2017/1/20

「花束を君に」   人生

 ブログを休んでいた年末年始に考えたことをまとめておこうと思ったのですが、頭に血が昇っていてトランプだけで一週間を費やしてしまいました。やはり人間は冷静でなくてダメだなあと改めて思っているところです。
 もう1月も下旬にさしかかり、今さら紅白歌合戦でもありませんが、大晦日、歌を聞いている間に帰省していた娘のシーナが教えてくれたことがありますので紹介します。それは宇多田ヒカルの「花束を君に」に関するものです。

【花束を君に】
 この歌はNHK朝の連続ドラマ「トト姉ちゃん」の主題歌として半年にわたって流された曲です。
 以前にもお話した通り、我が家は妻が超仕事人間であることから夫婦で一緒に何かをするということはほとんどないのですが、唯一、数年前から朝の連ドラだけはVTRに撮っておいて夕食を摂りながら見ることになっています。ですから半年間この曲を聞いていたはずなのに、歌詞に注目するということは絶えてありませんでした。
 普段からメイクしない君が薄化粧した朝、
という導入の部分と
 花束を君に送ろう、愛しい人、愛しい人
という二つの部分だけが印象深く残る、しかしあとはどうということのない曲だと思っていたのです(もちろん歌のうまさには感心していましたが)。
 ところが紅白歌合戦の最中この曲が始まると、シーナはこんなことを言いだしたのです。

「お父さん、この曲の最初の『薄化粧』って、死化粧だって知ってた? 『花束を君に』ってお棺に入れる花のことなんだって、『君』はお母さん」
 私はびっくりして途中から画面の下に流れる歌詞を食い入るように見つめました。宇多田ヒカルの母親は、若いころ藤圭子という芸名で一時代を築いた有名な歌手で、数年前、非業の死を遂げたことを知っていたからです。
 「薄化粧」は「死化粧」、「花束」は「棺に入れる花」、確かにそう言われればそういった解釈ができないわけではありません。しかし全体として「恋の歌」という印象の強いものです。しかも主人公は「ぼく」。
 もしかしたら恋愛の歌にカモフラージュして内実を隠したものなのかもしれません。


【自死家族】
「この歌ね、家族から自殺者を出した人がブログで引用して、しばらくネットで評判になったのよ」
 そう言ってシーナが教えてくれたのが、「自死遺族が宇多田ヒカルの新アルバムを聴いて思ったこと」という文です。
 要は家族に自殺者を出して何年も重い自責を背負い続けた若者が、宇多田の曲に出会って救われたという話です。
 文章が拙く、それだけに真実味にあふれた文章なのですが、中で特に、
「自死遺族にとって、死者の話はタブーだ。その人を懐かしんで語ることは、見殺しにした自分には許されない。家族を助けられなかった罰として、あけない喪に服し続け、自分を守るために自死遺族であることを隠して生きている」
という部分に私は心ひかれました。
 作者はその直前で、
「父を殺したのはわたしだ。」
もっと父の変化に気づいていれば、父を止められたかもしれない。
もっと父と話をしていれば、父は死のうなんて思わなかったかもしれない。
もっと父に笑顔を見せていれば、父はギリギリで思いとどまったかもしれない。

と自責の言葉を重ねれいます。もちろん「殺した」は言い過ぎですし、後悔している内容のすべてができたとしても、自殺は防げなかったのかもしれません。いや防げなかった。

 これは私の勝手な思い(信念)ですが、自殺を果たす人は最期の瞬間、かならず気を狂わせている、正常な判断力を失っていると思います。普通の状態で自分は殺せない、家族や友人のことが脳裏をよぎるようなら絶対に果たせない、そう思っているのです。
 だから自殺は容易に防げない、家族にも友人にもできない、だから罪はない――と。
 しかしそれにもかかわらず、長く自責を背負う家族や友人たちの気持ちも分からないではありません。


【ひとに罪を背負わせてはいけない】
 20年前に大病したとき、私は最初の診断で命を諦めてしまいました。病巣があまりにも大きかったからです。
 医師に「何とか1年はもたせてもらいたい」と言ったら、こともなげに「普通はそれくらいはもちますよ」と言われてそれで満足でした。
(そのあたりのことについては以前、「ガン病棟より」という題で書きました。
 私はそれでよかったのですが、家族はそういう訳にはいきません。やがて話が親戚にまで広がると、病気が病気ですので、様々なアドバイスが寄せられます。家族や親戚やそのまた知人やらからです。
 ガンに効く温泉だのビタミンCだの、プロポリスやらアガリスクやら・・・中には相当怪しいおまじないの類までありましたが、高価にすぎない限り、私は一応やってみることにしました。
 命が惜しくなったのではありません。私が死んだあと、残された人たちが後悔するのを恐れたからです。
「あの時もっと強く勧めたら――」
「オレが金を出して連れて行けば――」
「目の前にドンと並べて、さあ飲めとやっていれば」
――死ぬことにはならなかったのかもしれない。
 残された人たちがそう思うのは辛いことです。
 私の方は死ねば済みますが残された方はどれだけ尾を引くのか想像できません。

 自殺を企図する時に思いつかないことのひとつはそれです。
 お前が死んだら家族や友人は悲しむ――それは想像できるますが家族を助けられなかった罰として、あけない喪に服し続け、自分を守るために自死遺族であることを隠して生きている、そういう長い長い人生については想像できないでしょう。

「お前が死んだら家族や友人は悲しむ」が人を思いとどまらせる力を持たないときも、もしかしたら「お前が死ぬと家族や友人は生涯の自責を背負って生きていく」は通用するかもしれません。
 もちろん周囲のことが何も見えなくなるほど状況の進む前の話ですが。
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