2021/2/2

「緊急事態宣言下で頑張っている人たちを褒めてあげたい」〜今日は節分、感謝を込めて  政治・社会・文化


 今日は節分。今後は4年に一度ずつ、2月2日が豆まきの日になるという。
 新型コロナの新規感染者も、ここにきてずいぶん減ってきた。
 医療関係者はもちろん、飲食・観光・娯楽業関係者の人や一般の人たち、
 殊に若者が頑張ってくれたからだ。
 みんなに感謝し、褒めるべきところは褒めて、静かに追儺の夜を過ごしたい。

という話。
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(写真:フォトAC)

【格言カレンダー:今月の言葉】

 私の家のトイレには格言カレンダーと言っていいようなものが飾ってあり、毎朝それを見ながらじっくり反省し、用を済ませて出た後の生き方を考えたりしています。誰の言葉か分かりませんが、先月は、
「日常の生活を感謝の心で暮らせることが真に豊かな生活である」
でした。ハイ、私は豊かな生活を送っております。

クリックすると元のサイズで表示します さて、昨日は月替わりでしたので、朝、入る際に1月分をペロンと外して新しい月にしてから便座に腰を下ろしました。目の前にある今月の言葉は、
「褒められるより批判される言葉にこそ自分の真の姿がある」
です。そして考え込んでしまいました。
 ホントかな?


【褒めるのはけっこう難しいぞ】
 「巧言令色鮮し仁(コウゲンレイショクスクナシジン:巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、仁の心が欠けている)」とか言って、褒める言葉の中には仁も真実もないということかもしれませんが、そんなことを言ったら学校の先生などは児童生徒に対して仁もなければ真実もないことになってしまいます。もちろん叱ったり怒ったりすることも多いのですが、先生たちは自分たちの仕事を「子どもの良いところを見つけて褒めること」だと思い込んでいるからです。

 学校ばかりではありません。最近ではビジネス書にも「部下の褒め方」みたいなものがたくさんありますし、若者の中にも「ボク! 褒められて育つタイプです!」みたいな人がいっぱいいたりしますから、大人たちも年少者を褒めるよう心掛けているはずです。でも何でも褒めればいいというものではないでしょう。

 容姿に屈折した気持ちを持つ人に「キミは、いわゆるイケメンだね」みたいなことを言えば、それは皮肉かイジメか、はたまた言った上司が変なおじさんか妙な下心があるのではないかと勘ぐりたくもなります。心底からのものであっても不用意に容姿・しぐさ・言葉遣いを褒めたりすれば、特に相手が女性の場合、現代ではセクハラ扱いとなります。

 人には褒めてほしいこと、褒められたくないこと、密かに気づいてさりげなく言ってほしいこと、大げさに褒めちぎってほしいこと――いろいろあるのです。それを的確に判断して言わなくてはならないのですから上司も大変です。
 しかしそこまでやってきちんと褒めてくれる上司の言葉には、仁も真実もたっぷり含まれているはずです。


【批判に真実がないこともある】
 逆に批難の言葉こそ、真実でないものが含まれていることだってあります。お門違いもあればそもそも誤解から始まっていることもあります。

 私たちはしばしば勢い余って言いすぎてしまい、国会議員の蓮舫さんみたいにあとからツイッターで謝りたくなったりすることもあります。批判の言葉は刃(やいば)ですのでついつい研ぎ過ぎてしまうこともあるのです。言いすぎて結局、自分の方に戻って来てしまうことを自滅の刃と言ったりします。

 私は元教師ですので、今でも人を褒める方向で心が動きます。
 ひとを批難したあとは特に相手の良いところを探そうと努めます。その場ですぐに言えばとんだ弥縫策ですが、覚えておいていつか使って均衡をとろうと思ってのことです。
 現実としてはむしろ逆で、いつか批難したり怒鳴り上げたりする日が来ないとも限らないので、日ごろから褒めたり親切にしたりしておこうと、そんなふうに心がけています。
 そういうことで、今、一番気になっているのは東京都のコロナ感染事情です。


【褒めればいいじゃないですか!】
 先月、私はイライラして「何をやってるんだ東京!」みたいな文を書きました。
2021/1/8「出でよ自粛警察!と叫びたくなる朝」〜いいかげんにしてくれよ! トウキョウ!
 あれから一カ月弱、状況はずいぶん変わりました。テレビのニュースでも先週末あたりから認め始めましたが、明らかに感染拡大は抑制の方向に変わっています。まず陽性率が下がり始め、続いて実効再生産数が各都道府県で1を切り始めています。

 私はその間、毎日振れ幅の大きい新規感染者数ではなく、条件の同じ曜日ごとの記録(月曜日なら月曜日、火曜日なら火曜日)の変化を見てきました。それによると東京は、1月12日から31日までの20日間で、前の週の同じ曜日より人数の増えた日は1月17日と18日の二日しかありませんでした。あとは一貫して減り続けているのです。しかも17日と18日の一週間前(10日と12日)は、成人の日を含む3連休がらみで検査数が少なく、だから1週間後の感染者数は増えざるを得なかっただけなのです。
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 その傾向は他の府県も同じで、大阪府や愛知県などは前週の同じ曜日を越えたのはたった1日しかありませんでした。

 直近一週間の新規感染者数(10万人あたり)も、下のグラフの通り急速に減っています。
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(線は数の多い方から青が東京都、オレンジが神奈川県、黄色が千葉県、あとは埼玉県、大阪府、福岡県などがほぼ同数です)

 これだけ頑張っているのですから、政府もマスコミも褒めればいいじゃないですか!


