2021/12/9

「私、失敗しないので(何もしないから)」〜働いていればミスくらいするさ  人生


 生きて働いていればどうしても失敗やミスは起こる。
 しかし若い人が社会に与えられる悪影響など微々たるものだ。
 それで命まで寄こせとは言う人もいないだろう。
 私たち老人は失敗をしないが、それは社会的に何もしていないからだ。

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という話。 
(写真:フォトAC)

【働かざる者、モノを壊すこともなし】
 昔、先輩の先生から聞いた話です。
 ある日、先輩の奥様が水差しの花を替えようとして落として壊してしまったそうです。同居するお姑さんの大切にしていたものですので、本当に切ない思いをして報告に行くとひとこと、
「働かない者は、モノを壊すこともないで――」
 この話は先輩のお気に入りで、幾度か別の場で聴かされたものです。私も好きです。

 つい先日、娘のシーナから電話がありました。けっこう久しぶりのことで、聞けば仕事中に大きなミスをしたらしく、夫が帰ってくるのも待ちきれず私に話したみたいです。誰かに聞いてもらわなくては気が休まらなかったのでしょう。そこでまず私は後輩から教えられ、自分が大切にしている言葉を伝えます。
「でも、命まで寄こせとは言われんでしょ」
 それから先輩の話を思いだして、
「頑張ってあれこれやるからミスも出る、何もしなければ何も起こらない。仕事はすればするほど失敗の可能性も増えるものだよ。ミスはなくせない」
 シーナは電話口で、
「ああ、そう考えるんだ――」
と感心していました。
(亀の甲より年の功)


【私、失敗しないので(何もしないから)】
 考えてみたら退職この方、私は気に病むような失敗は一度もしたことがありません。もちろん皿を割ったり妙なところで頭をぶつけたりといったことはいくらでもあるのですが、誰にも迷惑をかけない、誰も傷つけない、そんな他愛ないものばかりです。叱られるにしても妻に嫌味を言われるくらいは何の痛痒にもなりません。

 失敗やミスが問題になるのはその人が社会性を持っているからです。何らかの人間関係があって、その人の動きが他者に影響を与えるとき、失敗やミスは自分一人の問題ではなくなります。
 今の私は“職場”という深い人間関係の場を持っていないばかりか、2年に及ぼうとするコロナ禍のため、多くの人間関係を失ったり休止させたりしています。そうなると問題になるような失敗やミスを犯すこと自体がないのです。
 もちろん交通事故を起こすとか犯罪に巻き込まれて対応を迫られるといった可能性もないわけではありません。しかしめったにないことです。

 以前、「昔のことを考えると、迷惑をかけたこと、ひとにいやな思いをさせたことばかりが甦ってくるから嫌だ」といったお話をしましたが、それは多忙の中でたくさん繰り返し、ひとつひとつにこだわっていられないほど犯した失敗やミスの記憶が、ヒマになっていちいち押し寄せているからなのかもしれません。老人の生活というのはそういうものです。
 人に迷惑をかけることもいやな思いをさせることもありませんが、寄与することも誉められることもないのです。


【気にしない、気にしない】
 ツイッターなどで若い先生たちの話を聞いていると、失敗やミスを嘆く声が多く聞かされます。その人たちに私は伝えたい。
「頑張らなければ失敗もミスも起こらない」
「うまくいかなくたって誰も命まで寄こせとは言わんでしょ?」

 同じ失敗を3回以上繰り返すことは稀です(3回以上起こったら少し考えましょう)。社会に対して若い人間が寄与できることもわずかですが、及ぼす悪影響もごくわずかです。
 気にしない、気にしない。
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2021/11/19

「不揃いの階段をゆっくりと下りる」〜忘れるもまた“よし”   人生


 齢を取るというのは長い階段をゆっくり下りるようなものだ。
 しかし順調なくだりではない。階段が不ぞろいだからだ。
 ときに深く落ち込んでいたり浅かったりで、コケる。
 けれどそれだって楽しくないこともない。

という話。 
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(写真:フォトAC)

【不揃いの階段をゆっくりと下りる】

 いつも申し上げている通り、子どもの成長はゆっくりと伸びる右上がりのグラフのようなものではなく、階段です。もちろん昇る一方でめったに下がることはないのですが、一段一段の高さがまばらで、踏板の幅もまちまちです。時には踊り場のように広く、何歩も歩かないと次の段に着かないこともあります。
 このことは養育者や教育者に、「子どもが踏板を歩いているうち(停滞しているうちは)は、刺激を与えながら気長に待て」ということを教えます。機が熟さないと伸びないのです。熟せば、突然、ぴょんと伸びます。

