2022/6/20

「二つの美術展を観て、西郷さんを探して・・・」〜上野公園に行ってきた  芸術・音楽


 所用があって久しぶりの東京。
 せっかく来たのだからと上野恩賜公園に遊んだ。
 展覧会を観て、西郷さんを探して――
 これで私の思い残しもひとつ減った。

という話。 
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(写真:フォトSuperT)

【二つの美術展をハシゴしてきた】 
 所用があって娘の家に行ったついでに、ふたつの美術展を見てきました。
 東京都美術館の「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」と、
 国立西洋美術館の「国立西洋美術館リニューアルオープン記念 自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」
です。

 両方とも有名美術館の収蔵品展で、私はこういうのが苦手です。特に東京都美術館の方は日本では無名に近い画家の絵がたくさんあって、少し楽しめない感じがありました。ルネッサンス期のスコットランド絵画と言われてもピンときません。
 よほど絵画史に詳しい人か、絵画を絵画として純粋に理解したり楽しんだりできる人でないと無理なのかもしれません。やはり私には鑑賞者としての能力に欠ける部分があるようです。

 国立西洋美術館の方はドイツと日本、それぞれの偉大な収集家の所蔵品を揃えたもので、展示されているのは有名な画家の絵画ばかり。さすがに見応えがありました。
 こう言っては失礼ですが、スコットランドの有名画家と世界的画家との間には、絵の分からない私にもはっきりと感じられる力量、才能の違いがあるようです。
 ただし、個人展ではないので題材や画風が作品ごと異なり、作品ごとにいちいち気持ちを切り替えて鑑賞しなくてはなりません。それがけっこう難しいことでした。

 一年に1〜2回しか行かないのでどうしてもメジャーな美術展になります。しかしもっといい展覧会もきっとあるはずです。


【西郷さんを探して――】
 さて、やや消化不良気味で上野公園をあとにしようとした私は、突然思いついて懸案のことをしようと決心します。西郷隆盛像を探すという仕事です。

 この20年間だけでも20数回は上野公園に来て、そのうち最低5回は西郷さんの銅像を探したのですが、ついぞ見つけられずにいるのです。そんなバカなと思われるかもしれませんが、上野公園の南端にあるはずの、犬を連れた西郷隆盛の巨大像が、どうしてもみつからない。
 私は極端な見栄っ張りですが、見栄っ張りでなくても数十メートル以内にあるはずの銅像を「どこにありますか?」と訊ける人も少ないと思います。私が何度も行ったり来たりしても見つからない像ですから、もしかしたら案外多くの人たちが知らないのかもしれません。うっかり聞いて恥をかかせてもいけません、などと様々に言い訳して今日まで来ましたが、そろそろ私も今生の別れかもしれないのです。そこで今回は地図を頼りに、そこまで行くことにました。
 そして、見つけました。

 上野公園最南端の上野警察署公園前交番から公園に入り、幅の広い長い石段を登り切って、右手後ろに商業施設「上野の森さくらテラス」屋上出入口を見て、左前にレストランとカフェの複合施設「グリーンパーク」を確認し、その間を真っ直ぐに上野動物園方向に歩いて50mほど。そこで止まって右向け右! するとちょうど正面に西郷隆盛像はあるのです。
 分解写真風に並べると、こうなります。
*分解写真なんて言葉、平成以降生まれは聞いたことないだろうな。

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 写真は意図して右だけを見ながら写していますが、まっすぐ前を向いて歩けば進行方向に対してほぼ直角の位置で、時間にして4〜5秒間だけ見える風景です。これでは気がつかないわけです。

 年来の謎が解けました。これで上野公園に思い残すことはありません。そしてこんなふうに懸案をひとつひとつ潰して、なんだかほんとうに死出の準備をしているような気がしてきました。
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2022/2/21

「とつぜん思い出した詩の一節が妙に感慨深かった話」〜三好達治の「雪」  芸術・音楽


 久しぶりの大雪が降った日曜日の朝、
 次郎さんの家を訪う妻に、詩の一節を話した。
 曖昧な記憶をもういちど確認し直すと、
 何か懐かしく暖かなものが沸き上がってきた。

という話。
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(写真:フォトAC)

