2020/1/17

「恋愛抜きの結婚ならしてみたい」〜若者の結婚観が変わるC  政治・社会


 恋愛はもはや「娯楽」のひとつ、
 何が何でもしなくてはならないものではなくなった。
 しかし「結婚」は今も価値を輝かせている。
 だったら恋愛抜きの結婚を勧め、
 結婚のよさを伝えて彼らの後押しをしよう。

という話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「結婚式 フラワーシャワー1」PhotoACより)

【恋愛抜きの結婚ならしてみたい】
 昨年末、12月26日のNHK「所さん!大変ですよ『愛より結婚スペシャル』」には、これまで取り上げてきた内容とは別に、さらに二つの印象的な場面がありました。

 ひとつは街頭インタビューで若者にマイクを向けた場面。
 ここで、
「彼氏はいませんが、今すぐに結婚したい」
と答えたのは21歳の女性。
 年齢は分からないのですが大学生の男の子は、
「子どもの受験とかお金の必要なタイミングを考えると、人生設計上、27歳で結婚すると決めている」
などと言います。27歳はその昔、男性が結婚適齢期と言われた年齢とほぼ同じです。

 インタビューを受けた21歳の女性が実際に2年間の婚活を経て23歳で結婚し、男子大学生が計画通り27歳で結婚したと考えると、幸せになれるかどうかは別ですが、かなり便利な人生が想像されます。

 女性が結婚から2年後の25歳で第一子を産み、28歳か29歳で第二子を産んだとすると4年経ってもまだ30代前半ですから第三子のことも考えられます。もちろん産まなくてもいいのですが、選択肢が残っているということは悪くない。
 さらに33歳で第三子まで産んだとして、その一番下の子でも、18歳の成人式には51歳で参加できるのです。4年生大学を卒業させた時点で55歳、大学院に行きたいと言い出してもすべての学業を終えるときにはまだ57歳なのです。人生はまだ十分に残っている。

 同じ計算を27歳で結婚した男性に当てはめると、第三子が大学院を修了するのは61歳と足が出ますが、今の20代は70歳まで働かなくてはならない人たちです。すべての子どもが自立してから10年近い勤労生活が残っているわけで、その間の収入はすべて自分のものです。子どもに使っていた支出が一気にゼロになるわけですから、老後の蓄えはそこから十分にできます。
 インタビューに答えた男子大学生もこうした計算をしたのでしょう。

 番組は「恋愛より結婚を先に考える20代はけっこういる」というまとめ方をしましたが、恋愛の価値が低下した現代にあっては、極めて合理的で正しい判断と言えます。

 SNSでおおぜいの人と緩くつながる関係にはそろそろ疲れている、だから強固な関係が欲しい、そんなふうに感じている若者もすくなくない。
 SNSの世界では「恋人からこんな贅沢なプレゼントをもらった」と上げるひともいるが、むしろ必死な感じで虚しい。それよりも「結婚しました」「子どもがいます」といった方がキラキラ輝いて見える、そんな発言もありました。

 いずれにしろ、私たちは結婚しない若者にばかり目を奪われてきましたが、もしかしたらそれは恋愛結婚しか考えられないかつての若者の印象が、脳にこびりついているからかもしれません。
 恋愛結婚はほんとうにしんどく難しい。しかし恋愛抜きの結婚で幸せになれるなら一度はしてみたい、そんな若者は驚くほど多いのかもしれません。


【「結婚は、いいものですか?」の答え】
 もう一つの印象的な場面は、若者から現代の結婚観を聞こうという座談会の最後に現れました。
 20代の女性がふと真顔になってこう訊くのです。
「結婚は、いいものですか?」
 それに対して木村佳乃さんは間髪を置かず毅然として言います。
「素晴らしいと思います」
 その反応の速さには驚きました。

 続いて発言を求められた所ジョージさんは、
「ウチの場合だけどね、もうすぐ(収録が)終わるじゃない、その時まず考えるのが“いま、カミさん何やってるかな”ってことなんだよ。
 夕方、(仕事が)早く終わると嬉しいんだよね。夕飯に間にあうから」

 それに対してアナウンサーが、
「いまが一番幸せってことですね」
と訊ねると、
「だんだん人生が深くなってくるとね、昨日と同じ繰り返しをしたい、というのがステキな話になってくるんだよ」
 するとここで木村佳乃さんがびっくりした様子で割り込んで、
「ウチの旦那さんもまったく同じことを言います」
と大笑いします。その様子に、最初の質問者である20代の女性は目を丸くして、
「すご〜〜い」
を連発します。
 座談会は若者が大人を納得させる目論見で始められ、若者が納得して終わる形になりました。


