2022/6/28

「時代は変わる、自分も変わる」〜その人生に飽きちゃわない?A  人生


 10年もまじめに打ち込めば、たいていのことには飽きが来る。
 その先をどう生きるかは個性だ。
 若者よ、
 何十年も先まで、同じ状況、同じ自分が続くとは限らんよ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【その人生に飽きは来ないの?】 

 私は大学に通いながら20歳から家庭教師と学習塾の仕事を始め、そのままのズブズブ就職で学習塾の経営会社に入ると、29歳で会社を辞め、30歳からは中学校教諭、40歳から小学校に異動して、最後の10年は小中両方の管理職をやって定年退職しました。
 その後2年間だけ児童館の仕事をしましたがまったく性に合わず、以後、家にこもって1a(アール)余りの畑で野菜を育てながら、晴耕雨読、家事全般、現職教員の妻のアシスタントなどをして過ごしています。そしていま、少々飽きつつあります。
 たびたび書いていますがここから先の人生設計はかなり難しく、むかし大病したこともあって長生きは望めないものの、終着点が分からないのでどう生きようか迷っているところです。

 就職や転職、あるいは校種の変更については、それぞれの時にそれぞれの理由はあるのですが、もしかしたらひとつのことを10年も続けると飽きてしまうのではないのかとも思ったりするのです。
 昨日の歯科医や耳鼻咽喉科の意思についても思うのですが、どんな仕事でも10年間一生懸命がんばれば、たいていのことにはめどがつき、己や状況の限界が見えてきます。そこでどういう生き方を選択するのか、そこに個性が出てきます。
大きく見れば教育畑という枠内、後半の30年間は公立学校教師という同じ枠内ですが、私の場合は飽きて、別のことを心待ちにする性格だったのかもしれません。

 しかし世の中の半分くらいの人たちは、表向き、いつまでも同じ生活を続けていられるように見えます。どうしてそれができるのか、私はいつも不思議でした。
もちろんバカにしてのことではありません。
 いつだったかテレビのドキュメンタリー番組で沿岸漁業の漁師さんが「おれは必ずこの港で、一番の漁師になる」と語っているのを見て、ああ、その情熱はわかる、私も同じ立場だったら同じように考え、同じように頑張るに違いないと思ったりしました。
 つまり「同じ生活を続けている人たちが分からない」というのは純粋に知識がないということであって、教えてもらえば大半は理解できるのかもしれません。


【頑固で臆病な保守主義者たち】
 話は少し変わりますが、かつて「2ちゃんねらー」という言葉が流行した時代、私もご多分に漏れずその世界で丁々発止のやり取りをしていました。とは言っても自分の土俵(学校教育)でしか勝負しないので基本的には連戦連勝、いまの言葉で言えば論破王の称号を与えてやりたいくらいでしたが、その後、叩き潰したはずのスレッドがそれまでのやり取りを全部無視して、「だけど、やっぱりなあ」とか言ってゾンビのごとく復活してくるのを見て、その世界から足を洗いました。

 現在はたまにTwitterやらYahoo!コメントに書き込む程度で、本格的な戦闘には加わらないようにしています。書き込みをしても「ああ、この書き方だと『そう思わない』(親指が下を向いた手のマーク)がたくさんつくのだな」とか、「おやおや、これに『そう思う』がいっぱいつくのかぁ」と、そんなことを楽しんでいます。

