2020/1/9

「年賀状をやめたいと思っている人に、続けてほしいと思う側からひとこと言いたい」  歴史・歳時・記念日


 無駄だ、虚礼だ、面倒くさいと評判の悪い年賀状。
 しかしそれが楽しみな人だって少なくない。
 “わざわざ連絡して会うほどでもない、
 しかし1年にいっぺんくらいは動向を知りたい、
 あなたのことを忘れていないと伝えたい”。
 そういう人間関係はこの先どうなってしまうのか。

という話。
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【元旦:ちょっと気分のいい朝】
 退職このかた昔のことを思い出すと悪いことばかりが甦ってくる――仕事で失敗して人に迷惑をかけたこと、誰かにいやな思いをさせたこと等々――、この件に関しては何度かここで書きました。
2017/4/27「人生の再構成」

 本当は自慢できるいい仕事だってしてきたのです。そして元来くよくよする性質でもないのにどうしてこうなのか、いつもそう思っています。

 けれどそんな私でも、一年にいっぺんだけ、ちょっと気分の良くなるときがあります。それは元日に配達される年賀状を広げるときです。今年もかつての教え子から20数枚が届いていました。

 4回の喪中と私自身の退職を経て、ずいぶん数は減りましたがそれでも一番の年かさは初任校の生徒で今年50歳、一番若い“元教え子”でも最後に担任した小学校の27歳です。
 最後の子たちは20代後半ですから、年始のたびに結婚や出産の報告が増え、今年は結婚報告が5通(うち一人はもっと年上ですが)、出産報告が1通ありました。ウェディングドレスやタキシード姿の写真、新生児を抱いて満面笑顔の写真がついていたりすると、思わず私の頬も緩みます。

 その子が立派に成長したのは私のおかげというわけではありません。けれどその血肉の細胞の、ひとつ分くらいは貢献しているかもしれません。貢献していると信じましょう。


【やはり“よい子”が年賀状をくれる】
 この年まで何十年も年賀状を寄こし続けてくれる子は、ほとんどが元“いい子”です。もちろん今だって“いい子”に違いありません。

 私が担任だったころ、親の勧めがあったのか、あるいは親の書くのを横目に見ながら自分も書きたくなったのか、とにかく年賀状を誰かに出そうと思ったとき担任の顔が思い浮かぶような子はたいていが“いい子”です。
 さらに卒業後も年末になると“いちおう書いておこう”などと元担任のことを思い出す子が“いい子”でないはずがありません。年賀状のやり取りというものが基本的に惰性に支えられているとしてもです。

 ただし担任であった時期、私がその“いい子”たちと最も深くかかわったかというとそうでもありません。
 教師の間に「“いい子”は“どうでもいい子”」という自虐めいた言い回しがあるように、難しい子に手を取られ、“いい子”はどうしても後回しになってしまうのです。
 “いい子”だって先生にかまってもらい、“いい子”なりに成長したかったはずですよね。それなのに私たちは遠目に様子を見ていただけで、ロクに手をかけてやらなかった。そんな私たちを同じく遠目で見ながら、“いい子”たちは年賀状を出すようになってくれたのです。ほんとうに申し訳ない。


【本当に深くかかわった子は年賀状をよこさない】
 一方、同級生から大量の時間を奪い、担任教師を独り占めしていたような“難しい子”たちは、年賀状などといった雅に気をひかれることもなく、親に勧められることもなかったようで在学中は担任に年賀状を出そうという気になれなかったみたいです。
 卒業後も、忙しい子たちですから元担任の顔など浮かんだためしがありません。あるいはいつも自分の前に立ちはだかり、やりたいことをやらせてくれなかった不倶戴天の敵ですから思い出したくもなかったのかもしれません。

 しかし同窓会でもあると真っ先に私のところに駆けつけて、懐かしく話しかけてくれるのもこの子たちです。小中学校時代ともに過ごした時間は圧倒的に長いのですから、話のタネにも困らないのです。

