2022/1/11

「うんざりするほど淡々とした、しかし最も大切な家族の歴史」〜3年ぶりに家族が揃って・・・  親子・家族


 年末年始、直接の私の家族8人が揃った
 二年前は娘一家が婚家で過ごしたため 実はこれが3年ぶり
 久しぶりの全員の顔を見ながら
 家族の歴史について考えた

という話。
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(写真:SuperT)

【ようやくそろった我が家】
 今年の私の家の新年は8人家族でした。
 昨年は子どもたちが新型コロナのためのドタキャンで、結局、私たち夫婦と93歳の母の3人だけでしたから、ずいぶんにぎやかな正月となったわけです。今年加わった5人は娘夫婦と二人の孫、そしてまだ独身の息子です。

 11年前の東日本大震災の年に父が亡くなるまで、大みそかから新年にかけては私の実家で過ごすのが常でした。弟の家族も集まって9人の年越しが通例で、父が亡くなったあとも母が元気なうちは、1〜2年、同様に過ごしたと思います。しかしそのうち母が「準備が大変」と言い出し、私の家で新年を迎えるようになってからは弟の家族とも疎遠になりました。幸い同じ都市に住んでいますから一年に何回も会うことはあるのですが、これが他県だと数年も会わないということになりそうです。
 そして実際に、多くの家族がそのようになっています。つまり兄弟家族が、何年も会うことがない状態が続く、ということです。


【私の家族の歴史】
 私の主催する私の家族――妻と二人の子、そして子どもたちがもっている(あるいはこれから持つ)家族も、やがて同じ運命を辿るかもしれません。
 私たちが元気なうちはなにくれと会う機会も多いでしょうが、死んだ後まで姉弟が仲良くしてくれるかは未知数です。お互い自分にかまけていれば、その気はなくても、いつの間にか疎遠になってしまうということもあるでしょう。そうなったら私の家族は名実ともに解体です。

 私は昭和63年の秋に結婚し、翌々年(平成2年)に娘が生れ、その3年後に息子が生れて4人家族となりました。それから15年経って娘が都会に出たために家族一緒に暮らす生活が終わり、3年後、今度は息子が家を出て、さらにその3年後、娘が24歳で嫁いで姓を変えたので名実ともにひとり減ったことになります。やがて孫が二人できましたが、それは他家のできごとです。息子が結婚して子ができても、それも他家の話でしょう。
 私はあと何年生きるか分かりませんが、それほど長いことでもありません。

 こうした私の家族の過去と現在、未来のあり方は、この国ではほぼ標準に近いものだと思われます。大雑把に言って、家族はこうした歴史をたどるものだという話です。


【うんざりするほど淡々とした、しかし最も大切な家族の歴史】
 私は学生時代、偶然のことからほぼ同時期に、深沢七郎の『笛吹川』とガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んだことがあります。『笛吹川』は武田信玄の誕生から勝頼の死まで、武田家の盛衰とともに生きた笛吹川沿いの農民一家、六代にわたる物語で、『百年の孤独』はコロンビアのジャングルを開拓した一族が、盛隆を迎えたもののやがて滅亡するまでの7代百年間を描いた小説です。両者ともそれぞれの代で重大な事件をかさねながらも、全体としてはうんざりするほど淡々とした、退屈な時間が流れて行きます。
 それらを読んでから半世紀も経って、私はようやく物語の意味を理解します。私たちの家族の大方の歴史も、似たようなものなのです。

 それにしても8人家族で過ごした4日間、妻は朝から晩まで食事の用意をし、私は食器洗いと後片付け、それに洗濯ばかりをしていた気がします。二世帯住宅を考えると7〜8人の家族はそう珍しいものではないでしょう。そんな家の主婦はとんでもなく大変な生活を強いられているのだろうな、と心から感心したものでした。
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2021/12/24

「愛する人のため、賢者は何を犠牲にしたか」〜愛は数値化できる   親子・家族


 「愛は惜しみなく奪う」というがそうではない
 愛は惜しみなく与えるものだ――しかし何を?
 それはその人の持っているものの中で最も貴重なもの
 現代においては「時間」だ

という話。
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(写真:フォトAC)

【О・ヘンリー作『賢者の贈り物』】
 クリスマス・イブですから良い話をします。О・ヘンリーの『賢者の贈り物』です。
 それなら知っている、今さらなんだ、という人も多いと思いますので、「О・ヘンリー作『賢者の贈り物』に関わる物語」ということにしましょう。
 しかしその前に『賢者の贈り物』そのものについておさらいしておきます。こんな話でした。