 高齢者が齢をとるというのはこれと逆で、ある程度の年齢になるとよほどきちんと対処しない限り、階段を上るということはなくなります。刺激を与え続け努力をしても、できるのはせいぜい踏板部分を長く伸ばすことだけ。ふと気づくと成長のマイナス階段を何段も下りていたりします。大きく下りることも、少しだけ下りることもあります。

 ある日、手の甲の皮膚がすっかり張りを失って、ゴワゴワした感じになっていることに気づきます。鏡に映った自身の顔がなんだかいつも眠たそうに見えるのは、瞼の筋肉が衰えて垂れ下がって来たからでしょう。そのうえ眉にも白いものが混じり、実は眉の白髪は抜け忘れだそうですが、それがいつまでも長くとどまっています。

 眉は抜け忘れるのに髪は忘れず抜ける。そして戻らない。若いころは伸ばしっぱなしも格好よかったのに、いま同じことをすれば落ち武者状態で、床屋に行く回数はむしろ増える。少ない髪に昔以上の金を使うのは実にコスパが悪い、と不満は募るのですが、まったく行かずに済む日も遠くなさそうなので、努めて行くようにしています。

 畑仕事は1年サイクルのルーティーンなので、鍬を握らない日が半年も続くときもあります。で、春に振り回したら10分足らずでへとへとになってしまい、「ああ、階段、大きく下りたな」と自覚させられる、そんなことの繰り返しです。

 ブログではかつて書いたことを、新鮮な気持ちでまた書いてしまったりする――。


【良いこともたくさんある】
 一方、良いこともないわけではありません。
 この齢まで生きてくると、世の中のたいていのことに怯えなくて済むようになります。
 生活が固定化して、この先も今までとまったく同じような生活を送っていきますから、たいていの問題にはうまく対処できそうだと、タカをくくっていられるのです。たぶん間違いないでしょう。

 蓄えはわずかですが、もともとが異常なくらいに質素でしたから、老後に不安はありません。病気や事故は防ぎきれませんが、その時になったら考えましょう。その余裕が、若いころにはなかったものです。

 とりあえずおいしく食べられるものが増えています。現役時代、昼食は5分以内、朝夕も10分以上かけて食べることがなかったので、味も分からなかったのです。それがいまは時間をたっぷりかけるので、微妙な味の違いに気づきます。
 嫌いではなかったものの、一度も自分から食べたいと思ったことのなかった「うどん」が旨くて旨くて、ときどき妻に頼んでつくってもらったりしています。うどんのために「何でも嫌がらずに食べるから、“今日は何を食べたい”と聞かないで」という結婚以来のルールを自ら破りました。

 時間はすべて自分のものです。
 ただし、「ひとは(特に私は)自らに課すものがないとダメになってしまう」と思い込んでいますので、一日をゆるやかなルーティーンワークの積み重ねにしています。午前中は家事と畑仕事。午後は読書とテレビとインターネット、そして文章を書いていると終わります。「毎日忙しい」というとまだ勤め人の弟は笑いますが、実際、けっこう忙しいのです。しかし締め切りも責任もないので、気楽には違いありません。


【忘れるもまた“よし”】

 若いころからものを調べるということが好きで、ネットのない時代は付箋の山ほどついた本を何冊も侍らせて、結局何が何だか分からなくなってしまうということがよくありました。今はすべてコンピュータの中でできるから便利です。

 ネット上で拾った記事も写真も自分の書いた文章も、すべて整理して「2021.11.19 ◯◯◯◯◯」といったファイル名をつけて保存しているので、整理が行き届いています。
 ファイルの分類というは日付が一番いい。「これこれこういう時期に、あれこれああいう文章を保存したはずだ」とさえ覚えておけばいつでも引き出せます。つまり頭の中には索引だけを置いておくだけで済むのです。

 ところが齢を食ったら「頭の中の索引」に穴が開き始めました(我が辞書にないのは「不可能」の文字だけではない)。自分の手元にあるものが把握しきれなくなったのです。
 しかしそれもまた“よし”とするしかありません。誰にも迷惑をかけるわけではありませんから。
 こうして、やがてすべて忘却の彼方に霞んでいくのでしょう。ひとに迷惑をかけていることも理解できなくなったら、それもまた“よし”です。
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2021/11/18

