2021/9/16

「心は踊らないが、心臓は踊る」〜ここにもあった不調  生活


 大腸ポリープの手術をした日に、計った心拍数が108。
 さらに後日、飲み会に行ったら心臓が飛び出しそうなほど踊り始めた。
 心臓では死にたくない。
 身辺に整理しなくてはならない澱(おり)がたくさんあるからだ。
 私の心臓に何が起こっているのか――

という話。 
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(写真:SuperT)


【どうしてこんなに心拍が高いんでしょ?】
 昨日は7月半ばに受けた大腸ポリープの手術についてお話ししましたが、実はそこで重大な発見がありました。心拍数が異常に高いのです。そのことは病院に着くなり言われました。

 コロナ禍ですからまず検温し、血圧のチェックをし――と、その段階で看護師から、
「Tさん(私のこと)、どうしてこんなに心拍が高いんでしょ? 走ってきました?」
 走っては来ません。ただ駐車場が遠かったのとマスクをしたままだったので多少息苦しい感じはしていたのです。
「どのくらいあります?」
「108ですけど・・・」
 これが90/分くらいで、そして私がもっと若かったら、
「看護師さんが美人だからドキドキしてしまって・・・(実際に美人だった)」
くらいの軽口は言ったのですが(今ならセクハラ)、108となると冗談どころではありません。ふと考えこむ気になりました。

 確かに四半世紀前にガンの手術をしたあたりから平常時でも80前後とけっこう高くなっていたのは知っていました。しかし100を越える数値というのには記憶がありません。しかも走ってきたわけでも急いできたわけでもないのです。

 記憶をたどれば今年2月に人間ドックを受けたあと、3月の中頃だったか、ウォーキングの最中に左胸に圧迫感があって「あれ?」と思ったことが数回ありました。しかし病気を心配するほどのことではなく、やがて忘れてしまったのです。

 108とがどこまで異常なのか分かりませんが、告げられた日は大腸ポリープが主たる問題ですから、それ以上、心臓のことは考えずに帰ってきました。
 それから半月あまり、都会で続いていた非常事態宣言が切れた合間に行われた飲み会で、今度はとんでもなくひどい目にあいます。ビールに換算して5杯程度のアルコールを飲んで帰宅したら、心臓が踊っていて血圧計で心拍を計ると140越え。苦しくて死にそうになったのです。
 若いころならウイスキーを10杯ほど飲んでから、400mのグランド1周を全力で走ればこうなるだろうと思えるほどの心臓が高鳴り。息は激しく荒く、酸素を吸っているとは思えないほど苦しかった――。


【心臓では死ねない】

 心臓に多少の問題があるだろうということは、かねてから分かっていました。前の病気の時、全身のCT画像を見ながら、医師がついでのように冠動脈の異常について教えてくれましたし、ここ15年ほどは心電図検査のたびに引っ掛かっています。しかし自分が心臓で死ぬとは、考えてもみないことでした。勝手ですがガンで死ぬものだと思い込んで、実際にその覚悟でいたからです。

 ヨボヨボになって老衰で死ぬのも他人に迷惑をかけすぎですし、私の美学に合いません。事故死は、避けられない場合もありますが、後始末が大変です。その点ガンは、時間もありますから周囲に気を使って死ぬこともできますし、身辺整理もできます。生前のお礼を言いたい人もたくさんいますし、なにより家族に適度の迷惑をかけ、悔いのないようにしてあげることも大切です。一度経験済みの病気ですから対応もしやすい――それが心臓の病気だと、かなりまずいのです。

 机やコンピュータの中には、見られたくないものがいっぱいありますし、運転中の心停止だったりするとどれほど迷惑をかけることになるか分からない、それが恐怖です。

 酔って苦しんだ翌日、私はうろたえてパルスオキシメーターを買い、循環器の専門医に飛び込みました。


【今のところ、結局、分からない】
 今日までに受けた検査は4つ。
 一つ目は心臓の超音波検査。ドックでは腹部を診る検査ですが、それを胸でやるだけのことです。心臓肥大の傾向があり、鼓動のバランスも悪いが決定的な問題とは言えないとのことでした。

 二つ目が24時間心電図。体に電池ボックスら電極やらを張り付けて24時間生活します。体の前面が配線図のようになってしまいます。結果は、一日に二回ほど不正の心拍があるが、これも決定的ではない。

 三つめが造影剤を入れてのCTスキャン。大きなドーナッツみたいな機械に入れられ、途中から点滴で造影剤が入ります。薬が入ると全身がカーっと熱くなります。
 冠動脈に一か所、動脈硬化50%の所見があるが手術するほどのことでもない。

