2010/7/20

地上の神  教育・学校・教師


 先週金曜日にK病院の、外来や一般病棟ではない特別な場所の見学に行ってきました。重度身体障害病棟と呼ばれる棟です。

 二棟ある病棟はほとんど同じつくりで、一般病棟との決定的な違いは大部分がオープンスペースになっていて、部屋と部屋との仕切りは透明、通路にあたる部分は仕切りさえない構造になっていることです。昼間は患者5人に対してひとりの割合で看護師がいるのですが、夜間になると極端に減るので全体が見渡せないとだめなのです。そしてその広いスペースの、そこかしこにたくさんの患者がおられます。

 重度といわれる中でも比較的軽度の人は、テレビやDVDプレーヤーの前に座って画面を眺めています。しかし多くはベビーサークルのような格子の付いたベッド(転落防止のため)の上で、所在無く座っています。

 タオルケットを頭から被ってじっと動かない人がいます。下を向いたまま終始何かを叫んでいる人もいます。網でできたプラスチックのボールのようなものをずっと口にくわえている方もおられます。ベッドから離れ、通路の隅で静かに座っている人もいます。

 病棟の奥の方はさらに重篤な人の場所です。ほとんどは寝たきりで、流動食を口から流し込んでいる人がいます。胃や腸に直接栄養を入れている人もいます。多くが無表情に、じっと天井を見ていたりします。

 病棟の責任者の話によると、稀に転院のための退院があるだけで、ほとんどは死去によって退院していくのだそうです。

 さて、日本における身体障害者の割合はおよそ2.9%と考えられています。知的障害は推定で0.44%。情緒障害は6%ほどです。つまり全部あわせて重複障害を差し引くと、およそ10%が何らかの困難を抱えて生まれることになります。

 もちろん健康に生まれてきても健康に育っているわけではないので、自分の人生をドブに捨てるような愚かなことをしている人もたくさんいます。しかし赤ん坊として生まれたばかりのスタートラインですでに困難を背負わされた人がこれだけいるのです。

 誤解を恐れずに言えばそれが社会的コストです。この10%をなくそうとすれば日本人がゼロになってしまいます。人間が人間として存在する限り、誰かがその10%を背負わなければなりません。そして誰がそれを背負うかというと、そこには何の因果関係もなく、くじ引きのように選ばれてくるのです。

 私の二人の子は五体満足、すこぶる健康です。それはウチの子の代わりに誰かが10%を背負ってくれたからです。

 今日もK病院の重度障害病棟でひとり佇んでいる人がおられます。別の病院で重い病気に苦しんでいる人がいます。何らかの困難を抱えながら社会の中で生きている人がいます。そういう人はすべて地上の神様なのです。私たちは常にこの人たちのことを忘れてしまいますが、神様は今もここに生きているのです。

 私が金曜日に、K病院で考えたことはそういうことです。



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