2020/5/25

「メルケルさんの爪の垢でも煎じて飲め!」〜丁寧な説明をしない政府への苛立ち  政治・社会


 安倍内閣の支持率がついに27%まで落ちた。
 コロナ対策では日本よりはるかにうまくいっていない国々、
 絶望的な経済的な困難を抱えている国の首脳が、
 それでも支持率を上げている中で、この数字は異常だ。
 とにかくこの国の政府は、呆れるほど丁寧な説明をしていない。

というお話。
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(「試験管」フォトACより)

【安倍内閣支持率27%】
 先週末の毎日新聞によると、安倍内閣の支持率は27%まで落ちて不支持率(64%)の半分以下、ほとんど絶命寸前といった状況です。

 今回のコロナ事態で、文大統領が69%、メルケル首相80%、トランプ大統領でさえこれまでの最高値の49%と、各国首脳のほとんどが支持率を上げる中で、いくらさくらを見る会やもりかけ問題、定年延長・黒川問題があったにしても、安倍政権の支持率低下は尋常ではありません。コロナ対策も悪評芬々、世界最低と評されて“安倍・自民党政権にウンザリ”の声はネットやマスコミ上で日々高まっています。

 中には「もう自民党以外ならどこでもいい」などという声もありますが、私たちは同じ思いで10年ほど前に民主党政権を生み出してしまい、さんざんな目にあっています。やはり政治は「何でもいいという」わけにはいきません。また困ったことに、安倍はダメでも代案もない。

 一時期勢いのあった小泉進次郎議員は姿が見えず、石破がいい、岸田がいいという話もなく、ましてや枝野待望論があるわけでもありません。コロナ対策にしても「自民党じゃだめだ、立憲民主なら(維新なら、共産なら・・・)、もっとうまくやったろう」という話も出て来ません。

 代案がない以上は少しずつお灸をすえながら、今の政権を盛り立てていきましょう、新宅を立てる前に旧宅を壊してはいけません、などと言おうものなら袋叩きにあいそうなので私も言いませんが、このまま政府を信じない風潮が広まったままというのも不安です。


【口下手な政権、説明に労を尽くさない人々】
 もしかしたらこの政権は、多弁な割に口下手ではないかと思うことがよくあります。
 森友問題でも安倍首相は「妻がかかわっているようなら辞めます」などと言わなければ問題の半分以上なかったように思うのです。さくらを見る会でも、謝るべきところはさっさと謝ってしまえばよかった。定年延長問題は明らかに説明不足です。

 さらに言えば、新型コロナ対策のいちいちはあまりにも説明不足で、いつも唐突の感がありました。状況は常に変化していてその場その場の判断を求められる大変さはあります。しかしそれでもより丁寧に説明していけば、これほど非難されることもなかったでしょう。

 いま振り返ってもクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の扱いにあれ以上のものがあったようには思えません。もちろんアメリカのように数千人の乗員・乗客を同時に隔離できる遊休軍事施設でもあればよかったのですが、チャーター機の数百人でさえ苦労している状況で3700人を運び入れる場所など見つけようがありません。

 当時、「早期にPCR検査をしたうえで、陰性の乗客だけでも早く降ろすべきだ」という主張もありましたが、船内は濃厚接触者だらけで、その日の検査が陰性でも決して安心できる状況ではなかったのです。やはり2週間隔離して発症しないこと確認してからでないと帰せなかった、それは正しい判断でした。
 しかし当時、そのことに十分な説明があったとは言えません。

 弁当が届かないこと、薬が届かないことにも理由がありました。けれどなぜそうなっているのかの説明はほとんどなく、担当者が何かの理由で意図的に仕事を控えているのだといった印象しかなかったのです。

 そんなこんなでクルーズ船対策は内外から猛然と批判され続けましたが、終わってみれば結局あれしかなかったのです。前例のない巨大クルーズ船での検疫に不備があったとしても、日本だけを責めるのは酷です。

 4月に入ってアメリカ大使は米国民が受けたケアについて、
「これは優秀な地域医療だけでなく日本の素晴らしい“おもてなし”の心を映し出すものです」
と感謝の気持ちを表しました。

 ダイヤモンド・プリンセスとその前の屋形船、ふたつの船での感染を最小限で抑えて2カ月の猶予をつくったことが、いかにその後の日本にいかに有利に働いたかははかり知れません。遅れてきた分、中国・韓国・東南アジアの国々、そしてその後のヨーロッパ各国の様子を見ながら、良いところ、真似のできるところは全部吸い上げて、後追いができたのですから。

 さらに、苦労された乗客乗員には申し訳ないのですが、「小武漢」「巨大な実験室」と呼ばれたダイヤモンド・プリンセスから得られた多くの知見は、その後の政策決定に大きな影響を及ぼしました。それも日本の運のいいところです。


【自分には“能力がない”と言えない】
 3月に入ってからは韓国の成功の影響もあって、PCR検査の少なさが問題となり、今も尾を引いています。結論から言えば、当時も今も、韓国中国並みの検査をする能力がなかっただけの話です。
 政府は4月中に検査体制を1日2万件にしますと約束しましたが、これも予算をつけるという意味で人員配置まで保証したものではありません。人員配置と言えば、地域の保健を統括する保健所の人員も、圧倒的に不足していました。政府の行政改革のおかげです。

 日常生活にサイズを合わせた人員配置だから、緊急時に即応できない、それだけのことで政府はきちっと説明すればよかったのです。
 中国や韓国、台湾やイスラエルなど休戦中もしくは準戦時体制で、自由の制限や余剰人員を抱えることが常態化しているのです。それにふさわしい税負担にも耐えています。
 だから日本は中韓・台湾イスラエルのようにはできない、そう言えばよかったのです。そのうえで、日本には過剰なCTスキャンがあるから大丈夫、日本人の特性のこの部分を信頼してクラスター対策で対応していく、そんな説明をしつくせば、国民も納得し、政府を信頼したはずです。しかし言わない。