 四つ目はエアフローセンサー(呼吸といびきを測定する)とパルスオキシメーターを組み合わせた「睡眠時無呼吸症候群」の簡易検査。これは結果待ち。
 
 原因がわからず打つ手がないので、血圧を下げることで心拍を減らす薬(0・5錠)14日分をもらって帰りました。飲むと実際に1分間の心拍は80前後まで下がり、気分の問題なのか、生活全般が楽なったように思います。
 もうしばらく様子を見ましょう。たぶん死ぬことはなさそうです。


【まだ、悪いところがある】
 齢を取るということは、こうした不調とひとつひとつ戦っていくことです。子どもたちのように、「去年より今年の方がいいから、来年はもっといいだろう」ということにはなりません。去年並みなら御の字です。

 夏休み中、94歳の母は腰を抜かすように尻もちをついて、腰の骨を折りました。3回目の骨折だそうですが、腰が曲がったお年寄りの大部分は背骨の圧迫骨折を繰り返している人だということを、今回初めて知りました。ちょっと重いものを持っただけでも折れることがあるそうです。それも勉強になりました。

 さて、昨日今日と、大腸と心臓の問題についてお話ししました。明日はもうひとつ上の方へ行って、「頭が悪くなった話」をしたいと思います。

(この稿、続く)

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2021/5/24

「家庭菜園の今年の作付けが終わりました」〜前向きになれない日々とこころ折れた話  生活


 1a(アール)ほどの家庭菜園の作付けが終わった。
 今年は天候に恵まれたこともあって、
 いつに増してきれいな畑が保てている。
 しかし私には前向きになれない事情もあるのだ。

という話。
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(写真:SuperT)

【今年の作付けがほぼ終わりました】
 今年も、春の作付けがほぼ終わりました。
 これまで種を蒔いたり苗を植えたのは、
 ジャガイモ、長ネギ、サヤエンドウ、ナス、キュウリ、ブロッコリー、レタス、トマト、ミニトマト、ダイコン、はつか大根、人参、小松菜、ほうれん草、オオバです。ほかに、昨年の秋に植えてそろそろ収穫期が近づいている玉ねぎ、つい最近まで収穫のあったプランターのイチゴもあります。

 いずれも自家用が基本ですが、ダイコンも人参も毎週一本ずつ収穫期を迎えるということはなく、穫れるときは一気にドカンという感じですから、人におすそ分けということも少なくありません。妻に知己が多く、持って行けば嫌がられることもないので、毎年あまってこまるということもありません。

 これから蒔いたり植えたりする予定があるのはモロヘイヤやオクラ、サツマイモ・落花生といったところです。今からやってもいいのですが、ひとつには玉ねぎの畑が空くのを待っていること、もうひとつは、早く植えても意味のないものは早く植えない方がいい(管理が面倒くさい)から、ということもあります。

 典型的な例はオクラで、4月当初から苗屋の店先に並んでいますが、植えたところでまったく成長しない。4月・5月・6月といつまでも小さなままで、その6月の後半になると突然スイッチが入ったようにグイグイ伸びてきます。だったら最初から6月のタネ播きでいいのです。


【前向きになれない日々と心折れた話】
 「気候の条件がそろわないと絶対に成長しない」という鉄則は、好ましいともウンザリするとも言えます。
 耕作者の努力が実を結びやすいという点では好ましい性質ですが、だれでもマニュアル通りきちんとやれば、(自然災害のない限り)確実に一定の収穫があるというのは。達成感や自己効力感を薄めます。初心者のうちはうまくいかずにあれこれ苦労するのですが、そのうちコツを覚えてきちんとできるようになると、あとは機械的な作業になってしまうのです。

 もちろんこれが商品でしたら、より高値で売れる時期に合わせるとか、より見栄えのいい、味の良いものをつくるとか、努力・工夫すべきことは山ほど出てきて、そこがまた面白いということもあるのでしょうが、売る気のない作物づくりはすぐに限界を迎えます。
 要するに「飽きちゃった」わけです。

 今年は天候に恵まれたこともあって雑草取りが例年になく丁寧でき、きれいな畑となりました。しかしそれ以上ではありません。

注:私がこれほど前向きな気持ちを失っているのには理由があります。大型連休のあたりのことですが、私が1個60円のレタス苗を5個買ってきて、明日は植えようと思っていたら、夕方、買い物に行っていた妻が、大きなレタスを3玉抱えてニコニコ顔で帰ってきたのです。
「見て! 見て! こんなに大きなレタスが3個で100円だった!」

