2021/2/17

「子どもの自由を最も大切にする保護者に」〜子どもの導き方のあれこれF  親子・家族


 教師で言えば根っからの民主主義者、自由と平等・博愛を愛する子ども中心主義。
 親に置き換えると、
「友だちのような親子関係を築きたい」と本気で思っている保護者、
「小学生の間くらいは自由に伸び伸びと育って欲しい」と願っている親、
「大人の顔色をうかがうような子どもになってほしくない」と考えている人々――、
 そんな人たちは“願い”が現実に降りてきたとき、
 とんでもなくひどい目にあうかもしれない。

という話。
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(写真:フォトAC)

【友だち親子の実相】
 “友だち”というのは支配と服従のない平等な関係です。指示することもされることもない互いに自由な関係とも言っていいでしょう。ということは「友だち親子」になってしまったら、指示も命令もできないということになります。
 宿題をしなくても、寝坊をして学校に遅れそうになっても文句は言えません、友だちですから。
 どこどこの高校に進んでほしいとか将来はこんな生活をしてほしいとかいった夢を、持ったり語ったりすることもダメです。友だち同士で語るのは自分の夢だけであって、相手にこうなってほしいと願う友だち関係など普通はないでしょう。

 最近「友だち親子」で評判になっているのは日本テレビ水曜ドラマ「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」で菅野美穂と浜辺美波の演じる親子ですが、見ていて明らかなのは、まず母親が天真爛漫なガキだということです。
 世間体だとか他人の思惑だとかいったことをほとんど気にしない、娘が高校で吹奏楽部の一軍に入れなくても、大学受験で国立に落ちてもまったく苦にしない。娘がマンガ・アニメオタクでいつまでたっても彼氏できなくても「母ちゃん本当は心配していたんだよォ」というくらいで、実際に何かをやった様子はまるでない。
 娘が苦しいとき、母親に代わって慰めてくれたのは向かいのビルの壁についている大きな象印のマークといった塩梅です。

 あまりの天真爛漫さにやがて娘の方がしっかりせざるをえなくなって「いい歳して、天然、暴走、世間知らずなかーちゃんが放っておけない!」ということになります。
 さすがは北川悦吏子の脚本、「友だち親子」の本質を余すことなく描いています。

 学校でも私の知っている若い英語科の先生(正確には同僚だったころは若かった先生)も、心配なくらい子どもっぽい部分を残す人で、担任のクラスではすぐに生徒と友だちみたいな関係になってしまいました。ただし子どもの間に入るとまるっきりの「ドラえもん」のジャイアンで、自分の思い通りにならないとすぐに暴れる。
 宿題をやって来ない生徒がいる、旅行学習が予定通り進まない、合唱コンクールで金賞が欲しい――それをジャイアンの体で行うので、生徒の方が根負けして何とか担任を支えようとする。テレビドラマの母娘そのもので、それで落ち着いた楽しいクラスができるのです。

 いずれにしろ、親として、教師として、特別で変な才能がないとなかなかうまく行くものではありません。日ごろは友だちのようなふりをして、いざというときに指導に入るようでは最低です。


【自由に伸び伸びとには才能がいる】
 「小学生の間は自由に伸び伸びと」もよく聞く話です。しかし小学生の間じゅう「自由に伸び伸びと」育った子の中には、中学校に入っても高校に進んでも、相変わらず「自由に伸び伸びと」しかできない子がいます。勉強とか部活とか、制約の多いものは一切ダメなのです。
 人間は簡単には変われません。楽な方から苦しい方への転身するのは特にたいへんです。

 考えてみると「小学生の間は自由に伸び伸びと」とおっしゃる親御さんも、宿題はやらない、片付けはしない、家事の手伝いも一切やらず好き勝手にやっていいと思っているわけではありません。よく聞けば、人並みに勉強をして、身の回りのことやお手伝いもそこそこにできて、その上で「自由に伸び伸びと」育って欲しいと願っているのです。でもそんな子は、エリートでしょ? 放っておいて育つわけがありません。ですからそんな子を育てようと思ったら、かなり困難な育児をうまくしておく必要があります。

 「大人の顔色をうかがわない子」だって同じです。相手が怒ると分かっていることを平気でやったり、何を言っても「カエルの面にナントカ」では困るじゃないですか。
(「大人の顔色――」については、別の意味でまた扱います)


