2022/1/31

「更新しました」〜キース・アウト  メディア

昨年度、全国で2500人もの教員不足が発生したというが、それにも関わらず文科省は深刻な事態には至っていないと強弁する。無理もない。打つ手がない以上、しらばっくれるしか方法がないのだ。
0

2022/1/31

「追儺(ついな)とコロナ」〜今年こそ真面目に豆まきをしよう  歴史・歳時・記念日


 間もなく節分 豆を撒いて邪を払う日だ。
 毎年いやいやながらやっているものの
 新型コロナの元での三回目
 今年は真面目に豆まきをしようと思った

という話。
クリックすると元のサイズで表示します
(写真:SuperT)

【早くも豆まきの準備】
 昨日、台所のテーブルを見たら節分の豆が置いてありました(上の写真)。妻はこういうことにはしっかりしていて、毎年、豆を買うことを忘れません。しかし困ったことに、自分から進んで撒こうという気持ちはさらさらないのです。
 一緒にやろうというと、
「ヤダァ、そんなみっともないことォ・・・」
ということで、必然的にその「みっともない」仕事は私の担当ということになります。

 もちろん子どもが小さな時代は良かったのです。娘のシーナも息子のアキュラもこういうことには積極的で、大声をはばかることもありませんでした。アキュラなどは4〜5歳のころ、私が鬼の面をかぶって庭から回り込み、いきなり目の前に現れて「ガオーッ」と脅かすと、全身凍りついて腕だけが動く「自動豆まき機」みたいになってしまい、それだけでも家族全体が和んだものでした。
(な〜んだ、お父しゃんかァ・・・)

 しかしこの歳になって一人で叫ぶ「鬼は外」は、かなり気恥しい。近所から同様の声がまったく聞こえてこないことも合わせると、何となく空恐ろしい気持ちにもなってきます。


【追儺(ついな)とコロナ】
 節分の豆まきの源流は、平安時代の宮中の「追儺」にあると言われています。元は大みそかの行事で、陰陽師の祭祀のあと、女官たちが大声で囃し立てて無形の鬼を追い、廷臣たちも弓で藁の矢を放って背後から追撃したのです。
 ワーワー、ギャーギャーと追い立てて、最後は門から外へ鬼たちを押し出し、鼓の音とともに門扉が閉じられる、それでおしまい。そんな、邪がいるのに無邪気な、貴族のお祭りが元だったのです。

 ただ、無邪気といっても根底には共有される恐怖心がありました。
 平安貴族にとっては、自分たちに禍(わざわい)をなすものすべてが「鬼」でした。台風も雷も疫病も権力の危機も、みな「鬼」のなせる業でしたか、そう考えると「鬼」に対する恐怖心にはただならぬものがあったのでしょう。

 現代における新型コロナ禍も、いつまでも解決の見通しがつかないという意味では「鬼」に近いものがあります。科学がその手で捕らえようとしても巧みに擦り抜け、ひとに災いするからです。
 ですから今年の節分は、大真面目で盛大に、豆を撒こうといま思い直しました。
2

2022/1/28

「格言は学校に溢れている」〜意外と子どもたちの心に残るかもしれない  教育・学校・教師


 御嶽海が 大関昇進の口上に
 中学校時代の石碑の言葉を引用した
 ずっと心に置いていたという そんな人は意外と多いものだ
 そして学校には 都合の良い格言がいくらでもある

という話。
クリックすると元のサイズで表示します
(写真:SuperT)

【御嶽海の口上】
 一昨日(26日)、日本相撲協会は初場所で3度目の優勝を果たした御嶽海の大関昇進を決めるとともに、伝達式を行いました。
 注目の口上は面倒な四字熟語を使わないあっさりとしたもので、以下のようになっています。
「謹んでお受けいたします。大関の地位を汚さぬよう、感謝の気持ちを大切にし、自分の持ち味を生かし、相撲道にまい進してまいります」
 素直な良い文だと思いました。

