2021/11/30

「新型コロナのクサイ話、それから空飛ぶカッパの話」〜ギリシャ文字について  言葉


 南アフリカ由来の新型コロナ変異株、オミクロンと名づけられたそうです。
 アルファ株から始まった警戒すべき変異株(VOC・VOI)の13番目で、
 当然ニュー株になると思ったらまさかのオミクロン。
 そもそもデルタだのオミクロンだの、何だったっけ?

という話。 
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(写真:フォトAC)

【コロナに関するクサイ話】

 日本国内の感染状況が落ち着いているのと根拠のない楽観的な気分で「放っておいても感染は止まる」とか「たぶん第六波は大したことはない」とか言ってきましたが、オミクロン株とかいうのが出てきて多少こころがざわついています。しかしうろたえずに様子を見て行きましょう。

 ところで今回のオミクロン株の「オミクロン」、何かというとギリシャ文字アルファベットの15番目の文字なのです。最初にイギリスで発見された変異株がアルファ株、続いて南アフリカのベータ株、ブラジルのガンマ株、そしてインドのデルタ株という順になり、さらにそのあとイプシロン株、エータ株、ゼータ株と全部で12の変異株が記録されていたようです。
 デルタ株があまりにも強力で世界中に広まったため、それ以後の変異株は注目されなかったのです。

 今回南アフリカ共和国で見つかった2度目の変異株は13番目ですから当然「ニュー株」となるところですが、突然ふたつ飛ばしてオミクロン株になりました。ギリシャ文字の13番目は「N(ニュー)」で「新しい(New)」と混同しやすいので避けるのは当然としても、14番目の「Ξ(クサイ)」は避ける理由がわからない。
・・・と思っていたら、「Ξ(クサイ)」の英語表記がxiで、中国の習近平国家主席の「習」と同じ英語表記になるところから、中国寄りと言われるWHOのテドロス事務局長が忖度して、外したのではないかと言われています。
 ありそうで、なさそうな――いずれにしろクサイ話です。

 ただ、このニュースは私の気持ちを挫きました。というのはギリシャ文字のアルファベットは私のウンチク話の十八番(おはこ)のひとつで、アルファ株・ベータ株・ガンマ株について「これはギリシャ文字のアルファベットでうんぬん」と、一発ブチかまそうと考えていたからです。ところが頃合いを見ているうちに、新しい変異株の名前がふたつ飛ばされたことでマスコミが一斉に書きたてて、私の計画は台無しになりました。まあ、仕方ないですね。


【カッパが宇宙に向かう】
 ことの始まりはロケットです。
 私が高校生だった1970年、東京大学宇宙航空研究所は日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げました。これで日本はソ連・アメリカ・フランスに続く第4の人工衛星打ち上げ国になった――と言えば誇り高いのですが、前年の1969年にはアメリカがアポロ11号を月に送り込んでいますから、いまひとつ盛り上がりに欠ける感じもありました。そのとき「おおすみ」を宇宙に運んだロケットは、ラムダロケットと名づけられていました。

 ラムダロケットは1960年から運用の始まった観測ロケットで(のちに打ち上げロケットに改良)、定評のあるカッパロケットに続くものです・・・と、そこで私は引っかかったのです。日本のロケット工学の最先端を走っていたロケットに「なんでカッパなどというふざけた名前を付けたのか」、それは小学校のころからずっと不思議に思っていたことでした。

 当時はインターネットなどありませんでしたから、ひとつ疑問が浮かんだら答えにたどりつくのは容易ではありません。学校の図書館の百科事典ときたら、太平洋戦争ですら終わっているかどうか怪しい代物で、結局、本屋で立ち読み研究をしたか市立図書館へ行ったかして、ようやく答えにたどりついたのだと思います。

