2022/5/31

「自主組織・任意団体という軛(くびき)を逃れる」〜PTAについて改めて考えた@  教育・学校・教師


 保護者にとって、PTAに加入するかどうかがテーマとなってきている。
 過去を振り返れば、私たちは労働組合を潰し、町内会を弱体化させてきた。
 こうしてひとつひとつ自由になってきたのだが、
 その自由が、私にはどうやら不安なのだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【品性としてのPTA加入】 
 孫のハーヴが小学校にあがったのに、新型コロナ感染で入学式に出席できなかったというお話はしました。今日はさらにその2カ月ほど前の話です。

 ハーヴの母親、私にとっては娘のシーナが、何かで寄こした電話のついでに、こんな話をしてくれました。
「この前ね、ハーヴの来入児入学説明会があったのだけど、その帰り道でね、説明会で仲良くなった二人のお母さんと一緒に話しながら帰ったんだけど、『PTAどうする?』っていう話が出たのよ。そうしたら片方のお母さんが、
『うん、なんだか卒業式にコサージュをもらえるかどうかって、それだけのことみたいよ』
だって。私、びっくりしちゃって。噂には聞いていたけど、PTAに入るかどうかが話題になる時代なんだよね。あ、もちろん私は入るけど、(入会しないのは)品がないから」

 その時はピンと来なかったのですが、あとになって「品がない」の意味が分かりました。“PTAに入るか入らないかを何か貰えるかどうか、損得の問題として考え、入会しないこと”が下品だという意味です。私もそう思いました。

 PTAはデパートの友の会ではありません。なにかいいものが貰えるから入る、もらえないからやめるというものではないと思うのです。それは強いて言えばアイドルのファンクラブのようなもので、(もちろん何かが貰えるという特典もあるでしょうが)基本は応援したいから入るのです。そこに損得を持ち込んだら、生粋のファンは怒ります。

「PTAは任意団体だから入らなくてもいい」という運動はずいぶん広がりをみせて、都会ではすでに入らない人も多くなっているのかもしれません。昨日はネットで「教師の入会も強制されるべきではない」という記事も読みました。私は典型的な老害教師のさらに成れの果てですから、深くため息をつきました。
 この調子で行けばまもなくPTAも体をなさなくなって、やがて消えて行くことでしょう。こんなふうに学校に関わる組織がなくなっていく――それには苦い思い出があります。


【組合は死んだ。私たちが殺したのだ】
 昨日、「起業家精神教育」について半分絶望しながら書いて、ふと思ったのは、
「日教組全盛の時代なら、こんなことにはならなかったのかもしれない」
ということでした。今さら新たな追加教育の話があったら、瞬時に政府に噛みついてくれたのかもしれない――。

 もっともその時代であっても日教組の主な活動目標は賃上げや労働環境改善ではなく、世界平和や反戦でしたから(私にはそう感じられた)、ことは簡単に進まなかったかもしれません。
 ただ、それでも現在よりは政府にブレーキがかけられたように思うのです。政府の側にも、安易に突っ込むと絡んでくるから何かと面倒だと、組合に対する遠慮がありました。

 その大切な労働組合(日教組)を、誰が今の惨めな姿にしてしまったのか――。もちろん私たちです。

 私、個人についていえば日教組の連合加盟で職場が二分されて以来、職場長くらいはやるものの、組合活動からは常に距離を置くようにしてきました。あからさまではありませんでしたが職場に目に見えない分断があって、活動を深める以上は旗色をはっきりさせる必要があったからです。それが嫌だったのです。
 私は主流派と反主流派の両方に軸を置くコウモリでのままでしたが、それが嫌で組合をやめていく先生も少なくありませんでした。やめた先生はとうぜん新卒の先生に勧めたりしません。ですから組合員数は細るばかり。そして今の状況です。

 私はそれでも資格のあるうちは組合費を払い続けました。規模はとんでもなく小さくなってしまいましたが、組合員を守ろう、教員を守ろう、日本の教育を守ろうと本気で努力されている先生はどこかにいるのです。休日にデモに参加したり総会の準備をしたり、機関誌の原稿を書いたり――。彼らや彼らの先輩たちが頑張ってくれたからこそ、享受できる権利も資金もあるのです。
 私は活動しない、だったらせめて資金的には援助する、さらにまた1万分の1%くらいにもならないかもしれないけれど加入率の支えにもなる、そういう思いでいました。