【特に若者と飲食業者を褒めたい】
 NHKのニュースでは金曜日に、「東京都では高齢者の割合が2割を超え」と言い、日曜日には「3割を超えた」と言っていましたが、これは高齢者の間で急激な感染拡大が進んでいるからではありません。東京の急激な感染抑制が主として若年層によるものであって、相対的に高齢者の割合が増えているのです。

 あれだけ「若者の間で感染が広がっている」「若年層が感染拡大の主体」と腐してきたのです。その若者の間で感染拡大が押さえられているとしたら、今こそ褒めるときでしょう! 今、褒めなくていつ褒めたらいいのです?

 それはもちろん若者の間で感染が押さえられているのはカラオケボックスや居酒屋や、スナックや料理屋が一斉に時短をして耐えてくれているからでしょう。行き場所がないから仕方なく家で静かにしているという、単純にそれだけのことかもしれませんが、それでも褒めるべきです。褒めるときに褒めておかないと、怒るときにも存分に怒れません。

 営業時短に協力してくれた飲食業の方々にも、感謝とともに深々と頭を下げなくてはなりません。田舎の片隅の私なんぞが頭を下げても大した影響力はありませんから、私たちの代表者である菅総理を初め、政府の人々が、そして毎日ああだこうだ言ってきたマスメディアが、深く頭を下げて感謝の気持ちを表さなくてはいけないと思うのです。そうでもしなければ、誰がまた次の時に頑張ろうと思います?


【今日は節分、感謝を込めて】
 さて、今日は節分。追儺(ついな)、鬼遣(おにやらい)とも呼ばれる厄払いの日です。
 2月2日が節分になるのは124年ぶりだそうで、これから2057年までは4年に1回、閏年(アメリカ大統領選挙、夏季オリンピックの年)の翌年の節分が2月2日になります(2058年以後は2月2日が2年続いて2月3日が2年続く繰り返しになる)。

 今夜はマメを撒いて鬼とコロナを打ち払い、医療関係者はもちろんのこと、緊急事態宣言下にある都道府県の飲食・観光・娯楽・その他、我慢を強いられた企業・業者の方々、地域の人々、そして特に若者感謝しながら、静かな夜を過ごしたいと思います。




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2021/1/18

「頑張っている人を誉めてほしい」〜新型コロナ感染症対策に信賞必罰を   政治・社会・文化


 緊急事態宣言が発出されて一週間以上たつというのに、
 一向に感染拡大が収まらない。
 政府は国民に不審の目を向け、罰則規定を設けようとしている。
 しかし待て、その前に国民を誉めなくてはならない状況があるだろう!

という話。
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(写真:フォトAC)

【感染症対策のために国民の自由は制限されるべきか】
 緊急事態宣言発出から一週間以上たちましたが感染拡大がなかなか収まらず、日本中がヤキモキしています。
 焦れた政府が今月12日に新型コロナウイルス対策の強化に向けた関連法改正案の概要を提示したところ、そこに「入院勧告に従わない感染者には感染症法で1年以下の懲役または100万円以下の罰金の刑事罰を設ける」とか、「緊急事態宣言下で事業者に休業を命令できるよう新型コロナ特別措置法を見直し、違反した場合に行政罰の『過料』を科すことができるようにする」とかいった内容があり、与野党およびマスコミから一斉に問題視する発言が出ました。国民の自由を縛るべきではないとか、国民の行動を罰則で抑えるべきではないといった原則論が噴出したという形です。

 ところが15日に至ってNHKを始めとする各種世論調査の結果が発表されると、
(感染症対策のために)個人の自由を制限することについて、86%の人が『許される』と回答しています2021.01.15「新型コロナ対策 個人の自由制限『許される』86% NHK世論調査」など)。
といった調子で、これによってマスコミの論調も大きく変化していきました。制限は仕方ないにしても新型コロナ対策という特別な場合に限って行うもので、一般化されてはいけないといった方向です。常識的といえば常識的な結論でしょう。


【真面目な人々は怒っている】
 マスコミ関係の人々は国内の86%もの人々が自由の制限に同意するとは思っていなかったのかもしれません。国民の考え方があまりにも一方に進んでしまうことに恐れをなしたのかもしれません。しかし少し考えればこれは当たり前の結果です。

 日本国民の少なくとも86%以上くらいは、みんな真面目に新型コロナを恐れ、神経質なくらいに対策を打っているのです。通勤時間の駅前の様子を見れば一目瞭然です。ほとんどみんなマスクをしているじゃないですか。つい2か月前、GoToトラベルやGoToイートで客足が去年の6割まで戻って来たと言っていましたが、逆に言えば外食好き・旅行好きの人たちの4割は飲食・旅行に出なかったのです。
 そんなふうに真面目に対策をしてきた人々にとって、今日の状況はあまりにも不本意です。

 自分たちばかりが我慢させられて、バカな都会人は、アホな若者は、自由気ままに遊び歩いて感染を広げている、それはあまりにも不公平ではないか、そんなふうに考える人々も出て来ます。中にはもう政府はアテにならない、民間の自粛警察に活躍してもらうしかないと怒って「出でよ!自粛警察」とかいった文章を書く人まで出て来ます(私です)。
 感染拡大防止に協力しない人を個別に指導する仕組みをつくらない限り、こうした不満は必ず募り、限界を越えると私刑に走らざるを得なくなります。どんな場合もそうです。


