2016/11/4

「絵画鑑賞の喜び」B〜ピカソは何をしたのか  芸術


 三十代も半ばを過ぎてスキーを始めました。
 娘が生まれて、いつかこの子にスキーを教え一緒に滑りたい――が表向きの理由ですが、腹の底には別の思いもあったのかもしれません。というのも、あとで気づくとそのしばらく前に映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットし、ゲレンデに松任谷由実の「BLIZZARD」がガンガン流れる、つまり空前のスキーブームの真っただ中だったのです。

 つまり私はもっともブームに乗りやすいタイプというか、他人が楽しんでいるものが我慢できない性質なかもしれないのです。量子力学だの現象学などは分からなくても苦になりませんが、普通の人がちょっと頑張って楽しんでいるスキーだとかダンスだとかロックだとか、さらに頑張ってクラシック音楽だとか芸術だとかは、できなかったり分からなかったりするのが嫌なのです。嫉妬深いのか、さもしいのか。

 音楽について言えばモーツアルト、文学ならドストエフスキーなどには狂信的な信奉者がいます。美術で言えばもちろんピカソです。

 幸いドストエフスキーは「罪と罰」から入ったので、とっつきの悪い「カラマーゾフの兄弟」も難なく通過して人気の理由も理解できるまでになりました。しかしモーツアルトとピカソはハードルが高すぎた――。
 モーツアルトは聞いても苦にならない心地よさはありますが、さっぱりいいように思えない。ブラームスやベートーベンのような重々しさとか荘厳さとか、奥行きの深さとかがなく、ひたすら軽くて鬱陶しいのです。
 映画「アマデウス」の中で、モーツアルトにイチャモンをつけようとする皇帝が、表現に困って苦しんでいると横合いからお付きの音楽家が耳打ちをする場面がありました。「音が多すぎる」と言うのです。まったくその通りだと思いました。ウザイのです。
 ただしこの問題、「レクイエム」を繰り返し聞いて、「アヴェ・ヴェルヌ・コルプス」など合唱曲に移り、さらに交響曲に戻っていくうちに、何となく解消されてきたのです。モーツアルトはやはりすごい!

 ところがピカソばかりはニッチもサッチもいきません。「ゲルニカ」や「泣く女」でどう心を動かしたらいいのかまるで分らないのです。

 ただしこれも大規模なピカソ展を観に行くとすぐに分かることです。

 多くの場合、芸術家には制作のピークというものがあります。
 デビューの時点にそれがあって後は鳴かず飛ばずという人もいますが、多くの作家は人生の後期にそれを持ちます。最晩年にもっともすぐれた作品を生み出すという人も少なくありません。
 いったん急速に上がった作品のレベルがそのままいつまでも続いき、いわば高原みたいな感じになって継続する人もいます。いつまでも同じレベルの作品を、次々と生み出すような芸術家たちです。安定しているといえば安定していますが、つまらないといえばつまらない作家です。
 しかしたいていの芸術家は人生に2〜3回のピークがあって、それぞれの時期に素晴らしい作品を何点も生み出しています。一昨日までにお話ししたダリやモネも、もちろんそうした偉大な芸術家のひとりです。
 ただしピカソは違います。彼はピークが何度も何度も繰り返される、いわば連山のような巨匠なのです。

クリックすると元のサイズで表示します  Wikipediaに要領よくまとめてありますが、彼の作品は、
「青の時代」(1901年〜1904年)
「ばら色の時代」(1904年〜1907年)
「アフリカ彫刻の時代」(1907年〜1908年)
「セザンヌ的キュビスムの時代」(1909年)
「分析的キュビスムの時代」(1909年〜1912年)
「総合的キュビスムの時代」(1912年〜1918年)
「新古典主義の時代(1918年〜1925年)
「シュルレアリスム(超現実主義)の時代」(1925年〜1936年)
「ゲルニカの時代」(1937年)
「晩年の時代」(1968年〜1973年)
と呼ばれるいくつものグループに分けられ、それぞれの時代で色調も作風も全く異なってます。そしてそれは画家の成長の過程ではなく、それぞれが独立して意味ある一群なのです。

 ピカソの本名はのもすごく長いことで知られ、、
 パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード (Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad)
と言いますが、その名前の数だけピカソがいて、それぞれ全く違った作風の絵を描き彫刻を残しているのです。
 その作品数およそ15万点(油絵と素描1万3500点、版画10万点、挿絵3万4000点、彫刻と陶器300点など)。
 それにもかかわらず1937年の2作品(「ゲルニカ」「泣く女」)だけを見せて何か感じろと言われても、そもそもが無理なのです。

