2022/6/13

「夫婦役割分担の代償と、育て直しの話」〜かくも厄介な人生の終末A  親子・家族


 夫婦は一対一体のものであって互いに補うべきものだ、それはいい。
 しかし役割分担をしっかりとして30年も過ごすと、
 分担しなかった部分のスキルは著しく低下する。
 人生の終末期、互いの弱い部分を補強し合わなくてはいけないのだが――、

という話。
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(写真:SuperT)

【来月、私はここにいない。そして帰ってこないかもしれない】 
 4月の初めのことだったと思います。
 一日おきに家の周辺を歩く30分のウォーキングの際中、ある畑で熱心に農作業をしている老人を見かけました。老人と言っても私とあまり変わりない年頃の、白髪の人です。
 私は「隣り百姓」ですから、誰かが早めの作業をしていると気になって仕方がありません。そこで、
「今は何の作業をしてるんです?」
と声をかけます。話を聞いて、必要なら後追いをしなくてはなりません。
「ジャガイモは植えたからね。今はキュウリの準備をしている」
 ジャガイモは私も植えたばかりで納得できるものですが、キュウリの露地栽培はまだずっと先。4月初頭では早すぎます。
「ジャガイモはやりましたが、キュウリはまだ一カ月以上も先の話じゃありません?」
 するとこんな答えが返ってきたのです。
「そうなんだけど、そのころ私はここにいないんだよ。そしてたぶん帰って来れらない。だから女房が苗さえ植えればいいように、準備だけはしておこうと思ってね」

 まさかその歳で離婚もないでしょうし、離婚だとしても別れる妻のために畑をつくっておくということもありそうにない――。
 思いがけずたいへんな話に首を突っ込みそうになり、私は慌てて、
「疲れすぎないように、頑張ってください」
などとお茶を濁してその場を去りました。中途半端に病気の話を聞いても中途半端な応援しかできず、切羽詰まるのは目に見えています。


【木々はどうする畑はどうなる】
 定年退職になった夫に調理や洗濯の仕方を教え、万が一自分が先に死んでも困らないようにしている妻、そういう話は聞きます。しかし平均寿命を考えればはるかに“早く死ぬ可能性”の高い夫の方が、自分が死んだ後のことを考えて妻に何かを教えたという話はトンと聞きません。普通の男性は家に専任の仕事を持っていないのでしょうか? ――たぶんそうなのでしょうね。

 私は違います。妻に教えなくてはならないことがたくさんあります。例えば庭木の整理。
 およそ30年前に家を建てたころは市が地域の緑化に熱心で、一定額を越えて庭木を植えたり生け垣をつくったりすると補助金が出る仕組みがありました。我が家は申請するほどでもなかったのですが、それでもけっこうな数の樹木を植えて、毎年、手入れにかなりの労力をかけています。
 困ったことに樹木というのは幹の太さに応じて枝を広げるもので、最初の10年間に伸ばし放題に伸ばした木々は、その後どんなに刈り込んでも翌年になるととんでもなく大きく腕を広げてしまいます。
 私の亡き後、妻はこれをどうするのでしょう?
 もちろんお金をかけて毎年庭師に頼めばいいのですが、妻はそういうことに金を使える人ではありません。

 世話と言えば、困ったことに私の家には付属の畑まであります。父の買った土地ですが、前の持ち主が畑を宅地に造成した際、条例上どうしても切り取らなければならなかった三角形の畑が残ってしまいました。それを父に泣きついて買ってもらったのです。広さは1a(アール:正方形だと10m四方)ほどで、農業というには小さすぎ、素人の家庭菜園としては大きすぎる広さです。
 家を建てて30年近く、この畑は我が家に新鮮な野菜を提供してくれました。しかし私の死んだあとは誰が管理するのか――。