 最近「おやおや」と思ったのは、6月14日のYahooニュース「4人に1人が結婚願望なし 30代男女、婚姻は戦後最少」に対する私のコメントへの反応です。

 ニュースは、政府が「令和4年版男女共同参画白書」を閣議決定したという内容で、
「婚姻歴のない30代の独身者は男女とも4人に1人が結婚願望なしと回答。理由として『自由でいたい』などのほか、家事育児の負担や経済的な不安が挙がった」
と簡単に紹介している程度のものでしたが、そこに着いたコメントが、「オレもオレも」という感じだったので、ついひとこと言いたくなったのです。そこでこんなふうに書きました。
20代独身・30代独身が楽しく面白そうなことは分かるけど、50代・60代の独身に面白そうなイメージがない。
私は35歳まで独身で面白おかしく暮らしていたけど、ある日、そのまま45歳、55歳になることを考えたらビビった。そのままじゃあきっと飽きるし、たぶん死ぬほど退屈で孤独ではないかと思った。
それで慌てて結婚したが、結婚生活はかなり刺激的で面白く、子どもができると飽きている暇もない。結婚で人生をリセットしたのはやはり正解だと思っている。
現代の若者は、いまの生活が20年も30年も続くことに不安はないのだろうか? 50歳独身で楽しく生きるには、それなりの才能とか財力とか必要だと思うのだが・・・

 時間的にずいぶん遅れての書き込みでしたし、内容も大したものではないので反応は薄いと思ったのですが、「そうは思わない」があれよあれよという間に18件も入って、「そう思う」は二つしか入らなかったのです。
 よくも嫌われたものだと感心しました。これが私の最後に書いた「現代の若者は、いまの生活が20年も30年も続くことに不安はないのだろうか?」に対するものだとしたら、むしろすごいことだと、皮肉なしに思ったものです。


【時代は変わる、自分も変わる】
 私も若いころはそういう人間だったのでよくわかるのですが、生涯独身でこのまま行こうという人の一部は、頑固で臆病な保守主義者です。とにかく今のままがいい、変わることがイヤなのです。

 今の私も再びの保守主義者で、妻と二人暮らし、週に6日母の家に泊まり、日中は自宅で畑仕事や個人の仕事をして過ごす、その生活がいつまでも続けばいいと強く思っています。
 しかし母が永遠に生きているわけでもなく、妻も今年度を最後に、教職を去ります。母が寝たきりになるかもしれませんし痴ほうで徘徊し始めるかもしれません。妻が最晩年にとんでもないことを始めたりする可能性もあります。状況は「ずっとこのまま」を許してくれません。
 一方で、私自身も「いつまでもこのままでいい」と言いながら、こころの隅で飽きも来ています。心身の衰えも顕著です。

「自由でいたいから結婚しない」とのたまう若者も、いつまで「自由でいたい」と思っていられるか。いま一緒に遊んでくれる友だちも、いつまでも変わらずにいてくれるのか。そして現在、面白いと思っていることが、色褪せず数十年先までも面白いままでいてくれるのかどうか――それは分からないというより、むしろありえない話です。

 50歳で一度も結婚したことのない男性の平均寿命は68歳だそうです。将来的には65歳で定年退職となり、わずか3年で死ぬことになります。それでいい人生もあると思いますが、一般的にはそれでいいとも思えません。
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2022/6/27

「よく知った歯科医がグダグダ」〜その人生に飽きちゃわない?@  人生


 長く使った差し歯が抜けた。
 そこで長年お付き合いいただいている歯科医に行ったのだが、
 この歯科医、何かグダグダ。ところでこの人、
 どういう気持ちでこの仕事を続けているのだろう?
という話。
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(写真:フォトAC)

【よく知った歯科医がグダグダ】 
 親が戦前生まれで放っておいても虫歯にならず、だから歯磨きにも無頓着で戦後は親子してむし歯だらけ――私はそうした親子の子の方の世代です。ですからかなり若い時期から口腔は惨憺たるありさまで、健康な歯はほとんどありません。一番目立つ上の前歯は二本とも差し歯で、うち一本は40年近く前に入れたものです。
 その40年物が、一カ月ほど前にスポンと抜け落ちてしまいました。むしろ40年も、よくもったものだと誉めて上げなくてはなりません。そこで30年来お世話になっている歯医者さんで治療をすることになったのですが、これがかなり腕が悪い――というか、30年も付き合う中で、腕が落ちつつあるのかもしれないのです。

 抜けた歯の根の部分をきれいに削って型を取り、とりあえず持って行った古い差し歯を仮留めしたら、翌週、どんなに叩いても引っ張っても抜けない。そのまま日常使い使えるくらい頑固に固まってしまったのです。そこで仕方がないので翌週送りにしたら、良くしたもので一週間後にはスコンと抜けて治療を継続できるようになりました。