 カッパやラムダがギリシャ文字のアルファベットだと分かると、それまで不思議とさえ思わなかったさまざまなことが分かってきます。
 放射線のアルファ線・ベータ線・ガンマ線だとか、数学で使うπ(パイ)・Σ(シグマ)・θ(シータ)、理科や技術家庭科で使ったΩ(オーム《オメガ》)、そういえば時計のオメガ社のマークも「Ω」ですし、「シグマ」とか「ラムダ」とかいった自家用車もあった気がします。
 
 ロケットに話を戻すとラムダロケットの後継機は「M(ミュー)」でした。ただしニュースなどでは「エムロケット」と発音されることが多く、私は心の中で「エムじゃなくてミューだろう」と悦に入っていたのです。その次は当然「N(ニュー)」で、さあニューロケットだと思ったらだれも「ニュー」とは発音せず、「エヌロケット」としか言わない。さらに「Nロケットの『N』はNipponの『N』です」などと専門家が言い出す始末。
 Nが終わったら次が問題の「ξ(クサイ)」ではなく「H」。聞けば燃料に使っている水素の元素記号だそうです。

 その次に開発されたのは「J」。当然Japanの「J」かと思ったらジョイント(joint)の「J」だとか(さまざまなロケットの部分をつなぎ合わせたので)。で、最新鋭はどうなったかというと、なぜかギリシャ文字の変な位置に戻って「ε(イプシロン)」です。
 訳がわからん。

 かくして私のギリシャ文字ウンチク話は、大学在学中に頓挫してしまったのです(Nロケット打ち上げは1975年)。


【イプシロンロケットの由来】
 おそらくNロケット開発中に誰かが気づいたのです。N(ニュー)はまだしも、その次は「クサイ」だ。カッパもヤバかったが「クサイロケット」で国民の理解は得られるのだろうか――。そこから急遽Nの読み方を「ニュー」から「エヌ」に変更して「Nippon」の頭文字ということにしたのではないでしょうか。そのあとは自由に名をつけられます。
 しかしそれにしても、なんで今さらのイプシロンなのだ?

 調べたらWikipediaに説明がありました。
イプシロン (Ε) の名前は、ラムダ (Λ) ロケット・ミュー (Μ) ロケットなど日本で開発されてきた固体ロケット技術を受け継ぐ意味を込めギリシア文字が用いられた。(中略)イプシロンロケットが、ミュー (M) ロケットを受け継ぎながら、全く別次元に変身したロケットなため「m(ミュー)」を横倒しにした「ε(イプシロン)」と命名されたことが明らかにされている。

 まあ、いろいろやりますナ。

《参考》
大文字    小文字      名称 
 Α       α       アルファ
 Β       β       ベータ
 Γ       γ       ガンマ
 Δ       δ       デルタ
 Ε       ε       イプシロン
 Ζ       ζ       ゼータ
 Η       η       エータ
 Θ       θ       シータ
 Ι       ι       イオタ
 Κ       κ       カッパ
 Λ       λ       ラムダ
 Μ       μ       ミュー
 Ν       ν       ニュー
 Ξ       ξ       クサイ(グザイ)
 Ο       ο       オミクロン
 Π       π       パイ
 Ρ       ρ       ロー
 Σ       σ,ς      シグマ
 Τ       τ       タウ
 Υ       υ       ウプシロン
 Φ       φ       ファイ
 Χ       χ       カイ
 Ψ       ψ       プサイ
 Ω       ω       オメガ

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2021/11/29

「子どもたちが大人を感染から守った」〜大人たちは子どもに、感謝の気持ちを伝えて頭を下げるべきだ  政治・社会・文化


 間もなく2年におよぶ新型コロナ禍のもとで、
 子もたちは大声で笑い合うことも、友だちと体を触れ合うこともなく過ごした。
 数々の行事や楽しみが縮小され、あるいは中止となった。
 それもこれも、すべて大人たちと社会を守るためだったのだ。

という話。 
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(写真:フォトAC)