【結婚のすばらしさを伝えたい】
 先日、娘のシーナと電話で話していた中に、
「昔の男の人って、“結婚は地獄”だって言ってたでしょ」
という話がありました。“現代では、ある種の女性の取って結婚は地獄かもしれない”という話の前振りだったのですが、なぜか私はぼんやりした気持ちになってしまいました。「結婚は地獄だ」という言葉がピンとこなかったのです。
 それはおそらく、私が一度も地獄だと思ったことがないからです。もちろん天国だと思ったこともありません。天国だとか地獄だとかいえるものではないからです。
 
 もちろん結婚当初はしんどいこともありました。
 結婚は、違う家庭、違う社会、違う価値観の中で生きてきた二人が新しい共通の価値を生み出すこと――つまり“生れなおし”ですから、初めはやはり大変なのです。私たち夫婦の場合は遅い結婚で、相当に融通が利かなくなっていましたからさらに大変でした。しかし地獄ではない。
 
 思うに「地獄だ」というのはまだ独身時代に未練があり、夫婦の価値感が調整しきれていないごく短い期間の、単なる愚痴なのです。試しに「だったら、やめたら?」と聞いてみれば10組に1組も別れることを考えたりしません。
 結婚して何年もたち、子どももいた上で「結婚は地獄だ」と言う人がいたら、その人は相当に怪しいという気がします。どんな家庭を築いてきたのか――。

 もっとも若い人たちが「結婚は地獄だ」と本気で信じてきたとすれば、それは私たち全員の責任です。先輩として、もっと前向きなメッセージを伝えなくてはなりませんでした。
 それは「結婚っていいものですか?」と訊かれた木村佳乃さんがすかさず「素晴らしいと思います」と答え、所さんが「夕方、(仕事が)早く終わると嬉しいんだよね。夕飯に間にあうから」と具体的に話す、そんなやり方でいいのです。

 さて、条件はそろいました。
 恋愛結婚の呪縛を逃れた若い世代も、結婚に対する夢まで捨てたわけではありません。私たちは結婚のよさを吹聴して、さらに彼らの背中を押しましょう。

 それは、今日までの話のもととなった超氷河期の子どもたちにも言えることです。彼らはもう40歳を越えましたが、今からでも遅くない、たいていの場合、家庭を持つことは素晴らしいことですし、だめだったら何度でもやり直せばいいのです。

にほんブログ村
人気ブログランキング
3

2020/1/16

「恋愛のエネルギーは枯れて、ハードルはなお高い」〜若者の結婚観が変わるB  政治・社会


 恋愛をして相手を見極めた上で結婚すべきという考え方は、
 戦後のごく短い期間のブームだったのかもしれない。
 もはやエネルギーは枯れ、
 高く数多い恋愛結婚のハードルを越えられなくなっているのだろう。
 しかし可能性は、だからこそある。

という話。

クリックすると元のサイズで表示します
(「ウエディング」PhotoACより)

【フロイト先生の教え】
 高校時代は心理学研究会に入って、御多分に漏れずフロイトなんかに夢中になっていました。

 しかしフロイト先生の困ったところは何でもかんでも性欲に結びつけてしまうところです。当時、私はクラス内に思いつめた女の子がいたのですが、それを性欲で解かれるのは非常に不愉快でした。

 今でもこの件に関しては“何でもかんでも性欲はないだろう”と思いますが、女性と会って心臓がドキドキしても“恋”より“心筋梗塞”を疑う年齢になると、一部分、理解できない面もなくはありません。やはり「性欲」のエネルギーがないと、”燃えるような恋”にはなりそうにないのです。


【恋愛のエネルギーは枯れた】
 私の理解だと、恋愛は「好意」と「依存心」と「性欲」に支えられた何ものかで、大人になって「依存心」を失うと、火がついても大火にはなりません。さらに「性欲」が減衰すると火もつかない。

 「性欲」の減衰は、なにも年齢からくるものばかりではありません。
 人間のそれはたぶん動物的な反応というよりは好奇心に煽られた部分が圧倒的で、私たちの世代だと、情報遮断のために抑えられた好奇心がとんでもなく膨らんで妄想を生み出していたように思うのです。

 学校に性教育なんてありませんでしたし、本屋でその種の本を買う勇気もない。勇気を振り絞ったところで一般書店に売っている書籍には限界がある。仲間の中には年齢を偽って18歳未満禁止の映画を見に行ったなどという猛者もいましたが、私にはそんな根性はない。

 売春防止法(1957年)以前に青春時代を送った私の父親世代だと、兄弟の自慢話を聞きながら様々に勉強していた男の子も、その男の子の教示を受けたほかの男子もたくさんいたようですが、私たちの世代は決定的に情報から遮断されすべてが暗中模索。それが必要以上に好奇心を、ひいては性欲を昂じさせていたところはあります。