“メルケルさんの爪の垢でも煎じて飲め”と思うのは、そのためです。


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2020/5/22

「eスポーツは天使か悪魔か」〜ゲーム障害とプロ・ゲーマー   政治・社会


 新型コロナ対策の外出自粛がゲーム依存を増やさないかと心配される中、
 プロ・ゲーマーをめざすことで免罪符を手に入れようとする子どもたちが出てきた。
 eスポーツも国体の中で開かれるようになった。
 さて、この状況をどう考えていったらいいのだろう。

というお話。 
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(「パソコンゲームをする女性の手元」フォトACより)

【外出自粛の陰で…】

 一昨日(2020.05.20)のNHKクローズアップ現代+は「外出自粛の陰で…ゲーム依存は大丈夫?」というタイトルで、特に中高生のゲーム依存について扱っていました。

 たしかに現状で「学校は休校」「表に出るな」「友だちにも会うな」ということだと、勉強も読書も嫌いという子は動画鑑賞かゲームくらいしかやることがなくなってしまいます。そして多くの子は、読書も勉強もあまり好きではありません。
 したがってゲームに多くの時間が費やされるのは仕方ないにしても、問題はコロナ事態が終結または一休みという段階になったとき、普通の生活に戻れるかどうかということです。

 番組で紹介されたWHOの「ゲーム障害」の定義も、
 ・ゲームの使用をコントロールできない。
 ・生活の関心事や日常生活より、ゲームを優先する
 ・問題が起きてもゲームを続ける
 ・ゲームによって、日常生活のさまざまな分野で明確な問題が生じる

となっていて、日常生活に問題が生じるかどうかが大きな目安になっています。 もっともここまでは従来のゲーム依存の問題の枠内です。

 今回驚いたのは、これまで不登校の子の逃げ場としてのコンピュータ・ゲーム、あるいはゲームへの耽溺から起こる不登校・ひきこもりという暗い印象の話だったのが、今や一部の病的ゲーマーが希望に目を輝かせ、堂々とゲームに邁進し、親もそれを認めざるをえない状況が進んでいるというのです。
 コンピュータ・ゲームの耽溺者が市民権を得るような新しい世界、それがeスポーツです。


【プロ・ゲーマーという夢】
 困ったことにeスポーツの現場は決して暗いものではありません。
 まるでコンサート会場のように彩られたステージで、ゲーマーたちは激しくバトルを繰り返し、観衆は熱狂的に応援します。それはまる本物のサッカー場や陸上競技場、あるいは格闘技の会場のように、荒々しく、激しく、興奮を呼び起こして、勝者は英雄のように勝どきを上げます。
 それもそのはずで昨今の大会の賞金はうなぎ上りに上がっており、昨年はアメリカの16歳の少年が1回の大会で賞金300万ドル(約3億2600万円)を手にしたと評判になったりしています。今年中には最高賞金は10億円を超えるとも言われています。

 日本でも昨年度、茨城国体で正式種目ではないものの「全国都道府県対抗eスポーツ選手権2019 IBARAKI」が開かれ、eスポーツが国内でも公式に認められたと大評判になりました。それ以前に2020東京オリンピックの追加種目で名前が挙がったことから、この競技を知った人も多いかと思います。

 おかげでeスポーツは地位も名声も一段と上がり、陽の当たる場所に出て来ました。そしてこれまで日陰者のように扱われてきた引きこもりのゲーマーの一部は、「自分はプロ・ゲーマーになる」という夢を語り始めたのです。


【親の反応】 
 もちろん人生に目標ができるのはいいことですし、親からすればこれまで“このままでは社会的落伍者になるしかない”と思っていたのが、“このままでも成功者になれるかもしれない、悪くても生活費ぐらいは稼げるようになるかもしれない”と希望が見えてきたのですから、むしろ応援者になってしまう。少なくとも黙認せざるをえない。

 考えてみると実際の世の中にはプロ野球選手をめざす子もいればJリーグへ向かおうとする子もいます。芸能人に憧れて歌や踊りの習い、オーディションを受けまくる子もいます。それと何が違うのか――。医者や外交官をめざす子だって、努力や才能が必要なことや可能性としてなかなか大変だということでは同じではないか――。
 そんな気もしてきます。

 もちろんプロ野球や芸能人をめざす子のほとんどは、学校にも行かずに打ち込んでいるわけではありませんから、夢がかなわなかった場合の逃げ道があるわけで、プロ・ゲーマー志望もそんなふうにきちんと学校に通いながらプロをめざすという生き方もありますが、もともと引きこもりで家から出ない子に「学校に行きながら――」と言っても通じないでしょう。どうせ家にいてゲームしかしないなら、プロをめざしてもらうのもいいかもしれない――親がそう思いたがるのもわからないではありません。


【eスポーツはやはりスポーツじゃないだろう】
 eスポーツのおかげで子ども自身の、そして家庭内の葛藤が回避されることが、状況をどこまでよくするかは分かりません。またほぼ確実に心配なのは、本来それほどゲームに熱中していなかった子が、賞金や名声に魅かれてこの世界に入ってきてしまい、それを親が止め切れなくなることです。
 ゲームには習慣性・依存性がありますから、入り口がある程度、常識的なものであっても、病的な段階に行くのはあっという間かもしれないのです。

 そもそも「eスポーツ」というネーミングが絶妙でした。スポーツと書かれると何もかもが健全に見えます。
 本来スポーツは肉体を鍛え、健康を形作るものです。私はオリンピック選手のように速く泳いだり走ったりすることはできませんが、それよりものすごく低いレベルでもスポーツをすることは私の健康に寄与します。ほどよく運動することは年齢にかかわらず推奨されることです。

 しかしeスポーツはどうでしょう?
 コンピュータ・ゲームは肉体を鍛えるようなものではありません。私のような老人でも自分にふさわしいレベルで気楽にやれば健康増進、ということもないでしょう。ストレス発散や脳の刺激になるということでしたら、読書も数学パズルもスポーツになってしまいます。