【ブースター接種を躊躇う大人たち】

 このところの異常な感染拡大に見舞われているヨーロッパ諸国および韓国では、三回目の新型コロナワクチン接種(ブースター接種)の準備が急がれているようです。これまでと同じように医療関係者・高齢者・基礎疾患を持つ人たちからの優先(または指定)接種となるようですが、予約の状況を見ると前回に比べて驚くほど希望者が少ないとニュースで言っていました。
 1回目2回目は自分が罹ったり重症化したりしないための接種だったのに対し、三回目についてはこんなふうに考えているみたいなのです。
「予防効果はかなり薄れているとはいえ、2回の接種でもう重症化する可能性はなさそうだ。それに周囲には十分な抗体を持った人がかなりいて感染状況も落ち着いている。だったら前回のような苦しい思いをしてまで、3回目を打つ必要もないのではないか――」

 私などは2回ともまるっきり副反応がなかったような状態でしたが、2回目のあとでずいぶん苦しんだ妻の様子を思い浮かべると、3回目接種を逡巡する気持ちも分からないではありません。3回目を行う意味は自分のためでなく、せめてブレークスルー感染をだけでも減らすことで、新型コロナを封じ込め一刻も早く通常の生活を取り戻すこと、日本のため、自分が感染して他人にうつさないためと、徹底的に他人本位ですからなかなかうまく行きそうにないのです。
 しかし考えても見てください。日本国内には自分のためでなく、誰かにうつさないため2年近くもがんばってきた人たちが1千万人以上いるのです。
 保育園・幼稚園・小学校・中学校の園児・児童・生徒と、その保育士・教師たちです。


【子どもたちが大人を、感染から守った】
 特別な病気を持つ子どもたちを除くと子どもたちは基本的に重症化しません。罹ったところでせいぜいが普通の風邪みたいなものです。しかし彼らは我慢に我慢を重ねた。
 音楽の時間に声を出して歌えず、体育の時間にも可能な限り友だちと触れ合わないようにしてきた、寒い冬も暑すぎる夏も定期的に窓を開いて空気を入れ替えた、楽しいはずの給食の時間も前を向いて黙って食べた、そして数々の重要行事を片っぱし中止するか縮小してきた、ずっとマスクをつけたままだった――、それは全部、自分たちが媒介となってコロナウイルスを家庭に持ち込み、そこで父や母や祖父母たちにうつして危険が及ぶのを避けるためでした。つまり子どもが大人を守るためにがんばったのです。

 今2学期が始まろうとする8月23日。私はこのブログで「2学期を始めるな」とヒステリックに叫ぶ記事を書きました。
「子どもをペストのネズミにしてはいけない」〜今すぐ二学期を閉じよ、そして始めるな!」

 いま学校を再開すれば必ず学校クラスターが多発する、そうなるとペストのネズミのように子どもたちがウイルスの運び屋となって親たちにうつす、子どもを無自覚の親殺しにしてもいいのかといった趣旨でした。
 いま振り返ってもその恐怖に裏付けはありました。
 新型コロナの新規感染者(1日あたり)の最大値25992を記録したのは、そのわずか三日前の8月20日でしたし、2週間程度遅れて増加すると言われていた死者は23日の時点でも30人以上でした(翌々週の9月8日の死者89人は第5波の最高値となった)。
 以前は「子どもは感染しない」と言われていたのに、デルタ株になってからはその神話も崩れ、学校が爆発的コロナ感染の拠点となる可能性は十分にあったのです。
 しかし私の予想は外れた――。


【子どもの努力に報いる】
 理由は簡単です。先生と子どもたちが頑張ったのです。自分たちのためでなく、大人と社会を守るために唇をかんで学校の防疫体制を守り、耐えたのです。