「自分自身の老人脳のために私は傷ついている」〜同じ努力を何度でも繰り返す愚の話  人生


 もともと記憶力に難があった。それがどんどん昂じている。
 問題を解いて答えまで書いたのに、
 解いたことを忘れてしまうので、また同じ問題に取り組んだりしている。
 三歩進んで二歩下がる精神生活から、二歩進んで三歩進む日々へと移っている。

という話。
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(写真:フォトAC)

【ふたつのブログ】

 「教員の働き方改革に万民が納得する解決策を見つけた!」というタイトルで3日に渡って書き、「ま、実現不可能とはいえ、これ以外に道はない。“不可能な道しか残っていない”ということが明らかになっただけでもいいか――」と一応の満足を得て、ブログにアップしました。

 しばらく前から私は2つのブログを同時に運営しています。全く同じ内容です。
 Teacupブログは15年前からお世話になっているもので、「デイ・バイ・デイ」というタイトルから退職後は「アフター・フェア(アフター・ケア的な祝祭もしくはあとの祭り)」と名を変えて今日に至っています。
 別に不自由はしていなかったのですが、閲覧者が少なくなるにしたがって営業活動に出なくてはならなくなり、ツイッターなどに投稿し始めたのですがTeacupはアイキャッチ画像(目を引くための画像)がつけられないみたいなのです。内容の前に四角囲いで「No_image」と書かれたり「画像がありません」というのはどうも粋ではありません。

 そこで3年前、HATENAブログをお借りしてSNSにはそちらから投稿するようにしました。「カイト・カフェ」です。これで多少、見栄えは良くなりました。
*しかしいいことばかりではありません。TeacupからHATENAに移行してみると大量のレイアウト崩れや画像落ちがあって、なにしろ17年(3500余日)分ですからいまだに修正が終わりません。行間が広く空きすぎたり「拍手」がつかなかったりと、なかなか厄介でもあります。

 HATENAブログのいいところは本文の過去記事の引用がしやすいことや、本文の周辺に「注目記事」や「関連記事」が自動的に入るところです。これによって自分の記事で特にアクセスの多いものが何であるのかがわかり、また閲覧者を他の記事にいざなうこともできます――と、ところが、です。


【思わず天を仰ぐ】

 昨日の『「夏休みの廃止、これしか道はないが実現しない」〜教員の働き方改革に万民が納得する解決策を見つけた!B』の関連記事として挙げられていた中に、2019-08-27『「夏休みがなくなれば、みんなが幸せ」〜この時期に夏休みのあり方を考えた2と、2020-03-10「2時半になったら子どもは学校を出なさい」〜私は素晴らしい学校改善策を思いついた!Aの2つがあったのです。読んですぐに分かる通り内容は今回の「教員の働き方改革に万民が納得する解決策を見つけた!」とほぼ同じです。日数の計算まできちんと行っています。
 個人ブログでしかもこれで収入を得ているわけではないので、同じことを何度書いてもかまわないはずですし、大切なことは何回でも主張しなくてはなりません。
 問題は私がそれを、そのつど新鮮な気持ちで、まったく新しいことのように書いていることです。過去に書いたことを覚えていない!

 夏休みをなくし、教員を普通のサラリーマンと同じ勤務体制にして、それからいろいろ考えようという発想は昔からあるものです。その程度の意識はありました。しかしこの3年間、毎年ある時期になると全く新しい発想のように思いついて、調べることも計算することも同じように丁寧にやって文章にしていたなんて! 
 私は、思わず天を仰ぎました。


【そんなことばかりしている】
 2019年の3月にはもっと衝撃的なことがありました。
 長年疑問だったことを検索したところ、広大なインターネットの海の片隅に、私の欲しかった情報にドンピシャのブログ記事を見つけたのですが、それがなんと自分自身のブログだった――つまり疑問を調べたことも、疑問が解けたことも、それを記事にしたことも、すべて完全に忘れていたという事件です。
2019-03-15「イギリス人は歩きながら考えるのか?」〜偉大な英国人の哀しい現在