 ピカソの絵がたっぷり見られるサイト(「MUSEY」)を見つけましたので、ぜひともご覧になってください。
 ネットで観るのは本道ではありませんが、それだけで理解できることもたくさんあります。



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2016/11/2

「絵画鑑賞の喜び」A〜モネ  芸術


 三十数年前、私は十年以上住んだ東京を離れ、田舎に帰る決心をしました。それなりに傷ついた帰還でした。
 その最後の年は“とにかく遊ぼう、東京を満喫しよう、学校や職場とアパートを往復するだけの生活を見直し、ここでなければできないことをしよう”と頑張った1年でした。具体的に言えば、演劇を見て音楽を聴いて、絵画を見るということです。そのひとつが国立西洋美術館で開かれた「モネ展」です。

 有名な「睡蓮」のシリーズはもちろんのこと、日本の浮世絵の影響をはっきりと示す「ラ・ジャポネーズ」や「国会議事堂」、「ルーアン大聖堂」も出展される大掛かりなものでした。そもそも「印象派」というグループの名前の元となった「印象、日の出」も展示されていたのです。
 その後、何回か「モネ展」と称するものを見てきましたが、あれほど大規模な展覧会はなかったように思います。

 しかし初めてのモネは私にとってさほどのものではなかったのです。何がいいのかさっぱりわからない――。大学生だった弟と一緒に行ったのですが弟の方も首を傾げている。
 結局、1時間半ほどかけて全部を回り、最後の部屋を出ようとしてまだ未練があり、その部屋の出口で何の気なしに振り返ったのです。そして20mほどの先の正面の絵が、特別な意味をもって立ち現れたのです。
クリックすると元のサイズで表示します 「ルーアン大聖堂、朝」です。最初見たときは何が描いてあるのかも分からなかったのに20m離れると朝もやの中に立つ聖堂の姿が鮮やかに浮かんで見えるのです。私たちは驚いて館内を逆進し、最初の部屋に戻って一からやり直しです。 見方を変えると、すべてが了解できました。

 印象派は形にこだわりません。形が正確なことを求められると絵画は写真にかなわないからです。印象派が生まれたのはちょうどそういう時代でした。
 そのかわり光に対するこだわりは強く、ルネサンス以降ひたすら暗くなってしまった画面を日本の浮世絵のように明るくする方法が模索されます。そのひとつが色の視覚混合です。
 パレットの上で絵具を混合するのではなく、キャンバスの上に重ね塗ることで色をつくるでもなく、目の中で混ぜ合わせる――カラーテレビを例にするとわかりやすいのですが、極端に言えば光の三原色だけで描いても、離れて見ると色は混ざり合い、それぞれの色彩となって現れるのです。印象派の画家たちが真剣に求めたのがそれです。

 モネも晩年に近づくと形はどんどん失われ、ただ光への希求だけが見えてきます。ですから例えば「国会議事堂」などはほとんど形がなく、近くで見ると何が描いてあるかさえ分からないのです。カラーテレビをルーペで見るようなものですから。
 昨日お話した「モネは本物を見ないとわからないことが多い」というのはそういう意味です。
 よく絵画展の会場で、絵に近づいたり遠ざかったり何度も繰り返して見ている人がいますが、それはそういう意味なのです。遠く離れないと絵が見えない、近づかないと技法が見えない、だからそうなります。

 以来私は、大きな展覧会には必ず足を運ぼうという気持ちになりました。



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2016/11/1

「絵画鑑賞の喜び」@〜ダリ  芸術


クリックすると元のサイズで表示します 東京の国立新美術館に「ダリ展」を見に行ってきました。今回は娘夫婦と孫、息子、つまり勤務のある妻を除く家族全員が一緒です。
 「今回は」と書いたのは10年前、上野の森美術館で開かれた「ダリ回顧展 生誕100周年記念展示会」にも私は行っていて、いたく感動したのでどうしても息子のアキュラに見せておきたかったのです。さらに、せっかく東京まで出かけるのだからそのついでに娘のシーナのところにも寄って、孫のハーヴをかまって――とか考えていたら、たまたま振替休だった婿のエージュも行きたいとのことで一緒に来ることになりました。
 息子のアキュラは美術作品をとても丁寧に見る性質なので、一緒に歩くにはとても便利なのですがさてエージュは? と気にしていると、これも負けず劣らず丁寧な性質で付かず離れず、ちょうどいいあんばいで鑑賞できます。ただし1歳4か月のハーヴはさすがにダメで、1時間もするとじっとしていられなくなり、シーナは十分な鑑賞ができなかったようでした。

