2018/11/26

「グローバル社会の衛生観念」〜高すぎても低すぎてもダメ  政治・社会


【シャワートイレは汚くて使えない?】
 先々週あたりだと思うのですが、あるテレビ番組の街頭インタビューで、アンケートをとったところ、シャワー式トイレのシャワーを使わない人が半数近くいるというので驚かされました。使わない理由で最も多かったのがシャワーノズルが信じられない――他人の尿や便がかかったものから吹き出す水を、 浴びたくないというのです。
 私の家の旧式のものでも、ノズルが伸びてくると最初に弱く水が出て先端を洗浄し、使用後も弱く水を噴き出して自己洗浄しますから汚いということはないと思うのですが、先入観は恐ろしいものです。
 
 シャワー式トイレについては初期のテレビコマーシャルで
「皆さま、手が汚れたら洗いますよね。紙で拭く人っていませんよね。お尻だって洗ってほしい」というのがあって、



 考えてみたら牧場か何かで滑り転んで手にウシのフンがついたら、それを紙で拭いて済ませる人はいないよな、と思ったら、以来、シャワーを使わずに済ませることができなくなりました。
 今の私はシャワートイレがあるのに使わない人を汚いと思います。しかしそうは言ってもないところでは紙に頼らざるを得ず、それはそれで何とかなります。
 要するに大した問題ではないのです。


【スマホは便座の10倍きたない】
 ところで昨日のウェザーニュースに「 “スマホ雑菌” ウイルス感染・細菌感染の危険性は?」というのがありました。Yahooニュースにはさらにショッキングなタイトル「便座の10倍? スマホ雑菌の対策」で転載されていましたから見た方も多いかもしれません。

 内容は、
“今やスマホ普及率は70%を越え、アメリカ人は1日47回も触っているというのに、サウジアラビアの大学の研究では105人の医学生のスマホから細菌が検出され、エストニアの大学ではスマホに約1万7000個もの細菌が付着していることが分かって、これは便座の10倍にあたる”というのです。

 ただしその先はいたって穏やかで、
 細菌と言ってもそのほとんどは無害な常在菌で心配することはない。もちろんインフルエンザ・ウィルスやノロ・ウィルスの感染リスクはあるが、それはかかった人たちがマスクをしたり、トイレできちんと蓋をしてから水を流してウィルスが飛び散らないように心がけたりすることが肝要で、スマホに罪はない。

 もちろん菌やウィルスの付着を防ぐためにトイレでスマホを使わないのも大切だが、スマホ自体をアルコール消毒してもノロウィルスなどは殺せないから意味はない、といった話でした。
 その通りだと思います。

 考えてみれば“手”なんてとても危険で、机・かばん・財布・ドアノブ・電車のつり革、自動ドアのプッシュボタン、会社のセキュリティボタン、コンピュータのキーボード等々、いったい一日にいくつの“知らない人が触ったもの”に触れているのか分かりません。それに比べるとお尻の方は普段はパンツの中で大事にされていて、便座以外に触れるものがないのです。

 上の記事で「スマホの雑菌は便座の10倍」というのはそう考えるといかにもありそうな話で、誰かが“清潔なお尻”で座るたびに、むしろ雑菌は貼りついて「持って行ってもらう」状態になっているのかもしれません。それに対して“手”は、そしてその手の指で触れるスマホは、汚いに違いない。

 しかしそうした事情も含めて、菌だのウィルスだのと心配し続けるのは大変です。雑菌があると言っても常在菌で、要するにスマホ雑菌問題も大したことではないのです。


【つい最近まで、この国はけっこう汚かった】
 私の子どもころはまだ畑に人糞を撒いていた時代です。その匂いは常時あたりに漂い、私たちは「田舎の香水」とかいって揶揄したり自虐したりしたものです。
 ただしなかなか笑っていられない事情もあって、乾いて風とともに運ばれてくる目に見えない人糞の粉末の中には、ギョウチュウなどの寄生虫の卵が入っていたりするので、それを吸い込んで自分の体内でふ化させてしまう人間がどれくらいいたかはわかりませんが(普通は野菜についた卵を口から摂取してしまう)、気持ちの良い話ではありません。

 また、さらにその昔、私の母が子どもだった時代には「鉄砲玉」という飴菓子があり、これは煮詰めたアメを指でひと摘まみつまんで手のひらで丸め、壁の板に投げつけて「おはじき」みたいな形にして売るという代物だったようですが、手で丸める際に熱いので、ペッとツバを吹きかけて丸くしたといいます。その様子を見て、子どもたちはやんやと喝采を浴びせ、それから小銭を差し出して買い求めたのです。

 それから100年も経っていないのに、今や誕生日に招かれて友だちがろうそくを吹き消したそのケーキが食べられない(唾液の微粒子がかかっているかもしれないので)という時代です。衛生観念も極限まで達しようとしています。

 そこで唐突に思い出したのが、「21世紀のグローバル社会を生きる児童生徒の育成」という、私たちにはほとんど陳腐にさえなったお題目です。
 バースデイケーキやシャワートイレに怯えているようでは、とてもではありませんがグローバルとは言えないでしょう。


【グローバル社会の衛生観念】
 友だちに誘われて登山に行ったはいいが、いまどき水洗トイレのない世界があることに配慮が行き届かず、死ぬ思いで下山してきたという人を知っています。
 好き嫌いが多すぎて、特定のものしか食べられないという人もいます。
 いずれもグローバルとは言いがたい話です。

 どんなに英語が堪能で学力が高くても、基本的生活習慣がなっていなかったり一般的な意味でのコミュニケーションが取れなかったり、教養がなかったり道徳観に問題があったりすれば、皆、国際社会で十全に活躍するわけにはいきません。

 休み時間や給食の時間まで縮めて英語やドリル学習に力を入れようとしていることに、根本的な疑念をもつのはそのためです。それより大切なことは山ほどあります。
 

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