 しかし現代、その好奇心の部分がインターネットであっという間に充足させられてしまうと、残った“動物的な反応としての性欲”は、言ってみれば排泄問題です。それ以上、何もない。

 私たちの世代には“モテたくてギターを始めたヤツ”がいて“モテたいがために無理して免許を取り車を買うヤツ”がいて、“モテたいばかり不似合いな高級ホテルのディナーを予約するヤツ”がいました。一から十までがモテるためでした。
 バカみたいですね。

 “近頃の男の子は覇気がなくなった”とか“草食系男子”だとか揶揄しますが、バカみたいにのたうち回っていた自分たちの青春時代を考えると、恋愛のエネルギーの枯れた今の男の子の方がよほどスマートで格好よく思えます。


【恋愛結婚のハードルはあいかわらず高く、数も多い】
 若者を取り巻く環境はすっかり変わりましたが、恋愛結婚のハードルが高く、数多いことは今も昔と変わりません。
 とりあえず身近に一定数の異性がいないと話が始まらない。

 中学校までだと男女ほぼ同数が教室に入れられていますが、高校に進学したとたんに偏りが生まれます。工業高校と商業高校では男女比にだいぶ差があり、普通科でも同数ということはほとんどありません。男子高や女子高は恋愛環境としては最悪です。

 社会人となってもばらつきは解消せず、職場に適齢の異性がほとんどいない場合も少なくありません。花婿500に嫁ひとりでは最初から戦意喪失でしょう。
 日本の場合、大人になってからの恋愛の場はほぼ職場に限られますから、そこに対象者がいないと相手探しも始まらないのです。
 これが第一のハードルで一番高い。

 そのハードルを越えても、職場の異性の中に気持ちの動く人がいないとそれまで。
 さらに気にいった人を発見できたとしても、相手がこちらを振り向いてくれなければ恋愛は始まりません。
 声をかけるとか食事に誘うとか、気に入りそうなプレゼントを用意するとか、小さなハードルはいくつもありますが、好きな相手から愛されるというのが次の大きなハードルになります。
 これもなかなか越えがたい。

 結婚に至るには、資金的余裕があるのかと社会人としてキャリアにどう影響するかとかいった具体的なハードルもありますが、それは“愛の力”で何とかしましょう。
 そのうえでプロ―ポーズをして承諾を受けて、さあこれですべてよしかと思ったら親が立ちはだかる――そんなこともありえます。
 いずれにしろ恋愛を経て結婚に至るハードル走は、分析してみるとかなり大変、そうとうなエネルギーがないと走り続けることはできません。


【少子化問題の救世主】
 若者の興味関心のトップの座から、恋愛はすでに滑り落ちているのかもしれません。少なくともダントツ一位だった私たちの時代とは違います。

 楽しいこと面白いことは山ほどあり、バブルの時代とは異なり、平成の大不況を越えた今日の娯楽は廉価なものが主流です。ネットゲームを含むインターネット関連のほとんどは、無料感覚で遊べます。しかも退屈しない。

 セクハラ・マリハラ撲滅運動のおかげで親でさえ“結婚”を口にしなくなり、独身であることの社会的ストレスも減りました。
 女性の7人にひとり、男性の5人に一人は生涯未婚ですから独身者は巷に溢れ、恥ずかしく思うこともない。そのことは同時に、いつまでも一緒に遊んでくれる友だちがいるということでもあります。

 これでは少子化も止めようがない――と、しかしここに救世主のような概念が登場します。
 それが昨日お話した「交際ゼロ日婚」です。

(この稿、続く)

にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2020/1/15

「愛より結婚」〜若者の結婚観が変わるA  政治・社会


 仲人、見合い、結婚相談所といった古い支援システムが崩壊した後、
 長い空白を経て新しい支援事業が始まった。
 今やスマートフォンアプリを使った婚活が全盛だ。
 しかしその背景には、結婚に対する驚くべき意識の変革があった。

という話。



【様々な婚活と交際ゼロ日婚】
 昨年末、12月26日のNHK「所さん!大変ですよ」は、サブタイトルが「愛より結婚スペシャル」でした。

 番組はまず東京都内の寺院で行われた終活から始まるのですが、“来世のためにも現世を精一杯生きなさい”といった住職のありがたいお話のあとで、参加者全員が男女1組になって自己紹介を始めるのです。なんと婚活を兼ねた終活です。
 集まっていたのは40代後半以上の男女20名あまり。人生の後半生をともに過ごす相手を求めて、堂内の会話がはずみます。

 続いて番組は先入観を持たせないための覆面婚活だのすだれ婚活だのを紹介し、AI婚活DNA婚活といったものに次々と話をひろげますが、中でも驚かされたのがブログのタイトル写真にもある「出会って2回目で婚約しました」のカップルです。