【地区の自治会を抜けてしまうということ】
 PTAと同じ任意団体・自主組織というともうひとつ心に引っ掛かるものがあります。町内自治会です。この3月まで、8軒の家族を束ねる持ち回りの組長でした。
 同じ組の中にあと4軒あるのですが、内3軒が空き家、そしてもう一件は4年前に脱退されたお宅です。もう40年もこの地区に住んでいるのに、自分に組長が回ってきたのを機に、市役所や区長にねじ込んで、やめることを認めさせました。

 私は想像がつかないのです。
 月一回の地域清掃にその家からは一人も出て来ません。自治会員ではないので当然と言えば当然です。しかし掃除の音や話し声も聞こえるはずのその時間を、家族はどんな思いで過ごしているのでしょう? 地域の氏神の大祭は、ここ二年ほどはコロナで中止になっていますが、手伝いにも出なかった一家は、出かけることはなかったのでしょうか。打ちあがる花火をどんな思いで見たのでしょう。

 さらに言えば万が一、大災害となって避難所が開設されたとき、この一家はどんなふうに中で過ごすのでしょう。
 もちろん市民をやめたわけではないで避難民として公平に扱ってもらえるのは間違いありません。しかし避難所の実際の運営は町会単位になりますから、町会費を払っていない一家には、仕事が回ってきません。仕事をしない人にも、他の家族は優しくしてくれるでしょうか?
 だからといって今さら、何か手伝うことはありませんか」とは言いにくいし、言われた方も素直になれません。
「だったら最初から、やることをやれよ」
 口に出してそういう人もいないと思いますが、目はそう言っています。

【オレの安心安全は誰が守るのだ】
 もしかしたら詰まるところ、私は臆病者なだけのかもしれません。皆が属している集団から抜けることの恐怖、抜けたあとのその先にあるものに対する恐怖、そうしたものが私を組織に引き留めているだけなのかもしれない――。

 しかし翻って、そうした「組織から積極的に抜け出していく人々」が独立心に満ちた不羈の人間たちかというと、そうでもないような気もしてきます。彼らの一部は「オレはオレでやっていくから放っておいてくれ」と言っているのではなく、
「何でオレが金を出したり働いたりしなくちゃいけないんだ。オレの安心や安全は、自主組織や任意団体ではなく、他の誰かが担うべきじゃないのか」
 そう考えている可能性があるからです。

(この稿、続く)
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2022/5/30

「それでも教員の仕事は増やし続けると、政府は言った」〜新たな追加教育が発表された件について  教育・学校・教師


 今度は「起業家精神教育」だそうだ。
 学生起業家による出前講座や大学のプログラムへの参加など、
 学校の負担にはならないと言いたげだが、そうか?
 政府は、今後も教員の仕事を増やし続けると宣戦布告したのだ

という話。
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(写真:フォトAC)

【新たな追加教育が発表された】 
 昨日(2022.05.28)の読売新聞Onlineに、『「起業家精神」教育、小中高で強化…新興企業育成「5か年計画」に明記へ』という記事がありました。
 政府が年内にも策定するスタートアップ(新興企業)を育成するための「5か年計画」に、小中学校や高校への働きかけを強化する方針を明記することがわかった。(中略)
 具体的には、起業した学生などによる小中高生向けのセミナーや出前講座の実施を支援することなどを想定している。理数分野で高い能力を持つ小中高生には、大学で行われる起業家精神教育を含む高度なプログラムへの参加を視野に入れる。早い段階で起業家精神に触れる機会を設け、起業を将来の選択肢に加えてもらう狙いがある。


 絶望というのは大げさですが、私の中で何かがスコンと落ちたような、折れてしまったような感じがありました。

 小学校における35人学級のための増員が進行中の現在、これ以上の教員増加はまったく考えていない文科省・財務省。コロナ対策ですっかり予算のなくなってしまった地方公共団体。したがって教員は一人も増やせない。
 そんな状況で叫ばれる「教員の働き方改革」は、できもしない部活の民間委託を叫ぶくらいで、遅々として進まない。

 それならば仕事を減らすかというと、実際に縮小されるのは運動会や文化祭、始業式に終業式と、子どもが楽しみにするものや伝統あるもの、教育的価値や効果が保障されたものばかりで、小学校英語やらプログラミング教育やら、GIGAスクールやら、ほんとうに効果があるのか必要なのか、疑わしいものばかりが追加されていくのです。
 ほんとうにやりきれない。

 さらにここ数年は「ITC教育」やら「命を守る教育」やら。そして今回は「起業家精神教育」です。
 政府はここに至ってはっきりと、
「教員の仕事は絶対に減らさない。今後も増やすのみだ」
と宣言し、教員の多忙に対処しないことを明らかにしたのです。
 それが私の心を挫きます。