 クリスマス・イブの朝、新婚の妻であるデラは深い哀しみの中にあった。明日はクリスマスだというのに夫へのプレゼントを買う金がないのだ。細かく貯めた1ドル87セントがすべてだった。
 この家には二つの宝物があった。ひとつは夫が祖父の代から受け継いだ金時計、ただしそれに鎖はついていない。もうひとつはデラ自身の、腰まで伸びた美しい褐色の髪。
 その長い髪を姿見に映して、デラは長いこと思案していたがやがて決心すると街へ出かけた。ヘアサロンで長い髪をバッサリ切るとちょうど20ドルで売れた。その金を握って今度は別の店を次々と回り、ついに夫の時計にふさわしいすばらしい鎖と出会い21ドルで買う。デラは残りの87セントを握りしめて家に戻った。
 その夜、帰宅した夫がデラを見たときの表情は、彼女の想像していたどんなものとも違っていた。怒りでもない驚きでもない。拒否でも恐怖でもない不思議な表情――デラは精一杯の愛情をこめて説明し、言い訳をし、哀願した。あなたにプレゼントするために髪を売るしかなかったと――。
 夫はしばらく放心した後、こう言った。
「ねえデラ、髪型だとかシャンプーだとか、そんなことでキミを嫌いになったりするもんか。どうして僕があんなふうだったかは、キミのために用意したこのプレゼントを見ればわかるよ」
 差し出された包みを開くと、何とそれはデラの美しい髪を飾るはずだったべっ甲細工の櫛だったのである。以前、デラは店先で食い入るようにその櫛を眺めたことがあった。デラは小躍りして叫んだ。
「大丈夫よ。私の髪はすぐに伸びるわ。それより私の用意したプレゼントを見て、あなたの時計につけるための素晴らしい鎖よ。これをつけたら一日に百回も時間を調べたくなるわ」
 その鎖を見ると夫は椅子にどさりと腰を下ろし、 両手を首の後ろに組んでにっこりと微笑んだ。
「ねえデラ、ぼくたちのクリスマスプレゼントは、しばらくの間、どこかにしまっておこう。だって櫛を買うために、ぼくは時計を打っちゃったのだもの」
 二人は互いのために最も賢明な選択をしたのだ。



【愛は時間で測れる】
 この話の肝は、二人が互いのために自分のもっとも大切なものを犠牲にしたということです。デラは自分の愛を表現するのに1ドル87セントではあまりにも少ないと感じました。プレゼントは彼女の用意できる最大のかたちで示さなくてはなりません。同じように夫も、自分の準備できる最大の資金で妻に対する愛情を表現しようとします。それが『賢者の贈り物』の要点です。愛は相手のために犠牲にしたものの大きさで計ることができるのです。

 これを現代に当てはめるとどういうことになるのか。
 持っている貯金のすべてをはたいてルイビトンのバッグを買ってあげる――愛には違いありませんが少し違うような気もします。妻の手術費用を賄うために愛車を売り飛ばす――これだともっと愛に近づきますが、めったに起こることではありません。
 では愛を表現するためにどうしたらいいのでしょう?

 答えは簡単。現代人にとって最も大切なものは金ではなく、多くの場合は時間とエネルギー、特に時間です。したがって自分の大切な時間を――例えば趣味の時間を、遊びの時間を、時には仕事のための時間を、愛する誰かのために惜しみなく差し出す、それこそ最も愛の大きな愛の表現だということになります。

 考えても見てください。恋愛勝負で多くの場合、勝者となるのはマメで言葉巧みな男です。なぜならそれだけの時間とエネルギーを女性に使っているからです。もちろん二六時中彼女のことを考え、悶々と時間を過ごす男性はそれより大きな愛の持ち主であるかもしれません。現代において愛は時間だからです。
 しかしそれでもうまく行かないのは、ひとりで悶々としてもその大きな愛は伝わって行かないからです。伝わらない愛なんてないも同じです。
 また伝わったとしても、その愛を受け入れるかどうかは相手の決めることです。たいていのストーカーは巨大な愛を相手に捧げ尽くしますが、相手が望まないものは受け取ってもらえません。

 恋愛は私の得意分野ではありませんからここまでとしましょう。問題は親子関係あるいは師弟関係です。


【親の愛は、どれだけ貴重な時間をその子のために犠牲にしたかで決まる】
 人々が貧しかった時代、親が留学のための資金を黙って差し出したりすれば、それは親の愛として伝わります。その金が家族にとってどれほど重要なものか、子どもの方が知っているからです。しかし今も日常的にひもじい思いをしているといった“貧乏が見やすい家”でない限り、金で愛を伝える時代ではありません。ここでも愛を伝える媒介は時間だけです。
 その子に寄り添うためにどれだけの時間を費やしたか、その子の喜びのために自分あるいは仕事のための時間をどれほど犠牲にしたのか、それがものを言うのです。

