2021/3/8

「子どもたちのテロル」〜若きテロリストたちの肖像C  歴史・歳時・記念日


 映画「灰とダイヤモンド」のマチェク、「テロリスト群像」のカリャーエフ。
 彼らにはどこか同じ種類の匂いがまきまとう。
 ひとつには恐ろしいまでの純粋さ、初心な精神、
 そして歴史の中に埋もれていくこと。

という話。
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(写真:フォトAC)

【マチェク―「灰とダイヤモンド」】 
 アンジェイ・ワイダ監督の映画「灰とダイヤモンド」(1958)は、1945年5月8日(ベルリン陥落の日)から翌9日に至る二日間に、ポーランドの一地方都市で起こった暗殺事件と犯人の死を描いた物語です。

 当時すでにソ連軍の占領下にあったポーランドでは新政府の主導権を争って親ソ連派と反ソ連派が激しく対立していました。主人公のマチェクはかつての対独レジスタンスで、今はロンドン亡命政府から指示を受けて対ロシア抵抗運動を続ける24歳の青年です。一方、暗殺犯に狙われるのは共産主義者、党県委員会書記のシュチューカで、こちらも決して悪人ではなく、焦土と化したポーランドをソ連の支援を得ることで再生しようとする愛国者です。
 いわば両方に正義があるわけで、反共テロリストを主人公とするこの映画が共産党一党独裁だった当時のポーランド政府に許可されたのもそのためです。

 映画はちょっとした行き違いから、マチェクが標的と間違えて一般人を殺害してしまうところから始まります。誤殺はすぐに明らかになりますが、そのことがマチェクの心を揺さぶることになります。
 その夜のうちに暗殺のやり直しが検討され、マチェクは積極的に推進しようとしますが、一方で酒場の女に心を奪われ、普通の、当たり前の生活を夢見たりします。しかし運命はマチェクが舞台から降りることを許さず、対ドイツ祝勝花火のうち上がる中で、マチェクはシュチューカ暗殺を果たし、年配の愛国者は若い愛国者の腕の中に倒れ込むようにして絶命します。
 ただし、人を殺した者が神から許されるはずもありません。
 翌朝、保安部隊に発見されたマチェクは洗濯されたシーツの見事に広がる物干し場で撃たれ、ゴミ捨て場でボロ雑巾のようになって死んで行きます。燕の荊軻にも匹敵するような惨めな死にざまです。私はここで、「まるで犬のようだ」と言いながら死んで行ったカフカの小説、「審判」の主人公ヨーゼフ・Kを思い出しました。
 結局、この暗殺者は歴史の捨て駒でしかなかったのです。


【カリャーエフ―「テロリスト群像」】
 イヴァン・カリャーエフは1905年2月にロシアのセルゲイ公を暗殺し、死刑となった27歳の詩人、実在の社会革命(エスエル)党員です。彼が印象深いのは暗殺に成功したからではなく、その二日前、大公暗殺の絶好の機会に恵まれながら決行せずに引き返したことによります。

 暗殺の中断は実に危険な行為で、万が一その場で目撃・逮捕されれば厳しい追及によって組織自体が危険に曝されますし、運よく逃げおうせても警備が強化され、再度の暗殺は非常に困難になります。また暗殺を中断するということは持ち帰った手投げ弾からいったん信管を抜かざるを得ず、次の機会に再び装填することも含めて非常に危険な作業を仲間に強いることにもなります。このときの爆弾製作係はドーラ・ブリリアントという名の若い女性でしたが、カリャーエフは彼女に再度の危険を犯させることを十分に理解したうえで、ぎりぎりのところで投擲を回避するのです。
 何があったのか――。
 実は観劇のために劇場に向かうセルゲイ公の乗る馬車に走り寄り、手投げ弾を持った腕を振り上げた瞬間に、中にいる大公夫人と二人の子ども(セルゲイ公の甥)の姿を見たのです。

