2021/10/15

「プーさんはダースベーダーにしかなれない」〜気になる東アジアの動向  政治・社会・文化


 性格がしつこいので同じテーマで長々と書いていたら、
 メモしておくべきさまざまなできごとが置き去りになってしまった。
 中国や北朝鮮に気になる小さな出来事が続いている。
 だから今のうちに、メモ、メモ・・・。

という話。 
クリックすると元のサイズで表示します
(写真:フォトAC)

【死ぬ前の二つの想い】
 四半世紀ほど以前、重篤な病気になって死を覚悟したとき、家族のことは妻に任せるとして、「ロード・オブ・ザ・リング」とか「マトリックス」とか、続きのある映画については最後まで見ておきたかったなというのと、もしさらに数年の猶予が与えられるなら、東アジアの帰趨について見ておきたかったなというのが最後の想いでした。将来の自分の子や孫が生きる世界が、どんなふうになるのか見届けたかったのです。

 それから予想外のことが二つ起きます。ひとつは病気がほぼ完全緩解したこと、もうひとつは東アジア情勢が一向に変化しなかったことです。
 北朝鮮の金王朝はしぶとく生き残りましたし、30年も前から「明日にも崩壊する」はずだった中国経済はますます盛んで、私が普通に生きて普通に死んでも何ら変わることなく存在していそうな雰囲気です。韓国との関係も驚くほど悪くなっていきます。
 そんなこんなでなかなか死ぬことも、東アジアから目を話すこともできなくなっています。


【中国は若者の熱狂を許さない】
 今週、奇妙なニュースが入ってきたので紹介しておきます。それは中国政府が芸能やゲームコンテンツに対して規制をかけてきたという話です。

 芸能に関してはコンサートやファンクラブへの未成年者の参加制限、芸能人のランキング廃止などが通達されたとのこと――。
 あまり知らなかったのですが、特定の芸能人に心酔する若者は“飯圏(ファンクエン)”と呼ばれ、例えば韓国の人気グループBTSのファンは「航空機にBTSをラッピングしよう」と呼びかけてわずか1時間で4000万円も集めてしまうほどに大きな勢力となっているらしいのです。これはかつて日本のAKB総選挙が、中国系富豪の出方によって左右されたのとは少し違います。人数がケタ違いなのです。

 ゲーム業界も意外な規制をかけられています。
 オンラインゲームでは子どもを守るという名目で、未成年者は金曜日から日曜日の三日間および法定休日の、しかも8時から9時までしかサービスを受けられなくなりました。ゲーム自体の表現方法にも細かな規制がかけられ、宗教的な要素は認められないとされたため、開発中のゲームは急遽キャラクター変更をせざるをえなくなったそうです。
 プロゲーマーをめざす学校も生徒が激減。廃校を余儀なくされたと言います。
(2011.10.07 NHKニュースウオッチ9「中国『芸能界規制』強まる背景は」)


【まるで文化大革命だ】

 なぜそんな規制をかけるのか――NHKによると要するに、中国政府は「統制できない集団は認めない」「コントロールできない様子が見えたら芽を摘む」という方針で、「アーミー(BTSファン)」やゲーマーたちに網をかけたらしいのです。指導部はアイドルを応援する声が政府批判に変わることを警戒しています。

 一部ネット市民はSNSで「まるで文化大革命だ。国はひとつの声しか許さない」とか「中国社会はとっくに終わっている。誰も庶民の声を聞かない」とか書き込んで抵抗していますが、個人情報のほとんどが政府に吸い上げられる中国ではそんな抵抗も長続きはしないでしょう。唯々諾々と従っていくしかありません。

 ただ、可能性がまったくないわけでもないでしょう。
 いま取り上げたSNSの書き込みで、「まるで文化大革命だ」が平然と使われているのは、書き込み主がこの表現で多くの人々が状況を伝えることができると踏んだからです。つまり文革の中身を理解している若者が、現代中国には大勢いるわけです。
 32年前に不満をもった若者たちが何をしたか――それを知っているということは、いざというとき自分たちが何に注意して何をすればいいのか、知っているということです。
 指導部が芸能界やゲーム界に注目したのは当然と言えば当然ですが、すでに遅きに失しているのかもしれません。


【プーさんはダースベーダーにしかなれない】
 インターネットは世界と繋がっていますし、昨日まで見てきた通り、人々を集団としてまとめることも分断することも簡単にできるのです。いちどネットでゲームやアニメ、アイドルや外国映画を知ってしまった人々に、忘れろといってもできることではありません。

