2019/10/11

「松島が ああ松島が 松島が」〜まじめな旅行のあきれた事件簿B  旅行


 東北旅行 最後の一日 旅行惨題
 『会話のない旅』
 『松島が ああ松島が 松島が』
 『人恋しくて・・・』

という話。
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(四大観のひとつ富山《とみやま》から松島を見下ろす)


【会話のない旅】
 私に助言をくれた友人について、昨日は「7月に東北から北海道に至る一人旅をしてきました」と書きましたが、これが実に二十日間に及ぶ長旅だったのです。よくも飽きなかったものだ・・・。

 私はといえば帰路の一人旅がたった一日で嫌になってしまいます。
 運転も嫌いではありませんし見てきたところはすべて意義ある場所です。勉強にもなりました。それ自体は悪くなかったのです。
 しかしいかんせん一人旅なので話をする相手がいない。運転中は無言、見学中も無言、買い物やホテルのフロントで二言三言かわすきりで、会話というものがほとんどない。

 4年前に出かけたイタリア旅行は息子と一緒でしたから、あれこれ相談したり感想を聞いたり蘊蓄を語ったりと、何かとしゃべることが多かったのです。今回、岩手へ向かう道すがらも、古女房とは言え人間ですからさまざまに話すことができました。ところが帰路は独りぼっち。丸一日、ほとんど無言です。これは耐え難い。

 私に助言をくれた友人は二十日間もどうやってこの孤独に耐えたのか・・・そう考えたら気がつきました。彼ならきっと行く先々で誰かに話しかけていたはずです。間違いありません。
 彼はそういう人で、私はそうではないのです。この年齢で人見知りとも言いたくないのですが、面倒くさがりであることは間違いありません。
 そこで旅を楽しくすべく、思い切って誰かに話しかけてみることにしました。若いころと違ってさほど勇気のいることでもありません。

 すると機会はすぐにやって来ました。
 二日目の朝の朝食バイキングは会場が狭く、いたるところに相席ができていました。私が選んだのは、若い男の子が一人座る二人テーブルです。
 食べ始めて、
「一人旅ですか?」
と尋ねると気安く乗ってきます。

 横浜で働く入社2年目の青年で、友だちと二人で朝食をとっていたところ、寝不足の友人は食事もそこそこに二度寝に戻ったといいます。そこでしばらく旅行の話だの仕事の話だの、被災地を回ってきたことやこれからの予定などを話して食事を終えた青年が先に席を立つまで、10分間ほど楽しい会話を交わすことができました。
 悪くなかった。気分もよかった。さわやかな青年だった――しかし、だから?

 気分よく相手をしてくれた青年には失礼ですが、私はやはりそういう出会いを楽しむ性質ではないのです。家族や友人だといいのですが、どうしてもどこかで身構えてゆったりできません。

 しばらくして空いた前の席に座ったのは、私とさほど変わらない、熟年というか初老というか、その前後の女性です。
「おひとりですか?」
「はい」
「どちらから来られました?」
「東京です」
「・・・・・・」
――終了。

 あからさまに迷惑顔をするわけではありませんが、そうした場面でチャキチャキ話すタイプでもなさそうです。それに考えてみたら熟年女性の一人旅というのも、訳あるときは「訳アリ」そうです。前に座ってしまったのだから仕方ありませんが、相手を間違えたのかもしれません。

 こうして私の小さな初体験は終わってしまったのです。


【松島が ああ松島が 松島が】
 早朝の門脇小学校の、ネットの張られた姿を写真に撮って、仙台に向かうにはまだ時間があったので「石ノ森漫画館」を見学し、石巻市内を出たのは9時半ごろでした。時間をつぶすつもりが余計な時間を使ってしまい、そこから一時間、次は仙台市立荒浜小学校(2019/10/7「完璧な避難・心の準備」〜被災地をめぐる旅Eで報告済み)です。

 石巻河南ICから三陸道に乗り、成瀬奥松島ICから松島ICを過ぎたら看板に「松島大郷IC」「松島海岸」と出ています。
――松原海岸?

