2021/1/6

「3学期が始まります」〜歳の初めに子どもたちに話すこと@  歴史・歳時・記念日


 3学期が始まる。
 学期の当初、新年の冒頭は、
 子どもたちに良い話をするところから始めたいものである。
 そんな場合のヒント。
という話。
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(写真:フォトAC)

【3学期が始まります】
 いよいよ3学期が始まります。早いところでは明日から、あるいは明後日、来週の月曜日からというところもありそうです。
 例年なら小学生は書初めの宿題を抱え、中学三年生は受験に向けてフンドシを締め直して登校!というところでしょうが、今年は特に感染の拡大している地域では不安な始まりとなりそうです。
 しかしとりあえず新年。新しい歳、新しい学期、新しい自分という生まれ変わりのゴールデン・タイムです。時間に余裕があれば、「2021年の誓い」「2021年の目標」などを考えさせながら、新しい年を迎えた、新しい心構えをさせたいものです。

 年初にあたっての担任講話というのも大切です。相手は思った以上に清新な気持ちで登校してきますから、そのまっさらな心と耳に、美しい言葉を流し込みたいものです。けれどうまく話題が見つからないとき、私は毎年、干支に関する知識をしこたま詰め込んで、それをヒントに講話を始めたものです。


【牛に関することわざ・熟語】
 牛に関することわざ・熟語・言いまわしについては、ちょっと検索するだけで次のようにいくつも出てきます。
 鶏口牛後(けいこうぎゅうご)
 鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)
 角を矯めて牛を殺す(つのをためてうしをころす)
 草木も眠る丑三つ時(くさきもねむるうしみつどき)
 牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)
 汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)
 九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
 風する馬牛も相及ばず(ふうするばぎゅうもあいおよばず)
 風馬牛(ふうばぎゅう)
 商いは牛の涎(あきないはうしのよだれ)
 牛に経文(うしにきょうもん)
 牛に対して琴を弾ず(うしにたいしてことをだんず)
 牛は牛連れ、馬は馬連れ(うしはうしづれ、うまはうまづれ)
 牛も千里、馬も千里(うしもせんり、うまもせんり)
 牛を馬に乗り換える(うしをうまにのりかえる)
 馬に乗るまでは牛に乗れ(うまにのるまではうしにのれ)
 馬を牛と言う(うまをうしという)
 馬を牛に乗り換える(うまをうしにのりかえる)
 馬を崋山の陽に帰し、牛を桃林の野に放つ(うまをかざんのみなみにきし、うしをとうりんのやにはなつ)
 馬を買わんと欲してまず牛を問う(うまをかわんとほっしてまずうしをとう)

 その中で私が知っていてすぐに説明できるものはごくわずか、最初に並べた五つだけです。しかも「鶏口牛後」と「鶏口となるも〜」は同じものですから、実質的には四つしかないことになります。
 「牛に経文」と「牛に対して琴を弾ず」はたぶん「馬の耳に念仏」と同じ意味で、「牛は牛連れ、馬は馬連れ」「牛も千里、馬も千里」「牛を馬に乗り換える」なども何となく意味が想像できますが、十分に咀嚼できていない言葉を使おうとするぼろが出ますから、最初の五つから話題を探します。


【鶏口よりも牛後が向く人間もいる】
 鶏口牛後は本来「大きな集団の端っこでこき使われるよりも、小さな集団であっても長となるほうがよい」ということですが、しばしば「トップグループの最後尾よりも第二グループの先頭の方がよい」といった形で誤用されることがあります。
 高校受験の指導の際に担任が「無理してA高校に行かなくてもお前の成績ならB高校に行けばトップになれる。鶏口牛尾と言うように、牛のしっぽでいるよりも鶏の頭でいるべきだよ」とアドバイスするのがそれで、おそらくこれだと内容的にも間違っています。というのは世の中には牛の尻尾が似合っていて、“鶏口のつもりで二番手校に進学させたら、いつの間にかその高校の尻尾に収まっていた”という例がいくらでもあるのです。