「大関の地位を汚さぬよう」と「相撲道に邁進します」はいわば定番みたいなものですが、間に挟まった「感謝」と「持ち味を生かして」には、特別なものがあったようです。
「感謝」は中学校時代の恩師の教えで、「感謝の気持ちを忘れないで相撲をとりなさい」というのを、大学に行ってもプロになっても言われ続けため、恩返しのつもりで晴れ舞台の言葉に選んだそうです。
クリックすると元のサイズで表示します
 また「持ち味を生かし」は第28代木村庄之助(故人)の言葉で、御嶽海の母校に今もある石碑には「自分の持ち味を生かせよ」という言葉で彫られているそうです。相撲部が全国大会で団体優勝したときの記念として建てられたもので、相撲部員は毎朝練習の前に、これを磨いてから稽古を始めると言います。
 自分の揮ごうした言葉が、ずっと御嶽海を支え続けたと知ったら、天国の木村庄之助さんもさぞかし満足でしょう。


【意外と心の中に生きている格言】
 こんなふうに学校で覚えた名言・格言を、生涯の座右の銘とする児童生徒は案外と多いものです。
 私自身の話ではありませんが、教え子の厄年の同窓会に招かれたとき、学年主任のクラスだった元生徒が、実行委員長挨拶としてこんな言葉をさしはさんだことがありました。
「『蓬(よもぎ)、麻中に生ずれば、扶(たす)けずして直し』(*)という先生の教えは、今も私たちの・・・」
 原稿も見ずに滔々としゃべる姿を見て、私は心の中で小さく「しまった」と呟きました。私自身はこうした格言の大切さを知ったのがずっと後で、自分のクラスにはそうしたものを授けてこなかったからです。
*くねくねと曲がりやすいヨモギも、まっすぐに生え育つ麻の中で成長すればおのずからまっすぐに育つ。それと同じように、みんなで支え合うことが、よりよく育つことに繋がるものであるという意味。「麻中之蓬(まちゅうのよもぎ)」も同じ。


【格言は学校に溢れている】
 考えてみると人が成長するうえで大切な格言というのは、学校の敷地内に満ち溢れています。それらは御嶽海と同じように石碑の形で、あるいは扁額の形で、さらには学校教育目標の中に忍ばせる形で、いくらでもあるのです。
 ちょっと調べただけでも10や20は上げられそうですから、全国の学校を当たれば相当な数になるはずです。

 私は教員生活の最後の方で、異動するたびに石碑や扁額の意味を調べるのを常としました。先生も子どもも忙しい日常を送っていて、意外と見ていないからです。また私にも読めない文字があったりして、誰かが調べないと忘れ去られてしまう、ということもありました。

 読み方や意味を調べて小さくまとめ、美術館の作品横にある説明書きのように掲示しておくとのちのちまで役に立ちます。
 担任の先生はそこまではしなくてもいいと思いますが、校内にある格言のひとつかふたつ、調べて子どもたちに教えておくと、御嶽海のように生涯たいせつにする子も出てくるかもしれません。

(参考)今、ちょっと思い浮かべたり調べたもの
・ 格物致知(かくぶつちち)
  物事の本質を追求し、知識や学問を深める。
・ 韋編三絶(いへんさんぜつ)
  何度も繰り返し本を読むこと。また、熱心に学問すること。
・ 蛍雪之功(けいせつのこう)
  苦労しながら学問に励むこと。また、苦学した成果。
・ 切磋琢磨(せっさたくま)
  仲間同士でお互い励まし合い、学問や仕事に励むこと。
・ 百花斉放(ひゃっかせいほう)
  学問・芸術が盛んに行われること。
・ 温故知新(おんこちしん) 
  昔の事をたずね求め(=温)て、そこから新しい知識・見解を導くこと。
・ 質実剛健(しつじつごうけん) 
  かざりけがなく、まじめで、強く、しっかりしていること。
・ 花意竹情(かいちくじょう) 
  花のように気高く優しく、竹のようにしなやかで 真っ直ぐな心を持つこと。
・ 耐雪梅花麗(ゆきにたえ ばいかうるわし) 
  厳しい雪に耐えてこそ、可憐に匂い立つ梅の花は美しく咲く。
・ 和顔愛語(わがんあいご) 
  和やかな顔と思いやりある言葉で人と接しましょう。
・ 一期一会(いちごいちえ) 
  その人と会っているこの日この時は二度と来ない、そういった覚悟をもって人と接しなさい。
・ 日日是好日(にちにちこれこうじつ) 
  毎日が良い日である。そんなふうに日々を受け入れて行きなさい
1