 婚活アプリを通して知り合った二人なので、初対面の段階ですでに基本的な情報はやり取りしていたという事情はありました。しかしそれにしても一度会って互いに好感を持ち、二度目のデートではかなり突っ込んだ――欲しい子どもの数だとかお金の使い方、住む場所は賃貸か持ち家かとかいった話を2〜3時間にわたって行い、その場で男性がプロポーズ、その場で女性は承諾、3度目、4度目のデートは互いの両親へのあいさつというスピード婚です。

 女性は言います。
「私は彼氏がほしかったのではなく、結婚相手が欲しかったのです。30歳までに子どもを2人は産みたいと考えて逆算すると今年中に結婚しなくてはならないと思ったら、このやり方が一番コスパ(コストパフォーマンス)がいい。結婚して今は幸せです」

 一瞬息をのむような話ですが少し間をおいて、一歩下がって考えたとき、彼女の発言のどこに問題があるのか、なかなか発見しにくいところです。


【三者三様の結婚のかたち】
 私の両親は大正二桁と昭和一桁の組み合わせです。昭和25年ころから27年ころにかけて職場恋愛の上で結婚しました。私にとっては祖母に当たる母の母は「恋愛結婚」というところにふしだらな印象を持ったらしく一度は反対したようですが、父の人柄ともう戦前とは違うという周囲の説得によって、ようやく矛を収めました。恋愛結婚がふしだらと考えられた時代、というところがポイントです。

 同じ時期、私の友人の両親はまったく異なる形で結婚しています。それぞれの両親が仲人に頼んで組み合わせを決めてもらい、当初は式当日まで互いに顔を合わせないつもりだったようです。
 けれどここでも“戦前ではない”という周囲の助言があって、式の前日、仲人夫妻の夫の方が花婿を、妻の方が花嫁を連れて道路を反対側から歩き始め、すれ違いざまに「あれが明日の相手だ」と確認し合ったといいます。その時点ではもう嫌だとは言えなかったでしょう。
 しかし知る限り、二人はずっと幸せな結婚生活を続けました。

 さて、私の両親と友人の両親、そして先にあげた「出会って2回目で婚約しました」のカップル、この三組に優劣はつけられるのでしょうか?


【恋愛は「娯楽」、結婚は「保証」】
 所さん!!大変ですよ「愛より結婚スペシャル」で最も新鮮な話は、中年間近の女性コメンテーターと若者代表20代の女性の両方の口から同じように出ました。

 若者の結婚意識について調査したことがあるというコメンテーターは、
「私の(若い)ころは恋愛が楽しかったじゃないですか、でも結婚すると恋愛ができなくなっちゃう、ところが今はそこが逆転してしまっている」
 若い女性の方は、
「恋愛をしなくても友だちとも楽しめるし、一人で旅行に行っても楽しめる、そう考えると娯楽の選択肢は広がってきているのです。恋愛で楽しんで何かを手に入れるといった娯楽的なところはなくなってきて、恋愛の価値は下がっているのに結婚の価値は下がっていない。だから恋愛抜きでも結婚はしたい。『交際ゼロ日婚』のようなことが起こるのはそういうことではないか」
――二人の共通点は、恋愛を“楽しみ”としてとらえている点です。後者はより先鋭に「娯楽」として扱っています。
 あまりの新鮮さに、衝撃というより心が躍りました。

 話の途中で中年男性脳科学者が「恋愛こそ自己を磨く素晴らしいものだ」とか言って割って入りましたが、私の考えもそれに近く、恋愛は人生で一度は経験しなくてはならない大切な通過儀礼のように思っていたのです。
 ゲーテの「若きウェルテルの悩み」だとかコンスタンの「アドルフ」だとか、スタンダールの「赤と黒」だとか、とにかく恋愛は非常に複雑で難しく、人間の心の深部に関わる重要な主題でした。それが現代の女性たちによって「楽しいじゃないですか」のひとことで処理され、娯楽のひとつとして一蹴されてしまう。

「現代の若者にとって恋愛は『娯楽』、結婚は『保証』」


 そんなふうにまとめられると、若者代表のりゅうちぇる君ですら戸惑い気味でした。しかし私には、むしろすんなりと落ちたのです。

(この稿、続く)


にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2020/1/14

「独身率87.5%の驚愕:超氷河期の子どもたちと結婚」〜若者の結婚観が変わる@  政治・社会


 同窓会に招かれて行ったら、
 私のクラスは独身者だらけだった。
 しかしそこには理由がある。
 彼らこそ、最も厳しい人生の荒波を受けた世代なのだ。

という話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「割れた氷が浮かぶバラトン湖」パブリックドメインQより)

