2016/7/27

「狂気のラスコーリニコフ」  政治・社会・文化


 ドストエフスキーの小説「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフは奇妙な論理に捉われます。それは、
“世の中にはナポレオンのような偉大な人間と、強欲な金貸しババアのようにくだらない人間との二種類がいる”
“選ばれた非凡な人間は、新たな世の中の成長のためなら社会道徳を踏み外す権利を持っている”
“ひとつの微細な罪悪は百の善行に償われるはずである”

そういったものです。そして自らがその“選ばれた非凡な人間”であることを証明するかのように金貸しの老婆を殺して金を奪い、その金で生計をたてなおすことを考えるのです。将来人類に役立つ偉大な仕事をするために、それはぜひとも必要なことでした。
 しかし決行の日、首尾よく老婆を殺したところに偶然、老婆の“天使のようにやさしい妹”が現れ、ラスコーリニコフは思わずこれも殺してしまいます。物語はそこから本格的に始まるのです。
 第一の殺人はともかく第二の殺人は激しく彼を動揺させます。それよって彼自身が“選ばれた非凡な人間”でないことが明らかになってしまったからです。

 昨日、神奈川県の相模原市で残虐で不幸な事件が起きました。その凶行の容疑者も独特の論理を持っていました。
 重度の障害者がこの世からなくなれば、日本及び世界は救われるというものです。そのほうが本人及び家族はもちろん、世界人類の幸福に資すると考えたのです。

“誰もがそれを知りながら行動に動き出さない、だからまず自分が動いて先鞭をつけるから、あとはよろしく”
 容疑者が2月に大島衆議院議長に渡したとされる「手紙」から読み取れるのはそういうことです。中でも恐ろしいのは次の部分です。
 作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。
 逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせてください。心神喪失による無罪。
 新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。
 美容整形にによる一般社会への擬態。
 金銭的支援5億円。
 これらを確約していただければと考えております。
 ご決断いただければ、いつでも作戦を実行いたします。

 彼は大島衆議院議長がまったく同じ思想を持っていて、自分のような先兵の出てくるのを切望していると信じて疑わないのです。安倍総理とも相談してくれと言っていますから政府全体が支持して5億円でも10億円でも出してくれるだろうと本気で思っています。その点でラスコーリニコフとは全く違います。
 ラスコーリニコフは歪んだ性格と歪んだ思想を持っていましたが、凶行の後、自分が凡人であることを知って苦悩します。しかし相模原事件の容疑者はどこにも疑いを持っていません。世界が(密かに)支持するはずの信念に基づいて、彼は一度も躊躇せず、ひとりひとりを丁寧に殺傷していったのです。狂気に裏打ちされ、誤った信念に基づいた特殊な犯罪だと考えなければ、理解できるものではありません。

 この事件から学ぶことは何もありません。
 テレビで繰り返し放映された「津久井やまゆり園」の正面玄関の「ALSOK」のステッカーは、一見むなしいようにも思えますがそうではありません。警備というのはそういうもので、ある想定に基づいて行われます。「やまゆり園」の場合は「入所者が外に出る危険」を想定しましたが、今回のような「外部から確信的で保身を考えないテロリストの攻撃」は想定していません。それが普通でしょう。今回のことがあったからといって全国の福祉施設が警備の強化を図り、常時数名の警備員が巡回するようなことにならないよう希望します。そんな予算があるなら普通の職員を増やすべきです。

 障害をお持ちの方のご家族で、ウチの子も同じような目に合うのではないかとご心配の方――そんなことはありません。彼は特別です。
 容疑者と似たような考え・感じ方を持ち、自分もやがて同じような行動に出るかもしれないと不安な方――大丈夫です。彼は例外です。

 欧米では一気に数十人・数百人を死傷させるようなテロが起きています。しかしそれは一回の自爆スイッチ、数回の自動小銃の操作で行ったものです。瞬間的な怒りや激情があれば果たせることです。
 自分の足で歩きながら、数十分かけて、40数人を一人ずつ傷つけて回るような冷酷とは対照的なところにあります。後者は常人にできることではありません。

 2月に容疑者の手紙を受け取った衆議院議長公邸の担当者の対応は適切でしたし、連絡を受けた警視庁も神奈川県警の動きも的確でした。
 措置入院の2週間後「人を傷つける危険性はない」と判断して退院させた医者も、その時点の判断としては間違いのないものだったのでしょう。心の問題を完全に理解し判断することは不可能です。
 奇妙な思想を持った人、危険な考えに捉われた人を片っぱし捕らえて刑務所や病院に入れ続けることはできません。それが可能な国は国自体が危険です。

 今回の事件は不幸なできごとでしたが施設は今まで通り地域に開き、地域の協力を受けて運営されるべきだと思います。
 類似の事件は少なくとも20年は起きませんし(池田小学校の類似事件が20年起きていません)、仮に起きてもそうした確信的な攻撃者を完全に防ぐことはできないからです。



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