 高校入試のランキングなんて基本的に輪切りですから、それはもちろんトップ校の最上位には先生よりも頭の良い天才児が山ほどいて学力は天井知らずですが、二番手、三番手、それ以下になると、成績の上も下も切り取られていてトップ合格の子も最下位合格の子も、点数でみるとほとんど差はないのです。それ以上に成績の良い子は上のランクの高校へ、それよりも低い子は下のランクの高校へ行っています。
 ですから鶏口で入学した子も、ちょっと油断しているとアッという間に鶏の尻尾で、1年間ほども尻尾にいるとほぼその位置で固定化されてしまいます。あとで考えれば「鶏尾牛尾(牛の尾にならずに鶏の尾になった)ということになりかねません。そうした子の中には「誤用された牛後」(上位校の最下位)でもなんとかやっていける者もいたりします。
 どうせ間違って使うなら「鶏口牛後」、そこまで考えて指導してあげたいものです。


【草木も眠る丑三つ時】
 「草木も眠る丑三つ時」は、“気味が悪いほどひっそりと静まりかえっている真夜中の表現”としてよく使われます。
 講談では怪談話が、
「東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時・・・」(ゴーンという鐘の音)
で始まったりします。

 「丑三つ時」というのは丑の刻(季節によって異なりますが大雑把に午前1時から午前3時ごろまで)を四つに分けたうちの三番目の時間で、およそ午前2時から2時30分頃までのことを言います。深夜一番眠りが深くなる時間帯です。
 「丑の刻」の次の時刻は「寅の刻」です。この「丑」と「寅」を合わせた「丑寅の方角」といえば北東、邪鬼や悪霊がやってくると言ういわゆる鬼門に当たり、建築ではこの方角に玄関や門を置くことを嫌ったりします。
 鬼は丑寅の方角からやってくる、だから牛の角を生やし、虎のパンツをはいている
 というのは私の十八番(おはこ)の知識です。

 しかし「鶏口牛後」にしても「草木も眠る丑三つ時」にしても、どう料理しても年頭の清新な子どもの心に注ぎ込みたくなるような話には繋がっていきません。

 「角を矯めて牛を殺す(小さな欠点を無理に直そうとして、むしろ全体をだめにしてしまうことのたとえ)」とか「牛に引かれて善光寺参り(思いがけず他人や運命に導かれてよい方面に向かうこと)」 だったらどうでしょう?
 これだと何かしら教訓めいた話に結びつけても行けそうです。

【“牛”そのものについて話す】
 私は子どもたちに、最低でも一日一回は「よい話」をしようと心がけてきました(そのなれの果てが毎日書いているこのブログです)。
 しかしどうしてもうまくいかないときは主題に関する知識を紹介するにとどめて、終わりにすることも少なくありませんでした。
「〇〇に関する興味関心を呼び起こしたのだからいいや」
というわけです。
 たとえば「牛」という生き物それ自体について紹介したりすることですが、今日は紙面が尽きました。続きは明日、お話しすることにしましょう。

(この稿、続く)


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2021/1/1

「2021年」  歴史・歳時・記念日


  あけまして
      おめでとうございます


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  本年も、よろしくお願いいたします。

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2020/12/22

「コロナのおかげで年賀状の書けない人がいる」〜ほんとうに何もなかった一年  歴史・歳時・記念日


 いよいよ年賀状も締め切り間際。
 毎年、近況報告のような賀状を書いているのだが、
 今年はコロナ、コロナ、コロナで、書くことがない。
 いったいどうしたらいいのだろう。

という話。
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【私のつくってきた三種の年賀状】
 12月も20日を過ぎて、いよいよ年賀状も締め切り間際となりました。私が自分自身に課した締め切りは12月24日。毎年クリスマスカード代わりにイブの日までに作成しています。

 例年、作ることにしている年賀状は2種類。
 ひとつは私自身の一年間を振り返るもので、できごとを1月から順次数え上げて一つひとつにコメントをつけるものです。3年前の戌年はこんなふうでした。
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 最近は老眼の進んだ友人たちからの厳しい声も聞かれるようになっているのですが、自分自身の記録の意味もあって、こうした形式はもう30年以上も続けています。