 さてその「ダリ展」ですが、さすが新美術館の企画展です、質量ともに充実していて3時間近く、たっぷり見ることができました。

 中でも「初期作品」「モダニズムの探求」と題された2室の作品は、若きダリが印象派はどうか、キュビズムはどうか、古典主義はどうかと、自分の可能性を探ってありとあらゆる技法を試している様子が見られ、またそれにも関わらず将来の“ダリ”がはっきりと見て取れる作品もあって面白いものでした。
 そして思ったのですが、ダリは印象派といってもキュビズムといっても、あるいはバロックだのロココだのといっても、すべてそれに合わせた一流の絵が描ける他人なのです。

 先に進んで「シュルレアリスム時代」や「原子力時代の芸術」といった部屋に行くと、そこには見慣れた、そしてとてつもなく優れた作品がふんだんに展開しています。
 「子ども、女への壮大な記念碑」「引出しのあるミロのヴィーナス」「素早く動いている静物」「ポルト・リガトの聖母」などはダリのファンでなくても一度は見たことのある(見たような気がする)作品かと思います。

 私がどうしてもアキュラに見せておきたかったのは、モネとピカソとダリだけは本物を見ないとわからないことが多いからです。
 もちろんほかの画家も本物を見るがいいに決まっていますし、いつも思うのですが、「どうもわからない」「何がいいのか理解できない」という芸術家でも、その人の個人展で本物をで観ると必ず理解できる、好きかどうかは別にしても、その絵や画家を崇拝したり愛したりする人がいるよくわかる、とそんなふうになれるものです。しかしそれとモネやピカソやダリを見るのとではまったく意味が違います。

 ダリについていうと、米粒にまで絵を描けそうなその超絶技巧と作品自体の大きさです。
 今回の作品で言えばポスターにも使われている「奇妙なものたち」はわずか40.5 × 50.0 cmです。今回は出品されていませんが、ダリと言えば必ず引き合いに出される「記憶の固執」(「溶ける時計」とか「柔らかい時計」とも呼ばれる)は、わずか24.1cm×33.0cmしかないのです。
 そんな小さなキャンバスに、細密描写をまったく厭わない(と思われる)ダリがたっぷり事物を書き込んでいくのです。ですから画集で見ると一辺が3mも4mもありそうなほど大きな表現ができるのです。
 また、今回の出品作で最大と思われる作品「テトゥアンの大会戦」(304.0 × 396.0 cm)も、作品はバカでかいのに、部を見ると信じられないくらい細かに描き込んでいる部分があったりして、そうした細工を探して歩くだけでも楽しい絵なのです。

 コンピュータ・グラフィックがありとあらゆる描写を可能とするまで、私にとってダリは唯一の不可能な視点から不可能なものを描き出せる人だったのです。なにしろ、ダリはたった数回、絵筆の先で数ミリの点と線を重ねるだけで人間を表現できる人なのです。

 
*ただし、今回非常にがっかりしたことが一つあります。それは音声ガイダンスです。
 私は大きな展覧会では必ず音声ガイダンスを借りることにしています。
 何の先入観もなく絵を観ることも大切かもしれませんが、私には十分な鑑賞眼がないので、様々に知識で補てんしながら鑑賞するのを常としてきました。
 しかし今回の「ダリ展」の音声ガイダンス。担当は竹中直人なのですが果たしてどこまで原稿があったのか――。
 なんだか好き勝手な自己の感想を交えているみたいで、すっかりうるさくなって途中から外してしまいました。

550円、ほんとうにもったいないことをしました。そんなの初めてです。


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2016/10/24

「映画の題名に関するちょとしたウンチク」  芸術


 先週話題にした10月7日のNHK「歴史ヒストリア(「"日本語"を切り開いた"マンネン"な人びと」)」は今年89歳になった私の母も見ていて、
「日本語を創った人たちがいたのには驚いた」
というような話になりました。
 そこで元社会科教師、ウンチクタレの私としては一通りの日本語統一に関する蘊蓄話をし、昔の日本人は安易に外国語を使わず日本語に変換するよう努力したものだ、といったことを偉そうに話して聞かせました。

