2020/1/21

「音楽会や合唱コンクールの真の目的は、人間と人間関係づくりなのだ」〜特別活動の話A  教育・学校・教師


 学校には児童生徒の心を育てるざまざまな仕組みがある。
 特別活動として組み込まれている内容のほとんどがそれである。
 例えば音楽会や校内合唱コンクール、
 その中にある偉大な力について、世の人たちはあまりにも無頓着だ。

という話。
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(「合唱大会で歌う男の子たち」PhotoACより)

【心を育てる学校の数々のしくみ】
 教育学というのは経験の学問です。

 日本の場合、仏教寺院をはじめ、武道・芸道の世界で入門者はやたら掃除ばかりをさせられますが、それは単に下働きをさせられているということではありません。掃除自体が修行であり、そこから学ぶことが多いと考えられたからです。
 掃除によって心が磨かれるからだとか、周辺を清めることで自ずと背筋が伸びるからだとか言われたりしますが、実のところ、掃除をすることで精神的成長が果たせるメカニズムについてはよくわかっていません。

 幸田露伴が「格物致知(かくぶつちち:ものを通して知に至る)」という観点から掃除に注目したことは、以前、このブログにも書きました。
2007/4/19 あとみよそわか 

 道元もまた、掃除ではありませんが、台所仕事を丁寧に行うこと自体が修行だと言って「典座教訓(てんぞきょうくん)」という著作を残しました。「典座」というのは寺院の台所係のことで、「典座教訓」はその心構えを記した名著です。

 いまどき児童生徒に学校の掃除をさせているのは旧社会主義国と貧乏国、そして日本だけだと揶揄されながらも、日本の学校が清掃を手放さないのは、いまでも掃除の教育力を信じているからです。
 給食も、大学の学食のようにセルフサービスのカフェテリア風にしてしまうかコンビニ弁当風のプレート配布にしてしまえば楽なのに、当番が列をつくって給食室に行き、クラスで給仕して「いただきます」などをしたりするのも、もしかしたら「典座教訓」の影響かもしれません。

 いずれにしろ、掃除や給食を始めとして、科学的根拠を示せと言っても絶対に提示できない、しかし教師たちが確かに教育力があると信じて実施している仕組みが、学校の中には山ほどあるのです。
 特別活動はそうした教育の総称で、小学校で行われる音楽会、中学校の校内合唱コンクールも、そうした面から強く支持されてきたものです。


【心が開けてないと歌えない】
 心のねじ曲がった子は大声で歌えない、悩みを抱えている生徒は朗々と歌い上げることができない――それは事実です。もちろん例外はあるでしょうが基本はそうです。
 気持ちが開かれていない児童生徒がたくさんいるクラスは、歌っても合唱にならない、貧弱な印象しか伝わってこない、それもまた事実です。

 子どもたち一人ひとりがきちんとしていても、クラスに団結力がなければひとを感動させたり賞をとったりする合唱にはならない――そういったことはすべて、理屈の問題ではなく厳然たる事実であって、そのことを教師は、音楽会や合唱コンクールのたびに痛いほど感じさせられてきているのです。

 それはそうでしょう。合唱をより良いものにしようとしたら、一人ひとりが高い目標と意欲をもって歌に向かわなくてはなりません。クラスのために自分を殺し、精一杯の努力をしなくてはなりません。
 そして(ここが一番大切な部分ですが)友だちを信じなければ、声は出せないのです。


【友だちを信じていなければ大声が出せない】
 合唱の列に加わってみればすぐにわかることですが、全員が同じ方向を向いて歌う歌は、自分の声ばかりが聞こえてきます。頭蓋骨の中でガンガン響いている感じです。前列にいればまだしも、後列だとうしろから支えてくれる声がありませんからひどく孤独な感じにもなります。

 どんなに大きな声で歌ってもクラスの仲間はそれを越える音量で歌っている、自分の声はその中に溶け込んでいるはずだ――そういった確信がなければ、怖くて声なんか出せるものではありません。

 ですから私は練習の際には、意図的に声のよく出る子を後ろの列に配置しました。その上でその子たちには、
「隣のヤツに合わせてはいけない。隣の声は前に向かっている声だから実際よりはずっと小さく聞こえるのだ。それでも隣の声がはっきり聞こえてくるとしたら、それは隣のヤツがとんでもなく大きな声で歌っている証拠だ。だからその大声に合わせろ。友だちを信じろ。友だちを信じて精一杯の声で歌え!」
 そんなふうに鼓舞したものです。


【優れた合唱のできるクラスは、受験にもつよい】
 心の開けた子どもたちが、友だちを信じて、クラスのために歌おうとしなければ質の高い合唱にはならない、それは真実です。しかし担任は素晴らしい合唱を創り上げるために“心の開けた子ども”を育て“友だちを信じ”させ、“クラスのために歌おう”と努力させるわけではありません。クラスはプロの合唱団ではありませんから、良い曲を仕上げることが目標ではないのです。

 教師がやろうとしているのはその逆で、友だちを信じることのできる、心の開けた子どもを育てるための教育を、合唱を創り上げる過程を通して果たそうとしているのです。
 合唱にはそうした力があると、経験上知っているからです。

 しかしそんなことを言うと、
「それはわかった。しかし教師自身が苦しくなるほどやるのはいかがなものか。合唱指導はそこそこにして、もっと勉学に励み、学力をつけさせるようにしたらどうだ」
 そんな声が聞こえてきそうです。
 少なくとも神戸市教委はそんな言い方をしそうです。
(参考)
2020-01-18 神戸市教委が「学校業務見直しの指針」を発表したが、必要なものを減らし、どうでもいいものを残すという錯誤は、どうして起こるのだろう。

 それについては、こう反論するだけです。
 優れた合唱のできるクラスは、受験にもつよい。

(この稿、続く)


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