 もうひとつは家族に関するもので、一人ひとり名前を挙げて、近況を4行程度で記しておきます。主として親戚や家族ぐるみの付き合いのある相手に送るものです。
 Web上に出しやすいものをということで、さらに一回り昔の2006年のものを載せておきます。もちろん本名や素性のバレそうなところは仮名や伏字にしてあります。
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 まだ担任を持っていたころには「児童生徒からもらった賀状の返事」というのもありました。これも2006年のものが扱いやすいということで、載せておきます。それぞれの年の干支に関するウンチクで埋めています。
 かつての教え子たちもみんな大人になってしまったので、いまはこうした賀状をつくることはありません。
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 今年も2020年の年の瀬を迎え、さあ取り掛かろうと思って――ハタと立ち止まってしまいました。
 書くことがないのです。


【農業日記か介護日記か】
 今年あった思い出に残る出来事と言えば、2月末に行った初めての5泊6日の九州旅行です。
 もともと夫婦で忙しがっていて旅行などほとんどしない家庭で、泊を伴う家族旅行はディズニーランドとUSJに合わせて3回。それと娘が結婚する直前の家族解散旅行でそれぞれ一泊しただけです。
 退職後は温泉好きの義理の兄弟に連れられて、近場の一泊ということもありましたが、5泊6日の家族旅行など空前(そしてたぶん絶後)ですから、十分に年賀状に値する大事件です。

 で、それを書いて次は・・・と考えると、あとはひたすらコロナ、コロナ、コロナ。自粛、自粛、自粛。
 子どもや孫たちとは半年以上会っていませんから、家族の様子も報告のしようがありません。

 もちろん一年間、何もしないで生きてきたわけではないので、ムリをすれば書けないわけではないのですが、おそらくでき上るのは小さな畑でやってきた「農業日記」もしくは母の「介護日記」くらいなものです。実に味気ない。

 ああ、そうこうするうちに今日は22日。
 年賀状、ほんとうにどうしたらよいのでしょう?


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2020/12/9

「私にとっては新しいが、若者にとってはあまりに古い52年前」〜明日は「府中3億円強奪事件」の日  歴史・歳時・記念日


 明日は「府中3億円強奪事件」のあった日、もう52年になる。
 「今も昨日のことのように」とまでは言わないが、
 かなり細かなところまで鮮明に覚えている。とにかく大きな事件だった。
 しかしそれとて半世紀以上前の話。昭和もつくづく遠くなったものだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【府中3億円強奪事件の日】
 明日、12月10日は「府中3億円強奪事件」の起こった日です。
 1968年12月10日午前9時30分ごろ、小雨の降る日本信託銀行(現三菱UFJ銀行)国分寺支店を出た現金輸送車は、府中刑務所の北側道路で白バイ警官に止められます。車には東京芝浦電気(現東芝)府中工場従業員のためのボーナス、約3億円がジュラルミン・ケースで積まれていました。

 運転手がどうしたのかと訊くと、白バイ警官は「巣鴨の支店が爆破された。この車にもダイナマイトが仕掛けられている可能性があるので調べさせて欲しい」と言って乗っていた全員の下車を求めます。数日前に彼らの勤める府中支店にも支店長宅を爆破するという脅迫状が届いていた経緯もあり、行員たちは言われるままに車を降りしばらく様子を見守ります。すると輸送車の下に潜り込んだ警察官が「あった! 爆発するぞ! 早く逃げろ!」と叫び、下からモクモクと煙が出始めたため彼らは一目散に逃げ出しました。

 警察官はサッと車に乗り込むと発進させ、その場に煙の出る棒状のものが残されます。行員たちは警察官がダイナマイトから輸送車を遠ざけようとしているのだと考え、「なんて勇敢な人なんだ」と感心しながら見送りました。ところが煙を出していたのはただの発煙筒で、置き去りにされた白バイもすぐに偽物だと分かって、初めて3億円が強奪されたことに気づいたのです。

 のちの捜査で分かったのですが、このあと犯人は3台の盗難車を使って次々と乗り換え、まんまと警察の緊急配備を潜り抜けてしまったのです。3億円の現金の一部は番号が控えられていましたが、早い段階で公開されてしまったために使われることはなく、事件は結局7年後の1975年に公訴時効を迎え、現在にいたるまで真相は明らかになっていません。