【そうは言っても、子どもには自由で伸び伸びと生きてもらいたい】

 しかしそうは言っても支配−被支配の親子関係はギスギスしますし、子を管理し尽くすのもエネルギーがいります。できれば友だちのように、これといった指示はしなくても簡単なアドバイスだけで正しい選択のできる子であってほしい、困ったときには相談も持ちかけてほしい。子どもの時期からオドオドと大人の顔色をうかがい、好きなこともできない子ではかわいそうです。

 世の中には私たちが願うような親子関係、師弟関係を創り上げている親や教師がいくらでもいるのです。
 彼らはどうやってそれを果たしたのでしょう。

(この稿、続く)

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2021/2/5

「ならぬことはならぬという学び」〜ハーヴとイーツに起こったことB  親子・家族


 大人になって融通を利かせるにしても、
 子どものうちは絶対に守らなくてはない社会的ルールがある。
 それを身につけさせることで、“何かのために何かを我慢する力”をつける、
 それが小学校にあがる前にやっておかなくてはならないことなのだ。

という話。
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【小学校では、遅すぎる】
 初任で中学校に勤め、10年中学校教師をやって自信も誇りも意欲も十分についたころ、わざわざ通信教育で免許を取って小学校に異動しました。なぜ今さら小学校にと訝る人もいましたが、中学校で教員を続けるのに一度行って見ておきたいというのが唯一最大の理由でした。

 新たに中学校の入ってくる生徒を見るたびに、97%、いや98%の子どもはいいにしても、のこり2〜3%に関して、「小学校はどうしてこんな子を6年間も放置できたのか」と不思議でしかたなかったのです。もう少し仕上げて卒業させられなかったものか――。

 そこで2〜3年のつもりで小学校へ移ったのですが、私はたいへんな思い違いをしていました。小学校へ異動するには小学校教員一人分の席が空けばいいのに対して、中学校に戻るには「社会科教師」の席が空かなくてはならなかったのです。言うまでもなく中学校は小学校の半分の数しかなく、社会科教員の席はさらにその十分の一程度の狭き門です。

 結局、毎年のように中学校への異動願を出しながら、結局は戻ることができませんでした。あまりしつこく異動させろと言ったら怒った校長先生が、職員室の隅にいた若く優秀な先生を遠く指さして、
「あの先生でさえ中学校に希望を出して通らんのだぞ(オマエに行けるはずがない)」と言われて少し傷つきました。

 しかしおかげで学年をどんどん下げて最後は小学校1年生の担任までさせてもらい、当初の謎、「なぜあんな子どもたちが中学校にあがってくるのか」を十分に理解することができました。
 答えは、
「小学校では、遅すぎる」
です。


【小学校に持ってくるべきもの】
 小学校に入学するに際して、ひらがなやたし算なんか勉強してくる必要はありません。ましてや英語なんてまったくやってくる必要はなく、それよりも日本語――先生の言うことをきちと聞くことのできる子を育ててきて欲しいのです。

 45分間席を離れず、担任の言葉に耳を傾けることのできる子、それさえ寄こしてくれれば、あとは先生たちがいかようにも育ててくれます。しかし座っていること自体が難しい子、教師の話をたびたび聞き漏らすような子をきちんと育てるのはなかなか難しいのです。
 話を聞いてもらえないのでは何も始まりません。

 ではどういう子が45分間きちんと話を聞いていられるのか――いうまでもなくそれは「我慢強く、情緒の安定した子」です。
 シーナの家の鉄の掟、「完食せざる者、デザートを食うべからず」はその意味の重要だと思うのです。


【ならぬものはならぬという学び】
 人間社会には鉄の掟がたくさんあって、それには無条件に従わなくてはなりません。大人になって多少融通を利かせたり、場合によってはルール自体を変えたりすることはあっても、少なくとも子どもの間は絶対に守らなくてはならない約束事が、かなりの数、あるのです。

 例えば赤信号ではどんな場合にも絶対に止まっていなくてはなりません。大人になって車が一台も来ない深夜の交差点でちょっとズルをすることがあるにしても、子どものうちは守らなくてはならない。
 同じように、小学生になったら学校へは時間どおりに来なくてはなりません。チャイムが鳴ったら席に着かなくてはなりませんし、授業が始まったら私語をせず、45分間、きちんと話を聞いたり作業したり、そのほか先生の指示に従ってすべきことをしなくてはならないのです。

 それは自分のためだとか、友だちに迷惑をかけないためだとかいろいろ説明の仕方がありますが、とりあえず”掟(無条件で従うべきルール)“だからと言っておきましょう。その方が面倒がなくていいですから。
 ハーヴがデザートを諦めなくてはならないことにも、同じ意味があります。

