2016/8/4

「シン・ゴジラ」〜ネタバレはありません  オススメ


 映画「シン・ゴジラ」を見てきました。

 私は別にゴジラファンでもないのにゴジラ映画は驚くほどの見ていて、1954年の「ゴジラ」、翌年の「ゴジラの逆襲」などは深夜放送で、「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964)や「怪獣大戦争」(1965)などはリアルな子どもとして、かなりの大人になって「ゴジラ」(1984年版)、どう見ても恐竜としか思えないアメリカ版「GODZILLA」(1998)や同じハリウッドなのにかなりカッコウ良かった「GODZILLA ゴジラ」(2014)まで、相当に丁寧に見ているのです。
 ただし昭和の一時期、ゴジラが不良に走ったときがあって「ゴジラの息子」(1967)では息子のミニラと「しぇー」をしたり「ゴジラ対メカゴジラ」ではついにロボット化するといった体たらくで、正義の味方、子どものアイドル、ちょっと愛嬌のある怖くないヤツにまで成り下がってしまったのです。その時代は見る本数もぐっと減り、駄作なだけにテレビ放送もありません。したがって見落とした作品もかなりあるようです。
 ゴジラシリーズのすごいところはそうした不良化が極まると必ず揺り戻しがあって第一作の趣旨に戻り、怖く、理解不能な怪獣として再び現れてくることです。東宝は不良ゴジラでしっかり儲けながらある日突然、それまでのことがまったくなかったかのように原点ゴジラを回帰させるのです。
 今回の「シン・ゴジラ」も原点ゴジラのひとつですが、その激しさ、無慈悲で容赦のない様子は全作品の中でもピカイチといった感じでした。1954年(昭和29)の第一回「ゴジラ」に匹敵する冷酷です。

 初代「ゴジラ」は敗戦からわずか7年後に公開された映画です。まだ人々の脳裏に戦争が生々しく残り、核実験・放射能といった言葉が今よりもずっと現実感を持っていた時代です。朝鮮戦争は前年に終わったとはいえ、再び日本が戦争に巻き込まれるかも知れないという恐怖は確実に人々の心にあり、そうした不安が「ゴジラ」大ヒットの下地にありました。
 正確ではないのですが映画の中で一人が、
「やっと平和な時代がきて生活も落ち着き始めたのに、また家族の手を引いて逃げ回らなければいけない」
 と語る場面がありました。1954年の公開時には恐ろしいほどに現実感のある言葉だったのかもしれません。

「シン・ゴジラ」の観客にそうした体験の共通性があるのかというと、おそらくそれは東日本大震災と福島原発事故です。一瞬のうちにすべてが破壊され命が犠牲にされていく――その無慈悲、容赦のなさ、死の公平性は「ゴジラ」に襲われた街と同じです。
 圧倒的な力の前に人間は一度はひれ伏さなければならない、何の抵抗もできず耐えなければならない、しかしそのあとは違う。私たちにはできることがあり、それを果たさなければいけない、それがひとつのメッセージです。

「シン・ゴジラ」のもうひとつの特徴は登場人物がすべて政府の人間だということです。新聞記者や異端の科学者といった外部の人間が主人公だったそれまでのシリーズとは様子が違っています。しかも彼らは非常に誠実に、懸命に問題にあたるのです。
 確かに、何も自分で決められない上司だとか、縦割り行政の弊害だとか、文書主義、法律第一主義(法律がないと何もできない)など日本政府らしい数々の問題はあるのですが、立場や意見は違っても全員が誠実に事に当たっている、国家と国民のために働いていると信じられるのです。
 凡庸な人は凡庸なまま精一杯仕事に尽くそうとする、出世主義者も権力主義者も「日本を救おう」「国民のために働こう」ということを前提にした上での出世主義だったり権力主義だったりする―― 日本人なら当然そうなのだと映画の中の人々も、映画の外で脚本を書いた人も監督もプロデューサーも信じて疑わないのです。

 司馬遼太郎は明治の元勲・官僚たちが基本的に一切汚職をしなかったことを重要視しました。大久保利通も西郷隆盛も、木戸孝允も伊藤博文も、皆もとは下級武士です。それが明治に入って突然権力を手に入れた、それにもかかわらず、彼らは私利私欲に走らなったのです。下級官吏も警察官も教師たちも、上に倣って誰も賄賂を受け取らない、だから国民も信頼してついてきたというのです。
 
 その伝統は今も続いています。
 現在の政治に年じゅう腹を立て、議員や官吏の無能や愚かさに愛想をつかしたり嘲笑ったりしている私ですら、彼らが非常に誠実で国民のために一生懸命働いていることは信じて疑いません。そしてそれがある限り、日本は壊されても何回でも再生できるのです。
「シン・ゴジラ」にはそうした思想があります。

 ところでゴジラ映画は俳優たちにも人気があるらしく、「シン・ゴジラ」には主役・準主役でも出られるような人たちがとんでもない端役で出ています。
 セリフが「ご苦労様です」しかなかった片桐はいり、自衛隊の中隊長の斉藤工もわかりましたが前田敦子と小出恵介、三浦貴大はどこにいたか分かりません。あらかじめ配役を覚えておいて俳優探しをするのも面白いかもしれません。
 なかなかいい映画でした。


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