【起業家は子どもの教育にも能力があるのか】
 もっとも政府もかつてより知恵がついたようで、
具体的には、起業した学生などによる小中高生向けのセミナーや出前講座の実施を支援することなどを想定している
と、暗に負担が少ないことも示唆しています。金も出すと。
「まあ、まあ、まあ、先生方、大した負担じゃあないですよ。先生方はうしろの方でお茶でも飲みながら一緒に勉強してくれればいいんです」

 しかしどうでしょう? 小中学校の教育で「場所と時間を提供してくれれば、あとは成果を上げます」といえるようなものがあるでしょうか? あるとしてもそれで力がついたり、興味関心が高まったりするものでしょうか?

 一番心配なのはセミナーや出前講座の講師が、起業の専門家であっても教育の専門家ではないということです。そもそも言葉の意味を子どもたちに理解させることができるのか。
 講座を始める前段階で、「起業」と「企業」の違いが分からない子どもがたくさんいて、さらにそれを上回る子どもが「起業」も「企業」も初めて聞く言葉だ、という状況を解消できるのか。解消できたとして、そこから始める講座を時間内に終わらせることができるのか――心配の種は尽きません。


【教員は支える】
 そこで教師は前もって子どもたちの実態を調べ、基本的な知識や興味関心を揃えるための準備をしておきます。講座が終わればどの程度理解したのか、関心がもてたのか、調べなくてはなりません。その上で不足の部分は補充します。真面目にやれば何時間もかかる内容ですが、講座の前後15分ずつ程度でもいいでしょう。しかしその15分を意味あるものにするために、教師はどれくらい勉強すればいいのか。

 とりあえず私などは「起業」の意味すら分かりません。貿易商のような仕事をするとして知っていなければならない法律や慣習はどれくらいあるのか、あるとしてどこの聞きに行けばいいのか。借金はどのようにするのか、提出しなくてはならない書類には何があるのか、どこへ出せばいいのか。とりあえず何を相談したらいいのか、費用はどれほど掛かるのか――子どもから尋ねられても答えられないことばかりです。

 もちろん自分が今すぐに教員を辞めて新しい仕事を起こせるほどに十分な学習をする必要はない(そんな知識や技能があったら教員は辞めている)と思いますが、いまの無知で子どもに向き合うのは勇気のいることです。


【大した負担でなくても、死ぬほどやらされれば死ぬ】
 いうまでもなく知識の収集ですからそれとてたいした負担ではありません。小盛のご飯を食べる程度の話です。
 けれど、考えても見てください。そんな小盛のご飯が、起業家精神教育以外に目の前に30杯も40杯もあるのです。正式な食事(基本的な教育課程)を終えたあとで、小盛と言えどご飯30〜40杯を全部食べたら、死にます。

 もしかしたら政府はこんなふうに言うかもしれません。
「そこまで深刻に考える必要はないでしょ。専門家にセミナーや出前講座をチョイチョイチョイとやってもらって、それで終わりにすればいいのです」
――たしかに。
 しかしその程度のものなら、最初からやらなくてもいいのではないですか?

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2022/5/27

「中学生は、英語にも絶望しながら入学してくる」〜中1英語がやたら難しくなった  教育・学校・教師


 ウクライナには意外なほど多くの英語使いがいる。
 さもありなん。皆、今日を見越して頑張ってきたのだ。
 日本はそうはいかないし、そうなってほしくない。
 子どもたちは、すでに英語疲れもしているし――。

という話。
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【ウクライナ人々は、どうやら英語が堪能らしい】 

 テレビでウクライナに関するニュースを見て驚かされることのひとつは、英語の堪能な人が何人もいることです。街でマイクを向けられた警察官が英語でボヤく、小さな子どもを抱えた母親が英語でまくし立てる、女子高生くらいの女の子が落ち着いた英語で窮状を訴える――。
 同じことを日本で試したらどうでしょう。
 アメリカ人が街の警察官にマイクを向けたら、英語でボヤいてくれるでしょうか? 20〜30代のお母さんが英語でまくし立てるな場面を、カメラは捕えることができるでしょうか? 
 困って英語で話しかければそれぞれ誠実に答えてくれるでしょうが、単なるインタビューなら片っ端逃げ出すのがオチです。