 普通の観光のことはまったく考えていなかったので松島のことは頭になく、松島というところももっと北の方にあるくらいに思っていたのです(元社会科教師なのになぜそんな勘違いをしたのだろう?)。
 気づかなければそれまでだったのですが気づいてしまえば仕方ありません。「松島海岸」が近づくあいだもさんざん迷ったあげく、とりあえずインターチェンジで降りて空き地に車を停め、検索にかけることにしました。するとなんと松島はそこから3km弱、たった7分の距離です。

 そういえば「松島を見て死ね!」と言います(言わないか?)。
 二度と来そうにない土地、ここまできてやり過ごすのはいかにも残念です。行くしかありません。
 GO!!

 ところがものの5分も走らないうちに渋滞。しかも大渋滞。
 今回の旅行は行く先行く先どこも空いていたのでまったく忘れていたのですが、世は三連休。いかに天気が悪いとはいえ一流の観光地に人が集まるのは当然です。
 にっちもさっちもいかない渋滞をようやく松島公園まで来ると、駐車場にも長い列。
《仕方ない、来るには来た、後悔は残らない》
 そんなふうに考えて、渋滞を引き返すのも難しいためそのまままっすぐ反対側に抜けてからハタと思い出しました。さっき調べたときに松島を遠くから眺める四大景観(正しくは「四大観《しだいかん》」)とかがあったのです。
 そこでまた停車して調べると一番近い四大観は「富山(とみやま)」です。そこだったら行けるかもしれません。GO!!
 ところがこれがかなり厄介でした。

 まず富山展望台に向かう脇道を見過ごします。第一級の景観に向かうにしてはあまりにも寂しい入り口。看板も小さい。
 さらに脇道に入ってびっくり。軽自動車でもすれ違えるかどうかといった細い道を延々と登らされるのです。転回できる場所もないので引き返すこともできません。
クリックすると元のサイズで表示します 対向車が来ないことを祈りながら(しかし来る気はまったくしない)数分走ると、ようやく車が2〜3台置けそうな広場に出ました。あたりは鬱蒼とした木々に覆われています。そこから先に道はなく、あるのは石段だけ。

 もうここまで来たら意地です。その場に車を置くと、霧の薄く広がる石段を一気に駆け上りました。いや駆け上ることのできた分だけ駆け上って、あとは歩きました。数えながら行ったらなんと241段もあったからです。

 そしてついに登った先には富山観音堂、反対側のがけに展望台、そこから眺めた風景がこれです。
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 なんと低く垂れこめた雨雲に遮られて、ほとんど何も見えなかった。

  「松島が ああ松島が 松島が」

 結局、松島まで来て松島を見ず、再び241段を駆け下りて、予定よりずいぶん遅くなって仙台市立荒浜小学校に向かいました。


【人恋しくて・・・】
 荒浜小の見学を終えるとあとは予定がありません。
 次はどこへ行くか。

 隣の福島県は一通り回っているのでとりあえず次の栃木県。
 日光東照宮は4歳の時に行ったきりで記憶がなく、東武ワールドスクウェア(世界の重要建造物のミニチュアがある)は息子のアキュラが行ってなかなか良かったと言うし、大谷石の採石場跡「大谷資料館」も捨てがたい。

 どこかに一泊して明日はそのあたりを巡ったらどうかと調べたら、最初に検索した東武ワールドスクウェアは入場料2800円。
 2800円も払ってひとりで黙って見学してそれでどうなるのだ?
 いつもの悪い癖で意欲は一瞬にして萎えます。

 もしも途中で疲れ切って運転が嫌になったらそこで泊まるにしても、とりあえず行けるところまで行ってあとはまっすぐ家に帰ろう――。人恋しさにそんなふうに決めて走りだしました。
 その結果が約8時間、500qあまり(総計一日612q)。結局その日のうちに自宅に戻ってしまいました。