 セルゲイ大公暗殺事件については、カリャーエフの直属の上司でこの事件の直接の担当者、作家で詩人のサヴィンコフが書いた「テロリスト群像」にかなり詳しく書いてあります。それによると暗殺中断後、サヴィンコフに会ったカリャーエフはかなり興奮した様子で、
「ボクの行動は正しかったと思う。子供を殺すことができるだろうか?・・・」
と呟いたと言います。
 彼は仲間を危険に曝したことに大きな不安を感じるのですが、その時の状況についてサヴィンコフは次のように記しています。
「わたしは彼に向かって、自分は彼を非難しないどころか彼の行動を高く評価する、と言った。それで彼は、戦闘団が大公暗殺の時に、妻や甥たちまで殺す権利があるかと言う一般的問題の解決を申し出た。われわれは、この問題をまだ一度も話しあったことがなかった。それは論題にものぼりさえしなかった。カリャーエフは、もしわれわれが大公の家族全員を殺すことに決めたならば、自分は劇場の帰り道で、誰が乗っていようとも爆弾を投げつける、と言った。わたしは、そんな暗殺はできないと答えた」

 サヴィンコフの戦闘団はこのときまでに一件の暗殺事件を成功させており、また爆弾製造中の事故で仲間の一人も失っています。すでに時計が回ってだいぶ経つというのに、この期に及んで初めて「大公暗殺の際に家族を巻き添えにしてもいいものか」といった議論を始めるのです。しかもその答えは「そんな暗殺はできない」です。
 なんと初心なことでしょう。

(この稿、続く)

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2021/3/5

「人を殺すことの覚悟と用意」〜若きテロリストたちの肖像B  歴史・歳時・記念日


 人を殺すなどという恐ろしいことを、あの人たちはなぜ易々とやってのけたのだろう。
 殺人が繰り返し小説や映画のテーマになるのは、そこに人間の深淵が見えるからだ。
 そして2200年前の中国の暗殺者は、
 やはりそれが容易でないことを私たちに教えてくれる。

という話。
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(写真:フォトAC)

【性と殺人の深淵】 
 かつて犯罪と性は小説の二大テーマでした。なぜ名もあり地位もある人があんな女のために身を滅ぼしていったのか、なぜ普通の社会人が殺人などといった大それた事件に関わっていったのか――。そこに探究すべき何ものかがあるはずだと考えたのです。
 谷崎潤一郎や川端康成といった超一流の小説家が性の問題にのめり込んでいくのも、現実の犯罪に触発された傑作がいくつも残るのもそのためです。

 しかし近年、性の探究については作家の想像力を圧倒する動画や告白がインターネット上でいくらでも見られるようになり、作家の興味はずいぶん衰退したのかもしれません。映画を見ても年齢制限のかかっているのは大部分が暴力を理由としたもので、性への関心は次第に薄れているのかもしれません。

 一方、犯罪への関心は衰えず、小説や映画・ドラマは常に刑事ものや犯罪がらみで満ち満ちています。
 純粋に推理を楽しむもの、刑事の陽気な活劇ドラマ、派手なアクションもの、悪漢小説(ピカレスクロマン)。
 一般人が知らず知らずのうちに犯罪者へと追い詰められていく社会派と呼ばれた分野、そして数は少ないですが、犯罪者の内面だけを問題としようとするもの――。
 中でもテロリスト・暗殺者を取り上げた作品は、主人公が殺人を正義と考えて実行しているため、奥行きが深く、好作品となることが多いのです。


【荊軻(けいか)】
 「史記―刺客列伝」に出てくる暗殺者・荊軻は紀元前3世紀末に生きた人で、読書と剣術と酒を好んで諸国を放浪した食客です。彼の生き方から「傍若無人」という言葉が生れたように、豪放磊落な性格で、しかし一方、臆病者と嘲笑されるほどに慎重な面もあったようです。

 荊軻が刺客として狙った相手は中国全土を制圧する以前の秦の国王、のちに始皇帝と呼ばれる「政(せい)」です。映画「キングダム」で吉沢亮さんが演じた人物で、映画の中では「嬴政(えいせい)」と呼ばれていました。荊軻が暗殺者として送り込まれたのは映画の舞台よりもさらに20年ほど後、政が秦の国内を完全にまとめ、領土拡大に乗り出していた時期のことです。

