2010/6/24

評価の振り子  教育・学校・教師


 2006年のトリノ・オリンピックのフィギュア・スケートの安藤美姫が「ミキティ」と呼ばれ手いるのは知っていましたが、荒川静香の名前で出かけていったアスリートが金メダルを取って帰ると「しーちゃん」になっていたのは呆れました。

 今まっ最中のワールドカップ南アフリカ大会でも、確か出発前は「土下座してでも辞めてもらいたかった」はずの岡田監督が、カメルーンから1勝を奪い取っただけで突然「稀代の名将」になってしまったのは、滑稽でもありやりきれない気持ちにもなります。

 さて、しかしこの「評価の振り子」の大きなブレは、背後に「期待」という原動力があるからに他なりません。監督自身の言う「ベスト4」は眉唾でも、16強にはなんとか、あわよくば8強などという期待を持つからダメなときは激しくバッシングし、うまくいけば以上に持ち上げる。御輿に乗っている方はかないませんが、国民に何の関心もなければ、負けても何も言われず、勝てば突然持ち上げられるだけです。

 学校に対する保護者の評価の揺れも、まったく良く似た感じがあります。私の知るある不登校の子の保護者は、担任の対応・学校のあり方についてさんざん悪態をついたあげく、転校先で子どもが元気よく登校し始めると新しい学校を絶賛し、これ以上なくすばらしい教育があるように吹聴し始めました。

 ところが1年を経たずしてまた学校に行かなくなると、突然その学校の悪口を言い始め、最後には言うに事欠いて「前の学校(つまり私のいた学校)の方がはるかにすばらしかった」「うまくいかないにしても、ものすごくよくやってくれた」と言い始めるのです。評価の振り子は右から左、左から右と激しく振り切れます。
 しかしこれをモンスターと言わず、一歩身を引いて考えてみましょう。

 この保護者はおそらく、わが子の不登校という空前の事態に直面して、一種のパニックに陥っているのです。とりあえず親としてできそうなことを全部しても埒が明かず、途方にくれています。たくさんの本を読み山ほどのアドバイスをもらっても何一つ有効ではない、そんな状況では教師に頼るしかないのですが、ここで素直にお願いする、というわけには行きません。そこまで来る間に、そうとうな不信感を重ねているからです。

 教員は教育のプロですから何かを持っているはずだ、世間の人たちはそう考えます。それが「期待」です。しかし何かを持っているはずなのに「わが子」にはその魔法を繰り出してくれない。もう少し熱心にやってくれればきっとうまく行くはずなのに、なぜか教師は及び腰できちんとしたことをしてくれない、それが保護者の不満です。そこで教師に動いてもらうべく、次々と提案(こちらからすると要求)をしてきます。しかしそれでも教師は動きません。実のところ、私たちにだってそんな魔法はないからです。しかしやらないことが保護者の怒りに火をつけるのです。

 ほんとうはもっと早いうちにこちらの手の内を見せておけばよかったのです。問題が深まる前に、事実関係をはっきりとさせ、できることとできないことを明らかにして置けばよかったのです。それが、手順が悪いばかりに問題を複雑にしてしまいました。

 実は、クラスで最もうるさい保護者は、一旦ひっくり返ると最大の支援者である場合が少なくありません。この人たちの心の中に燃えているのはとりあえず「期待」です。その「期待」をどう扱うか、期待をあおるのか冷やすのか、どう整理するのか、あるいはどうコントロールするのか。それによって、相手は天使にも悪魔にもなるのです。


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