2022/1/27

「そろそろ私も煮詰まってきた」〜どこまで続くコロナのぬかるみぞ  生活


 コロナ禍終焉の淡い夢も 延びに延びて
 また先行きが見えなくなった
 私も疲れた
 しかし疲れているのは私だけではない

という話 。
クリックすると元のサイズで表示します
(写真:フォトAC)

【話が違うじゃないか】
 去年の今ごろは新型コロナの第3波が終息に向かっている時期でした。
 第3波における一日の最大感染者は全国で7949人(2021.01.08)。昨日(2022.01.25)の東京都(1万4086人)のわずか半分強といった程度で、今から考えると規模としては大したものではありませんでした。
 しかし2週間以上遅れて変化すると言われた死者は2月3日の時点で120人。死亡率は高く、経口薬も抗体カクテル療法といった特別な治療法もない時期だったので、恐怖はハンパではありませんでした。
 一方、そのころにはすでに諸外国でワクチン接種が始まっており、日本でも3月には始まるからそれさえ終われば新型コロナからは解放される、今だけの我慢だと、希望もある時期でした。

 ところがいざ蓋を開けてみたらワクチン接種は最高齢者でさえ6月、私たち60歳代でも7月中旬以降、さらに若い世代は先延ばしになって、30代の娘のシーナなどは9月になってようやく接種するという遅さ。その間に第4波も第5波も来てしまいます。
 それでも9月末には集団免疫が完成したのか、感染者も大幅に減り、11月になると死者も一日に1人か2人、時には0人。ワクチン接種の進まない諸外国をしり目に、小規模な第6波はあるにしても、2年に渡ったコロナ禍はほぼ終了する・・・そんなふうに言われ始めたのです。

 しかしここにきて話はまったく違ったものになってしまいました。
 ワクチンには有効期限がある、変異株には効果が薄い、オミクロン株にはとんでもない感染力があってワクチン2度接種も軽く突破されてしまうと、だいぶ話が違ってきます。さらにWHOのテドロス事務局長は「オミクロンが最後の変異株とは限らない」と警告を発し、新型コロナは「どこまで続くぬかるみぞ」といった様相を呈してきたのです。


【そろそろ煮詰まってきた】
 私は記憶力に難がある分、ストレスに強い面があります。耐性があるのではなく、ストレス要因を覚えていられず、ひと晩たつと忘れてしまうのです。齢をとってからは特にそうです。
 したがって精神の危機といったことは大病をしたときも含めて、ほとんどなかったのですが、ここにきてようやく追いつめられつつあります。低く見積もっても「コロナに飽きた」「煮詰まっている」、高く見積もれば「鬱屈している」といった状態です。

 妻にそのことを言うと、
「じゃあ、何がしたいの」
――そこで考えたら、要するに私は人と話がしたいのです。子や孫にも自由に会いたい、美術館や博物館にも行きたいと、いろいろあるのですが、それでも一番は、話すことです。

 勤めに出ていませんから人と会う機会がほとんどない。妻や母とはそれぞれ毎日一時間程度、話す時間はあるのですが、短時間で話をしようとすると、買い物はどうするとかデイサービスの準備はどうだとか、要するに事務連絡ばかりで、そんなのはとても人間らしい会話とは言えません。
 こころ豊かな会話というのは、要するにムダ話のことです。


【ムダ話こそ心豊かな会話】
 池袋のホテルで殺された82歳の男性は近隣でも有名な人で、しばしば女性に金を渡してホテルに連れ込んでいたそうです。年齢を考えると性的なサービスを受けるのが目的ではなく、会話を楽しんでいたのだろうと言われています。よくわかる話です。
 私に畑があります。今のように寒い時期はダメですが、春から秋にかけてはそこそこ忙しく、飽いている暇はありません。だから現在の「精神の危機」も春になれば終わるものですが、都会の老人はそういうわけにもいかず、なかなかたいへんかもしれません。

 いや老人だけの話ではありません。
 感染拡大でまた増加した在宅ワーク。もちろんリモート会議で言葉を交わすことはあるにしてもムダ話はできないでしょう。そうなると今の私と同じです。

 そう言えば息子のアキュラも週4日は在宅で働いているはずです。独身ですからアパートでも会話する相手はいません。大丈夫でしょうか。
3



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