 妻は温かく迎えてくれました、こんなふうに。
「あら? もう帰ってきちゃったの?」
 何通もLINEメッセージを送ったのにね。
 しかしまあ、そんなものでしょう。
                             (この稿、終了)

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富山観音堂)





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2019/10/10

「ナビ不明、振り回されての石巻」〜まじめな旅行のあきれた事件簿A  旅行


 「街や道路の様子が変わってしまい ナビが利かないよ」
 そんなアドバイスを受けて出かけた東北旅行
 しかしここまで振り回されるとは思わなかった

という話。
 他に石巻の様子など。
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(石ノ森キャラいっぱいの石巻駅)

【有益な二つのアドバイス】
 私より少し若く、この春、定年後の再就職の仕事も辞めて悠々自適の身になった元教員の友人が、退職記念にと7月に東北から北海道に至る一帯を一人旅してきました。一日200kmずつ刻む自動車旅行です。

 その人が東日本大震災の被災地を巡ってきたというので事前にアドバイスを受けたのですが、重要な指摘が二つ。
@ とにかく工事車両がバンバン走っていて大変だよ。
A ナビが古いせいか、新しい道が出ていない、震災を機に道路の付け替えをしたり新しい道を通したり、十字路を立体交差にしたりと、ナビや古い地図とは全く違っているところがあるので、目と標識で確認しながら進まなくてはダメだ。

 どちらも聞いてみなければわからないことです。

 このうち@については、私の場合、三連休の中日と翌日でしたので大部分が休工で、大型ダンプなどはほとんど見られませんでした。おまけに今ごろ被災地めぐりという人も少なく、どこに行っても楽に移動できます。
 またAについても、リアス式の海岸地域は道路の付け替えにも限界があり、だいたいナビの言う通り動いていれば問題ありませんでした。石巻を除いて。
 比較的平地が広く津波被害も大きかった石巻市は、道路の付け替えや変更も多く、また一部は工事中で侵入できないようになっていたのです。


【ナビが利かない】
 大川小学校を見学して女川町に向かう道でまず一回引っ掛かりました(このコースではいったん石巻市を出て女川町を通り、また石巻に入ることになります)。
 道なりに走って来たつもりが気づいたらナビ上の「道なき道」を走っているのです。この時は顔を上げると高い位置に新しいガードレールが見えたので、そこを目指して道路を探すとほどなく上がれ、無事女川町につくことができました。

 女川町の「シーパルピア女川・地元市場ハマテラス」で買い物をして、その際ナビに「門脇小学校」(被災した小学校跡)を入力。石巻市街地に入ったまではよかったのですが、そこからが大変。付け替えの道路が5mずれただけでもナビは混乱します。
 ナビにしてみれば自分の指示にもかかわらず、運転士は道路を外れ、ずけずけと他人の敷地から家の中まで入って行ってしまうのですから困るわけです。しかし何度か道筋を修正しながら、運転士の私と面倒くさいやり取りをし、なんとか門脇小学校まであと1〜2qというところまできました。ところがそこで、ナビは突然、丘に上がれと言い出すのです。

 津波で被災した学校を見に行くのに、なぜ山の手に行くのかはわかりませんが、そろそろ4時を過ぎ、低く垂れこめた雨雲の下では風景も見ずらくなってきます。仕方なく言われるままに丘に登り、あと数百mというところまで近づいたと思ったら、また門脇小の位置が変わってしまう。それも「コ」の字に曲がったさほど遠くない場所です。
 ほかに方法もないのでまたまた言われるままに進むのですが、しばらくすると目的地が変わってしまう。

 そんなことを繰り返しているうちにハッと気づくと、同じところをぐるぐる回っているだけなのです。あたりはすっかり暗くなり、行ったところで何も見えそうになくなったので、あきらめてホテルに向かいました。
(このホテルまでの道筋も、あとで調べるとひらがなの「の」の字を書くような遠回りでした。ナビは完全に自信を失っています)

