2022/1/19

「コロナ禍に育つ子どもたちは放置されていた」〜東大前刺傷事件、高校の分析からB  教育・学校・教師


 東大前刺傷事件の容疑者少年は 
 高校入学の日から今日までを ひたすらコロナ禍に耐えてきた
 友にも会わず大声で語ることもなく さまざまな行事に青春を燃やすこともなく
 しかしそんな高校生は彼だけではない

という話。
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(写真:フォトAC)

【容疑者少年の立場】
 東大前で3人を襲った少年は、名古屋の混合型中高一貫校(中学校から入学した内部生と高校から入学した外部生を混合する一貫校)の外部生組だったようです。いわば外様で、普通でも溶け込みにくい立場ですが、この子たちにはさらに高い隔壁がありました。
 なぜなら現在の高校2年生は、コロナ感染のために中学校の卒業式さえ満足な形でやってもらえず、高校入学も一カ月以上遅れてそそくさと済ませ、多くをリモート学習のために家庭で過ごさなくてはならなかったからです。登校しても友と大声で話すことなく、また、本来はそれをきっかけに仲良くなり団結を深めるべき学校行事からも遠ざけられていました。
 それでも彼は、良くあろうと生徒会の役員に立候補したり、一生懸命勉強したり、それなりの努力をした様子も見られます。しかし社会はそんな個人の努力ではどうにもならないところで動いていました。


【孤立を深める子どもたち】
 若者に最も必要なものは勉強でもスポーツでも遊びでもなく、友だちです。友だちがいるから辛く苦しい受験勉強やスポーツにも耐えられるし、友だちがいるから遊ぶのも楽しい。ほとんどの児童生徒は友だちに会うために学校に来ているのであって、勉強するためや先生に会うために来ている子は稀です。そもそも勉強だけなら、わざわざ学校に来ることもないのです。
 思ったような成績を取れなかったとき、それを慰め励ましてくれるのも友だちなら、一緒にドロップアウトしてくれるのも友だちです。友だちさえいれば、最後は何とかなります。
 ところがその部分が、特に今の高校1〜2年生はうまく行っていない。ちぐはぐなまま2年間が過ぎてしまったのです。
 
 その意味で、容疑者の在籍する高校が発表した謝罪コメントの次の部分、
個々の生徒が分断され、そのなかで孤立感を深めている生徒が存在しているのかもしれません。今回の事件も、事件に関わった本校生徒の身勝手な言動は、孤立感にさいなまれて自分しか見えていない状況のなかで引き起こされたものと思われます。
はまったく妥当なものと思うのです。

 もちろん私は容疑者に同情しているわけではありません。
 背中を刺された二人の受験生も、同じ時代を同じように過ごしてきた、広い意味での“仲間”です。その仲間を裏切り、その未来を奪おうとした行為は許せるものではありません。


【コロナ禍に育った子どもたち】

 今回のことで一番思い知らされたのは、世間が児童生徒の学習を心配している間に、子どもたちの経験の網目から漏れ落ちた、とんでもなくたくさんのものがあったのではないかということです。

 オミクロン株が出現するまで、新型コロナは大人の感染症でした。それにもかかわらず子どもが厳しい感染対策を強いられたのは、彼らがペストのネズミのごとく、ウィルスに汚染されて各家庭に持ち帰ることを怖れたからです。いわば子どもは大人を守るために耐えてきたのです。それなのに大人たちは、彼らが失ったもの、経験し損ねたものに対してあまりにも無頓着でした。

 彼らはやがて「コロナ禍に育った子」と呼ばれるかもしれません。「ゆとり世代」だの「Z世代」だのと言った軽すぎるネーミングの得意なマスコミは、すぐに簡便な名前を付けてくれるでしょう。しかし内容は重い。

 コロナ禍は短く見積もってもあと半年は続くと思われます。その間もたくさんの行事が中止され、他の世代が当たり前のように享受してきた経験や楽しみを、経ずに大人になってしまう子たちが次々と育っているのです。
 私たちは彼らのことを、もっと大切に考えなくてはならない。
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