 しかし継続治療の一日目、根に新たな土台を埋め込み、仮の差し歯をつけるとしばらく待たせてから歯科医が、
「もういいですよ。口をゆすいでこちらにどうぞ・・・」
 しかし私は、
《ちょっと待てよ、先生》
と心の中で呟きます。口の中に脱脂綿が残ったままだったからです。
 結局、看護師に取ってもらったのですが、マスク越しにも老けたとは見えない先生も、やはり相応にお齢を召されたのでしょう。あちこち不都合が出てきます。

 そんなことがあって翌週、警戒しながら治療を受けているうちに、私は突然、こんなことを考え始めたのです。
「この人、(私の知るだけでも)30年間、毎日どういう気持ちで仕事を続けてきたのだろう?」


【その人生、面白いかい?】
 スポーツマンで、若いころは剣道教室でアシスタントのような仕事をしていたことも知っていますし、休日の朝、大きなワゴン車にかなりの荷物を詰め込んで旅行に出かける姿を見かけたこともあります。しかし職業柄2日以上の連休ということはほとんどなく、週休二日と言っても水曜日と日曜日に休むだけです。土曜日は半日ですから普通のサラリーマンよりそのぶん休みが多いのも事実ですが、半日休みがどのくらい使いづらいか、経験のある私にはよくわかります。
 定時始まりで定時終了、残業なしは確かに魅力的ですが、仲間と一緒に夜の繁華街に繰り出すということもないでしょう。そもそも仲間と言えるものを何人おもちなのか。そんな生活、つまらなくありません?

 同じことは以前通っていた耳鼻咽喉科でも思いました。
 失礼を承知で腹に納めていたことを口にするのですが、それは、
 毎日毎日一年250日くらい、ただ耳と鼻と口の三つの穴を覗いて何が楽しいのか。
 頭も抜群に切れて大学も6年間も通い、莫大な授業料を払って手に入れた生活がこれか?
 もちろん収入はべらぼうによさそうだけど、使うときがないじゃないか。それって銀行強盗が手に入れた莫大な現金が、すべて番号を控えられているのと同じ状態ではないか。
 そんなふうに思うのです。

 開業医はともかく大病院の勤務医は面白そうだ、というのは私の勝手な思い込みでしょうか? 町のお医者さんと違ってやたら難しい患者も来ますから、自分一人(とは限りませんが)の判断と技術で救えるものは救える。救えない人にもギリギリのサービスを提供できる、それはかなり魅力的な気もします。
 もちろんできないことはできないという厳しさもありますが、それはどの世界も同じ。できないことの見極めもプロらしい仕事です。

 ただし勤務医の労働環境は教員よりさらに苛酷。私の元同僚の御夫君は、大学病院の医師として、定年退職まで40年以上も年間3日(大晦日から正月2日まで)しか休まない生活を続けて来たそうです。それなりのやりがいもあったのでしょうね。

【私はいかに?】
 さて、翻って私です。
 他人の生活に失礼な憶測をしておいて、じゃあお前はどうかと言われれば、私の生活も外から見れば「何が楽しいのか分からない」ということになりそうです。
 悠々自適と言えばその通りですが、だれからも圧力をかけられない代わりに誰からも期待されない人間関係の辺境。
 晴耕雨読・専業主夫。知を楽しみ作物の生育と収穫を楽しむ。しかしそんなものはなくてもかまいません。そんなに楽しくもなく、どうしてもやりたいわけでもなく、他にないからやっているだけのことです。
 退職金と多少の貯えもありますが、職業人である間に楽しいことの基準が変わってしまい、時代遅れになったり時流に乗り遅れたり――そもそも齢を取れば金のかかる遊びも楽しいとは思えず、今さらスカイダイビングだのスキューバだのバンジージャンプだの、そういうことにも興味がわきません。しかし生きている。