【全体指導で心がけたいこと】
 政府の大臣・次官レベルだと、国民に対して直接できることは全体指導だけです。会見などを開いて国民に呼びかけるのが精いっぱいといえます。ところがこの“呼びかけ”、大臣たちが思っているほど簡単なことではありません。毎日、対象に呼びかけ、毎日、対象の行動変容を計っている学校の教師に訊いてみればすぐに分かります。

 例えば学級にいじめ問題があり、“いかにいじめが悪いことか”を担任が力説したとしましょう。
 その説教が「3年B組金八先生」のように優れたものなら、生徒は反省してきっといじめをなくそうと努力するだろう――そう考えるのは素人です。
 そもそも先生の一言でさっと態度を改めるような素直な子どもが育っているクラスではいじめなど起きないのが普通ですが、もし実際に起こってそれを厳しく指導したとき、起こるのは、いじめっ子は頑なになり、他の子たちは震え上がるという現象です。
 いじめっ子にしてみればすぐに自分のことだと分かりますし、みんなの前で非難されて面白いはずがありません。多くは耳をふさぎ、ふさがないまでも信頼関係のない人の言葉はこころに浸みて行きません。

 感染拡大防止に寄せて言えば、「いま徹底的な外出自粛をしないと大変なことになる」と言われると、86%以上の人は震え上がって対策を頑張ろうと思います。しかし残りの14%くらいはそもそも大臣の会見など聞いていません。彼らはニュースの時間にスマホでYoutubeを見たりゲームをしたり、あるいは居酒屋やカラオケで飲んだり歌ったりするのに忙しいのです。
 もちろん去年の4月のように訳の分からないウイルスに国民全員が震え上がったときは、情報は彼らの耳にも自然と入ってきました。しかしあれから1年近く、私たちはコロナ事態にずいぶん慣れてきています。

 教室のいじめ問題がいつまでも解決せず担任が叫び続けていると、次に起こる現象は良い子たちがイライラし始め、一部が言うことをきかなくなるということです。いじめっ子たちは相変わらず話を聞いていませんから何の行動変容も起こりません。
 そもそもいじめをなくすのは担任の仕事なのに、それもしないで私たちばかりが責められる――もうウンザリだ。どうせ頑張っても「悪い」「悪い」と言われるなら、いっそ私たちもいじめてやると、良い子の一部は考え始めます。そして非協力になる。

 感染拡大防止で言えば、感染対策や自粛にものすごく努力してきた人たちが「連休中の人々の気の緩みのためにさらなる感染拡大を招いた」と言われるときの気持ち、そしてその後の自粛要請に不熱心になるのがそれです。


【感染症対策に信賞必罰を】
 新型コロナウイルス感染対策に罰則を持ち込むことに関して、私は本当を言うと気が進みません。
 ギンギンの民族主義者で日本人こそ世界で最高の民族のひとつだと信じているので、罰則抜き、個人情報保護、人権最優先でやっていけると思いたいのです。
 しかしどうやっても感染防止に努力できない人もいますよね?

 私の中のもうひとつの思考原理、「人間は弱いものだ」も、感染対策を十分に果たせない人間の存在を示唆します。

 だったら仕方ありません。医師の勧めにも関わらずPCR検査を受けない人、検査の結果陽性であっても出歩く人、休業指示が出ても従わないお店などには、それなりの罰を受けてもらうしかありません。
 そして頑張っている人々やお店については、それなりの評価を与えなくてはなりません。

 例えば先週一週間の報道をみると「人出は十分に減っていない」とか「感染拡大は止まっていない」とか後ろ向きのものばかりでした。昨日も「首都圏一都三県で月曜日としては過去最高の新規感染者」とか「4月の緊急事態宣言に比べると人出が3倍」とかロクなニュースがありません。しかし細かく見ると悪いことばかりではないでしょう。

 東京都の新規感染者は970人(12日火曜日)〜2001人(16日金曜日)と相変わらずたいへんな数でしたが、曜日によって条件は異なります。そこで前の週の同じ曜日の新規感染者と比べると次のようになります。
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 なんと12日から16日まで、5日連続で下がっているのです。昨日は一週間前の日曜日より98人多いという結果が出ていますが、それは三連休の中日だった10日の新規感染者が少なかったことに原因がありそうです。おそらく3連休の検査数が極端に少なかったのでしょう。神奈川県・埼玉県・千葉県の3県も「日曜日としては過去最高」だそうですが、他の曜日と比べれば大したことはありません。

 目を関東の1都3県から外に向ければ、大阪府も愛知県も6日連続マイナス。昨年の4月に緊急事態宣言のでた13都道府県のうち16日にマイナスになったのが八つあって昨日も三つあります。日本全体もマイナスでした。

 また、直近一週間の新規感染者の数(10万人あたり)をグラフにすると次のようになります。
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 右で急上昇してから急降下して水色の線が東京都ですが、ホラ、がんばっているじゃないですか。これを誉めずして何を誉めたらよいのでしょう。

 学校でも国家でも、良い子たちのことはついつい忘れがちですが、悪い子同様にこちらも大切な存在なのです。
 この子たちを誉めて踏ん張らせなければ、集団の基礎が崩れて行ってしまいます。
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2021/1/8