 秦の圧迫を受けていた隣国の燕はそのままだと秦に飲み込まれるのは明らかでした。そこで燕の太子「丹」は刺客を送って政を倒すことで状況を変えようとしたのです。そこで選ばれたのは荊軻でした。


【人を殺すことの覚悟と用意】
 私が荊軻の物語に強く惹かれるのは、暗殺というものを計画する際の、周囲に人々の綿密さと覚悟のためです。
 丹に荊軻を紹介した人物は秘密が守られることを保障するために、その場で自害して果てます。荊軻は秦王政のより近くに近づくためには燕の肥沃な土地の一部と、丹に疎まれて燕に逃亡していた秦の元将軍の首が必要だと考えました。ところが太子丹は、土地はともかく自分を頼ってきた人物の首を差し出すわけにはいかないと答えます。すると荊軻は直接その将軍のもとを訪ね、「秦王を殺すためにはあなたの首が必要だ」と説明するのです。すべてを了解した将軍は自死して首を荊軻に与えます。
 政を討つための匕首は名工につくらせ、毒で焼き入れをした上に罪人を使って何度も試されます。
 暗殺はそうした犠牲と準備の上に行われようとするのです。


【荊軻の最期――人を殺すことの困難】
 秦に向かって出発する朝、わずかな関係者は喪服を着て見送ることになります。荊軻はそれに対し、二度と帰らぬことを誓って一編の詩を読みます。それが有名な、
「風蕭蕭(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し、壮士一たび去りて復(ま)た還らず」
です。

 もくろみ通り肥沃な土地と将軍の首は秦王政を大いに喜ばせ、荊軻は政の正面に立つことになります。そして割譲する土地の地図を目の前で広げ、その最後の部分に巻き込んであった匕首を手にすると、荊軻は政に躍りかかります。しかし切っ先はわずかに政に届きません。

 謁見の場では武器を持っていたのは秦王ひとり。すぐさま応戦しようとしたのですが剣が長すぎて鞘から抜けず、追う荊軻と逃げる政の格闘はしばらく続くことになります。幾度となく攻撃をかわし続けた政は、やがて刀を背中に回して背負うようにして抜くことに気づきます。一度抜いてしまえば長剣と匕首、勝負になりません。荊軻はまず足を切られて立てなくなり、最後に匕首を投げたもののわずかに逸れ、ぐったりと柱にもたれかかると政を罵り、あとは政に切られるに任せたと言います。激高した政は荊軻が絶命してもなお切ることをやめませんでした。
 それが荊軻の暗殺物語のすべてです。政はすぐさま燕の攻略に取り掛かり、5年後には完全に亡ぼして秦の版図をさらに広げました。

 余談ですが1985年1月、大阪で日本最大の暴力団の組長とナンバー2が同時に暗殺されるという事件がありました。このときの実行犯4人がいずれも40歳前後の中堅組員だったことに、当時の私がずいぶんと驚いた記憶があります。4人で5丁の拳銃を用意し、山中で射撃訓練までしています。
 ヒットマンと言うのは子どものように若い捨て駒がやるものだと思い込んでいましたが、本気で計画して確実に成し遂げようと思えば、若いチンピラでは荷が重すぎるということなのでしょう。
 冷静に人を殺すというのは、容易なことではないのです。

(この稿続く)

《追記》
 ついでに申し上げておきます。
 最近、もう必要ないから中学・高校で古文や漢文を学ぶのをやめようという話があるみたいです。
 しかし先ほどの荊軻の詩を、
「風は寂しく吹き、易水の流れは冷たい。壮士がいったん去ったなら二度とは戻らない」
と書いたら何の感慨もなくなってしまいませんか?
 やはり日本人としての教養の基礎に、古文と漢文の素養があるのは重要でしょう。実利・有用性だけで言うなら、英語もプログラミングも、それどころか美術や音楽だってなくて困るようなものではないでしょう。