 HATENAブログの修正は、年代を逆に遡りながら2007年あたりまで進んでいます。14年前の記事です。そこの書かれている事実の半分くらいは忘れていたことで、さらに中の半分くらいはあったこと自体が夢のようでよく思い出せません。それなのに私が現在考えていることの8割以上は、10数年前にはすでに頭の中にあったことで、成長のなさを痛感させられます。
 典型的な老人脳ですね。

 だから私はいま、傷ついているのです。
「やってられねぇ」
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2021/9/17

「頭も悪くなった」〜横滑りする頭脳 パート?   人生


 昔から思考が横滑りで、同音異義語が混乱することが多かった。
 それが最近さらに昂じている
 自分が分からなくなるだけならいいが、
 しばしばその不謹慎に呆れる。

という話。 
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(写真:フォトAC)


【同音異義語が切り替えられない】
 同音異義語に関する切り替えが――早すぎるのか遅すぎるのかよくわかりませんがしばしば混乱する、という話は以前、何回か書きました。

2020/9/17「深刻なことにまともに向かい合えない頭脳の話」〜ドコモ口座とコロナ感染
2020/7/13「横滑りする思考」〜ダジャレ頭がサビついて困っている
2019/3/18「横滑りする頭」〜正の転移、負の転移  

 その混乱は今も昂じています。そして普通のひとがなぜ混乱しないのか、もしかしたらしているけれど言わないだけなのか、そのあたりもよくわからなくなってきています。

 例えば先日の東京オリンピックで男子が金、女子が銀のメダルを取った空手の形、テレビで見ていたのですが画面の左上に出ていた「空手 形」の表示は、半角程度の空白は開いているものの、どうしても金融の「空手形(からてがた)」としか読めず、違和感に苦しんでいました。
 そんな人は世の中にどれくらいいるのでしょう。まさか私一人ということもないと思うのですが、苦になりっぱなしで誰か苦情を入れてくれないかとイライラしていました。


【夏休み中の混乱】
 オリパラと言えば、パラリンピックでは小中学生を招待して観客席に入れるかどうかでしばらく問題になりました。その議論の中で繰り返される「感染」と「観戦」、かなりの程度は聞き分けられるのですが、ちょっと気を許すと混乱する――。
感染対策を十分にした上で感染する――」
 感染対策を十分にしたなら感染なんかしないはずだと、反射的に思ったら負けです。しかし負けます。
感染対策を十分にした上で観戦する」のは当然のことで、普通のひとはやはり間違えないでしょう。

 夏休み中の大雨で、私の住む県では土砂崩れのため通止めになった場所がありました。ニュースで見ていると河川事務所かなにかの人が、
ウカイのできる人には、ウカイをしていただいています」
と説明していました。

 土砂崩れがあったのは岐阜県ではありません。仮に岐阜県だとしても鵜飼いのできる人なんてほとんどいないはずですし、土砂崩れのあとでのんびりと鵜飼いなどしていられないでしょう――と、もちろんこれは「迂回」なのですが、「鵜飼い」の方が先に浮かびました。もっとも妻も不安そうな目でこちらを見たりしましたから、同じ思いだったに違いありません。

 あとから考えると「ウカイ」とか「ウカイ」とかいったふうに助詞をつけるからいけないので、
「ウカイできる人には、ウカイしていただいています」
と言ってもらえば間違わずに済んだのかもしれません。いずれにしろつまらないことでアタフタしました。


【混乱の原理】

 同音異義語は何もかも混乱するというわけではありません。
「時短要請に応じない飲食店には――」を、「時短陽性に応じない――」に聞き違えることはありません。なぜなら「陽性に応じない」は普通の日本語にないからです。
 同じように「感染」と「観戦」は発音も用法も同じですから混乱しますが、「汗腺」や「艦船」はそれぞれ違うところがありますから一緒になりません。つまり同音異義だけではなく、用法や発音が近いほど混同しやすいというのは一応の法則と言えます。

 ところが逆に、類似性がなさ過ぎて、つまりあまりにも異質なためにかえってハマってしまうこともあるので厄介です。
 例えば、
「川が雑炊する」
災害」

 雑炊については京に向かう一寸法師のイメージも入り込んでいるのでしょう。しかしこの不謹慎な連想は、事態の深刻さと同音異義語の軽さというアンバランス、つまり不謹慎だからこそすんなり落ちてしまうのです。
 私は深刻なもの、生真面目なものを茶化して遊ぶような人間ではありません。それだけにまったく困ったものです。頭が悪くなっているに違いありません。

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