 妻には吸血鬼の血が流れているらしく、日が昇ったあとの屋外では作業ができませんので、ミニトラクターに触ったこともなくマルチシートのかけ方も知りません。キュウリもナスもピーマンも、それぞれ余計な枝を詰めて仕立てるルールがあるのですが、それも知りません。玉ねぎはいつ植えていつ収獲するのか、ダイコンの収穫の時期はどうやって見定めるのか、妻が学ばなくてはならないことはたくさんあります。


【夫婦役割分担の代償と育て直し】
 妻は料理に堪能な人です。したがって結婚以来34年間、私の調理スキルはまったく成長しませんでした。もっともご飯が炊けて味噌汁がつくれますから、あとは冷凍食品で何とかなるでしょう。いつだったかスーパーマーケットで冷凍食品と総菜コーナーをぐるっと見回り、これなら冷凍・総菜それぞれのコ−ナーの端っこから、一品ずつ買って食べて行っても2か月は困らないなと安心したことがありました。ただし甚だしく不経済なことも確かです。
 34年間、買い物も妻の仕事でしたから、私は世間の相場というものがまったく分かっていない。ろくでもないところで細かく高いものを買わされ、全体としてはけっこうな損を出すことになるかもしれません。もっとも損をしたかどうかも理解できませんから、問題がないと言えばないのかもしれませんが――。

 逆に妻の方がほとんど身につかなかったスキルに、コンピュータがあります。困れば隣りにいる私、またはLINEで私に問い合わせれば返事は間もなく来ます。私もそれほど詳しいわけではありませんが調べることは好きなので、答えを導き出すのは早く、苦にもしません。
 しかしその「コンピュータの打ち出の小づち」がいなくなったら、妻はどうするのでしょう。今でも恩着せがましく言うと「だったら諦める」とか言っていますが、つい先日のように単純に“ネットが繋がらなくなった”という状況では、諦めるわけにも行かないでしょう。

 ネットが切れたら最初に調べることは、ルーターのプラグが抜けていないかという、もっとも基本的な可能性です。抜けていなかったら今度はコンピュータやルーター、ONU(光回線の終端装置)を再起動することです。
 ところがコンピュータの再起動は分かるものの、ルーター、ONUの再起動と言われると初めての人間はどうしたらいいのか分かりません。単純にプラグを抜いてしばらく待ち、そのあと差し戻すだけのことだと知っても、動いている電子装置のプラグを外すなど、怖くてできることではありません。コンピュータのプラグを抜いてはいけないということは、この世界に足を踏み入れた時からしつこく言われてきたことです。

 私が死んだあと、たったそれだけの作業ができず、妻はネットショッピングや情報検索を諦めてしまうのでしょうか?

 “愛している”などと思ったこともない妻のことですが、あれもこれもできず、畑は雑草園、庭は荒れ放題、おまけにコンピュータの前でイライラしている姿を思い浮かべると不憫です。
 なにか考えなくてはいけません。私はどうしたらよいのでしょうか。

(この稿、続く)
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2022/6/8

「せがれの推薦状」〜長男が結婚を決意した件についてA  親子・家族


 子の結婚を機に、親子の関係はさらに離れていく。
 子どもは一人前になり、子が子でなくなっていく。
 いよいよ最後だ。あとは未来の配偶者に託すしかない。
 推薦状のひとつも書いて、よくお願いしておこう。

という話。
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(写真:フォトAC)

【娘と息子の親子の関係】 
 おそらく一般化しても問題ないと思うのですが、家から出た子は、女の子だと実家に帰ることが多く、男の子はサッパリ帰らない傾向があるように思われます。特に結婚してからは家族そろっての帰省となると、夫の実家へは年1〜2回、妻の実家へは数回といったことになりがちです。私がそうですし、弟も私の父も、それから妻の姉妹の連れ合いたちもそうですから、たぶんそうでしょう。そのくせ妻側の実家にはよく行っています。