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2021/3/4

「テロリスト列伝」〜若きテロリストたちの肖像A  歴史・歳時・記念日


 ひとつ糸口があると記憶は次々と呼び覚まされる。
 しかし逆に言えば、よくこれだけ忘れてしまったものだ。
 ブルータスにシャルロット・コルデー、人切り以蔵、津田三蔵、ジョン・ブース、リー・オズワルド。
 それぞれに思いつめた若者の歴史がある。

という話。
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(ヴィンチェンツォ・カムッチーニ「ジュリアス・シーザーの死」)

【失われた記憶】 
 昨日、桜田門外の変に始まって赤穂浪士だの2・26事件だの、あるいは荒畑寒村だのサヴィンコフだのと並べているうちに、あのころ勉強した事柄が次々と思い出されて、ああ私はあんなにもたくさんの本を読んで勉強し、そして片っぱし忘れてしまった、少なくとも思い出さなかったと、何か暗然とした気持ちになりました。

 もっとも他に言葉が見つからなくて「暗然」と書いただけで、そこまで暗い気持ちになったわけでもありません。ただ、初期のコンピュータの開発者であるフォン・ノイマンや日本の俳優の児玉清さんのように、一度目を通した文章は頭の中にコピーされたように残っているというような人間だったら、今とは全く異なった人生になっていただろうなと思っただけです。
 もちろん今の私は人生の中で最も幸福な時期を生きていますから、その方がよかったというわけでもありませんが――。

【テロリスト列伝】
 昨日の文章に続けて思い出したのは、歴史に残る様々なテロリスト、暗殺者たちのことです。
 日本で言えば先に上げた3つの事件の実行者のほか、古くは大化の改新の中大兄皇子・藤原鎌足、幕末に人切りの異名をとった岡田以蔵、中村半次郎(桐野利秋)、明治時代、ロシアの皇太子の暗殺に失敗した津田三蔵、昭和に至って浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した山口二矢。

 お隣の韓国では伊藤博文を暗殺した安重根、アメリカではリンカーンの暗殺者ジョン・ブース、J・F・ケネディの暗殺者とされるリー・ハーベイ・オズワルド、ロバート・ケネディの暗殺犯サーハン・サーハン、レーガン大統領の暗殺に失敗したジョン・ヒンクリー。
 ヨーロッパに渡ってジュリアス・シーザーの暗殺者ブルータス。フランス恐怖政治の指導者マラーの殺害実行犯シャルロット・コルデー等々。

 しかしいつでも記憶として取り出せるのはリンカーン暗殺とJ・F・K暗殺の類似点(2008/5/28「5月29日」〜明日はJ・F・Kの誕生日)だとか、「シーザーは実に傲慢な男で、部下の飲むコーヒーの種類まで決めてしまった→“ブルータス、オマエ、モカ!”」とかいったアホ話(2005/10/5「アントニーの詐術」〜人を扇動する)。
 あるいはマラー暗殺のシャルロット・コルデーは24歳のとんでもない美人で、刑場まで連れて行った死刑執行人を震わせたとか、ジョン・ヒンクリーは女優のジョディ・フォスターに己の力を見せるために大統領暗殺を計画したといったどうでもいい話ばかりです。

 現実は解釈されなければ意味を持たない――私の解釈は少しピントがずれているらしいのです。


【三人の暗殺者】
 「解釈された現実」のひとつのあり方が芸術作品です。私はここで文学や映画、そして戯曲から3人の有名な暗殺者を上げることができます。

 ひとりは中国の歴史書、司馬遷の「史記−刺客列伝」に出てくる荊軻(けいか)。もう一人はポーランドの監督アンジェイ・ワイダの映画「灰とダイヤモンド」(1958年)に登場するマチェク。そしして最後はアルベール・カミュの戯曲「正義の人々」(1953年)の主人公カリャーエフです。
 とても印象深い3人ですが、話が長くなりそうです。明日に回しましょう。
(この稿、続く)

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(ダヴィッド「マラーの死」)