 ですから元日は、
「年賀状 来るもまたよし 来ぬもよし」

 そういった感じでもあります。


【時代は変わる】
 私自身は中学校から大学まで「恩師」と呼べる人はすべて亡くなってしまい、今は小学校高学年の担任にのみ年賀状を送り続けています。

 10年ほど前まではこちらもいただいていたのですが、ここのところ返事もいただけません。宛先不明で戻って来るわけでもありませんから届いてはいるのでしょう。もし亡くなっているとしたら、いくら何でも家族が知らせてくれるでしょうからおそらく存命で、私の賀状に目を通しておられるはずです。それでも返事がないのはお疲れなのかもしれません。
 それでいいのです。半世紀以上まえの教え子が、今も元気で生きていて、あなたのことを忘れずにいる、それが伝わりさえすればいいのです。

 ところで娘のシーナの話だと、若い人の多くは年賀状を書かない、以前は「アケオメ(あけましておめでとう)メール」を一斉送信して年賀状代わりにしたが、今はそれもなくなってSNSに「おめでとう」と書いて終わりにしているとのことです(シーナ自身は所帯持ちの社会人ですから親戚等、最小限は出しているようですが)。

 調べると年賀状の発行枚数は2003年の44億6000枚を頂点に右肩下がりで、2020年用はわずか23億5000枚だそうです。ここで注目すべきは年賀状がもはや過去の習慣となったということではありません。ピークがたった17年前の、それほど古くないものだということです。まだ歴史の浅い、したがってさほどこだわる必要のない、現代的な文化なのです。なくなるとしたら、それも時代の必然的な流れでしょう。

 しかし年賀状のない時代が来るとして、今お話ししたような、
“わざわざ連絡して会うほどでもない、しかし1年にいっぺんくらいは動向を知りたい、あなたのことを忘れていないと伝えたい”
 そういう相手とのやり取りはどうしたらいいのでしょう。もっともそういう想い自体が時代遅れなのかもしれませんが――。


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2020/1/6

「2020年はこういう年」〜子どもに話してあげよう  歴史・歳時・記念日


 いよいよ新学期、
 始業式の日の、清新な子どもの心に語りかける、
 令和2年最初の話の参考に、
 2020年がどんな年か、簡単にまとめてみた。

という話。
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(「ネズミの車に乗った猫とねずみ4」PhotoACより)

【暦・カレンダー】
 令和2年はオリンピック・イヤー。
 「夏季五輪」と「うるう年」と「アメリカ大統領選挙」は必ず1セットですから覚えておくと便利です。とりあえず今年はオリンピックがありますから、2月は29日までだと分かります。
 古代ローマ暦では現在英語で「March」で表記される月が1年の始まりでしたので、最後「February」で帳尻を合わせたのです。
(「昔は3月から始まって2月に終わった」というと混乱するので、不本意ながら英語で説明することにしています)

 2月と言えば今年から「天皇誕生日」が2月23日に移されます。それにともなって以前の「天皇誕生日(12月23日)」は普通日に戻され、6月と並んで祝日のないふたつ目の月になってしまいました(2019年より)。もっともだからといって「のび太の嫌いな6月と12月」ということにはなりません。なんといってもクリスマスも冬休みもありますから。
 
 2020東京オリンピック開催に伴い、今年は一部の祝日が移動します。
 例年7月の第3月曜日とされていた「海の日」は今年に限って7月23日になり、昨年まで10月第2月曜日だった「体育の日」は名称を「スポーツの日」と改め、さらに今年に限って7月24日に実施されます。そのため7月23日(木)〜26日(日)は東京オリンピック開催にあわせて4連休となります。
 「スポーツの日」が7月になったことで、今年は10月も祝日のない月となります。のび太は泣くかもしれませんね。
「ドラえもん〜〜!!」