 もっとも「ウクライナの人々は英語が堪能」と言ってもどうやら年齢的限界もあるみたいで、私よりも年上、つまりお祖父ちゃんお祖母ちゃん世代はムリなようです。マイクを向ければウクライナ語しか返ってきません。ただしこの世代はロシア語はできて、今回のウクライナ戦争の初期、街に立つロシア兵に、
「ポケットにヒマワリの種を入れて戦場に行きな! お前が死んだらそこからヒマワリの花が咲くから」
と毒づく老婆の姿が世界に配信されました。

 なぜウクライナの年寄りはロシア語が出きて、若い世代は英語が堪能なのか――。
 要因は歴史と今回の状況を振り返れば明らかです。年寄りがまだ年寄りではなかった時代、つまりウクライナがソビエト連邦の一部だったころは、ロシア語で喧嘩ができるほどに堪能でないと生きていけなかったからです。
 若者は、世界中のどこへ逃げても英語さえできれば最低のことはできそうだと、そんな切実な思いから英語を学び、あるいは学ばされてきたのでしょう。


【母国から追い出される人、政府から逃げなくてはならない人々】
 ウクライナを脱出した人々は(のちに国内に戻った人も含めて)600万人にものぼるそうです。ところが同じ時期、母国を離れたロシア人も200万人以上いたのです。
 政府による弾圧を怖れて脱出した反戦の士もいれば、自由を求めて国外に逃れる芸術家もいました。とにかくロシア国内に留まったら財産が守れない、商売にならない、そういった事情で逃げた人もいるでしょう。もちろんその上、おそらく外国語ができたから軽々と国境を越えられたのです。
 私のような人間は戦争が始まったからと言ってすぐに動くことはできません。日本語とその方言しかできないからです。国を棄てるハードルが最初から高いのです。

 以前、文在寅前大統領のお嬢さんが東南アジアに本拠地を移し、そこで暮らしているという報道があって話題になりました。日本の大学に留学経験のある娘さんです。
 テレビにたびたび顔を出すサムソン電子の副会長:李在鎔(イ・ジェヨン)さんはソウル大学卒、慶応大学修士課程修了、ハーバード・ビジネススクール博士課程修了という輝かしい肩書を持っています。しかし注目すべきは頭の良さではなく、日本とアメリカの両方に足掛かりを持っている点です。資産の一部も海外に移してあるはずです。
 ついでに言えば中国の習近平のお嬢さんもハーバード大卒でした。

 韓国の政財界、あるいは中国の支配者層のほとんどが海外に資産を持ち、いつでも逃げ出す準備をしています。準備の中にはもちろん語学の取得も入っていて、子弟には厳しく指導してあるはずです。

 昨日まで、私が日本が戦争に巻き込まれる可能性について考えながら、頭の片隅で冷笑的に思っていたのは、“戦争が近づいたら日本人も必死に勉強して、英語も堪能になるかもしれないな”ということです。
 尖閣が取られた、沖縄も危うくなっている、九州でも人々が本州に移動し始めた、と同時に北海道の北側でもおかしな動きがある――そんな状況が10年も続けば、放っておいても人々は英語に熱中します。映画「日本沈没」に近い状態になったら、日本人は世界中に分散しなければならない。そのとき英語は必ず役に立つからです。
 しかしこんな平和な状況にあって、外国軍からも政府からも追われる心配のない現在、何の必要があって小学生のころから英語を学ばなくてはならないのでしょう。


【これからの中学生は、英語にまで絶望しながら入学してくるのかもしれない】
 こんなウンザリとした、皮肉な気持ちになったのはネット上で、
「中学校1年生の英語の教科書が、とんでもなく難しくなっている」
という記事を読んだからです。
 小学校5・6年生で習得してきた部分があるから、それを前提に中1の英語は進められる、そのせいだといいます。納得できる話です。

 かつて中学校の英語は多くの新入生の希望の星でした。
 小学校の6年間に勉強がよく分からなくなってしまった子も、嫌いになってしまった子も、中学校へ行けば英語がある、そこで逆転満塁打が放てるかもしれない、勉強は全部嫌いだけど英語は好きになれるかもしれない、まったく知らない世界だからすごく面白そう――そんなふうに胸をときめかせて始められたのが英語でした。そして実際に英語がツボにはまり、他の教科も引っ張られて学力全般に工場の見られた子もいました。もちろん「やっぱりダメだった」という子も少なくありません。しかし少なくとも半年間は、夢を見て、楽しい日々が送れたのです。それで十分じゃないですか。

 しかし今後は、英語にまでウンザリとした気持ちをもって入学してくる子がたくさんいるのです。かわいそうですね。
 小学校英語って、そんな犠牲を払ってまでやらなくてはならないものなのでしょうか?
 あとは部活くらいしか、新入生が楽しみにする材料はありません。あ、いや、いまや部活動さえも縮小していく方向ですよね。
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2022/5/26

