2019/12/13

「才能ハインリヒの法則と膨大な科学のすそ野」〜ノーベル賞の取れる国とPISAや英語で成績の取れる国A  教育・学校・教師


 芸能界を目指す人が増えて初めて、芸能界のレベルが上がったように
 ノーベル賞受賞者を輩出するためには、科学の広いすそ野がなくてはならない。
 しかしそれぞれの国には基本的な文化や歴史があるのだ。
 そう考えると、ノーベル賞受賞者数も、
 PISAや英語力の成績も、大した意味のあることじゃない。

という話。
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(「ストックホルム市庁舎(スウェーデン)」PhotoACより)

【才能ハインリヒの法則】
 「ハインリヒの法則」というのがあって危機管理講習会などではよく引き合いに出されます。
「ひとつの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」というものです。

 これに似せて私が教育についてよく言う、いわば「才能ハインリッヒの法則」は次のようになります。
「一人の英才の背後には29人の秀才がいて、その背景には300人の人材がいる」

 私が子どもだった頃の芸能界は一面とても悲惨なものでした。
 時代劇では志穂美悦子・由美かおるという才能が現れるまで女優で殺陣ができる人は松山容子さんをおいて他になく、歌の世界では伝説的に下手な天地真理・浅田美代子、男性では近藤真彦・田原俊彦といった人たちが元気に歌っていたりしました。
 お笑いの世界でもクレージーキャッツはブリキの洗面器を持ち出して頭を殴るだけで笑いが取れ、初代林家三平は今もって何が面白かったのか、私にはわかりません。

 ところが今はそういうわけにはいきません。
 刀を振り回せない女優さんなんてまず考えられませんし、玉置浩二さんや吉田美和さんと並んでステージに立つ可能性がある以上、プロの歌手が下手のままでいられるはずもありません。

 なぜそこまで変わったのか――。
 要因はさまざまにあるでしょうが、決定的なのはその世界を目指す人間が爆発的に増えたということです。私の世代には子どものころから芸能界を目指したなんて人はほとんどいませんでしたが、現在は保育園児にマイクを向けても、何人かにひとりは「アイドル」とか言ったりするくらいです。

 オリンピックの水泳日本の復活の背後には、スイミングスクールの全国的展開があります。クラシックバレエやピアノ、バイオリンでは毎年のように国際コンクールで入賞者を出しますが、その背景には才能の欠けらもない子どもからダイヤモンドの原石まで、玉石混交で“お稽古事”に通わせる日本の風土があるのです。

 同様に、ひとりのノーベル賞受賞者の背後には何十人もの「もう少しで取れたはずの人」がいます。
 ごくわずかな運の違いで成果を取り逃がしたひと、同じ発見・発明をしたにもかかわらず数分の時間差で遅れてしまった人、完璧な研究を行いながら早世したために受賞できなかった人。
 すそ野が莫大でないとノーベル賞受賞者は出て来ようがないのです。


【膨大な科学のすそ野】
 私は、昨日引用した崔碩栄(チェ・ソギョン)氏の『日本がノーベル賞受賞者を輩出できるのは、理科実験や作文といった自分の意見、発想を披露する「出力」の機会をたくさん持っているからだ』という考え方はやはり正しいと思うのです。

 普通の日本人は、そこに大きな意味があると思わないかもしれないが、そこに韓国と日本の大きな差があると思う。
 学生時代に好奇心、興味、モチベーションを感じる経験の有無は、計り知れないほど大きいからだ。

 それも正しい。

 日本経済が日の出の勢いだった1970年前後、日本の教育を視察に来た外国人が一様に感心したのが理科室の充実だったと聞いたことがあります。現在でも海外からの学校視察のメニューには理科室が必ず入っています。資料はないのですが、これだけ多くの実験器具を用意して実際に触らせている国はそう多くはないでしょう。

 今回のノーベル賞については吉野彰さんが小学校4年生のときに、担任の先生からファラデーの「ロウソクの科学」を渡され、それで科学者になろうと決心したという逸話が話題となりました。しかしそれだけでは不十分です。わずか10歳の少年の意志を持続させるだけの環境がなければ、今日の成果もなかったに違いないのです。
 60年前の吉野少年は小中学校の理科の時間に、試験管を触ったりアルコールランプに火を着けながら、将来の自分をありありと描いていたに違いありません。