 そんな、常識的にはスポーツと呼べないようなものが国体に入ってこられたことには、全国都道府県魅力度ランキングで6年連続最下位という茨城が、国体に華を添えようとしたという大人の事情があったようです。
 しかしそれはあまりにも浅はかだったと言うしかありません。やるにしてももっと慎重な議論が必要だったと思うのです。


【eスポーツを擁護する立場から】

 20日のクローズアップ現代+ではコンピュータ・ゲームを擁護する立場から、伝説のゲーマー高橋名人が出てきて、
「オンラインで日本中の子どもたちが話せるということは、いじめの問題や相談を話せるということ、ゲームによって救われている子どももいる」
「WHOもPlay Apart Together、うちにいてゲームをしよう、そうすれば感染も防げると言っている」
「ゲームはツールとして使ってほしい。小学生の小さなお子さんがお爺ちゃんと一緒に会話をしてプレーすることでコミュニケーションが広がる」

等々話しておられましたがいずれも説得力に乏しいものでした。おっしゃることは正しいかもしれませんが、失われるものが多すぎます。

 ただ、日本には家に引きこもってゲームに依存し続ける子どもがすでに何万人もいて、その子たちは依存症の治療プログラムにうまく乗せられない限り健全な社会人として世の中に出てくる可能性は極めて低い、他方でeスポーツが陽の当たる場所に出てきて、ゲーマーが英雄視されようとしている、その二つをうまく組み合わせて何か新しいことはできないか――そんなふうにも思ったりするのです。

 「本物のプロになって海外で活躍するつもりなら、英語だけは本気でやっておけ」で渋々英会話教室に通い始める子はいないか、「最後は体力勝負だから毎日のランニングと筋トレ、栄養学の勉強だけは欠かさずやっておけ」といった理屈で朝日の当たる場所で走り始め、食事を気にするようになる子はいないかといったことです。

 欧米諸国では痩せすぎのファッション・モデルを規制する法律があって、フランスではモデルとして働くためには健康的な体型と体重であることを証明する医師の診断書が必要だそうです。それと同じような「健康証明」をeスポーツに導入し、プロをめざす子は親と一緒に健康対策をしなくてはならないとか、さらにあるいはゴルフのプロに、トーナメント・プロとレッスン・プロがいるように、プロ・ゲーマーの働く場所を広げトップ・プロにはなれなくても生きていく道を確保するとか――。

 今ある状況を前向きに考えて、対処していくしか方法はないのです。

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2020/5/19

「アベノマスクがこの国を変えた」〜もう来なくてもいいけど    政治・社会


 東京では「使い捨てマスク」が市場に溢れ、値崩れを起こしているという。
 安倍首相は「アベノマスク」の効果だと自賛し、
 メディアやネットは非難囂々。
 しかしやはり、布製マスクを世に広めた功績は大きいのじゃないかな?

というお話。
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(「手作りのマスク_家族分_子供用も」フォトACより)

【使い捨てマスクがだぶつき始めた】

 東京では新大久保あたりで「使い捨てマスク」が大量に売り出され、値崩れを起こしているそうです。
 私は田舎住まいで田舎の場合、医薬品はドラッグストアと相場が決まっているのですが、そのドラッグストアが現在あつかっていないため、マスクのだぶつき感はまったくありません。ただしかつて開店前にあった買い物客の列はなく、マスクを求めて血眼といった雰囲気もなくなっています。

 そろそろ「使い捨てマスク」も各家庭に行き渡ったのか――。
 そうではないでしょう。街を歩く人たちを見ると必ずしもみんながみんな「使い捨てマスク」をしているわけでありません。代わって目立つのが布製マスクです。


【アベノマスク】
 政府が国民に配ることを約束したガーゼマスク2枚は今も手元に届きませんが、私はあのチンケなマスクを配布しようとした安倍内閣の決定は、ここ数年で最も優れた政策のひとつだと思っています。
安倍首相が4月28日の予算委員会で語ってネットやメディアでぼろくそに叩かれた、
「マスク市場に対してもそれなりのインパクトがあったのは事実。業者の中でも、ある種の値崩れを起こす効果にもなっていると評価する人もいる」
を信じているのです。

 東京新聞は昨日の記事で、
『国内のマスクの八割は輸入品だ。財務省の貿易統計によると、不織布マスクを含む製品の今年一月の輸入量は前年同月より二千トン多い一万五千トン。二月に四千七百トンに激減し、三月に八千七百トンまで回復した。
「マスクが出てきたのは、すごい勢いで生産したから。それが普通の経済理論」と経済ジャーナリストの荻原博子氏。「アベノマスクは四百六十六億円も使って不良品をばらまいた。そのお金を、重篤患者を救う人工呼吸器や、困窮学生の支援に使えば、どれだけ多くの人が助かるか」とばっさり』

(2020.05.18 マスク値下がり 「アベノマスク」のおかげなの? 販売現場を歩いてみると…
と記して、「使い捨てマスク」の値崩れは供給が増えたためだと結論付けていますが、それが事実なら、遅くとも3月の末には全国のマスク不足はかなり緩和していなくてはならなかったはずです。ところが実際には、当時であっても人々はマスクを求めて右往左往していた――。かく言う私も娘や息子の分を探して、1日おきくらいにはドラッグストアを回っていたのです。しかし遂に見つけることができませんでした。そして今もありません。


【私たちジジイの犯罪】
 輸入量は回復し国内でも必死に増産していたというのに、なぜ市場に出回らなかったのか――。
 これについてはすでに報道があって明らかです。市場に出されたマスクはあっという間に買い占められてしまったのです。私たち老人が元凶だとされています。