 ゲーテ曰く「男が教え、女が学ぶとき、勉強ほど楽しいものはない」
 その関係は、卒寿の母と還暦を過ぎた息子との間でも変わりません。

 その話の最後に、母がこんなことを言い出しました。
「そういえば昔の映画には素晴らしい題名のものがいくつもあったけど、最近はとんとそういうものは聞かないねえ」
 そして二人で「望郷」「慕情」「カサブランカ」「アラビアのロレンス」「天井桟敷の人々」と、思いつく限り古い映画の題名を挙げたのですが、ハテ? その中で原題とかけ離れた名訳といっていい邦題はいくつあるのか――本当のところは詳しく知らないのです。
 そもそもが老々介護みたいな二人ヨタ話ですし、そのまま済ませてもよいことかもしれませんが、いい機会です、いずれ別のところで話題にすることもあるかもしれないということで少し調べてみることにしました。

 そのうえで分かったことは、昔の方が素晴らしかったというのは間違いで、必ずしもそうは言えないということです。
 原題がいいので邦題も素晴らしいといった例も少なくありません。「カサブランカ」は“Casablanca”、「アラビアのロレンス」も“Lawrence of Arabia”とそのままです。そのままでいい。
 「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)」「ウエスト・サイド物語(West Side Story)」も同様です。
 しかし同じ直訳でも「第三の男」と“The Third Man”は同じニュアンスなのか、「裏窓」と“Rear Window”は同じなのかとなると少し微妙です。
両方ともかなりミステリアスな雰囲気のする日本語ですが、それもタマゴとニワトリで、「第三の男」や「裏窓」といった日本語にもともとミステリアスな雰囲気があったのか、、映画で使われたからそうなったのかはわからないところです。

 「天井桟敷の人々」はフランス語の原題で“Les enfants du Paradis(「天国の子供たち」)”。おそらくここで言う「天国」と「天井桟敷」は同じもので「子供たち」は「やんちゃな連中」といった意味なのでしょう。ただし題名としては「天井桟敷の人々」の方が圧倒的に良く、「天国の子供たち」では幼くしてなくした子どもたちへの追憶映画みたいなものしか想像できません。
 また「大人はわかってくれない」の原題は“Les Quatre Cents Coups”、意味は「400発の打撃」。これでは大人ばかりでなく子どももわかってくれません。もとはフランス語の慣用句に由来し「無分別、放埓な生活をおくる」といった意味のようです。

 母との話に出てきた「望郷」の原題は主人公の名前をそのまま記した“Pépé le Moko”。現代だったら「ペペ・ル・モコ」そのままで上映されたのかもしれません。
 「慕情」は主題歌が有名で原題と同じ“Love Is a Many Spendored Thing”。やはり直訳「愛は輝きに満ちたもの」では話になりません。
 よく似た「旅情」は“Summertime(サマータイム)”。だから何なん? といった話です。

 原題の方がはるかにつまらないと言えば「アパートの鍵貸します」の“The Apartment(アパートメント)”、あるいは「大いなる西部」の“The Big Country(大きな国)”――やはり昔の日本人は偉かったという気にもなってきます。

 比較的近いところでは「スタンド・バイ・ミー」。
 原題は“The Body(死体)”で、このまま邦題にしたら観客は来なかったでしょう。主題曲に使われたベン・E・キングのヒット曲は映画より四半世紀も前の曲ですが、映画の雰囲気にも趣旨にもピッタリで私は大好きです。

 「思い出の夏」は“The Summer of '42”。――ハァ、と力が抜けます
 名画「天使にラブソング」は“SISTER ACT(僧の出し物)”――アホでしょう?

 分かりやすいが映画の題名としていかがかと思うのは、
 「俺たちに明日はない」→“BONNE AND CLYDE(ボニーとグライド)”。
 「明日に向かって撃て!」→“Butch Cassidy and the Sundance Kid(ブッチ・キャシディーとサンダンス・キッド)”。
ともにアメリカでは有名人なのでしょうが、日本人には何のことかわかりません。

 「ランボー」の原題は“FIRST BLOOD(最初の血)”で、「どっちが先に手を出した?」みたいな意味らしいのですが、邦題に「ランボー」を持ってきたら本家のアメリカでも評判で、シリーズ化されてからは「ランボー」が共通して使われるようになりました。もっとも日本でヒットしたのには詩人のランボーがわが国で人気があったこととも関係しているようです。