 実は子どもたちはかなり早い時期からこの“掟”の訓練をしてきています。例えばジャンケンがそれです。何かを賭けてジャンケンをするとき、相手のパーにこちらがグーを出してしまったらどんなに欲しいものであってもあきらめなくてはなりません。鉄の掟ですから。
 あるいは滑り台やブランコで遊ぶときのジュンバンコやカワリバンコも絶対に守らなくてはならない“鉄の掟”です。他人を押しのけたり、遊具を独占したりすることは厳しく糾弾されなくてはなりません。
 子どもたちはこうした遊びを通して徐々に社会的ルールを身につけてきていきます。だから家庭内のルールも鉄壁でなくてはならないのです。
 会津の「什(じゅう)の掟」にいうように、「ならぬものはなりませぬ」でいいのです。


【ただし・・・】
 子どもの成長を幼児期まで遡って考えると、ここに厄介な問題が現れてきます。それは生来の気質というものです。「子どもは真っ白な心で生まれてくる」などと言う人がいますが、まったくそんなことはありません。生まれながら持ってくるものが山ほどあるのです。
 例えば私のところのハーヴとイーツ。同じ親から生まれて顔も似ているのに、性格や行動はまったく違います。
 ハーヴは生来の臆病者で、ハイハイの時期、畳の部屋から床に降りる4pの段差が怖くて、必ず後ろ向きになって移動していたほどです。ロボット掃除機のルンバが怖くて、動き出すとヒーヒー言いながら高速ハイハイで逃げ回っていました。きちんとしゃべれるようになっても、「ルンバは怖いんだよ」とか言っていましたから相当なものです。
 屋外を歩くときは必ず大人の方に手を伸ばして握ってもらい、危険なこと、無茶なことは一切しません。総じてとても育てやすい“良い子”だったのです。

 ところがイーツの方は、送られてくる写真や動画を見るといつもどこかに絆創膏を貼っていたり目の周りを真っ黒にしていたりしています。
 ついこのあいだの1歳半のときには、上の写真の右の方に見える自動車で階段の最上階から一番下まで一気に駆け下りたといいますから相当なものです。目が離せない。

 この二人を同じように育てるわけにはいきませんし、同じように育つこともなさそうです。ですから「小学校にあがるまでに45分間きちんと座って話を聞ける子に育てましょう」と言っても、かける時間もエネルギーも、子によってかなり違ってきます。

 動きの激しいお子さんをもった親御さんの大変さは重々承知しています。ですから何が何でも「きちんと話を聞ける子」に育ててこないといけないとは申しません。しかしそれでもなお、努力は続けるしかありません。


【最後に】
 家庭内に鉄の掟を持つことと情緒の安定した子を育てることの間には強い相関があるように感じています。
 これについても書こうと思ったのですがまた話が長くなります。その件については改めてお話ししましょう。

(この稿、終了)

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2021/2/4

「鉄の掟:完食せざる者、デザート食うべからず」〜ハーヴとイーツに起こったことA  親子・家族


 5歳の孫のハーヴは夕食が食べきれず、そのためにデザートがお預けとなった、
 そして一口も食べられなかったデザート皿は、本人の手で台所に運ばれる。
 ハーヴはそこで激しく泣いた。
 鉄の掟が立ちはだかっていた。

という話。
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(レストランでの食事風景です。いつもこんな豪華なものを食べているわけではありません)

【その夜、ハーヴに起こったこと】
 5歳7か月の孫のハーヴは夕飯を完食できず、おかげでデザートも食べられなくなって大泣きに泣きました。それを1歳8か月の弟のイーツが慰めたというのが昨日の話の発端です。

 ハーヴが食べ切れなかったのはラーメンだったようです。父方の祖母から送られてきたご当地ラーメンで、どうやら濃厚な豚骨スープが口に合わなかったらしいのです。もともと少食な子なので、少し苦手意識が働くと入らなくなります。母親も5歳のころは少食で、食事時間が終わってもいつまでも残食のあるお皿とにらめっこをしていましたから、遺伝的な要素もあるのでしょう。

 いつまでもだらだらと食の進まないハーヴを見て、母親のシーナが「もう少しでしょ、がんばりなさい」とか、「ホラ、さっきよりだいぶ進んだじゃない、あと少しね」とか励ます様子は容易に想像できます。しかしそれでも箸は進まず、麺も伸び切って、最後は「じゃあ(時計の)長い針が10になるまで頑張って、それでだめなら諦めなさい」ということになったのだと思います。
 それでも食べられなかった――。