 私自身は家族がほとんど花粉症なので12月以前に在庫が作ってあり、切羽詰まった形では必要なかったのですが、マスク不足が3カ月、4カ月つと続くようなら底をつきますから、その日のために買えるものなら買っておこう、その程度の気持ちでお店巡りをしていたのです。しかしそんな人間が1万人にひとりだったとしても、いつも言っているように、日本には1万2700人もの“そんな人間”がいるのですから、店に出たとたんになくなってしまうのは当たり前です。
 また、上の東京新聞の記事にあるように、
「売り始めた二月ごろは高く仕入れて高く売った。今はあまり売れないから、安く仕入れて安く売っている」
ということですから、かなりの売り惜しみもあったのでしょう。いずれにしろ3月末の段階では、「使い捨てマスク」に対する飢餓感はとても大きかったのです。


【「使い捨てマスク絶対」が消えた】
 潮目が変わったのが4月1日でした。エイプリル・フールではありません。
 この日、安倍首相は国のすべての世帯を対象に2枚ずつの布製マスクを配布する方針を明らかにしたからです。

 マスコミやネットでは「欲しいのはガーゼマスクではなく、紙製マスクだ」という怒号に似た反応ばかりでしたが、やがて地方の老人の中にはマスクが手に入らないため、「アベノマスク」と揶揄され始めた政府の配給品でもありがたがる人がいることが知れて、この問題は一応の落ち着きを見せました。マスクに不良品があって検品に、何億円も必要と報道されるまでは――。

 しかし私が「アベノマスク」を評価するのは、地方の老人がありがたがったからではありません。「アベノマスク」を機に、いつ手に入るのかわからない「使い捨てマスク」を諦めて、私たちが布製マスクに移行し始めたからです。「布製マスクでもいいじゃないか」ということです。それがすごかった。

 私は意識して世の中を見ていましたからはっきりと分かるのですが、4月1日以来――正確に言えばそれから1週間後くらいから、布製マスクは明らかに市中に増え始めたのです。
 私の家でも現職の教員であって家庭科の免許も持っている妻が面白がって大量生産に励み、私は私でネットで紹介される「靴下マスク」やら「Tシャツマスク」やらを、これも面白がって作り始めました。それが4月中旬以降のことです。あとはテレビで見られるとおりです。

 東京の小池都知事や沖縄の玉城知事、政府の菅官房長官の見栄えのいい布製マスクは、人々の創作意欲を掻き立てるに十分なものでした。Amazonでミシンやゴム紐の購入が難しくなり、下着メーカーの作った豪華レース付きマスクやデニムのマスク、手ぬぐいマスク、ハンカチマスク、中には「西陣織金襴マスク」などといったものまであり、こうなるともうちょっとしたブームです。

 もともとマスコミもWHOも厚労省も、マスクは感染予防にはならないと言っていたのです。だったら不織布も普通の布も同じ、同じならより見栄えの良い方がいいに決まっています。
 さらに「マスクは“新型コロナ肺炎に“かからない”ことには効果はないが、“他人にうつさないこと”には効果があるかもしれない」ということで、欧米で強制され、WHOも推奨し始めるともともとマスクの大好きな日本人の中で布製マスクは爆発的に広がっていった――。
 そんなふうに私は思っているのです。
 みんなが布製マスクでいいや、布製マスクの方がいいや、ということになれば、もう高額の不織布マスクの出番はありません。ジジイもマスクを買いに走らず、値崩れは当然おきます。


【終わりよければすべてよし】
 ウイルスに対するマスクの効果について、マスコミは2009年の新型インフルエンザ以来一貫して無意味だという方向で情報を流してきました。感染した人がマスクをすることは重要だが、予防のためには無意味だというのです。
 背景としては一般人が買い漁るのを止め、少しでも医療関係者に回るようにしたいという願いがあったのも事実ですが、「かかった人だけがマスクをつける」というのは「私はウイルス感染しているのに外出しているバカ者です」と表示するのと同じですから、そんな世の中は来るはずはないのです。

「感染した人に確実にマスクをつけさせる唯一の方法は、誰もがみんなマスクをつる社会をつくること、つまり現在の日本のやり方を守ることだ」
 そう言い続けてきた私としては、WHOも認めた現状は非常に満足できるものです。

 春節の時期に中国人の来日を制限しなかったこと、クルーズ船から乗客を降ろさなかったこと、PCR検査を大量に行わなかったこと、唐突に全国の学校を休校にしたこと、緊急事態宣言を早く出さなかったこと、宣言を出しても非常に緩かったこと、アベノマスクを配ったこと、自粛を呼びかけながら補償が遅れたこと、どれをとっても日本政府は国の内外から非難ゴウゴウです。安倍政権は世界最悪、史上最低の内閣かもしれません。しかし結果が良ければそれでいいじゃないですか。

 もっともついこの間まで「防疫のお手本」と言われたフランスもドイツもシンガポールも、みんな苦労しています。韓国ですら雲行きが怪しい。
 したがって日本のやり方が正しかったかどうかも、新型コロナ事態が完全に終息してからでないと分からないことです。


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2020/5/18

「最も危険な国に生き続けることの安全」〜わずか半世紀前の日本は、今のコロナ事態以上に危険な国だった  政治・社会


 私が子どもだったわずか半世紀前の日本を思い出したら、
 結核にポリオに寄生虫――日本はかなり危険な国だった。
 そんな国に生き続けることが、
 結局、安全に生きることにつながっているのかもしれない。

というお話。
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(「茅葺屋根のある光景」フォトACより)

【結核:かつては日本の国民病】
 もう見ないと言っていたYahooニュースを見ていたら、昭和30年(1955年)、日本で結核のために亡くなった人が4万6000人余り、人口10万人あたり52.3人もいたという記事がありました。(2020.05.15 Yahooニュース「BCGワクチン接種の有無でコロナ死亡率に差があるというけれど・・・」

