに対する思いと同じようにその子を見ることはできないかもしれない――。ひじょうに冷たい言い方になりますが、客観的にはそういうこともあり得ます。
 ただしそれにもかかわらず、他方で私はその子も大切にするだろうという想いもあるのです。

 日本の家制度は古くて封建的で一刻も早く克服しなければならないように言う人がいますが、一面でよくできた制度だとい言いたくなる面もあります。

 自分の娘は可愛いしその娘が産んだ孫はやはり可愛い。しかしその子は家制度の下では“他家の子”なのです。違う名字をもって大人になり、私たちの面倒なんか見てくれません。
 他方、息子の配偶者はよそ様が産んだ見知らぬ女ですが、その人は私の姓を継ぐ子の母親となります。

 古い常識にとらわれて息子が「家を継ぐのは自分なのだから、当然、親の面倒はオレが見る」ということになると、私自身の最後の世話はその女性にも頼まなくてはならないかもしれないのです。
 情の上ではシーナに勝る女性はいないはずなのに、結局アキュラの配偶者も同じように大事にすることになる――家制度はそんなふうに守られてきたのだなと、改めて思ったものです。

                  (この稿、終了)



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2019/6/19

「初めてのことと慣れたこと、そして経産婦あるある」〜シーナ、レインボーママ(二児の母)になる3  親子・家族


 予定がすべて狂った第二子の出産
 前回は里帰り出産で 母子同時退院
 それが都会での出産となり 母子別退院となると
 さまざまに違った面が出てくる
というお話。
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(写真はイメージ。本人ではありません)

【初めてのことと慣れたこと、そして経産婦あるある】
 産まれた赤ん坊は体重わずか2300gあまり。そのまま保育器に入ることになります。
 第一子のハーヴも保育器への直行でしたが、新生児仮死で産まれたハーヴと、早産ながら35週と十分な時間のたっている2300g越えの第二子とでは、心配の度合いが違います。
 元気に「オギャー」と叫んで生まれた子ですので、シーナの喜びも違います。

 またハーブの生まれた病院はできるだけ早く母子同室にする方針だったので、病棟のあちこちから泣き声が聞こえてそれが横に子どものいないシーナをどれほど傷つけた分からないのですが、今度の病院は新生児を母親の横に一切置かない方針のようで、病室からは子どもの声は全く聞こえてこないのです。

 皆と同じという状況はずいぶんシーナの支えになりました。また横に赤ん坊のいないことで体もずいぶんと休まったようです。

 1日4回、1回につき30分の面会というのはハーヴのときと同じで、慣れたものだと余裕さえ見せています。
 そんな余裕からか、12時間半もかかった出産も「私にしては安産」と肯定的にとらえます。いつどんな場合も、前向きに気持ちを切り替えられるのはこの子の最も優れた点です。

 ただし慣れていたからこそ戸惑うことも少なくなかったようで、例えば沐浴の際、以前は顔を石鹸で洗わず、ガーゼを使ってお湯だけで拭くように言われたのが、今回は積極的にベビーソープを使うように言われるなど、細々とした点で違いがあり、そのたびに、
「これも経産婦あるあるなのですが――」
と看護師さんから説明を受けたようです。第一子と二子と違いに戸惑うことは、経産婦にはよくある話だという意味のようです。


【里帰り出産でないとこうなる】
 私はと言えば産まれたその晩に赤ん坊に会いに行き、新生児科の特別病棟のガラス越しに赤ん坊を見て、翌日は、以前書いた通り息子のアキュラの引っ越し。夕方、そのアキュラとともに病院にってまた同じ部屋で赤ん坊を眺め、さらに翌日――これは書きませんでしたが――引っ越しの際に新たに発見された不手際のために、三度目のアキュラのアパートへ。そしてその日の夕方、妻が一人でかっ飛ばしてきた軽自動車を運転して夫婦で田舎に戻りました。

 翌日は妻に勤務があり、私に畑の世話があり、婿のエージュは運動会の振替で家にいたからです。

 ただし1日半家にいただけで私は再び東京に戻ります。
 出産を終えたシーナは病人ではないので一週間で退院してきますが、赤ん坊の方は早産の基準の上限である妊娠36週6日までは病院から出してもらえません(下限は妊娠22週0日)。
 つまりシーナの退院までの1週間(実際にはすでに消化した3日間を除く4日間)はハーヴの面倒を見るために私が必要で、退院してからはさらに大変な仕事のために東京に残らなければならなかったのです。
 大切な仕事とは「ミルク運び」のことです。


【ミルク運びの日々】
 シーナが入院中は1日4回、1回につき30分の面会のたびに乳をやっていればよかったのですが、母乳の生産者が退院してしまうと、母乳そのものを配達しなくてはならなくなります。

 具体的に言えば午前10時にシーナを病院に届けそこで授乳。午後3時に私が迎えに行く直前に再び授乳。残った時間の乳についてはシーナが家で搾乳したものを凍らせて病院に預け、時間を測って保育士さんが哺乳瓶から与えるのです。

 この搾乳というのもなかなか大変で、昼夜を問わず3時間おきに行っては冷凍保存し、搾乳器はそのたびに熱湯消毒しなくてはなりません。母子一緒に退院して来くれば必要のない作業ですので負担感も大きくなります。
 ただしこうした作業のために私たちがウンザリしてしまったかというと、そうではありません。


【出産はいつも奇跡の連続だ】
 ひとつにはハーヴのときと違って見通しがあるということ。

 初めて直に乳を与えるときは新生児は乳首をうまく咥えられない。咥えても簡単に乳が出て来ない。人間の乳首は哺乳瓶のようには楽に乳を通してくれないのです。

 ハーヴのときはそれがつらくて、シーナは様々に工夫し、何とかしっかり咥えさせよう飲ませようと何度も挑戦したみたいです。ところが第二子の場合はうまく行かなくても気楽に構え、
「大丈夫よ。今にうまくなるから」などと声を掛けたりしているらしいのです。

 沐浴のときの泣き声も、ハーブのそれは悲鳴に聞こえ、第二子のそれは歓声に聞こえているのかもしれません。

 新生児のための七面倒くさい作業がイヤでないのは、人生においてそうした経験がそう何度もあるものではないからです。自分の子どもについて言えばせいぜい2〜3回。孫の世話を全部しても今どき10人以上ということはないでしょう。それに孫の場合は、厄介な部分を全部子に任せられます。

 そしてなにより、奇跡の場に立ち会えたということが私の喜びを大きくします。
 先日も引用したテレビドラマ「コウノドリ」の台詞からさらに引用すると、

 たくさんの試練を乗り越えて赤ちゃんはこの世にやって来る。出産はいつも奇跡の連続だ。

 それを喜ばずに、何を喜びとできるのでしょう。
 私は喜々としてその仕事を遂行しました。
                        (この稿、続く)
                

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