 女の子はいつまでたっても甘えん坊で、男の子は冷淡という話ではありません。
 女性の場合、自分の実家に帰れば堂々と怠けていられるという利点があるのです。これが夫の実家だとそう言うわけにはいきません。義理の両親は、「いいから、いいから、ゆっくりしていなさい」などと言ってくれますが油断はできません。口と腹が一致しないのは日本人の美徳であり悪徳でもあるからです。

 娘のシーナも新婚のころ、夫の実家に行くといつも「いいから、いいから」で何もさせてもらえなかったのですが、一朝、決心して「お母さん! やらせてください!」「シーナさん、いいから休んでいて」「いいえ、やります! お願いします!」、そういったやり取りを数回繰り返すと、やがて向こうが引き下がり、「そうねぇ、お願いしようかしら、ひとに訊かれて“ウチの嫁は何もしません”なんて言えないものねぇ〜」
 シーナからすれば「だったら言ってよ、お義母さ〜ん! やる気あるんだから〜」みたいな話ですが、世の世の中、確かにそういった側面はあります。その意味でも、夫の実家は気の置けるところです。

 一方、自分の実家というのは気楽な場所で、学生気分に戻って一日じゅう何もしないでも怒られる心配はありません。何も考えず、何もせずにいること自体が日常からの解放で、心身ともにすっかり癒されることになります。
 夫の方も、これが自分の実家なら、妻と実母の間で飛び交う火花に気を遣い、妻が退屈しないかとあれこれ考えなくてはならないのですが、妻の実家なら堂々と“何もしない婿殿”に甘んじていられます。気楽なものです。

 こんなふうですから、家族丸ごと妻の実家への出入りは多くなるものの、夫の実家との行き来は最小限に留まる――それは仕方のないことかもしれません。


【我が家の場合】
 私の子どもたちも同じで、コロナ禍に見舞われてからはめっきり少なくなりましたが、娘のシーナは三カ月に一回くらいは孫たちを連れて骨休めに帰省し、婿のエージュも半分以上は付き合ってきてくれました。しかし婿の実家の方へは、遠方ということもあって、年2回、行くか行かないかです。
 私の息子のアキュラは、そもそもあまり家に戻ってきません。独身の今でもそうですから、結婚後はさらに帰ってこないでしょう。

 アキュラの妻となる人も、この先あまり会うことはなさそうです。
 近々、初めて顔を合わせて挨拶を受け、遠からず両家顔合わせとなって再び会い、次が結婚式。ここまでは確実ですが、その先に会うのはいつのことになるやら――。下手をすると向こう1年以上、顔を見ることもなく過ぎてしまうかもしれません。1年先に会っても、また次は1年以上先、ということもありそうです。

 もうみんな成人なのだから自由にさせなさい、という理屈は分かります。しかしすでに結婚して10年近いシーナはまだしも、まだ20代の独身で、見るから頼りないアキュラには製造責任を感じます。
 結婚しても2〜3年の間は目の隅でとらえて離さないでおこう、そう考えるのも過保護ではないでしょう。


【倅(せがれ)の推薦状】
 結婚に関して息子の推薦状を書こうと考えたのは、実は順序が逆で、先日コンピュータ内の書類を整理していたら4年ほど前、アキュラが就活をしていた時期に応募先の企業に求められて書いた「保護者の推薦状」が出てきたからです。
 両親が揃っている場合は父母二人とも書いて提出しろ、といった課題で、書いたこと自体を忘れていました。

 ただし読み成すと当時の思いはすぐに甦ってきて、「ああ、いい宿題を出してくれたな」と感謝したことを思い出しました。
 いよいよ経済的にも支えなくてよくなるという時期に、子育てを振り返り、我が子を見つめ直すというのは悪いことではありません。推薦状ですから足りなかったことや反省すべきことは記入しませんが、それでも自分が子どもの何を評価し、どんなふうに育てようと思ってきたかはよく分かります。世間的には大した子ではないにしても、その思いに照らし合わせれば、まあまあ満足すべき仕上がりかな、とも思います。