 これがどのくらいすごい数字かというと、今回の新型コロナ禍で最悪の被害を受けたと言われる国のひとつ、イタリアの死者が3万1763人、10万人当たりの死亡者は52.1人(2020.05.15時点)でそれを上回っているのです。
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 結核は、当時子どもだった私でもよく耳にした病気です。父の弟がこれで亡くなったことは聞かされていましたし、ローマ字も習わないうちからBCGという予防接種も知っていました。しかしここまで蔓延した伝染病だとは思っていなかったのです。
 昭和30年は東京タワーができるわずか3年前ですから、まさに映画「Always三丁目の夕日」に描かれた時代ですが、なのに大騒ぎしたという記憶がありません。

 確かに新型コロナのように爆発的な感染拡大というものがあったわけではないし、「このまま何もしなければ死者が42万人」などと脅されたわけでもありません。「結核は日本の国民病」という言い方があったように、諸外国で猛威を振るっていたといった事情もなかったのでしょう。外出自粛も店舗の閉鎖もありませんでした。
 みんな落ち着いていました。ストレプトマイシンという特効薬が普及しつつあったことも、恐怖感を和らげる作用があったのかもしれません。

 しかし“結核”は現実に存在し、調べてみると「国民病」の名にふさわしく、この病気で亡くなった著名人は、私でさえ知っている超有名人だけでも、次のようになります(アイウエオ順)。
 青木繁、有栖川宮威仁親王、石川啄木、井上毅、沖田総司、織田作之助、梶井基次郎、陸羯南、国木田独歩、小村壽太郎、島木健作、高杉晋作、高村光太郎、高村智恵子、高山樗牛、瀧廉太郎、武田信玄、竹久夢二、秩父宮雍仁親王、桃中軒雲右衛門、長塚節、中原中也、新美南吉、林文雄、樋口一葉、二葉亭四迷、北条民雄、堀辰雄、正岡子規、松岡洋右、陸奥宗光。

 外国人は私の無知もあって、フレデリック・ショパン、エミリー・ブロンテ、ドク・ホリデイ、ジョージ・オーウェル、フランツ・カフカくらいしか上げられませんが、小説や映画・アニメの登場人物だと、小説「風立ちぬ」の節子、「不如帰(ホトトギス)」の浪子、「田舎教師」の林清三、「永訣の朝」の宮澤とし、「リツ子・その死」のリツ子、「魔の山」のハンス・カストルプ、「レ・ミゼラブル」のコゼットの母親のフォンティーヌ、映画「酔いどれ天使」の松永、アニメ「となりのトトロ」のお母さん。

 中でも宮沢賢治の「永訣の朝」に出てくる妹の宮澤としについては特別な思いがありますし(2019/9/27「『永訣の朝』と宮沢賢治三昧」〜記念館と童話村)、正岡子規が22歳で結核にかかり、吐血したため俳号を「子規(ホトトギスの意)」としたという話には泣かされます。ホトトギスは口の中が赤く、鋭い鳴き声から「鳴いて血を吐く」とも言われているのだそうです。子規の出した俳句雑誌も「ホトトギス」といいます。

 もっとも「サナトリウム(狭義では結核療養所)」という言葉も大人になって小説の中で知ったくらいですから、客観的には比較的身近にあったものの、結核は子どもだった私を怯えさせるほどには近かったわけでもないようです。怖かったのはむしろポリオでした。


【ポリオはほんとうに怖かった】
 ポリオ(急性灰白髄炎)は「小児麻痺」とも呼ばれ、日本では1960年に北海道を中心に大流行しました。5歳以下の子どもがかかりやすいウイルス性の病気で、高熱と胃腸炎のような症状のあと、多くは回復しますが一部で下半身に永続的なマヒを残します。
 1960年の大流行の際は私も小学校に上がっていて物心もついていましたから、毎日、新聞やラジオを通して流れてくる情報に怯えたという面もあるのですが、それよりも実際に麻痺のあるお子さんを見知っていたということの方が大きかったのかもしれません。

 今から考えるとポリオではなく脳性麻痺だったのかもしれませんが、私の通っていた小学校の高学年の先生のお嬢さんが小児麻痺だと言われていて、もう中学生くらいだったと思うのですが、父親である“先生”はその子を銭湯の男湯に連れてきたのです。まだ一般家庭に風呂などない時代でした。おそらく教員住宅住まいの“先生”には他に打つ手がなかったのでしょう。
 しかしほとんど大人の女性なのに、父親に抱き抱えられたままで男湯に入らなければならないということに、私は心底、怯えました。毎晩、怖くて眠れないほどでした。

 1961年、政府は緊急措置として当時のソ連から大量の生ワクチンを輸入し、学校を通して児童に摂取させました。甘く味付けされた生ワクチンを、スプーンで口の中に流し込むのです。その甘さと、「ああこれで小児麻痺にならずに済む」という思いのために、この時の体験は今も記憶の中に残っています。

 1960年の大流行もおかげで収まり、いまではポリオの名前も小児麻痺という言葉も忘れ去られようとしています。
 予防接種は生ワクチンに代わって不活性のワクチンが使われるようになり、今もジフテリア・ワクチンなどととともに4種混合として接種されています。ポリオは現在、事実上、日本国内では根絶されたとされています。


【もうひとつ怯えたこと】
 もうひとつ、子どもだったころの私を怯えさせたのは、カイチュウやギョウチュウといった腹の中に巣くう寄生虫です。中でも担任の先生が掛け軸の絵で説明してくれたサナダムシは「長いものだと10mにもなる」とのことで、そんなものが自分の中を這い回っていると想像しただけで気絶しそうでした。
 そんなものがどうやって体の中に入ってくるのかというと、もちろん寝ている間に口や肛門からというわけではなく、卵のかたちで食事とともに摂取されるのです。

 当時、日本中の畑は人間の糞尿を肥料としていました。畑の隅に「野ツボ」と呼ばれる糞尿の集積池を作って、そこで十分に熟成させた人糞尿は春になると畑全体にまかれたのです。ですからそのころの田舎というのは全体に悪臭に満ち満ちていて、私たちは「畑の香水」などと呼んでいましたが、とにかく臭いところでした。
 その糞尿の中に、人間の体内で寄生虫が産んだ大量の卵が入っていたわけで、寄生虫にしてみれば自分が産んだ卵が畑で野菜に付着して再びどこかに運ばれ、人間の口に入るという素晴らしい循環があったのです。