「出でよ自粛警察!と叫びたくなる朝」〜いいかげんにしてくれよ! トウキョウ!   政治・社会・文化


 東京都の新型コロナ感染者がついに1日2000人超。
 私たちがこんなに耐えているというのにどういうことだ!
 自業が自得で終わらないのがウイルス感染の世界。
 東京はいったい何をしているのだ。私はもう我慢の限界を越えた。

という話。
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(写真:フォトAC)

【東京都の感染者、1日2000人を越える】
 東京都の新型コロナ新規感染者が昨日はついに2000人を越えて2477人とか。感染者数の新記録だった前日よりも850人以上も増えてしまいました。
 発症の2週間前が感染したときと考えると12月24日のクリスマスイブ。勝負の3週間が終わってさらに一週間が経ち、「さあ、うつるかうつらないか、一発やってみよう!」と新たな勝負に出て負けた人が大勢いたようです。

 何しろ政権与党の二階幹事長が忘年会を主宰し、総理大臣がホイホイ参加してしまうような国です。
 つい最近も自民党の森山国会対策委員長が、
 緊急事態宣言の対象となる1都3県での国会議員の会食について、「国会議員が全く人と会わないというのは無理がある」としたうえで、時間は午後8時まで、参加人数は4人以内とすることが望ましいという考えを示した(2021.01.06 NHK 
ということですが、そりゃあ全く人に会わないのは無理にしても、なぜ会食でなくてはならないのか、なぜ飲みながらでなければ政治ができないのか、そこに全く説明がないどころか、そもそも理解できる内容ではありません。

 もちろん人と会わなければ成り立たない職業はいくらでもありますし、会食が必須な場合もあります。
 学校なんてその典型で、狭い範囲に40人もの子どもが密集し、しかも給食の時間は全員がマスクを外している――。しかしその時間は全員が前を向いて一言もしゃべらず、黙々と食べているのです。そんな生活を8カ月も続けてきました。
 小中学生でもできるその程度の節度が、なぜ「四十、五十は鼻垂れ小僧」と言われる政界でできないのか。そもそもアナタたちは高齢というだけで重症化の危険を追っている人たちでしょ?

 国会議員も会食が必須なら全員同じ方向を向いて黙々と食べ、食べ終わったところでマスクをし直して距離をとって話をすればいいのです。飲みながら、食いながら、しゃべりながらなんて、絶対だめに決まっているじゃないですか!


【人々の苦労や亡くなった方たちのことが、まったく気にならない人たち】
 上が上なら下も下。
 ここにきてタレントの渡辺直美さんが男芸人を招いて忘年会をやったとか、デビ夫人が「コロナの心配は一切関係ない方たちばっかり」90名を集めてカウントダウン・パーティーを「非難も覚悟で」開いたとか――。
 それらはおそらく氷山の一角で、ニュースにならないものも含めたらどれほど多くの人たちが忘年会やらカウントダウン・パーティーで浮かれていたのか分からりません。
 おバカな主催者は別として、恐ろしいのは参加した人々が誰ひとり諫めることなく、それどころかひとりもコロナも世間も気にしていなかった点です。コロナに怯えず情報が漏れた場合の社会の非難にも怯えず――市井の、無名の私ですら人々の目に怯えて暮らしているのに、やはりこれほどの胆力がなければ有名人にはなれないのかもしれません。

 さらに下に進んで、仲間どうしで元気よく忘年会を開いた学生、会社員、公務員ら普通の人々。信じがたい思い切りで組織として新年会を開催し続けている官公庁や企業の人々。その凄まじいアルコールへの渇望、狂騒への熱意を、私は茫然と見ています。

 この人たちにとって、志村けんや岡江久美子、羽田雄一郎議員の死は一片の価値もないのです。
 同じ時間、地方のホテルでひとり過ごす青年が、実は昼の間、実家の庭先で窓越しに両親に年末の挨拶をしてきた誠実な人だということも、どうでもいいのでしょう。
 クリスマスも年末年始もなく恐怖と過労に苦しみながら病院に詰め、それでも職場を放棄せずに職務に忠実であろうとする医療関係者の尊さも分からない。

 そうだよね。この人たちは毎日毎晩、飲んだり遊んだりするのに忙しくてニュースなんか見たことがないんだものね。


【屁理屈:オレたちが飲まなければ店が潰れる】
 え? 自分たちが飲み食いしなければ飲食業は潰れるって? 経済が回って行かないって?
 それはないでしょ。そういうのを屁理屈というのです。

 馴染の店が大切なら行って静かに飲み、静かに食事をして帰ればいいのです。何が何でも守らなくてはならない大切な店なら、普通の清酒一本を10万円で買い取り、テイクアウトの折り詰めに5万円払って帰ればいいのです。それもせずに安い代金でどんちゃん騒ぎをして、呑兵衛全体として感染を広げて非常事態宣言に追い込んで、店を追いつめる――それが今、一都三県で起こっていることです。このままだと店はつぶれてしまいます。

 それが分かっていながらやっているのに、変な小理屈を言うものではありません。飲食業の従事者はそれこそ血の涙を流すほどに苦労して感染対策をしているというのです。それを台無しにしているのはアンタたちじゃないか。