 翌朝、もしかしたらすでに閉校になっているためにナビが混乱しているのかもしれないと考え、天気もいいことだしとりあえず門脇町まで行けば何とかなると思って入力するとなんと町もありません。いくら建物が流されたといったって町名までなくすこともないだろうとネットで調べなおしたら、ようやくわかったのです。
 私が行こうとしていた門脇小学校は「かどわき小学校」ではなく「かど『の』わき小学校」でした。ずっと「かどわき」だと思っていた――。
 入力しなおすとナビはすんなりと目的地に誘導してくれます。前日、薄暗い中を何度も通った道路のすぐ横でした。

 ナビがあてにならないという先入観がなければ、もう少し早く気が付いたのかもしれません。


【ウニを食べずにラーメンを食す】
 少し時間を戻します。
 もともとどこの街に泊まるのも決めていなかったので、石巻のビジネス・ホテルを予約したのはチェックインのわずか2時間前です。ネット時代はこんなこともできます。

 最初から夕食のないコースだったので入室するとすぐに外出。フロントで聞くと、
「ほとんどが居酒屋なんですよ」
 これにはちょっとびっくりしました。午後7時に開いているレストランがない。
「今日は日曜日なので地元のお店は休みなんです」
 こんなところはいかにも田舎めいています。しかしそれでもなんとか調べて、駅前の中華料理屋が開いていると教えてくれました。

 後から考えると海辺の街に宿泊して、なぜ魚を食べることに思いが至らなかったのか。寿司屋なら開いていただろうし、旅行前に「ウニは7〜8月が旬だけど、まだ間に合うかもね」と言われて楽しみにしていたはずです。それなのに旅行中は一度も思い出しませんでした。

 私にはそういうところがあります。
 根がケチなのでお金のかかること、時間のかかること、エネルギーの必要なことには自然と目をつむることができるのです。
 誰からも聞かれないので言わずに済んでいますが、わざわざ三陸まで行って、名物でもないラーメン・チャーハンを食べてきたとは、やはり痛恨です。


【石巻という街】
 石巻は伊達政宗の城下町です。だから道は入り組み、現在は一方通行だらけ。それもナビが遠回りの道を指示した原因の一つでしょう。

 また石巻は、マンガ家の石ノ森章太郎の第二の故郷として知られています(と着いた夜、知りました)。生家は隣の登米市なのですが、石巻の映画館にしょっちゅう通っていたことから、章太郎自身がそう言っていたのです。
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 市内には記念館「石ノ森萬画館」があり、町中に「サイボーグ009」や「人造人間キカイダー」の人形があふれています。
 朝、散歩に出てみると市役所の前は仮面ライダーでした。第七十七銀行の前は絶対に「007」だと思って見に行くとやはりそうでした。
 JR石巻線石巻駅もかわいい石ノ森章太郎のキャラクターで彩られ(最初の写真)、ちょうど7時になって動き始めたからくり時計も、中で動くのは「ロボコン」や「さるとびエッちゃん」でした。

 私はダメですが石ノ森ファンにはたまらないでしょうね。
(と言いつつ、時間があったので萬画館も見てきました)

                    (この稿、次回最終)


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2019/10/9

「とぼけた話の往路四題」〜まじめな旅行のあきれた事件簿@  旅行


 往路は歴史と文学の旅 帰路は震災を想う旅
 かなりまじめな旅行のつもりだったが事故は起こる
 「そんなアホな」と思うことの往路4連発!
   『知らなければ観光地ですらない』
   『制限速度120q/hの不満』
   『Uターンを2回』
   『寝室 奇抜』

という話。
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(見るべきだった秋保温泉磊々峡写真ACからの写真)


【知らなければ観光地ですらない】

 結婚式に招かれて岩手に行くのに一気に行けないので中継地ということで決めた秋保温泉、決め手は「宿はできれば高速インターからあまり離れていないところ。温泉が趣味の妻のことを考えると源泉かけ流しの風呂がなくてはなりません」と以前、書きました(2019/9/25「行きたいところが多すぎて立てられなかった旅行計画が、一発で決まってしまった話」)。今はネット社会。木曜日ということもあって前日予約なのにあっという間に手続きができました。しかもかなり格安。