 そしてようやく私も理解するのです。
 たしかに世の中には生きがいをもって仕事をし、楽しく生きている人もいますが、楽しむこと自体は人生の目標ではない。人生に目標がなければいけないという考え方も間違っています。

 多くの人々は淡々と自分の人生を受け入れ、ときに楽しく、ときに面白く、少々の苦しみと喜びを味わいながら生きているのです。若い時ならともかく、ある程度の年齢になると犬や猫が自分たちの存在理由を問わないように、私たちもいちいち考えずに生きることができるはずです。

 しかしそれでも、同じ生活を何十年も続けて行けるものなのか――私はふと疑問に思いました。


(この稿、続く)
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2022/6/15

「死後、家族に禍根のタネを残したくないと思えば」〜かくも厄介な人生の終末C  人生


 結婚して三十余年。ひたすら働いて、遊ぶ暇も金を使う暇もなかった。
 おかげでそこそこの財産を残し、子に引き継げるのだが、
 金を渡す作業は思いのほか難しそうだ。
 そして、後悔はしていないが、こんな人生でよかったのかと、ふと思った。

という話。
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【教員は社会を知らない、常識を知らない】 
「学校を卒業してそのまま学校に入ってしまった教員は社会を知らない、常識を知らない」
といった言い方があります。いまだに意味が分からない面もあるのですが、確かに、残業手当もなく月に80時間も100時間も時間外労働をする人間が「常識を知っている」というのはおこがましでしょうね。また、教育の話しかしませんから会話が噛み合わないこともあるかもしれません。
 世間の人が良く知っているファッションの話だとかプロ野球の話、ゴルフの話やグルメの話なども、そのうちのひとつくらいならできる人も少なくありませんが、二つ以上となると困難です。
 教員の仲間内でも、財テクや車について水準以上の技能を語る人がいると、
「オマエ、俺が教材研究をしている間にそんなことを勉強していたワケ?」
と口には出さないものの、白い目で見たりします。少なくとも私はそうでした。多分に嫉妬心があったのも事実ですが。
 そういう意味では、確かに社会も常識も知らない。


【実感がないけれどそれも資産】
 ということで何も知らない私がいよいよ自分の資産について考えるとなると、世界はあまりにも混とんとしています。とりあえず私が死んだら相続税はどれくらいかってだれが払うのか、というところから始めなくてはなりません。

 あれこれ調べて結論を言うと、相続税は3000万円+600万円×法定相続者数が基礎控除額で、私の家の場合は妻・娘・息子の三人が相続人ですから4800万円までは無税ということになります。
 いくら何でもそこまでは持っていませんが、何しろケチで金を使わない家ですから退職金がそのまま残っていて他に蓄えもあります。さらに鬼門は土地と家屋。
 近所には空き家がウジャウジャあって、そんな中で、実際に売れば土地を更地に戻す費用を差し引いて200〜300万円にしかなりそうにない土地・家屋が、相続税評価では1100万円にもなってしまうのです。現実には、売れないから壊すしかない家屋にまで評価額がついています。

 さらにその上、母が亡くなれば遺産も入ってくる。手元にないのでまったく意識していませんでしたが、父が亡くなったときの私の取り分も丸々預けてありますから、これも少なくない――ということで恐る恐る計算したら、何と、
 やはりまったく足りませんでした。ホッ。
(何が「ホッ」だ)
 しかし相続税の申告というのはメチャクチャ面倒くさそうなので、残さないことも遺族孝行でしょう。

 相続税の控除額(3000万円+600万円×法定相続者数)というのは案外低いハードルです。何らかの理由で「固定資産税ばかり払わせられてかなわんなあ」と思いながら持っていた土地が、相続の時にとんでもない資産として登場したりするわけですから、気をつけなくてはいけません(財産持ちの方は)。