【独身率87.5%の同窓会】
 世間が冬休みだった4日、二十数年前の教え子の同窓会に出席しました。 昨年40歳の記念同窓会を開いた子たちです。
2019/2/4「子どもたちは覚えている」〜同窓会に招かれて意外な話を聞いた

 記念大会だった昨年は相当に無理をしてきた子も多かったのですが、今年はUターンラッシュの真っ最中ということもあって全体に低調で、私のクラスでも参加者はわずか8名でした。全員地元在住です。しかもそのうち7人には別の共通点もあったのです。
 全員独身。
 41歳の同窓会だというのに独身率、実に87.5%です。

 1名の既婚男性を除いて残り5名の男子は全員一度も結婚の経験がなく、女性2名はいずれも離婚経験者。しかも一人はバツがふたつついています。

 今回は人数が少ないこともあって際立った独身率となっていますが、参加者が4倍近くもいた昨年も似たようなもので、一人ひとり近況を聞き進むうちに「この子も独身」「あの娘も独身」と、途中から怖くなるほどでした。
 数えたわけではありませんが、異常な独身率だとすぐにわかりました。

 何が原因なのか。
 中学生のころ、女子はハッチャケていて男子はおとなしい、そういう学年でしたので性格的な問題でもあるのかなと思ったのですが、ふと気づいたら、この子たちは「就職氷河期」の子どもたちで、しかもそのド真ん中なのです。


【就職超氷河期の子どもたち】
 就職氷河期に該当するのは、一般的に1970年(昭和45年)から1982年(昭和57年)、ないしは1984年(昭和59年)までに生まれ、90年代半ばから00年代前半に社会に出たり2000年前後に大学を卒業した世代と言われています。現在の40歳前後がそれにあたります。

 有効求人倍率が1を切り、企業は採用を控える同時にトライアル雇用で容赦なく新卒を切り捨てた時代です。求職者の方も収入と安定を求めて適性や好みと合わない就職をしたためあちこちでミスマッチを起こし、就職難だというのに離職者があとを絶たなかった時代でもあります。
 卒業後、数年を経ずして非正規雇用となり、新卒生優先の日本社会では沈潜していくしかなかった子どもたちもいました。彼らの多くはその後も、収入も生活の安定も手に入れることができませんでした。

 女の子の場合は、「永久就職」という言葉がまだ生きていてしかも結婚を強く勧めることがセクシャルハラスメントにならない時代でしたから、多少は有利に見えたかもしれません。
 しかし愛し合って結婚しても相手に十分な収入がなければ夫婦間に波風も立ちやすく、逆に収入と安定だけを目指して永久就職した場合も、一般就職と同じようにミスマッチのためのあちこちで不協和音を発して次々と破綻していく――。
 賢く、努力家で、我慢強く、どう考えても離婚しそうにない子までバツイチと聞いて、天を仰ぐ気持ちになりました。あの娘でもたないようでは他の子がもつはずもありません。

 ド田舎の中学校の卒業生なのに私のクラスだけでも2名が海外に嫁いでいると聞くと、結局、日本人に見切りをつけた活きのいい女の子だけが幸せをつかんだみたいで、何かやりきれなくなります。女の子が悪いというのではなく、捨てられた日本の男の子たちがかわいそうなのです。

 考えてみたら私の甥のひとりが同じ世代で、どれほど苦しい青春時代を経てきたかずっと見てきましたから、この子たちの人生は容易に想像がついたはずです。もっと早く気づいて、同窓会の席でねぎらってやればよかった――。
「キミたち、本当によく頑張って来たんだね」と。


【結婚制度の狭間に生きてきた】
 不運はそれだけではありません。
 就職超氷河期の子どもたちは、結婚に関しても狭間を生きた世代です。

 彼らより前、例えば32年前に結婚した私の世代まではかろうじて旧来の結婚制度が残っていました。
 古い地区では年じゅう周囲を見回して“うまい組み合わせはないのか”と塩梅を図っているセミプロのような仲人がいくらでもいました。新しい地域では――今はもうすっかり忘れられていますが、保険の勧誘員がたくさんの見合い写真を持ち歩いて、地域を駆け回っていました。夫婦の契約と保険契約をセットで売っていたようなものです。

 私の時代は恋愛結婚こそ至高だと考えながら、保険として見合い結婚の可能性も残しておくことができました。努力して、それでもだめなら見合い結婚もやぶさかではない。
 ですから周囲が次々と結婚して、一緒に遊んでくれる友だちがいなくなると、自然と“そろそろ見合いでもいいかな”と、そんな気分になったものです。
 一度“結婚する”と決めてしまえば、あとは簡単で身を任せる制度はいくらでもありました。

 ところが就職氷河期にはそういった社会制度も崩壊していたのです。
 それはそうでしょう。渡されたカードが「無職」「派遣労働者」「パート」「アルバイト」では保険外交員でも話を進められません。結婚相談所もお手上げです。