【効率を考えればできないことだ】
 しかし効率を考えたら、そうした学習のなんと時間のかかることか――。
 リトマス紙が酸で赤くなるなんて、実際にやってみなくたって3秒で伝えられることです。それを子どもたちが1秒で覚えてくれればいいだけのことです。子どもの大部分は義務教育と高校を終えると生涯に二度と実験器具に触れたりしないのです。その意味でも実験に時間をかけるのはバカげていると言えます。

 同様に、ほとんどの子どもは作家にも新聞記者にもなりませんから作文などという手間のかかることはしなくてもいい。そんな時間があるなら、資料を読んで多肢選択や複合選択の質問に答えられるように訓練した方がPISA型読解力の獲得にはよほど役立ちます。
 あるいはそうした時間に英語の短文のひとつでも覚えた方が、グローバル社会では有利かもしれません。

 でも、そんなことありませんよね?


【それぞれの国にそれぞれの文化を】

 思うに「PISA」や「EF EPI英語能力指数」の順位も「ノーベル賞受賞者数」も大した問題ではなく、それぞれの国は、それぞれにふさわしい生き方をすればいいのです。

 韓国はとにかく急がなくてはならなかった、そのために集中と効率で現在の国をつくりました。韓流だのITだのゴルフだの、狭い領域に大量のエネルギーを注ぎ込んで一気に一流に引き上げたのです。だからBTSがあってTWICEがあってサムスンがあってLGがあります。
 応用科学など即戦力として役に立つ部分に強く、したがってPISAやEF EPIでも成績がいい。それでいいじゃないですか。ノーベル賞なんてなくたって。

 日本の場合は広くあまねく手を広げ、重く、丁寧で緩やか。慎重でフットワークが悪いので中国や韓国にあっという間に抜かれてしまう場面も多々ありますが、抑えるべきところはしっかり押さえ懐が深い。だからノーベル賞も取れる。
 応用科学よりもむしろ基礎科学に定評がある。何の役に立つかわからない理は科実験や作文に力を入れることができる。だからPISAやEF EPIで結果を求められても困る。
 それでいいじゃないですか――と、私は思います。


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2019/12/12

「ノーベル賞は取れるが学力は上がらない」〜ノーベル賞の取れる国とPISAや英語で成績の取れる国@  教育・学校・教師


 吉野彰さんのノーベル賞授賞式があった。
 日本人としては25人目。
 21世紀に入ってからの日本の受賞者はアメリカに次いで第2位だそうだ。
 それにもかかわらず日本人の英語力は「低い」レベルで、“読解力”は崩壊状態。
 これはどういうことだ?

という話。

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(「ストックホルム市庁舎黄金の間」PhotoACより)

【英語ができなくてもノーベル賞が取れる国】

 一昨日(12月10日、日本時間11日)、スウェーデンのストックホルムでノーベル賞の授賞式が行われ、リチウムイオン電池の吉野彰さんがメダルを受け取りました。日本出身日本国籍を持つ受賞者としては25人目、科学部門では22人目となるそうです。

 今月号の「文芸春秋」(新年特別号)藤原正彦『「英語教育」が国を亡ぼす』を読んで初めて意識したのですが、現在外国籍となった二人の物理学者を含めて、24人全員が日本の小中学校、高校、大学、大学院を出ているのです。つまり日本語だけで教育を受けた人たちが受賞者になっている。
 中でも2008年の物理学賞受賞者、益川敏英さんは外国語が苦手で(全くできないわけではない)、受賞記念講演でも最初に“I'm sorry, I can't speak English.”と言って笑いを誘っただけで、あとは通訳付きの日本語で講演を行ったと言います。ノーベル賞の受賞記念講演を日本語で行うのは異例だそうです。海外渡航もそのときが初めてだといいますからただ者ではありません。

 益川先生はこうして、素粒子に関する新しい理論を証明するとともに、日本が英語ができなくてもノーベル賞が受賞できる国であることも証明したのです。
「これからの日本人は英語ができないとグローバル社会を生き抜けない」と主張する人たちに、鉄槌を下したようなものです。


【仮説1:だから韓国はノーベル賞が取れない】
 ノーベル賞で思いだしたことがもうひとつあります。韓国です。

 しかし、毎年同じ時期に日本人受賞のニュースを見ている韓国の気持ちは複雑だ。
 どの国よりも日本をライバル、敵、競争者として強い対抗意識を燃やしてきた韓国だ。BTS(防弾少年団)に代表される韓国文化の流行、そして、スポーツの日韓戦での勝利などで覚えた「勝利の快感」は、ノーベル賞の季節になれば、あまりにも無力に消えてしまうからだ。

なぜ韓国の科学者はノーベル賞に手が届かないのか 〜日本との教育の違いに思う〜【崔さんの眼】)