 そのほか邦題の方が優れているものとして、
 「夜の大捜査線」→“In the Heat of the Night(夜の熱の中で)”
 「おしゃれ泥棒」→“How to Steal a Million(百万ドルの盗み方)”
 「愛と青春の旅だち」→“An Officer and A Gentleman(士官と紳士)”
 「華麗なる賭け」→“The Thomas Crown Affair(トーマス・クラウン事件)”
など、いくらでも見つかります。

 初めの方で「そこで分かったことは、昔の方が素晴らしかったというのは間違いで」と書きましたが、本当にそれを思い知らされたのは最近の二つのアニメーション映画のおかげです。

 「カールじいさんの空飛ぶ家」→“UP(上へ)”
 「アナと雪の女王」→“FROZEN(凍結)”

 ここまでくると「おい、アメリカ、しっかりしろ」と言いたくなる感じです。

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2016/9/6

「ユア・ロープ」  芸術


 「君の名は。」という題名のアニメ映画が流行っているみたいで公開わずか8日間で観客動員数212万7800人、興行収入27億1200万円を記録したといいます。子どもが小さかったころは別として、基本的にアニメ映画は観に行きませんから今回もこのままやり過ごしてしまうと思いますが、少し気にならないではありません。というのは「君の名は」と聞いて菊田和夫原作のラジオドラマを思い出すのは、私たちが最後の世代なのかもしれないからです。

 昭和27年の放送ですからもちろんリアルタイムで聞いていたわけではいません。しかし放送時間になると銭湯が空になったとか、主人公が「真知子巻き」と呼ばれる独特なストールの巻き方をしていたとか、主人公が後宮春樹と氏家真知子という名前だったとか、番組の冒頭が「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」だったとか――おそらくこれらすべては5歳になるまでに母親から教えられたことでよく覚えていますから、それだけでもブームの凄まじさは想像できます。
 さらに、私はこのドラマの題名を「君の縄」と誤解していた記憶が頭の隅にあり、一方で主題歌の「君の名はと、訊ねし人あり」という一節にも記憶がありますから、「縄」と「名は」の矛盾をどう自分の中に取り込んでいたのか、今となってはとても不思議です。

 不思議といえば当時流行していた「歌謡曲」でひとくくりにされる音楽はなぜか不倫めいた曲ばかりで、「忍ぶ恋」だの「許されぬ愛」だの――私も、分からないなりに、他に歌う曲もないのでいい気になって歌っていたものです、小学生の分際で。――ただしそれもしばしば間違っていました。

 あなたを待てば 雨が降る
 濡れて来ぬかと 気にかかる

 (「有楽町で逢いましょう」)

の「気にかかる」を「木に(寄り)かかる」と思い込んでいたのです。
 雨の有楽町で帽子を目深にかぶったトレンチコートの男が、たばこをふかしながら木に寄りかかっていると、そんな感じです。

 当時、普通の家にレコードプレーヤーはなく、あってもレコード自体が相当に高価でしたからおいそれと買えず、歌詞カードなどといったものもめったお目にかかりませんでしたから、歌はラジオで聞いて耳から覚えるものでした。一発で覚えないと次はいつ聞けるかわかりませんから神経質な勝負です(もっともそういう時代ですから音楽の方もかなり単純にできていて、覚えるのもそう難しいことではなかったのです。ビートルズですら初期の曲はとても簡単です)。

「君の縄」も「木にかかる」も結局私に何ももたらしませんでした。けれど同じ歌詞の覚え間違いでも一流の作家の手にかかると珠玉のエッセイにつながったりします。
 向田邦子さんは滝廉太郎の「荒城の月」の「めぐる杯」の部分を「眠る杯」と勘違いしていたそうで、そのことで一本エッセイを書いておられます。さらにその時期のものをひとまとめにしたエッセイ集の題名も「眠る杯」です。

 私がエッセイ集「君の縄」を出しても、何やらいかがわしい本と誤解されそうですのでやめておくことにします。

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2016/5/23

「どうしてあんなヤツに」  芸術


クリックすると元のサイズで表示します 散々迷ったカラヴァッジョ展、先週土曜日に息子のアキュラも誘って行ってきました。
 いくら何でも若冲展を上回って混むことはないだろう、2時間待ちくらいなら我慢しようと出かけたのですが、チケット購入に15分並んだだけであとはスイスイ入れました。中は混んでいる展示室もありましたが、大型展覧会の終盤だということを考えるとほぼ「こんなものかな」という感じ、さほど苦痛を感じることもなく約2時間の鑑賞を終えて出ました。