 田舎では私のような臆病者が、市内に感染者の一人もいない時期にもマスクをつけて畑仕事をしたりしているのです。もう年寄りですので人と会ったり話したりするのが重要なボケ防止なのに、一年近くも娘や息子・孫たち、そしして仲間とも会えていません。
 少し上の世代の中には、福祉施設で軟禁状態になっている人もいます。もちろん施設が悪いのではありません。コロナ事態が収まらないことが悪いのです。


【出でよ、自粛警察】
 おそらく日本人の99・9%くらいは誠実に義務を果たしているのです。けれど残りの0.1%、人数にして12万6000人くらい(東京都市圏で3万8000人くらい)が悪いのです。彼らが飲んで食べ、陽気に歌い踊って新型コロナに感染し、家や職場に持ち帰って無辜の家族や同僚に広げます――。

 もう私も限界です。
 感染者を差別してはいけないと言いますが、自らの快楽のために進んで危険に身を投じ、感染した人まで守る必要はありません。

 出でよ、自粛警察!
 繁華街でマスクもつけず、大声で騒いで唾を飛ばしている輩をネットに晒せ!
 政治家・企業家・芸能人、その他すべての有名人と私のような市井人まで含め、この日本社会を守ろうとしない者を倒せ!

(言ってはいけないことなので削除しようと思ったのですがDeleteキーがうまく動かず消せません。そこで上のように処理しました)

 しかしなにか、叫んだらスッキリしたな。

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2020/12/25

「アイデンティティとそれぞれの同調圧力」〜同調圧力の話B  政治・社会・文化


 同じでありたい、同じであってほしいという願いは、
 いずれの国・地域であても同じだ。
 「同調圧力」などという言葉で、
 みんなでこの国を良くして行こうという意志をくじいてはいけない。
 多少の行き過ぎはそのつど修正していけばいいだけのことだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【勇み足――自由と命とどっちが大事だ!】
 数カ月前、ネット上で海外動画を拾っていたら、韓国の電車の中で演説する青年というのが出て来ました。ボックス席のない通勤用車両の端に立って、宗教家らしい白服を来た若者が文在寅政権のコロナ対救を批判しているのです。日中の電車らしく青年を真横から移した映像には乗客は映っていません。
 批判の中心は韓国政府がコロナを理由に個人情報を吸い上げていることで、彼は深刻な自由の侵害、自由主義の危機だと考えているようなのです。
そしてさまざまな角度から激しく語ったあと、彼はついに叫びます。

「自由と命と、どっちが大事なんだ!」

(そりゃあ命ダロ)
と私なんぞは思うのですが、演説の流れから、彼は自由の方が大切だと考えているようです。

 もっとも青年の名誉のために付け加えると、彼の言っている「命」は自分の命もしくは自分の仲間の「命」のことであって、電車の乗客にまで差し出せと言っているわけではありません。自分の命を捨ててでも韓国国民の自由を守りたいという決意を語ったのですが、不用意に言葉にすると何かトンチンカンな感じになってしまいます。
 一般論として韓国人は「命より自由が大切」とは言いそうになく、その点では日本人も同じでしょう。
 しかし世の中には、本気で自由の方が大切と思っている人々も少なくありません。


【命よりも自由が大切な国―フランス】
 芥川賞作家の辻仁成(ミポリンの元夫、と言っても若い人は分かんねェだろうなあ)は、今月号の月刊文芸春秋でロックダウン中のパリをこんなふうに報告しています。
「知り合いのカフェやレストランはシャッターこそ半分下ろしているけど、窓の隙間から中を覗けば、近所の暇を持て余した連中が集って、暗がりでコーヒー片手に談笑している。行きつけのバーはさらに酷く、ドアには鍵がされ、窓ガラスは戸板で塞がれつつも、ノックすると、隙間から店員が覗き、ぼくだとわかると、扉を開けて、飲んでいくか、と笑顔を向けられる。カウンターには地元の常連が居並び、片手にジョッキ。完全に法律違反だけど、通報でもない限り、警察も一軒一軒チェックは出来ず、パリは水面下でこういう違反者が溢れかえって、むしろ三密は避けられず、感染が逆に拡大しているという悪循環にある」

 フランスという国は二百数十年前、たいへんな数の市民を死なせたうえで、世界で最も早く国民の自由を獲得した国です。そうした誇りもあるのか、自由が何よりも大切で政府の言うことをなかなかききません。
 この国の同調圧力はむしろ自由であることに向いていきます。どんなに感染が広がって死者が増えても、自ら自由を制限することが許されていないかのようです。

 下は最近パリから戻って来た日本に永住権を持つフランス人の報告ですが、「エマニュエル・マクロン大統領は、連日ように、まるで王様ように国民に話しかけます」といった調子で、政府に対して非常に好戦的です。
2020.12.25 東洋経済『フランス人が日本に戻って心底感じた「自由」 同じコロナ禍でもフランスとは様子が違う』

 今やフランスはひどい官僚主義と中央集権、そして国民の政府への信頼性の欠如により、恐怖に基づいたシステムができてしまいました。国民を守る代わりに、国民を脅し、「規則」を守らなければ罰を与えられる。何とも気が滅入ってしまう話です。
 とんでもなく激しい調子で責めますが、ここには人口が日本の半分ほどの国で62000人以上もの人々(日本は3100人ほど)をコロナで死なせてしまったことへの悔恨とか恨みとかはほとんどありません。あるのは自由を奪われたことに対する激しい憤りです
 自由の国フランスで、人々はそのように躾けられてくるのでしょう。