 かくして結婚は、経済力(とは言っても私たちに比べれば平均程度)を持った一部の男子と、“愛がすべて”と無鉄砲になれる活きのいい若者のみもに与えられた特権となっていたのです。

 誠実で真面目でシャイな貧乏人は結婚できない――。
 そうした時代が長く続きました。

(この稿、続く)

にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2020/1/10

「家族葬と年賀状じまいの厄介」〜縁切りの作法について  政治・社会


 新年早々、妻の親戚に葬儀があった。
 しかしすぐに駆け付けられない心の壁があった。
 知らないうちに静かに縁を切ってしまっていたからだ。
 私には、年賀状を介して縁を切りたいとの申し出があった。
 ともに心に引っ掛かるできごとだった。

という話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「葬儀 お葬式」PhotoACより)

【戸惑いの葬儀】
 年明け早々、妻の従姉の訃報が入りました。入ったと言っても直接連絡があったのではなく、新聞のお悔やみ欄で私が気づいたのです。

 大人になってからは付き合いの薄い人でしたが、小さなころはずいぶん遊んでもらったようで、妻はさっそく別の従姉に電話をして様子を聞きました。心筋梗塞による急逝で家族にまるで覚悟がなかった、だから大慌てで、連絡も手分けをしないと間に合わないほどだった、そんな話だったようです。しかしその手分けの連絡が、妻の実家には来なかった。

 実は妻の実家への連絡係は、そのとき電話で話していた当の従姉でした。ところがその人は、ちょっと厄介な事情があって電話をかけ損ねたのです。
 ひとつは妻の実家はすでに代替わりしていて叔父叔母(つまにとっては実父実母)にあたる人はなく、家を守っていた次女も一昨年亡くなったので血の繋がらない次女の夫がひとり残っているだけだった―−つまり心理的な壁があったこと。

 もうひとつはここ2回、妻の実家で出した葬儀を家族葬でやってしまったため、今回亡くなった人も電話で話している従姉も、ともにその葬儀に参列していなかったこと。
 自分が葬儀に行かなかった家をこちらの葬儀に招くということに抵抗があって連絡を怠ったらしいのです。私が新聞を広げて気づかなければ、妻の家では誰一人、今回の葬儀に気づかずに終わってしまうところでした。


【家族葬を選択したわけ】
 3年前、妻の母親(私の義母)が94歳で亡くなったとき、一緒に暮らしていた義姉は葬儀を家族葬で行うことにしました。

 家族葬の定義は少し厄介なのですが、確実な線で言えば「参列者を任意に選ぶ葬儀」ということになります。
 そのため葬儀の事前広告をしません。新聞等への掲載は事後行います。

 もうひとつ大切なことは隣近所への配慮で、これは隣組の組長さんや班長さんを通じて、「家族葬で行いますので通夜および葬儀への参列はけっこうです(またはご遠慮ください)」と回してもらいます。最近ではそれすらも行わず、極秘のうちに遺体を運び出すといった例もあり、私の実家のお向かいさんはそのようにしました。
 そのうえで、親せきや友人への連絡はどの範囲にするかを考えます。最小だと親子のみ、そこから兄弟姉妹、友人関係はどこまで事前連絡をするのか、家族で相談します。

 義母の場合は94歳という高齢でもあり、普通に広告しても親族以外に来るのは2〜3人かもしれない――実際にそうした葬儀を見てきた義姉は、“そんな惨めな葬儀はさせられない”と怖れて家族葬にしたのです。
 範囲は義母の子どもたちとその家族、義母およびすでに鬼籍にある義父の兄弟姉妹(義姉や私の妻にとっては叔父叔母)までとしました。叔父も叔母も物故者の場合は従兄弟姉妹が参列しました。高齢でしたから従兄弟姉妹の方が多かったくらいです。

 葬儀の席上、叔父のひとりがこんな発言をします。
「もうこういうことはお互いさまで切りがないから、皆で集まるのはこれを最後にして、あとは家族だけでひっそり弔うようにしよう」
 
 それからわずか1年半ののち喪主だった義姉が亡くなるのですが、配偶者である義兄は、あの時の叔父の提案を忠実に守ろうとするのです。義母の葬儀から叔父叔母・従兄弟姉妹がごそっと抜けるわけですから、ずいぶん小さな葬儀になりました。
 おかげで招かれなかった叔母の一人からは、のちに激しく叱責されます。
「あれは私たちの代について言ったんで、あなたたちは違うでしょ! なんで知らせなかったの!」