【食は強制されざるべきか】
 食を強制することにはさまざまな意見があります。特に学校給食ではかつて清掃時間も使って食べきることを強制した教師もいました(私はそうです)。しかし今はそういうこともなくなっているはずです。
 批判派は、
「人には食べられる量に個人差がある。それをみんなと同じように盛って全部食べろというのは、まさに虐待にそのものだ」
とか言ったりしますが、冗談ではありません。みんなと同じに盛ったら食べきれないなんてバカでも分かります。きちんとそれなりにして渡したのです。

 教師が“何が何でも完食させたい”と意地になるような子の皿の上には、5o角のキャベツ1粒しか乗っていない場合だってあるのです。野菜は全部ダメ、魚介類も一切ダメ、味噌汁は具がなければ飲めるといったような子を、なんとかしたいとムキになるのは教師の性としか言いようがありません。
 学校給食は世界中のどんなレストランも家庭もやっていないほど厳密に栄養バランスを考え、成長期の子どもに必要なカロリーなどを計算したうえで提供されるものです。それを食べ残すとしたら少なくとも一日一食が栄養不良のまま終わるということです。その不足分を補うだけしっかりした朝食・夕食を用意できる家庭がどれくらいあるというのでしょう?

 もちろん無理強いをせず、教師が手を抜いて全部残させてもその子が餓死する心配はありません。学校から帰って玄関のドアを開け、「ただいまー、お腹、ぺっこぺこ」と言えばテーブルの上にはショートケーキやらお菓子やらがふんだんに乗っているのですから。
 家庭が甘やかすというよりは、そこまで追い込まれているのです。家でできなければ学校がやるしかない、そうしないとこの子がかわいそうだ、大人になってあちこちで躓いてしまう、その5o角を食べることで何かが始まるかもしれない――教師は反射的にそう思ったりしますが、今は食べさせること自体が禁止事項に入ってしまいました。納得できませんが。


【家庭内の鉄の掟】
 話はそれましたが、食事であれおやつであれ、出されたものはすべて食べなくてはならないとシーナは考えます。その点で私と同じです。
 食べなければならないものを、食べられるように計算して出しているのですから、食べてもらわなくてはならないのです。それを完食できずデザートだけは別腹だというのは、お天道様だって許さない――とシーナは考えます(たぶん)。
 こうしてシーナの家では、「完食せざる者、デザート食うべからず」が鉄の掟となります。

 時間が来てもラーメンが食べきれなかったハーヴは、おそらく目の前からデザートを取り上げられたのではないでしょう。鉄の掟ですから粛々と執行されます。
 具体的に言えば、「もう時間だね」あるいは「もういいよ」と言われてハーヴは椅子からすべり降り、食べ残しのラーメンと箸と副菜の皿を台所のカウンターに運びます。それからいったん席に戻って食べることを許されなかったデザートを、手つかずのまま、自分で持って台所に運ぶのです。その姿はやがて自分が架けられる十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かう、イエス・キリストにも似ていたのかもしれません。
 カウンターの上にデザートの皿を置くと、ハーヴはそこで耐えきれず大泣きに泣きます。動画に映っているのはまさにその場所です。そこにイーツが慰めに来る。


【5歳児に最も大切なこと】
 鬼ですね、冷酷ですね。しかしその残酷さはまったくの親(私たち)譲りです。
 ルールは一度でも破ると終わりだ――とまでは言いませんが、一度、二度と破ると、三度目からは子どもの側にも期待が生れます。今回もまた許してもらえるかもしれないという期待です。そうなると頑張りもききません。ほどほどに頑張ったところで切ない目で親を、見て許しを請います。
《もういいから、早くデザートを食べてって言って!》

 親は悩みます。
 前回許したときとその前許さなかったとき、そして今回の状況を計量してハムレットみたいに「許すべきか、許さざるべきか、それが問題だ」と悩むのです。しかしこの問題には要素が多すぎて容易に答えにたどりつきません。それをほぼ毎日やらなくてはならないのです。たいていの親はここで挫けしまい、ルールがなくなってしまうのです。

 シーナそうではありません。この冷酷な母親は粛々と掟が実行されるのを待ちます。ハーヴはこれまで奇跡が起こらなかったように今回も起こらないこと知っていますから、黙って従うだけです。たとえ苦しくて嗚咽を漏らそうとも、ルールが変わることはありません。