 韓国の方自身による発言です。
 韓国が科学分野で良い成績を得られない原因について、これまで、いろいろな分析が行われてきた。
 韓国内でその原因としてよく挙げられるのは(1)基礎科学への無関心(2)民・官の支援不足と研究環境の不備(3)過程より結果だけを重視する雰囲気――などがある。
 どれも、うなずける耳の痛い話だ。

 私もそうだと思います。しかしこれには同情すべき理由があります。

 韓国が近代国家としての歩みを始めたのは第二次世界大戦後、さらに言えば昭和28年(1953年)の朝鮮戦争休戦以後です。
 それからわずか六十余年。現在の韓国の隆盛を考えると、基礎科学に時間を割いている暇などなかったことがよく分かります。
 とにかく目の前の技術を手に入れ、生かし、結果を出して、その結果の上に新たな技術を重ね――そんなふうに必死にならなければ現在の韓国はなかったのです。

 国民の豊かさとノーベル賞、どちらが大事かといえば当然前者です。ですからこれでよかったはずですし、ノーベル賞が後回しになったからといってなんら恥じることはありません。
 中国をはじめとして最近ようやく先進国の仲間入りを果たした国々、あるいは中進国と呼ばれる国々はすべて似たような状況です。

 日本で最初にノーベル賞受賞者が出たのは明治維新から80年以上たってからです。二人目が出るまで、そこから16年もかかってしまいました。韓国や中国からも、今後続々と受賞者が出てくるはずです。


【仮説2:それでも韓国はノーベル賞を取れない】
 ところが、引用した記事の筆者は、問題はそこにあるのではないと言います。
 しかし、私の経験から考えるに、根本的な原因は「教育」にあるように思う。
私は1980年代、ソウルで中学、高校に通った。今、振り返ってみると、学生時代に受けた教育は、ノーベル賞とはあまりに縁遠い気がしてならない。あのような教育を受けたら仕方ない、と思うからだ。

 まず、理科の授業。私は中学1年から高校を卒業するまで、一度も理科学機材に触れたことがない。教科書にはアルコールランプ、試験管、顕微鏡など、いろいろな機材が登場したが、全て紙面の上での「イメージトレーニング」にとどまっていた。
 使い方も含めた化学実験の方法などは、「体験」ではなく、全て「文字」としてだけ頭の中に蓄積されたのだ。

 そして「国語」の時間。私は小学生の時、作文が好きだった。たまには先生に褒められたり、校内で賞をもらったりもした。
 先生の激励と、賞というご褒美が、私にとって高いモチベーションになったことは言うまでもない。

 しかし、3年間の高校時代、国語や現代文学の時間には「作文」するチャンスがなかった。授業中、ただの一度も自分の意見や考えを文章として表現する機会がなかったのだ。
 学校では大学入試のための準備、問題集ばかりやっていた。一方的な「入力」だけがあり、自分の意見、発想を披露する「出力」の機会が全くなかったのだ。

 私は、日本で同世代の日本人に会うたびに、中高校時代の話を聞いてみた。すると、地域、学校による多少の差はあっても、ほとんどの人は多かれ少なかれ、実験、作文の機会はあったという。

 正直、うらやましかった。普通の日本人は、そこに大きな意味があると思わないかもしれないが、そこに韓国と日本の大きな差があると思う。
 学生時代に好奇心、興味、モチベーションを感じる経験の有無は、計り知れないほど大きいからだ。

 長い引用になりましたが、韓国からノーベル賞受賞者の出ないことについいて、記事はこのように分析しているのです。


【だから韓国はすごいのかもしれない】
 ところで、先月話題となった「EF EPI英語能力指数」2019年版で、韓国は何位だったかご存じですか? 100の国・地域のなかで37位です。
 日本は53位で「低い」の範疇に入れられているのに対して、韓国はフランスやスペイン・イタリアと並んで「標準的」なグループ。英語を公用語とするインド・香港行政区も仲間です。

 PISA2018の“読解力”の様子も見てみましょう。韓国は9位です。
 ご存じの通り日本は75の国と地域の中で15位。私などは15位なら立派だと思うのですが世評だと“惨敗”。日本の子どもたちの学力低下には目を覆うばかりということになります。 
 それに比べると韓国は立派ですね。ちなみに数学的応用力と科学的応用力については今回久しぶりに日本の下になりましたが、これまではほとんど日本の上位にいたのです。