 盗まれたお金は現在の貨幣価値で10億円とも50〜100億円とも言われる高額でしたが、二重の保険金が掛けられていたために実質的に損害を被った人はなく、けが人も出なかったことから一部で犯人は英雄視されました。そのためフィクションやノンフィクションで繰り返し扱われ、「府中3億円強奪事件」は戦後犯罪史で最も有名な事件のひとつになったのです。

――と、ここまで読んで、それが若い人だったら「すごいことがあったんだ」と感心される場合もあるかもしれません。しかし私と同じ60代以上にとっては「何をいまさら」みたいな話です。
 まず知らぬ人は一人もいませんし、それもかなり詳しく知っている人が相当います。とにかくすべての日本人の耳目を引き、しつこいくらい報道された事件だったからです。


【私にとっては新しいが、若者にとってはあまりに古い52年前】
 しかし60代以上の人たち、考えてみてください。1968年と言えば今から52年も前の話です。今の若者が3億円事件の話を聞く感覚は、1968年当時の若者(つまり私たち)が1916年の話を聞くのと同じなのです。

 1916年と言えば大正5年。
 第一次世界大戦の真っ最中で、アインシュタインが一般相対性理論を発表し、レーニンが「帝国主義論」を著し、森鴎外が「高瀬舟」、夏目漱石が「明暗」を書いた年です。ロシアでラスプーチンが暗殺され、アメリカではボーイング社が、日本では明治製菓が操業した年でもあります。それでもピンとこなければ竈門炭治郎が「鬼殺隊」に入って鬼と戦っていた(「鬼滅の刃」)時代というのはどうでしょう。
 いずれにしろ、どう足掻いても実感できない年の開きです。

 私はブログの題材に困るとしばしば「今日は何の日」みたいなサイトを参考にしてものを考えることにしています。しかし先週から今週のようにひとつのテーマで続けて書いていると、重要な歴史的事件を拾い残してしまうことがあるのです。

 ちなみにこの2週間余りの重大な歴史的事件を調べると、
11月25日―三島由紀夫割腹自殺事件から50周年
        「ノストラダムスの大予言」発行から47年
11月27日―PKO協力法案強行採決から29年
11月29日―大韓航空機爆破事件から33年
12月 8日―真珠湾攻撃(太平洋戦争開始)から79年
        元ビートルズのジョン・レノン暗殺事件から40年周年
と、語るべきこと、考えるべき事件はいくらでもありました。

 特に周年にあたる「三島由紀夫」と「ジョン・レノン」については何かを考えて記録にとどめておくべきだったのかもしれません。しかしそれぞれの日に私は洗濯機の糸くずの話とNHKドラマのことを考えていました。もちろんそれを中断して過去の重大事件を扱ってもよかったのですが、何となくそこまでやる必要もない気もしました。

 私にとってはどれも意義深い重大な事件なのですが、なにせ半世紀前、40年前となるよ、今の人にとってどういう意味があるのか――そんな足を引っ張るような思いがあったのです。

 ああそれにしても、「昭和」も遠くなったものです。

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2020/10/30

「明日はハロウィン、コスプレ祭り」〜ケルトとハロウィンのウンチク  歴史・歳時・記念日


 明日はハロウィン。
 土曜日が重なるなんて、そうあることではない。
 本来ならたいへんな騒ぎになるところだがこのコロナ禍、
 どうぞ若者が家でおとなしく過ごしてくれますように。
 どうぞ渋谷に出てきたバカ者が、その愚かさにふさわしく、
 全員アマビエでありますように――。

という話。
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(写真:オーダン)

【ケルト人】
 ハロウィンというものがどうにもこうにもわからず、ずいぶん調べたことがあります。
 もとはケルト人のお祭りということですが、その「ケルト人」がわかっていないので全体がわからなかったのです。

 今でもたぶんよくわかっていないのですが、確実なところで、ケルト人とは紀元前5世紀ごろにはアルプスの北部に広く住んでいたヨーロッパの原住民で、現在はケルト語と総称される似通った言語を話し、ケルト文化と総称される類似の文化をもった人たちです。
「総称される」「総称される」と繰り返したのは、言語にしても文化にしても元々高い統一性を持ったものではないからです。