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2021/3/3

「今日は『桜田門外の変』の日」〜若きテロリストたちの肖像@  歴史・歳時・記念日


 今日、3月3日は桜田門外の変の起こった日。
 約160年前の今朝、18名の武士が独裁者を倒すべく突入した。
 その現場も、その後の関係者の人生も凄惨を極めた。
 しかし彼らも、案外遠い人ではないかもしれない。

という話。
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(写真:フォトAC)

【桜田門外の変】 
 例年ひな祭りだの桃の節句だのと浮かれていてこちらを扱うことはなかったのですが、今日3月3日は桜田門外の起こった日だそうです。
 安政7年(1860年)3月3日午前9時ごろ、時の大老・井伊直弼は江戸城で開かれるひな祭りの祝賀に向かう途上、現在、警視庁のあるあたりで18名の暗殺者に惨殺されました。

 問題−井伊直弼を殺したのは誰か?

 答え―悪い直弼


 は社会科教師の鉄板ネタですが、実際の暗殺犯は水戸脱藩浪士と薩摩藩士(1名)の合同部隊でした。

 かたや直弼方は草履取りも含めると総勢60余名と3倍以上の人数でしたが、当日は雪模様で護衛の彦根藩士たちは刀を油紙で巻いた上に柄袋(つかぶくろ)に入れていたため応戦できず、あっという間に制圧されてしまったようです。
 直弼自身は暗殺者が一番初めに合図の意味もこめて撃った短銃の弾で重傷を負ってしまい、駕籠を離れて応戦することも逃げることもできずにいましたが、最後に守る者のなくなった駕籠に暗殺者たちが何度も刀を突き立てた上、瀕死の直弼を引きずり出して首級をはねたのです。
 両陣営に多数の死傷者を出した大立ち回りだったにもかかわらず、襲撃はごく短時間に終わり、現場からわずか400mほどしか離れていない彦根藩邸から人を出す余裕もありませんでした。


【ドラマにならないテロル】
 日本の重大なテロルはなぜか雪の中で起きます。赤穂浪士の討ち入りも2・26事件も大雪の中でした。
 桜田門外の変は大雪というわけではなく、襲撃の時刻には雨交じりでその後、陽も差してきたと言いますから雰囲気はだいぶ違いますが、真っ白な雪を真っ赤な血が染めた風景はやはり壮絶なものだったに違いありません。ある意味、象徴的に美しい場面とも言っていいでしょう。
 
 ところがこれだけの大事件だったにもかかわらず、桜田門外の変を暗殺者の側から描いた文学作品や映画・ドラマはほとんどなく、私たちは事件について深く知る機会を失っています(直弼の側から描いたものはある)。

 襲撃者18名のうちわずか2名が維新を越えて明治の時代に生き残っただけで、あとは現場で傷ついたりのちに刑死したりといった複雑さがドラマ化を妨げているのかもしれません。別な言い方をすれば、それぞれが違うドラマの主人公になり得るということでもあります。

 一方、彦根藩は当日の戦闘で8名の死者を出したのち、2年後、護衛としての役目を果たせなかったとして士分の者は責任を問われ、重症で生き残った8名は流刑、軽傷者5名は切腹、無傷の者5名は全員が斬首・家名断絶という厳しい処分を下されました。
 暗殺現場の凄惨さと合わせて、別な意味でドラマになりにくい事情があるのかもしれません。


【テロリスト予備軍】
 私は学生のころ、桜田門外の変と赤穂浪士事件、2・26事件についてかなり熱心に勉強しました。
 また、荒畑寒村の「ロシア革命運動の曙」に触発されて、サヴィンコフの「テロリスト群像」とかロープシン(サヴィンコフの別名)の「蒼ざめた馬」なども読み漁って、ロシア革命前段階のテロリストについても、かなり詳しいところがあります。
 時代は浅間山荘事件だとかテルアビブ空港事件、三菱重工爆破事件といった日本人によるテロルの盛んな時期でもありました。

 テロリストに同情的だったわけではありません。
 ただ、思いつめた若者たちがどういう過程を経てテロリストになっていくのか、そこに興味があったのです。一歩違えば、明日の自分だという思いもありました。