 結局その推薦状は役に立ちませんでした(他の企業に就職した)。しかし捨てるには惜しい文です。もう一度使い回してもいいのかな、と思って「せがれの推薦状」を思いついたのです。
 妻となる人も、私たちがどういう思いで育てて来たのか、気持ちを知れば少しは余計に優しくしてもらえるかもしれません。

 ということで元になる就活の際の推薦状をここに載せておきます。書き直しはこれからです。
*なお、「せがれの推薦状」は、現在放送中のテレビドラマ「元彼の遺言状」のパロディのつもりですが、まったく伝わらんでしょうな?

(この稿、続く)


【4年前の推薦状】〜これを改変する
平成30年5月11日

株式会社◯◯◯様
推薦書


 アキュラの父親のスパートと申します。
 
 息子のアキュラは幼少の頃より好奇心・探求心が強く、3〜4歳のころから「見てみたい、触ってみたい、やってみたい」が口癖のような子でした。私はそれをとても好もしいものと感じ、できるだけ多くの体験をさせるようにしてきました。
 小学校の低学年のころまでの興味の対象は昆虫や水生生物、小動物で、カブトムシの幼虫を育てたりイモリやカメを飼ったり、水族館に行けばナマコといつまでも触れ合ったりして飽きることを知りませんでした。
 小学校の高学年からは楽器作りに凝って、段ボールベースギターをはじめ木を削ってギターに似せた弦楽器を作ったり、長じてはエレキギターのエフェクター製作などに夢中になって取り組みました。
 いったんこうと決めたら目的追究力は非常に強いと感じています。

 人間関係は非常に穏やかで調和的です。
 中学校時代までは、500人規模の大校の生徒会長選挙に立候補したり文化委員長として全校音楽の指揮をしたりと、大きな集団を動かす機会にも恵まれましたが、基本的には信頼関係に基づいた、息の長い、堅実な人間関係を大切にすることを好みます。目上の方、年長者に対しては常に敬う姿勢を忘れず、失礼な態度をとったりすることは絶対にありません。
 社会人となってからも誠実な企業人として、精一杯会社に尽くしてくれると信じています。

 以上の理由から、息子・アキュラを、誠意をもって御社に推薦いたします。
アキュラ 父親 スパート


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2022/6/7

「実現することのなかった婿を迎える儀式と新たな作戦」〜長男が結婚を決意した件について@  親子・家族


 長男が結婚を決意し、相手のお宅に挨拶に行った。
 そう言えば8年前、長女の婿が挨拶に来た時は、
 石のように固まった若者を支えるのが大変だった。
 長男はうまくやれただろうか。そして我が家に来るときは・・・、

という話。
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(写真:フォトAC)

【長男のアキュラ、結婚を決意する】
 
 私には二人の子がいて、長女はすでに結婚して二児の母親となっています。その弟で、今は東京でサラリーマンをしているアキュラ(もちろん仮名)が、結婚することになりました。
 94歳の母(アキュラの祖母)に報告すると、「良かった」「良かった」と泣き、
「もうあの子は結婚しないのじゃないかと思って、心配で、心配で・・・」
――オイ、オイ、母さん、ウチには三人の男がいて、死んだ父(アキュラの祖父)が結婚したのが30歳、私が34歳、弟に至っては40歳まで独身でいたのだからアキュラの29歳なんて若すぎるくらいなものだ、そう言いかけたのですが、だいぶ耄碌していますので訂正するほどのこともないと考え直し、そのままにしました。

 相手のお嬢さんについてはほとんど何も知りません。付き合っていたのは知っていたのですが、名前を聞いたのも最近です。「人柄」と同じ意味での「家柄」のいい娘さんならいいなあと思うのですが、妻に言わせれば、
「アキュラみたいな地味な子を好きになって、結婚してくれようとするのだから、人柄も家柄もいい娘でしょ、きっと」
ということで、こころ穏やかに待つことにしました。