【それぞれの国の同調圧力】
 たまたま目についたのでフランスを例に取り上げましたが、それぞれの民族にはそれぞれの「あるべき姿」があります。それは民族のアイデンティティですから、暗黙の裡に強制し合います。今の論題で言えば、同調圧力です。

 アメリカ人にはおそらく、強くなくてはいけない、勝たなくてはいけない、陽気でなくてはいけないという同調圧力があります。しかし24時間つねに競争に曝され、しかも陽気でなくてはならないとしたら、私などはとてもではありませんがついていけません。

 私は日本に生まれて日本で育ったためか(おそらくそうでしょう)この国のやり方が性に合っています。
 街を汚さないとか、規律を守るとか、人に迷惑をかけないとかは、他人の目を気にしてやっていることではありません。確かに「世間体」という言葉があり、「人さまに恥ずかしくない生き方をしなさい」とかいった言い方もしますが、それらの言葉を使いたがる人たちに、「では、あなたにとって『世間』とか『人さま』というのは具体的に誰ですか?」と訊けばたいていの人が答えられません。
答えられないのは「世間」や「人さま」に実体がなく、それはその人の中に内在化された「他人の目」――「誰が見ていなくても自分だけは見ている」とか「お天道様が見ている」というときの「見ている主体」のことを言うからです。

 孔子は「70歳になったら自分の心のままに行動しても人道を踏み外すことがなくなった(七十にして心の欲する所に従えど矩をこえず)」と言いましたが、日本ではそれに近いことのできる人がかなりいると、私は信じています。


【お疲れさまでした! よいお年を!】
 長い2学期、ご苦労様でした。
 28日まで授業という学校も少なくありませんが、日本中のほとんどの学校で今日が終業式だったようです。
 例年だと懇談会をやって通知票を書いて、ようやくたどり着いた今夜は忘年会で一夜限りのバカ騒ぎ、というところですが、皆さま、今日は静かにお帰りになったことでしょう。
 その労をねぎらう言葉が、いまは見つからなくて困っています。コロナ禍での学校の実際が分からないからです。だからここは中途半端な慰労などせず、黙ってお見送りしたいと思います。

 年が明ければ何かが大きく変わるわけでもありませんが、先生方、しばらく心を休めて、また戦場にお戻りください。
 私も1月7日ごろまで休むつもりです。
 それでは皆様、良いお年を!


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2020/12/23

「子どもたちの帰って来ない正月」〜同調圧力の話@  政治・社会・文化


 結局、子どもたちは年末年始の帰省を諦めた。
 私も致し方ないと思う。
 しかし結論は同じでも、そこに至った理由は同じではない。
 私たちはどれをどう考えたらよいのだろう。

という話。
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(写真:フォトAC)

【正月、子どもたちが帰って来ない】
 結局、娘のシーナも息子のアキュラも、この年末年始の帰省を断念しました。シーナの家族は一年おきに夫の実家、妻の実家と交互に正月を過ごしますので、私の家で家族が揃うのは2年後ということになります。その間に孫のハーヴやキーツはどんどん大きくなってしまいますから、返す返すも残念です。

 ついこの間まで、
「直近一週間の10万人あたりの感染者が23・8人(当時)の東京に住むシーナが感染している確率は0・0238%。しかし踊る人々と耐える人々とでは自ずと危険性に差があるから、シーナの感染している可能性はさらに低いだろう。だったら第三波の真っ最中という体裁の悪いタイミングだが、帰省したってかまわないじゃないか」
と思っていたのです。しかし完全に様相が変わりました。

 全国知事会が暗に“帰省してはダメ”と言い、小池東京都知事が、
「年末年始は『家族でステイホーム』に、ぜひとも協力いただきたい。買い物や通院など『どうしても』という場合を除いて、外出はぜひとも自粛をお願いしたい」
と呼びかけた以上、何も考えずに帰省というわけにもいきません。
「お正月は田舎で、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に」
は通院や買い物と肩を並べるには、あまりにも不要不急です。

 周囲を見回して職場の人々やママ友、SNSでつながる友人たちの話を聞いても、あっちでも断念こっちでも「帰りまテン」では、その中にあって「帰ります」とはとても言えない。
 黙っていれば分からないという理屈は、5歳のハーブは保育園できっとしゃべるに違いないという現実的な面を差っ引いても、背負い続けることのできるものではありません。


【アキュラの場合、シーナの場合】
 アキュラの住む熊本は東京の多摩地区よりさらに感染率は低くなります。しかし根に妙に生真面目な部分を持つこの息子は、「すべての人が自分は“感染者である”という想定の下に行動すべきだ」という話をどこかで信じているみたいで、私たち夫婦(高齢者だそうです)や祖母(93歳ですから本物の高齢者)に感染させるのではないかと本気で恐れているのです。
 もっとも感染リスクを負いながら苦労して帰省しても、友だちと飲んで話に花を咲かせるわけにもいきませんから、重症化リスクの高い私たちと一週間も過ごして帰るだけならそれもかわいそうです。
 独りぼっちの大晦日は気の毒ですが、感染させる心配がないという意味では気楽でいいのかもしれません。

 ところでアキュラの断念はかなり自主的なものでしたが、シーナの断念理由は主に「周りが次々と帰省を取りやめている」「みんな我慢している」「それなのに私たちだけが帰るわけにはいかない」という、人間関係、社会関係から来ているものです。周囲のことを気にしさえしなければ、私と同じように感染の可能性は極めて少ないと考えている娘ですから、帰って来たと思います。

 そこで思ったのですが、日ごろから日本人の同調圧力について問題視している皆さんは、この事態をどう考えるのでしょう?
 シーナが直接「みんなに合わせて帰省を見合わせろ」と言われたわけではないので、同調圧力の問題とは言えないということなのでしょうか、それともシーナは無言の同調圧力に屈して自己を曲げたということになるのでしょうか?