 そうなると人間の側からすれば体内に入れないための水際作戦はとうぜん「卵を洗い落とす」ということになります。私は忘れないのですが家庭科(私は男女共修の第一期生です)の調理の1時間目は、「キャベツを1枚1枚はがして、薄い中性洗剤の入った洗い桶で10秒間漬け、それから流水で洗い流す」というものでした。洗剤で野菜をあらうなど、今では全く想像もできません。

 しかしそれでも卵をお腹に入れてしまう子もいて、検便の際に卵が発見された子は虫下しの薬を飲むことになります。飲むとしばらく景色が黄色に見えると言われた伝説の薬で、私は飲んだことがあるように記憶していたのですが、黄色い風景にはまるで覚えがなく、もしかしたら飲んでいないのかもしれません。

 これについても「日本人は寄生虫のために絶滅させられるかもしれない」とまで言われたのに、人糞に代わる牛糞や鶏糞の利用、化学肥料の発達によっていつの間にか話題にもならなくなりました。「田舎の香水」の匂わなくなった畑は、昔よりずっと行きやすいところになりました。


【最も危険な国に生き続ける安全】
 結核、ポリオ、寄生虫――どれを取って考えても、わずか半世紀ほど前の日本はかなり危険な国だったみたいです。

 日本人の並外れた衛生感覚とか言っていますが、高温多湿の国土でしかも稲作のためにわざわざ低湿地近くに住まなくてはならなかった日本人は、常に伝染病や寄生虫の危険に晒されていたのです。いつも衛生に心を配っていなければ、すぐに死に絶えてしまう。
 18世紀の江戸の町では夏場、男たちはほとんどフンドシひとつで働いていたりしました。アスファルト舗装などありませんから、1日働けば汗まみれ土まみれです。別に清潔好きでなくても毎日、風呂に入らないわけにはいきません。

 衛生に努めるのは私たちの祖先にとっては必然でした。そしてそれが今のコロナ禍で役に立っているのです。そう考えると危険な国に住み続けること自体が安全という逆理にたどり着きます。そういうものなのでしょう。

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2020/5/8

「なぜ医療はいきなり追い詰められたのか」〜新型コロナについて分からなくなったこと、分かったことA  政治・社会

 
 なぜ他の先進国はあれほどのPCRができたのか、
 その答えはいずれ出るだろう。
 しかしそれにしても、日本の医療はなぜ
 かくも簡単に崩壊直前に追い詰められたのか。

というお話。
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(「救急車」フォトACより)

【答えはいずれ出る】
 中国のように医師が289万人もいれば、PCR検査のために1000人引き抜いても病院の日常に支障はないでしょう。韓国には3000人もの公衆保健医がいて、これも強制的に借り出すことができます。SARS・MARS被害で感染症に警戒心の強い国にはそれなりの覚悟もありました。
 ですからこれらの国で十分なPCR検査ができたことは分かるのです。しかし何の準備もなかったはずの欧米諸国がすさまじい勢いで検査数を増やしていく中で、先進国としては日本だけが増やせないというのはとても衝撃的でした。

 ヨーロッパやアメリカはいかにして検査数を増やすことができたのか――これには思うところがあります。しかし“思う”だけで文を重ねても仕方ありませんからここまでとしましょう。答えはいずれ出て来ます。



【もうひとつの衝撃】
 今回のコロナ事態に際して、もうひとつ大きな衝撃を受けたのは、日本の医療が瞬く間に崩壊の危機に瀕したことです。

 安倍首相が日本中の学校の休校を宣言した2月27日に、日本国内で確認された感染者はわずか214人でした(死者4人)。3月中旬には感染者が1000人にも満たない状態で、早くも医療崩壊の危機が叫ばれていました。そして月末になると、実際にマスクや防御服が足りなくなり、病院は戦場のようになっていると伝えられてきます。
 そのころの感染者数は、3月31日で(今から思えば)わずか2233人。同じ日に韓国は1万人近い感染者に耐え、イタリアは10万人、スペインは8万5000人と戦っていました。アメリカに至っては21万人の感染者の上に毎日2500人ずつ増えていたのです。
 それなのに日本はアメリカの1日分にも満たない数で、新しい患者の搬送先さえ見つけにくくなっているのです。医療関係者の疲弊も一段と深まっていく――。

 日本の医療体制がそこまで脆弱なものだとは思ってもみなかったので、私は非常な衝撃を受けました。いつも言っているように私は熱烈な民族主義者で、この国があらゆる面で世界の第一集団にいると信じていますから、そこまで脆い日本の姿など見たくなかったのです。

 しかし今から思えば、それも愚かな考えでした。新型コロナ事態が始まるずっと以前から日本の医療は崩壊寸前で、そのことを私は知っていたからです。


【コロナ以前に崩壊状態だった】
 日本の医師の過重労働については、すでに言われて久しくなります。研修医を無給で働かせるいわゆる“無給医”などは、日本の医療が限界まで来ている証みたいなものでした。

 人口1000人あたり医師の数は2.4人。OECD36ヶ国中32番目の少なさです。ギリシャの6.1人は多すぎるにしても、オーストリアの5.2人、ポルトガルの5.0人などと比べるとずいぶん見劣りします。
 今回新型コロナで大きな被害のあった国々、イタリアが4.0人、スペインが3.9人、フランスは3.2人、ドイツ4.3人、イギリス2.8人。
 アメリカは2.6人と少なめですが、無保険の国民も多く、風邪くらいでは病院に行かない国です。国民皆保険のために病院の敷居が低く、少し具合が悪いだけでかかりに来る日本とは、医師の対応する患者の数が違います。

 夜勤を含む32時間労働で、一日休んでまた32時間労働につくといった異常な勤務医の実態について、私たちは折に触れてテレビ番組などで見てきたはずです。
 昨年、臨月に破水して救急車で搬送された娘のシーナは、五つ目の病院でようやく受け入れてもらいました。平穏な時期の産婦人科ですらそんな状況ですから、病院はどこもかしこも限界に近い状況で仕事をしていたのです。
 そんなところに今回の新型コロナで日に100人、200人と患者が増え続ければ、あっという間に満杯になるのは目に見えていました。

 武漢の封鎖から相当な準備期間があったにもかかわらず十分な対応ができなかったのは、それが一朝一夕に対応できない病床の数、ICUの数、そして何よりも医師の数といった、即応できないものばかりだったからです。
(それにしてはよくやった! それにしてもよくやった!)