 たとえて言えば鎌倉・室町時代の日本。住んでいるのは基本的に日本人で日本語を喋っているはずなのに、おそらく津軽のオジイと博多のオバアは会話にならず、気候や互いの距離を考えれば文化的な統一性もかなり怪しい、日本人が日本民族らしくなったのは江戸時代の参勤交代以降、文化的に繰り返しかき混ぜられてからのことだと思うのです。

 ケルト人という言い方はしてもケルト民族と言わないのは、そんなふうに歴史として統一性の高いケルト文化が見えてこないからでしょう。


【大陸のケルト、島のケルト】
 ヨーロッパ大陸のケルト人たちは紀元前1世紀ごろまでにゲルマン人に押し出されて西のフランスやスペインに移動し、やがてローマ帝国の侵攻を受けて次第に同化し始め、中世にはゲルマン系のフランク人に吸収されてフランス人となっていきます。けれどそれですべてが消えてしまったわけではありません。
 ケルト人の一部は海を隔てたグレートブリテン島やアイルランドで生き残っていたのです。

 イギリスは正式名称を「グレートブリテン・北アイルランド連合王国」と言いますが、そのグレートブリテンはさらにイングランド・スコットランド・ウェールズの三つに分けられます。そのうちのウェールズと北アイルランドの人々がケルト人の子孫で、ケルト語はウェールズ語・アイルランド語として形を変えて残っていたのです。

 現在イギリスには四つの公用語(英語・スコットランド語・ウェールズ語・アイルランド語)があるということを忘れていると理解できない部分です。


【ケルト文化】
 ケルト文化というのも分かるような分からないような、奇妙なものです。ケルト模様だとかアイリッシュダンスだとか、ケルト音楽だとか、言われてみればイングランドやスコットランドあるいはヨーロッパ大陸諸国のものとは確かに違うな、という気はするのですが、これと言った決定打はありません。強いて言えばケルト文化というのは雰囲気なのかもしれません。

 私の理解では、私たちがイギリスだと思っているものからキリスト教を引いて、イングランド的なもの(シェイクスピア・ロック音楽・球技スポーツなど)を引いて、スコットランド的なもの(ウイスキーやバグパイプ、タータンチェックなど)を引いて、残りから北欧的なものを摘まみ出すとケルト文化になります(余計わからないか――)。

「アーサー王物語」に出てくる魔法使いや妖精の世界、魔力を持つ生首、騎士道、そんなものがケルト的なのかもしれません。
 

【ハロウィン】
 ケルト人の一年の終わりは10月31日。長い冬の始まりでこの日の夜には死者の霊が家族を訪ねて回ると信じられていました。また同時に悪霊や魔女も街を跋扈するために、人々は敢えて同じような扮装をして悪霊や魔女に混ざり、人間とは分からないようにして身を守ったと言います(諸説あり)。
 
 これは後に入ってきたキリスト教徒からすれば好ましからざる異教徒の祭りで、特に“敢えて悪魔の姿を借りる”という部分は許しがたいものでした。もちろん先住民の大切な儀式ですから無碍に潰そうとすれば大きな抵抗にあいます。そこでこのケルトの祭りを取り込みにかかるのです。

 どうやったかというと元々5月13日にやっていた聖母と殉教者のための祝祭を11月1日に持ってきてしまったのです。これを「諸聖人の日」と言います。かつて「万聖節」と言ったものと同じです。そしておかげでケルトの祝祭はその前夜祭になってしまったのです。

「諸聖人の日」は英語で「ソレムニティ・オブ・オール・セインツ(Solemnity of All Saints)」。略して「オール・セインツ(All Saints)」と呼ばれるほか「オール・ハロウズ(All Hallows)」「ハロウマス(Hallowmas)」とも言われます。
「諸聖人の日」の前の晩は「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」と呼ばれ、それが訛って「ハロウィン(Halloween)」となったのです。

「諸聖人の日」はイギリスやカトリック国で今もきちんと祝われているようです。
 ハロウィンを「諸聖人の日」とほとんど関わりない「子どものおやつ集め」にしてしまったのは19世紀のアメリカ人、それをさらに宗教色のない大コスプレ・パーティにしてしまったのは日本人の仕業でした。