 例年8月11日に行われていた「山の日」も今年に限って8月10日(月)となり、土曜休みの人は8月8日(土)からの3連休となります。

 それ以外の祝日の変更はありません。


【周年】
 今年がどんな年であるのか、過去との関係で「周年」を列挙します。
(20周年)
 3月 4日:「PlayStation 2」(PS2) 発売から20年。
 5月 3日:西鉄バスジャック事件から20年。  
12月30日: 世田谷一家殺害事件発生から20年。

(25周年)
 1月17日: 阪神・淡路大震災から25年。
 3月20日: 地下鉄サリン事件発生から25年。

(30周年)
10月 3日: ドイツ再統一から30周年。

(40周年)
11月19日:歌手で女優の山口百恵が結婚。芸能界から引退して40年。

(50周年)
 3月14日〜9月13日:日本万国博覧会開催50周年。
 4月26日:エフエム東京開局50周年。
 5月 8日:ビートルズの最後のアルバム「レット・イット・ビー」が発売されて50周年。

(60周年)
 1月19日:日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約、いわゆる「日米安保条約」締結から60周年。

(75周年)
 8月 6日:広島への原爆投下から75年(人類史上初の核兵器の実戦使用)。
 8月 9日:長崎への原爆投下から75年。
 8月15日: 第二次世界大戦終結から75周年。
日付不明:ムーミンの最初の本「小さなトロールと大きな洪水」出版から75周年。出版日が不明のため「ムーミンの日」は原作者の誕生日(8月6日)となっています。


【現在わかっている今年の予定】
 1月18日〜19日:最後の「大学入試センター試験」が実施される。2021年からは新テスト。
 1月31日:2016年6月23日の国民投票の結果に基づき、グリニッジ標準時23時をもってイギリスがEUから離脱する。
 2月23日:今上天皇の即位後に初めて迎える天皇誕生日。
 3月14日:JR東日本、山手線 品川−田町間に新駅「高輪ゲートウェイ駅」が暫定開業。
 4月19日:秋篠宮文仁親王が皇位継承順位1位の皇嗣となる「立皇嗣の礼」が行われる。
 7月 5日:東京都知事選挙
 7月24日〜8月9日:第32回夏季オリンピック(東京オリンピック)開催。
 8月25日〜9月6日:第16回夏季パラリンピック(東京パラリンピック)開催。
11月 3日:アメリカ合衆国大統領選挙の一般投票。
12月31日:アイドルグループ・嵐がこの日をもって無期限の活動休止。

(期日不明の予定)
・ 6月中に奈良市にある薬師寺東塔の平成の大修理が終了する。
・ 夏、横浜 山下ふ頭で実物大の18メートルのガンダムを動かすイベントが開催予定。
・ 順調に計画が進めば、今年の末に小惑星探査機「はやぶさ2」が地球へ帰還する。
・ 中国が計画する天宮宇宙ステーションが完成。

 こんな感じです。
 悪いことは予定されませんから、これだけを見ていると良い年になりそうですね。この中で子どもの興味を引く話題はどれでしょう?
 将来、子どもにじっくり見させるために、今からタネを蒔いておいた方がいいのはどれでしょう? 私だったらハヤブサ2かな?


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2020/1/1

「2020年」  歴史・歳時・記念日



  あけまして
      おめでとうございます


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  本年も、よろしくお願いいたします。





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2019/12/24

「昭和の忘年会と文化の終焉」〜#忘年会スルーに始まって  歴史・歳時・記念日


 「#忘年会スルー」が話題となって、忘年会の見直しが始まる様子。
 しかしすでに、昭和の忘年会文化は消えつつある。
 合理からすればなくなって当然の会だが、
 その役割は、ほんとうに終わってしまったのだろうか。

という話。
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(「銀山温泉の夜景(山形県尾花沢市)」PhotoACより)