【次郎さんの雪かきと三好達治の二行詩】
 昨日の朝、妻が20歳も年上の友人に電話して、頼みごとがあるので伺っても良いかと話をしていました。元教師の女性です。
 その際、ずいぶん降ったがそちらの雪は大丈夫か(自家用車で入れるか)と訊いたところ、ちょうどいま夫が雪かきをしたところだから、安心して来なさいとのことでした。

 御夫君は名前を田宮次郎といい、字は違いますが往年の大スターと音が同じです。容姿はまったく違う80歳代の好々爺。その次郎さんが雪かきをしている姿を想像していたら、ふとひとつの詩が浮かびました。
「太郎の家に雪降り積もり 次郎の家に雪降り積もり」

 妻が「何、それ?」と訊くので、
「あれ知らないの? 荻原朔太郎の詩だよ」
と言いながら、不安になってネットで調べると朔太郎ではなく三好達治です。
 妻には「そうだよね。朔太郎ならこんな暖かい詩は書かないよね。『氷を愛す』だもの」と訂正しましたが、これも朔太郎ではなく室生犀星でした。しかも詩の冒頭は「我は張り詰めたる氷を愛す」。「氷を愛す」だけだと「氷はアイス」と勘違いされそうです。

 太郎と次郎の雪の詩も、多少違っていて、元は、

   雪       三好達治
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。


 それを聞いた妻が、「ちょっとメモするから待って」といい、なぜか筆と半紙を持ち出してサラサラ書くので、「その半紙、ボール紙に貼ってお土産にしたら?」という話になってでき上ったのが下の写真です。
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*いま気がついたのですが、「雪 降りつむ」は間違いで「雪ふりつむ」が正しい表記です。


【太郎は誰? 次郎は誰?】

 ところで、私の参照したサイトでは、「太郎と次郎は兄弟か」とか「暗示される母の存在」とかいう話があって、ちょっと首を傾げました。どうしてそういう解釈になるのでしょう?
 太郎というのは広く「日本の男の子」という意味で、特定の誰かをさすものではありません。「ポチ」と言えば多くの場合「従順な犬」という意味でつかうのであって、特定のポチの話をするためには何らかの修飾をしないと話が通じなくなるのと同じです。太郎・次郎と聞いても、「南極物語」の二頭の犬を思い起こす人はいないでしょう。

 だから太郎の家の屋根に雪が降り積もり、次郎の家の屋根にも雪が降り積もりというのは、「あっちでもこっちでも」といった程度の意味で、特定のどこかの家ではありません。雪はそんなふうに誰かを狙って降ることはできないからです。
 また、太郎を眠らせたのが母親なら、文脈上、屋根に雪を降り積もらせたのも母親でなくてはなりません。けれどそんなことはありえない。

 雪の降る夜は恐ろしく静かで、その静けさによって太郎や次郎を眠らせ、その家を包み込んでしまったのは雪です。したがって「ふりつむ」は「降り積む」ではなく、むしろ「降り詰む(包み込む、ふさぐ)」という意味になるのだと私は思います。
 ふんわりと暖かな雪が町全体を包み込んでしまうさまは、私たちの原風景とも言えるものです。三好達治の「雪」は山村風景を思い起こしやすいものですが、都会の住宅地だってかまいません。

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2021/12/16

「ドラマはプロデューサー・脚本家・演出家で選ぶ」〜ドラマの正しい選び方  芸術・音楽


 二日に渡ってテレビドラマの悪口を言ってきたが、もちろん秀作もある。
 マンガを原作としたものはほぼ間違いない。
 「一に脚本、二に役者、三に演出」ともいう。
 しかしプロデューサーも含めたヒット・スタッフ・セットというのもあるのだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【NHKの底力、民放の底力】
 マンガを原作としているテレビドラマには、いちおう挨拶をしておくことにしています。実写にして魅力の薄れるものも少なくないみたいですが、そもそも原作の方を読まないので私には分かりません。ただ、すでにマンガで定評を得たものを実写にするわけですから、一定以上の作品には仕上がっているはずです。今年で言えば夏のドラマ『ハコヅメ〜たたかう!交番女子〜』が面白い作品でした。
 ところがこの『ハコヅメ〜』、第4話が放送されたところで主演の永野芽郁さんが新型コロナに感染。2週間に渡って特別編を放送することになったのです。第3話放送時点ではまだ感染は明らかになっていなかったのですから、実際には放送できるストックが1週間分しかなかったわけです。
 これと対照的なのがNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』で、これは2020年4月1日に撮影中止が発表されてから6月第一週(7日)まで、何と2ヵ月1週(全11回)分ものストックがあったのです。NHKの巨大な予算と時間を物語るものですが、逆に言えば、民放には低予算で次々と作品を出す底力があるという見方もできそうです。
 ちなみに「ハコヅメ〜」主人公の勤務する町山交番の、外観は生田スタジオ敷地のオープンセット、内部はスタジオ内。町山警察署の外観は東村山市役所を借りたと言います。俳優のギャラにはそれほど差はつけられそうにありませんから、民放もそれなりに頑張っているということでしょう。


