2020/2/14

「仏は、殺人者も救う」〜父が子に語る仏教概論E最終  歴史・歳時・記念日


 武士の時代とは結局、
 殺人集団・殺人予備軍が大手を振って闊歩した時代だとも言える。
 武士たちは、だから皆、地獄に落ちる運命にあった。
 そのあとをついて走り回る農民も同じようなものだ。
 さて、この人たちを、仏教はどう救うことができたのか。

という話。
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(「永源寺(もみじ寺)の紅葉」PhotoACより)

 仏教の勉強をしたいという息子のために、簡単な授業を始めました。
 個人的な家庭内の勉強ですが、もしかしたらこれから京都・奈良に修学旅行で生徒を引率する先生や歴史学習のバックグラウンドとして仏教の知識が欲しい先生、あるいは教員でなくても“ちょっと仏教をかじってみようかな”と軽い気持ちで思っている人にも役に立つのではないかと思い、しばらくここで話してみようと思います。


【普通の人が、日常の努力で、覚醒者(仏陀)に生まれ変わる方法――浄土教の教え】
 お釈迦様のように宇宙や世界の真理を会得して覚醒者(仏陀・仏・如来)になる、というのは仏教の基本的な願望です。
 奈良仏教はそのための研究に余念がありませんでしたし、平安密教では“即身成仏(行を通してその肉身のまま仏になる)”を目指して厳しい修行を積んだり、実際に即身仏(土中に入って瞑想をしながら絶命しミイラ化する)になる僧もいたりしました。
 しかし一般人はそういうわけにはいきません。
 難しい学問や厳しい修行など夢のまた夢。第一、生活がありますし、庶民がきちんと生計を立てて布施をしなければ教団や寺院を維持することもできません。

 学問や修行をしなくても、阿弥陀如来(阿弥陀仏)という偉大な仏の慈悲にすがれば、普通の人間でも死後、阿弥陀如来の主催する世界「極楽西方浄土」に生まれ変わり、そこで覚醒者(仏)になれる――そう教える浄土教は、だから多くの人々の心をつかんだのです。
 
 すでに飛鳥奈良時代から阿弥陀如来像は作られていましたが、平安時代に入ると空也、源信といった名僧が現れ、浄土信仰(浄土教)は庶民の津々浦々まで広がっていきました。
 朝廷の中にも、斜陽の貴族の長、藤原頼道のように熱心に阿弥陀仏を崇拝する人も現れ、宇治平等院のような美しい寺院も建てられます。
 ただし飛鳥・奈良・平安を通して、浄土教は宗派として独立することはなく、天台宗の中に取り込まれたり庶民の宗教として流布していたりするだけでした。
 それが宗派として独立するには、鎌倉時代の法然まで待たなくてはならなかったのです。


【“地獄に仏”の仏には名前がある:武士と禅宗】
 鎌倉時代は言わずと知れた武士の時代です。ただ、この「武士」という新たな権力層は、宗教的にとても厄介な運命を背負っていました。彼らはどうみても殺人集団なのです。

 不殺生は仏教の在家信者が守るべき五戒の第一です。ところが武士はすでに何人も殺しているか、いずれは人を殺すかもしれない運命にありました。いかに包容力ある仏さまであろうと、大量殺人者を救ってくれるほど甘くはないでしょう。
 したがって武士たち自らが救われることを諦め、ひたすら心の平安を求めました。死後のことも心配でしたが日常的に死と隣り合わせですから、常に安定を取り戻す工夫が必要だったのです。人殺しは、勝っても負けても楽な仕事ではありません。

 座禅を組み、茶を嗜む。枯山水を愉しみ、水墨画を愛でる――当時輸入されたばかりの禅宗はその質素さで武士たちの生活にぴったりでした。
 こうして臨済・曹洞の二つの禅宗は、武士の生活の支えとなっていったのです。

 もっとも、彼らは仏からまったく見放されていたわけでもありません。殺人のために地獄に落ちたとしても、そこへ救済にやってくる存在がひとつだけあったからです。
 仏(仏陀・如来)ではありませんがその候補生の中に、自らが仏となることを諦め、人間が死んでから向かうとされている六つの世界(天道・畜生道・人間道・餓鬼道・阿修羅道・地獄道)へ、六つに分身してそれぞれ駆け付ける菩薩がいたのです。
 彼はまだ修行の身だったので頭も丸めたままです。粗末な法衣を着て、6人ひと組で私たちを見守っています。
 そうです。地蔵菩薩です。
 地蔵だけが地獄に入り込んで人々を救おうとできる、鎌倉に行くとあちこちで六地蔵を見かけるのはそのためです。


【庶民の味方=浄土系四宗と日蓮宗】
 人を殺せば地獄に行くしかない――その悩みは農民にもありました。
 彼らの多くは農閑期には領主にやとわれて戦地に向かう半農半士の地侍でしたから、武士と同じく“死んだら地獄に行くしかない”と感じていました。一般人ですから上級武士のように、“いざとなったら従容として死地に赴く”というわけにはいかないのです。

 そうした庶民の願いを救ったのが、長く阿弥陀信仰として広がっていた浄土教です。
 鎌倉時代に入って法然が浄土教を立て、親鸞が引き継いで浄土真宗を興します。

「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」
 善人だって往生(極楽浄土に往って仏として生きること)ができるというのに、悪人が往生できないわけがないじゃないか。お前たちは自分が悪人(人を殺した者)だと知っているから阿弥陀仏への祈りも半端じゃない。
 善人たちが心の隅で、“自分は善行を積んだから極楽に行けるんじゃないか”とどこか甘えた考えを持っているのと違って、お前たちには祈りしか残っていない。だからお前たちの祈りこそ本物で、阿弥陀仏はその名を真剣に唱えれば、きっと救ってくれるに違いない。(悪人正機説)

 
 そう教える親鸞の言葉は、庶民たちにとってどれほど励みとなったか容易に想像できるところです。

 鎌倉時代には浄土宗・浄土真宗以外にも時宗・融通念仏宗といった浄土教系の仏教が次々と立てられました。それはこの時代がいかに殺伐としていたかの裏返しだったとも言えます。

 なお、同じ時期、日蓮は「妙法蓮華経(法華経)」を中心とする日蓮宗を開きます。
 この宗派の際立った特徴は「現在」と「この国(日本)」にこだわることです。浄土教のように理想の国(極楽浄土)に生れなおすことを本願とするのではなく、あくまでも「この場」「この時」にこだわり、世直しとか国の安泰とか、私たちの生きる現実の世界を具体的によくしていこうと考える側面が、かなり強いのです。

 日蓮宗が他の宗派には見られない積極的な政治への姿勢を見せるのはそのためで、宮沢賢治や石原莞爾、二・二六事件の思想的指導者・北一輝や一部青年将校の心をとらえて離さなかったのもそのためです。
 日蓮正宗の講として始まった創価学会が、日本初の宗教政党「公明党」をつくって政治に参加しようとするのも、同じ思想の流れに沿ったものです。

(この稿、終了)

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