「意外とロシア軍は弱かったが、意外と自衛隊は強いのかもしれない」〜彼我の軍事力について考えてみた  政治・社会・文化


 ロシア軍の案外な弱さには驚かされたが、
 考えてみるとその足腰はあまりにも弱い。
 逆に日本の自衛隊は「強大な」といった印象はないものの、
 案外と足腰は強いのかもしれない。
という話。

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(写真:フォトAC)

【足腰の弱いロシア軍の話】
 
 ロシア軍が偵察用ドローンの不足に悩んでいるという報道がありました。
 なにしろこのドローン、目となるカメラはキャノンのイオス、エンジンは斎藤製作所の模型用、GPSはフランス製、その他スイスだのアメリアだの中国だのといった国々の、簡単に手に入る民生品を組み合わせてつくってあるようなのです。しかし簡単に手に入るといっても所詮は輸入品。各国が輸出禁止にしたり企業が自主的に撤退したりしたら、ひとたまりもありません。
 こんな兵器しかつくれない国は世界中と仲良くしておかなくてはならないのに、全部を敵に回してこの始末です。
 それにしてもロシアの工業の底は浅い、というか何もない。

 ロシア製品と言えば、思い浮かぶのはウォッカとマトリョーシカと魚のカンヅメくらいのもの、AK−47(カラシニコフ)というとても優秀な機関銃もあり、持ち運びに便利な改良型AKS−47もありますが、日本のAKB48の方がはるかに優秀な気がします(という冗談)。

 そう言えば1976年、ソビエト連邦空軍のベレンコ中尉がMiG-25(ミグ25)戦闘機を手土産に北海道に亡命してきたとき、当時の最新鋭機は日米関係者によって徹底的に調べられましたが、一部に真空管が使われていて皆を呆れさせたと言います。
 これで米軍のトムキャットやイーグルと戦おうとしたわけですから勇猛と言えば勇猛です。


【細かな点で優秀な日本】

 話は変わりますが1982年のフォークランド紛争(アルゼンチンvs.イギリス)の際、英国潜水艦は不思議な魚雷でアルゼンチンの軽巡洋艦を仕留めました。先端にカメラがついていて、敵艦を見ながら進路を修正する魚雷です。後ろに長いコードを引きずりながら進むというユニークさでよく覚えているのですが、その先端のカメラがソニーの民生用ビデオカメラからとったものでした。
 この戦争は最終的にイギリスの勝ちでしたが、艦船の被害はむしろ大きく、最新鋭の駆逐艦2隻の他、フリゲート2隻、揚陸艦1隻を失っています(アルゼンチン側は軽巡洋艦1、潜水艦1、哨戒艇2)。その立役者となったのがフランス製のミサイル「エクゾセ」で、当時ものすごくもてはやされましたが、ミサイルの姿勢制御に使われたジャイロスコープのベアリングはソニーのビデオカメラに劣ると言われていました。

 私が言いたいのはロシアと違って、日本には軍事転用できる民生品がいくらでもある、ということです。ロシア製ドローンが各国の市販品で構成されているなら、日本はすぐにも、そして半永久的に生産し続けることができるはずです。
 またロシアのドローンは1機1000万円〜1500万円と言われていますから(どうしてそんなに高いんだ?)、アメリカの最新鋭機1機を諦めればドローン1500機が手に入ることになります。


【米空母と自衛隊潜水艦のかくれんぼ】
 最近、聞いた面白話に「空母ドナルド・レーガンと自衛隊潜水艦のかくれんぼ」というのがあります。
 だいぶ前のことらしいのですが、水中に隠れて米空母に近づく自衛隊の潜水艦を、米軍が探し出すゲームをしたというのです。見つからずに近づけたら日本の勝ち、探し出して警告を与えたらアメリカの勝ちということのようです。
 ゲームは自衛隊の圧勝で、始まるとすぐに米軍は潜水艦を見失い、やがて時間が来たので負けを認めると、潜水艦はドナルド・レーガンに寄り添う位置に浮上してきたというのです。
 日本の潜水技術と潜水艦本体は、世界から非常に高い評価を得ているようです。


【だからどうなんだ?】
 だから日本は安心だとか、いざとなれば何とかなるとか、何とかなるからかえって危険だとか、そういった方向性のある話をしているのではありません。
 今の日本がもっている技術の一部を拾ってみただけで、それをどう解釈し、今後につなげていくかは別に考えることでしょう。
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