 もちろん今の私にそんな要素は微塵もありません。しかしネットの世界のあちこちを覗き見し、そこにフツフツと怒りを貯め、孤独を生きる若者の姿を見ると、この子たちに何か大義名分と仲間を与えれば、すぐに桜田門外の志士になってしまうことは容易に分かります。
 時代の様相を見誤ってはいけないと思うのは、こういうときです。

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2021/3/1

「3月になりました」〜あれから1年、去年の今ごろは  歴史・歳時・記念日


 去年の今日あたり、
 ようやくコロナ禍が現実感をもって私たちのところに降りてきた。
 後手後手に回った政策だが、先手先手というわけにもいかなかったろう。
 そして思い出したこと、3月のウンチク。

という話。
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(写真:フォトAC)

【コロナ異常事態からほぼ1年】 
 3月になりました。
 去年の3月1日は日曜日で、翌2日月曜日は新型コロナウイルス感染で全国が一斉休校になった初日でした。
 この日(3月2日)の全国の新規感染者はわずか18名。およそ2か月間の累計は274名と、第3波の去ろうとしている現在の東京都の、1日の新規感染者数とほぼ同じですから隔世の感があります。
 そんなわずかな感染者で全国を一斉休校にしたのは早すぎたのではないか、そもそも必要ではなかったのではないかと当時も言われましたが、それがその時の判断です。

 ちなみにニュージーランドでは今年2月14日、首都オークランドで3人の新規感染者が出ただけで全市をロックダウンにしてしまいました。さらに昨日は感染者ひとりが街をうろついたとかでまたロックダウン。昨年もものすごく速かった。
 そのスピード感をもってしてアーダーン首相はほぼ完璧に新型コロナを抑え込んでいますが、同じことを日本でやれば絶対に誉めてもらえないでしょう。

 1年前、一斉休校に対する思わぬ大批判に怯えた政府は、中国からの渡航者は押さえこんでいたのに欧米からの帰国者を野放しにしたため、卒業旅行などでヨーロッパを歴訪していたたくさんの若者がウイルスとともに帰国してしまいました。
 私は仕方のなかったと思いますしそれでよかったと思いますしが、帰国を許したことについて、世の中には政府の対応が後手後手だったと非難する人も大勢います。

 オーストラリアでは今も4万人もの自国民が帰国できていませんし、ベトナム人技能研修性は日本のあちこちで、仕事もないのに帰るに帰れなくなっています。
 言うまでもなくオーストラリアもベトナムも新型コロナ感染対策の優等国です。ニュージーランドとともに先手先手と強力な対策を打って感染を抑え込んでいますが、私としては複雑な気分です。

 何が正しく、何が間違っていたのか、検証するにはまだまだ時間がかかるでしょう。


【そういえば1年前】
 前日の2月29日の夜のニュースで、千葉や東京ではトイレットペーパーの買い占めが始まったというので慌てて翌朝ドラッグストアに行くと、目標のトイレットペーパーばかりか一カ月間も顔を見なかった不織布マスクが置いてあったりして、何とも妙な1日でした。

 トイレットペーパーは国内生産が9割以上、したがって買いに走るヤツはバカだとか言われ、ニュース・キャスターも、
「在庫は十分にありますので、買い占めさえしなければ足りなくなることはありません」
と言っています。しかしそのキャスター足元のテロップに「トイレットペーパーの買い占め始まる」と書いてあれば、
「買い占めがなければ不足しない→つまり買い占めがあれば不足する→買い占めが始まっている→つまりトイレットペーパーがなくなる」
で走らざるを得ないのです。要するにメディアが煽っているわけで、このあたりはやはり考えなくてはならないところでしょう。


【3月になりました】
 3月は別称を弥生と言いますが、これは「木草(きくさ)の弥や生う(いやおう)月」、つまり草木の芽が一斉に萌え出ずる月という意味で、春の若々しい息吹を感じさせる名前です。
 西洋でも古代ローマ暦では1年の最初の月とされ(だから最終月の2月は帳尻合わせで28日だったり29日だったりする)、若々しく、強く、激しい月と考えられたようで、軍神マルスを語源とするMarchで呼ばれるのもそのためかもしれません。