【やってみないと分からないこと】
 家族葬はもはや主流になりそうな勢いのブームですから、あまり深く考えずにやってしまった面もありました。しかし実際にやってみると想像したよりもはるかに大変で、その顛末については以前書きました。
2016/11/14「家族葬という形式」@以下
 ただしその記事を書いた時点でも分かっていなかったことがあって、それは、
「家族葬でいたします(だから参列しなくてもけっこうです)」は、「したがってお宅の葬儀にも呼ばないでください」と言っているのも同じだということです。そのつもりはなくても、相互的なものですから、呼ばないということは“呼ぶな”ということと厳しく近似なのです。

 年明けの従姉の葬儀に際し、妻の実家への連絡を怠ったもう一人の従姉のためらいも、葬儀に参列しようかどうか迷う妻のためらいも、元を質せば同じところから始まっているのです。


【人間関係のフェード・アウト】
 昨日は年賀状の話をしましたが、今年もらった年賀状の中に、ふっと首をかしげるものがありました。ここ数年やりとりの途絶えていた元同僚から、突然、舞い込んできた一枚があったです。もちろんこうした事故は少なからずあって、たいていは先方の記録ミスですがそれにしても3年ぶりは珍しい・・・そう思いながら読んでいくと、そこにはこんなことが書いてありました。

「定年退職を経て、次の仕事も今年3月で退職しようと考えております。ついてはこれを機に、本年をもちまして年始のご挨拶を失礼させていただくことにいたしました。非礼を深くお詫びいたします」

 私はイラっとします。
 これが喜寿(77歳)だの米寿(88歳)だのだったら理解できます。ペンを握るのもままならないということもあるでしょう。しかしその人は60代も半ばに達していないのです。
 あるいは日常的に交際があって今後も続きそうで、年賀状だけやめにしようというならそれもわかります。いまさら儀礼もないだろうということですから。
 しかし3年も付き合いがなく、もう終わったと思っていたところに「年始の挨拶を失礼・・・」は、非礼にもほどがあると思うのです。これではまるで、何の気持ちもない女性から、
「もうあなたのことは愛していません、私にかまわないでください、さようなら」
と言われているようなものです。

 もちろんそんな気持ちで書いたものでないことは十分わかっています。軽い気持ちでやっていることなのでしょう。しかしまだピンピンと元気なうちの“年賀状じまい”が、相手に、
「もうあなたには何の興味もありません。付き合いたいとも、様子を知りたいとも思いません。もちろん私も知らせません。悪しからず。さようなら」
と言っているのと同じに聞こえる――そういうことに対する配慮がまったくないのです。
 なぜフェード・アウトの人間関係ではいけないのか。

 年賀状をもらっても2〜3年のあいだ返事を書かないとか遅らせるとかすれば、いくら何でも相手もわかるはずです。それでも送って寄こす人は、返事はもらえなくても話し続けたい人ですからそのままもらっていればいい。慕ってくる人ですから返事を書かない心苦しさくらい我慢しましょう。
 それをおしてまでも絶縁状を突きつける必要があるのか――。


【保守主義者は語る】
 私は合理ということは嫌いではありません。冠婚葬祭を含む数々の儀礼に関しては、簡略化していくことも大事かなと思います

 しかし一方で私は臆病な保守主義者でもあります。世の中に対しては、先陣を切って改革に進むのではなく右顧左眄しながらゆっくりとあとをついていけばいいと思っています。長く続いてきたものには、何らかの隠れた意味や仕掛けがある場合も少なくないからです。

 家族葬も年賀状じまいもまだずっと先でいい――私はそんなふうに思っています。
 

にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2019/12/11

「選挙に無関心でいられる、嘘をつかずに済む」〜この国の平和ボケも悪くない  政治・社会


 明日、英国下院総選挙。
 しかし選挙予想、あたるのだろうか?
 世界中の国々で、投票前調査で嘘をつかざるを得ない状況がある、
 無関心でいられない状況がある。
 それに対して我が国は・・・

という話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「ロンドンブリッジ夜景」PhotoACより)

【選挙予想がまったく役に立たない国々】
 昨日イギリスのEU離脱についてお話しした際、
 予想は今のところジョンソン首相率いる保守党有利ということになっています。
と書きましたが、ふと思い出したら2年前、当時のメイ首相が背後を固めるために打って出た総選挙のときも、公示前は「保守党、圧倒的優位」でした。
 もちろん勝てると踏んだからこそ議会を解散したわけですが、選挙戦が始まると労働党との差は見る見る縮まって、結局保守党は過半数割れ、今日の混迷に輪をかけた形になったのです。

 そう言えばそもそもEU離脱の是非を問う国民投票だって残留派が勝つと思ってキャメロン元首相は実施したわけで、イギリスの投票予想はことごとく外れるのかもしれません。

「イギリス人は歩きながら考える」といいますから、歩いているうちに気が変わってしまうのでしょう。
(参考)
2017/3/16「歩きながら考える」@
2017/3/17「歩きながら考える」A