 夜のチェックインで景色もわからず(翌朝見ても大したことはなかった)、部屋は煙草のにおいが残っていて多少の不満はありましたが、泉質はなかなかなもので料金を考えればまずまずです。
 遅い到着で夕食こそ食べられなかったものの(そういうコースにしてあった)翌朝の朝食バイキングは味も量も種類も素晴らしく、妻などは日ごろ小食なのに欲をかいてたくさん食べたのであとで私がひどい目にあいました(昼食がとんでもなく遅くなった)。
 以上、感想、終わり。中継地に選んだ温泉なんてそんなものです。

 ところが旅行から帰ってきて「秋保温泉」に一泊したというと会う人会う人、「いいところに泊まったな」「え? 秋保温泉? どうだった?」と、みんな知っているのです。
 「秋保大滝、見たかい?」「なんか有名な渓谷があったよね」・・・全部わかりません。
 後で調べると、けっこうな有名温泉で、
「秋保温泉(あきうおんせん)は、宮城県仙台市太白区秋保町湯元(旧国陸奥国、明治以降は陸前国)に位置する温泉である。仙台都心からも近いため、宿泊のみならず、日帰り入浴にも利用されている。同じ宮城県の鳴子温泉、福島県の飯坂温泉とともに奥州三名湯の1つとして数えられる。また古くは『名取の御湯』と呼ばれ、兵庫県の有馬温泉や愛媛県の道後温泉と並んで『日本三名湯』の1つに数えられた」
「秋保大滝(あきうおおたき)。国の名勝に指定されており、日本の滝百選の1つにも数えられる。諸説あるが『日本三大名瀑』あるいは『日本三名瀑』の1つに数えられることがある」

(以上、Wikipedia)
 なぬ?
「磊々峡(らいらいきょう)。仙台市の中南部,秋保温泉のある河岸段丘を名取川が下刻してできた約 1kmの長さの峡谷で,石英安山岩質角礫凝灰岩の甌穴 (おうけつ) と奇岩怪石がすばらしい。温泉入口ののぞき橋からの眺めがよい」
(コトバンク:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
 なぬ? なぬ? なぬ?
 そろって4時半には目を覚ましている夫婦。朝食までに2時間もあったのですから文字通り「朝飯前」の仕事だったのに、「日本三名湯」の感慨も味合わず「日本三名瀑」「磊々峡」も見ないで帰ってきてしまった!


【制限速度120q/hの不満】
 東北自動車道の花巻南インターを過ぎたら見慣れない道路標識に出会いました。
 これです。
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 日本国内に最高速度120km/hの高速道路があるなんて全く知りませんでした。周りの車はビュンビュン飛ばしていきます。今年の3月から花巻南ー盛岡南間(約27km)が試験的に最高時速を120km/hになったのです。走行車線が120km/hですから追い越し車線はどれくらい出ているかわかりません。
 一方、左の車線は大型貨物など80km/h制限の車が走っていますから、こちらに身を寄せると遅すぎます。
 そこで私も120km/hで走らざるを得ないのですが、困ったのはクルーズコントロール(速度を一定に保つ機能)が利かなかったことです。

 120km/hで継続的に走らせようとして初めて知ったのですが、古い車(と行っても6年目)で120km/h走行というのは予定していなかったらしく、120km/hに設定しようとすると数字が112km/hまで落ちてきてしまうのです。おまけにハンドル操作サポート(同一レーンをずっと走ってくれる機能)も連動していて、時速112km/hを越えると切れてしまいます。

 旅行の帰路は、ひとりで600km以上走って帰宅したと自慢たらしく言いましたが、実は前の車に合わせて速度を変えてくれる“追従型クルーズコントロール”と“ハンドル操作サポート”に頼り切っての運転で、実際には前を向いて異常がないか確認していただけなのです(理屈上は心筋梗塞か何かで死んでもきちんと走り続けるので)。