 こうなると、引用した記事の筆者には申し訳ないのですが、日本の子どもたちは実験だの作文だのにやたら時間かけているからダメなのだ、好奇心・興味・モチベーションはノーベル賞には結び付くがそれで英語力や読解力が高まるわけではない、韓国のように理科実験をイメージトレーニングで行うような大学入試のための準備、問題集ばかりやっているような学習の方が、よほど英語力や読解力の向上に役立つのではないか――そういった考え方だって出てくるわけです。


(この稿、続く)


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2019/12/10

「どちらに転んでも国民の半数が不満という苦渋」〜子どもと一緒にブレグジットについて学ぼう  教育・学校・教師


 明後日、いよいよ英国下院の総選挙が行われ、
 EU離脱問題に決着のつきそうな雰囲気。 
 子どもたちと一緒に歴史の一場面に立ち会うとともに、
 国を二分することの危うさについて学ぼう。

という話。
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(「夜のロンドン イメージ 3」PhotoACより)

【子どもたちと歴史の一場面に立ち会う】
 明後日(12月12日)はイギリス議会下院の総選挙です。結果が出るのは日本時間で13日、あるいはそれ以降になるかもしれませんが、重要な選挙です。社会科の先生はもちろん、教科は違うが学級担任をしているという先生も注視して、朝の会などでひとこと触れておくといいでしょう。

 私は現実に起こっている事件の重大さを判断するのに、「このできごとは50年後の中学校の教科書に載るか」「高校の教科書なら載るか」といったことを基準に考えます。
 私が生きてきたこの数十年間についていえば、次の内容は教科書に載っています(または載る予定です)。
・ 高度成長(その象徴として第一回東京オリンピック、大阪万博)
・ 戦後の終焉(沖縄返還と日中国交正常化)
・ オイルショック
・ バブル経済
・ ベルリンの壁崩壊→冷戦の終結
・ 平成不況(失われた10年・20年)
・ アメリカ同時多発テロ→合衆国の凋落・中国の台頭
・ IT革命
・ 東日本大震災
 ざっとそんなところでしょうか。

 阪神大震災は東日本大震災に上書きされますし、あれほど世間を騒がせたオウム真理教事件も、歴史を動かさなかった、人々の生活に大きな変化を与えなかった、という意味で教科書には載ってきません。

 そうした基準からすれば、明後日のイギリス総選挙でEU離脱が決まったとしても、それだけでは日本の教科書に載りません。ただし数年後、“あれがEU崩壊の端緒だった”ということになれば様子はまた違って来るでしょう。
「オレたちは歴史の瞬間に立ち会った」
ということになるかもしれませんから、意味が分かってもわからなくても、一応、話しておくことは大事でしょう。


【自ら進んで苦杯をあおる】
 今のところ予想はジョンソン首相率いる保守党有利ということになっています。
 保守党が勝利を収めることになれば、現在、宙に浮いている離脱案が議会を通過し、来月の31日の離脱が正式に決まり、来年12月末までの移行期間を経てイギリスはEUから完全に分離することになります。
 4年に渡るすったもんだからようやく解放されるわけです。

 イギリスとEU諸国間の物と人の行き来は、日本と諸外国がそうであるように通関手続きなどありきたりで不自由なものとなります。関税もかかるようになります。
 その代わりイギリスは独自の裁量で中国や日本と取引できるわけで、特にイギリス連邦の国々、オーストラリアやニュージーランド、マレーシア、シンガポールなどとの関係を深めて、かつての隆盛を取り戻そうと考えているみたいです。

 しかしイギリス以外のほとんどの国の人々が思っているように、すでにイギリスは大英帝国ではなく、ヨーロッパのはずれの普通の国になってしまっていて、だからこそEUに加盟したのを今さら離脱しても昔ようにいかないことは火を見るより明らかです。

 それにも関わらず今回の総選挙で「今すぐの離脱」を掲げるジョンソン首相率いる保守党が勝利しそうなのは、ジョンソンさんの個人的人気もさることながら、“もうブレグジットにはうんざりだ”という人たちの一部が、
「ここまで対立が深まったら、将来、再加盟を申請するにしても、とりあえずいったんは離脱して様子を見るくらいのことをしないと先に進めない」
と考え始めたことによると説明されます。

 その考え方は理解できないわけではありません。
 私はアメリカのトランプ大統領の一から十まで嫌いですが、唯一トランプが大統領でよかったと思うのは、あのときヒラリー・クリントン大統領が誕生していたら、アメリカ国内にいつまでたっても「トランプなら何とかしてくれたに違いない」という鬱屈が溜まっていたに違いないからです。
 私たちはほんとうに堪え性がありませんから、時には自ら進んで苦杯をあおるしかないこともあるのです