 可哀そうです。本当に可哀そうです。大甘のジジとしては側にいればひとこと助け舟を出したいところです。しかし実際にはしないでしょう。
 家庭内に鉄の掟があって常に試されているということが、5歳のハーヴにとってとても大切なことだと知っているからです。

(この稿、続く)

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2021/1/25

「ウサギとリンゴとビタミンの話」〜ウサギの“ミルク”とカンザスの母親が見つけ出したもの  親子・家族


 たった一羽、生き残ったウサギの“ミルク”が突然エサを食べなくなった。
 そろそろ死ぬ準備を始めたのかと思ったら、
 突然、猛烈にリンゴの皮を食べ始め、やがて元気になってしまった――と、
 この話、どこかで聞いたことのあるような気がする。

という話。
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【ウサギはニンジンでアートをつくる】
 三羽いた中で唯一生き残ったウサギの“ミルク”が、最近、リンゴを食べることを覚えました。
 もともと悪食で与えられたものは何でも食べる子でしたが、口のきれいな他の二羽に合わせて、ラビット・フードやらキャベツやらしか与えていなかったのです。

 ところが一羽だけ生き残って、お尻の始末もいいところから部屋の中で放し飼いできるようになってからは、主人(私たち夫婦)の気まぐれでいろいろなものが与えられ、さまざまなものが食べられるようになったのです。
ただし目の前にパンが置かれて戸惑ったこともありました。

 実は私は、ウサギがニンジンを食べるというのは伝説だと思っていたのです。以前、最初に我が家に来たネザーランド・ドワーフの“カフェ”に与えたところ、見向きもしなかったからです。
クリックすると元のサイズで表示します ところがあるとき、大きな生のニンジンを一本、悪食“ミルク”の前にドンと置きっぱなしにしたら、一週間もかけて不思議なオブジェ(右図)を制作し、さらに一週間かけて食いつくすと、あとはニンジンを目の前に置くだけで、すぐに齧りつくようになったのです。これで食のバリエーションが一つ増えました。

 次は何を食べさせようかと考えているうちに、ふと小学生のころ、学校で飼っていたウサギに冬の食料としてダイコン葉の乾燥させたものを与えていたことを思い出し、これも試してみることにしました。
 昔は毛を取って売るためにアンゴラウサギを買う家も少なくなく、学校は日本白ウサギでしたが、沢庵を漬けたあとに残ったダイコン葉を干して冬場の餌として使うことが多かったのです。
 現代の、ぜいたくに慣れた外国由来のウサギが、そんなものを食べるのかと半信半疑でしたが、これもよく食べました。
 そんなふうに毎日おもしろがっていたのですが、そんな悪食大食いの“ミルク”が、先月中ごろ、突然、何も食べなくなったのです。


【“ミルク”、死にかけて自ら治す】
 すでに8歳。人間に例えれば90歳を過ぎたお爺さんですので、そんなに食べなくてもいいのですが、まったく食べないというのは異常です。ウサギなんて、食って寝て、走り回って生涯を送るような生き物ですから、そのうちのひとつが完全に止まってしまうというのは明らかに死ぬ前兆なのです。先に死んだ二羽も、食が細ったというよりも突然食べなくなってそれから餓死するかのように死んで行きました。
 ネットで調べても、「食べなくなったウサギに、飼い主がしてやれることは何もありません。すぐに医者に連れて行きましょう」とあります。そこで明日は病院に連れて行こうと思ったその晩、妻が戯れに与えたリンゴの皮にとつぜん食らいついてとんでもない量を食べ始めたのです。
 まるで狂ったかのように貪り食って、仕方ないので次々と新しいリンゴを剥いて与えるとそれも片っ端食べてしまいます。
 翌日になると食欲はラビット・フーズやキャベツにも向かって行って、2〜3日後にはそれで完全に治ってしまいました
 あれから一カ月以上たった今も、“ミルク”は元気です。