 娘の時は挨拶にきた現在の婿がほとんど石みたいにカチカチで、どうでもいい世間話がひとつ終わっても肝心なことを言い出さず、娘や私の妻が話題の接ぎ穂を次々と繰り返しても出てこないので、焦れた私が、
「で、今日いらっしゃったご用件は?」
と訊いてようやく、結婚の話が出てきました。
「・・・ということで、ご両親にはお嬢さんとのご結婚をお認めいただきたく・・」
 なんでそんな難しいセリフを覚えて来たのか。単に「結婚を認めていただきたいので、よろしくお願いします」でいいのに、あちこちに「お」だの「ご」だのを入れるから「お嬢さんとのご結婚」みたいな変な言い回しになってしまう、と心から同情したものです。


【実現することのなかった婿を迎える儀式】
 娘からは事前に、
「先月から心を病みそうなくらいに悩んでいるから優しくしてね」
と言われていたので手を抜きましたが、実は将来の婿が挨拶に来たら是非ともやろうとしていた計画があったのです。

 ひとつは放送作家でプロデューサーの秋元康さんが結婚前のあいさつに行ったとき、相手の親御さんが言った言葉をなぞることです。
「あなたでしたか。
 『子はさずかりもの』と言いますが、私は『天からの預かりもの』だと考えてこの娘を育ててきました。今日、あなたにお会いできて、『預かりもの』をお返しできるのがほんとうに幸せです」
 記憶が曖昧でまったくその通りではありませんが、いいセリフでしょ?

 もうひとつは用意してあった小箱を渡すことです。
「私には、娘の夫になる人が現れたら渡そうと思っていた品物がひとつあります。これです。
 高価なものではありませんが、私自身が亡くなった義父からいただいたもので、今日までずっと大切にしてきたものです。どうか、お納めください。あなたも大切にして次に受け継いでくださいね」
 そう言って目の前で箱を開けさせます。
 それが実はびっくり箱。

 婿がギャッと叫んで飛び上がり、場がなごむ――そういう趣向で、娘が高校生のころから計画していたものです。娘も大いに乗り気で「やろう」「やろう」と言っていたのですが、直前になって、
「あれ、絶対にやっちゃダメだからね。今、ショック死されても困るから」
ということで中止になってしまいました。それでごく普通の顔合わせとなったわけです。

 先日、アキュラも相手のお宅に挨拶に行きましたが、うまくできたのでしょうか? 親御さん、つまらない画策をしていなければいいのですが。


【次はこちらの番、そして新たな作戦】
 細かな内容まで聞きませんでしたが、どうやらアキュラはうまくやりおおせたみたいです。今度は我が家の番です。
 こちらは申し込みではなく紹介ですから、さらに気楽にやれると思っていたらアキュラが意外と緊張しています。

 先方に挨拶に行った日の夕方、LINEで様子を訊くと、
「無事、終わりました。とてもいいお父様とお母さまでした!」
との返事。写真が添えられていてずいぶんガタイのいい、強面のお父さんです。そこで、
「お父さん、ごっついなぁ。負けそう」
と続けると、
「威圧しちゃだめだよ。」
 私もけっこうな強面なのです。そこで、
「おう! 任せておけ!」
 書き送ると、
「不安しかないです。」
 アキュラは父を何と心得ているのか。