【#忘年会スルー】
 いよいよ明日は終業式。
 “まだ”のところも“すでに”のところもあると思いますが、全国的には26日から冬休みというところが多いようです(特に根拠なし)。

 2学期終業式といえば忘年会、と昔の人間は考えます。しかし今月は「#忘年会スルー」が話題となったとかで、若者を中心に見直しの機運も高まっているようです。
 それはそうでしょう。日ごろは付き合いのない上司と好きでもない酒を飲むのに数千円も払い、その上で長々と説教されたのではたまりません。若い女性だって、いつどんなふうにオジサンにイエローカードを出すか、身構えながら飲む酒がうまいはずもない。

 一方オジサンたちからすれば、日ごろ腹を割って話すことのない若者の話も聞いてみたい、若い女子社員と合コンみたいな雰囲気も味わいたい、と手ぐすねを引いて待っているのですが、いざ話が始まってみるとなぜかいつも説教臭くなってしまい、自分ながら“これでは嫌がられるのも無理はない”――と分かっていてもうまく話ができない、そんなところかもしれません。
 かくいう私も “もっと面白い話はできないのか”と常に反省しながら、それを生かせないままサラリーマン生活を終えてしまいました。

 忘年会を忌避する若者の気持ちは、みんなが分かっています。
 忌避されて寂しい思いをし、「忘年会は出るのが当たり前だ」などとブツブツ呟いているオジサンたちだってかつては若者で、忘れているのかもしれませんが、彼らこそ昭和の忘年会を壊した人たち、まさに“#忘年会スルー”の先駆者なのです。


【昭和の忘年会】
 昭和の忘年会といえば企業人も公務員も、旅館を貸し切りにして一晩中騒いだものです。
 今でも老舗旅館に行くと何のためかと思わせるようなとんでもなく広い大広間があったりしますが、あれはみんな企業や官公庁がどんちゃん騒ぎ(この言葉自体が昭和!)をするためのものなのです。
 もちろん数人の企業では貸し切りとはなりませんから、実際に大広間を使ったのはある程度以上の組織だけでしたが、“昭和”のイメージとしてはそうなります。

 特に民間企業の場合、会社の補助が莫大で、個人の持ち出しは些少。そうなると“忘年会スルー”自体が損ですから参加者も当然多くなります。
 本田技研はその昔、京都に8000人の社員を集めて大宴会をやったといいますが、参加が義務だったというより、“参加が得”な時代でした。その“得”に誘われて行ってみると、これが結構楽しかったりするのです。

 今も企業風土として忘年会を続けている会社の中には、新入社員の出し物が伝統になっているところもあるようです。お店選びや予約、当日の司会も新入社員にやらせて企画力や協働性を見る――そういうことなのかもしれませんが、かつての“出し物”は新人に限られたものではありません。

 部あるいは各課ごとに毎年出し物を出さなければならないところもあって、それは大変で面白かったと聞いています。
 それこそが“昭和”で、まったくスマートではない。泥臭く、ウザい世界でもあります。


【学校の忘年会】
 学校の忘年会もかつてはそうでした。
 学校には「学年会」という相当に自立性の高い下部組織があって、それが出し物の基礎単位となります。例えば中学校なら1学年から3学年までの3チーム、それに校長・教頭、学年に属さない事務の先生や校務員の先生が「4学年」という臨時の学年組織をつくって4チームで競うわけです。

 特に数寄者の主任がいる学年などは12月に入ると毎日「学年会」で、密かに芝居の練習などをしています。
 「女系図(おんなけいず)」の「別れろ切れろは芸者のときにいう言葉。今のあちきには『死ね』と言っておくんなまし」とか「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の「今月今夜のこの月を、俺の涙で曇らせて見せる」とかはみんなこのとき覚えたセリフです。