 
 大番狂わせといえば3年前のアメリカ大統領選挙だって「トランプ勝利」の判定が出る数時間前まで、クリントン陣営は勝ちを疑っていませんでした。世界中の予想屋・選挙アナリストがヒラリー勝利を疑わず、日本ではトランプ支持者でもないのに「残念ながらヒラリーが勝つでしょう」などと余裕のコメントをした評論家もいたくらいです。

 「隠れトランプ」と呼ばれるような人たちが山ほどいたわけで、あんな下品な男の支持者だとばれるのが嫌で、事前は頬かむりをしていただけだったのです。


【表情を隠すサイレント・マジョリティたち】
 投票フェイクとか投票ポーカーフェイスとか言っていいような事前のニセの表明が、大々的に行われたのは先月香港で行われた区議会選挙です。

 遠く離れた日本で、ニュース番組だけを頼りに予想していた私のような人間には、民主派が絶対勝つ直接選挙を、なぜ香港政府や中国中央政府が許したのか、そのこと自体がなぞでした。
 一週間前の土日でさえ市街戦さながらのデモは続いていたのですから、社会混乱を理由に選挙を(無期)延期にしてしまえば、7割も持っていた議席は守れたはずです。それをなぜやってしまったのか――。

 “香港政府が都合のよい情報ばかりを中央政府に上げていたからだ”という説があります。
 それでいちおう共産党中央が判断を誤った理由は説明できます。しかし結果が予想できていたら、いかに調子のよい香港政府だって怯えて真実に近いものを中央に報告していたはずです。
「8割以上もって行かれるかもしれません」とは言えないにしても、「民主派が過半数に迫る勢いです」くらいは言えたはずです。それをどう誤ったのか、自分たちが勝つ、少なくとも負けないと本気で考えていたみたいなのです。

 考えてみると選挙前のマスメディアの予想も、「議席の8割」などという大勝はまったく考えておらず、
「民主派が3割の議席を守れないようなら、運動は大きな曲がり角を迎えることになります」
といった解説を、私も聞いた覚えがあります。

 要するに、「重大な局面では、ひとはほんとうのことを言わない」という当たり前の動きがあっただけなのです。それをマスコミは読み切れず、香港政府はまったく読み間違えた。
 現場だからかえってわからない、ひとの話を聞くから余計に判断が狂う、そういうこともあります。香港市民はこぞって真の表情を隠していたのですから。

 結果論ですが、5年前の雨傘運動は市民に足を引っ張られるようにして2カ月あまりで終わってしまいまったのに、今回は半年以上続いてもデモ隊を非難する声はさっぱり上がっていませんでした。
 学生は次々とプラカードを掲げて集まってきますが、あの統一されたプラカードや横断幕の費用は誰が出したのか――そう考えると“もの言わぬ大衆”が陰で何を考え、何をしていたのか、自ずと想像できます。
 香港では若者はマスクをつけていますが、大人たちは“顔”自体がマスクでした。


【無関心でいられる、嘘をつかずに済む】
 話を戻しますが、イギリスはさすが議会制度発祥の地、総選挙の投票率は常に高いところにあります。
 1990年代から2000年代にかけてやや下がりましたが、ここのところ盛り返して2017年の下院選挙で68.8%。同じ年に日本でも総選挙がありましたが、そのときの投票率は53.68%――。
 15%の差は小さくありません。日本の有権者数はざっと1億人ですから1500万人も余計に行かないと到達できない数字です。

 イギリスのその高い投票率に寄与しているのが若者たち。18歳から30歳までの投票率は58%〜62%もあり、今回、もしジョンソン保守党が負ける、ないしは伸び悩むとしたら、この層が大挙して投票所に向かい、労働党に入れるからではないかとさえ言われているのです(若者の80%以上はEU残留派であるため)。

 翻って、日本の20代の投票率は前回の総選挙で30%〜35%ほど、イギリスの若者の半分くらいです。情けない話ですが、情けないのは若者ばかりにはなく、私たち60代でさえ前回は66%〜70%。イギリスの同年配の81%に遠く及びません。大人としてほんとうに恥ずかしい。

 しかしちょっと目先を変えて、
「何が何でも選挙に行って政治に影響を与えなくてはならないと、思い詰めずに済む国」
 そう考えると、私たちもけっこういい国をつくって来たじゃないかという気にもなります。

 また日本の場合、選挙特番で投票の締め切り直後に、
「開票率0%で当選確実が出ました!」
と数学的にはあり得ない発表が行われるのは、これも現在の日本が嘘をつかずに済む国だからです。

 無関心はいざというときの感覚を鈍らせますから投票には行くべきですが、平和ボケでも生きていかれる我が国、悪くはないと思います。


にほんブログ村
人気ブログランキング
3



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