 子どもたちのことは既に書きましたので、先生たちについても残しておきましょう。毎日アルコール消毒に明け暮れたこと、次につながるかどうかわからないリモート学習のコンテンツ作りに励んだこと、防疫のために費やした様々なそしてこまごまとした心配り・工夫。コロナがなければしなくて済んだ叱責の数々、子どもの心の不調に寄り添ったこと、宿題のプリントを作成し配って回ったこと等々。それ以外にも山ほどの苦労・心労があったはずです。
 事態は続いていますが、とりあえず中間の感謝を申し上げておきましょう。ありがとうございます。

 さて、大人たち。
 様々事情がありますから一概には言えませんが、子どもや学校の労苦に報いましょう。遊びに行くにしても三密を回避し、短時間で済ませましょう。そして可能な人は、3回目のワクチン接種にできるだけ積極的に行きましょう。
 私は行きます。
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2021/11/26

「新型コロナウイルスがまた分からなくなった」〜今週コロナについて思ったこと  政治・社会・文化


 日本では不安を抱えた奇妙な平和が続いているが、
 欧米では再び爆発的な感染拡大が起こっている。
 防疫の優等生だったはずの韓国・ベトナム・シンガポールも大変で、
 オーストラリア・ニュージーランドもかなり怪しい。
 一体何が起こっているのだろう?

という話。 
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(写真:フォトAC)

【奇妙で不安な平和】

 新型コロナ感染についていえば妙に平和な日々が続いています。
 東京では昨日の感染者が27名で、先週の木曜日に比べて7名も増えたとニュースになっていましたが、総人口1400万人からすると微々たる増加です。200万人について1人の増加は、少数で表すと0をいくつつければいいのか――それだけでも気の失せる神経質な作業になりそうです。
 日本全国では昨日の新規感染者が119人。先週の木曜日発表から34人も減っています。もう減らないだろうと思うところからさらに減るのです。
 専門家は、第六波は必ず来る、来るとしたら年末年始から1月中にかけてだと警告しますが、私は眉に唾をつけています。

 考えてみると昨年4月の第一波感染拡大では、一日の感染者が720名あまりにも上り、国民全体が震え上がったものです。しかし同じ時期、ヨーロッパ諸国は連日4000人〜6000人といった新規感染者が出ていて、合衆国に至っては3万人もの感染者と2000人を超える死者がいたのです。日本の第一波で感染あるいは亡くなられた方には申し訳ないのですが失、諸外国に比べたら日本の状況は誤差の範囲のようなものでした。

 国内で比較しても、第五波真っ最中の今年8月には新規感染者が1日あたり2万6000人近くという日もありましたから、恐怖の第一波の720人がいかに小さな数字だったかは自ずとわかろうというものです。
 もっともあのころはワクチンがなく、治療も暗中模索でしたから、「とにかくワクチン間に合え!」と祈りながら我慢した第五波よりも恐ろしかったのも無理なかったのかもしれません。


【欧米の状況】
 さて現状です。
 ヨーロッパではここのところ英・仏・独の状況が特にひどい。イギリスはずっと高止まり、フランスとドイツは急激に感染者数を増やしています。
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 ワクチンのおかげで死者数はかなり抑えられているとはいえ、それでもフランスはここのところ連日80人越え、ドイツは200人〜300人(23日は336人)、イギリスは200人弱がずっと続いています。人口は日本と比べて英・仏が半分程度、ドイツが三分の二ほどですからそれぞれ大変な数字です。
 合衆国は――これはもうずうっと状況がよくない。毎日1500人前後の死者が出ても(政府以外は)さほど気にしていないように見えるのは、国民性がそういうものなのでしょうか?