【死後、家族に禍根のタネを残したくない】
 私が死ぬにあたって(ナンダ?)気になっていることのひとつは、二人の子どもにかけたお金の違いです。娘のシーナは大学を出るとすぐに就職しましたが、弟のアキュラは理系ということもあって大学院に進学しているのです。その差2年間の学費と生活費は、合わせると450万円ほどにもなります。
 今のシーナはそんなことはオクビにも出しませんし、実際に「弟の方がたくさん使ってもらって」などと言う子ではありませんが将来のことは分かりません。貧すれば鈍するということもありますし、何らかの理由で仲たがいすることだってあるのかもしれません。それに何より、私の気分がよくない。
 
 だからといって、私の遺書に「大学院にいったのだからアキュラの分は450万円少なくネッ」とか書いてあったら、納得できる話でしょうが気分は良くなさそうです。
 そうなると二人の子持ちで経済的にも大変なシーナに、生前贈与として450万円ポンと渡してしまえばすっきりします。私の妻は今も現役でバリバリ働く妻がいますから、そのくらいドサッと貯金が減っても苦にならないのです。
 ところが、これが案外難しい。

 贈与税の基礎控除額は110万円。それを越えると越えた分の2割が贈与税になります。つまり450万円だと68万円も払う羽目になるのです。ヤレヤレ。
 しかたないので4年間に分けて渡すにことにします。そのたびに書類で証拠を残さなくてはなりません。


【こんな人生でよかったのかな】
 世の中には今日の生活に苦慮している高齢者がいくらでもいるのに、遺産の残し方で頭を痛めるなんて贅沢な話です。しかしそれが夫婦で30年間、泊りの家族旅行は2回しか行かず(ディズニーランドとUSJ)、外食といえば3か月に1度くらいしか行かずに働き続けた教員夫婦へのご褒美です。
 そのご褒美も、結局、使われないまま子どもたちのものになっていきます。後悔はしていませんが、こんな人生でよかったのかという疑問はあります。

 ああ、死ぬまでにもう一度、冷凍ものではない本物ウナギのかば焼きを、専門店で食ってみたいものだ!

(この稿、終了)
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2022/6/14

「『終活にやること10選』を考察する」〜かくも厄介な人生の終末B  人生


 とりあえず「終活」が分からないので調べてみた。
 すぐに見つかったのが「終活にやること10選」。
 ひとつひとつを見て行くと、
 この世界、案外、楽で難しいものだ

という話。
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(写真:フォトAC)

【終活にやること10選】 
 さて終活だと机に向かってハタと困ったのは、そもそも終活って何をするのかということです。そこでNDN(ネット大好き人間)としてはとりあえず検索に走るのですが、いきなり箇条書きされたものが出てきます。
「終活にやること10選」

 それによると、
(1) エンディングノートを作る
(2) 資産を見直す
(3) 遺言書を作る
(4) デジタルデータを整理する
(5) 不用品を片付ける
(6) 断捨離をする
(7) 葬儀の準備・予約をする
(8) お墓の準備・希望をまとめる
(9) 人間関係を整理する
(10) 今後の生活について考える
 よくわかりませんが何となく全部を網羅している気がします。そこで1番のエンディングノートから見て行くことにします。

【エンディングノート】
 エンディングノートについては昔、葬儀社組合みたいなところからもらったものがありました。見ると最初の項目が自分史。学歴だとか職歴だとか、あるいは座右の銘だとか思い出だとか――それらは人生の足跡を残したい人には必要かもしれませんが、私には必要ありません。
 次の項目の「親戚や友人の名簿」はなければ困りますが、年賀状用ソフトがあってその住所録が使えますから、心配ならプリントアウトしておけばいいでしょう。

 次は、もはやいかにもありそうなことですが、万が一のときの私に対する処しかた。
「病名や余命告知は必要か」「臓器提供の意思はあるのか」「治療はどのあたりまで行うのか」といったことで、これは大切です。しかし私が倒れたとき、まず「エンディングノートを見よう」と思いつく家族がいるとしたらむしろ悲しい。
 やはりこういうことは日ごろから口にして意思疎通しておくべきでしょう。介護をどのように受けるかといった点も同じです。