 また、自由主義のもとで育った芸能やゲーム・アニメは、本来、権威主義とは相いれない要素を持っています。
 若者に限って言えばBTSは習近平首席よりもはるかに高い集客能力を持っているはずですし、習指導部の言うことは聞かなくてもBTSの言うことはきくかもしれません。つまり権威を二分することができるのです。

 さらに、ゲームやアニメ、娯楽映画では、多くの作品で“正義”が主題として扱われます。正義の若者が巨悪を倒すというのは基本的な形です。
 ところが「スター・ウォーズ」あたりを思い浮かべると、どう考えても習首席はルーク・スカイウォーカーでもハン・ソロでもなく、ダースベーダーです。人民公会堂前での軍事パレードの様子は、帝国軍のそれとそっくりと言えます。

 もしかしたらバーチャルの世界にどっぷり浸かっていた若者が、制限のために否応なく見ることになる現実は、「スター・ウォーズ」にそっくりなものなのかもしれません。そしてそこにいるのは、かつては「ぷーさん」と揶揄され、いまはダースベーダーにしか見えない“あの人”なのです。

(追記)
 実は先日報道された北朝鮮の“列車搭載型弾道弾”のことも気になっていて、なぜ他の国に類を見ないのかずっと考えていました。その結果思いついたのは、「あんなもの役に立つはずがない」ということです。経路のはっきりしている移動ミサイルなんて、ちっとも怖くない。
 では、なぜそんな「役に立たない発射台」をつくったのかと考えたとき、ハタと気がついたことがあります。それは「カッコウいいから」ということです。もしかしたら北朝鮮には戦略というものがなく、金正恩氏は日本の子どもがプラレールを集めるのと同じように、あれこれ幾種類ものミサイルを手にしては遊んでいるのではないか――。
 考えていくと面白そうなのですが、すでに今日も長すぎるほど長い文になってしまいました。このあたりでやめておきます。

にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2021/10/14

「その難しい世界に、私たちは子どもをいざなう」〜反ワクチン派なぜかくも頑固なのかC(最終)  政治・社会・文化


 インターネットのおかげで私たちの人間関係や活動範囲が広がり、
 世界は狭まった。
 しかしそれで人間たちは幸せになったのだろうか。
 しかもその難しい世界に、私たちが子どもをいざなおうとしているのだ。

という話。 
クリックすると元のサイズで表示します
(写真:フォトAC)

 かつて熱烈な進歩主義者で科学万能を信じていた私は、さまざまなコミュニケーション・ツールの発達によって世界が狭くなり、人と人とが触れ合って多くを語り合えば、きっと分かり合え、誤解はとけて平和な世界が生れると思い込んでいました。
 まさか情報が増えれば増えるほどお互いが遠ざかり、理解不能になっていくなど、考えてもみないことです。
 反ワクチンと接種推進という分かりやすい例で考えてきましたが、いま起こりつつあるのは、まさにそういう事態です。


【半径50mほどの生きていく世界】
 科学や社会の進歩、特にコミュニケーションの広がりが必ずしも私たちを幸せにしないという事例はいくらでもあります。

 私が子どもだった半世紀ほど前、人々の生活範囲は半径50m程度のものでした。
 私の生まれ育った家は2軒一棟の平屋が10棟ほど集まった市営住宅の中にありましたが、そこは地方の中級河川の、堤防を降りた袋小路のような場所であって、外部とはゆるく隔たっていました。父はそこから毎日出勤し、母も毎日500mほど離れた商店へ買い物にいったりするのですが、基本的に線香花火のようにそこから出たり入ったりするだけです。

 私たち子どもも学校に行くために集落を出たり入ったりはしますが、帰宅してからの遊ぶ場も休日の活動の場も、ほぼその枠の中にしかありませんでした。当時の小学生は自転車など持っていませんでしたし、親も気軽に自家用車で子どもの送り迎えをするというわけにはいかなかったからです。
 必然的に異年齢も含めた近所の子どもと遊ぶしかなかったのですが、これがなかなか厳しい世界だったのです。上下関係は明確で6年生の言うことは絶対でしたし、仲間外れにされると行き場がありませんからどんな不条理にも絶えざるを得ません。ジャイアンやスネ夫ばかりでなく時には“お局様”も一緒にいたりしましたから、下っ端はほんとうに苦しかったのです。

 今は違います。子どもは生まれた直後から親の広い人間関係のもとで育ちます。親たちは自家用車や電車であっという間に遠くの友人のもとに子連れで出かけて、そこで気の合うもの同士で、似たような養育環境で子どもを育みます。