【ビタミン発見の話】
 話は変わりますが、いまから150年ほど前、アメリカのカンザスに壊血病で苦しむ一歳の男の子がいました。なす術のなくなった母親はリンゴを食べさせようと、赤ん坊を膝に乗せたまま皮を剥き始めたのですが、驚いたことにその手から螺旋状に降りてきたリンゴの皮を、赤ん坊が手づかみでむしゃむしゃと食べ始めたのです。
 勘の良い母親だったのですね。病気の子が本能的に欲しがるものは体にいいに違いないと考えさらにリンゴの皮を食べさせると、容態はどんどん快方にむかって行き、野菜やイチゴジュースも加えてバリエーションも増やすと、やがて病気は快癒してしまったのです。
 現在ではビタミンCの不足が壊血病の原因だと分かっていますが、母親は本能的に息子の病気を治す栄養素を理解したのです。

 このときの赤ん坊はやがてウィスコンシン大学で栄養学の研究を始めるようになり、やがて世界最初のビタミンの発見者となります。栄養学史上最大の巨人といわれるエルマー・マッカラムです。
 マッカラムの発見したのはビタミンAでしたが、自分に関する母親の印象深い話を覚えていて、食品に含まれる未知の栄養素について、人一倍強い確信と執着心があったのでしょう。

 我が家のウサギは、もう年齢も年齢ですから将来学者になる可能性はなく、未知の栄養素を発見することもないと思いますが、自らリンゴの皮を食べて病気を治し、主人である私にマッカラムのことを思い出させたという点でとても立派な子です。

 いや立派な子ではなく、立派なお爺ちゃんですが、最近は日向ぼっこをする老人よろしく、ストーブの前で後ろ足を投げ出して眠るという、野性を完全に失った姿で私たちを笑わせています。

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2021/1/22

「子どもの教養そだての総決算」〜教養ある家庭に関する考察あれこれC  親子・家族


 十分な環境を築き、手を尽くし――、
 それで子どもたちの教養や趣味は出身階層を乗り越えることができるのか。
 我が子を使って行った25年に及ぶ研究の結果、
 思いもよらないことが分かった、
という話。
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【書籍が常にそばにある生活は、子どもをどう成長させたか】
 家に数千冊の本をそろえ、2歳のころから10歳になるくらいまで読み聞かせを欠かさず、書籍に使うお金はふんだんに与えてそれで二人の子はどう育ったか。
 結論から言うと、二人とも医者にも学者にも、詩人にも小説家にもならず、書籍に関わる仕事にも就きませんでした。

 それでも娘のシーナは大変な読書家に育ちました。今でもけっこうな量の本を読んでいるみたいです。読書から学ぶことも多く、その点で私たち両親に感謝するとも言っています。近年は私の方が面白い本を紹介してもらって読むことが多くなりました。
 総じて読書家には多いのですが、文章が堪能で長い書きものも苦にしません。シーナのブログは長年の私の愛読書でした(最近は更新がない)。

 しかし本というモノ自体に対する愛着はまったく受け継ぎませんでした。家にいるころは風呂に持ち込んで寝落ちして水没させたり、古新聞の束の上にドンと置いて私に処分させようとして何度も叱られたりしました。最近はもっぱらデジタル版で、紙の本は買っても読み終えるとすぐにメルカリで売ってしまうそうです。

 弟のアキュラは読書家にはなりませんでした。そもそも1万円の図書カードも使いあぐね、使い切っても私の方から声をかけないと新しいものを催促することもありませんでした。
 そう考えると、図書の環境も読み聞かせもまったくムダだったようにも見えますが、私が読み聞かせをしてあげなければこの子はロビンソン・クルーソーもシャーロック・ホームズも知らないまま一生を過ごしてしまったのかもしれません。ですから8年に渡って読み聞かせをしたことに後悔はありません。
 また、大学生になってからは気がつくと専門外の文科系の、びっくりするほど難しい本を読んでいたりしましたから、本のある生活をさせたことはまるっきりムダだったというわけでもなかったようです。


【ピアノは何を育てたか】
 他のこともお話ししましょう。

 シーナには3歳のころから、アキュラには4歳からピアノを習わせ、小学校が終わるまで続けさせました。
 アキュラはピアノなんかちっとも好きになれず、いつもウンザリしていて教室を辞めるときは心から清々しい表情だったのですが、中高生のころ、ときどき思い出してはピアノに向かっていたのはこの子の方でした。

 中学校で勉強や部活との両立ができずに泣く泣くピアノ教室を辞めたシーナの方は、まるで見向きもせずに中高6年が過ぎます。しかし大学に入って音楽サークルに入るとあちこちのバンドから声のかかるキーボードの売れっ子になり、そこで先輩のエージュと会って結婚したのですから何が幸いするか分かりません。
 弟のアキュラも大学でバンドサークルに入りました。ですからギターやドラム、ボーカルの良し悪しといった点では私よりはるかにいい耳を持っているのかもしれません。