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2020/9/29

「ふた組の三姉妹」〜浅井三姉妹、宋家の三姉妹  歴史・歳時・記念日


 NHK大河ドラマ「真田丸」の淀君(竹内結子さん)はすごかった。
 しかし淀君を含む浅井三姉妹の生涯自体も凄まじいのだ。
 そしてふと思い出すのは、
 時代も国もまったく異なる、別の三姉妹のことだ。

という話。
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(ボッティチェリ「春」の三美神《左》)

【消化不良な歴史】
 昨日、竹内結子さんについて書いた際、4年前のNHK大河ドラマ「真田丸」での淀君の演技が素晴らしかったというお話をしましたが、私は淀君を長姉とするいわゆる浅井三姉妹について非常に消化不良な思いを持っています。
 ものすごく興味があるのに、ロクな資料に出会わないのです。

 歴史というのはその主軸が政治史にあって、政治の世界はほぼ男性に独占されてきました。したがってそれぞれの時代を女性がどう生きてきたかという記録は、ごく少数の例外を除いて、ほとんどないのです。その中にあって浅井三姉妹と呼ばれる茶々(ちゃちゃ)・初(はつ)・江(こう)の生涯については、事績としては比較的よく残っているのですが、それでも人物像を思い浮かべられるほどの記述はありません。
 「真田丸」の茶々(淀君)が素晴らしかったのは確かに竹内結子さんの演技力によるところも大きいのですが、三谷幸喜という風変わりな脚本家が自由に想像を巡らせることができるほど、資料がなかったからかもしれません。


【お市の方】
 浅井三姉妹の母親は織田信長の妹で、戦国一の美女と謳われたお市の方です。同盟のために二十歳前後で浅井長政のもとに嫁した政略結婚ですが、三人も子どもが生まれたところをみるとそれなりに仲も良かったのでしょう。
 織田と浅井の同盟はやがて破綻し、信長は小谷城に浅井長政を殺して、そのときお市の方と三人の娘は城から逃れます。逃れたというよりは脱出させられたといったほうがいいのかもしれません。
 信長は祝勝の酒宴の席で、長政の髑髏を盃に祝杯を挙げたと言いますから、よほど腹立たしかったのでしょう。しかしお市の方にとってはやりきれない話です。

 本能寺の変で信長が死んだのち、柴田勝家に再嫁したお市の方は秀吉に攻められて再び落城の憂き目に遭います。しかし秀吉の熱心な勧めにもかかわらず、北庄城落城に際して自らは脱出せず、三人の娘のみを外に出して夫とともに自害する道を選びました。前夫のことで後悔もあったのでしょう。


【浅井三姉妹】
 その後、3人の娘たちはそれぞれ数奇な運命を辿ることになります。
 茶々(淀君)は秀吉の側室となって二人の子を産み、最後は大坂夏の陣で三度目の落城の中、息子の秀頼とともに自害します。

 次女の初は秀吉の命によって室町以来の名家・京極家に嫁します。夫の京極高次という人はかなり面白い人物で、両親がキリスト教徒で(母親は京極マリアというなで名が残っています)自身も最後は妻とともに改宗したり、妹が秀吉の側室で妻が信長の姪であるとともに秀吉の側室の妹、その七光りのおかげで出世したと陰口をたたかれ、「蛍大名」などといったあだ名さえあった人です。
 そうかと思うと関ヶ原の戦いでは東軍(徳川方)に味方して、わずか3000人の兵で大津城に籠城し西軍1万5000人(別に3万7000にとも4万人とも言われる)を足止め、東軍勝利に貢献した知将といった面もあったりします。
 ちなみに高次がなくなると初は剃髪して仏門に入りますが、ここは“あれ? キリシタンの話はどうなったんだ?”と首を傾げたくなるような部分です。

 三女の江は秀吉の命によって強制的に結婚させられたかと思ったらやがて強制離婚させられ、二度目の結婚相手は朝鮮出兵で戦病死。三度目の嫁ぎ先が徳川家康の嫡男で後の2代将軍、徳川秀忠という激しい前半生を送ることになります。
 次姉の初は子どもに恵まれませんでしたが、江は二男五女をもうけ、その中には有名な千姫や三代将軍徳川家光もいます。
 波乱の多い前半生に対して、もっとも安定した後半生を送った人といえます。