 花巻南ー盛岡南間、全行程で最もストレスフルな27kmで、こんなのはやめてもらいたいと本気で思いました(「新車を買え!」か?)。


【Uターンを2回】
 車が古いといえばナビゲーションシステムの情報が古いのにも困りました。結婚式の前日泊に予定していたホテルに、ナビが表示した地下駐車場がなかったのです。地下へ向かう入り口はあったのですが業務用で一般車は入れません。
 何か見落としたのかもしれないと思っていったん離れたところから再突入を図ったのですがやはりだめ。市街地で簡単に車が止められないのでかなり離れた場所まで行ってそこからホテルに電話をかけると、
「ああ、地下駐車場は現在使われてはおりません。ホテルに隣接する平地の駐車場がありますので、そちらをお使いください」
「どのように行ったらいいんでしょう?」
「線路を越える緩やかな坂を下ってきませんでしたか?」
「ああ、下りました」
「もう一度そこまで戻って、坂を下り切ったところの信号を右折して下さい。そしてそのまま行くのではなく、右折の形でUターンします」
「右折のままUターン? ハイ」
「そのまま進んで最初の信号でさっきと同じように右折でUターンします」
「あの、すみません。Uターンして行った先でUターンしたらまた元に戻っちゃいません?」
「大丈夫です。戻りません」
 正直を言うと最初の「右折でUターン」のあたりからすでにチンプンカンプンだったのですが、UターンにUターンを重ねても「大丈夫。戻りません」と断言されたのでは話になりません。面倒くさいので、
「わかりました、やってみます」と言って電話を切りました。

 しかし実際に「緩やかな坂を下ったところの信号でUターン」をしてみるとそのアホさ加減がわかります。それに、
《信号機のある交差点内でのUターンって、基本的に交通違反じゃないのか?》
 UターンにUターンを重ねれば元に戻ってしまうのも当たり前です。

 そこでホテルマンの言うことを無視して、もう一度ナビの言いたかったことを考えながら何回か挑戦しているうちにようやくわかったのです。線路を越える高架橋の坂を降りたら、右に回り込むようにしてその高架橋の下をくぐるのです。

 ホテルマンはせめてこう言うべきでした。
「駐車場の入り口はホテルの東側にありますが、前の道路が北向きの一方通行なので坂を下りてそのまま入ることができません。お車は北に向かって坂を下りますよね。そうしたら坂の下の信号から右回りにぐるっと回り込む感じで高架橋の下をくぐり、ホテルの東側に寄せてください。駐車場の入り口はすぐに見えるはずです」
 
 
【寝室、奇抜】
クリックすると元のサイズで表示します そんなこんなで20分以上もかけてようやく到着し、部屋に入ることができました。ところがなんとそこはダブルベッド! 招待してくれた新郎新婦の用意してくれた部屋ですが、そんなに仲の良い夫婦だと思われていたのでしょうか。
 これでは休まりません。

 翌朝目を覚ますと、妻は二段重ねの枕のうち一つを私との間に立て、顔が近づかないようにしていました。そんなことをしなくても絶対に越境なんかしないのに、ね。







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2019/9/30

「何もない・すべてが新しい」〜被災地をめぐる旅@  旅行


 岩手で参加した結婚式の帰り道に
 東日本大震災の被災地を巡ってきた
 復興が進み 震災の爪痕はほとんど見られない
 ただ不自然に何もない土地が広がっていたり
 巨大造成地のような新しい町並みが広がっているだけだった・・・が

というお話。
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(陸中海岸)

【それでも行ってみる】
 結婚式の帰りに東日本大震災の被災地を見てきたいと言ったら妻が、
「そんなよそ様が悲しい想いをしたところを見に行かなくてもいいのに」
といった言い方をしました。少し驚きました。
 物見遊山の気持ちは少しもなかったのですが、では何のために行くのかと考えると答えが浮かびません。