 例えば日ごろ忙しいお父さんが、運動会の日に何とかやりくりをつけて短時間でも応援に来てくれた、そういう事実があれば、子どもはいつまでも忘れません。共有できるのはその時間だけではなく、のちのち話題にあげられるものです。愛はじわじわと心の中に差し込んでいきます。
 もちろん「日ごろ忙しいお父さんが――」が前提で、年中ヒマなお父さんが運動会に行ってもあまり得点にはなりません。ほかの方法を考えましょう。

 また何が何でもやりくりつけ、運動会の応援に行けという話でもありません。当日どうしても時間が取れないなら予め行けないことを言っておいて、早くから駆けっこの練習などに付き合ってやればいいだけのことです。図式的に言えば、当日5時間の運動会を欠席するなら、予め5回に分けて1時間ずつ付き合えば愛情の総量は変わりありません。
 あとになって失点を回復するという方法もありますが、これだと利子が付きますから5時間では足りないでしょう。丸一日動物園に付き合うとかピクニックに行くとか、何か考えましょう。
 また、この時絶対にやってはいけないことは金で解決することです。何か高価なものを買ってやれば子どもは納得しますが、愛情を伝えることにはならないからです。現代においては愛情を計るのは時間ですから、金など使っても何の足しにもなりません。それどころか何でも金で解決したと、あとで突きつけられるのがオチです。

 もうひとつ。
 時間が愛情として通用するのは相手が受け入れやすい場合だけです。恋愛感情におけるストーキングと同じで、子どもが望まないものに時間を使っても意味ある愛とはなりません。本人にやる気のない中学校受験のために、どれほど時間やエネルギーを費やしても愛情を伝えたことにはならないといったことです。もちろん本人がやりたがる受験なら、意味ある時間の使い方です。

 クリスマス・イブの日に、愛について改めて考えてみました。
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2021/12/1

「やはりひとは大切にしなくてはならない」〜喪中はがきを見ながら思ったこと。  親子・家族


 ここしばらく、年末に喪中はがきをもらうことが多くなっている。
 同世代の友人たちにとっては、ちょうど親たちが亡くなる時期だ。
 しかし時に、下の世代の訃報が届くときもある。
 やはりひとを大切にしようと思うのはそういうときだ。

という話。 
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(写真:フォトAC)

【年賀状の季節、喪中はがきの季節】
 12月になりました。「師走」の字のごとく、学校の先生方にとっては2学期のまとめの時期。忙しい日々が続きますがお体に留意の上、お励みください。
歳が明ければ1月・2月はけっこうゆとりのある時期(最高学年は除く)です。それを楽しみに頑張りましょう。

 さて、そろそろ年賀状の準備をしなくてはならないのですが、最近続々と届くようになったのが喪中はがきです。
 喪中はがきには波のようなものがあって、子どものころのやり取りでもらうのはたいていが祖父母の死。それからだいぶ間があいて40代半ばあたりから親の訃報が寄せられてきます。
 その親の死にもふた山あって、おそらく父親と母親の年齢差や平均寿命が関わるのでしょう、しばらくたくさんもらったかと思うと届かない時期があり、60歳代後半の今はまた多くもらうようになります。
 親ばかりでなく年齢の離れた兄や姉が亡くなるということもありますから、多くなるのは自然なのかもしれません。
 ところが昨日もらった喪中はがきは、それらとは全く違ったものでした。


【長男の妻が、永眠しました】
「長男の妻 ◯◯が本年二月に永眠しました。生前に賜りました――」
 差出人は昔お世話になった先生で、私より10歳ほど年上ですからまもなく80歳といったところでしょうか。奥様との連名ですからご夫婦、つつがなくお過ごしのことと思います。その息子さんの配偶者が亡くなられた――拝察するに40代前後の働き盛りといったところでしょう。心が震えました。
 
 この先生からは一昨年も喪中はがきが届いています。その時に亡くなったのは息子さんでした。今回のはがきにあった「長男」と同じひとなのか、別の兄弟なのか、文面に記憶がないのですが、子ども世代の親族を立て続けに亡くす心痛の、いかばかりかと私のこころも痛んだのです。


【やはりひとは大切にしなくてはならない】
 自分自身がいい年なので新聞の「お悔やみ欄」(死亡広告)はよく見るようにしています。一度、とてもお世話になった方の死亡広告を見逃してしまったことがあり、以来神経質になっているのです。
 毎日見ていたところで役に立つのは数年に一回といった程度ですが、眺めているとすぐ気づくのは「ひとは相当な年にならないと死なないのが普通だ」ということです。ほとんどが80代後半から90歳以上。60代・70代で死ぬのが恥ずかしいような感じさえします。
 普通に、何事もなく暮らしているとそのくらいは生きられてしまう、逆に言うと60代以下で死ぬのはそれくらい異常なことなのです。
 しかしそれでもひとは死ぬ、どんなに若くても死ぬときは死んでしまいます。