 その時折れた心が、いまだに回復していないのです。


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2021/4/23

「検査の前にあったこと、原因帰属、やっぱり私は運がいい」〜大腸検査と運の話B  生活


 ちょっと自分の人生を振り返る。
 私は運がいいのだ。
 今回の大腸検査に関してもそうだった。

という話。
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(写真:フォトAC)

【原因帰属と私の変遷】
 
 心理学に原因帰属という考え方があります。
 ものごとが成功あるいは失敗した場合、その原因を何に求めるかにはそれぞれ個性があり、原因の帰属のさせ方はその後の意欲や行動に深く関係するというものです。原因の帰属先としては「才能・能力」「努力」「課題の難易度」「運」が代表的なものとして挙げられます。
 例えば柔道の試合で負けたとき、原因を「才能がないからだ」と考えるか「努力が足りなかったからだ」と考えるか、あるいは「相手が強すぎた」と思うか「運が悪かった」と思うかでは、その後の意欲や行動に差が出てくるというのです。
 何となくわかりますよね。

 私は子どものころ、自分はけっこう頭が良くて能力があると信じていました。それを裏付ける事実も会ったのです。小学校6年生のときに受けた算数のテストで100点をとったのは、学年内に私と、のちに東大医学部に現役合格した同級生の二人しかいなくて、先生から特別に誉められたりしたことがあったからです。
 自分は頭がいい、それが当時の私の、原因の帰属の仕方でした。

 ところが中学校に進むと私より頭の良い同級生はいくらでもいて、校内テストや高校入試、さらには大学入試などで揉まれると、次第に限界を感じるようになります。私はやがて「自分はほんとうは頭がいい、けれど努力が足りないから良い成績を残せないのだ」と、そんなふうに考えるようになりました。原因の帰属先を才能・能力から努力に移したのです。まだ頭がいいというところにすがっている面はありました。

 やがて大人になって教職に就き、頭の良い同僚や感心するほど賢い児童生徒を見ているうちに、どうやら自分は思ったほどに頭がいいわけではないのだと理解するようになります。とくに記憶力、その中でも理屈で抑え込めないものはなかなか入ってこない。
 美子なのに美しくない、賢人なのに賢い人ではないといった矛盾だらけの人名、どう見ても「ビューティフル」とは読めない“beautiful”、“do”はやっぱり「ド」だろうと言いたくなる英語などは絶望的でした。
 小学校のとき将来の東大医学生と同じ満点をとったという武勇伝も、あれが100点満点だったから同じだっただけで、1000点満点だったらあちらが980点くらいとって、私がせいぜい120点。それを100点で足切りしたから同じになっただけ――それくらいの差があったと理解したのです。

 もっとも、そう考えると学生時代、この賢くない頭で自分はむしろよく努力したのではないか――そんなふうに思えるようになってきました。同じ成績をとっているとしたら、頭のいいアイツよりは私の方が努力したことは明らかです。


【今の生活の原因を何に帰属させるか】
 ここで新たな課題が生れます。
 結婚して子どもが生まれてこの方、私は一貫して満足できるけっこうな生活を送ってきました。夫婦で教員ですから収入は安定していて老後に不安のないだけの蓄えもできました。二人の子どもに恵まれ、二人とも大過なく大人になって独立しました。現在の夫婦ふたりの生活にも不満はありません。つまり一言でいえば幸せな半生を送ってきたのです。そうなった原因は何なのでしょう?

 前述のように才能や能力が高かったわけではありませんし、努力においてはむしろ劣るくらいです。帰属論で言えば残るうちのひとつは「課題の難易度」。年収1億円を目指すとか、子どもを二人とも東大医学部に入れるとかいった難しい課題を課さなかったのですから、楽だったと言えば楽です。しかし「平穏無事」「平々凡々」だってそんなに低すぎる課題ではないでしょう。そうなると残るは「運」だけです。
 そうです。私は「運」だけで現在の生活を手に入れてきたようなのです。今回の大腸検査もそうでした。


【検査の前にあったこと。私は運がいい】
 2年前の人間ドックで引っ掛かって初めての大腸内視鏡検査を受け、数個のポリープが発見されたことはお話ししました。その際、医師が「ガンになるまでは数年かかるので、とりあえず2年後にもう一度検査をしましょう」と言ったことも記しました。