 二人ともクラシックには少しの興味もなく、音楽に満ちた生活ということにはなりませんでした。ピアノ教室に通わせた理由が「妻が独身時代に買ってしまったピアノを無駄にしたくない」という極めて親本位の身勝手なものでしたから、結果がこの程度でも満足すべきでしょう。


【子どもの教養そだての総決算】
 ついでですので、子どもたちが良き趣味をもった良き教養人となるために私たちが施してきたその他のこと、および成果について記しておきましょう。

 スイミングスクールには早くから通わせ、小学校の修了まで続けました。そもそもが健康のためと万が一水に落ちても慌てず対処できるようにと始めたものですから、大会に出るような泳力がつかなかったことには不満はありません。 シーナやアキュラの子が小学校にあがって水泳で困ったら、プールに連れて行って教えてあげられる程度でよいのです。また将来、余裕ができてスポーツジムに通うようになったとき、プールで気持ち良く泳いで帰って来られるような子であればいいと思っています。

 絵画は特に教えたり習わせたりしたことはありません。しかし二人ともいい感じ絵を描く子で、しかも美術についてはシーナよりアキュラの方に多少の才能はあったように思っています。
 私は中学校1年生の初め、わずかな期間の美術部員でした。それに最初の授業でクロッキーがすごく誉められ、絵の具を塗り始めたら先生が何も言わなくなった、そこまでの間のことです。フォルムは良かったのですが、色がまったくダメだったのです。

 アキュラはその点、学校の美術の時間に「いくら何でもそれはないだろう」と言いたくなるようなろくでもない対象を選び、しかし色彩はじつに巧みでした。体育裏の倉庫の絵などは、あんなに人工的で灰色一色しかないようなつまらない建物を、ほんとうに上手に描いていました。親で教員の私が、感心するほどです。

 鑑賞の方は――大学生になってから私が東京の美術館に一度さそったら、以後はひとりで通うようになったみたいです。したがって二人でイタリアの美術館巡りに行ったときなど、私よりも丁寧に観るので十分に堪能できました。
 姉のシーナも何回か美術館にさそって、回数としたらこちらの方が多かったはずですが、結局いつまでたっても“お付き合い”の域を脱することがありませんでした。

 あとは――「芸能人格付けチェック」になぞらえて言えばあとは味覚だけですが、これはなか難しいところです。
 妻は料理が堪能で、作り置きもありますから15分もあれば5〜6種類の料理を並べることができます。味もいい(とバカ舌の私が言っても説得力はないのですが)。
 しかし調理の基調は、安い材料、使い残しの材料でいかにおいしく作るかというものですからグルメを育てるのには向きません。おまけに一流料亭どころか街のレストランでさえほとんど行っていないので、高級料理やワインを見分けるといった感覚はまるで育っていないはずです。
 おいしく食べられることはそれだけで価値です。しかし趣味としては「いろいろ食べたい」という意味での「食べるのが趣味」の段階に留まっているようです。


【今が幸せならいいじゃないですか】
 こうして考えてみると、私はかなり熱心に子どもの教養を高め善き趣味の持てるよう育ててきたつもりでしたが、やはり結果は大したことはなかったようです。
 ブルデューの言う通り、子どもたちも自分の出身階層を抜け出ることはありませんでした。でも今が幸せならいいじゃないですか。シーナもアキュラもそれなりに人生を楽しんで生きています。
 そしてここまで考察してきて、私はある意外なことに気づいたのです。

 映画が好き、絵画鑑賞も好き、読書は子どものころから一貫した趣味だった、などと書きましたが、それは間違いだったのかもしれません。

 私の一番の趣味は子育てなのであって、これこそ一番エネルギーも時間も金も使い、そして夢中になって楽しんだ最大のものだったのです。

(この稿、終了)

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2021/1/21

「自分がダメなら子どもを育てる」〜教養ある家庭に関する考察あれこれB  親子・家族


 昔の一般家庭にありがちな、趣味も教養もない普通の家庭に育った私。
 その私がダメなら、自分の子どもにそれなりの環境を与えてみよう。
 そうやって始めた「教養ある家庭」の環境づくり。
 さてどうなるのか、