 ただし日本では年度替わりで、どうしても「最後」『最終』という印象がぬぐえません。別れの季節で卒業式や送別会の集中する月です。気候は暖かくなるというのに、こころ寂しい月でもあります。今年はそれも縮小気味でしょうね。

 年中行事としては
 3月3日−ひな祭り
 3月8日−国際婦人デー 
 3月13日−東大寺二月堂お水取り
 3月14日−ホワイトデー
 3月17日−彼岸の入り・聖パトリックの祝日(アイルランドなど)
 3月20日−春分の日

 スポーツイベントとしては、
 名古屋ウイメンズマラソンが3月14日、第93回選抜高等学校野球大会が3月19日から31日まで開かれますが、例年大阪で開かれる大相撲3月場所は国技館で3月14日から。東京マラソンは10月に延期になっています。

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2021/1/6

「3学期が始まります」〜歳の初めに子どもたちに話すこと@  歴史・歳時・記念日


 3学期が始まる。
 学期の当初、新年の冒頭は、
 子どもたちに良い話をするところから始めたいものである。
 そんな場合のヒント。
という話。
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(写真:フォトAC)

【3学期が始まります】
 いよいよ3学期が始まります。早いところでは明日から、あるいは明後日、来週の月曜日からというところもありそうです。
 例年なら小学生は書初めの宿題を抱え、中学三年生は受験に向けてフンドシを締め直して登校!というところでしょうが、今年は特に感染の拡大している地域では不安な始まりとなりそうです。
 しかしとりあえず新年。新しい歳、新しい学期、新しい自分という生まれ変わりのゴールデン・タイムです。時間に余裕があれば、「2021年の誓い」「2021年の目標」などを考えさせながら、新しい年を迎えた、新しい心構えをさせたいものです。

 年初にあたっての担任講話というのも大切です。相手は思った以上に清新な気持ちで登校してきますから、そのまっさらな心と耳に、美しい言葉を流し込みたいものです。けれどうまく話題が見つからないとき、私は毎年、干支に関する知識をしこたま詰め込んで、それをヒントに講話を始めたものです。


【牛に関することわざ・熟語】
 牛に関することわざ・熟語・言いまわしについては、ちょっと検索するだけで次のようにいくつも出てきます。
 鶏口牛後(けいこうぎゅうご)
 鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)
 角を矯めて牛を殺す(つのをためてうしをころす)
 草木も眠る丑三つ時(くさきもねむるうしみつどき)
 牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)
 汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)
 九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
 風する馬牛も相及ばず(ふうするばぎゅうもあいおよばず)
 風馬牛(ふうばぎゅう)
 商いは牛の涎(あきないはうしのよだれ)
 牛に経文(うしにきょうもん)
 牛に対して琴を弾ず(うしにたいしてことをだんず)
 牛は牛連れ、馬は馬連れ(うしはうしづれ、うまはうまづれ)
 牛も千里、馬も千里(うしもせんり、うまもせんり)
 牛を馬に乗り換える(うしをうまにのりかえる)
 馬に乗るまでは牛に乗れ(うまにのるまではうしにのれ)
 馬を牛と言う(うまをうしという)
 馬を牛に乗り換える(うまをうしにのりかえる)
 馬を崋山の陽に帰し、牛を桃林の野に放つ(うまをかざんのみなみにきし、うしをとうりんのやにはなつ)
 馬を買わんと欲してまず牛を問う(うまをかわんとほっしてまずうしをとう)

 その中で私が知っていてすぐに説明できるものはごくわずか、最初に並べた五つだけです。しかも「鶏口牛後」と「鶏口となるも〜」は同じものですから、実質的には四つしかないことになります。
 「牛に経文」と「牛に対して琴を弾ず」はたぶん「馬の耳に念仏」と同じ意味で、「牛は牛連れ、馬は馬連れ」「牛も千里、馬も千里」「牛を馬に乗り換える」なども何となく意味が想像できますが、十分に咀嚼できていない言葉を使おうとするぼろが出ますから、最初の五つから話題を探します。