 東アジアと比較して驚くことは、それほどの感染拡大にも関わらず、欧米ではワクチンの接種率が高まらず、人々は颯爽とマスクを外して街に出て、要もないのに大騒ぎしています。反ワクチン・反ロックダウンのデモも毎日のように起きています。
 あの人たちの親兄弟に感染者やコロナ死がまったくいないのでしょうか? イギリスやイタリアでは10万人あたりで200人以上の死者が出ているのです(日本は14・5人)。
 新型コロナ感染では、諸外国の人々の生の暮らしといった情報があまり出て来ないので分かりませんが、状況が落ち着いたら改めて調べてみましょう。


【韓国はどうした】

 いま特に気になるのは韓国です。お隣の国で基本的な状況はよく似ています。
 同じ東アジアで気候風土が似ている、何回か危機はあったものの世界規模で考えるとかなり感染を抑えている、ワクチン接種率(完了者)は両国とも80%間近、国民はさほどマスクを厭わない。
 それなのに現状は、韓国の新規感染者が連日4000人前後なのに対して日本は100人前後、死者は韓国の30人前後に対して日本は2人なのです。人口は日本の方が2・4倍ほどですから単位人口(例えば10万人)当たりに直すと韓国は感染者で74倍、死亡者41倍にもなってしまいます。今日の韓国は明日の日本ということもありますから、かなり落ち着きません。

 この件に関して韓国国内では、@ゼロコロナからウィズコロナへの転換による規制緩和、Aブレークスルー感染、B寒さが厳しくなって室内で過ごすことが多くなった等の原因が挙げられています。また日本では第五波でかなりの感染者を出し、統計上あげられていない“検査を潜り抜けてしまった感染者”がいて、その分がワクチン接種に上乗せされて実質的な集団免疫の状況が生れている(だから韓国もある程度放置すべきだ)という見立てもあるみたいです。
 ただし日本の第五波感染者はおよそ90万人。検査をすり抜けた感染者も含めて200万人が抗体を持ったとしても総人口の1・6%ほど。それに現在のワクチン接種率を加えても韓国の接種率に及ばないわけですから、集団免疫説は成り立ちません。寒くなってきたことも規制緩和もブレークスルーも状況はさほど違わないでしょう。

 そこで考えられるのがワクチンの種類です。
 韓国国内では「政府がK防疫(大量のPCR検査と徹底的な追跡システム)への自信からワクチン確保が送れた」という批判があり、この一年間、相当な無理をして接種が進められました。その結果、初期においてアストラゼネカ製が多用され、途中からは交差接種(二回目に一回目と違うワクチンをつかう)や二回目までの接種間隔を広げるなどの変則的なことが行われました。そのことが関係するのかもしれません。
 とくにアストラゼネカは有効率が70%とファイザーやモデルナ(90%以上)よりも低く、接種したにもかかわらず最初から抗体のつかない人が3割程度予定されているのです。アストラゼネカの接種者は25%ほどと言われていますが、接種は高齢者から始まりましたから25%の大部分はお年寄りなのかもしれません。
 現在の感染者の大部分が高齢者と子ども、死亡者のほとんどが高齢者という状況に符合します。

 日本の場合、アストラゼネカの接種者はごくわずかです。おまけに来年、年明け早々に高齢者の3回目接種が始まるとなると、心配なのは子どもだけということになります。そして子どもは基礎疾患のない限り重症化しない――つまり第六波は来ても深刻な状況にはならない、ということになります。

 今後ワクチンの効かない猛烈な変異種が生れる、という可能性がないわけでもありませんが、私はかなり楽観しています。日本人はマスクが好きですから感染拡大が収まってもなかなか手放そうとしないでしょうし、繁華街に浮かれて出て行く人も多くはなさそうです。
 と、そんなことを考えた今週でした。
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2021/11/25

「誰かが別の誰かの成長の踏み台になってはいけない」〜障害のある子どもの就学をどう考えるかA  教育・学校・教師


 障害のある子とそうでない子が一緒に学ぶインクルーシブ教育は理想だ
 しかし十分な人員配置や予算のないところで行えば、
 不利益は障害のある子が負わなくてはいけなくなる。
 大切なのは、子どもたちが公平に成長するには、何が必要なのかということだ。

という話。 
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(写真:フォトAC)