 エンディングノートの4項目が財産に関するページ。これについては「資産の見直す」「遺言書を作る」に関わる部分で、大切ですから別に考えましょう。「デジタルデータを整理する」もほぼ同じ内容です。私の持っているエンディングノートはこの部分が2ページほどしかなく、だいぶ足りない気がしました。

 最後が葬儀と墓に関する部分です。しかしさすが葬儀社組合のエンディングノート、この部分がやたらと詳しくなっています。
「訃報連絡をしてほしい人」「しないでいい人(これ、ひとによっては大事かもしれない)」「葬儀の形式・宗派」「会場」「遺影の指定」「葬儀に飾ってほしい花」「葬儀に使ってほしい音楽または映像」「読み上げてほしい自分自身の言葉」「式場に飾ってほしい趣味の品々」「棺に一緒に入れてほしいもの」等々。
 そこまで自分の葬儀にこだわる人もいないと思いますが、逆に言えば連絡先や葬儀の形式、会場・遺影などはこちらで指定しておけば残された者は楽、ということもあります。考えておきましょう。
 
 お仕着せのエンディングノートは便利と言えば便利ですが不足も過剰もあり、私としては項目だけ参考にして、Wordか何かで別に自分なりのものをつくっておきましょう。


【断捨離は必要なのか? ゴンベがタネ蒔きゃカラスがほじくる我が家】
 「終活にやること10選」の5番目と6番目の「不用品を片付ける」と「断捨離をする」ですが、私の弟が20年ほど前からものすごく熱心で、勢い余って94歳の母の家にまで手をつけ、おかげであれこれなくなって不自由しています。

 そもそも断捨離はモノを整理して空間を広げ、仕事や生活の効率を上げるためのものです(と私は思っています)。整理は必要ですが、十分な空間のある人は何も捨てることはない。私の家も母の家もそうですが、田舎のそこそこの家で、子どもたちが自立した後は少なくとも子ども部屋が丸々空いていて物置代わりに使えます。すると、
「そんなにたくさんモノを置いて、残された人間に整理させるつもりか」
という話になりますが、自分が断捨離する代わりに業者を雇うだけの金を残せばいいのです。悩んで選んで捨てる労力を金で買うのです。その金が現金でほしければ、残された家族が断捨離すればいいだけです。

 我が家では私が整理好きで比較的自然に断捨離を行っていますが、そうやって作った空間を妻が次々と埋めていきます。妻には年上の友人がたくさんいて「遺品のつもりでもらってちょうだい」とか言われて他人の断捨離に付き合わされ、とりあえず必要のないモノがどんどん増えていきます。
 「ゴンベがタネ蒔きゃカラスがほじくる」方式の我が家ですから、「不用品整理」も「断捨離」も諦めざるを得ません。
 それで困ることもなさそうですからけっこうでしょう。


【残された問題】
 7番目の「葬儀の準備・予約」はちょっとした衝撃でした。というのは社会科教師として、民法を扱うとき、
「婚姻届けは本人が出さなくてはいけません。1人だけでもいいのですが必ず本人が行きます。しかし死亡届は本人が出向く必要はありません。怖いですから」
と言って笑いを取るのがテッパンだったからです。それを、葬儀の予約ができるとは!
「スミマセン、私、来月10日に死ぬので12日あたりに葬式をしたいのですが予約取れます?」
とか言うのでしょうか?

 調べるとこれは日にちを定めない予約で、予め葬儀の形式や希望を伝え、費用の一部を支払っておくといったもののようです。身寄りのない人には特に便利みたいですが、私のところは菩提寺が決まっているから関係ありません。
 また墓は、死んだ父のいるところがありますからこれも問題ないでしょう。

 9番の「人間関係を整理する」――これって自然にできません? 面倒くさくて嫌な関係だって「終活の関係で、あなたとは今後おつき合いしません」では角が立つでしょう。
 10番目の「今後の生活について考える」は、“今の生活が続けばいい、大きな変化があったらその時に考えればいい”派の私には関係ありません。

 そうなると結局、終活というのは「資産を見直して遺言書を作ること」ということになります。少なくとも私にとってはそうです。

(この稿、続く)
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