 昭和歌謡に必ず出てくる「お富さん」は歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」を演歌にしたものですが、通称「お富・与三郎」「切られ与三」と呼ばれるこのお芝居の、「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさお富、久しぶりだなあ」は、私の場合、忘年会がなければ一生触れることのないものでした。

 名誉のために言っておきますが、これらの演目は私が教員になった30数年前でも相当に古いもので、教師たちは教養としてそれをやっていたのです。まだ教員が文化人の影を引きずっていて、教養を磨くだけの余裕のあった時代の話です。


【忘年会文化の終焉】
 こうした忘年会文化は昭和の終焉、バブルの崩壊とともに終わってしまいました。
 資金のなくなった企業は忘年会への補助を出し渋るようになり、全額自腹となると不参加者も増えてきます。そしてなにより、収益が悪く会社が倒産するかもしれないという状況で、旅館を借り切って飲んでもさっぱり盛り上がらなかったのでしょう。気がつくと旅館で泊りがけの忘年会をするのは教員を含む公務員だけ、といった時代になっていました。

 もちろん公務員が金持ちで脳天気だったからではありません。税金で賄われる組織として、地域の旅館・ホテル・料理屋さんを下支えする使命があったのです。直接そういった圧力を受けたわけではありませんが(市役所などではあったのかな?)、地域を守るという意識は、特に中堅以上の先生方にありました。

 地域が衰退すると子どもたちの環境も悪くなります。教員が落とす資金など大したものではありませんが、ないよりはマシだとそんなふうに思っていたのかもしれません。

 学年の出し物がなくなったのはバブル崩壊とは関係なく、やはり教員の多忙化が原因です。平成に入ると、とてもではありませんが練習などしている暇はなくなったのです。
 経験の浅い若い先生たちがまず悲鳴を上げます。引き出しの多いベテラン教師と異なり、通知票ひとつとっても短い期間に完成させるのは大変なのです。

 この時期に学校で「もう学年の出し物はやめましょう」と提案した若い先生たち、そして企業では「もう、泊りがけの忘年会とかは勘弁してください」と身を引いた新人たち、彼らが今、40代〜50代として“#忘年会スルー”に遭っているのです。

 確かに「酒がつくった友情は、酒のように一夜で醒める」と言います。合理的な考え方をすれば忘年会などなくても構わないでしょう。特に最近はセクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントの危険もありますから、忘年会は危うい場とも言えます。

 やめ時かもしれませんね、寂しいですが。


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2019/11/28

20周年  歴史・歳時・記念日

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 メインサイト「ああ言えばこう言う辞典」が本日で20周年です。
 
 長い間ありがとうございました。

 そして、

 今後ともよろしくお願いいたします。




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2019/9/26

「義経と、金売り吉次と、マルコ・ポーロ」〜中尊寺で思い出したこと  歴史・歳時・記念日


 中尊寺へ行ってきた
 私にとっては小学生のころから ずっと気になっていた場所だ
 耳に笛と琵琶の曲が流れる
 金銀螺鈿(らでん)で飾られた数百の塔楼が見える
 野に武者たちの死体が累々と重なりながら広がる
 そういう幻想を見た

というお話。
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【NHK大河ドラマの思い出】
 1966年(昭和41年)に放送されたNHKの大河ドラマの第4作目は「源義経」でした。
 私は当時小学校6年生から中学1年生になる年齢でしたが、その二年前の「赤穂浪士」からの大河ファンで、翌年の「太閤記」、そして「源義経」と夢中になって観た時期でした。ある意味、それがのちに社会科教師となる原点だったのかもしれません。

 「源義経」で主人公を演じたのは当時の四代目尾上菊之助(現在の菊五郎)、静御前を演じたのが藤純子(現在は富司純子)でした。二人はこのドラマをきっかけにつき合い始め、結婚して寺島しのぶと五代目菊五郎が生まれます。
 武蔵坊弁慶を演じたのは名優緒形拳、藤原秀衡は大御所滝沢修など、錚々たる面々が出演していました。音楽担当はなんと武満徹です。