――と、そこまで考えて、PCR検査が少ないこととの関連で、最重要な要素について十分に考えて来なかった部署のあることに気がつきました。
 保健所です。


【保健所は動けない】
 今回の新型コロナ事態に際して、保健所が陥った深刻な人手不足については記事をいくらでも拾うことができます。「保健所 人手不足」でGoogle検索をかけると約30万件のヒットがあり、そのほとんどが現状に関するものです。
 それ以前、今回の感染拡大が起こる前はどうだったのかというと、現在に関するものが多すぎてなかなか探しにくいのですが、予算・人員が潤沢にあったとはとても思えません。
 なぜなら同様の公的機関が軒並み予算不足・人員不足に苦しんでいるからです。

 教員の過重労働についてはつとに知られるようになってきました。しかし定数改定を行って大幅に増員しようという動きはまったくありません。それどころかブラック体質が有名になりすぎて志望者自体が少なくなっている有様です。
 児童相談所はもはや不登校やいじめ問題に対応しません。児童虐待に特化したような組織に変質してもなお対応しきれず、子どもの命を守れなかったと非難され続けています。しかし児童福祉士一人で100件以上も抱えている状態では守れる命も守れないのです。

 今回の新型コロナ事態では「保健所で断られた」「そもそも電話が通じなかった」という話がネット上に目白押しですが、断った理由は容易に想像できます。対応できないのです。
 PCR検査の手配をするのも検体を運ぶのも保健所職員の仕事だからです。もちろんコロナ以外の仕事をおろそかにもできませんから、路上で犬が死んでいるといった話にも対応しなくてはならないのです。

 日本でPCR検査が進まない原因のひとつは間違いなくここにあります。保健所の人手不足がネックとなって、にっちもさっちもいかないのです。


【健康な消費行動が決定的に健康を損なわせる】
 日本では財政改革の観点から公務員の削減、組織の合理化が繰り返し叫ばれてきました。

 加藤厚労大臣が医療費削減の観点から、全国の公立病院の数を30.2%減らそうと言ったのは今年の1月17日、まさに武漢で62名の感染者と7名の死者が出ていた時期です。
 この改革が一年早く進められていたら、日本は完全に動きが取れなくなっているところでした。

 ちなみに今回のコロナ対応で最も評価の高い国のひとつドイツは、一部でパンデミックを見越して集中治療室および病床を大幅に確保しておいたといった報道がありましたが、そうではありません。今回の直前まで、政府は病院の統廃合が十分に進んでいないと責められていたのです。改革がうまく進展しなかったことでむしろ救われました。
 ドイツもまた幸運に恵まれていたのです。医師の削減もできていなかった点では、日本よりさらに恵まれていたと言えます。

 そもそも日本の公務員数の全就労者に対する割合は5.9%でOECD36カ国中最下位です。1位ノルウェーの30.0%、2位デンマーク29.1%とは比べるべくもありませんが、下から2番目の韓国でさえ7.6%であることを考えると、いかに公務員の少ない国かは歴然としています。
 それにもかかわらずさらに減らそうとしてきた、その結果が現在の「電話が通じない」「拒否された」です。

「より少ない(税金の)支出でより多くの(行政)サービスを」
は消費行動の原則ですが、原則に忠実であることが、結局、命にかかわることもあるのです。

(この稿、終了)

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2020/5/7

「PCRって、どんだけ簡単な検査なんだ?」〜新型コロナについて分からなくなったこと、分かったこと@  政治・社会

 
 大型連休も終わり、新型コロナ感染第一波も終焉に向かおうとしている。
 しかしそれにしても、
 PCR検査って何だったのだろう。
 今ごろになって、すっかり分からなくなってしまった。

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「ウイルスと人々」フォトACより)


【一息つけるかもしれない】
 大型連休も終わり、非常事態宣言も延長されました。新規の感染者はかなり少なくなって、多くの地方自治体では5月31日を待たずして制限の大幅緩和が行われそうです。

 国内が落ち着けば、海外との交易・人の行き来が再開されない限り、今回の感染拡大はひとまず終了ということになります。私の目算ではもっと小規模なもので終わるはずでしたが、新型コロナウイルスというのは日本人をもってしても御し難い、悪辣なウイルスということなのでしょう。とびぬけて高齢化率の高い日本としては、よくやったと言えるレベルなのかもしれません。
 ひと段落したところで、この第一波(正確にはたぶん第三波)の総括をしておく必要があります。


【結局、PCR検査とは何だったのか、分からなくなった】
 ここまで来て、私はPCR検査というのがまったくわからなくなりました。 

 もちろんPCR検査が、
「増やしたい遺伝子のDNA配列にくっつくことができる短いDNA(プライマー)を用意し、酵素の働きと温度を上げ下げすることで、目的の遺伝子を増やす方法です」日本微生物研究所
といったことは調べれば分かります。新コロナウイルスの遺伝子配列は早い段階で中国から提供されていますから、それと対照すれば新型コロナかどうかははっきりする――それは理解できます。

 分からないのは、楽天が売り出そうとした検査キットのように、素人が綿棒で鼻や口腔の粘膜を擦ればいいような簡便なものだったのかという点、そして“酵素の働きと温度を上げ下げすることで、目的の遺伝子を増やす”という過程が、熟練を要するものなのか、それとも例えば1時間〜2時間の研修で私でもできるようなものなのか、といった点です。