という話。
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【考えてみたこともなかった友人の家庭環境】
 支配層、資本家、成功者たちは自らの成果を「努力」や「能力・才能」で説明し、そうならなかった人たちを「努力不足」や「自己責任」で片づける傾向があると考えられます。ブルデューやマルクスが決定論に傾くのはそのためで、
「そうじゃない。金持ちが金持ちなのは金持ちだったからで、キミが教養人なのはそもそも教養人の家に生まれ育ったからだ」
と言いたいのです。
 しかし現実の社会、例えば日本社会は、そこまで硬直化しているわけではないでしょう。

 私は高校生の時、のちに医学部に進んで医者になる年下の友だちの家に行って、そこに膨大な書籍があることに驚かされたことがあります。友人のものではありません。父親の本です。
 お父さんは何代も続く老舗旅館の婿養子で、稼業の切り盛りはほとんどお母さんがやっていましたから、本人は生涯、本を読んで遊び暮らした、そんなふうだったのかもしれません。
 もちろん彼が医学部に行くのは相応の地頭があったからでしょうが、それにしても家に本が大量にあって、父親が常に読書をしているような雰囲気の中で育てば、勉強に向かう姿勢も異なってくるでしょう。
 私が「ウンコラショ!」と重い腰を上げて勉強机に向かうのに比べたら、最低でも1割か2割引きの軽さで勉強を始められたに違いありません。なにしろ夕食が終わったら親から率先して机に向かう家なのですから。
 こうして田舎の旅館から一人の医者が生れます。さらにその友人がうまく子育てをすれば、そこから1階層、上へと昇っていくこともあったのかもしれません。


【本のある家庭の創造】
 私は子どものころから、読書も好きでしたが「本」という物体そのもの好きでした。美しく装丁された書籍はそれ自体が美術品ですから、手に入れるだけでもうれしかったのです。

 本は不注意に前から読み進むと読み終えたときに背が斜めに傾いてしまいます。そこで購入するとまずカバーを外し、後ろの方から2ページぐらいずつ丁寧に広げていきます。2ページずつというのは単に1ページだと時間がかかるからで、それをページ数の半分以上のところまで進めておきます。それから最初に戻って前から順に読み進めると、終わったときには背はきちんと丸くなっているのです。

 一冊読み終えると最後のページに読了日を記入し、ドンと蔵書印を押します。それからブックカバーが汚れないようにブックコートフィルムを貼り、最後に書棚に丁寧に入れます。そこまでが私の読書です。

 教員になってからは忙しくてなかなかそこまではできなくなりましたが、書籍自体が大切という気持ちは変わらないので一冊も捨てられません。したがっていつの間にか本棚も10台を超え、仕事部屋はかつて見た友人の自宅と同じようなものになりました。
(ただし書棚は組み立て式のスチールですし、文庫や新書がやたら多いので見た目はだいぶ貧相です)


【私自身の子どもの読書環境】
 子どもの読書環境には気を遣いました。
 二人の子には落ち着いて話が聞ける年頃から、本人が「もういいや」と言うまで、寝る前の読み聞かせを欠かしませんでした。一緒に布団に入って一冊ずつ読んでやり、そのあと一緒に眠りにつくのです。結局二人とも小学校4年生まで私の隣にいました。
 学校の持ち帰り仕事は朝3時に起きで行います。それはそれで締め切り(出勤時刻)のある仕事ですのでかえってはかどり、便利でした。

 書籍代はケチな私の家庭では唯一の例外で、私は自分にも甘かったですが子どもたちにはさらに甘くしました。中学生くらいになると1万円の図書カードを渡し、なくなるとすぐに補充してあげます。1万円といっても単行本1冊で二千数百円もしたりしますからあっという間です。
 上の女の子は困ったことに参考書マニア、かつ問題集のつまみ食い症でしたから大変な量の無駄が出ましたが、特に口出しはしませんでした。言えば切りがありませんし、始終監視しているわけにもいきません。買ったものを見比べて「こっちでいいだろう」とアドバイスするだけの時間もエネルギーもないのです。放置しました。

 下はオタク系男子ですから図書カードが全部マンガやフィギュアに化けてしまう危険性もありますし、そもそもカード自体が現金化される可能性もないわけではありません。しかしこれも覚悟を決めました。その程度は信じてやらなくてはなりませんし、実際に信じてよかったと思っています。したがってこちらも言われるままに追加して放置。
 根拠は双方とも、こちらの能力として管理しきれないことです。

 さて、そこまで手を尽くして読書環境を整えられた子どもたちはどう育ったか、ブルデューの軛を逃れることができたのか――。
 それについては明日、お話しします。

(この稿、続く)

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