 しかし残念だったのはカラヴァッジョ自身の作品は11点しかなく、あとは彼の影響を受けた同時代の画家たち(カラヴァジェスキと言うらしい)の作品50点余りで、全体はいわば「カラヴァッジョと彼の影響を受けた画家たち展」ともいうべきものだったことです。それだとどうしてもカラヴァッジョ個人の雰囲気とか感じとかを嗅ぎ取ってくるところまでは行きません。よく見れば案内書に書いてあったのに、うっかり見落としました。

 私には「どんなに理解しがたい画家でも、その人の生涯に渡る変遷を本物の作品で見れば、必ず分かる」という確信があります。それはこれまでの経験から出たかなり強い信念です。
 ですからピカソだのゴーギャンなど私の感性ではうまくつかめない画家の展覧会には、むしろ積極的に参加しようとしてきたのです。今回のカラヴァッジョ展もその範疇にあって、バロック期やルネサンス期、あるいはそれ以前の絵画や彫刻というのはどうもしっくりとこない、よくわからないのです。

 もちろん知識として価値や芸術性を理解することはできます
「その革新性はなによりも、美術において初めて写実主義・自然主義を確立し、身近な静物を触れそうなほど本物そっくりに描き、聖書の物語を日常で起こりうる現実のドラマとして表現したことにあった。彼の出現によって、絵画は絵空事や理想世界を描くものではなく、見えるものをそのまま写し取る現実の鏡になったのである。それを可能にしたのは、彼の卓越した技術と、宗教への独自の理解であった」
なるほど、カラヴァッジョの描く果物や花はどれもこれも手を伸ばして取りたくなるほどみずみずしく鮮やかです。今回の展覧会の目玉である「法悦のマグラダのマリア」(世界初公開)の恍惚とした表情は、まさに日常起こりうる恍惚と同じものでしかも「法悦」名にふさわしい気高さをも持っています。不謹慎にもマグラダのマリアの生業を想起させ、しかしそれでいて卑猥ではない。それは誰も思いつかない発想で、しかも誰にも真似のできない技法で描かれている――そんなふうにひとつひとつに感心しながら、ひとつひとつ感心するからむしろ入ってこない、そんな感じです。
 基本的には勉強不足です。心に留め、時間をかけてこの時代の絵画に向き合っておこうと思いました。

 ところでカラヴァッジョ展を観に行きたいと思ったことには、作品の芸術的・歴史的価値以外に別の要素もありました。それはカラヴァッジョ自身の生き方です。
 彼は典型的な無頼漢、発火点が低くすぐに怒りに火の着く乱暴者で、手に負えない呑兵衛・チンピラです。一か月絵を描くと三か月飲んで暴れまわるという生活を続けていたようです。そのあげくにつまらない喧嘩で人を殺しローマを追われることになります。しばらくナポリに隠れて作品を描き続け、法王に一歩近づこうとマルタ騎士団に潜り込んだり、そこでまた喧嘩してナポリに戻ったりといった生活を続け、最後は法王の恩赦を求めてローマに向かう道すがら熱病のために亡くなります。38歳でした。彼が画家として活躍できたのはわずか17〜18年間ほどのことです。
 私はそうした無頼漢に心を寄せるタイプではありません。むしろ腹を立てる人間です。話を聞くだけでイライラします。

 映画「アマデウス」の中で主人公のひとりサリエリがモーツァルトを指して「神はなんであんな男に天才を与えたのか」と嘆く場面がありました。僭越ながら私も同じです。カラヴァッジョがもっとまともな人間だったら、私ももっと素直になれるのです。あんないい加減な男が天才で歴史に名を残し、私のようなまじめで誠実な人間が凡才で無名のまま終わる――もちろん本気でそう思っているわけでもありませんし、カラヴァッジョと並べて考えることすらおこがましい話ですが、それでも面白くない。
 最近では清原和博元プロ野球選手について、世の中には才能に欠けるために虚しく球界から消えていったプロ野球選手が山ほどいるのに、そして本人ですら「野球がなかったら極道になっていた」というような人間なのに、神様はなぜこんな男に才能を与えたのかと、イライラしました。考えてみれば野口英世だって太宰治だってみんなその部類の人間です。
 海外ではスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグは天才でしょうがやはり面白くない、嫌な感じです。部下にもなりたくないし友だちにもなりたくない(お金持ちだから友だち付き合いくらいはしてもいいかな?)。

 私は神の微かなしかし確実な信仰者ですが、ときどきその思惑のわからなくなる時があります。


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