【プロデューサーや脚本家・演出家で作品を選ぶ】
 それが一般的かどうか分からないのですが、私の家のビデオレコーダーは予約しなくても新しいドラマを次々と録画してしまう機能がついています。したがって何の予備知識もないのに第一回を見落とさずに済む、ということが可能になります。この秋、おかげで出会うことができたのがTBS『この初恋はフィクションです』です。深夜0時過ぎの放送ですので、VTRの機能がなければ見ることのなかった番組です。

 「TBSスター育成プロジェクト」というオーデション番組で選抜された若者が中心の学園ものラブコメディで、知っている役者さんはほとんど出て来ません。直前まで素人同然だった俳優ばかりで、時々ぎこちない演技もあったりしますがそれも初々しく、妻などは、
「ババア(自分のこと)がキュンキュンしてしまう」
などといってBGD(バックグランド・ドラマ)ではなく、テレビの前で正座してみています。
 私は、なにも最初からこうした若者向け番組を見ようと思ったわけではありません。ただ番組紹介に「秋元康 原案・企画」という一行があり、しばらく前のテレビ東京『共演NG』がやはり「秋元康 原案・企画」が面白かったので見る気になったのです。

 そんなふうに、タイトルや出演者によって見るのではなく、プロデューサーや脚本家・演出家が誰かによって作品を選ぶことは少なくありません。「一に脚本、二に役者、三に演出」と言いますから正しい見方でしょう。
 私が好きな脚本家は(倉本聰・山田太一といった大御所を除けば)宮藤官九郎・北川悦吏子・野木亜紀子・中園ミホ・奥寺佐渡子・金子茂樹といったところです。


【ヒット・スタッフ・セットによる、この秋一番の『最愛』】
 この秋、そうしたスタッフの観点から選んだのが、吉高由里子主演のTBSドラマ『最愛』でした。
 プロデュースが新井順子、脚本が奥寺佐渡子・清水友佳子、演出は塚原あゆ子、音楽が横山克という組み合わせは、かつて『Nのために』『リバース』を仕上げたチームで、このメンバーから脚本家を野木亜紀子に代えたのが『アンナチュラル』のメンバー。いずれの作品も音楽に特徴があり、作品のどこにも破綻のない良質の推理ドラマでした。

 明日最終回となる『最愛』にしても、よく見直すと実に細部が丁寧。例えば番組後半で問題となる所有者限定のペンは、第一回でも第二回でもさりげなく映像に残されていますし、あとで回収されるべき伏線らしきものがあちこちに散りばめられています。主人公の父親が殺人現場に出くわした時、陰で動いている人影のようなものは何なのでしょう?
 私はこうした丁寧で誠実な仕事が大好きです。



(以下、私と娘のシーナがLINEで交わした『最愛』の推理物語。ハズレたら削除します)
         ↓
 推理を外しましたので、予定通り削除しました。

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2021/12/14

「重いテーマを淡々と、あるいは軽々しく」〜ドラマの中で浪費される人々の苦悩@  芸術・音楽


 テレビ・ドラマは社会の重いテーマをどのように扱うことができるか。
 同じ清原伽耶を主人公とする「透明なゆりかご」と「おかえりモネ」
 脚本家も同じ安達奈緒子なのだが、
 描かれ方はまったく違う。

という話。
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(写真:フォトAC)