 それぞれ別な場所で生きることになった三人ですが、一瞬、激しく交錯する歴史的場面が生れます。1614年の大坂冬の陣、そして翌年の夏の陣です。
 言うまでもなくこのとき茶々(淀君)は豊臣方にあって総大将の母親、江は徳川方2代将軍の妻なのです。このとき両者の間にあって、和睦のために奔走したのがすでに未亡人となって僧籍にあった初でした。

 この時代の女性は男たちに運命を振り回されるのが常でした。浅井の三姉妹の生涯はその最も激しい典型ですが、それでも人間は生きていける、なんとかなる、自ら棄てることはないと教えてくれる例のような気もします。


【宋家の三姉妹】
 歴史、特に戦国史が大好きで、自分自身が教師としては歴史が専門だと思っていたにもかかわらず、浅井三姉妹に興味をもったのはずいぶん後のことでした。学生時代は茶々以外のことはまったく知らず、三姉妹といったらまず浮かんだのは中国の、宋家の三姉妹の方です。
 中国近代史が私の専門でしたので。

クリックすると元のサイズで表示します  宋家の三姉妹と呼ばれるのは戦前の中国の財閥、宋家の三人の娘、宋靄齢(そう・あいれい)、宋慶齢(そう・けいれい)、宋美齢(そう・びれい)のことです。父親は牧師でありながら金融と印刷業で財を成した人で、母親は元数学者。娘たちは三人ともアメリカで高等教育を受けています。
 三人が有名なのは浅井の三姉妹同様、嫁ぎ先がかなり特殊だったことと、そして政治の世界にそれぞれ役割があったことによります。

 長女の靄齢の嫁ぎ先は富豪で政治家でもあった孔祥熙(こうしょうき)、孔は宋家とともに孫文の中国国民党を財政面から支援し、抗日運動も支えた人です。ただし晩年には一族を挙げて私腹を肥やした面もあり、最終的な評価は靄齢とともにかなり芳しくないものがあります。

 次女の慶鈴の夫は近代中国の国父とされる孫文です。宋家・孔家が国民党支持を続けたのに対して慶鈴は途中から中国共産党支持に回り、中華人民共和国成立後も大陸に残って毛沢東の中国の国家副主席にまで昇り詰めました。非常に清廉な革命家といった感じの人です。

 三女の美齢は三人の中でももっとも華やかな女性でした。夫は蒋介石、中華民国の初代総統です。中華人民共和国が成立して本土を追われてからは後は、台湾のファースト・レディとして国政政治の舞台でも活躍しました。2003年まで存命でしたのでその姿を覚えている人も少なくないでしょう。政治的野心の強い人で、戦後の台湾史をちょっと覗くだけでも繰り返し名前が出て来ます。

 中国共産党の国家副主席と台湾国民党のファースト・レディーですから次女と三女の関係は大坂夏の陣の淀君(茶々)と江に匹敵する、あるいはそれ以上に厳しい関係だったと言えます。
 1981年には名誉国家主席になっていた宋慶齢が危篤となり、その際、中華人民共和国は見舞いのための訪問を打診しましたが、敵対関係を理由に美齢はこれを決然として拒否しています。

 三者三様の生き方――。こうした事情から、三姉妹については靄齢、美齢、慶齢の順に、「一人は金と、一人は権力と、一人は国家と結婚した」と言われています。


【誰か物語にしてくれないか】
 宋家の三姉妹については記録もたくさん残っていて調べるときりがないのでこの程度の紹介にとどめます。1998年に映画になっていますから、そちらを観るのが早いでしょう(私は見ていないので評価はできませんが)。
 浅井の三姉妹については、どうして映画にも大河ドラマにもならないのか不思議です。2011年の「江 〜姫たちの戦国〜」は確かに浅井三姉妹が主人公ですが、江に寄せすぎている感じもします(これもあまり熱心に見ていなかったので評価の対象外ですが)。

 私ももう齢ですので、今から熱心に調べようという気力がありません。だれか都合よくまとめて見させてくれる人がいればいいのですが――。




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