【鶏口よりも牛後が向く人間もいる】
 鶏口牛後は本来「大きな集団の端っこでこき使われるよりも、小さな集団であっても長となるほうがよい」ということですが、しばしば「トップグループの最後尾よりも第二グループの先頭の方がよい」といった形で誤用されることがあります。
 高校受験の指導の際に担任が「無理してA高校に行かなくてもお前の成績ならB高校に行けばトップになれる。鶏口牛尾と言うように、牛のしっぽでいるよりも鶏の頭でいるべきだよ」とアドバイスするのがそれで、おそらくこれだと内容的にも間違っています。というのは世の中には牛の尻尾が似合っていて、“鶏口のつもりで二番手校に進学させたら、いつの間にかその高校の尻尾に収まっていた”という例がいくらでもあるのです。

 高校入試のランキングなんて基本的に輪切りですから、それはもちろんトップ校の最上位には先生よりも頭の良い天才児が山ほどいて学力は天井知らずですが、二番手、三番手、それ以下になると、成績の上も下も切り取られていてトップ合格の子も最下位合格の子も、点数でみるとほとんど差はないのです。それ以上に成績の良い子は上のランクの高校へ、それよりも低い子は下のランクの高校へ行っています。
 ですから鶏口で入学した子も、ちょっと油断しているとアッという間に鶏の尻尾で、1年間ほども尻尾にいるとほぼその位置で固定化されてしまいます。あとで考えれば「鶏尾牛尾(牛の尾にならずに鶏の尾になった)ということになりかねません。そうした子の中には「誤用された牛後」(上位校の最下位)でもなんとかやっていける者もいたりします。
 どうせ間違って使うなら「鶏口牛後」、そこまで考えて指導してあげたいものです。


【草木も眠る丑三つ時】
 「草木も眠る丑三つ時」は、“気味が悪いほどひっそりと静まりかえっている真夜中の表現”としてよく使われます。
 講談では怪談話が、
「東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時・・・」(ゴーンという鐘の音)
で始まったりします。

 「丑三つ時」というのは丑の刻(季節によって異なりますが大雑把に午前1時から午前3時ごろまで)を四つに分けたうちの三番目の時間で、およそ午前2時から2時30分頃までのことを言います。深夜一番眠りが深くなる時間帯です。
 「丑の刻」の次の時刻は「寅の刻」です。この「丑」と「寅」を合わせた「丑寅の方角」といえば北東、邪鬼や悪霊がやってくると言ういわゆる鬼門に当たり、建築ではこの方角に玄関や門を置くことを嫌ったりします。
 鬼は丑寅の方角からやってくる、だから牛の角を生やし、虎のパンツをはいている
 というのは私の十八番(おはこ)の知識です。

 しかし「鶏口牛後」にしても「草木も眠る丑三つ時」にしても、どう料理しても年頭の清新な子どもの心に注ぎ込みたくなるような話には繋がっていきません。

 「角を矯めて牛を殺す(小さな欠点を無理に直そうとして、むしろ全体をだめにしてしまうことのたとえ)」とか「牛に引かれて善光寺参り(思いがけず他人や運命に導かれてよい方面に向かうこと)」 だったらどうでしょう?
 これだと何かしら教訓めいた話に結びつけても行けそうです。

【“牛”そのものについて話す】
 私は子どもたちに、最低でも一日一回は「よい話」をしようと心がけてきました(そのなれの果てが毎日書いているこのブログです)。
 しかしどうしてもうまくいかないときは主題に関する知識を紹介するにとどめて、終わりにすることも少なくありませんでした。
「〇〇に関する興味関心を呼び起こしたのだからいいや」
というわけです。
 たとえば「牛」という生き物それ自体について紹介したりすることですが、今日は紙面が尽きました。続きは明日、お話しすることにしましょう。

(この稿、続く)


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