 この問題について、私は答えを持っていたつもりでした。例えば次のような記事です。
 そもそも、検査精度を担保するのは結構難しいのです。病原体検出マニュアルが策定されていますが、非常にまともです。完璧なマニュアルです。
 これを全部理解して検査している技師さんが、ちゃんと検査をすれば、正確性はそこそこ担保される(と思う)のですが、real time PCR(RT-PCR)法は検査手技に精通していないと、相当の偽陰性が発生します。
(中略)
 手技だけで無く、良い検体が取れていないと反応が正確に進まない。また、逆に、ほんのわずかな操作ミスで、何をやっても検査陽性になってしまうほどの高感度な検出方法です。
 実際に手を動かしてReverseTranscription反応(RNAからcDNAを合成する逆転写反応)からRT-PCRまでの一連の流れをやったことがある人は多分みんな気づいているんじゃないかなぁと思いますが、「どんな検体も陰性にしてしまう大学院生」「どんな検体も陽性にしてしまう大学院生」と、「そこそこ正確に判定を下す大学院生」が存在する分析装置だったりします。
 技師さんは割とキッチリ訓練されていますし、マニュアルが素晴らしいのでその通りにやれば、そこそこの感度特異度は担保されることになっています。ただ、検体は「生もの」なので、例え感度特異度が理論値と現場で乖離してしまっても、別段驚きませんし、誰も責められないことも知っています。
 そのうちニュースに出るでしょうから、正直な値をぶっちゃけてしまえば、COVID-19のRT-PCR検査の感度は現状で30%〜70%と推定されています。確定値は未公表となっています。(出典:「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療所・病院のプライマリ・ケア初期診療の手引き」)。
 前記の医師の叫び「検査なんて半分はハズレだ!」の根拠です。検査に慣れてきたり、試薬が最適化したらもう少しは感度も上昇すると思いますが……。

(2020.03.25「ある医師がエンジニアに寄せた“コロナにまつわる現場の本音”」

 他にも「検体採取は医師本人、または医師の管理下で他の医療従事者が行う」とか、「PCR検査の技術を確かなものにするには、少なくとも1年〜2年の実務経験が必要」といた記事を読んでいましたので、それはとても難しい技術だと信じ込んでいたのです。

 その難しい技術をもった医師や技師を、中国の場合は14億人中国の全土から呼び寄せることで、韓国では公衆保険医という特別な制度によって揃えることができた。しかしそれはSARSやMARSに苦しんでそこから教訓を得てきた国だからこそできることで、日本はそういうわけにはいかない。そもそも体制が整っていないのだから、少ない資源を大切に使っていかなくてはいけない――そう思っていたのです。
 ところがウイルス感染がヨーロッパに広がって、やがて思わぬ疑念が持ち上がって来たのです。


【日本だけが突出して遅れている?】
 例えば「検査をやりすぎて希望者が病院に殺到したためにかえって感染が広がり、医療崩壊が起こった」と言われれるイタリアで、陽性者が一気に前日の2倍以上になった3月11日の感染者数は2312でした。「希望者が殺到」していたわけですから非感染者もたくさん来ていて、仮にそのときの陽性率が20%だとすると、この日一日で1万1500人以上が検査を受けたことになります。
 日本ではダイヤモンド・プリンセス問題が最大の懸案で、1日300件しかない検査能力を30件、50件と小出しに使っていた時期です。

 SARS、MARSに苦しんだ中国・韓国ならまだしも、なぜイタリアでこれほど大量の検査ができたのでしょう? スペインも、フランスも、ドイツも皆同じです。新型コロナ対応に遅れを取ったと言われるアメリカでさえ、最大の感染者数を出した4月24日は45765人でした。陽性率を50%と考えても、1日で10万人近い検査があったと考えられます。

 日本がいま目指している検査数は1日2万件です。しかもつい先日、NHKの有馬キャスターが厚労省の官僚に取材した話では、1日2万件分の予算を増やすという話で、実際にどこかから医師や検査技師を連れてくるという話ではありませんでした。金を出したら、あとは現場任せです。

 私の経験から言えば、文科省や都道府県教委が「部活の外部指導者を増やす」とか言っても、予算をつけるだけで、人間までは探してくれない、あれと同じです。金だけ渡して、地域から1日2時間、週10時間の吹奏楽指導ができる人材を学校数分、15人探して来いと言われてもできるはずがない。
 金さえ渡せば、技術はあっという間に身につく、人材は集まるというわけにはいかないのです。


【ロサンゼルスの奇跡?】
 新型コロナ感染第2波、第3波がやってきても検査数2万なんてとてもではありませんが達成できそうにない、私にはそんなふうに思われます。それがなぜ、欧米では可能なのか。

 おりしも昨日、ロサンゼルス市長は全市民に対してPCR検査を無料で実施すると発表しました。インターネットによる予約制ですから希望者が殺到して医療崩壊ということはないでしょう。ただしロサンゼルスの人口は1000万人。勤労者を中心に半数の500万人が希望したとして1日10万件で50日もかかります。
 検査場は1000個所を上回るでしょう。一か所に5人を配置するとして5000人。50日に渡って縛るわけですから専従でなくてはいけません。また1日10万件もの検査ができるプロの検査技師を何百人も、どこかから連れて来なくてはならないのです。

 ドライブスルー方式で、検体は自分で口の中の粘膜をこすり取ることで行うそうですが、最初の方で引用した、
「手技だけで無く、良い検体が取れていないと反応が正確に進まない」
「ほんのわずかな操作ミスで、何をやっても検査陽性になってしまうほどの高感度な検出方法です」

とはあまりにも雰囲気が違います。

 何が違っているのか、全く謎ですが、私のようなド素人でさえ疑問に思うことを日本のマスコミがまったく問題としないこと、それもまた謎です。

(この稿、続く)

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