 私は無意識に娘のシーナやその夫のことを想いました。息子のアキュラはまだ独身ですが、いずれ妻を持つでしょうからその人のことも思い浮かべてみます。
 妻や、私自身の弟や妻の姉たちのことも思い浮かべ、一期一会、やはりひとは大切にしなくてはならないと思いました。
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2021/10/27

「裏口から、そっと送り出すような別れ」〜眞子内親王の結婚で考えた子育て  親子・家族


 眞子内親王が結婚され、小室眞子さんとなった。
 私は年齢的に、むしろ秋篠宮夫妻に感情移入する。
 子どもは思い通りの育たぬものだ。
 しかし育てたようには、育つ。
という話。 
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(写真:フォトAC)

【内親王の結婚】
 秋篠宮家の長女、眞子内親王が結婚され、赤坂御用地の秋篠宮邸を出ました。晴れて小室眞子さんとなったわけです。
 私はこの件について最初から、どんな形であれ、最後はふたりを一緒にするしかないと思っていましたから、結末がこうなったことには何の感慨も興味もありません。

 先日も書いた通り、小室君がもっと根性なしで、会見まで開いた結婚を投げ出していたら誰かが幸せになったのかといえば、そうでないことは明らかです。皇室に生まれた女性です。簡単に「別れたら次の人」というわけにはいかないのです。

 小室君の母親の金銭問題が発覚して、その処理を誤った時点で、すでに“国民のすべてから祝福される結婚”の可能性は消えてしまったのです。あとはできるだけ悲しみや憎しみのない、穏便な道を探るしかありませんでした。その範囲で言うならば、ふたりはかなりうまくやったと言えるでしょう。

 それにしても小室君、なぜああも頑固に“筋”にこだわったのでしょう? 筋や論理で割り切ることは、ときに相手をないがしろにすることです。私も理屈っぽい性質でしばしば嫌われますが、彼の場合は自分一人では済まない問題でした。
 日本には「ずぶずぶ」だとか「根回し」だとか、「寝技」「裏技」「腹芸」「手打ち」等々、理屈ではない問題解決の方法がいくらでもあるのです。早い段階で誰かが教えてやれば、こんなことにはならなかったのかもしれません。


【裏口から、そっと送り出すような寂しい別れ】
 すでに眞子さんとなった元内親王の結婚に興味はないと言いながら、昨日の件を記事にするのは、赤坂御用地を後にする眞子さんを見送る秋篠宮ご夫妻の姿に、心動かされるものがあったからです。実に静かに見送られたのですが、その心中いかがばかりだったのかと同情する気持ちがあるのです。

 私も7年前に娘のシーナを嫁がせましたが、送る気持ちはまったく違ったものだったに違いありません。とりあえず私の場合は、大学進学のために5年も前に家を出た娘をアパートから送り出す形でしたから、一緒に住んでいた娘を出すのとは気分が違います。結婚式の最中、同じく女の子を持つ私の弟は「兄貴、よく泣かなかったなあ」などと感心してくれましたが、涙など5年前に流し尽くしたという感じです。

 式や披露宴のための資金は大部分を私たちが出しました。それを余計な散財をさせられたと考えるか最後の務めを果たせたと考えるかはこちら次第です。私は後者ですが、どちらにしても他人に訊かれたら「式は◯◯でいたしました」「ええ、ウェディングドレスと赤の打掛で・・・」と簡単に答え、嘘をついたり余計な気を回したりせずに済むのはありがたいことです。

 しかし秋篠宮ご夫妻は式も披露宴もできず、皇室の裏口からそっと送り出すように見送ったのです。さぞかし寂しかったことでしょう。


【子育ては失敗したのか】
 今回の件に関して、秋篠宮夫妻の子育ての失敗という捉え方をしている人がいます。
 「失敗」という言葉は「方法がまずかったり情勢が悪かったりして目的が達せられないこと、または違った結果になってしまうこと」を言います。したがって目的の設定次第で失敗か否かは決まってくるのですが、秋篠宮の場合、ご自身が最初から“皇室の枠にしっかり収まって何一つ自己主張しないような生き方”はしてこなかったように思われます。

 幼少のころはかなりのヤンチャで侍従長から叱られてばかりだったと言いますし、紀子妃との結婚の際も、昭和天皇の喪明け前だったことが非難されもしました。口ひげに金のブレスレッド、ネックレスという姿も、一方で歓迎する人もいれば他方で眉を顰める人もいました。
 私が一番気になったのは、伝承で天照大神の直系の子孫ということになっていて、今も宮中祭祀を司る天皇家の娘を、国際基督教大学に入れたことです。
 それだけ「普通の家の、普通の子」を育てたかったのかもしれません。そして世の中の「普通の子」がそうであるように、親の思い通りにならない、自分自身の道を歩く子が育ったということなのかもしれません。
 お二人の幸せを祈ります。

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