 しかたないので、私はずっと柔らかな作戦を立てることにしました。アキュラの推薦状と保証書を書いて彼女に渡す計画です。

(この稿、続く)
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2022/4/12

「『命がけで産んだということを忘れないでほしい』と母親は言った」〜命を守る教育のひとつの答え  親子・家族


 ウクライナの取材から戻った若きジャーナリストの記事を読み、
 その誠実で勇気ある態度に感心した。
 この人はどんな育ち方をしてきたのだろう。
 そのヒントは記事の中にあった。親たちがそのように生きてきたのだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【ウクライナから戻った若きジャーナリストの話】
 もう一カ月半も、ウクライナとコロナのニュースばかりを見ています、と言うか、ニュース番組がこの二つばかりなので見れば必然的に「ウクライナとコロナのニュースばかり見ています」ということになります。たぶん日本中のほとんどの人たちが同じ状況なのでしょう。
 時折「ゼレンスキーが国民に投降を呼びかけた」だの「速報:ゼレンスキー大統領がキエフ脱出」などといった話も出ますが、これだけ大量の情報が流れてくると偽物はすぐに弾かるので助かります。西側の情報が何もかも正しいとは言えませんが、量で克服できる面もかなりあると感じています。

 さて、きょう紹介したいのは、「メディアセンターがあることに驚いた。利用されうると感じた」「帰国後は“幸せになれない”感情に」…ウクライナ入りした24歳の日本人ジャーナリストの告白という記事です(長い題名だなぁ)。
 内容のほとんどがタイトルの中に書いてあるので説明の要はないのですが、ウクライナが今回の戦争に対してどれだけ用意周到だったのか、よくわかる記事なのでぜひご一読ください。
 ただし今回私が取り上げようと思ったのは、その周到さのためではありません。内容からすれば枝葉末節に過ぎない「24歳の若きジャーナリストと家族の物語」に関する短い部分のためです。


【「命がけで産んだということを忘れないでほしい」】

 記事に出てくる24歳の青年は駆け出しのフリーランスですから旅費も自腹、行き帰りの手配も自分で行っての取材旅行です。ウクライナに行くと言えば当然ひきとめられますから家族には告げず、ただ万が一のことを考えて部屋の掃除だけはして出発したといいます。
 もちろん帰ってきてから散々に叱られることになるのですが、そのときお母さんのひとことが実にいいのです。
「命がけで産んだということを忘れないでほしい」
 危険と承知の上であえて戦場に行ってきた息子にかける言葉として、これ以上のものがあるでしょうか?
 今回は間に合いませんでしたが、次に危険な取材をしようというとき、この言葉は必ず甦ってきます。だから行くのをやめるということにはならないと思いますが、それでも安全策をひとつ加えるとか、ぎりぎりのところで一歩引き下がるとか、何らかの危険回避につながることは確実でしょう。
 

【命の教育のひとつの答え】
 子どもの命に関わる事件が起こるたびに、学校は「命の教育を拡充すべきだ」とか「命の大切さを教える教育が必要だ」とか言われ続けてきました。しかし何をしたらいいのか、私はいつも困ってしまいました。命の教育など、いつだってずっと続けてきたはずだからです。いまさらこれに何を加えられるのか――。

 人の命は地球より重い、自由は大切だ、平等は守らなくてはならない、こうした原則的な問題は実はかえって難しいのです。
「自由は大切だというけど、他人の自由を奪う人間の自由はどうなるの?」とか「平等が大切なら、なぜ親は子に命令できるの?」とか、「ウクライナの人たちだってロシア兵を殺しているじゃないか」みたいな話が持ち出されると、説明がとても厄介になるか、しばしばうまく話せません。

「自分の命を大切に」も「自分の命なんだからどうしようと勝手じゃない」に出会うと面倒くさいことになります。しかし、
「命がけで産んだということを忘れないでほしい」
――そうだ、この命を生み出すために自らの命を懸けた人がいる、その人に与えられた命は自分だけの命ではない。これは説得力のある、優れた答えのひとつとなるでしょう。
 ここぞというときにこれしかない言葉をかけられる人が、私は本当に羨ましい。

 かなわないことでしょうが、この若きジャーナリストの母親という人が、どんな家庭に生まれどんな教育を受けて育った人なのか知ってみたい気がします。おそらく命に関する真摯な生き方を続けて来られた家のお嬢様なのでしょう。
 もちろんそれを知ることはできませんが、彼女がどんな子を育てたかは、今の私は知っています。
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