 私は忘れずに2年目の今年、人間ドックを受けたついでに大腸検査の予約も取るつもりだったのです。ところがちょっとした手違いがあり、その日は予約せずに戻ることになりました。その夜、今度は別の用件で2年前の日記に目を通さなくてはいけないことがあり、パラパラと眺めていたら(本当はエクセルに書いているのでパラパラとは違うのですが)、大腸検査の記述が残っていて、そこに「3年後に再検査することになった」とあったのです。
 人間の記憶なんてアテにならないものです、と一般化するまでもなく、私の記憶はアテになりません。そこでいったん予約するのをやめました。

 先月末、東京の緊急事態宣言が明けて、今から思うとピンポイントで東京の娘と二人の孫を呼び寄せることができました。正確に言えば電車を避け、私たちが車で送り迎えしたのです。会うのは半年ぶりです。
 5歳の孫のハーヴはそれほど変わりませんが、1歳9か月のイーツの方はもうすっかりハイハイをやめ、凄まじい勢いで走るまでになっていました。そのイーツの目下のブームは、引き出しや本棚から次々とものを取り出して大人に渡すことです。
 叱るわけにもいきませんから「ありがとう。元のところに戻しておいてね」と突き返そうとするのですが、まだ戻すことはできません。置いていくだけです。
 こちらも何かと忙しいのでいちいち戻しに行くこともできず、近くの棚の上などに仮置きするのですが、そんな仮置き場があちこちにできてしまいます。

 やがてイーツはぎっしり詰まった本棚から、苦労してひとまとめのクリアファイルを引き出し、私のもとに届けます。二年前の人間ドックの報告書です。中に半切のメモが挟まっていて、見ると内視鏡検査をしてくれた女医のメモでした。
「2年後に再検査」
 びっくりしました。3年ではなくやはり2年なのです。
 記録より記憶の方が正しいこともある。それで慌てて予約をし直し、先日、行ってきたわけです。

 妻の姉、つまり私にとっての義姉は、都合があって人間ドックを1回キャンセルし、2年間あいだを置いて受けた検査で胆管がんが発見され、しかし手遅れで1年7か月後に亡くなりました。
 もちろん極めつけに厄介ながんですからドックを受けても見つからなかったかもしれませんし、発見されたところで助からなかったかもしれません。しかしつまらない理由でキャンセルしたことは、のちのち本人や家族にとって大きな負担となりました。

 私の場合は検査が一年遅れたところで十中八九問題はなさそうですが、万が一、あるいはそうでなくても一年後の検査で無事がわかるまで、つまらない間違いで1年先送りした事実は大きな負担となったはずです。そうならなかったところが、やはり私は運がいいのでしょう。私は運だけで生きてきました。

 それにしても、イーツはなぜ選りによって一番重要な書類を引っ張り出してきたのでしょう?
 感謝しなくてはいけませんね。

 この子です。
   ↓
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(この稿、終わり)

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2021/4/22

「もうひとつの“覚えてもらっていた”話と検査の実際」〜大腸検査と運の話A  生活


 そう言えば以前にも私の顔を覚えていてくれた人がいた、それがひとつ。
 そしてあまり経験をすることのない大腸の内視鏡検査の実際について、
 これから受ける人もいるかもしれないので記しておく。

という話。
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(写真:フォトAC)

【もうひとつの“覚えてもらっていた”話】 
 昨日、女医さんに覚えてもらっていてうれしかったという話をしましたが、ブログにアップした後で、前にも似たような経験があったのを思い出しました。ずっと以前、社会科見学の下見で行った東京警視庁の婦警さんです。
(しかし警視庁の受付の婦警さんって、どうしてあんなに美人ぞろいなのでしょう? もちろん婦人警官を美貌で評価するなんてセクハラのそしりを免れえませんから、絶対に人には言いませんけど)

 入り口で挨拶をして手続きをしようとしたらそのうちの一人が、
「あら先生。前にもいらっしゃいましたよね」
 2年前の私を覚えていてくれた人がいたのです。心の底で野心が動きました。もちろん動いただけで何もしませんでしたが。

 のちにその話を友人にしたら、
「あ、それ、指名手配の犯人を覚えるように覚えられたんだ、きっと」
 確かに私は人相が悪い。もしかしたら先日の女医さんもそれで覚えていただけなのかもしれません。


【大腸内視鏡検査の実際】
 どうでもいいことかもしれませんが、大腸の内視鏡検査というものについて、まだやったことのない方のためにお話ししておきましょう。

 まずこの検査は1日がかり、見方によっては二日がかりだという点は押さえておいてください。胃カメラも同じですが、前日の9時以降の飲食がまるでできないのです。水とお茶はいいみたいです。