 震災のあった2011年の4月、当時はまだ現職だったこともあってすぐには行けないものの、夏休みには息子に声をかけて一緒に被災地ボランティアに行こうと思っていたのです。ところが大型連休前に畑仕事をして、肥料を撒きマルチがけをし、種を播いたり苗を植えたりしていたらあっという間に体がボロボロになってしまったのです。呆れるほど衰えている。これでは被災地に行っても役にも立ちません。

 数百キロの道のりを越えてようやくたどり着き、一日働いても泊まって休むところも十分ででない、そんな状況では迷惑すらかけかねません。
 以来、普通の日本人がそうであるようにずっと被災地にはこだわりつつも、ついに今日まで訪れることはなかったのです。

 今さら行ってどうするのか――。
 それは道理ですが、だとしたら原爆の広島にも長崎にも行けず、最近の大阪にも熊本にもいけないことになってしまいます。

 そんなふうに二の足を踏んでいると、93歳の母が、
「そんなこと言わないで、お金を落としてくるだけだっていいじゃない。私の代わりと思って行って来てよ」
 それで決まりました。
 被災地をめぐることの意味は、行ってみれば分かるのかもしれません。


【何もない】
 岩手県の内陸から三陸海岸に出ようとするとどのルートを取っても3時間程度はかかります。
 最初の目的地を宮古にするか釜石にするか――さまざまに考えましたが、できれば1日目に石巻より南まで進みたい、そうしないと自宅へ戻れない、そう考えてまず陸前高田を目指すことにしました。陸前高田には「旧道の駅高田松原タピック45」「陸前高田ユースホステル」「気仙中学校」といった多くの震災遺構があり、有名な「奇跡の一本松」もあるからです。

クリックすると元のサイズで表示します ところが高速と一般道を乗り継いでおよそ3時間、110kmほど走ってようやくついた陸前高田では、その日はまさに新しい「道の駅高田松原」と新設の「東日本大震災津波伝承館」のオープン式典が開かれようとしているところでした。周辺の駐車場はすべて一般車両侵入禁止、「奇跡の一本松」も「陸前高田ユースホステル」も付近に駐車しないと見に行けません。

 しかたなく渋滞の後ろについてその場をやり過ごすと「気仙中学校」の見えるところまで車を走らせ、学校の写真を遠くから1枚だけ撮って町を抜けました。中学校の周辺もかさ上げ工事のために近づけなかったのです。

クリックすると元のサイズで表示します そんなふうに工事のために近づけない震災遺構というのはいくつもあって、南三陸町では有名な「防災対策庁舎跡」や「高野会館」がかさ上げした土地の中に沈んで、容易に近づけなくなっています。
 将来的には震災遺構として整備されるのでしょうが、周辺はただの土の塊で、なぜこんな何もないところに防災対対策庁舎がつくられたのか不思議な気がするくらいです。
 もちろん何もないところに建てたのではなく、すべてが流され周辺に何もなくなっただけなのです。

 今回の被災地巡りで出会った風景の一つは「何もないところに建つ重要施設跡」でした。何もないこと自体が津波の破壊力を示しているのです。


【すべてが新しい】
 被災地のひとつの特徴が「何もない」なら、もうひとつは「すべてが新しい」です。
 陸前高田と南三陸の間にある気仙沼は人口6万人を誇る、三陸海岸ではもっとも大きな町のひとつですが、津波に重ねて大規模火災が起こり、町は破壊しつくされました。そのためいま行ってみると町の中心部は「すべてが新しい」。まるで大きな鉄道会社が首都圏の端につくりあげた一大造成地のようで、「震災の爪痕」は微塵も感じられません。

 新しい民家に新しい店、新しい街路樹。
 街の中心部に立ってその若々しい風景を眺め、それから丘の上のやや古い建物を眺めて、そこから津波に流された町であることを想像するしかないのです。丘に向かう道のどこかに津波の喫水線があったはずです。

 しかし一方、気仙沼は三陸で最も早く震災遺構を整備した町でもありました。
 市街地から大きく外れた岩井埼の「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」です。

                          (この稿、続く)




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