【どちらに転んでも国民の半数が不満という苦渋】
 明後日の総選挙も含めて、私がブレグジットを通して子どもたちに学んでほしいことは「国を二分することの危うさ」です。

 EU離脱を巡るイギリス国内の対立は、二重、三重、四重くらいに複雑で厄介なものです。
 保守党(離脱)と労働党(残留)、イングランド(離脱)とスコットランド及び北アイルランド(残留)、イングランド内の田舎(離脱)と都市(残留)、年配者(離脱)と若者(残留)、それらすべてに深い亀裂が生じています。

 同じことは合衆国でも起こっていて、親トランプと反トランプ、白人と有色人種、古い産業と新しい産業、米国中央農村部と都市部――かつて大統領の仕事のひとつは統合を守ることでしたが、今は大統領自らが分断を煽っています。

 お隣の韓国でも進歩と保守、全羅道と慶尚道、親北と反北は、常に五分五分で拮抗していて、どちらに転んでも半数の不満を抱えることになります。
 
 今の日本には国を二分するような対立軸はありませんが、この先、憲法改正のような重要な問題も出てきます。
 どのような問題であってどちらに転ぶにしても、国を二分してにっちもさっちもいかないよりはマシ、私はそのように思うのですが子どもたちはどう考えるのでしょう。
 聞いてみたいところです。

(参考資料)
1からわかる「ブレグジット」(1)なぜEUから離脱したいの?

1からわかる「ブレグジット」(2)なぜもめているの?メイ前首相編
1からわかる「ブレグジット」(3)なぜもめているの?ジョンソン首相編【上】
1からわかる「ブレグジット」(4)なぜもめているの?ジョンソン首相編【下】
1からわかる「ブレグジット」(5)イギリスよ どこへ行く


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2019/12/10

「更新しました」  教育・学校・教師


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「キース・アウト」

教員免許更新制、「10年もやったのに教師の資質はさっぱり上がっていないじゃないか」と言われている件について

 
                          
 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1912b.htm#i2

 スマホ版→https://kieth-out.hatenablog.jp/entry/2019/12/09/175035


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2019/12/9

「神戸市立小学校同僚いじめ事件はここまで罰しなくてはいけなかったのか」  教育・学校・教師


 神戸市東須磨小教員いじめ事件に関して
 いよいよ校長たちの賞与まで減額されるみたい。
 頭に血が上った市当局と議会が
 考えうるすべてのことを実行に移しているとしか思えない。
 「神戸方式」もやめて市教委で人事をするそうだが
 そんなこと 可能だろうか?

という話。
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(「お散歩 神戸」PhotoACより)

【神戸市教委の連帯責任】
 先週の話ですが、神戸市立東須磨小学校における教員同士のいじめ問題に関して、神戸市議会が “連帯責任”として教育関係者約320人の冬賞与の増額見送りを決定したという件が話題となりました。対象者は市立中小学校の校長や市の教育委員会幹部らで、総額約1000万円分にのぼるそうです。

 神戸市はいじめのあったとされる学校の家庭科室を改修したり(実際にしたのかな?)、今は旧に戻されましたが献立からカレーを外したり、あるいは有給休暇取得中の加害教諭の給与を停止したりと、ユニークなアイデアを思いついては次々と実行に移しています。

 元を質せば、
「20代の男性教諭が30〜40代の教員らから激辛カレーを目にこすりつけられ、コピー用紙の芯で臀部が腫れるまで殴られる等の暴行を受けている様子が一部映像つきで報道された」(Yahooニュース)
といった単純な暴行事件なので、私なんぞは“そこまでするか?”という気になったりします。

 私の感覚だと教師による対教師暴力より、児童生徒に対する暴力事件やわいせつ事件の方がよほど深刻だと思うのですが、そうした事件が起こった時、市はどんな対応をするのでしょう?
 人口150万人、小中学校総数240あまり。神戸のような大きな街で事件のたびに1000万円ずつ減らしていったら、あっという間に校長のボーナスはゼロになってしまう気もしますが、正義のためならそのくらいは仕方がないのかもしれません。


【罪と罰の非対称】
 どうせミクロのブログで炎上してもボヤにすらならないので言いますが、今回のいじめ事件、どう考えても罪と罰の対称が悪すぎます。

 報道が進むにつれて、いじめの中心的人物である女性教諭と前々校長の愛人関係だの、同じ女性教諭による被害者男性教諭への横恋慕だの、話はおどろおどろしい方向へ際限なく進みます。
 市も学校をガンガン締め上げ、ネット市民の要求は今でも「奴ら(加害教諭)を高く吊るせ!」です。
 ここまでくると明らかな私刑だと思うのですが、公的には誰もそのことを指摘しません。