 検査当日は9時までに受付を済ませ、一緒に受ける数人とともに応接室風の部屋に招かれ、説明を受けます。
1, 検査は一日がかりであること。
2, 午前中は下剤を飲んでお腹を空っぽにし、検査は午後1時半から始まること。
3, お腹のきれいになる順や医師の都合によって、検査室に入る順番も変わること。
4, お腹がきれいになるというのは(と言って図版を示し)、便の色がこういうの(茶色)から、こういうふう(レモン色)に変わることです。
5, ここまできれいになったと思ったら、水を流さず、看護師を呼んで見せてください。OKかどうかは看護師が判断します。
6, 下剤はOKが出るまで飲み続けます。

 目の前には下剤の水溶液が入った2リットルのウォーター・バッグが置かれています。横に分量を示す印刷がされていて、最初の1リットルを1時間かけて飲むよう書いてあります。
 私を含めると8人が同じ部屋にいましたが、最初の1時間でトイレに駆け込んだ人はいません。そのあと30分かけて500ミリリットルのミネラルウォーターを飲むころから、徐々にトイレに急ぐ人が目立つようになりました。水を飲むのは下剤が吸収されないので、脱水を防ぐためです。
 看護師も一人ひとりに訊ねて回るようになります。
「便は出ましたか?」
「はい」
「水のような?」
「はい、月曜なのに水様便」
「そうおっしゃる方は大勢おられます」
「はい」

 水を飲み終わると残り1リットルの下剤に再び向かい、全部で5〜6回もトイレに行ってレモン色になると看護師に見てもらいます。それでOKが出ると下剤は終了です。そのあとまた500ミリリットルの水を飲んで午前は終了となります。下剤の余る人もいましたが、 私は結局全部飲んでしまいました。
 総計3リットルの液体。ビールなら簡単に入るのになかなか大変でした。

【いよいよ検査】
 名前が呼ばれると更衣室で着替えます。
 上半身は肌着1枚を残して検査着。下半身はパンツも脱いで代わりに不思議なズボンを履きます。ちょうど股の「接(は)ぎ」のところから後ろに大きく切れ目の入ったズボンです。何のための切れ目かはすぐに分かりました。靴も靴下も脱いで使い捨てのスリッパに履き替えます。
 それが終わるといよいよ検査室に入り、検査台に上るのです。

 検査着の裾をたくし上げてあの変なズボンをむき出しにし、医師に背を向ける形で左を下にして、体を「く」の字に折って寝ます。
「それではお願いします」と女医。
「滑りを良くするために肛門に油(と言ったかな?)を塗ります」
「指を入れます」(一瞬にして終了。快感なし)
「カメラを入れます」
――そしてそこから5分、いや実際には2〜3分だったかもしれませんが、昨日お話しした「とても大変な」作業が続きます。私は特に下手くそなのですが、もともと大腸はものを肛門に向けて押し出すのが仕事です。ファイバースコープはそれに逆行するわけですから楽なわけがありません。
 とにかく先へ先へと肛門から直腸、S状結腸、次に下行結腸、横行結腸、上行結腸、そして終点の盲腸へ。いったん一番奥まで行ってから、ゆっくり引きながら観察する手順です。
 終点に届くと私も楽になります。

「それでは膝を曲げたまま、仰向けになりましょう。右足を上げて左足の上に組むことはできますか?」
 両足を同じように立てたのではファイバースコープの扱いが難しいのでしょう。そこで私は足を組みます。その足の先にかなり大きなモニターがあって、少し見ずらいので頭の後ろで両手を組んで、首を持ち上げて画面に目を向けます。
 自分の姿を客観的に見ることはできませんが、ちょうど夏の海辺のビーチパラソルの下で、足を組んでのんびりと海を見ている風情です。呑気な感じです。ただしお尻にはスコープが突き刺さっています。


【終わりはあという間、そしてほっとする】
 検査の終了はあっけないものです。
 ファイバースコープをさっと抜くと軽くお尻を拭いてもらい、台から降りると隣の小部屋でモニターを見ながら医師の簡単な説明。私の場合はやはり取った方がいいポリープが二つほどあること、手術は別の医師が行うので来月早々に面談し、日程等を決めること、等々。
 そして頭を下げて検査室を出ました。

 やはり手術かと、ほっとしました。
 普通なら気の重くなる場面でほっとしたことには理由があります。

(この稿、続く)

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