【何か奇妙な言い回し】
 同調圧力についてよくわからなくなったのはこの4月、自粛警察が問題になったときのことです。これを扱ったニュースの終わりで女性アナウンサーが、
「私も人ごみでマスクをしていない人を見ると、思わず視線がきつくなったりしてしまいます。気をつけなくてはいけませんね」
とまとめたのですが、それがどうにもしっくりこない。

 言い換えて見ましょう。
「人ごみでマスクもせず咳き込んでいる人がいたとしても、温かい目で見守ってあげましょう」
「犯罪に走るような人たちは、たいてい不幸な生い立ちをしているものです。罪を憎んでひとを憎まず。警察に訴えるようなことをしてはいけません」
「政府が自粛を呼び掛けていたとしても、それに応じるか応じないかは個人の自由です。法律ではないのだから、彼らが群れようがマスクをせずに大声で叫んでいようが、冷たい目で見てはいけません」
 何か変ではありませんか?

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2020/12/18

「踊る人々、耐える人々」〜コロナ禍のもと、年末年始をどう過ごすかB  政治・社会・文化


 もしかしたらファクターXなどなくて、欧米よりはマシだとしても、
 これから大変な感染拡大が始まるのかもしれない。
 しかし国民のすべてに自粛を呼び掛けるのも無意味だ。
 踊る人、耐える人、双方に呼びかけるべき別々のことがある。

という話。
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(写真:フォトAC)

【コロナウイルスは浴室の黒カビ】
 昨夜は「東京都 新型コロナ 新たに822人感染確認」のニュースでかなりへこみました。
 700人台は一回もないまま、一気に800人台です。今週は月曜日から300人台、400人台、600人台、そして800人台ですから、これから先どれだけ伸びて行くか分かりません。

 海外ではヨーロッパの大国で唯一危機を凌いでいたドイツが、ついに堤防を決壊させたみたいに爆発的感染拡大を起こしていますし、韓国も三日連続で1000人以上の感染者を出しています。
 私は韓国に対してある種の信頼を寄せていて、「自由主義でもあそこまで国家に情報を提供すれば感染拡大は防げる」という手本のように思っていたのです。その韓国ですらダメなら、何をやってもダメという気もしています。

 今でも感染者・死者の極端に少ない国・地域はありますが、台湾もベトナムもニュージーランドもアフリカの小国の多くも、何か特別なことをやってきたわけではなく、2月〜3月という極端に早い時期に厳しい出入国制限を始めて、とにかくウイルスの一粒も入れまいとしたことが勝因ではないかと思っています。

 浴室の黒カビと同じで、「何となく壁がくすんでいるかな?」という段階で丁寧に除菌して、あとは毎日水洗いをしていれば何ということはないのに、いったん全体にはびこらせてしまうと何度カビ取り作業をしても繰り返し生えてくる、あんな感じです。

 もちろん一カ月くらい入浴禁止にして毎日大量の塩素を降りかけ、そのつど丁寧に乾燥させるようなことを続ければ完全制圧も夢ではありませんが、国家の洗浄ということになるとそんな荒療治ができるのは一部の社会主義国くらいのものでしょう。
 ちなみにベトナムは一人でも感染者が見つかるとそのアパート一棟が丸々ロックダウン、村部だったら一か村まるごと封鎖だそうです。中国は言うまでもありません。


【ファクターXなんてなかった(のかもしれない)】
 日本についても、もしかしたら山中伸弥先生のおっしゃるファクターXなんてものはなく、たまたまマスク好きの国民性と花粉症の時期とがかみ合って、みんながマスクをしていたから黒カビの蔓延・定着を防げたというだけのことかもしれません。しかし10カ月の間に次第に蓄積し、壁の奥深くに根を広げた黒カビはついに一斉に胞子を撒き散らし、東京では1日に800人越え、全国で3000人越えという感染者を発生させるに至った――そうことなのかもしれないのです。

 もちろん相変わらず日本人はマメにマスクをつけていますからヨーロッパや南北アメリカのような悲惨なことにはならないでしょうが、それでもこれまでのように、
「たいそうなことはしなくても、このまま何とかなるんじゃネ?」
といった雰囲気ではいられないのかもしれません。

 このまま東京の一日あたりの感染者が1000人だの1500人だのということになったらあの都知事のことですから、
「トーキョー、ロックダウン。おウチを出てはいけません」
くらいのことは言い出しかねせん。
(もちろん本気でそう思っているわけではありませんが)
 そうなったら2021年の正月を家族で過ごすという私の夢も雲散霧消です。


【感染者の内訳を考える】
 ところで、現在爆発的に増加しつつある新型コロナウイルスの感染者、その内訳はどうなっているのでしょう? 年代別の数字は繰り返し報道されるのですが、男女別・職業別といった統計は見たことがありません。独身者か家族持ちかといったことはけっこう重要ではありません? 職業だって。