 義姉の友人のお孫さんについて、その就学をどうするのか、話をしています。

【なんであんな子がこの学校にいるんだ】
 特別支援学校か特別支援学級か普通学級かという枠で判断するとき、出てくる言葉に「適正就学」というのがある。その子に合った場所で学ぼうという考え方だ。私はこれについて苦い思い出があるのだ。
 それは20年ほど前に勤めていた小学校でのことだけど、当時の私は教務主任をやっていて学校全体についてもある程度の知識と責任があった。

 ある日、市の就学指導委員会の人たちが学校の様子を視察に来た。特別支援学級の子どもを中心に適正な就学ができているか――特別支援学校がふさわしい子が支援学級にいないか、支援学級に入るべき子が普通学級にいないか、それぞれが適切な支援を受けているのか、そういったことを調べるためだ。
 私は学級担任もしていたので実際の観察の場にはいなかったのだけれど、放課後の懇談会の席にはついた。そこで予想もしなかったことを言われた。市の担当者が3年生の児童の名前を挙げて、怒ったように、
「なんであんな子がこの学校にいるんだ」
 そう言ったわけだ。

 あんな子と言われたのは知的にも困難を抱えていたけれど問題は歩行。車いすの生活で、安全を考慮して母親がいつも付き添っていた。特別支援学級に入級していたけど6対4くらいの割合で本来の普通学級で過ごしていて、仲良しの友だちもたくさんいた。とてもいいクラスでね、みんながその子のことを気にかけていつも大切にしているんだ。私としては自分のクラスでもないのに学校の誇りという感じで、その子たちを見ていた。それなのに「なんであんな子がこの学校にいるんだ」はとてもショックだった。

 担当者は重ねてこう言う。
「あの子はね、支援学校に行けば児童会長にもなれる子なんだ。それがこの学校にいるばかりに皆に世話を焼かれ、まるで赤ちゃん扱いじゃないか。あれではまるで成長できんでしょ!」
 学校がムリにその子を受け入れたわけではない、3年前はその委員会があの子の就学を認めたのに、おそらくメンバーが変ったからだと思うけど、こちらが怒られてもかなわん――そうは思ったのだが、言っていることは道理だよね。


【誰かが誰かの成長の踏み台になってはいけない】
 特別支援相当の子がひとりクラスの中にいると、周囲の子どもはどんどん良くなっていく。バリアフリーだとか多様性だとか共生だとか、そういうことを学ぶための教材がいつも目の前にいるんだよ、こんな都合のいいことはない。それなのに当の本人は赤ちゃん扱いで成長を阻害されているのだ。
 今、私は酷い言い方をしたよね、教材だなんて――でもそういうことでしょ? 片方が一方的にもう片方の成長を支えている、これではあまりにも不公平だ。

 この経験はのちのち私がインクルーシブ教育とか交流教育を考える上で基礎となった。子どもたちは一緒に成長していかなくてはならない。どちらかがどちらかを踏み台にするようではだめなのだ。

 それから数年経って、私は別の小学校で管理職として特別支援学級に関わった。そこに特殊な病気を持った子がいてね、低学年のうちは何とかなったのが中学年くらいから徐々に苦しくなってきた。
 そこで特別支援学校を勧めることになるのだけど、そのときさっきの車いすの子ことを思い出して保護者に話をしたのだ。周りが成長して本人が停滞するなんて不公平だという話と、「児童会長にもなれる子だ」の話をね。その子は本質的に仕切り屋さんだったから、世話になっているだけじゃいけないのだ。
 翌年、その子は4年生になるきっかけで特別支援学校に転校していった。それからまた2年ほどして、お母さんが突然、学校に訪ねて来てくれて、こう話してくれたのだ。
「先生! ウチの子、児童会長になりました!」
 私たちは手を叩いて喜び合ったものだ。

 障害をもったお子さんの就学、難しいけれど問題だけれどやはり専門家の判断に従うのが一番賢明な道だと思うよ。
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