 子どもは子どもで、ある程度の年齢になると50mの枠を越えて遊びに出かけます。自転車がありますから、どこに行くのも自由です。地域に縛られて嫌な奴と付き合う煩わしさもいじめられる危険もありません。
 そういう点で一義的には幸せな生活を送れるようになったのですが、それが生涯の幸せにつながるかというと難しい面も残ります。というのは嫌な奴と付き合う技術とか、理不尽な連中をうまくかわす術とか言ったものの学習は、小さい時から始める方が有利だからです。
 正しいか間違っているかは別にしても、これをやったらひとは怒るとか、こうしたら面倒くさい先輩でも篭絡できるといったことは、経験によってしか学べないからです。


【社会の広がりは人を必ずしも幸せにしない】
 考えてみると歴史も、人間関係や社会の広がりが必ずしも幸せにつながらないことを証明しています。
 家族を中心とした小さな集落が、それぞれ離れて点在していた縄文時代は争いといってもたいしたものではありませんでした。それが稲作の始まりとともに人々が水辺に集まり、巨大な集落をつくり始めると穏やかではいられなくなります。
 それから千年たっても、光源氏が明石に流罪になって涙を流しているような状況では、九州の豪族が京に攻め込むような事態は起こりようがありませんでした。
 16世紀になってヨーロッパ人が訪れるようになっても、日本がインカ帝国のように滅ぼされなかったのは、距離の問題も大きかったからでしょう。しかし20世紀になるとそうも言っていられなくなります。
 もしかしたら今の地球が全体として安泰なのは、地球人にも異星人にも互いの関係を詰めるだけの技術がないからだけなのかもしれません。


【その難しい世界に、私たちは子どもをいざなう】
 インターネットというのは、21世紀が生みだした最初の、偉大な発明(*)と言えるのかもしれません。しかしこうして20年以上使い込んできて分かることは、そう簡単な仕組みではないということです。
*発明自体は20世紀末でしたが、20世紀中はたいして使い物になるものではありませんでした。

 情報の過剰がかえって人々を理解不能な存在にいくこと、遠くの人がすぐ隣にいるかのように錯覚させると同時に、物理的に近くにいる存在がどんどん遠ざかっていくこと、現実と仮想空間で人間関係が二重構造になっていくこと、インターネットを通して人間関係が広がっているのか閉じているのか、それすらも分からなくなってきたこと――ちょっと考えただけでもさいくらでも課題が浮かびます。

 しかしそんなことを考えている間もなく、子どもたちがこの世界に触れ、私たちがそのあと押しをしていることこそ、最大の問題かもしれません。


にほんブログ村
人気ブログランキング
4

2021/10/12

「大切なのは自分がやったということ」〜反ワクチン派なぜかくも頑固なのかA  政治・社会・文化


 他人に押し付けられたことは長続きしない、
 また、押し付ける側には何らかの意図があるかもしれない。 
 それに対して、自らの力で手に入れ、
 自らの自由意思によって決めたことには価値がある、
 そう考えることはあながち不条理ではない。

という話。 
クリックすると元のサイズで表示します
(ヴィンチェンツォ・カムッチーニ作「シーザーの死」)

【アントニーの詐術】
 「アントニーの詐術」は昔、山本七平という評論家がシェークスピアの戯曲「アントニーとクレオパトラ」を題材に、大衆が扇動者(この場合はアントニー)によって群衆化し、態度を反転させて行動に移すまでの過程を説明しようとしたものです。
 山本によれば、シーザーの遺体を前にアントニーが大衆に呼びかける場面で、使用した詐術は次のみっつです。
1.自分に都合のよい事実の編集  
2.問いかけ  
3.民衆と死せるシーザーとの一体感の醸成


 そのことを念頭に、実際の文章を読んでみます。周囲の心配をよそにブルータスがアントニーに追悼演説を許可した次の場面です
「シーザーはわが友であり、私にはつねに誠実、かつ公正であった。が、ブルータスは言う、シーザーは野心を懐いていたと。そして、ブルータスは公明正大の士である……
 生前、シーザーは多くの捕虜をローマに連れ帰ったことがある、しかもその身代金はことごとく国庫に収めた。かかるシーザーの態度に野心らしきものが少しでも窺われようか? 貧しきものが飢えに泣くのを見て、シーザーもまた涙した。野心はもっと冷酷なもので出来ているはずだ。が、ブルータスは言う、シーザーは野心を懐いていたと。そしてブルータスは公明正大の士である。
 みなも見て知っていよう、過ぐるルペルカリア祭の日のことだ、私は三たびシーザーに王冠を捧げた、が、それをシーザーは三たび却けた。果して、これが野心か? が、ブルータスは言う、シーザーは野心を懐いていたと。そして、もとより、ブルータスは公明正大の士である。
 私はなにもブルータスの言葉を否定せんがために言うのではない、ただおのれの知れるところを述べんがために、今ここにいるのだ。(中略)……みな、許してくれ、私の心はあの柩のなか、シーザーと共にあるのだ、それが戻ってくるまでは先が続けられぬ。(泣く)