 さらにこの“愚かな教師たちによるロクでもない事件”は神戸市全体の構造的問題とか言うことになって、人事異動のルールも見直されることになりましたが、校長が自分のお気に入りを引っ張ってくるという「神戸方式」とやらがどこまで悪いのか、いやそもそも「神戸方式」が何なのかもよくわかっていません。


【神戸方式とは何か】
 さまざまな報道をつなぎ合わせると、
「通常は市教委が人事を決めますが、校長同士が相談して、『うちの先生をそちらに』などと教員の異動を決め、お互い了承したら教育委員会に承認を求めるというものです」2019.10.15 Business Journal
「仕組みはこうだ。
 毎年冬になると、異動対象者の氏名や年齢、住所、勤務希望区などが一覧になったリストが各校長の元に届く。小学校の場合は20枚ほど、計数百人分という。
 校長はまず自校の異動対象を確認し、続いて後任の人材を選択。在籍校の校長とその教員に面談を申し込み、受け入れられれば市教育委員会に届け出る。ただし、教員には最大9年まで同一校に勤務することが認められており、異動の提案を何度でも拒否できる。
 校長側にとっては、学校の現状に応じて必要な人材を集めやすくなる。教員側にとっては校長に選ばれることで意欲が高まり、介護や子育てといった事情にも柔軟に対応できる。
 神戸方式が長く温存された背景にはこうしたメリットがある。だが、本来の人事権者である市教委は事実上、かやの外。学校を知るパイプは自然と校長に限られ、ときとして市教委は情報から隔絶される」
2019.10.26 神戸新聞NEXT


【噴出する疑問】
 一瞬分かったような気になりますが、ちょっと考えるだけで疑問百出。
 例えば、
1. 選んでもらえた教員についてはよくわかるが、選んでもらえなかった教員はどうなるのか。例えば問題を起こした教員、ダメ教師と烙印を押された教員、これといった特徴もなく目立たなかった教員はどこからも“お呼び”がかからず、一生同じ学校でくすぶっているのか?
2. 優秀な教員で4人〜5人の校長から”お呼び“がかかった場合はどうなるのか。校長同士集まってドラフト会議のように抽選でもするのか。まさか本人に決めさせてあとの校長を敵に回すような目に合わせたりはしまいか。
3. 初任者の配置はどうするのか。
4. 極端に顔の広い力のある校長が、優秀な教員を総取りした場合でも他の校長たちは黙っているのか。
5. 逆に人脈に乏しく、異動対象名簿にこれといった教員を見出せない校長の場合、どうやって人を選ぶのか。
6. 学級に増減のない限り、4人転出させたら4人転入させないと教員に不足が出ることになる。そうした事態をどう防いでいるのか。
7. “心当たりの教員を取ろうとしたらもう決まってしまっている”といったことが随所で同時に起こりそうだが、それをどう防いでいるのか。
8. そもそも240人もの校長が教員一人ひとりを一本釣りするような非効率な方法が、なぜ長年守られてきたのか、守ることが可能だったのか?


【案外、妥当な方法ではなかったのか】
 「神戸方式」というのは巷間言われるようないかがわしいものではなく、内実をきちん調べればある程度納得できる案外妥当な方法ではなかったかと私は思っています。
 自分の気に入った教員を一本釣りするといってもそれはごくわずかな範囲で、大部分はずっと合理的な、異動対象者も校長も、双方納得できるものではなかったかと思うわけです。

 なぜなら転出しようとしている教員がどのような希望と事情を持ったどんな人か、その代わりに来てもらいたい教員はどんな人か、そういうことを一番よく知っているのは校長だからです。それを互いに突き合わせる中で、一校の職員が手薄になりすぎないように、逆に手厚くなりすぎないように調整するのが「神戸方式」ではなかったのか――

「優秀な教員ばかり集めればボンクラでも学校経営がうまくいくのは当たり前じゃないか。難しい職員を抱えながらもきちんとやっていくのが校長の手腕」
 そんなふうに考える管理職は意外と多いものです。


【市教委、困るだろうな】
 来年度から教員人事は神戸市教委が行うそうです。もともと扱ってきたものならそれなりの体制を取っているでしょうが、数百人に及ぶ異動を今さら任せられても日常の仕事を持つ市教委も大変なことでしょう。そんなことが可能なのか?