 例えば、私が感染拡大地域に住む家族持ちのサラリーマンだったら、コロナに対してかなり慎重になると思います。とにかく家族に迷惑はかけたくありません。それが第一の理由です。
 会社でうつされるのは仕方ないにしても、「会社で最初にコロナを持ち込んだ人間」には絶対になりたくありません。感染者を差別するなとは言いますが、私がコロナを持ち込んだばかりに企業活動が停滞し、顧客に迷惑がかかったとなると、それでも素直でいるのは誰にとっても難しいことでしょう。
 数年後、業績も実力も同じ誰かと出世を争うとき、最後の決め手が「危機管理能力」になることだってあり得ます。

 そう考えるとマスク・手洗いは徹底し、通勤電車内では息もしないように心がけ、家人にもうるさく言い続けるに決まっています。外食・会食・宴会等には不参加が基本となります。もっとも、会社から家庭に直行といっても、そこには家族とともに過ごす楽しい時間もありますから、極端な感染対策も苦しくありません。

 一方、私が地方からで出てきてアパートに住む、もちろん独身の大学生だったらどうでしょう? おまけに授業はリモートだとしたら――。

 三食作って食べるなどという生活スキルはありませんから最初はコンビニ弁当かホカ弁・レトルト、しかしさすがに10カ月にもなると耐えられなくなります。
 一日部屋の中で過ごして会話というものがほとんどない。リモート授業で発言はしますが、そんなの会話じゃない――と、そこに友だちからの誘いがあって、西村大臣も「5人以上がすべてダメというわけではない」とかおっしゃっていましたから出かけることにして、一次会、二次会、さらには酔ったついでのカラオケ。気がつけば午前5時で、なんだか寒気がして熱っぽくもなってきた――そういうことだってあり得ます。

――とここまで書いてきて、気づいたことがあります。


【それぞれのコロナ、それぞれのリスク】
 昨日の段階で、東京都の直近一週間の感染者数は10万人あたりで28・9人です。これは偶然会った東京都民の、感染している確率が0・0289%であることを意味します。しかし現実には先ほどの“家族持ちのサラリーマンの私”と“一人暮らしの学生である私”とでは可能性に大きな差があります。
 あるいは同じサラリーマンでも、独身者と妻帯者・子持ちとでは違うでしょうし、社員数10万人といった大企業の社員と、全員の顔が見える20人規模の会社員とでは、当然行動様式も感染リスクも異なってきます。

 リモートワークは企業や社会を守ることには役立つかも知れませんが個人を守るかどうかは分かりません。私が独身のサラリーマンで、アパートでリモートワークだけを続けていたとすれば学生生活と変わりないようなものです。孤独に耐えかねて行ってはいけないところに繰り出してしまうこともあるでしょう。

 最近の傾向として職場内感染と家庭内感染が中心となっていると言いますが、飲食店や接待を伴う飲食店も人によっては“職場”です。オフィス街の雑居ビルの一室が“職場”という人もいれば、だだっ広い工場や倉庫で、わざわざ歩かないと隣の人と話もできない“職場”もあります。
 家庭内だって例えば、夫婦ともに医療関係ということだと超危険で超安全(職場リスクの高い分、家庭内の防疫意識も態勢も万全)と言えますし、このコロナ禍でも毎日飲んで帰るのが楽しみという構成員が一人でもいれば、その家はかなり危険です。

 私のような田舎人からみると都会人は全員が“怪しい人”ですが、内実としてはかなりの差がある、そう考えて間違いはないようですが、すると、どうなるのか。


【踊る人々、耐える人々】
 小池都知事は以前、「ダンス&ハンマー」という言葉をつかいました。
「感染者が少ない状況では経済を活性化させるために踊らせ、感染者が増えたらハンマーで叩く」というずいぶん上から目線の考え方です。
 しかし現実としては都内に、あるいは全国にも、ずっと踊りっぱなしの人とハンマーの下で耐え忍び続けている人とがいるのです。前者を押さえるのも難しければ、後者を踊らせるのも厄介です。

 今は感染拡大の時ですから踊る人々を押さえるしかありません。
 耐え忍ぶ人たちに対してやれることはないのです。この人たちは一度だって気を緩めたことなどないので、前者と一緒くたにして「気の緩み」などとは言ってはいけません。いつも誉めてあげなくてはならない人たちです。

 感染拡大が止まらないのは踊る人々が浮かれすぎたからです。
 しかしこの人たちだって大切でしょ? 一晩に二軒も三軒もハシゴしてカラオケで朝まで遊んでくれるような人がいるから、飲食や観光娯楽業の人々は潤うのです。生きていけます。
 まだ十分に企業体力のあった4月ならまだしも、青息吐息でようやくここまでたどり着いた今、こうした警戒心の薄い人たちこそ救世主です。

 そう考えると踊る人たちは、ただ押さえつけなくてはいけない対象ではなく、“いまは控えていただく人”ということになります。誰にでも役割はある、しかし今は出番ではない。
 やがて感染が治まってきたら、その時こそあなたたちの活躍の時です。どうか死ぬまで飲んで、死ぬまで歌ってください――そんなふうに呼びかけ、現在の自粛をお願いしなくてはならないのは、こうした人たちです。

(この稿、終了)


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