 この中で私が特に注目するのは2の「問いかけ」です。
 アントニーが「野心らしきものが少しでも窺われようか?」と言ったとき、大衆の心の中に何が起こったか。
 答えは単純です。その前に「生前、シーザーは多くの捕虜をローマに連れ帰ったことがある、しかもその身代金はことごとく国庫に収めた」と説明されたあとでは、人々の心の中に浮かぶのは「否、シーザーには野心などなかった」以外にありません。
「私は三たびシーザーに王冠を捧げた、が、それをシーザーは三たび却けた。果して、これが野心か?」
 ここでも答えは、「否、シーザーは野心家ではなかった」です。

 なぜそうなるのかというと、アントニーがシーザーに有利な事実だけを選択的に示しているからです。これが「1.自分に都合のよい事実の編集」です。しかし人々はそうした判断を押し付けられたとは思ってはいません。事実は事実ですし、アントニーは一度も「シーザーに野心はなかった」とは言っていないからです。それどころか繰り返されたのは「ブルータスは公明正大の士である」という賛辞だけなのです。
 かくして人々は自主的に、自らの意思によってシーザーの偉大さを確認し、「ブルータスを殺せ!」と叫ぶようになります。
 大事なことは、それが強制されたものではないということです。自らの自由意思によって、自分が決めた――だから能動的に、熱狂的に動こうとするのです。


【子どもの自主性をたいせつにするということ】
 実は、似たようなことが学校の授業の中でも頻繁に行われます。
 大きな公開授業などで、子どもが実に生き生きと自由に考え、自由に活動しながらぐいぐい学習を進めている姿を見て、初めての人はほんとうにびっくりします。テレビのニュースなどでときどき紹介される「◯◯について中学生たちが学びました」と言った授業風景がそれです。

 中には「あれは外部向けにリハーサルを積んでいるんだ」などと言う人もいますが、そんなことはありません。リハーサルなんてしたものなら、ちょっと違っただけでも子どもたちは「あれ? 昨日のリハと違っているじゃん」くらい平気で言いますから怖くてできないのです。

 そうではなく、何日も何百時間もかけてつくった授業案というのは、児童生徒が最終的に目標の地点にたどり着くよう、山ほどの仕掛けがしてあるのです。
「子どもたちがこう聞いてきたらこんなふうに返そう」
「筋の違う方向へ進みかけたら、この資料で対応しよう」
「この辺りで停滞するから、こんなふうに励まそう」
 そうした対応策の集積が授業案(指導案)なのです。がんじがらめではないのですが、子どもたちは緩やかに一定方向に進まされます。それと気づかないうちに――。

 しかし例えば、「三平方の定理(ピタゴラスの定理)の証明法は100通り以上あると言われていますが、代表的なのは次の五つです」と説明してしまえば済む話を、なぜ2時間も3時間もかけて生徒にやらせるのか――。
 もちろんそれをしなければ数学的な考える力がつかないということもありますが、もうひとつの大事な点は、「学習は本人が主体的に取り組まないと身につかない」という原則があるからです。
 そのために教師は、生徒たちが自主的に取り組み、自分たちの力だけで目標を果たしたという擬制をつくろうとするのです。子どもたちはその擬制の中で成功体験を繰り返し、その自己効力感を糧に、次の課題に向かっていくのです。


【大切なのは自分がやったということ】
 現在は知りませんが、かつては新聞記者も警察官もセールスマンも、「足で稼げ」と言われた時代があったはずです。要するに現場を数多く踏めという体験主義です。自分の足で稼ぎ、自分の目と耳で確認せよという考え方には伝統があります。

 反ワクチンの人々、特にアメリカの反ワクチンの人々は必死と言っていいほどの熱意をもって自ら調べる人たちです。私のように政府やマスコミの言うことを簡単に信じて接種に出かけるような人間ではありません。
「見ずして信ずる者は幸いなり」と言ったイエスのしもべにあるまじき彼らは、自身の努力によって掴んだからこそ、コロナワクチンの非を叫び続けているに違いありません。
 しかしその調べ方にこそ、問題がある。


にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2021/10/11

「もっとも確かな知見がここにある」〜反ワクチン派なぜかくも頑固なのか@  政治・社会・文化


 日本における新型コロナ感染拡大第5波が終息しようとしている。
 それにしてもアメリカ合衆国の惨状はどうだ。
 なぜ反ワクチン派は生まれたのか、
 そしてなぜ彼らはかくも頑固なのだろうか。

という話。 
クリックすると元のサイズで表示します
(写真:フォトAC)

【第5波が終わろうとしている】

 日本の新型コロナ感染第5波もようやく底が見え、直近一週間の10万人あたりの感染者数も5を切りました。これは第4波後の7.9人(6月21日)、第3波後の5.4人(3月2日)よりもさらに低い数値です。どこまで遡れば5未満にたどり着くか確認すると、昨年の11月3日でした。現在はそのくらい良い状況だということです。
 しかもワクチン接種完了者も63%を越え、56%に留まるアメリカをしり目に、英・仏・独(64〜66%)もしのぐ勢いです。第6波を危ぶむ声もありますが私はかなり楽観しています。

 ところで、かつてはワクチン先進国だったアメリカ合衆国はどうしたことでしょう。


【アメリカの現状と反ワクチン】
 アメリカ合衆国の昨日までの感染者数は総数で4431万人、死者は71万3千人ほどにもなっています。日本は感染者171万人、死者1万8千人、いかにアメリカの人口が多いとは言ってもわずか2.6倍なのです。それなのに感染者は26倍、死者40倍。多すぎます。なぜそんなことになってしまったのか。

 さまざまな要因はあろうかと思いますが、「新型コロナは単なる風邪だ」「経済を止めるな」「私は断固としてマスクをしない」と言い続けたトランプ元大統領の罪は非常に大きいはずです。
 昨日の統計では先週も毎日10万人前後の新規感染者が生れ、日々2000人もの死者が出ていますが、その大部分がワクチン未接種者で、共和党員で、トランプ主義者だそうです。あまりにも共和党支持者に偏っているため、
「反ワクチンは来るべき中間選挙に向けて共和党員を一人でも減らそうという民主党員の陰謀に違いない」
と揶揄されるほどです。

 さらに聞くところによると、最近の集会ではさすがの元大統領も「ワクチンを打とう」と発言したらしいのですが、観衆の一部からは「ふざけるな!」の大ブーイング。反ワクチン派は、すでにトランプの言うことさえ聞かなくなっているのです。

 日本でも先日、兵庫県の反ワクチン派医師が、兵庫県内の高校でワクチン接種直後の生徒が亡くなった、という話を高校名付きでツイートしたところ、当該校と教育委員会に批判が殺到。いくら学校が否定しても「隠ぺいだ」などと言って引かなかったともいいます()。
「ワクチンで生徒死亡」と医師がSNSでデマ拡散 投稿削除も「お詫びすらない」と学校関係者(2021.10.08 AERAdot)

 私の周辺には反ワクチンの人はいませんが(そもそも周辺に人間自体が居ない)、その件を弟に話したら、まだ勤め人の弟の周辺にいるらしく、他の人たちのワクチン接種は妨害しないものの、ワクチンの危険を主張して頑として譲らないそうです。弟に言わせれば、
「まったく噛み合わない、話にならない」
 彼らはなぜかくも頑なに自らの正しさを信じられるのか――。


【もっとも確かな見識がここにある】
 私は基本的に彼らが公的な情報を信じないからだと思っています。先週「世論がどこにあるのか分からなくなった」という記事を書きましたが、そういう私が、反ワクチン派の人々の一歩手前なのです。

 テレビや新聞を通して何かを探そうとしてもまったくあてにならない。ウソをついているとまでは言わなくても昨日の論調が一夜にしてひっくり返る、そしてそのひっくり返った原因が分からない。
 昨年の東京都知事選の際に、小池百合子知事の選挙公約「七つのゼロ」が評判になりましたが、既存の政治家の言葉も信じられない、したがって政府も信じられない。
 もともと新聞や政治に関心の強い人たちですから、今度はマスコミや政府広報があてにならないとしたら自分で調べるしかないと考えます。
 そしてインターネットに向かい、友だちにと討論したり政治家の集会に参加したりして情報収集に励みます。

 やがて彼はひとつのまとまった知見に至ります。それは最良のものです。なぜならその知見は、彼が足を使い、自らの目と耳で知り、自らの頭で判断し、作り上げたものだからです。これ以上に正しいものが、この世に存在するはずがありません。

(この稿、続く)
 

にほんブログ村
人気ブログランキング
2



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