 私はここでも神戸市は問題の取り扱いを誤ったような気がしています。

 「神戸市東須磨小教師いじめ事件」。
 もはや司直の手が入っている話ですので、ぜひとも裁判に持ち込まれ、有罪・懲役刑くらいになってほしいものです。これで「大山鳴動して鼠一匹」出てこないようだったら、教員も学校も、無意味に失ったものが多すぎます。

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2019/12/6

「読解力低下は”テストに飽きちゃったから”か?」〜PISA 2018の結果が公表されたA  教育・学校・教師


 PISA(国際学習到達度調査)2018年版“読解力”惨敗
 その原因が読書力と関係ないとしたら 
 他にどんな理由が考えられるのだろう
 そもそも子どもたちは
 あんなテストに答えられる勉強をしてきたっけ?
 ・・・いや したことはあったな

という話。
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(「試験会場」PhotoACより)

【全国学テで酷い目にあう】
 結論から言うと、私はPISA(OECDによる国際学習到達度調査)の成績は全国学力学習状況調査と関係があるのではないかと思っています。

 全国学力学習状況調査、いわゆる全国学テはゆとり教育の真っ最中の2006年、5年後の指導要領改訂を待ちきれなかった政府が急遽決め、翌2007年から実施された学力テストとアンケートを組み合わせた総合調査です。
 その第一回を、私は小学校で実施しましたが、そこに強烈な思い出があります。

 業者からテスト用紙を受け取り金庫に収めるところからリハーサルを行うという、異常な緊張感の中で実施されたテストだったのに、いざ本番となったらひとりの児童が回答用紙を丸めて床に投げ捨てたのです。
 マニュアルには「児童生徒がテスト用紙を丸めて床に投げ捨てた場合の対処」などというものはありませんから、少々慌てました。

 校内電話で呼び出された私は該当の教室に行ってその子を連れ出しました。見るとボロボロ涙を流しているのです。聞くと、手も足も出なかったとのこと。特に優秀という子ではありませんでしたが「手も足も出ないテスト」はこれまで受けたことがなかったのです。それでプチパニックになった――。
 それが思い出のひとつです。

 もうひとつは夏過ぎに返された結果がとんでもなく酷い成績で、市内14校で断トツの最下位、都道府県別の平均点と照合しても下から二番目相当という酷さだったのです。
 赴任したばかりの学校で様子がいまひとつわかっていなかったのですが、3クラスのうちのひとつがとても荒れていて、勉強どころではない、といったことが影響したようです。
 ただしほんとうに大変だったのはそのあとで、市教委の担当者が大挙して押し寄せ、授業改善だの環境改善だのと様々な提案をし、学校は1年間に渡って市教委の支配下に置かれてしまったのです。

 その甲斐あって翌年は平均を大きく上回り、市内で第2位。それも僅差で1位を逃すという大躍進を果たしたのです――と市教委は思っています。けれど違います。
 それもあったかもしれませんが、真の原因は、ひとつには2回目の学年が前に比べてずっと素直で前向きだったこと、そしてもうひとつは全国学テに向けてみんなで一生懸命練習したからです。


【子どもを泣かせてはいけない】
 私は何としても全国学テの成績を上げたかった。
 もちろん市教委にあんなに悪く言われたのも癪でしたし、1年間“ご指導”がうるさかったこともあります。しかしそれよりもテストの最中に用紙を丸めて床に投げつけて泣くような子を、2度と出したくなかったのです。たかが全国学テです。あんなに子どもを傷つけてはいけません。少しでも多く点を取らせてあげたい。

 また、その子が「手も足も出なかった」理由もよくわかっていましたから、それで練習する気になったということもあります。

 やたら記述式が多いという点だけでも、それまで子どもたちが受けてきたテストとはまったく違います。さらに漢字や語彙に関する若干の設問を除けば、答えはほぼ間違いなく例文の中にあるいつもの国語テストと異なり、全国学テの場合は手紙だの図だのを関連付けて自ら説明しなくてはなりません。

 ひとことで言えば、今までとはまたく違うテストです。
「いつもと違うこんなテストなんだよ」
と知っているだけでも泣かずに済みます。
「記述式に怯えて白紙で出しちゃだめだよ。1行でも書けば部分点がもらえるからね」
 そう教えてやるだけで平均点は1点以上あがるかもしれません。