【「透明なゆりかご」〜重苦しいことを淡々と】

 昨日の話の中で、清原果耶という優れた女優さんについて少し触れました。私が字幕付きで見て感心したのは、NHK朝の連続ドラマ「おかえりモネ」でのことです。
 ただしこの人に注目したのはこれが初めてではなく、2年前のNHKドラマ「透明なゆりかご」で主演をしたときのことです。発達障害のある見習い看護師の役で、不器用で誠実で、いつも薄く不安を抱えているような揺れる心をうまく表現していました。当時まだ17歳でした。

 ドラマの原作は、漫画家の沖田✕華(おきた ばっか)さんの「透明なゆりかご 産婦人科医院 看護師見習い日記」。作者の実体験に基づいた物語で、主人公が小さな産院で働きながら、生まれてくる命の重さや大切さに気づいていくという内容です。

 私は沖田さんの作品はひとつも読んでいないのですが、発達障害を扱ったテレビ番組にたびたび出演していて、自身の主観に世界がどういうふうに映るか、どういった点にこだわりがあり、どのようにして社会と折り合いをつけているのか――そういったことをとても分かりやすく説明できる人で、聞いていてとても勉強になります。いわばマンガ界の草間彌生やムンクみたいな人なのです。

 その沖田✕華さんの原作を清原伽耶さんという将来を約束された女優さんが演じ、さらに脇をマイコ、水川あさみ、原田美枝子、安藤玉恵、平岩紙、モトーラ世理奈 、角替和枝、イッセー尾形といった一癖も二癖もありそうな俳優さんたちで固めるわけですから、面白くないわけがありません。

 脚本は安達奈緒子という人でした。この人が再び清原伽耶を主人公に据え、オリジナルに書いたのが「おかえりモネ」という構図になります。NHKの朝の連ドラですからほかの出演者も豪華キャストになるのは明らかです。当然、大きく期待して、VTRながら夫婦で毎日見始めたのです。ところがそれはとんでもない期待外れ、途中からは腹が立ってまじめに見ることもやめてしまいました(妻が見続けたので、私も最後までお付き合いはしたのですが)。


【「おかえりモネ」〜重いテーマを軽々と】
 何がいけなかったかというと、物語の中にちりばめられたエピソードが多すぎるのです。
 宮城県気仙沼市の亀島(架空の島)に生まれ育ったモネは、高校を卒業すると登米市山中の森林組合に就職し、そこで気象予報士になる決心をして受験。3回目で合格すると東京のテレビ局に就職。数年勤めたあとで気仙沼に戻ってコミュニティFMの天気予報担当になります。
 もともと東日本大震災に心の傷をもつモネは、高校を出てから森林問題・海洋資源問題、後継者問題、あるいは地域医療の問題等に深く悩み、東京に出てからは各地で頻発する災害に心を痛め、妻を亡くした友人の父親の問題にも触れ、両親の過去の恋愛話あり、本人の恋愛ありと全く盛りだくさんです。

 確かに5カ月間(120回)に及ぶ長丁場ですから、場所を変え、手替え品替えあれこれやらなくてはならないのも分かりますが、その扱いが悪い。
 例えばのちの婚約者の、「死期の近い患者に寄り添えない医師の悩み」というのはそれだけで1本の長編映画ができそうな重い内容なのに、深く悩んで軽く扱われる。車いすのアスリートを気象の側面から支えるというテーマは、これも十分に重いが2週間足らずで克服。シェアハウスの住人には長期のひきこもりもいるというのに、姿の見えないまま思わせぶりだけ残して消える。
 さらに東日本の大震災の避難の際中、担任するクラスの児童を置き去りにして自宅の様子を見に行こうとしてしまった女性教師だの、津波避難に応じない祖母を見捨てて逃げた孫娘だの、どう言葉をかけたらよいのか分からないほど重苦しい問題も、何の解決もなく数日で終了。何もかもあっけなく通り過ぎて行きます。

「それが人生だ、人の苦しみなど他人にとっては単なる人生の一挿話に過ぎない」と言い切る覚悟があってのことならいいのです。
「おかえりモネ」に続く「カム・カム・エブリバディ」では太平洋戦争の末期に主人公の周辺の人々が、これでもか、これでもかというほど死んでいきますが、「それが戦争の実相だ」という明らかな主張があり、あっけない死はそれ自体に意味があります。ところがモネの場合、すべてが軽やかで何もなかったように過ぎていくのです。
 清原伽耶を始めとする一流の俳優たちの熱演がありながら、これではあまりにもお粗末です。

(この稿、続く)
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