 いまでもオープニングテーマ曲の物悲しい笛と琵琶の音を聞くと、何か厳かな、凛とした気持ちになります。
 私にとって奥州平泉は「源義経」のテーマ曲が聞こえる場所です。


【金売吉次という男】
  このドラマで加藤大介さんの演じた金売り吉次(かねうり きちじ)という男は「平家物語」や「源平盛衰記」にも出てくる伝説的人物で、奥州で産出される金を京で商う事を生業としたとされています。源義経が奥州藤原氏を頼って奥州平泉に下るのを手助けした人です。人物像は書物によって少しずつ異なり、実在も疑われる商人ですが、吉次という名前はともかく、そういった人物がいても不思議はないと思わせる歴史的背景があります。

 それは当時の奥州がおそらく世界一の金産出国で、京の商人たちが激しく行き来していたことは間違いないからです。そこで買い取られた金は京から九州を経て日宋貿易の主力輸出品として南宋に渡ります。それと引き換えに南宋からは宋銭や医薬品が輸入されてきますが、その量たるや尋常なものではなく、銅銭の払底した南宋は経済が混乱し、滅びかけたとさえ言われます。

 それほどの莫大な金が奥州から運び出されたのですが、儲けの多くは京都を通過する際に通行税として平氏に吸い上げられてしまいます。それが吉次たちには面白くない。
 そこで密かに鞍馬山から義経を連れ出し、来るべき平氏打倒の日に向けて平泉で育てた――それが私の信じている歴史の一解釈です。吉次は長い目で将来を見据え、源氏に恩を売って財力で支えた政商のハシリなのです。私はそうしたしたたかな男が好きです。



【黄金の国】
 ほとんど無尽蔵と思われるほどの金の産出国でしたから、奥州藤原館や中尊寺を始めとする神社仏閣は贅を極め、金色堂のような金銀螺鈿(らでん)で飾られた塔楼はおよそ600余りもあったといわれます。
 実際には行きませんでしたが、私が毛越寺の庭園に立つとしたら、目の前に見る風景はそうした絢爛とした建物群だったはずです。今はコンピュータ・グラフィックスで何でも映像化できる時代ですから、いつかは在りし日の600基の塔楼を見ることもできるかもしれません。
 藤原氏が四代をかけて造り上げ、義経や吉次が目にして、頼朝の軍勢が滅ぼした風景です。さぞや壮観なことでしょう。光り輝く黄金の都なのですから。


 ところで、その盛隆のさまは噂となって、吉次が運んだ金とともに日本列島を南に下り、宋に渡ったようです。当時、留学生の持参金が金だったり日宋貿易の日本側の支払いが金だったりしたことから、金の採掘される国だということは知られていましたから、「黄金の都」の噂は真実味をもってすぐに広がりました。それをイタリア人商人のマルコ・ポーロが聞きます。

 彼はその国を中国人の口から「ジパング」だと教えられます。最後の「グ」は「Shanghai(シャンハイ)」や「Hongkong(ホンコン)」で使われる「g」と一緒で、ほとんど発音されない音ですので元は「ジパン」。漢字で書くと「日(ジッ)」「本(パン)」つまり「日本」のことです。
――これは社会科教師としての私の十八番のひとつでした。



【栄枯盛衰】
 そんな奥州も藤原氏が義経とともに滅ぼされ、金の産出が止まると一方的に寂れていき、芭蕉が訪れたころには金色堂も朽ち果てた覆堂の中でかろうじて光を放っているだけだったようです。

五月雨の 降り残してや 光堂

 しかしやはり私は、義経の終焉の地である衣川のほとりで芭蕉が詠んだとされる

夏草や 兵どもが 夢の跡

の方が好きです。

 9月の冷たい風の中を、そんなことを考えながら歩きました。

                             (この稿、続く)




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