【「先生! 全国学テは練習によくなじみますよ!」】
 そう考えて類似の問題をいくつか用意し、翌年の1月からテスト対策を始めたのですが半月もしないうちにやめてしまいます。中心に活動してくれた少人数担当の先生のこんな提案があったからです。
「先生! 全国学テの問題、練習によくなじみますよ。すぐにできるようになるから3カ月もやらなくたって大丈夫。むしろ直前に頑張った方が忘れなくていいかもしれません!」
 彼女(あ、女性です)もテスト対策なんかより普通の授業をしたいのです。さっそく提案を入れて4月に入ってから2〜3回「直前対策」を行い、当日を迎えたら前述の通りの大収穫だったわけです。

 繰り返しますが、前提として前向きな素直な子どもたちがあったことは事実です。道具としての基本的な知識もある程度はしっかりしていました。しかしその道具の使い方(これまでにないテストに対する対処の仕方)を知らなければ、実力は出せなかったのです。


【熱狂の末、飽きちゃった】
クリックすると元のサイズで表示します 全国学テがそれほど異質なテストになったのは、言うまでもなくPISAの問題を模したからです。PISAで問われる能力を「PISA型学力」と名付けるなら、そのためのテストも訓練も普段の授業ではしていません。

 その意味で2007年開始の全国学テはPISAの順位を上げるうえで有効だったのかもしれません。私の勤務校が市教委にガンガン締め上げられたように、成績下位の府県でも自治体単位で締めつけが行われたはずです。そして私が考えつくくらいですから多くの自治体・学校でテスト対策を行ったに違いありません。何しろ全国トップの秋田県ですらやっていたのですから(秋田県の試験対策については2009年ごろまで県教委のサイトに載っていましたが今は見られません)。

 ただ全国学テを通して行われた狂気じみた競争は10年もしないうちに終わってしまいました。下位県の底上げが成功して平均点との差が少なくなったことや、真面目に勉強するだけではどうあがいても順位に大きな変動が生まれず、上がっても誰も誉めてくれないことがはっきりしたからです。上位県は相変わらず上位で下位県にも大きな変動はない、マスコミも興味を失う。そしてPISA型学力を本気で追及する試験対策も甘くなる――。

 PISA2015や2018での順位低下は、学力ではなく、キーボードの扱いも含めた受験技術の未熟さ、そうした指導の欠如に原因があると私は思います。順位低下を技術論として考えないと、PISA 2012での読解力の急上昇も2018の急降下も説明できません。本来国全体の学力なんて、そう簡単に上がったり下がったりしないものなのです。

 
【まとめ】
 PISAにおける“読解力”の低下は読書量の減少が原因ではありません。子どもたちの読書量はここ20年あまり確実に増えているし今回のPISAでも「日本の生徒は『読書は、大好きな趣味の一つだ』と答える生徒の割合がOECD平均より高いなど、読書を肯定的にとらえる傾向がある」2019.12.03「OECD生徒の学習到達度調査2018年調査(PISA2018)のポイント」文科省・国立教育政策研究所)と報告されているくらいです。
 
 PISA型学力を培う場であった「総合的な学習の時間」が「反ゆとり教育」の影響で三分の二に減らされたことが原因とも考えられますが、むしろ直接的な受験技術の習得に甘さがあると考えた方が順位の乱高下を説明しやすい。
 それが私の結論です。それにしても・・・。


【マスコミ諸君! キミたちは大丈夫か?】
 一昨日、「PISA調査 日本の読解力低迷、読書習慣の減少も影響か」という表題の記事を上げた産経新聞もそうですが、昨日の地方紙にもこんなトンチンカンな記述があったりします。
 文章を批判的に読み、自分の考えを表現する力が足りない。以前から指摘されてきたことだ。
 読解力は全ての教科に不可欠である。
(中略)
 真の読解力は人間への洞察が必要だ。調査では小説や物語などフィクションをよく読む生徒が高い読解力を示した。
2019.12.05京都新聞

 マスコミ各社の記者たちは、前出の「OECD生徒の学習到達度調査2018年調査(PISA2018)のポイント」をどう読んだのでしょう? 
 そこにはこんなふうに書いてあるのです。
◆読解力の問題で、日本の生徒の正答率が比較的低かった問題には、テキストから情報を探し出す問題や、テキストの質と信ぴょう性を評価する問題などがあった。
◆読解力の自由記述形式の問題において、自分の考えを他者に伝わるように根拠を示して説明することに、引き続き、課題がある。

 日本の一流紙のジャーナリストたちが、15歳のド素人と同じ問題性を抱えていてどうするのだ!? そんなふうに私は思います。

(この稿、終了)



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